第三三話 狐たちの戦争
「あの狐親父……きつねうどんにしてやろうか」トウカは舌打ちと共に吐き捨てる。
双眼鏡を手に里の出入り口の辺りに陣取ったトウカは、如何したものかと首を捻る。
結局、トウカが指揮を執ることは認められなかった。後々になって考えてみれば、軍の様な厳格な綱紀粛正が成されている訳ではない。強いて言うなれば、民 兵でしかない天狐族の男衆が、人間種のトウカの指揮に素直に従うとは思えなかった。規律と規範のない集団とを止め得るのは、暴力と権威しかない。トウカは そのどちらをも直接的に持ち合わせてはいなかった。
「だが、まぁ、策くらいは考えておく」
長命種達は効率的な戦い方を選ぶことはできるが、実戦証明が済んでいない戦術や武器を酷く忌避する傾向が見られる。普通に防衛すれば可能だが、それでは 人的被害も少なくない。ミユキが悲しむ顔を見ることは避けたいので、誠に申し訳ないが匪賊には一方的に虐殺されてもらうしかなかった。
「森の一部を焼いて煙に巻くのが一番有効か。いや、天狐族全員の砲撃魔術で山越しに局射して面制圧すべきか、しかしそれは……」
前者は延焼を防ぐ為に相当数の木々を切らねばならならず、戦闘後はかなりの範囲に渡って焼け野原となるだろう。後者は照準の面で問題があり、敵が広範囲に分散していた場合、撃ち漏らしが大多数に上る可能性がある。
天狐族に負担を掛けないようにするには、有利な位置から一方的に叩ける展開に持ってゆかねばならない。それはトウカと言えど容易なことではない。
双眼鏡で地形を眺めながらどうしたものかと唸る。
少なくない時間そうしていると、背後の雪を踏む音に気付く。腰の軍刀の柄に手を伸ばし、振り返る。
「……ミユキ。何をする気だ?」
純白の下地に金の刺繍があしらわれた小袖に、動きやすい様に股下で分れた漆黒の戦袴。その上から厚い生地の陣羽織を纏い、無駄に長い刀を背負った上に腰に大脇差と輪胴式拳銃も吊るしているその有様は、戦巫女と称して差し支えのないものだった。
「私も戦います! 今宵の刃は血に飢えちゃったりしています!」
「……そうか、飢えちゃっているのか。それは大変だな……」
そうとしかトウカは答えられなかった。
聞きたいことが多すぎて何を言えばよいのか、トウカには分からなかった。ベルセリカに警護するように依頼していたのだが、当の本人がこの様な出で立ちでは警護の意味は薄い。
「セリカさんは?」
「マリアさんと作戦会議です。何か凄く揉めていて、しっちゃかめっちゃかです」
有り得そうな答えが返ってきてトウカは、頭を抱える。
剣聖と伯爵、父狐の意見の食い違いは十分に予想できたこと。無論、予想できたからと言っても、何ともできないという結論が出ているので口を挟む気は起きなかった。
――まぁ、どちらにせよ初戦は、引き付けての防衛戦しかできないだろうな。
トウカが動き出すのは中盤戦以降であり、独断行動であった。
「まぁ、好きに言わせておけばいい。腐ってもいい歳をしているんだからな」
長命種なのだから意見の擦り合わせも最終的には纏まるだろうと納得し、ミユキの腕を掴む。流石に匪賊の襲来は少し先と予想されているとはいえ、斥候が近辺に進出している可能性も捨てきれないので、自由に歩き回られてはトウカの精神が持たない。
「さぁ、部屋に戻るぞ。皆の迷惑になる」
周囲では拒馬と鉄条網で阻塞を構築するべく天狐族の男衆が走り回っており、無関係の者が歩き回っていてよい雰囲気ではない。
「でも、部屋でじっとしているなんて。……でも、主様が一緒に居てくれるならいいですよ」
トウカの腕を掴み直し、ミユキが胸板にじゃれ付いてくることを苦笑と共に迎え入れる。周囲の視線が痛いが、今更気にする気は起きない。
二人は里の中心部に向かって歩く。
歴史を感じさせる佇まいをした家々の間を抜け、二人は里の中央部にある一際大きい造りの屋敷へと向かう。遠目に見ても分かる特徴的な構造で、屋根の一部 が地面まで続いており角度によっては三角形にも見える。初見でトウカが傾斜装甲かと勘繰った程に綺麗な造りをしている上、錆止めと思しき翡翠色の塗料が塗 装されていることから見た目にも美しい。
里の建造物は基本的に木造であり、一部を除いて屋根は茅葺構造で植物を原材料に作られている。傍から見ると可燃物の塊に見えるがそれは間違いであった。 魔導資質に秀でた天狐族は、屋根や外壁を構成する材料に不燃性を向上させる魔術刻印を付与しているらしく、耐火性は極めて高いとトウカは聞いている。これ
を知ったトウカは魔術という分野の理不尽さを改めて理解し、決して科学に劣るものではないと認識を新たにする。
「今日は何をして遊びますか、主様っ!」
絶対に離しませんと言いたいのか、トウカの右手を強く掴んだまま隣を歩くミユキの言葉に乾いた笑みを零す。
匪賊が近づいているであろうことはミユキも既に知っており、それでも尚、平然と振る舞っているのならば大したものであると感心する。
トウカは歩みを止める。
――いや、恐怖を感じないはずがない。
死への恐怖とは生きとし生ける生物にとって数少ない共通点に他ならない。例え、強大であるが故に恐怖への感覚が薄い上位種族であっても、種の存続が絶たれるという恐怖は絶大なものがあるはずである。
ミユキの手を両手で包み込む。果たして震えている理由は、この刺す様な寒さだけであろうか。
「寒いですか?」
「だ、大丈夫です」
頻りに頷く仔狐をトウカは抱き寄せる。腰に手を回してきたミユキを一層、強く抱き締め、トウカは実感する。
ミユキも怯えているのだと。
気丈に振る舞っても、怯えは払拭できない。それはトウカにとって、断じて許容できないことだ。ミユキを怯えさせるなど言語道断であり、万難を排してその 要因を排除せねばならない。一度に多くの理不尽なる人生の終焉を目にしたことのあるミユキにとって、匪賊襲来はそれを思い起こさせるには十分な理由なの だ。
「匪賊が怖いか?」
優しく、或いは愛を囁く様に問う言葉に、ミユキはトウカの胸板に顔を埋めたまま首を横に振る。そのような反応が返ってくるとは思わなかったトウカは表意を突かれる形となった。
一拍の考える間を置いて、トウカは言葉を紡ぐ。
「俺は怖い。凄く、な」
まだ遣り残したことも無数にある。ミユキよりも先に死に往く運命にあっても、叶う限りは共に在る。そう誓ったトウカにとって、匪賊襲来は障害以外の何者でもない。
だが、返ってきた言葉もまた予想しないものだった。
「……なら、主様は何故、笑っているの?」
慌てて顔に手をやると、確かに普段と変わらぬ笑みが張り付いている。
――ああ、確かに自分は今、この時を楽しんでいるのかも知れない。
トウカは自らの感情の正体を知る。
楽しいのだ。
自らの槍働きの真価を試すことができるという以上に、桜城の血はトウカを戦意に逸らせた。武門に連なる桜城家にとって戦とは人生に於ける集大成と同義である。そして、何よりも大切な者を護り、戦い往くという在り様は男としても憧れる状況であった。
「ミユキを護り、戦える。嬉しくない訳がない」
「でも、人を斬らなくちゃいけないかもしれないんですよ?」
その一言にトウカは納得する。
心優しきミユキは敵まで心配しているのか、と。或いは、トウカが人を斬らねばならないかもしれない状況に陥りつつある今、この時であっても当人が笑顔であり続けることに耐えられなかったのだろう。
しかし、トウカはこの世界に於いて生き抜く為、他者に理不尽という名の刃を振り翳すことが決して一方的に悪とされないことを認識しつつあった。大切な者を護る為に、戦うことが全面的に許容される世界。トウカは皇国をその様な国家だと捉えていた。
大日連の喪ったものを持ち得る国家だと思わずにはいられない。権力の分散を除けば理想的な国家と言える。まるで皇国が大日連を反面教師として生まれた国家であるとすら思えた。
「優しいな、ミユキは。……俺は問題ない」
「本当にそう見えるから心配なんですよ、もぅ」頬を膨らませたミユキ。
トウカは益々、混乱するばかりであった。
優しげな表情に困惑の感情が僅かに混ざった主を、ミユキは黙って見つめる。
トウカが何処か危うく異質であることを、ミユキは己の嗅覚で嗅ぎ取っていた。こればかりは剣聖や父狐であっても察することはできないとミユキは確信している。
仔狐だからこそ気付けた異邦人の異質な一端。
その一端を言葉に表せるほどミユキは歳経ている訳ではないが、一番近くでトウカを見つめ続けたからこそ感じ取れた微かな違和感。
「主様は、この世界が嫌い?」
自分でも何を言っているのだろうかと正気を疑う様な問い。
何故、そう思ったか分らないが、その疑問は限りなく正解に近い誤解であった。
「いや、ミユキがいる。それだけでこの世界の失点は補って余りある。この世界は桜華舞う聖域だ」
「えっと……難しくて分からない、かな?」
首を傾げるミユキに、主は優しく微笑みかける。
トウカが難解な言い回しをする際、人を煙に巻こうとしているのだとミユキはそれとなく感じていた。しかし、儚くも優しげな微笑と共に頭を撫でられては尋ねようという意志は忽ち
に溶け消える。それすらも計算して行っているのだろうと察してはいたが、惚れた女の弱みという現象は長命種であっても例外足り得ない。寧ろ、人間種に比し て長命種の場合のほうが重症となる例が多い。良くも悪くも一途な長命種は、恋愛に於いて流血沙汰になることも辞さない者が少なくなかった。
「むぅ、卑怯です、もぅ」
不満の声も、愛しの主の優しげな笑みの前では無力であった。
この時、トウカの歪みを正確に理解できていたならば、或いは春先に起きる悲劇は回避できたのかも知れない。だが、時代はそれを許すことはなかった。
蒼天に高く鳴り響く警笛。
その音にミユキは、里の出入り口の方角へと振り向く。
近場の男達が、小銃や魔導杖を手に出入り口へと駆け付けんと走り出している中で、ミユキもそちらへと走り出そうとする。
だが、その手をトウカに掴まれ、動けない。
「主様……」
「それだけは認められない」
否定すら許さないという鋼鉄の如き冷厳さを感じさせるトウカの声音。魔力制御すら知らないトウカは、己の身体を魔導という名の鎧で護ることができない。ミユキが引き離そうとすれば容易く叶うだろう。
だが、ミユキは動けない。
周囲を走る狐達が慌ただしく走り回るなか、二人の佇む一角だけが切り取られたかの如く静寂に包まれていた。
トウカの瞳を紫苑色が侵食し始める。
――この両の瞳こそは我らの救い。
――幾多の種が夢想した救世の灯。
――幾多の種族を守護せし眼差し。
抗えない。
皇国が必要とした存在に宿る力。英雄、救世主、軍神、或いは魔王と呼ばれる力。
ミユキが作成した護符は、極めて強力な認識阻害魔術で色と魔力放射を隠蔽するものであり、渾身の力作でもあった。天狐族の中でも類稀なる仔狐の作成したそれは、高位魔導士であっても無効化することは愚か、見破ることすら困難な代物である。
それを容易くも想像すら及ばないナニカで破ってしまうという出鱈目なトウカに、ミユキは息を飲む。強き意志は魔導の理にも干渉するという噂を聞いたことがあったが、これがその現象なのかも知れないとミユキ背筋に冷たいものを感じた。
心が無条件での服従を叫ぶ。紫苑色の瞳に他者を服従させる能力が宿っている訳では決してないが、そう思わせるだけの形容し難い意志が濁流の如くミユキの戦意を押し流す。人の身体が精神によって行動を左右される以上、意志を失った者に抗う術はない。
手を引かれ正反対の方角へと導かれる。
「そんな悲しそうな目で見ても駄目だ。それに、我々の戦場はあちらでははない」
ミユキの小さな手を取ったトウカの見つめる方角。
そこには、翡翠色の大きな屋敷があった。
「遅参の段、平に御容赦願いたい」
呆然とした仔狐の手を引き、悠然とした足取りで司令部として扱われている母家の一室へと足を踏み入れたトウカにその場が静まり返る。
魔導結晶で前線との魔導通信を行っていた者も、地形図を広げて敵の布陣を書き込んでいた者も、魔導杖の整備をしていた者も、黙ってトウカへと視線を向ける。
初めて見る裂帛の意志を伴ったトウカの気配。
言葉遣いも、普段のそれとは違い、軍人然としたものとなっていた。
ベルセリカは騎士であり軍人でもあったので、その佇まいが軍人としての振る舞いであると直ぐに理解できた。纏っていた漆黒の戦装束も相まって、マリアベルが連れてきた戦車兵よりも軍人らしく思える姿である。
ベルセリカは無数の視線に対して顔を顰めたトウカを見て、一波乱ありそうで御座るなぁ、と暢気に考えていた。
天狐族の里に於いて、トウカの立場は不鮮明であり複雑でもあった。
天狐族次期族長を誑かした人間種にして、剣聖ベルセリカ・ヴァルトハイムの主。前者は限り無い憎悪を、後者は限り無い憧憬を天狐族の者達に抱かせるので、どの様な言葉を掛ければ良いのか思い付きすらもしないのだろう。
ベルセリカは、そんな様子のトウカを眺めているだけで満足であった。
トウカは嵐の目に他ならない。
容姿はそれなりに整ってはいるが、特筆すべきところではないトウカ。しかし、良くも悪くもその行動力は、ベルセリカの知る在りし日の名将達と比しても何ら遜色のないものであった。
匪賊が里へ襲来するとされるまでの一週間、野戦陣地の構築で陣頭指揮を執っていたのは紛れもなくトウカであった。その陣地構築の技術は卓越しているの一 言に尽き、里へと続く道は狂信的な程の火力集中が可能な様に防御陣地が構築されつつある。里の出入り口付近に引き付け、短時間での早期撃滅を計ることが基 本方針であるが、ベルセリカは己の主がその程度で満足するとは考えていない。
殲滅戦となるだろう。間違いなく鏖である。
「状況は?」
短く尋ねるトウカに、ベルセリカは上官へ接するかのように姿勢を正し、最敬礼と共に恭しく現状を報告する。
「現在、里の出入り口付近に接近しつつある賊の数は五〇〇前後。前衛に重騎兵を置き、主力に歩兵、後衛に軽騎兵……機動力重視の編制に御座いますれば、不用意に接近させるのも躊躇われるで御座いましょう」
その言葉に黙って頷いたトウカは、地形図に配置された敵方の駒を見つめたままに沈黙する。
シラヌイは、その様子を一瞥した後、特設司令部を睥睨する。
張り詰めた空気が弛緩し、再び天狐族の者が動き出す。
雑踏に喧騒と慌ただしさが増した特設司令部の一角――トウカが佇む位置だけが、周囲とは違った雰囲気を湛えている。
ベルセリカも黙ってその背後へと移動した。主君を護る騎士の如く。
この軍人然とした雰囲気を醸し出しながらも、表面上は緩やかな微笑を浮かべているトウカは、シラヌイの指揮に一切の口を差し挟むことはない。野戦陣地の構築で自身の成すべきことは全うしたと言わんばかりの態度であった。
――そうは思っておらぬで御座ろうが。
己の主君がミユキに迫る可能性のある脅威を看過するはずもない。もし、シラヌイの指揮が劣悪なものであれば、トウカは躊躇いもなくミユキの手を引いて山々へと下るだろう。トウカにとって、あくまで護るべきはミユキであり天狐族ではないのだ。
「御館様、如何召される。御命令とあらば――」
「――シラヌイ殿の指示に従え」
余りにも素っ気ない言葉ではあったが、少なくともシラヌイとの盟約を放棄する気はない様子であった。ベルセリカに、御命令とあらば、悉くを斬り捨てようぞ、という言葉を口にさせることすらないトウカだが、地形図を見つめている以上、戦の趨勢に対しては大いに興味があると言ったところだろう。
「一戦目は相手も油断しているであろうことも手伝って容易く勝利するだろう。二戦目は恐らくセリカさんと戦車を投入することで戦力増強と自軍の士気向上を図り圧倒、勝利する」
地形図に視線を落としたトウカの言葉に、ベルセリカは黙って頷く。
概ねベルセリカの推測と同じであり、またシラヌイやマリアベルの作戦と同様であった。
匪賊は一戦目で容易ならざる相手だと悟り、比較的早い段階で撤退。しかる後に後続に存在すると思しき増援の傭兵を加えることで戦力の増強を図り再度侵 攻。これをベルセリカも加えた総兵力で撃滅する。一戦目で敵を阻止し、二戦目で全戦力を引き摺り出し、これを新たなる戦力であるベルセリカを投入して一挙 に殲滅を図るのだ。
極めて有効な策であった。
トウカとベルセリカが口を挟む程の間すら与えないほど早期に決定された策であるが、一つの種族の長だけあって門外漢の戦術にまで及第点以上の答えを出 す。ベルセリカにとっては当然のことでもあるが、トウカにとっては面白くないことであったらしく、策を聞いた際の横顔が詰まらなそうであったことを鮮明に 覚えている。
「……少し、散歩に行ってくる。セリカさん、付いてきてください。シラヌイ殿は、ミユキから目を離さぬ様に願いたい。先程、前線に赴きそうであったので」
トウカが立て掛けられていた軍刀を手にして出口へと向かう。ベルセリカも続く。
更にその後を、気を取り戻したミユキが後を追おうするが、シラヌイがそれを引き止めている姿を背後に、異邦人と剣聖はその場を後にした。
「隊長!! あいつら相当、備えてますぜ!!」
手下の言葉を聞き、その女は分かっているとばかりに片手を上げる。
前方で行われている戦闘の光芒は、魔術に依る光芒が圧倒的に多く、天狐族が圧倒的な魔導資質で傭兵団を圧倒していた。優秀な高位魔導士を数多く輩出している天狐族の魔導攻撃に対して、傭兵達はささやかな軽火器と砲撃魔術で応戦しているが、劣勢である感は否めない。
「ちぃ! 使えない奴らだね!」
傭兵団の指揮官なのだろう。色褪せた枯れ草色をした長髪女性。女性にも関わらず荒れくれ者の男達の指揮をしているだけあり、騎馬にも練達しているように見受けられる。
トウカが見れば、この女傭兵の正体に気付いたであろう。
異邦人と仔狐が初の邂逅を果たした寒村で暴虐を振る舞った傭兵団の指揮官。
無数の傭兵団を纏める身でもある彼女が狙うは、天狐族の命そのもの。一般的に容姿の整っている長命種は奴隷としても人気が高く、その身体の部位によっては魔術媒体にもなり得る。
だが、それでも一人だけで圧倒的な戦闘能力を有していることすらある長命種も中には存在し、大多数が人間種をあらゆる能力の面で圧倒している。それらと 遭遇する可能性を考慮すれば、長命種相手に狼藉を働くことは、決して割の良い仕事とは言えない。例え、治安低下が叫ばれている皇国北部であってもそれは例
外ではなく、何かしらの理由で龍の逆鱗に触れれば地形諸共吹き飛ばされ、虎の尾を踏めばその牙で八つ裂きにされる。
傭兵達も命懸けであった。元より高位種を奴隷とする為に能力を封じる魔術具を装備していない為、純粋に殺し合いに終始することは確定している。
「ここを落とせば、全てが終わるんだ。気合入れな!」
その叱咤激励に傭兵達が「応!!」と威勢の良い返事を返す。
副団長が指示を飛ばし、騎兵砲の展開を指示する。
兵役時代に騎砲兵部隊に配属されていた者や、軍から脱走した過去を持つ者達が馬に牽引させていた騎兵砲に取り付く。
騎砲兵とは、多数の馬で軽量型や中型、或いは専用の火砲を牽引し、兵はその馬に跨って行軍する砲兵のことである。火砲は大きく重いので馬での牽引は当然 であるが、騎兵に準ずる移動速度の獲得を目指して編成された砲兵部隊は差別化を図るため騎砲兵と呼ばれていた。特に専用の騎兵砲はより洗練された構造の砲
架に搭載され、火薬や砲弾を収めた箱はその砲架に搭載されるか、別に用意された砲架に搭載されて連結される。行軍速度の向上や騎兵に同行し、騎兵の弱点で ある野砲にある程度、応戦できる騎砲兵であるが、これらが扱う砲は軽量化の代償として歩兵部隊の一般的な野砲と比しても射程距離や破壊力、耐久性などに劣 る傾向があり、純粋な砲兵との砲撃戦には向かない。
騎兵砲を扱う傭兵の動きには無駄がなく、素人ではないことを伺わせる。
砲を有する傭兵団は、基本的に移動速度を重視している為に、騎兵砲を扱っている例が多いが、それは女傭兵が率いる傭兵団も同様であった。
薬室へ砲弾を装填して尻栓を閉め、次弾を抱えて待機する傭兵。照準器を覗き込む者もいれば、砲隊鏡を構えた傭兵もおり短時間で展開が完了する。
「準備でき次第、順次撃ちまくれ!」
副長の傭兵らしい簡潔な言葉と共に轟音が響く。閃光が女傭兵の網膜を支配し、炸裂音が鼓膜を満たした。
短砲身故に騎兵砲での砲撃は曲射となるが、野戦陣地は基本的に直上からの攻撃に弱く現在の状況に適していた。
「急ぐ必要はない。腰を据えて撃ちな」彼女は馬上から騎砲兵を統率する老練の傭兵に言葉を掛ける。
そう、急ぐ必要はないのだ。
北部に展開して活動を行っている傭兵や匪賊などのほとんどが、あと数日で集結する為であり、現在の戦闘は威力偵察を兼ねた前哨戦に過ぎない。寧ろ、目的の為にはこの決戦の地により多くの長命種を集めねばならない。
遠弾の多い騎兵砲による砲撃を眺め、女傭兵は笑みを深める。
傭兵が求めるは勝利ではなく、己の欲を満たす利益。勝敗など些末なものに過ぎない。
「敵の中距離魔導砲撃だ! 伏せろ!」
魔導資質を持つ一人の傭兵の声に、前線の兵士達が地面に伏せる様子が遠目に見える。
前線の傭兵達が布陣する辺りに魔導榴弾が炸裂する。
効力射で木っ端の如く舞い上げられた傭兵が、地面に叩き付けられて肉片へと成り下がる。騎兵砲達も負けじと撃ち返し、幾度目かの砲撃で有効弾を得始めた。
狐達の戦争は未だ始まりを迎えたばかりであった。