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第二話    キルヒアイゼン伯

 

 



「我が娘が世話になった。感謝する」


 執務椅子に座るゲオルギウス4世は威厳のある声で礼を述べた。

 城内に入って通されたのは王の執務室だった。謁見の間かにでも通されると思っていただけに、少し意外だった。もしかすると堅苦しい雰囲気を嫌ってのことかもしれないが、トウカにそれを確かめる術はなかった。


 流石に賢王と呼ばれるだけあって、ただの親バカではない。クレシーダから何も聞かされていなかったとしても、何かしらの情報は掴んでいるか、もしくは察しているかもしれない。


「褒美は何が良い。クレア以外であれば何でも授けよう」


 表情は柔らかいが目は笑っていない。


 だが、トウカはクレシーダを押し付けられたとしても困るだけで、そもそもルクセンベルクに留まる気すらなかった。必要以上の金品財宝を貰っても持ち運ぶのに苦労するのは確実で、旅を続ける以上、家や領地など貰っても意味がない。


 なによりトウカが長い間、同じ土地に留まり続けるのは危険だった。


 天霊神殿に気付かれれば、周りの者まで巻き添えになるかもしれない。第一に旅には目的があるのだ。ここで止めるわけにはいかなかった。


「必要ない。少しの食料でも分けてもらえば十分だ」


 一国の王に対する言葉遣いではないが、咎められることもなかった。


「ほぅ、欲がないな」


 興味深そうな目でゲオルギウス4世はトウカを見据える。


 普通の人間であれば欲を持つかもしれない。だが、人ならぬ身となって永劫を流離う者にとって、金品財宝も領地や姫にも何ら魅力を感じなかった。


「私はすぐに旅に出るつもりだ。この国に留まるつもりはない」


「ほう、何処へ向かうのだ?」


「分からない……」


 王はしばらく思案すると、突然何かを思いついたかのように机の引き出しを漁り出す。そして中から一枚の鉄製の札を取り出した。


「これは、国内の関所ならどこでも通れる通行所だ。あると便利であろう持って行くがよい。大切なものを探しているのだろう?」


「……何故、分かった?」


 短く答えたトウカは軽く驚く。自分より遥かに少ない時間しか生きていない王の洞察の鋭さに舌を巻く思いだった。これほどであれば、この国がローデリアやなどの光陣営や闇の眷属たちから中立を保ち続けられている理由もおのずと分かる。


「目を見れば分かる。何か途轍もない業を背負い続けているのであろう? 己が精神を磨り減らしてまで行なわねばならんことなら王でも口出しすること叶わぬ」


 もしかするとゲオルギウス4世は、自分の正体を知っているのではないかと思うほどだった。腰に吊るしている剣からもベルセリカの息を呑む声が聞こえてきた。


「すまん……助かる」


 態度をはっきりさせておかないと後々面倒に巻き込まれると思ったのだが、相手がこちらの事情をそれとなく察している以上、何かを言うべきではない。それに聡明な王が、トウカの言動から正体を看破することも十分有り得た。


 ここを出て行けば全ては丸く収まる、と思っていたが、残念な事にトウカはもうすでに面倒な事に巻き込まれていた。


「父上、その者を我が騎士にしたいのですが――」



「断る」「許さぬ」



 トウカとゲオルギウス4世の言葉が重なる。


 突然、執務室の扉をノックもせず入ってきたクレシーダの言葉は容易く一蹴されれる。


 クレシーダの衣装はドレスから上質な布を使った明るい服装に変わっていた。だが、動きにくいのを嫌っているのか、服は貴族の女性が着るような豪奢なものではなく、装飾は少なかった。スカートに限っては膝下ほどまでしかない。


 両手を腰に当てて、クレシーダは立っている。


 王だけでなくトウカも反論するのは想定外だったのか、クレシーダは眉を顰める。だが、すぐに気を取り直すと、先程まで聞いていた内容を思い出し説得を始める。


「トウカ殿…貴方は、何か大切なものを探しているのでしょう? なら、個人より組織のほうが速く見つかるはずよ」


 クレシーダの言わんとしていることはトウカにも分かった。


 探し物が何であれ、トウカ個人が各地を駆けずり回って探し出すよりも、ルクセンベルク王国という巨大な組織を利用した方が早く見つかるというのは正しい考えだ。


 だが、それは探し物が人知の及ぶものであった場合だ。


 探し物……それは女神の魂なのだ。


「クレアは聡明だが人を見ておらん。よいか? 我らにとって理解できないものでもその者にとっては命より大切なものもある。そして、その者にしか理解できないものにはその者しか見つけること叶わんのだ」


 事情を知らないゲオルギウス4世の言葉は的を射ていた。先程の事もあるのでトウカは驚きはしない。何よりも「クレアは聡明だが人を見ておらん」という言葉で自身が“神奪者”であると気付かれていないことを確信できたので安心する。トウカはもう人間ではないのだから。


「ですが父上。言っていなかったかもしれませんが、近衛騎士でも敵わなかった五十は居た賊を一人で打ち払った者です。騎士の資格は十分にあると思います。お願いします」


 クレシーダがペコリと頭を下げる。


 礼儀なのか、幾分か丁寧な言葉で語りかけるクレシーダの目は本気だった。普段であればゲオルギウス4世も「もぅ、仕方ないなぁ。今回だけだぞ」と許していただろうが、今日ばかりは娘の内心に見え隠れしている剣士への好意がそれを許さなかった。


「ほう……。だが、本人が嫌がっているのだ」


 驚いた顔をしたのも束の間、賢王はずくに最強のカードを切ってくる。


 いくら騎士を軽く凌駕する戦闘能力があったとしても、本人に忠誠心がなければ騎士足り得ない。それを言われては流石のクレシーダも分が悪い。そしてトウカには、聡明な王がそう言うであろうことは容易に想像がついていた。


 内心、これで解決したと一息ついたトウカの考えは甘かった。


「すまないな、そういうわけだ」


 その言葉を聞いた瞬間、トウカの方を向きニヤリとクレシーダは笑う。
 その悪戯っ子が何かを思いついたかのような笑顔に不吉な気配を感じる。


「しかし父上、この剣士は“神奪――」


「いいだろう。貴様の騎士になろう」


 クレシーダの言葉を慌てて遮る。


 姫も最強のカードを切った。だがそれは、王にではなくトウカにであった。そして、その手札は本来使ってはいけないはずだった。


 “神奪者”を騎士にしたなどと知られれば神殿は黙っていないし、国内でもそれを知ったものが何かの計略に利用しないとも限らない。そんな危険を常時犯し続けるのはリスクがありすぎる。


 そんな危険と引き換えにしてまで“神奪者”を利用しようとするものはまずいない……と考えていたのだが、中には物好きもいたものだ。


 ――自分にそれほどの魅力があるとは思えないが……。


 トウカはため息をつくとゲオルギウス4世の前に跪く。


「気が変わった。姫の騎士になりたい。一個騎士団程度の働きであればして見せよう」


「むっ……。それは……」


 ゲオルギウス4世は眉を顰める。トウカの真意を見抜こうとでも思っているのだろうが、そこは永劫を生きる者の方が上手だ。普段通りの無表情のまま王を見つめ返し、反論の糸口を与えない。


 やがて諦めたのか王は視線をクレシーダに移す。


「本当に良いのだな? お前のことだ、貴族たちを納得させる言い訳を考えてあるのだろう」


「勿論です父上。……この方を――トウカを貴族にします」


 一瞬、執務室が静寂に包まれる。


 トウカは驚いて口を挟むタイミングを逸したが、ゲオルギウス4世は納得したかのように頷く。


 確かにトウカが貴族であれば全ての問題は解決する。


 ルクセンベルク王国では、姫や王族が護衛の騎士を任命できる。だが、騎士とは貴族の人間がなるもので平民……ましてや素性の分らない者(しかも“神奪者”)を任命することは難しい。


 だが、トウカが貴族であれば、騎士の任命は神聖なものなので、例え貴族でも口を挟むことは許されない。


「キルヒアイゼン……か」


「はい、そうです」


 それはつい最近断絶したとある貴族だった。


「キルヒアイゼンの家の代は途絶えましたが、まだ正式に断絶させたわけではありません。ならば、トウカを隠し子だったとして次代のキルヒアイゼン家当主にすればよいかと」


 驚きの提案だった。


 そのような策を考えるクレシーダも非凡な才能を持ち合わせていると窺わせるが、トウカにとっては面倒なことこの上なかった。クレシーダから逃げるのは容易ではないだろう。


「いいですね? トウカは今からキルヒアイゼン家の跡取り息子です。あの家の者は、まさに英雄色を好む、という家系だったので、隠し子の一人や二人、いてもおかしくないです。見た目もルクセンベルクの人間に見えなくもないですし、ね?」


 ――ね? ではないだろう……。


 次から次へと出てくる提案にトウカは呆れるばかりだ。王も執務机に肘を付け溜息をついている。


「分かった。クレアに任せよう」


 疲れたように椅子に腰を落とすベルセルム4世は諦めたかのように、もう一度ため息をついた。







「ずいぶんと好き勝手してくれたな」


 トウカは、連れられてきた部屋でクレシーダを睨む。


 その部屋は、貴族が使っているような豪奢な雰囲気はなく、かといって全体的に落ち着いた調度品でまとめられていて決して品がない訳ではなかった。


 窓側には屋根つきのベッドがあり、右側には古文書や軍学書などが上に散乱した執務机があった。だが、何より目を引いたのは、壁を埋め尽くす本棚と書籍の 数々だった。本棚は天井まで続いていて表現や冗談でなく本当に壁が見えなかった。ベルセリカが《地震が来たら下敷きになりそうではないか》と呆れるほど だ。


「ごめんなさい。でも、私にはトウカの力が必要なの」


「知ったことではない」


 本棚の前に立ったクレシーダの左右に手を押し付けて逃げ道を塞ぐ。


 だが、“神奪者”を騎士へと引き込んだ姫がその程度で怯えるはずはなかった。ビシッとトウカを指差し反撃に転じる。


「つれない人ですね……。でも、探している物があるのですよね? 言ってください、探させます」


「……」


 クレシーダはトウカの探しているものが人を使えば見つかるものだと思っているらしい。


 生まれて十何年しか経っていないクレシーダには、人知を超えた存在は理解できないだろう。なにより、ローデリア側に旅の目的が露呈してしまうのは避けたかった。


《女神の魂じゃ。さすがの姫にも魂なんぞは理解できるまい》


 トウカが、良いのか? という視線をベルセリカ(剣)に向ける。


 だが、《構わぬだろう》とベルセリカは答えた。クレシーダのよく動く口を封じることを優先したらしい。ベルセリカがそう言うのであれば、口ベタなトウカには口を挟めない。


「魂……? あの、墓場によく飛んでいると噂の? それはまた面妖です」
 やはり、その程度の感覚なのか……。


 これだけの書籍を読み散らかしているので、もっと頭のいい言葉が飛んでくるのかと思ったが、それも無理もない話だと思い直す。人間に魂、ましてや女神の魂など人の預かり知るところではない。


「いいか、お前が俺を引き止めれば、その分、スオメタリアの魂の発見は遠退く」


「……スオメタリアの魂なるものは一か所に留まっているのですか? 第一、この世界に存在するのでしょうか? 女神の魂なら神々の世界に行っているかもしれません。それとも、女神は知りませんが、死ねば冥土に行くかもしれないのでは?」


 矢継ぎ早にクレシーダは、無数の可能性を提示する。


《我にも分らぬが……。神々の世界はこちらの世界と繋ぐだけで大層な手間が掛かるし振動も大きい。気づかぬ筈はない。冥土は、冥府の門番がそのような魂は来ておらんと言っている》


「……そんなことまで確認できるの? 便利ですね」


 ムムムと難しい顔をするクレシーダに肩を掴む。


 この姫様には驚かされるばかりだった。これだけの書物を読んでいるのは伊達ではないのかもしれない。魂に関する概念を正確に理解出来ていなかったとはいえ、これほどの可能性を提示できたのであれば将来、スオメタリアの魂を見つけることが叶うかもしれない。


「どうですか? 私と一緒にいれば見つかるかも知れないですよ?」


 “神奪者”と恐れられるトウカを毅然と見上げる幼き姫。


 悪い話ではない。だが、永劫の時を生きる者として年端もいかない少女に言いくるめられるのは不愉快に感じた。


 手に力を入れ肩を押すと、予想外のことだったのかクレシーダは簡単にベッドの上に倒れ込んだ。突然の事に目をパチクリさせている。


 そして、跨ぐように覆い被さる。


 傍から見るとトウカがクレシーダを押し倒しているようにしか見えない。いや、実際そうなのだが……。


「な、なんですか? まさか、そういう趣味なの!?」


 慌てるクレシーダは顔を真っ赤にしている。やはり、このようなときは年齢が上の方が有利だ。


 勿論、トウカはそのような趣味はないし、理性が暴走している訳でもない。


 クレシーダの頭の左右に手を付き顔を近づける。


「ま、待って! 待ってくださいっ! あぁぁ……」


 トウカの流れるような髪がクレシーダの顔をくすぐる。太い触覚のような二房の紅い髪の一本一本が絹糸のように滑らかで不快なではなかったが、クレシーダにはそんな事を感じている暇はなかつた。


「力を抜け……」


 その一言でクレシーダの体中の力が抜けて抵抗する気が失せる。


 トウカは顔を近づける。だが、そこで驚きに目を見張る。


「これは……!」


 バンッ!


 と、その瞬間、一人の騎士が木製の扉を打ち破らんばかりに駆け込んでくる。


「姫様っ! “神奪者”がっ、こ、近衛騎士というのはッ!」


 ガンッ!


 次の瞬間には、二振りの剣が交差し鍔迫り合いが始っていた。


 トウカはその騎士に見覚えがあった。確かラルフとか言う騎士でクレシーダの護衛をしていた者だ。その剣技は、若くして一個騎士団を預かるだけあって鋭く、速かった。だが、生来の性格か基本に忠実で、それ故に手筋が読みやすかった。


 正眼の構えから袈裟斬りを繰り出すラルフの剣を、トウカは横から払う。


 ラルフの態勢が崩れた瞬間、トウカは鋭く踏み込む。


 神速の刺突が一閃する。


 狙いはラルフが持っている剣の柄と刃の接合部。鍔のあたりだ。


 狙い過たずラルフの剣の接合部に鋭い刃先が貫く。すると、鋼鉄の破砕音とともにラルフの剣は接合部から折れる。


 ゆっくりと落ちた刃先が自重で床に刺さるのを確認したトウカは剣を鞘に戻す。


「気は済んだか?」


「む、むぅ……」


 ラルフは圧倒的な戦闘能力の差に短く唸るだけだった。


 一個騎士団を容易に薙ぎ払うこちができるトウカに、個人の騎士如きは何ら脅威にはならない。相手が普通であればラルフが勝っていただろうが、相手が悪かった。


「き、貴様っ!」


 気を取り戻したラルフが何も持たずに飛びかかってくる。


 それを神国の体術で床に叩き付ける。トウカは、少し頬を緩ませる。あれほどの差を見せられても立ち向かってくる戦士は少ない。大抵は恐れをなして逃げていく。


《昔、こんな奴が仲間におったのぅ……。そういえばこの国の生まれと言っていたかの》


 ベルセリカが懐かしそうに口を開く。


 そう言えば、こんな無鉄砲な仲間がいたなとボンヤリと思いだす。


 何百年も生きているので昔のことはほとんど思い出せない。だが、その騎士の記憶だけはやたらと鮮烈に残っていた。


「す、済んだのですか?」


 クレシーダが顔を真っ赤にしたままベッドから身体を起す。


 手を胸に当て、着崩れた服を直すその姿は将来は美姫になるであろう事を十分に予想させた。どちらにせよトウカの興味の対象にはならなかったが、ルクセンベルク王家の血統には少し興味があった。


「ラ、ラルフ……。無事だったのですね。怪我はないのですか、重傷だと聞いていたのだぞ」


 床に張り付いているラルフに駆け寄ったクレシーダは身体中をベタベタと触る。


 ラルフは謎の襲撃者の斬撃を受けて重症だったのだ。城に着いたと同時に、宮廷魔導士に引き渡して白魔術で治癒を行わせた。


「無事です、勿体ないお言葉。そ、それより姫っ! この“神奪者”が…ひ、姫様をっ……」


「目に入ったゴミを取ってもらっただけです、大事ありません」


 真顔で堂々と嘘をつくクレシーダにラルフは「おお、そうでありましたか」と納得する。随分と単純な頭の構造をした近衛騎士のようだった。


 きっと、面倒を避けたいのだろうと理解したトウカは、その言葉に適当に頷いておく。


「そ、それより、ラルフ。トウカに出会った時、何故“神奪者と分かったのですか? 面識があるの?」


 話をそらすためかクレシーダが話題を振った。別に付き合う必要もなかったが、内容が自身も気になっていたことなので口を挟まなかった。


「実家の曾祖父の書斎に“神奪者”の肖像画が飾ってあるのです。なんでも先祖が昔、共に戦ったことがあるということらしく、大変な恩があるとかないとか」


 恩があるのに斬りかかろうとしたのか。とんだ恩返しだな。


「初耳ですね。確かに、公にはできないでしょうね」


 クレシーダは渋い顔で頷く。その姿が中々に様になっているので、腐っても姫様だなと思いなおしたのだった。


「お前……名は何だ?」


「ラルフ。カーライゼン伯、ラルフだ」


 それを聞いたベルセリカが小さく驚く。


《ほう、そう言えば神影戦争でカーライゼンとか言う無鉄砲な若造と肩を並べたことがあったかの》


 ああ、あいつか とトウカも鮮明に思い出す。


「私は子供の頃、失敗する度にご先祖様と“神奪者”が肩を並べて戦った武勇伝を延々と聞かされました」


「なら、少しは敬え」


「いや、いい加減、何百回と聞いていると“神奪者”に軽く殺意がわいてくるんだホント」


 ガシッと、トウカの肩を掴むラルフの表情は笑顔だったが、目は笑っていない。逆恨みにも等しいが、先祖も似たような性格だったので妙な懐かしさを感じた。


「それでよく騎士になれましたね……」


 執務椅子に座ったクレシーダが眉の間を押さえる。


 こんな騎士に守られていたから襲撃者なんかに襲われたのではないかと思ったが、言ってまた飛び掛かってこられると面倒なので黙っておく。


「さぁ、今日は終わりです。私は読書をします」


 執務机の上に散乱していた書物を手に取ったクレシーダに、踵を返したトウカは部屋を後にした。






 キルヒアイゼン伯・トウカ。それが新しく授けられた名だった。


 遠く東の島国の血を引いている亡きキルヒアイゼン伯の隠し子という“設定”らしい。つい最近まで市井で暮らしていたということになっているので、少々お かしいところがあっても誤魔化せるように配慮されている。このような芸の細かい“設定”を考えるクレシーダには呆れるばかりだった。


「近衛騎士の任、謹んで拝領致します」


 ドレス姿のクレシーダに膝を着き頭を垂れる。


 左右を盗み見ると、無数の家臣や貴族たちが好奇の視線を向けていた。


 ベルセリカがトウカにしか聞こえないように《無理もなかろう》と声を上げる。そのベルセリカ自身も(剣だが)柄や鍔の部分が変えられて少しばかりの装飾が施されている。そのせいか心なしか声も楽しげだ。剣の姿でも装飾品が好きらしい。


「では、我が騎士。新設される7番目の近衛騎士団の編成を頼みます。北部では農民たちの小規模な反乱が起っているとのことです。いざとなれば戦野に赴いてもらわねばなりません」


「……御心のままに」


 優雅に一礼するその姿は、儚くもあり愁いを帯びていた。少しあどけない顔立ちが、その儚さを際立たせ、どこか異質な雰囲気を漂わせている。それを見た貴族の娘の中には、その荘厳さに感嘆の声を上げる者もいたほどだった。


 当の本人にはそんな自覚はなかったが……。


 むしろ、一刻も早く終わってほしいとさえ思っているが、それに気付いているのはベルセリカだけだ。しかも、新設の騎士団の編成など聞いていない。騎士団の編成を命じたということはトウカをその騎士団の長にするつもりなのだろう。


 何故か面倒な方向へと巻き込まれ始めていた。


 そして“面倒”はトウカを捕えて離さない。


「少しお待ちいただきたい!」


 一人の少年が貴族たちの間から優雅に抜け出てくる。


 国軍の騎士が着ている青を基調とした軍服ではなく、白地に金色の刺繍がなされた軍服に装飾過多なサーベルを腰に吊るした少年だ。顔には、見ていて鬱陶しいほどの自信が表れており、できれば相手にしたくない種類の人間だった。


「ローレンツ侯の次男……たしか、セドリック、だったでしょうか?」


「はい、クレシーダ姫」


 トウカの横までわざわざ歩いてきたセドリックが、膝をつき傅く。


 横目でトウカに目線を向けてきたが、相手にしていてはきりがないので無視する。


「一体、どのような用件ですか? 神聖な騎士の任命式に」


 クレシーダは内心の不機嫌な気持ちを隠し、声に出ないようにしながらセドリックに視線を向ける。日頃、温厚なクレシーダも王族の特権である騎士の任命にまで口を出されては叶わないと思っているのだろう。


「姫様の護衛をこのような成り上がりの騎士に任せるのは如何なものかと。出来ますれば、私とトウカ伯で試合を行い勝った方が姫の護衛になるというのはいかがでしょうか?」


「……よかろう」


 あくまでも優雅に提案するセドリックに姫は、驚いたことに二つ返事で頷く。


 ザワッ と貴族たちにざわめきが奔る。


 まさか、クレシーダが承諾するとは思わなかったのだろう。いや、それ以上に二人の戦いを観れることが嬉しいのかもしれない。貴族の道楽に付き合わされるのは不愉快極まりないが、主君となった者の命令であれば致し方ない。


 クレシーダには別の打算があった。


 これからトウカには貴族たちの執拗な嫌味や妨害になどの小さな波に逢うことになるだろう。だが、この試合で圧倒的勝利を収めれば、示した武勇の前に小さ な波は砕けて消えるだろう。大きな波は、騎士に任命してからまだ日が浅いので心配はいらない。貴族たちが本格的にトウカに難癖をつけてくるのはもう少し後 のはずだった。


 画してセドリックの欲望とクレシーダの打算が一致した結果、近衛騎士の座をかけた戦いが決まった。


 トウカ自身はそのような陰謀が渦巻いていることなど露ほども知らない。


「なら、ここで戦おう。時間を無駄にしたくはない」


 無表情のままトウカが提案する。


「ほぅ、ですがそれではこの場所を血で汚すことになってしまう」


 当然、お前の血だがな とその顔は付け足していた。


 セドリックとしては、この戦いで何としても勝利してクレシーダの近衛騎士となりたかった。いずれはこの国の王に取って代わるという野望のためだった。


 自身の戦闘能力もその自信を助けていた。幼少の頃から、次男なので家の当主に収まることはないと分かっていたので修練でも誰もが容赦しなかった。相手が 次期当主であれば、不興を買うわけにはいかないので試合でも不用意に勝てない。だが、次男であれば容赦する必要はない。そして、容赦のない修練と生来の負 けず嫌いも幸いしてセドリックの剣技は著しい上達を見せた。そして気が付けば、ルクセンベルクの中でもかなりの腕前と評価されていた。


 負ける要素が見つからない。セドリックだけでなく貴族たちもそう思っていた。トウカが50人近い賊を相手に勇戦したことも聞いてはいたが、前にいる華奢な剣士を見てそれを連想するのは難しかった。


「血、か……」


 俺には本当に紅い血が流れているんだろうか……。


 セドリックから距離をとりながら、ふと思った。


 女神の身体を簒奪したトウカにとっては、死というものは果てしなく遠かった。もちろん、女神の体とはいえ、不老であって不死ではない。ローデリアの神聖術式であれば拘束も可能だろうし、神剣での攻撃ならば致命傷にも成り得る。


 振り返り、剣を抜く。


 その動作は遅かったが、一分の隙も感じさせないほど洗礼されていた。剣の道を歩むもの達はその動作に思わず息を呑む。


「来い、時間が惜しい」


 興味のない顔のままトウカは剣を構える。


 目線から水平の位置に刃先を構える。神国の国の剣技にその構えはあったが、それはカタナという特殊な刀剣のための構えだった。


「……フン、ハッタリだ」


 セドリックがサーベルを顔の正面――垂直に構えた。


 二人の視線が衝突する。


 その瞬間、戦いは始まった。


 最初に踏み出したのはセドリックだった。


 疾風のような踏み込みに、烈風の如き刺突。性格はねじ曲がっているが、剣技に関しては真っ直ぐだった。剣技には性格が出るという話もあるがセドリックに関しては違うようだ。


 連続の刺突がトウカを襲う。


 それを最小限の動きで避ける。避けきれないものは剣で叩き軌道を逸らす。


 全ての攻撃が顔、心臓、太腿、足先と致命傷になる部分ばかりを狙っていたが、それ故に軌道が読みやすかった。ラルフやセドリックに限らずルクセンベルク の騎士が扱う剣技は、常に他大陸からの侵略に晒されている極東の島国や、無数の国家が覇を競い合っている中原の戦士たちに比べれば稚拙かもしれない。


 トウカも踏み込む。


 セドリックの刺突の引きに合わせての踏み込みなので反撃は受けない。


「――っ!」


 トウカの耳に驚きともつかない声が聞こえた。 


 裂帛の気合と共に突きを繰り出す。


 神国の国の技で右平突きと呼ばれる技だ。


 その、閃光のような一撃を目で捉えられたものはいない。


 気がついた時には全てが終わっていた。


 クレシーダやラルフだけでなく貴族たちでさえ、圧倒的な剣技に言葉を失っていた。実際には、速すぎて見えなかったが、衣装の袖を揺らす風と床に落ちたサーベルを見れば一目瞭然だった。


 サーベルは、刃の部分が二つに裂けていた。刃の先端部分から鍔の寸前まで縦に斬られていた。いくらサーベルの刃がトウカの剣にくらべて薄いといっても鋼鉄で作られていることに違いなく、ましてや斬ることなど不可能に等しい。だが、それをやってのけたのだ。


 クレシーダとラルフは“神奪者”ならそのくらいはできるだろうと踏んでいたが、トウカは何か特殊な力を使ったわけではなかった。


 ベルセリカが宿っている剣、名はないが旧文明時代に造られたのだ。遥か古に大地を駆ける鋼鉄の魔獣や海を往く黒鉄の城の一部に使われていた鉄を流用したらしいとベルセリカが語ったことがあった。


「すまん。これ以上は手加減できなかった」


 床に尻餅をついたセドリックに手を差し伸べる。


 トウカとしては純粋にそう思ったのだが、他の人間から見れば嫌味にしか聞こえなかった。ただの無表情も澄まし顔に映らなくもない。


 クレシーダは、以外と根に持つ方ですね と薄く笑った。


「双方、そこまで! 貴族の方々もトウカ伯をクレシーダ様の近衛騎士にすること異存はありませんな?」


 我に返ったラルフが貴族たちを牽制する。


 その効果は絶大で、少なくともこの場で否定しようとする者はいなかった。あれだけの戦闘能力を示せば、正面切って揉め事を起こそうなどと考える者はでない。


 そして、極めつけの一言。


「次は誰だ? 全員を相手にしてもいいぞ?」


 トウカが無機質な目線を向ける。蒼く、果てなき深淵の如き瞳が貴族たちを捉える。


 貴族の中には小さな悲鳴を上げて後ずさる者までいる。別に意識して行っている訳ではないが、少なくとも自分に敵意を持つものはいないか探してしまうのだ。


「我が騎士トウカ」


 クレシーダが、貴族たちの惨状を見て声を上げる。


 トウカは、無言で姫の前に傅くと黙って頭を下げた。


「では、続けましょう」


 クレシーダの一言で中断されていた任命式が再び始まった。


 

 

 

 

 

 

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