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第一話    ”神奪者”

 

 



 世界は戦火に満ちていた。


 特に神霊神殿を中心とする光の勢力と、無数の魔神を始祖とする闇の勢力の陣営は尽きる事のない戦いを繰り広げていた。近年では多くの国家が誕生し、そして幾多の戦火に晒され滅んでいった。


 古代の神々の戦争は幾星霜の時を超えて、なお今の時代に爪痕を残しているのだ。


 今の時代、そんな話が珍しい事とは思わない。内戦で国が滅び新たな国ができる事もあれば、その隙を衝かれて隣国に侵略される事もある。 


「平和とは程遠いか……」


 無感動に目線を投げ掛ける。


 荒涼の大地を小高い丘から見下ろすその姿は、女神が慈悲の眼差しを持って荒涼の大地を嘆いているかのようだ。だが、近くで表情を見ればそうでない事は一目瞭然だっただろう。


 その者は、顔から一切の表情を排していた。


 正確には無心であるが故の無表情なのだが、他者から見れば冷たい印象を受けるかもしれない。しかし、当人の感情は既に擦り切れていたし、それを非難する者も咎める者もいなかった。


 いや、者――物なら一人いた。


《何じゃ御主。もしや、カエデを置いてきた事を後悔しておるのか? 神を殺めた男が情けない》


 その者が腰に下げた一振りの剣が感情を含まない声に答えた。


 だが、問いに答えはしない。


 その者に答える気がなかったというのもあるが、それ以上に自身の心の在り処が分からなかったが故であった。それは何百年も生き続けた故に精神が磨滅しためであったが、理解し得たとしても押し留める術は己が死しかなかった。


《ふん……。致し方なかろう。どちらにせよ結末は変わらぬ。が、あやつは強いが所詮は子供に過ぎぬ。我らとは違う》


 一振りの剣の声に黙って頷き、その者は歩き出す。


 行く手には無数の異形の魔神たちが立ち塞がっていた。












「ラルフっ! どうしたのですか!」


 馬車の外から聞こえる怒号と剣戟に気付いた姫は、驚きの言葉と共にドアを開けると飛び降りた。


 すぐ外では白と黒の騎士たちが激しい攻防を繰り広げていた。


「姫っ! ここは危険です。御下がりください!」


 白を基調とした純白の装束――近衛騎士の軍装を身に纏った騎士がロングソードに付いた血糊を振り払いながら、姫に背を向け刃を構える。


 近衛騎士の純白の装束と外套は、無数の血によって汚れている。


「賊です。北の暗殺者かも知れませんっ!」


 黒衣の者の斬撃をロングソードで受け流し、横一線に薙ぎ払ったラルフが黒衣の襲撃者たちを牽制しながら主君に近づく。


 自分を背に勇戦するラルフの後ろで、姫は黒衣の襲撃者達を覗き見る。


 襲撃者達は黒い外套を頭から目深に被っており表情は窺えない。だが、近衛騎士達と互角に戦えるほどの錬度と気迫を持っていることから只者ではない事だけ は理解できた。手慣れの傭兵か、他国の特殊訓練を積んだ騎士か、思い当たる節は無数にあった。最悪、自国の騎士である可能性も無くはなかった。


 分からない事ばかりであったが、只一つ分かることがあった。


 近衛騎士達は負ける。


 技量では近衛騎士たちは互角以上だが、数が違いすぎた。近衛騎士の数は10名。最初の奇襲で斬り倒されたのか、そのうちの3人は血塗れになって地面に倒れていた。対する黒衣の襲撃者たちは50名近くいた。流石の近衛騎士も多勢に無勢で防禦の円陣を狭めていった。


 惨劇に目を逸らし聡い姫は考える。


 現状は控えめに見ても最悪だった。


 一人また一人と、近衛騎士が斬り倒されていく。袈裟懸けに斬られて引き倒される者もいれば、無数の刃に刺し貫かれ崩れ落ちるように倒れる者もいる。


 最後にはラルフだけとなった。


 ラルフ自身は近衛軍の6つある近衛騎士団の一つに若くして入隊しただけあって、他の近衛騎士より卓越した剣技を持っていた。だが相手の数が多く、後ろに護衛対象がいる状況では切り抜ける事は容易ではない。


「――くっ!」


 無数の刃の応酬について行けずラルフは脇に斬撃を受ける。飛び散った血が姫の簡素なドレスに付着する。それを気にも留めず姫は後ろによろめいたラルフを抱きとめる。その重みに耐えられず馬車に持たれかかり、ゆっくりと座り込む。


 ラルフは、痛みと衝撃で気絶してしまった。これで姫を守る者は全ていなくなった。


「姫様に恨みはないが死んでいただく」


 先頭にいた黒衣の襲撃者が、油断なく剣を構えて呟く。


 姫はそれを正面から睨み、相対する。内心の恐怖を押し隠し気丈に振る舞う。一国の姫としての尊厳が、なにより自分に忠誠を誓う騎士を守らねばならないとう意思が年頃の少女をそうさせた。


 姫はラルフを馬車にもたれさせると、その手に握られていた剣を取り上げて立ち上がる。


「我が名はクレシーダ・ラウ・ルクセンベルク! ルクセンベルク王国が三番姫! 臆さぬならば掛ってこい! 私は逃げも隠れもしない!」


 クレシーダは、慣れない手つきで剣を構える。


 騎士にとっては大した重さでない剣も、武芸の修練すらしたことがないクレシーダには途轍もない重さに感じられた。ラルフが修練の時にしていた構えを見よう見まねでしているだけなので、近衛騎士並みの錬度を持つ黒衣の襲撃者相手では威嚇程度にもならないだろう。


「その勇気に免じて苦しまずに殺してやろう」


 黒衣の襲撃者が剣を振り上げる。


「――っ!」


 思わずギュッと目を瞑る。目を開かなければ殺されると分かっていても、恐怖のあまり目を開けられない。足が竦み、手に持った剣の切っ先も小さく震える。


 刃が風を切る音が駆け抜ける。その後を追って液体が飛び散るような音がした。


 だが、自分の身体に痛みがやってこない。


 ゆっくりと目を開ける。


 一瞬、あの世に来てしまったのかと思ったが、頬を打つ風に自分が生きていると実感する。


 そして目の前には緑色をした風の化身が背を向け立っていた。


「姫よ、何をしている。座っていては何も解決しないぞ」


 剣を持った風の化身が姫に顔だけを向ける。その足元には黒衣を纏った三人の襲撃者が倒れていた。


 緑を基調とした始めて見る服装に、中性的な顔をした者だった。無表情と相まって冷たい印象を受けたが、悪い者ではないということだけは何故か理解でき た。何者かは分からないが、その瞳は引き込まれるように青く、まるで人間でないかのような、同じ地に立っているにもかかわらず根本的な何かが違っている気 がした。


 だが、不思議と懐かしい雰囲気がした。根拠はないが、この者がいれば自分に向かい来る全ての悲劇と歎きを薙ぎ払い、守りきってくれるという気がした。


「少し、待っていてくれ」


 ラルフや近衛騎士とは違った構えをした風の化身は、小さく何かを呟く。


 瞬間、風が舞う。


 風の化身が神速で踏み込んだことによって風が舞い上がったのだと気付いた時には複数の襲撃者の首が宙に舞っていた。


 だが、襲撃者たちの意思に揺らぎはない。


 剣を構え直し集団で襲い掛かる襲撃者たち。


 それを最小限の動作で避けつつ、圧倒的な剣術、もしくは体術で薙ぎ払っていく。


 その剣術も体術もルクセンベルクの技もあればエルゼジール、パストラル、ローデリアのものや見た事もない異国の技もあった。


 何より目を見張ったのは、地面を滑る様にして移動していることだった。時には物理法則を無視した動きで舞い、襲撃者の剣戟を避ける。


 魔導の心得もあるのだろう。風の魔術によって自らの身体を高速で移動させているのかもしれない。軍には魔導剣士という騎士が存在するが、その者たちです ら剣に炎を纏わせるなど、ごく簡単な治癒を行なえる程度だ。魔導士もいるが、その者たちは逆に剣を使って戦う術を持っていなかった。それは、剣と魔術の二 つを極めるには人間の生は短すぎるからだ。


「風よ、力を貸せ」


 傲慢な言葉に森の精霊達が風の化身の命令に答える。


 気まぐれな精霊が人間に協力してくれる事など滅多とない。何より、呪文も詠唱も祈祷もなく、ただ言葉を紡いだだけで精霊たちの協力を取り付けた。


 襲撃者やラルフには風の化身の周りに風が舞っているようにしか見えないが、魔導の心得があるクレシーダには異常な数の精霊が楽しげに舞っている様子が見えていた。


「刻め、風よ」


 風の化身が剣を一振りする。


 風が駆け抜ける。木々が揺れ、その場にいる者の服が激しくはためく。


 黒衣の襲撃者達が悲鳴を上げる暇もなくバタバタと倒れ始める。身体中に鋭い切り傷を受け、もしくは切断されて血だまりのなかに崩れ落ちていった。


 気がつくと周囲には大きな血溜まりができていた。普通に剣で斬られただけではこれほどの血は出ない。風の魔術で文字通り細切れにしたからこその結果だった。


 圧倒的な剣術。圧倒的な体術。そして、圧倒的な魔術。


 最早、目の前に立つ者が人間でない事は明らかだった。


 クレシーダは、自分が助けられる理由がないので困惑する。


 この国にも人と似た姿をしたエルフや睡魔など様々な種族がいるが、そのどれとも特徴は一致しなかった。高位の魔神や神威者なども考えたが、最近の風の噂や伝承にはこのような者はいなかった。


 風のようにさすらい歩き旅を続けるのかもしれない。


 まさに風の化身だった。


 クレシーダが呆然としていると、風の化身は剣についた血糊を振り払い近づいてきた。


「怪我はないか?」


 言葉は気遣っているが、感情のない瞳がクレシーダを圧迫する。


 改めてその顔を見てみると、人間とは思えないほどの造形で、美しさの中に幼さが同居しているようにも思えた。見ただけでは性別がどちらか分からないが、声は間違いなく男のものだった。


「風の化身……」


 神代の時代に出てくる風の化身。それ以外に考えられないとクレシーダは思った。


《ふふん、風の化身か……。悪くないではないか。そこらの無粋な異名よりよほどよい。いっそ、これからそう名乗ってみてはどうじゃ?》


 女性の声が楽しげに震える。


 クレシーダ以外、この場に女性はいないはずだった。しかもその声は、目の前に立っている男から聞こえてきた。だが、男の口は動いていなかった。


 目の前に立っている者が男ではなく、実は女ではないのかと首を傾げた。女性のような顔立ちと相まって、性別がどちらなのかますます分からなくなってきた。


 混乱するクレシーダに、謎の声が答える。


《我は、こやつが持っておる剣じゃ》


 その声に合わせて、風の化身が持っている剣が身震いした気がした。


《このようなナリで失礼するルクセンベルク王国が三番姫よ。我が名はベルセリカ。この者の……まぁ、保護者のようなものだ》


 今日一日で驚くような事ばかりだったが、今度はあまり驚かずに済んだ。


 剣が喋るという事は珍しいが、有り得ない事ではない。何者かを封じた剣や、鍛冶士が打った剣に自分の魂を乗せたインテリジェンスソードなどは人間と同じように会話をする。


「ベルセリカ殿。助けていただいたことに感謝を」


《構わぬ。それに、いきなり飛び出して斬り合いを始めたのはこのバカだからの》


 ベルセリカが“バカ”の部分だけを強調する。


 クレシーダにもそのバカが誰なのかは分かった。


「悪かったな……」


 風の化身は少しだけ顔をしかめる。


 表情はあまり変わらないが、無口という訳ではない様だった。


 そういえばとクレシーダは思い出す。


 戦闘やベルセリカの登場で、肝心な者の名前を聞いていなかった。風の化身と言うのも恥ずかしいので名前だけは聞いておきたかった。


「貴方は――」


 声を振り絞った姫に、呻き声が聞こえた。


 自分の手の中で苦しげに息をしていたラルフが瞼を重そうに開ける。


「姫っ…ご無事でよかった…。一体…どのように…」


 近衛騎士が全滅した中、襲撃者たちから逃げるのはそう簡単な事ではないとラフルは言いたいのだろう。


「はい、この者が助けてくれたのです。名は――」


 ラルフはクレシーダの紹介に、その者の顔を見上げる。


 その瞬間、ラルフはクレシーダの手を振り払い、近くに落ちていた剣を構える。だが、傷が思っていたより深かったようで力が抜けたかのように崩れ落ちる。


「ラルフっ! この者は味方です、何を」


 クレシーダは、傷ついたラルフを抱き起こす。


「お逃げ…くださいっ! こいつ…は“神奪者”です! まさか、実在したとはっ!」


 その言葉に、クレシーダの手が止まる。


 ――神奪者。


 有史以来、いつの間にか多くの戦記に記される事となった者の異名。


 愛した者であり主君でもあった女神スオメタリアの神体を奪い、永劫の時を生きる剣士。報われぬ者たちを助けるも、神を殺めたが故に神敵となった者。書かれた多くの戦記や伝承には矛盾する活躍が描かれている。


 その活躍には、無数の人命を助けることもあれば、神を殺したこともあるとなっている。中には無数の人間を虐殺して屍の山を築いて万軍の侵攻を止める、一人の少女のために神殿の聖騎士を含む騎士団を壊滅させたという記述もある。


 とある吟遊詩人は稀代のトリックスターと歌い、何代か前の神殿教皇は気分で人を――神すらも殺めし我らが神敵と嘆いた。


 もし、それらが真実であれば、襲撃者たちも気分で殺されただけかも知れず、クレシーダとラルフも気分次第で殺される可能性もあった。


 ラルフがなぜ目の前の者を“神奪者”と見極めたのか分からないが、それが真実であれば人並みはずれた戦闘能力と魔力。そして雰囲気の説明がつく。警戒す る理由としては十分だったが、クレシーダにはこの者が非道な事をするはずがないという根拠のない自信があった。理由は分からないが、何故か確信していた。 それは自分が抗う事ができなかった理不尽を容易く跳ね除けた行いに対する憧憬であったかもしれないし、颯爽と現れ自分を助けた剣士への恋慕であったかもし れない。


 クレシーダは、意識が朦朧としているラルフを馬車の側壁に預け、風の化身――“神奪者”と相対する。


 傷ついたラルフが向ける敵意など全く意に介していないのか、“神奪者”は沈黙を守っている。


 騎士に睨まれて表情を変えないのは、歯牙にもかけていなためか、興味もないのか。


《まぁ、その騎士が言っていることは間違いではない。“神奪者”などという名で呼ばれることもあるが……》


 ベルセリカが言葉を詰まらせる。


 それも当然で、神を殺したなどということを口にすれば、ローデリアの神官が黙っていない。


 ローデリアは軍神や闘神とも呼ばれ、武勇と公正を尊ぶ戦神のことだ。光陣営の中でも最も多くの信者と信仰を持ち、ローデリアを中心に光陣営が形成されているといっても過言ではない。


 そして何より、苛烈な教義がある。神の敵、即ち神敵となったとなった者がいれば他国であっても騎士団を派遣してくるほどだ。


 クレシーダも、理解したかのように黙る。


「俺は神を殺した……だが、後悔はしていない」


 空気を読んでいないかのように宣言する“神奪者”に、その場にいる全員が絶句する。


 無表情だけでなく、語りも下手となると友人の一人もいないだろうな、とクレシーダは場違いな感想を抱いた。そしてラルフは気絶し、ベルセリカは剣なので分からないがどこか呆れているような雰囲気を漂わせているような気がした。


《人には色々と事情があるのだ、姫よ。もっとも我らは既に人ではないがの》


 ベルセリカの言葉に負の感情を感じた姫は、話を変える。気分を損ねるのは、これから自分が提案することを考えれば得策ではないと悟ったからだ。
 姫として育てられたクレシーダは、自分の命を掛けた取引を行なう術を誰かに習ったわけではない。ましてや三番姫となればさして重要な地位ではない。大軍を指揮する一番姫や、術数権謀に長けた二番姫に比べれば年齢も下で、何かを期待されているわけではない。


 目の前の“神奪者”が自分を殺すとは思えなかったが、クレシーダは自分の提案を安易に受け入れるとも思っていなかった。


「剣士殿に提案があります。……お聞き願えますか?」


《いや、しかし、この場に長居するのは……》


 ベルセリカが断ろうとするが、“神奪者”は剣を軽く叩き制する。


「いいだろう」


 短く切って捨てるような口調に緊張しながらも、神すら畏怖する”神奪者”を見つめる。


 そして短く切り出した。


「私の騎士になってはくれませんか?」


 その言葉に、戦闘中ですら変化のなかった表情が少しだけ驚きと共に変化する。クレシーダはそれを見逃さない。少なくとも交渉の主導権を握ることだけはできたようだ。


「私が王都に帰還する間だけで構いません。今、私の騎士はラルフ一人だけなのです。しかも、今は戦う事もままならならない。そして私一人では、馬車を扱う事もできないのです」


 クレシーダには打算があった。


 戦記や伝承には神を殺めた記述もあるが、同時に無辜の民を助け、悪逆非道なる指導者を打ち倒した英雄として書かれてもいるのだ。その通りであれば困っている人間を放り出すことはしないだろう。


 逆に、不確定要素も無数にある。その最たるものが自分が貴族の頂点である王家の人間であるということだった。民間で受け継がれている戦記や伝承には、常 に弱き者たち――即ち、無辜の民を助け、強き者――貴族を挫く者として描かれているのだ。中には、民と共に武器を振るい悪逆なる王を打ち倒したという物語 もあった。噂に尾ヒレや背ヒレついただけかもしれないが、ありえないとも言い切れなかった。


 自分も“神奪者”の瞳には悪逆なる貴族に写っているかも知れない。いや、襲撃者を撃退した時点でその可能性は霧散しているが、貴族に良い印象を持っているとは思えない。


 だが、まずは言っておかなければならないことがあった。


「まずはお礼を申し上げます。剣士殿に助けられたのは真実であります。もし、私の騎士になることを断っても、私は貴方の事を誰にも言いはしません」


《ふん……頭は良いようじゃの。こやつは遠回しに断れば御主のことをバラすぞ、と脅しているのじゃぞ? いや、勇敢勇敢。実に愉快ではないか》


 ベルセリカが楽しげな声を周囲に振りまく。


 その声にクレシーダは肩を震わせる。


 相手の言っていることは正しい。感謝しているのも事実だが、ここで一人放置されても野盗や妖魔に襲われて死ぬ可能性のほうが高い。だが、生き残る可能性 もある。その時、“神奪者”に出会ったと言えば、国軍やローデリアの聖騎士団が動くかもしれない。それを看過すれば“神奪者”は万軍を相手にせねばならな い可能性も出てくるのだ。


 だが、これは脅しにはならないとクレシーダは理解していた。


 “神奪者”とってはクレシーダなど吹けば飛ぶような存在でしかない。なら、クレシーダの首を今ここで撥ねてしまえば万事丸く収まるからだ。その後、普通 に過ぎ去っても、この場を見たものにとっては襲撃者が一国の姫を暗殺したとしか思えないだろう。罪は勝手に襲撃者たちに押し付けられる。


 だが、こちらの覚悟を示せれば十分だと思っていた。


 どちらの道も間違いであるならば、少なくとも希望のある方へと進みたい。それに野盗の慰み者になるくらいなら“神奪者”の刃に倒れるほうがまだ納得できる。


《ふん……、王都に行けば無数の神官の杖と聖騎士の槍衾が待っているかも知れぬぞ。なぁ、姫よ、御主が我らを売らぬという保障がどこにある?》


 その言葉は正しい。王都に着けば万軍に囲まれているかもしれないし、“神奪者”には、この襲撃自体が自分たちをおびき寄せる罠に見えていてもおかしくない。


 ここで弱気になるわけにはいかない。


「それは貴方たちも同じはずです。気分次第でいつでも私の首を撥ねられるはずですよ」


 あくまで気丈に振舞う。


 だが、クレシーダには“神奪者”が自分を傷つけないという確信があった。その確信に根拠はないが“神奪者”という大仰な異名を持つ剣士に対して、クレシーダはどうしても恐怖というものを感じられなかった。


 どちらにせよ、これがクレシーダにとっての精一杯だった。


 先程から一言も発せず自分を見つめ続ける“神奪者”から目線を逸らさず続ける。


「ダメ……ですか?」


 その問いに“神奪者”は答えない。


 黙ってクレシーダに背を向けて歩き出す。


「あの――」


「騎士の遺体を置いていくわけにはいかないだろう」


《正気か、御主! 危険すぎる!》


「承知している」


 血だまりに倒れた騎士を、その細腕からは考えられないような力で軽々と持ち上げると”神奪者“は馬車内へと丁寧に積んでいく。


「か、感謝しますっ! 私も…手伝います!」


「邪魔だ。お前では何もできない」


 その言葉にムッとしたが、重厚な鎧を着た騎士の亡骸を持ち上げることなど自分にはできないと思い直し、黙って馬車の前――御者が座る席へと座る。


 しばらくすると騎士の遺体とラルフを馬車内に入れ終え、“神奪者”はクレシーダの横に座ると手綱を握った。


「“神、いや……」


 クレシーダは“神奪者”と呼ぼうとしたが思いとどまる。


 そのような名で呼ぶのも無粋であるし、王都への旅路で誰かに正体が露見すれば大騒ぎになりかねない。最悪、街に駐屯している神官騎士と戦闘になる。


「刀華だ」


 それは遥か東の島国の名前だった。紅い髪と服装から西のヴェルテンベルク王国出身だと思っていたクレシーダは目を丸くする。というより明らかに神国の人間の顔立ちではない。しかも、神国の人間は髪の色は黒だ。


「トウカ・・うん、いい名前です」


 凄く気になったが、横顔が聞くなといっているような気がしたので口を噤んだ。


「では、行くぞ」


 トウカの短い声と共に、クレシーダ一向は進み出した。











「なにっ! クレシーダが帰ってきただと!」


 椅子から立ち上がった壮年の男は報告を持ってきた家臣を睨む。立ち上がった瞬間、執務机から羽根ペンや重要書類が落ちるがそれを気にも留めない。それを咎める家臣も誰一人いない。この国の王である以上に、家臣たちも同じ気持ちであったからだ。


 ゲオルギウス四世。それがこの国を治める王の名だった。


 権益の多くを貴族が持っているルクセンベルク王国ではあまり腕の振るいどころもないが、それでもなお優秀な王でもあり公正なことでも知られていた。


 その王が大きく取り乱している。


 それも仕方のない事で、娘の一人が行方不明になっていたのだ。


 ゲオルギウス4世は、4人いる子供の中でも特に三番姫であるクレシーダを一番可愛がっていた。一番姫は軍事に秀でているせいか力を振るうことを好むし、 二番姫は術数権謀が得意なだけに口を開けば毒舌が飛んでくる。そして王位継承権の一位である王太子は、ナヨナヨしていて頼りない。


 それに対して、三番姫のクレシーダは、将来に類稀なる美貌を持つだろうし、指導者たる器に限っては既にその燐片を見せ始めている。少々、お転婆だがそこも愛嬌の一つで城内での評判も王の子供の中でも一番良かった。


「どこだ! どこにいる可愛いクレアっ!」


 クレシーダの愛称を、窓を開けて叫び出した王に家臣達は呆れ顔だった。


 そんな中、額に大粒の汗を浮かべた家臣の一人が報告を続ける。


「しかし、騎士は全滅。騎士団長のラルフ伯以外は戦死。遺体は回収されてこられたので遺族に返したいと思います」


「そうか……、騎士たちは己が命に代えて我が娘を守護してくれたのか。ラルフ伯も王都までの道のり一人で大変だったことだろう」


 ゲオルギウス四世は、別の家臣に遺族への慰労金をだすよう指示する。娘を守って散っていった騎士たちの遺族にできる限りのことをしてやりたいと考えていたのだ。


「あの…それが、ラルフ伯は重症で…今、白魔導士たちが治癒を行なっています」


 その言葉を聞いたゲオルギウス四世と他の家臣たちは一様に首を傾げる。
 一人で旅をしたことはおろか、馬の一匹操れないクレシーダがどうやって王都まで戻ってきたのか全く分からなかった。ドレス姿の姫が一人で歩いていれば野盗などの餌食になるのは目に見えている。


「どういうことだ、聖騎士にでも助けられたのか?」


 汗を滝のように流し始めた家臣にゲオルギウス4世は問いかける。


「いえ…それが、放浪の剣士に助けら」


 報告中の家臣の言葉が止まる。


 王が血走った目で、執務机の横に立て掛けられていた剣を取り抜きはなったからだ。


「それは、アレかっ! 娘さんを俺にくださいというヤツか! ぬぅおおぉぉぉ~、パパは許さんぞぉぉぉっ! そんな素性の分からん者にくれてやるものかっ! 大体、クレアはなぁ、小さい頃に、将来はパパと結婚するって言ってたんだぞっ!」


 訳の分からない事を口走りながら家臣たちを押し退け部屋を出て行く王を横目に、周囲の者たちは一斉に溜息をついた。








 王都に入ったトウカたちは、衛兵たちに護衛されながら堀を越え城の敷地内に入る。


 振り向けば王城は小高い丘の上に建てたのか、緩い上り坂の上にあることが分かる。


 この国の城は外から見た限りでも分かるほど複雑な作りをしていた。弓矢や導力銃で攻撃するために無数に穴を開けた防塁や、敵を容易に進入させないための跳ね上がり式の橋。だが、トウカが一番驚いたのは巨大な弩弓が城内に列を成して並んでいたことだ。


「あれは……」


《バリスタじゃな。尖った巨大な鉄の棒を撃ち出す兵器じゃ。個人を狙うような武器ではない、安心せよ》


 ベルセリカが、主の胸中を察して説明する。


 曰く、固い城壁を相手にする攻城戦や、拠点の防衛戦にしか使えないそうだ。重量もあり軍の進撃速度が落ちるので、平原での運動戦では使えず、騎兵に弱いとのこと。攻城兵器対策だろう。


「どうしたのですか。王都の繁栄ぶりに驚いたのですか?」


 クレシーダは誇らしげに胸を張る。対するトウカは適当に相槌を打つだけだった。


 実際のところは攻撃を受けないように警戒しているのだ。当然、クレシーダを守るためではなく自身を守るためである。クレシーダが何かを企んでいるなら、 城内で無数の騎士に囲まれることになる。負ける気はないが、あまり目立った戦いをするとローデリアから騎士団が飛んでくる可能性もあるので用心しなければ ならない。


「姫よ、俺はもう約束を果たした。このまま去ることにする」


 トウカは音もなく地面に降り立つとそのまま背を向ける。


 衛兵達が駆けつけてきてクレシーダを馬車から降ろす。クレシーダは足早に降りると、去ろうとしたトウカの手を掴む。


「ま、まぁ、そう急がなくても。れ、礼もしたいですし……」


 顔を赤くしたクレシーダはトウカを見上げる。


 長身のトウカと、まだ成長途上にあるクレシーダでは差があるため自然とそうなるのだ。自然とクレシーダが引き止めるあからさまな構図ができる。衛兵達も黙って姫と謎の剣士のやり取りを見ているだけだった。


「――っ!」


 突如、衛兵たちの隙間を怒涛の勢いで駆け抜けてきた騎士が大剣で斬りかかってくる。隙だらけの大上段からの斬撃なので簡単に避けれるが、気迫という一点 に関しては凄まじく、衛兵達に悲鳴を上げさせるほどのものだった。だが、残念なことにトウカにとって気迫などは動きを鈍らせるに価するものではない。


 謎の騎士の剣はトウカが避けたことによって地面に敷かれた石畳を砕く。

しかし、それで諦めるほど今の相手は冷静ではなかった。一瞬で剣を引き寄せると正眼の構えを取る。


 トウカもこのままではきりがないと、ベルセリカの剣に手を掛ける。


 相手の刺突が来る。


 だが、相手の攻撃がトウカに届かなかった。



「やめてっ!」



 トウカに抱きついたクレシーダが叫ぶ。


 謎の騎士は剣を落とし、ガクッと膝を付く。何かショック出来事でもあったらしいとトウカは無表情で思う。


「そ、そ、そんな男に抱きつくなんて、パパはぁぁ、許さんぞぉぉぉぉっ!」


 泣いていた。鬱陶しいほどに涙を流す謎の騎士。


 衛兵たちは ああ、またか…という表情で事態を見守っている。クレシーダは相手に心当たりがあるのか、黙って謎の騎士に近づく。


「父上…クレシーダ・ラウ・ルクセンベルクただいま戻りました」


 膝を付いている謎の騎士の目線に合わせるように、その場にしゃがみこんだクレシーダが優しい笑顔を作る。


《父上…ということはゲオルギウス四世じゃな。この国の王だぞ。衛兵たちの様子を見る限り王というのは本当らしい。罠ではなさそうじゃが…こんな親バカが王とは…この国は大丈夫なのか》


 ベルセリカがトウカにしか聞こえないように小声で呟く。


 王が直接“神奪者”の前に出てくるのは罠でも有り得ないだろう。一国の王がこうも簡単に命を危険に晒すとは思えないし、何より目の前でクレシーダに抱きついている王の姿は、ただ娘を心配していた父親以外には見えなかった。


 クレシーダの長い髪がボサボサになるまで抱きしめた謎の騎士――ゲオルギウス4世はトウカに向き直る。クレシーダを抱きしめていた時とは対照的な鋭い視線だった。


 まるで心の底を覗き見るような視線にトウカが本能的に危険を感じた。


 トウカに恐怖を感じるほどの感情は残っていないが、それでもなおゲオルギウス4世という男の視線には脅威があった。


「得心がいった。貴公ほどの剣士たれば一人の姫を守ることなど容易いだろう。褒美を取らせることもやぶさかではないが?」


 剣を鞘に戻し、マントを翻すとトウカに背を向けながらこの国の王は城内へと向かっていく。



 着いて来いと言っていると判断したトウカはその後に続いた。

 

 


 

 

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