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第四二話    白い死神








 その時、最後尾の戦車の上に金色(こんじき)の疾風が舞った。

 それを見た傭兵が車載機銃を旋回させる。

 最後尾の戦車の車長用司令塔(キューポラ)から上半身を乗り出して車載機銃を旋回させていた傭兵に、マリアベルは銃身前方の銃口付近にある凸型の照星(フロントサイト)を合わせ、後方の凹型の照門(リアサイト)の溝の間に見えるように照準を合わせる。

 間髪入れずに引き(トリガー)を引く。

 発砲音よりも破裂音に近い轟音が雪の大地に轟いた。

 対戦車小銃の決戦距離よりも至近で放たれた銃弾は、着弾誤差なく傭兵の胴体に着弾する。腹部へ銃弾を受けた傭兵は高初速の銃弾が貫徹し、内臓を体外へ引 き摺り出された。力が抜けたかのように車内へと落ちた傭兵には目もくれず、照準から視線を外さずに三番目の車輛に銃身を巡らせた。

「ちっ、車内に隠れおったな」

 マリアベルは舌打ちを漏らしながらも、遮蔽物を利用して距離を詰める。

 最後尾の戦車で周辺警戒を行う為に顔を出していた傭兵の戦車長は撃ち果たしたものの、銃声によって狙撃されていることに気付いた他の戦車長達は素早く車 内へと隠れてしまう。仲間の仇を撃つことを諦めたように見えるが、乗員の欠けた戦車は大きく戦闘能力を損なうので判断としては正しいものと言える。特にこ れから中戦車と機甲戦を行わねばならないので、彼らの判断は間違いなく正しい。

 ミユキが車体上面に取り付くと、機関冷却吸気口へと火炎瓶を投げ入れる。忽ちに最後尾の戦車は速度を落として、黒煙を噴き上げる。

 戦車兵が後部艙口(ハッチ)から脱出しようとするが、マリアベルは大型拳銃に持ち変えて傭兵を射殺する。

  タンネンベルク 7.7x25mm P89自動拳銃。

 その銃の形状は、弾倉が銃把の前にある為に重心が前のめりで競技銃のような正確な射撃が可能であり、脱着式銃床を併用する騎兵銃(カービン)として皇国陸軍では運用している。他の自動拳銃に比して全長は長く重量は重いものの、小型の銃把(グリップ)は掌の小さな、小柄な種族でも問題なく使用できる利点があり、多種族国家である皇国を象徴する自動拳銃でもあった。

 二人撃ち倒したものの、未だ黒煙を噴き上げる戦車の中に潜む気配にマリアベルは6発毎の射撃を加える。P89自動拳銃自体が一二発の挿弾子(クリップ)なので二回の射撃に留まるが、その間をマリアベルはある程度開けた。

 その動作で幾度かの射撃を繰り返していると、一時的に射撃を途切れさせた瞬間、更に二人の傭兵が小銃で牽制射撃を加えつつも飛び出してくる。

 6発毎に射撃を繰り返していたので、マリアベルが扱っている銃を輪胴式拳銃だと考えたのだろう。輪胴式拳銃はその構造上、銃弾の再装填に時間が掛かり、 間隙を突いての脱出は確かに難しいことではない。その様に勘違いさせる為に射撃していたマリアベルからすると滑稽ではあるが。

 最終弾を撃ち尽くして弾倉が空になり、遊底(スライド)が後退しての遊底後退(ホールド・オープン)状態となったP89自動拳銃に銃弾が一二発纏められた挿弾子(クリップ)排莢口(エジェクションポート)に差込み、叩き付ける様に弾倉に押し込む。拳銃の装弾方法というよりも槓桿動(ボルトアクション)式小銃の装弾方法に近いと言えた。

 再装填を瞬時に終え、遊底(スライド)を前進させたP89自動拳銃をマリアベルは右手で銃把(グリップ)を握り、引き金を引く。

 十年来の相棒はマリアベルの期待に答えた。

 両手で保持していることもあり、一瞬で撃ち尽くされた十二発の銃弾の一部は敗走を始めた二人の傭兵の背へと命中し、雪の大地へと引き倒す。

 起き上がろうとした傭兵の一人に新たな挿弾子(クリップ)を再装填してもう一度撃ち倒し、倒れていたもう一人の傭兵にも念のために三発ほど銃弾を撃ち込む。

「ちぃっ!! 手間取らせおって!」マリアベルは傭兵のしぶとさに舌打ちする。

 兵士としても将校としても訓練を受けている訳ではないマリアベルは射撃訓練だけは欠かしていないものの、それでも咄嗟の判断に迷いが出た。本職の軍事で はな本来は開発者に過ぎないマリアベルが銃を取ること自体が異常であるといえるが、自らの意志で戦野へ赴いた以上、それは言い訳にはならない。

 右腰の拳銃嚢(ホルスター)にP89自動拳銃を収納し、PzB95対戦車小銃を引っ掴みマリアベルは密林から飛び出す。

「あの馬鹿狐! 一体、何処へ行きおった!?」これは拙いとマリアベルは周囲を見回す。

 ミユキには攻撃後に自身の下まで戻ってくるよう厳命していたのだが、戻ってくる気配はなく姿も見当たらない。もしミユキの身に傷でも付けばトウカもシラヌイも黙ってはいないだろう。

 既に双方の戦車隊は優勢な位置取りを狙って散開し、戦車戦を始めていた。

 固定砲である前部二門の主砲を指向するには車体そのものを旋回させねばならない構造上、傭兵側の戦車は常に前面を向けようと信地回転と機動を繰り返して いる。対する中戦車は砲塔を旋回させ、砲身を敵戦車に指向させたまま軽快な機動で側面に回り込まんとしていた。早々と戦車壕の利点を捨てて短期決戦に打っ て出たのだ。敵は一輌が擱座していることから決して無謀なことではない。

 戦車戦での機動は一貫して側面や後背の取り合いに終始する。戦車の正面装甲は極めて堅牢で貫徹することは難しく、比較的装甲の薄い側面や後背を攻撃する為に互いに回り込もうと機動するのだ。

 教本通りの戦法で互いに優勢な位置を取り合おうとする双方だが、ここで双方の性能の違いが大きく出た。

 固定砲塔と旋回式砲塔。

 砲を左右に旋回させられる分、照準の為に車体を旋回させる必要がない旋回式砲塔を備えた中戦車は機動に一切の制限を受けない。

 主砲が一基で皇国陸軍主力戦車と比して小型にも関わらず、出力が向上した魔導機関を備えた中戦車。移動速度も速く、優速を利して傭兵側の戦車に有利な位置に遷移しつつあった。

 トウカが見れば構造の割に高機動だと驚くだろう。

 中戦車は新しい試みとして魔術による本格的な足回りの強化が図られている。劣弱な治金技術故に脆弱な履帯だが、魔術の防護術式や障壁などの応用によって 耐久性そのものの向上が図られており、その強度は極めて高く、副次効果として急激な機動による履帯の脱落の可能性も激減していた。

 戦車の機動を眺めていたマリアベルの視界の端に黄金の色が映る。

「あの、阿呆狐ッ!」

 ミユキが三輌目の戦車の後を追っていた。

 蒼い炎を右手に宿しているのは狐火だろうが、その狐火を三輌目の戦車の機関を機関冷却吸気口に流し込む積心なのだ。手段としては悪くないとマリアベルは 唸る。車体の真後ろに追従するように追尾しているのは、車体左右の機銃の射界に入らない様にという配慮であろうが決して間違った対応ではない。特に目先の 機甲戦の為に戦車長は車内へと戻っており、車長用司令塔(キューポラ)から後方を射撃することはできないので、戦車からの攻撃を受ける可能性は少ない。

 だが、相手が悪い。

『逃げよ、ミユキっ!』

 無線越しに怒鳴るが、敵の動きの方が早い。

 ミユキの存在に気付いたのか、或いは軽量化の為か皇国陸軍主力戦車の後部艙口ハッチから幾人かの傭兵が飛び出してくる。

 三輌全てから呼び出してきた人数は二四名。皇国陸軍主力戦車は、定員が一四名であるものの、戦車として稼働させるならば六名だけでよく、他は機銃手や戦車随伴兵である。

 皇国陸軍主力戦車は歩兵戦闘車の側面を持っている。これは、皇国陸軍主力戦車だけの特徴ではなく、この世界に於ける現時点での戦車の標準であった。塹壕 や障害を踏み越えた後、歩兵を展開する事で突破口の拡大を図るという戦術に依るところであるが、純粋な機甲戦に於いては車内の機銃手や随伴歩兵は重量増加 の原因でしかない。

 ミユキはそれを知らなかった。

 高速で機動する三輌の皇国陸軍主力戦車から次々と飛び降りるように降車する傭兵にミユキが戸惑う。

 傭兵の小銃での射撃に、ミユキが魔導障壁を展開して慌てて下がる。

 拙い! 追いかけるくらいならば傭兵共が集結する前に飛び込めばよかろうに!

 雪の大地に降り立った傭兵達は散発的な小銃射撃を加えながら集結を始める。身体能力と魔導資質に優れるミユキ相手に集団戦を選択することは正しく恥ずべ きことでもない。詠唱の時間を与えないように射撃を加える傭兵を見てマリアベルもPzB95対戦車小銃を構えようとするが轟音に遮られる。

 双方の戦車が主砲を砲射したのだ。

 互いに同数となった事もあって一両ずつでの機甲戦となる。

 剣を振り翳して勇壮に戦った古の騎士の如く、鋼鉄の野獣は砲身を振り翳し戦う。

 双方の主砲が再び轟く。

 閃光が視界を満たし、マリアベルは慌てて視線を逸らす。 

 運悪く閃光を直視してしまったマリアベルは、物陰に身を隠し、その場から動くことができなかった。









「ううっ……目が見えないです……」

 発砲の閃光によって朧げとなる視界の中で右腕を伸ばし、ミユキは展開している障壁を必死に維持する。現在の状況では視界による照準が主である射撃魔術を放てないが、どちらにせよ散発的な小銃射撃を受けていては障壁の維持に集中せねばならず、魔術による反撃はできない。

 涙に滲む視界。

 ミユキとマリアベルは戦車を視界に収めていたが、傭兵達は背にしている形だったので閃光による影響は受けていない。だが、ミユキは至近距離にいた為にその影響を特に大きく受けていた。

 眩む視界の焦点を必死に結びながら、ミユキは密林への後退を重ねる。

 背を向けて走り出したい衝動に駆られるが、魔導障壁の強度を維持したままに体勢を大きく変えることは本職の軍人や、それ相応の研鑽を積んだ長命種に限ら れる。ミユキはそのどちらでもなかった。反射的に障壁を展開し、あらゆる体勢と角度からでも対応することを平素から求められる者ではない。習得すら行われ ないミユキが障壁を十全に扱えないことは止むを得ない部分もあった。

 遠くから特徴的な対戦車小銃の銃声が響く。

 ミユキよりも遠い位置にいた為、一足先に視界を回復させたマリアベルによる支援狙撃であった。

 胴体を貫徹され、血を飛散させながら力が抜けたように膝を付き地面へと倒れ伏した一人の傭兵。対戦車小銃は速射性の低い銃火器で、目端の利く者ならば散 発的な射撃から、マリアベルが移動を捨ててまで狙撃による援護しているということに気付いただろう。狙撃は一度射撃すると自らの位置を露呈してしまうとい う性質上、同じ場に留まっての狙撃は市街戦でもない限り狙撃は行わない。これは、皇国陸軍でも狙撃後の移動を含めて一つの狙撃の動作としていることからも 分かる。

 だが、ミユキは仔狐に過ぎない。

 マリアベルが援護してくれているとしか感じなかった。位置の露呈まで覚悟しての狙撃であることにミユキは気付かない。

 ――負けない、負けたくない!

 ミユキの根底にある意思はそれだけであった。

 トウカは今この時、間違いなくこの大地の何処かで戦っており、その事実が二人の間にある隔たりの様に感じられてミユキは焦燥に駆られていた。自らが戦野 に赴いたところで戦局に何ら寄与しないことには気付いていたが、ならばせめてトウカと同じ視線を、と望んでの行動であった。

 仔狐は、異邦人が自らの腕だけで受け止められる男ではない事に気付き始めていた。

 手を取り、紫苑色の瞳でミユキを見据えた瞳。

 それは本来、皇国が求め、この大地に招聘した生ける奇蹟。その奇蹟が現在の皇国の斜陽を払拭するほどのものであるとミユキは信じて疑わないが、同時にそ れは二人の別れを意味するものでもある。天帝は即位時、唐突に権力の継承を約束された者に過ぎないが、通常であれば先代天帝時代に招聘され、その庇護を受 けながら時間を掛けて皇国を理解して指導者たる資質を磨いてゆく。

 だが、次代の天帝候補であるトウカはそれができない。

 今代の天帝は次代の天帝招聘に消極的で、最終的は天帝招聘を行う前に御隠れになった。これはトウカが今代天帝の下で皇国を理解し、指導者たる資質を磨い てゆく機会が失われたという事に他ならず、同時に天帝へ即位したとしても貴族に対する権勢が著しく衰えるということに他ならない。何故ならば、当代天帝に 庇護を受けながら次代天帝は貴族社会の中で確たる地位を築いてゆく為で、当代天帝による庇護の期間は次代天帝の権勢の継承の期間という意味もある。

 貴族に認められるまでの時間。或いは、信頼関係を構築するまでの時間。それが当代天帝に庇護を受ける期間の本来の目的。

 しかし、トウカにはない。

 突然の権力の継承は大きな波紋と混乱を呼ぶ事は疑いない。貴族の中心を成している七武五公がこの点を憂慮して輔弼することは確実であるが、同時に目に見える形での関係強化を目論むことも容易に想像が出来た。

 つまりは七武五公の血縁に連なる姫君の当代天帝への輿入れ。

 これほどに目に見える形での関係強化はない。そして世襲制ではない皇国は、天帝の子が次代天帝となる訳ではないが、天帝の血の入った子は七武五公にとっ ても歓迎すべきものであった。何よりも尊崇の念を持つ天帝の血を自らの一族に加えられ、下世話な話だが政治的にもその存在価値は計り知れない。

 だが、輿入れの際に当代天帝の横に女性――ミユキが立っていたら?

 さぞかし目障りであろう。招聘した天帝候補が結婚していれば妻を皇国へ呼ぶことはあるが、それは権勢の継承を十全に果たしているからこそ可能なことであ る。それが、不完全な状態で何の後ろ盾もないミユキがトウカの横に立てば貴族の序列も相まって確実に混乱する。利用しようとする商家や輿入れを望む周辺諸 国の権力者もミユキの周囲で入り乱れるだろう。

 《ヴァリスヘイム皇国》に、これ以上の混乱を受け入れる余裕はない。

 次代の天帝が即位したらどうなるかとマイカゼから聞いたミユキは、どうにもならない事を悟った。そして三神公の血縁に連なる姫君の当代天帝への輿入れの 話を聞いた時は暴れそうになる尻尾を必死に押さえた。会話を誘導しつつ「なら元々、恋人がいたらどうなっちゃうのかな?」と重ねて尋ねた時、ミユキは顔色 を失くした。

 三神公は必ず排斥に動くわ。

 断言して見せた母狐に仔狐は視線を合わせられなかった。

 だからこそミユキは戦う。トウカと同じ場所に立ち、同じ視線を得る為に。

 トウカの全てを理解して天帝即位という間違った道に進まぬように総てを()らねばならない。

 それは、ミユキにとって大きな重圧になりつつあった。

 仔狐と異邦人。
 長命種と短命種。

 それらは本来、トウカにとって大きな足枷であるはずであった。

 人間種は他種族に比して基礎能力に劣り、トウカに限っては魔導資質を全く持ち合わせないことから、その戦闘能力は長命種は愚か人間種の中でも決して恵まれたものではない。そして世界を知らぬ異邦人であることは知識の面に於いても不利であったはず。

 だが、トウカはそれでも尚、戦い続けている。

 精緻な計算と違える事のない打算の上に、剣聖に対しても一歩も引かなかった。無論、トウカからすれば条件付きでの勝利であり、その内実は実質的な敗北であったと笑うだろうが、それでもそれらに限定的であっても勝利を重ねられる人間種などそうはいない。

 そんなトウカの横に立つだけの資格は果たして自身に在るのだろうか?

 それは共に過ごすうちに仔狐の心で徐々に鎌首を擡げ始めた疑問であり、焦りは戦意へと昇華し、戦野を渇望した。

 しかし、闘争への覚悟を未だ知らぬ仔狐に他者を殺す覚悟は有るか。否、断じて否である。生きる為に動物を狩ることはあっても、人間種とは違い欲が薄い天狐にとって他者を排してまでも己の欲を満たそうとする道を知らなかった。

 銃剣を装備した小銃を握り締め、ミユキへと迫る傭兵。

 対魔導術式の施された刀剣類は魔導障壁に対して極めて有効である。規模と形状、費用対効果や発砲時の刻印の破損と摩耗の問題から対魔導術式の刻印が不可 能な銃弾や砲弾などに変わる形で主力兵器の一翼を担っていた。接近せねばならないという欠点もあるが、障壁を切り裂けるという長所はそれらを補って余りあ る。

 戦意に揺れ、狂気に濁った傭兵の瞳にミユキの戦意が揺らぐ。

 突き出すように放たれた銀の一閃。それは魔導障壁に食い込み、銃剣はミユキに迫る。

 死にたくないという恐怖が、ミユキを突き動かす。戦袴を翻し、背の大太刀を引き抜いて傭兵に振り翳した。

 身体強化の恩恵に頼った力任せの斬撃。

 大太刀は傭兵の小銃の木製被筒(ハンドガード)諸共、傭兵の身体を右袈裟懸けに斬り下げた。

 血飛沫を撒き散らし傭兵は斬撃の衝撃も相まって叩き付けられるように斃れ伏した。

 身体強化によって振り切られた大太刀の威力は凄まじく、ともすれば胴体を半ばから断ち切られそうな程の斬撃を受けた傭兵は切り裂かれた腹部から臓器を雪上に撒き散らしていた。人の体温が気温よりも高い為、切り裂かれた腹部や地面に撒き散らされた臓器からは湯気が立つ。

 ミユキは返り血で赤く染まった顔で更に接近する傭兵を見つめる。

 気が付けば肩で息をしていた。

 ミユキがヒトを殺めたのはこれが初めてである。その重圧は仔狐の双肩に重く圧し掛かり、その体力と戦意を僅か一刀のみで奪い去った。新兵が敵兵を殺す事 を躊躇い、その隙に逆撃を受けて殺されるという逸話も戦野では決して少なくはない。生存本能に基づいた咄嗟の判断に過ぎないとはいえ、軍事的な、或いは騎 士道や武士道の視点からすれば大いに称賛される行動であった。

 胃から何とも言えない怖気が込み上がってくるが、それを抑え込みミユキは正面を睨む。

 しかしミユキは軍人でもなければ騎士でも武士でもない。本来、護るべき立場ではなく護られるべき立場なのだ。

「くぅ――ッ!」更に飛び掛かってくる二人の傭兵。

 傭兵の戦意は狂気とも似て、仔狐の心を蝕む。

 槍の如く突き出された銃剣付き小銃を大太刀の刀身でいなし、一人目の傭兵に足払いを掛ける。トウカの戦い方を見てきたミユキは手に持っている武器で必ず相手を撃破しなければならないわけではない事を理解していた。

 しかし、大地に転げた傭兵に代わるように二人目の傭兵が曲剣(サーベル)を振り翳し、ミユキの眼前に迫る。

 大太刀では間に合わないという判断で、ミユキは後ろへ下がろうとした。

 しかし、右脚に何かが絡み付く。

 慌てて下を見ると、先程転ばせた一人目の傭兵がミユキの足を掴み、狂気を孕んだ卑しい瞳で見上げていた。

 傭兵の手に本能的な嫌悪感を拭いきれないミユキは無理に後退しようとするが、足を掴まれたままであることもあって尻餅を()く。

「ッ! 痛っ」戦闘では致命的な隙であった。

 ミユキに迫る曲剣(サーベル)。その煌めきは、ミユキの戦意を完全に打ち砕いた。

「主様ッ! 助けてッ!」恥も外聞もなく目を閉じて助けを乞う仔狐。

 何と浅ましいことかとミユキは己の意志の弱さを呪う。最後には愛しの主様に助けを求めてしまう程度の脆弱な意志しか持たない自分がトウカに相応しい筈が ないとすら思えた。いや、それ以前に戦闘中に目を閉じるなど言語道断であると怒られてしまうかも知れないなどという益体もない現実逃避すら考えてしまう。

 ――私はここで死ぬの?

 或いは自身が枷にしか成り得ないのならば、ここで散ることがトウカの為になるのではないかとすら思えた。

 断罪の風切り音が響く。

 ミユキの罪は皇国の希望を壟断したこと。己の愛と国の未来という選択に於いて前者を優先した罪は、今この瞬間贖われようとしていた。

 しかし、何時まで待てども痛みはやってこなかった。

 閉じた瞳を恐る恐る開ける。

 急に差し込んだ光に視界が霞む。

 最初に映り込んだのは白だった。

 視界が明瞭になるにつれて、ミユキは自身の顔が喜色に彩られることを感じられずにはいられなかった。

 最初それを見たとき、白死神(シンメルライター)だと思った。

 白い大外套を身に纏い十六夜の夜に現れるという首のない軍馬に騎乗した幽鬼。北部では悪さをする子供に対する脅し文句にすら使われる死神は、この氷雪舞う大地に於いては間違いなく恐怖の象徴であり人々が畏怖する存在であった。

 金色の毛並みの大きくも雄々しい狐に跨乗した白死神。

 黒と白の一閃が氷雪の大地に舞い、二人の傭兵が一刀の元に斬り裂かれる。

「待たせた、ミユキ」

 ミユキにとっては白馬の王子……否、大狐に跨乗する黒衣の異邦人が血風の舞う中で姿を現した。額からは鮮血が流れ落ち、白の大外套も返り血に染まっているが、その瞳は爛々と戦意を湛えていた。

 軍刀を血振りし、ミユキへと微笑みかけるトウカ。

「サクラギ・トウカ。罷り越して候……とでも言うべきか?」悪戯を思い付いたかのような顔で呟いたトウカ。

 血を撒き散らし大地へ倒れた二人の傭兵を避け、ミユキはトウカの下へと駆けて勢いそのままに抱き付いた。

「うう~、主様っ! 怖かったぁ!」

 決意もかなぐり捨てて愛しの主様へと泣き付くミユキ。自身の意志の弱さを恨みたくなるが、何よりも今は危機に駆けつけてくれたトウカの好意が只々嬉しかった。

 突進するように抱き付いたミユキの頭に優しい感触が伝わる。

 あらゆる意志を溶かさんばかりに優しげな感触にミユキの頬が緩む。戦野でこの有様はいけないと思うのだが、それでもミユキはトウカの掌にされるがままで あった。決して抗えない魅力は果たしてトウカがトウカであるが故のものなのか、或いは大いなる資質の為か、ミユキには分からない。

 だが、今この時だけは仔狐だけの主様であった。

 微笑む二人。

 しかし、野太い声が二人の温かい一時を吹き払う。

「この糞餓鬼! 父親の前で惚気るとはいい度胸だな!」トウカが跨乗している大きな狐からの声。

 そして、大きな狐の尻尾が跨っていたトウカを雪の大地に叩き落とす。

 大きな狐は転化したシラヌイであった。

 シラヌイはマリアベルに劣らない程の年月を経た天孤であり、転化したその姿は天狐族の長と呼ぶに相応しい風格を備えている。黄金色の毛並みは艶だけでな く、その神々しさに合わせた鋼に負けぬほどの剛性を持っている為、何の技巧も施されていない銃弾や刀剣ではその防禦を刺し貫くことはまず不可能といえた。 直接的な戦闘能力では天狼や天虎に劣るかも知れないが、天孤最大の強みは魔術に対する造詣の深さであり、対魔術防禦も優れている点もあって決して総合的な 戦闘能力で劣る存在ではない。

 しかし、高位であればあるほど他種族の前で転化した姿を見せる者は少ない。これは、程度はあるが全ての種族に共通する事である。能力の限界を秘匿し、神 秘性の防護を理由としているが、どちらかと言えば本質的な姿とされる転化後の姿を晒す事を嫌悪する意味合いが大きい。装虎兵にも関わらず、レオンディーネ が転化せずに野生動物である白虎に跨乗している理由もその辺りに帰属する。

 つまりトウカに転化後の姿を晒すということは、トウカを認めたと取ることもできなくもない。

「若造め、貴様に背を許すのはこれで最後だ!」

 憤懣遣る方無いと雄叫びを上げたシラヌイが突然の登場に硬直していた傭兵達へと吶喊する。強靭な牙を見せつけ、口元から蒼い狐火を揺らめかせて飛び掛か るその姿は恐怖以外の何者でもない。狐とは元来、肉食動物である為に鋭い牙を持っており、その上シラヌイは軍狼に悠々と勝る体格を持っていた。

 小銃を投げ捨て、それぞれの方角に逃げ出す。遠くからも爆音が轟き、傭兵側戦車の断末魔の叫びが轟く。

「やはり銃眼を装備した側面は弱かったようだな……エルライン回廊で戦う事を前提にしている為か、側面から戦車砲を受けることを考慮していなかったと見るべきか」

 トウカの言葉に戦車が争っていた方角を見ると、三両の戦車が(ひしゃ)げた箱の様な有様で黒煙を噴いていた。戦車内の炎に耐えられず外へと飛び出した傭兵が中戦車の前部車載機銃の掃射で薙ぎ倒される。

 血煙を上げて倒れ伏す傭兵達。

 軍隊に於ける対高位種戦闘の基本は、距離を置いての火力集中と対魔導貫徹術式の付与された刃物の剣列、或いは槍列によって包囲殲滅が骨子であったが、傭 兵はどちらを行うにも準備が不足していた。前者は多数の火砲と機関銃が必要であり、後者は無数の戦友の屍が生産される事を前提とした決死の戦法。金銭で如 何なることを請け負う傭兵であっても、エグゼターの傭兵でもない限り避けられない落命の危機に於いて依頼に義理を果たすほどの覚悟は持ち合わせていなかっ た。

 逃げる傭兵を容赦なくシラヌイの(あぎと)が噛み砕き、狐火が身体の油脂分に着火する。ありとあらゆる骨、血、器官を雪の大地に撒き散らして原形すら留める事を許されない傭兵もいれば、蒼き炎が身体を包み焼け爛れた肌を押さえて炎に奪われた酸素を求めるかのように雪の上を転がる傭兵も少なくない。

 耐えきれず目を逸らしたミユキ。

 しかし、逸らした視線の先でトウカが遣る瀬無い様に首を横に振る。

「目を逸らすな。過程は如何あれ御前は戦野で勝者の側に立った。敗者の死に様を見届ける義務がある」

感情の介在しない声音だが、その瞳は憤怒と悲哀に彩られている。

 抱き寄せられたミユキは、黙ってその光景を見続けことしかできなかった。

 

 

 

 

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