第三話 午後の一時
騎士の任命式が終わった後、クレシーダは「トウカを貴族にする手続きがあるのです。色々と嘘を並べて塗り固めなければなりません」と怪しげな書類を猛然とした勢いで記入し始めたので、トウカはこっそりと部屋を抜けてきたのだ。
城門までは順調だったが、そこでラルフに捕まった。
一方的に捲くし立てられた話によれば、クレシーダを身を呈して守った功が認められ金一封を貰ったということだった。なので、今から酒場で飲酒の限界に挑戦するらしい。
そして、あれよあれよという間にトウカも酒場に引きずられていった。
「いや~、ホント最高だな。貴族どもが尻尾まいて逃げかえったぜ。ざまぁみやがれ」
ラルフが力強い手でトウカの肩をバンバンと叩く。反対の手に持ったジョッキから酒が少しこぼれるが、それを気にするほど上等な酒場ではない。
何がそんなに嬉しいのかトウカにはよく分らなかったが、言葉を返すのも面倒くさいので黙って受け止めておいた。
《なんじゃ、お主も貴族であろう? 身内の恥を晒したようなものではないか》
ベルセリカが呆れた声で呟く。
ラルフはルクセンベルク王国のれっきとした貴族だ。セドリックの父親であるローレンツ侯などに比べれば小さいが、歴史の方は古いはずだった。何百年も前 の神影戦争ではトウカもラルフの先祖と共に闘っていたのだ。ならば、その時にはすでにカーライゼンという貴族が存在していたということになる。
だが、ラルフは関係ないと言わんばかりに首を振る。
「おいおい、ウチは万年貧乏貴族だぜ。まだ、そこらの商人のほうが金持ちだろうよ」
「……そうか」
トウカはラルフという騎士を少し見直した。
貴族が貧乏という事は、自分の領地の民に資金を還元しているということだ。この乱世の時代、貴族が民衆から過剰な搾取をすることなど決して珍しいことで はない。ひと昔前にはトウカも、悪事を働く貴族たちを相手に大立ち回りを繰り広げていたが、最近はローデリアの動きも活発になっているので派手な行動がで きなくなっていた。
《しかし、あの小娘の前とでは随分と性格が変わるではないか。軽い男じゃのぅ》
「あったりまえだ。あんなお転婆姫のお守なんぞやってられるかよ。今回だってあのアホ姫が北部の視察をするなんて言い出さなけりゃ、俺は賊共によってたかってフクロにされることはなかったんだ」
やさぐれるラルフを横に、トウカもショットグラス片手に酒を飲む。
ラルフはその姿に思わず息を呑む。
その空間だけ、まるで違う時間が流れているかのような雰囲気で、周囲の雑踏や話し声が虚構のように感じられた。いや、女神の体を簒奪した男のほうが、虚構に近いのかもしれない。
ラルフは女性から手が早いとよく言われるが、トウカが女だったとしても口説く気にはならなかったはずだ。思わず声をかける事を躊躇してしまうだろう。だが、きっと目は逸らさないだろう。今ですらその儚さに目を引き付けられているのだから。
《トウカ……御主、あまり不機嫌な雰囲気を発するでない。女神の身体でそのような雰囲気を出すと周りの者が困るであろう》
「……そうだな」
ベルセリカの言葉に頷いたトウカは、空になったショットグラスを机に置いた。それと同時に周囲を取り巻いていた雰囲気は何もなかったかのように霧散してしまった。
「すまん、怯えさせてしまった」
無表情だった顔に少しの戸惑いを乗せてトウカが謝った。
本当は見とれていたとは言えなかったが、つい本音が出てしまう。
「いや、そうじゃなくてだな……。ああ、美しかったよ」
「コレか?」
トウカが右手の甲を左の頬につける。
「ホモじゃねぇから!」
いや、確かに女を口説いているような態度だったかもしれないが、男を口説く趣味はない。
そこでトウカの矛盾に気がつく。
確かに女神の身体を簒奪した時は男だったかもしれないが、女神の身体を使う今では身体は女のようになっているかもしれない。魂は男だろうが。
「なぁ、お前の身体は女なのか? 男なのか?」
”神奪者”に失礼な物言いかもしれないが、精神衛生のため是非とも知っておきたいとラルフは思った。もし、身体も女であれば女騎士という事になるかもしれない。
《ふむ、いい質問じゃな。端的に言うとトウカは魂も身体も男じゃ》
結論だけ先にベルセリカが答えた。
「いや、でもよ。女神の身体だろ? なら、女の身体なんじゃないのか?」
例え、女の身体だったとしても手出しする気は出ないだろうが……。
「身体は魂に合わせる。この身体に俺の魂が入っている状態では身体も男だ。見るか?」
身体は器でしかない。受け入れた魂に合わせる形で最適化する。例え女神のであっても例外はなく、そこに男の魂が入れば身体に男の特徴が出る。無論、女神の圧倒的な魔力や特殊な能力も引き継げる。場合によっては記憶や知識なども例外ではない。
「いや、見ねぇし! 服を脱ぐなよっ!」
上着に手を付けたトウカを慌てて止めたラルフは、ついでに従業員を呼んで酒を追加する。
窓の外からは月明かりに照らされた城下の一部が覗いていた。外も酒場と同じく賑わっており、露店の売り子の声や商人たちの怒声や罵声が聞こえていた。いつも通りの光景だが、ラルフはその光景に、トウカもまた現実に存在しているんだと改めて実感する。
すでに相当な量の酒を飲んでいるにもかかわらず、表情も顔色も変えないトウカにもう一つ気になっている事を聞く。
「俺の先祖……初代カーライゼンは勇敢だったか?」
《……ああ、勇敢であった。それ故に道を違えた》
音程を低くした声でベルセリカが呟く。
その意味を理解するには情報が少なすぎたが、先祖と浅からぬ因縁があったことだけはそれとなく感じられた。
それが間違いではないこともトウカの次の一言で証明された。
「だから……俺が殺した」
神を殺した男は、魔剣が止めるのを無視して言葉を紡ぐ。
その瞬間、場の空気が凍りついた。
明確な感情などではなく、ドロドロとした得体の知れない感情をトウカに見たからだった。20年足らずの人生しか歩んでいないラルフにはその感情を感じ取 ることはできても理解することは叶わなかった。憤怒や悲哀、虚無、嘆き、償い、後悔、無念、慟哭、色々な単語が頭を過るが何一つ当てはまらなく、すべてが 当てはまっていた。
トウカには、ラルフの考えていることがおぼろげながらに感じられた。
だがらこそ言わなければならないと口を開く。
「言い訳はしない。結果が全てだ」
過程など結果の慰めにもならない。トウカが永劫の人生で学んだことの一つだった。それは自分の人生を否定することに他ならないので普通の人間ならまず認 めない。人間の人生など失敗ばかりで、喜劇や悦楽より悲劇や哀しみのほうが圧倒的に多い。だが、それでも生きていけるのは、たどり着くまでの過程が経験と なり、悲劇や哀しみを体験することによって喜劇や悦楽を感じれるようになるからだ。
《御主……》
ベルセリカもトウカの覚悟を感じて黙って引き下がる。
「そのことを後悔も嘆きもしない。だが――」
「いいさ。どうでもいい」
ラルフは右手を振り、左手でグラスを傾ける。そのまったく興味がないという態度にさすがのトウカも面食らう。最悪、斬りかかってくるとまで思っていただけにあまりにも呆気なかった。
「初代がどうしたっていうんだよ? 俺は今、生きてるし人生を楽しんでる。それで充分だろ?」
「そう……なのか?」
永い時を生きていたトウカにとっても、そんな言葉を聞いたのは初めてだった。
初代カーライゼンにもトウカは沢山の初めてを教えてもらった。釣りや旅支度だけでなく、女性の扱いについてもだった。後者はあまり役に立たなかったが。
「大体よぉ、民草の英雄が意味もなく人を殺すかよ。何か理由があったんだろ? まぁ、詮索はしないけどな」
「……すまないカーライゼン」
「ラルフでいいぜ。長いのは面倒だろ」
「なら俺もトウカと呼んでくれ。”神奪者”では物騒だ」
「ああ、トウカ」
グラスを軽く掲げたラルフに、トウカも同じように返した。
「これが新しい騎士団の編成……」
何十人もの名が書けるように作られた羊皮紙には無数の空欄が開いていた。いや、ほとんど埋まっていないと言ってもよかった。正確には騎士団長の欄にトウカ、副長の名にラルフと書かれているだけで、他は何も決まっていない。
考えてみれば、王都に来たばかりのトウカが信用に足る騎士を見つけるのは容易ではないのかもしれない と、クレシーダは執務机の端に座っているトウカの背を見上げる。
「これで全員だ」
首だけを動かし、トウカがクレシーダを正面から見据える。
その表情から何かを読み取るには人生も経験も足りないが、非難の意味を込めて視線は外さない。
「理由は何ですか?」
「必要ないからだ」
即答だった。
確かに”神奪者”の前では賊や暗殺者など敵にすらならないだろうことは想像に難くない。国王の御前でも「一個騎士団程度の働きはしてみせる」と言っていた。部下などいても戦闘の邪魔にしかならないと思っているかもしれないし、実際その通りなのだろう。
「ならラルフがいるのは何故ですか? 必要ないと思います」
「一人では騎士団とは呼べない」
いや、二人でも厳しいが。
だが、戦力の単位としては厳しいが、書類の上では何ら問題はないというのも事実だった。
《姫よ、この編成が最善ではないか。トウカの正体を知らぬ者を入隊させれば混乱が起こるやも知れぬしな》
ベルセリカの言葉に、クレシーダもハッと気づく。
この場にいるもの以外はトウカが”神奪者”だということを知らない。知れば何が起こるかなど像蔵するだけでも眩暈が起こる。貴族は王族に退位を求めてる か、最悪反乱ということもあり得る。そして結果は王家の廃絶へと繋がる。そうなれば王家の者は全員斬首にされるのは間違いなかった。だが、一番恐ろしいの
はローデリアの介入だった。あの宗教の名を冠した国が動けば光の勢力の国々はルクセンベルクを攻撃するだろう。神敵に与したとなれば王家だけでなく民にも 神の名を騙った鉄槌が下されるだろう。
考えただけで手足が震える。
「俺を手放すなら今のうちだぞ」
心の内を見透かしたようなトウカの言葉にクレシーダは息を詰まらせる。
――トウカを手放すわけにはいかない。私の目的のためには……!
目線をトウカに向けてそのつもりはないと示す。
《ええい、御主も姫を追い詰めるでない! よいか? 見知らぬものばかりいれば我らもいざというとき本気を出せぬ。巻き込むだけならよいが、正体が見破られるかも知れん」
「た、確かにそうですね……」
クレシーダは考える。
騎士団というのは任務や目的によって編成を変えている。有事の際は大規模な戦力との衝突も想定し増員もされるし、陸軍の一部として動員されるので何千名 という数になる。逆に平時では、小規模な反乱や野盗などの討伐、果ては魔物の退治までの多種多様な任務を早急に解決できるように機動力重視の編成で、 500名前後の数だった。
それに従ってトウカも騎士団を編成すると思っていたが、よく考えてみるとトウカ一人が一個師団を相手にできるような存在なので、戦力的な不安は全くない。むしろ全力で力を発揮できるぶん強力になるかもしれない。
「信頼できるものが見つかり次第、騎士団に組み込むつもりだ」
「そうですか。それなら貴族たちも説得できます。嫌みは言われるでしょうが」
口先だけの戦いなら、民を虐げ私腹と欲を肥やすしか能のない貴族に引けを取る気はない。むしろ圧倒してみせることも可能だろう。だが、この国は貴族に対 して王家の権限の及ばないところがある。他国の王家であれば大抵が、貴族や権力者たちに圧倒的な権力を振りかざすことができる。それがルクセンベルク王家 ではできない。
「だが、騎士はマトモな者だけですよ。悪魔やら魔神とかはダメですよ」
「善処する」
凄まじく不安な回答にクレシーダはため息をつく。
「なら、そう手配します。……ああ、もぅ、今日はこれで終わりです」
手をシッシと振り、二人だけの騎士団を追い出した。
「いや、ここのシャーベットは絶品ですね。トウカもそう思いませんか?」
クレシーダが簡素な木製のカップに入った氷菓子を突いている。普段とは打って変わって浮かれている。女性は甘いものに目がないという噂は、クレシーダに限っては正しいらしい。いや、子供だからかもしれないか。
全く呑気な姫君だった。
ここは城下にあるクレシーダお気に入りのカフェテラスの前だった。姫君と騎士は通りに面したパラソルの付いた席に座っている。
お気に入りという言葉からも分かるが、クレシーダはここへ何回も足を運んでいるらしい。当然、たかがカフェテラスが王室御用達なわけはなく、お忍びということになる。無論、それは今も例外ではないが、そんなことは関係ないと言わんばかりに姫君は氷菓子を突いている。
「全く……」
トウカは呆れつつ、コーヒーを口に運ぶ。
クレシーダの味覚は確かなようで、長い時を生きてきたトウカでもこれほどのものを口にするのは久しぶりだった。
クレシーダは苦いものが苦手なのかコーヒーは注文していない。代わりに無数のお菓子が並んでいる。見ているだけで胸焼けしそうなラインナップだった。
我らが姫君の服装はラフなもので、白いワンピースに麦藁帽子という出で立ちに伊達メガネを掛けているだけだった。これなら一国の姫君とは分からないだろう。
対するトウカは緑のトレンチコートに、同じ色をした野戦帽を被っている。国軍の兵士の格好だった。だが、階級章や部隊章が付いていないので見る者が見れば不自然に映るかもしれない。
「仕事はいいのか?」
ため息交じりに呟く。
「いいんです。たまには息抜きしないと死んじゃうから」
クレシーダは、姫君でもあるが王都の市政の一部も任されている。忙しいほどではないが、決して暇というわけでもない。城に帰れば無数の書類が城壁となって待ち構えているだろう。
「この為に近衛騎士がいるんですよ? 頑張ってくださいね」
「……平和なのはいいことだ」
まさかこんな事をさせる為に、自分を近衛騎士にしたのではないと思いたかった。だが、能天気に氷菓子をパクついているクレシーダを見ていると否定はできない。
「――ん?」
トウカの耳が微かな悲鳴と怒号を聞きとる。
だが、クレシーダを放り出して行くわけにもいかないので、黙ってコーヒーを啜る。
悲鳴と怒号は喧騒を伴って、トウカたちのいるカフェテラスに近づいてくる。
トウカの耳は、それら全てを聞き取っていたので、焦る必要はなかった。
「クレシーダ」
「ふぁい? ふぁんふぇふふぁ?」
シュークリームを頬張りながら返事をするクレシーダ。周囲が慌ただしくなっている事など、見ている暇も興味もないようだ。
頬に付いたクリームを拭いてやりながら、トウカは周囲に視線を巡らせる。
するとカフェテラスの中を、席を縫うようにして男が走ってくる。そして後を少女が追っている。
男は、いかにも強盗ですという格好をしているが、少女のほうは意外な格好をしていた。
詰襟で二列に並んだ無数のボタンの付いた軍服に、乗馬ズボン。靴は膝近くまである白い長靴。外套も純白のもので、騎士とはまた違った雰囲気を漂わせている。腰には長さの違う二本のサーベルが吊り下がっている。
だが、軍とは違い、シャコー帽を被っているので軍人ではないと直ぐに分かった。
「官憲といったところか……」
「警務局ですよ」
女性にしては体力があるようだが、男性に追いつけるほどではない。今は、人や物が密集した処にいるので良いが、開けた通りに出ればすぐに引き離されるだろう。
眺めていると、すぐ手前まで近づいていた。
放置しても、クレシーダの安全には何ら影響はない。
だが、見過ごすわけにもいかない。
「待って…くだ…さいでありますぅ~」
後を追う少女が息も絶え絶えに声を上げる。
待てと言って待つ奴はいないだろうとトウカは呆れる。女性が官憲をしているというだけで、王都が平和だという事が分かるが、それにしても能天気な人間ばかりだった。
「仕方ない」
トウカは立ち上がって、クレシーダの頬に付いたクリームを拭き取ってやる。
「どけやっ!」
目前に迫った男が叫ぶ。
トウカは黙ってその男を避ける。だが、足だけは素早く空を切る。
普通の人間にはトウカの足が一瞬、消えたように見えるほどの足払いに、男は成す術もなく倒れこむ。反射的に、トウカとクレシーダの机に敷かれていたテーブルクロスを掴んだが、そのまま一緒に転がってゆく。
周囲の席を巻き込んで盛大な音を立てるが、気にしないし興味もない。
どうせ、トウカの足払いを見ることができた人間はいないのだ。男が勝手に転んだということにすれば、トウカが睨まれることもない。
「私のパフェが…飛んで行った…空飛ぶバフェ……」
クレシーダがブツブツと呟いている。
どうやら、男が掴んだテーブルクロスに乗っていたパフェも道連れになったらしい。公務をサボっていた罰だろう。トウカが足払いをしなければパフェも飛んで行かなかったので、ある意味、人災…というか神災なのだが、それを指摘する者はいない。
「ご、御用でありますっ! おとなしくお縄につけぇいっ、であります」
――国が違うだろう。
倒れている男に飛び掛かった少女官憲は、体術を駆使して手早く組み伏せる。
体術はなかなかのもので、関節を極められた男は瞬時に無力化された。相変わらず息切れしているが、動作は俊敏だった。
「き、決まった…であります」
取り押さえることか、決めのセリフか…もしくは両方かは分らないが、何かが決まったらしい。
縄で男の両手を縛る少女から視線を外し、自分の席へと座る。目も前では、クレシーダが店員を呼んで「ここから、ここまでちょうだい」とメニューのスイーツ欄を見て、指を上から下に動かしている。というかスイーツ全部頼んでいる。
「まだ、食う気か?」
「食い溜めと、お持ち帰り。父上には内緒ね」
あの国王なら笑って許しそうな気がするが、主君の命令なので近衛騎士は黙って頷く。
すく横の通りに、男を引っ張り出した少女官憲は、息を切らせてやってきた同じ恰好の男性たちに捕まえた男の身柄を引き渡している。
男を立ち上がらせた警務隊の面々は、逃げられないように周囲を固めながら歩いてゆく。だが少女官憲だけは、その場に残った。
コーヒーを啜りながらその様子を見ていると、少女官憲もそれに気付いたのか近づいてくる。
「貴公、名は何というでありますか?」
年頃の人懐っこい笑みを浮かべる少女官憲の言葉に、トウカはクレシーダにさりげなく視線を向ける。クレシーダは、黙って小さく首を横に振った。身分を明かすなということだ。トウカがバレれば、護衛対象であるクレシーダの身分もバレてしまうからだろう。
「人に名前を聞くときは自分から名のるものだろう?」
それを聞いた少女官憲は、思い出したかのように敬礼する。
「失礼しました! 警務局、保安隊所属、エーベルマイヤー一等警務官であります! 好きな言葉は正義と愛っ!」
その場が一瞬、静かになる。
「故郷に帰れ」
このタイミングでアホな子を相手にせねばならないのは予想だにしなかった。ある意味、ルクセンベルクの戦士も油断できない。
《こんなでも務まるとは、この国もアホばかりじゃな》
ベルセリカがトウカだけに聞こえるように小声で呟く。
賛成だったが、口にはしなかった。口にすると、クレシーダの警護という任務へのやる気が消え失せてしまう気がした。元々、無かったが。
「しかし、助かりました。貴公が足払いを掛けてくれれば、追いつけなったであります」
「見えたのか?」
トウカは、普通の人間には見えないほどの速度で足払いをしたはずだ。だが、エーベルマイヤーには見えていたようだ。見た目とは裏腹に戦闘能力は高いのかもしれない。ただのアホではないらしい。
「ご協力感謝であります。強盗団は20人いたのですが、全員捕まえる事できたのでありまして、良かったです」
「全員、貴官が捕まえたのか?」
「はい、であります。さすがに疲れたでありますよ~」
二十人もの強盗団を一人で捕まえたらしい。もし、本当ならとんでもないことだ。息切れした程度でそれだけの人数を捕まえるとは、恐ろしい体力と根性だ。
「エーベルマイヤー殿も一緒にどうだ?」
トウカは、開いている席を指さす。
クレシーダも頷いたので、エーベルマイヤーも一瞬の逡巡の後、席に座る。
席に着くとシャコー帽を取り、背筋を伸ばすエーベルマイヤーに、トウカは店員を呼んでおススメのメニューを頼む。
「奢ろう。金が有り余ってるんでな」
クレシーダの近衛騎士になったので、トウカには俸給が入る。しかも、装備を買う資金を貰ったので十分に余裕があった。なにせトウカには買う物がない。剣 はベルセリカの宿った剣で充分で、甲冑はそもそも着る気がない。風の魔術で、真空と風の層を何重にも重ねて身に纏えば、魔導装甲の甲冑よりも強固な鎧とな るからであった。
「いや、お気持ちは嬉しいでありますが…その…規則でありまして…」
「いいわよ。男が奢ってくれるなら受けるのが女の勤め。受けないと失礼でしょ」
凄まじく偏った意見だったが、遠慮だけが美徳ではないということには同意できたので、黙って頷いた。しかも、エーベルマイヤーは知らないが、目の前で頬にクリームを付けてスイーツを食べている少女はこの国の姫君なのだ。
「そ、そうでありますか? なら、お言葉に甘えまして……」
クレシーダにまで説得されて、エーベルマイヤーも首を傾げつつも納得する。
「ねぇ、それより二十人の強盗団をどうやって捕まえたの? 斬ったの?」
「あ、いえ、小銭を首筋に投げて気絶させました」
――どこの銭形だ。
「そんな事が出来るんだ」
「今月の俸給がほとんど無くなりました……」
と言って、乗馬ズボンに吊るされた紐に連なった小銭を示す。銭はルクセンベルク硬貨の中で唯一、穴の空いたものだった。話によると俸給を全て小銭で貰っているそうだ。そこまでして投げたいいのだろうか?
トウカ自身は、極東の島国出身なので、エーベルマイヤーのやっていることが理解できたが、クレシーダは頭上に?マークを量産していた。
三人は、楽しく食事を行う。
食事といっても、トウカはコーヒーしか飲まないし、クレシーダはスイーツ類をローラ作戦で食べているだけなので、マトモな食事をしているのはエーベルマイヤーだけだった。
「お二人は、兄妹なのでありますか?」
分からなくもない言葉だった。トウカとクレシーダでは、そう見えても不思議ではない。周囲の者たちも、皆そう思っているだろう。
「実は恋人なんだよ。驚いた?」
笑顔のクレシーダが爆弾を投下する。
「署までご同行願うであります」
トウカは腕を捕まれる。
確かにクレシーダほどの少女に手を出したとなれば犯罪だろう。と言っても手を出すことなどあり得ないし、もし出したとなれば怒り狂った国王陛下が飛んでくるだろう。良くも悪くも官憲の出番はない。
「官憲が人の恋愛に口出しちゃダメだよ。私たちは真剣に愛し合ってるんだからね」
――それは初耳だ。
エーベルマイヤーも口をパクパクさせている。この手の話に免疫がないらしい。意外と少女なところもある。官憲だと恋愛にかまけている時間はないのかもしれない。
「そ、それは一体……」
「ベットに押し倒され…モガッ!」
――ここでそれを言うか。姫君はどうしても俺を犯罪者にしたいらしい。
クレシーダの口にシュークリームをねじ込んで黙らせる。
「???」
「何でもない。この馬鹿の言う事は信じてはだめだ。いいな? お兄さんとの約束だ」
エーベルマイヤーに顔を近づけて凄むトウカ。
こんな少女にクレシーダの毒舌を聞かせてはならない。トウカを無理やり騎士にした腕前といい、貴族を強引な手段で納得させた口先といい、陰湿なクレシーダの性格が伝染するかもしれない。
そのような混乱と共に昼下がりの一時は過ぎていった。
「どうであった?」
身体を覆うような白いローブに身を包んだ老人が呟く。
老人であったが、身のこなしから相当に武芸を極めたものであるという事を窺わせる。白いローブも、元々は高級そうな生地でできていたのだろうが、砂と傷に塗れてよく見ねばボロ布を纏っているようにしか見えない。
「分からないであります。全く……。しかし、強いと思います、伯父上」
シャコー帽を被りながら、官憲の出で立ちの少女は視線を向ける。
正面から視線を受け止めた老人は、嬉しそうに口元を歪める。
「嬉しそうですね? このままでは計画に支障がでるのであります」
「構わんよ、ラウラ。王家にもそれなりの者が付くなら良いことだ」
老人の言葉に、ラウラと呼ばれた少女は首を傾げる。
自分たちの成そうとしている事は、王家はおろか国家への叛逆に等しい。
だが、失敗は許されない。戦火が大陸を覆い始めた今、国内で揉めている暇はない。すぐにでも統制の取れた体制にならなければ、他国の餌食になるのは目に見えていた。
「我々が負ければ、他の貴族が国をダメにするであります」
「させぬよ。他の侯爵も隙を見て介入するだろう。さすれば、どちらが勝とうが国内は一つに纏まる」
本当にそうだろうか、とラウラは顔をしかめる。
綱渡りの要素が多い作戦だが、それ以外に途はない。
だが、ラウラの思いに反して老人の考えている事は違った。
――過程などどうでもいい。
要は国内が纏まればいいのだ。たとえ、己が屍の上にできた結果であっても。