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第八話    騎兵突撃

 

 

 




「キルヒアイゼン伯、トウカ殿、参られました」


 衛兵の案内で、トウカとカエデは司令部として使われている部屋に入る。


 わざわざ入ってくる人間の名前を言っている暇があれば、騎士団にでも組み込めばいいと思うのだが、そこは貴族の格式と矜持が邪魔するのだろう。


 司令部は城の中央部に位置しており、暗殺者や間諜の侵入が容易にできないようになっていた。落ち着いた雰囲気の部屋の正面には国旗と軍旗が掲げられ、側 面には槍や剣が立て掛けられていた。何より中央には、どのようにして部屋に入れたのか気になるほど巨大な黒檀の机があり、上には報告書や地図、駒などが散 乱していた。


「君か? 我らが希望とは」


「???」


 いきなり持ち上げられたトウカは、思わず怪しんだ。


「そうです。戦であれば我が騎士の敗北はあり得ませんよ、アルバーエル将軍」


 中央には軍服に着替えたクレシーダが座っていた。周囲に座っている将軍たちに比べて装飾品が少ないが、青と白を基調とした軍服は妙にクレシーダに似合っていた。


「しかしながら、私が指揮する一個騎士団では戦局を左右する事は難しいでしょう」


「……うむ、正直なことだ! ――では、報告を聞こう」


 アルバーエル将軍と呼ばれた初老の男は、カエデに向き直る。


 その姿は様になっており、他の将軍の態度を見ても相当に信頼されていることが窺えた。雰囲気から、騎士としての才能も非凡なものであろうと感じさせる偉丈夫。根っからの戦士なのか、身につけている剣の鞘も無数の傷が付いている。


「空から偵察した限りだと――」


 カエデは空から敵軍を偵察してきたらしい。


 空を飛んでいるとは言え、敵軍の上空を飛行するのはそれなりのリスクが伴う。高度が低ければ、弓兵に狙撃される可能性もあるし、逆に高くても同じ天魔族や竜騎兵の攻撃を受けないとも限らない。


「敵の数は二〇〇〇〇くらいかな。歩兵は三列に別れて前衛にいるよ。でも前列には騎兵がいる。たぶん貴族だね。それと、弓兵と攻城用の投石機やバリスタを装備した工兵は、後方で待機してるよ。そして航空戦力はなし」


《陣形は、レギオンじゃな。攻城戦は考慮しておるようじゃが、本気ではないな》


 レギオンという陣形の長所は、散開による包囲殲滅に移れる事と、三列に並んだ兵士を必要に応じて入れ替えることで得られる持久力にあった。代償として突 進力を弱めたが、歩兵による投槍や補助兵からなる弓兵の射撃、さらには工兵が運用する投石機やバリスタによる援護によってそれをカバーする戦術のことだ。


 ベルセリカの声に驚いている将軍たちを無視して、トウカは考える。


「ハーケンハイムなど見ていないというわけか……」


 何かしらの策があるのだろうが、可能性はいくらでもある。ハーケンハイム自体は堅牢無比と言ってもいい防護壁だが、平時には普通に近づくこともできる。何か仕掛けられていても不思議ではなかった。


「王都に展開している戦力は五〇〇〇しかいない。そして、敵は四倍以上。相手にとって不足はなかろう!」


「ですが、こちらの戦力は一〇〇〇名の近衛以外は、警備兵を集めただけに過ぎません。実際、敵との戦力差は六倍以上と考えていいでしょうね」


 クレシーダは、逸るアルバーエル将軍の言葉を押しとどめる。


「作戦の基本方針は、北部国境からこちらに向かっている一番姫の軍集団の到着までの持久。おそらく五日はかかるでしょう。厳しいかもしれませんが、間に合えば敵軍を挟撃することも叶いましょう」


「うむ! 正に! 義を弁えぬ賊如きを王都に入れること罷り成らぬ!」


 アルバーエル将軍が目を見開いて吠える。


 横でクレシーダが何やら不安そうな顔をしていたが、将軍たちの鬨の声が全てを押し潰した。アルバーエル将軍は、その様子を満足げに眺めた後、視線をトウカへと向けて黙って頷く。


 それで、トウカも全てを察した。


 他の将軍たちの不安を一蹴するための芝居なのだ。恐ろしげな顔で叫んでいる姿は、猛将と呼ぶに相応しかったが、他の将兵の戦意にまで気を配る知将の一面も持ち合わせているらしかった。


 トウカは壁際に立ち、始まった軍議に耳を立てる。


 内容自体は、簡潔なものでスタンダードな籠城戦であった。この王都特有の仕掛けや罠などもあったが、敵が昨日まで味方であった者たちなので知られているだろう。当然だが、弱点も然り。


「トウカ伯。何か良い手はないか? 貴殿の知恵を借りたい」


 ふと気付いたようにアルバーエル将軍がトウカを見る。


「ハーケンハイムで出来る限り粘り、無理だと判断すれば市街地に後退。市街地の火事で焼失した瓦礫を利用して少数で遊撃戦。敵の補給線の遮断を最優先として後方を脅かす、と言ったところだな」


「……うむ、それが最善であろう。手配しよう」


 大きく頷いたアルバーエル将軍は、近くの伝令に手短に指示する。


 最後に、トウカが騎士団を預けられた時から思っていた提案を口にした。


「――それと……俺の部隊の独立行動を許して頂きたい」


 その言葉に、将軍たちがざわめく。


 トウカが預かる兵は一〇〇〇名。全戦力の五分の一に相当する。それだけの戦力が、戦場を好き勝手に動けば味方にも混乱が起きるかもしれないし、何より戦力を分散させれば各所撃破の危険性も出てくる。


「――良かろう! 己が使命を全うせよっ!」


 すぐ認められると思っていなかったトウカは目を見開く。


「……何故だ、なぜ認める?」


 それを聞いたアルバーエル将軍は豪快に笑う。


「知れたこと! 貴様が姫様の騎士だからだ。そして貴様は強い。何を躊躇う必要があるっ! 俺は残り四〇〇〇の陣頭指揮を執る。信頼に足る者が姫様を守るならば、我に、もはや後顧の憂いなし!」


 そのあとすぐにアルバーエル将軍が解散の合図を出したので、他の将軍たちや衛兵たちも部屋を後にした。そして部屋にはアルバーエル将軍とトウカだけになる。


「もう一つ作戦がある。聞くか?」


「ほぅ? よかよう! 話せ!」


 トウカは自分が考えた作戦をかいつまんで説明する。それは最悪の状況……鉄壁であるハーケンハイムが破られた時の戦況からの逆転の方法だった。できれば そのような展開になららず、外からの増援が間に合えばいいが、最悪の状況からの最善の一手を考えるのも指揮官の仕事である。


 暫く黙ってトウカの作戦を聞いていたアルバーエル将軍は盛大に笑う。


「いいだろう! やってみせよ! 気にいった!」


 椅子の音を響かせ立ちあがったアルバーエル将軍は部屋を出ていく。









「――トウカ」


 二人になった部屋で、クレシーダが口を開く。


「……これは王族の責任です」


 状況を悪化させたのは確かに王族の責任もあった。王族が王権を取り戻していれば王都の民が火事や戦火に晒されることはなかった。貴族の暴虐から起きた戦いだが、王を頂点に頂く国なら全ての責任は指導者たる王に帰属する。


「クレシーダ……」


「二人の時はクレアと呼んでください」


 ひたすらに民を虐げようとする貴族の圧政への怒り。一国の姫でありながら何もできないことへの焦り。全てを抑え込めるだけの権力への渇望。


 無数の負の感情がクレシーダを取り巻いていた。それも無理もない話で、王族とは言え少女に過ぎない者が国を守ろうとしているのだ。うまくいかないのは当然だった。


「今、戦いを始めれば王都の民が傷つきます。今なら王の……王族の命だけで戦が回避できるかもしれない」


「……クレア」


 トウカは、クレシーダを抱き寄せて頭を撫でる。そうされるだけでクレシーダの心の内を吹き荒れていた暴風は姿を潜める。


「俺は、そんな弱弱しい少女に仕えた覚えはない」


 トウカが不敵に笑う。クレシーダは不遜な騎士の顔を睨み返すした。


「……悪かったですね。どうせ私は、どちらかを選ぶ事すらできません」


「選ぶ必要がどこにある?」


「……え?」


 きょとんとした顔で、麗しき姫君は声を漏らす。


 吟遊詩人のような動作で、トウカは大仰に両手を広げて見せた。


「確かに非情な問題だ。クレシーダ・ラウ・ルクセンベルクなら、どちらかを選ぶしかできないだろう。現実から目を逸らし続けていた”神奪者”なれば、一方を見捨てるだろう。だが――」


 騎士は主君に顔を寄せる。


「三番姫クレシーダが守護騎士、キルヒアイゼン伯・トウカなら、選ぶ必要などありはしない」


「……っ!」 


 クレシーダは目を見開いた。



 キルヒアイゼン伯・トウカ。



 それはクレシーダがトウカに与えた名。”神奪者”が姫君に忠誠を誓うための名。クレシーダが持つ、出せばすべてが解決する最強無比の切り札。永劫の時を生き、一人からなる世界最強の軍勢。


「命じろ。お前の騎士は理不尽な命令を待っているぞ。さぁ、実行不可能で、高慢な理想を紡いでくれ」


 憮然とした表情のまま、騎士トウカが言う。


 クレシーダは少しの間呆気に取られた顔だったが――


「――――ふ」


 壮絶な表情で微笑む。


「……ふふ、ふふふ……っ」


 ――なんと単純なことか! なんと簡単なことか! なんと容易いことか! クレシーダは笑みを隠すように手を口元に置いた。


「――命じます。トウカ。一人からなる常勝無敗の軍勢よ。我が忠勇なる騎士よ」


「御意」


 騎士は、姫君の前に膝をつく。


「王を護り、民も誰一人死なせません」


「御心のままに」


 騎士は、姫君に頭を垂れる。


「でも、敵の軍は止まりません。――目障りです。不愉快です。薙ぎ払いなさい」


「仰せのままに」


 騎士は、姫君を見上げる。


「これから多くの戦火がこの国を襲うでしょう」


「そうなるかと」


 騎士は、姫君の前に立つ。


「私の国を汚す事は許さないわ。立ち塞がるものは全て、何ひとつ、一切、合切、那由他の限り――」


 クレシーダは、右手を振り払う。



「――殺しなさい」



「承った」


 騎士は、姫君の前から真紅の外套を翻して去って行った。









「ハーケンハイム、大正門、開きますっ!」


 城下町から警備兵たちの驚きの声が上がる。


 敵軍の侵入を阻むため、今まで固く閉ざされていた大正門が小さな駆動音とともに左右に開き始めていた。旧文明の技術を使用して自動式だったのが仇となっ た。自動であれば少人数でも開ける事が出来る。敵の間諜か内部の裏切り者か…正体は分からないが、火事も大正門が開いたことも、敵軍にとって都合がよすぎ る。かなり前から計画していたのだろう。


「トウカ、どうしよっか?」


 後ろからカエデの声が聞こえたが、すぐに答えることはできなかった。


 ハーケンハイムが破られた以上、城の城壁で守るしかない。


 だが、相手にとっても、それは予想していることだろう。


 分かることは、一番姫率いる軍集団の到着を待つ時間はなくなったということだ。


 ――民を逃がすという名目で一時停戦できないか? それなら、民に紛れて王族を、クレシーダを逃がすことができるかもしれない。いや、相手がそれを見逃 すとは思えないし、第一に民を見逃すかどうかも分からない。そして、王もクレシーダも民を捨てて逃げることを良しとしないだろう。


 という訳で……


「まずは、昼食だ」


「いいのかよ、ほっといて? アルバーエルのオッサン死ぬんじゃねぇか?」


 ラルフが飽きれたように呟く。


「構わん……と、言いたいがそうもいかんだろうな。昼食の後に、バリスタを使うぞ。矢を持てるだけ持ってこい」


 戦前の栄養補給も重要だが、気が変わった。


 大正門は広い。中隊がそのまま行進できるほどの横幅をもっている。だが、二〇〇〇〇もの軍勢を突入させるには狭すぎる。その証拠に敵軍も三隊に分けた歩 兵部隊の一つだけを大正門に差し向けていた。まずは大正門の内外を制圧する気なのだろう。だが、数はアルバーエル将軍隷下の兵力と同じ四〇〇〇。


「これは……まずいね」


 カエデの言葉にトウカも頷く。


 大正門を取り囲むように展開しているアルバーエル将軍の部隊は、門を出てきた敵を半包囲して攻撃できる強みがある。だが、いきなり大正門が開いたことで兵が浮足立っていた。しかも、敵軍の方が連携出来ている。寄せ集めと組織の差が出ているのだ。


「俺達も行って足止めするか?」


「だめだ。今さら……いや、最初から一〇〇〇増えた処で状況は変わらなかった。兵が浮足立って反撃も難しい。相手は不利だと判断すれば今の歩兵部隊を下がらせて、あと二つある歩兵部隊で波状攻撃させればいい」


 暫くの間、大正門の周囲で繰り広げられている戦いを眺める。トウカは女神の身体なので見えたが、他の者ははっきりとは見えない。


 城壁から下の庭を見渡すと、カエデが大振りの塩漬け肉をナイフで切り取り、パクパクと口に運んでいた。 


 他の兵士たちも、それぞれ似たような物を食べ始めていた。中には鍋を持ち出して炊き出しをしている兵もいたが、決戦前に士気を削ぎたくないので注意しなかった。


 鍋を温めるために付けた火から出る煙の本数や規模で兵力が露呈してしまうのだが、そんな事は知らんとで言わんばかりに兵士たちは鍋を囲んで食事を始めて いた。今まで、国境以外で大きな火種がなかった為か、意外なところで間が抜けている。王族や姫君を守ろうという意思は感じられるが、技術が伴っていないと いったところだった。


「高級な食べ物を食べると腹痛が……」


「おいおいカエデちゃん……。今まで何食ってきたんだよ?」


 鍋を突き始めたカエデとラルフが、のほほんとした会話を繰り広げていた。


 将校と天魔がこの調子では先が思いやられる。







「カエデ、お前は無関係だ。城内に隠れていろ」


 風の魔術で滑空して降り立ったトウカは、カエデの肩を掴む。


「ヤダ、絶対ヤダ。と言うか私、トウカの騎士団の突撃隊長だもん」


 バシッとカエデの黒い羽がトウカを叩く。


「残念だがマジだぜ。カエデちゃんが姫様にねじこんだんだ」


 衝撃の事実。


 カエデの言葉を間髪入れずラルフが肯定する。無論、トウカはそんな話を聞いていない。できればカエデには戦野から遠いところにいてほしかったが、己が主君がそう決めたのなら従うしかなかった。


「いや、トウカの従者ってことになってるから、姫様からお金が出るんだよね」


 抜け目がないと言うべきか、しっかりしていると言うべきか、貰える物は全て貰っておこうとでも思っているのだろう。


「……好きにしろ」


「えへへ~」


 許しをもらったカエデが満足げに笑う。


 その姿から目をそらし、トウカは城壁の上まで戻る。無論、風の魔術で一瞬だ。


 大正門に視線を向ける。


 そこでは、激戦が終結しつつあった。


 アルバーエル将軍隷下の部隊は、敵軍を大正門の押し返しつつあった。だが、陣形も乱れ迫撃できるような状態ではなく、敵もそれを承知で撤退を始めたのだろう。


 自軍の被害は少ない。防衛戦は防御側が有利だということを差し引いても、アルバーエル将軍の指揮は卓越していると言えた。


 だが、同じ規模の敵軍が交代で大正門へと殺到しつつあった。そして、その後ろにも同規模の部隊が控えていた。


 大正門を閉めることができればいいが、ここまで用意がいいなら何かしらの対策を講じているだろう。


 トウカの予想は当たっており、この時、開閉装置は物理破壊されていた。そして三部隊に交代で波状攻撃を仕掛けさせることで、アルバーエル将軍の部隊を休ませないつもりだろう。


「アルバーエル将軍も頑張っんだがなぁ。こりゃ負けるぜ」


 隣に来ていたラルフが肩をすくめる。


「ああ、撤退させる」


「どうやってだよ? 伝令なんか飛ばしてたら、時間がかかるぜ」


「私が飛んで行こうか? それならすぐに知らせられるよ」


 確かにカエデなら空を飛べるので、伝令には最適だった。


「だめだ、弓兵の的になる」


 空を単独で飛んでいれば、敵軍から矢を射かけられるのは目に見えている。


「簡単な話だ。俺の声が大正門まで届けばいい」


 さも当然のように言うトウカに鍋を突いていた二人は顔を合わせた。








「しかし、驚いたぞ。長生きしてると何でもできるんだな」


 ラルフが呆れ半分に呟く。


「風の魔術で声を遠くまで運んだだけだ。高位の魔導士なら誰にでもできる」


 トウカが、アルバーエル将軍に撤退の合図を出したのは一瞬だった。下がれ とトウカが呟いただけで、大正門の前で武器を構えていた友軍が、皆振り向いたのだ。ラルフやカエデだけでなく近くにいた兵たちも、いきなり撤退を始めたアルバーエル将軍の部隊に驚いている。


「腕に覚えのある者を集めろ。一〇〇人程度で構わない。ただし騎乗可能な者だけだ」 


「おっ、斬り込みか?」


 ラルフの声に頷いたトウカは足もとに準備していた槍を手に取る。


 槍の長さはトウカの身長の三倍以上はある。柄の太さも通常のものより倍近く、何よりも材質が鋼鉄で出来ていた。刃に関しては中央だけでなく、片側にも戦 斧のような刃が付いていた。突く、斬る、薙ぐ、の全てが可能な戟という武器だ。フロイアあたりの国々ではバルディッシュと呼ばれ、ルクセンベルクではハル バードと呼ばれていることをトウカは知っていたが、名に興味はなかった。あえて言うなら、一番短い戟という名が好きだった。


「人数分の馬を用意してくれ。ラルフはバリスタと弓兵の指揮を。カエデは俺の背中を守れ」


 二人の返事を待たず、トウカは城壁の上から飛び降りた。


 大正門から城までは巨大な通りで、完全に一直線だった。


 下げられた釣り跳ね式の橋の上にトウカは降り立つ。


「バリスタの準備をしろ。矢を何百本に束ねて縄で縛れ。それを射出する」


「なるほど、それなら……でも、引き付けないと。城壁まで近づかれるよ?」


 飛び降りたカエデが隣に立つ。


 カエデの言うとおりで、数で押し切られ城壁に張り付かれれば敗北は免れない。


「問題ない。俺が追い風を吹かせる」


 矢とは風によって射程や命中率を左右される。向かい風なら射程は落ちるし、追い風なら射程は延びる。横風が吹けば命中率は下がり、雨が降れば射程も命中率も落ちる。


「そんなことできるのか? 反則だろオイ」


 息を切らせながら城壁の階段を降りてきたラルフは、呆れた声を上げる。


「一回だけだ、何度もできない。大量の矢を撃ち上げてくれ。大正門を通った瞬間を狙う」


 頷いたラルフは手早く指示を出す。


 兵士たちの手で何百本もの矢が一括りに縛られ、丸太のような矢の束がいくつも出来上がる。それをバリスタの射出部に、いくつも連ねるように装填する。


 準備をしているうちに、敵軍の歩兵部隊が大正門に差し掛かる。


 城そのものが高い位置にあるので城下を容易に見渡せる。王都の一部が焼け落ちたとはいえ、城下には無数の障害物が残っていた。障害物がないのは、城壁の近くと大正門くらいのものであった。


 その二か所なら身を隠せない。城に近づけてはならないので、消去法で大正門側を攻撃するしかなかった。


「入ってきちゃったよ。急がないと」


「心配するな。敵の指揮官は優秀だ。なら大正門の周囲を固める。しばらくは後続の到着を警戒しながら待つだろう」


 その予想は正しかった。敵部隊は後続の二つの歩兵部隊の到着を待ち、陣形を組み始めた。焼け落ちた城下町に兵が潜んで不意打ちを仕掛けられることを恐れているのだろう。


「準備できたぞ。お前の軍馬もな。気性の荒いやつだ、気をつけろよ」


 ラルフが名綱をトウカに渡す。


 途端、軍馬が暴れるが、トウカがたて髪を掴んで頭を視線と同じ位置まで引きずり下ろす。


 そして、一睨み。


 軍馬は、大人しくなった。


「怖ぇぇ~」


 その様子を見たラルフが背筋を凍らせる。


「お前はバリスタの指揮を頼む」


「おう、任せろ」


 騎乗したトウカが槍を肩に乗せて軍馬と共に後ろを向くと、一〇〇名近い騎兵が準備を完了して命令を待っていた。近衛兵なのか甲冑を着た者もいれば、剣一 本だけを持った軽装の者もいる。トウカ自身も身を守る甲冑はおろか籠手すら着けていない。服装もクレシーダと出会った時と同じ緑を基調とした旅装束で、真 紅の外套を纏っていなければ貴族だと分からないくらいだった。


 確かに服装も装備もバラバラだったが、その瞳に宿る戦意だけは本物だった。


「行くぞ」


 ゆっくりと右手を上げる。


 自然な動作だったが、その場にいた全ての者が後ろからの突風に背を押された。


 トウカは、風を操ることなど魔導士なら誰にでもできる と言ってはいたが、大気を操作するほどの魔術を使える者は人間にはまずいない。神に認められた神威者か、天使か魔神、もしくはそれらに連なる血統を持つものくらいだろう。


「突撃ッ! 止まると弓兵に狙撃されるぞ! 駆け下りろ!」


 脇に挟んだ槍を振り上げ、トウカは軍馬の横腹を足で軽く蹴る。


 人馬一体となってトウカは飛び出す。


 正に、絵画に描かれていた通りの姿に、ラルフは声を失う。


 幾百の時を超えて、”神奪者”は祖国を守るために降臨したのだ。


 隊長に遅れるわけにはいかないと、他の騎兵たちも後を追う。カエデは地を這うようにトウカのすぐ後ろを飛ぶ。


 風の魔術によって吹いている追い風のおかげで、目に異物が入ることもないし、馬の速度も上がる。目に異物が入る程度は問題ないのではないかと思う者も多 いだろうが、高速で走っている馬に騎乗した状態だとかなり痛い。視界を塞がれることもあるが、それ以上に落馬が怖い。骨折程度で済めばいいが、最悪だと死 に至る。


 騎兵たちの馬蹄が、緩やかな斜面となっている石畳を蹴る音が背後から聞こえる事を確認し、脇に挟んだ槍を右手で持つ。手綱は左手で持っているのでバランスが悪いのだが、それを感じさせない動きで軍馬を駆る。


「…っ! 来たか!」


 敵軍の陣形の中から無数の矢が飛び出す。


 間違いなくトウカたちを狙っている。


 騎兵は、弓兵に弱い。機動力を確保するために、甲冑は最小限に留めているため狙撃されやすいこともあるが、軍馬を狙っても無効化でき、的が大きいことが 致命的だろう。人馬ともに重厚な装甲を施した重装騎兵という兵科も存在するが、代わりに機動力を犠牲にしている。それでは軍馬に乗っている意味がない。


 相手の弓兵の反応は正しい。


「構うな! あの矢は当たらない!」


 トウカが足並みが乱れそうになった騎兵たちを一喝する。


 槍を掲げる。


 それと共に、槍の周囲に風が渦巻く。


「雄々々々々々々ッ!」



 槍撃一閃。



 瞬間、トウカたちの目前に迫っていた無数の矢が左からの烈風に薙ぎ払われる。中には、折れるものや砕けるものまであった。


 局地的な突風。敵軍も自然の風ではないと気付いたのか、弓矢での攻撃を諦める。代わりに隊列を組んだ槍兵が大通いっぱいに展開する。


 何列にも組み上げられた隊列から突き出される槍。



 まさに槍衾。



 だが、トウカは速度を落とさない。



「放てっ!」 



 ラルフの声がトウカの耳に微かに聞こえた。


 あまり大きくない声だったが、風に運ばれた声は不思議とトウカの心に浸み入った。


 遥か後方……王城の庭。


 一拍の間を置いて、無数のバリスタに取り付いた兵たちが、数人がかりで木製の長いレバーを倒す。同時に、硬質な物が衝突したような音が周囲を満たした。


 武器や兵器の進歩と発展には、明確な方向性が存在する。


 それは、相手をより遠くから攻撃できることだ。相手の武器が届かないアウトレンジから、こちらは一方的に攻撃できるという利点。それも大きな理由だろう。だがそれは、軍事的な理由に過ぎない。 それとは別に精神的な理由も人の心の根底に眠っている。


 人は人殺しを感覚的に忌避しているのだ。


 人を剣で斬れば手に感触が残ってしまう。


 たとえ魔術や弓矢であっても、練達者には相手を撃ち倒したという感触があるという。


 だが、それは距離が離れるほどに薄まり性質を変えていく。


 人にとって、自分の見えないところで死んだ人の数など数字でしかないのだ。


 だから、より遠く……より相手の死を実感できないように殺すのだ。叶うなら自分の見えないところで殺したい。いずれは、人はそれを叶えてしまうだろう。古の文明がそうであったように。


 しかし、トウカは人を殺したという感触がなければ怖かった。人の死を感じられなくなれば殺人を躊躇わない、人の死に無関心な者になってしまう。


 故にトウカは、刃を振りかざす。


「来たか!」


 遥か上空では、縄が解けて無数に散らばった矢が空を埋め尽くしていた。


 その矢を、追い風を吹かせて更に射程を延ばす。


 トウカの目が蒼く輝くが、それを見える位置にいる者はいない。


 力を失いかけて地面へと向かっていた無数の矢が、吹き上げる風に乗せられて高度を上げる。


 あり得ない光景に敵も味方も声を失う。


 無数の矢が大角度から敵軍を襲う。


 まさか、城内から無数の矢が飛来するなど想像してすらいなかったのだろう。陣形が大きく崩れる。目の前に迫っていた槍の壁も隙だらけになり、もはや槍衾とは呼べなくなっていた。


「突入ッ!」


 そこへ騎兵の突入だ。


 一〇〇騎程度とは言え、直線の通りである以上、防御へと回せる兵の数は限られている。草原や荒野のように横に長く防御陣形を展開する事はできない。


 即ち、一度に相手にする兵の数は限られている。


 無数の悲鳴が敵の陣から響き渡る。


 腕や胴に突き刺さった矢の痛みに悲鳴を上げてのたうち回る者もいれば、逆に頭部に矢が刺さって悲鳴を上げる間もなく倒れ伏す者もいる。


 弓兵の攻撃なら、さして多くの者が犠牲になることはない。


 だが敵軍は、広いとはいえ軍が陣形を組むには狭すぎる大正門前で密集していたのだ。しかもトウカの操る風で、恐ろしい数の矢は全てが大正門前に殺到した。


 この世のものとは思えない悲鳴の連鎖に、一部の兵は恐慌状態になり始めていた。普通であれば将校たちが止めなければならないが、その将校たちも多くが矢に倒れ指揮統制を図れる状態ではない。


 その将兵たちを馬蹄で踏み砕き、あるいは槍や馬上剣で打ち払いながら騎兵部隊は突き進む。


 トウカの軍馬だけは矢に倒れた兵も、息がある兵も踏まずに駆けていく。


 その馬術の巧みさに後ろから追う騎兵たちは、自分たちの隊長の武勇の一端を目にした。トウカ自身は、部下が放つ憧憬の眼差しに気付いていなかったが。


 長槍を突き出してきた兵を右手の槍で突き倒し、突き出された敵の長槍を左手で引き抜くように奪い取る。


 左右の脇に挟んだ二本の槍ごと、身体を凄まじい勢いで捻る。


 薙ぎ払う。


 それだけの動作だけで、近づいてきた三人の兵が身体をくの字に折り曲げて弾き飛ばされる。だが、それに目もくれずに敵兵から奪い取った槍を投げる。


 狙うは矢の雨のなか、運良く生き残っていた将校の一人。貴族なのか、甲冑の上から真紅の外套を身につけている。


 しきりに周りの兵を叱咤していた将校に、突然飛んできた長槍が刺さる。


 甲冑だけでなく身体ごと貫通した長槍は、血をまき散らしながら地面に突き刺さる。普通であれば投げられないような長槍を投げ飛ばしただけでも驚嘆に値するが、それ以上に甲冑を貫いたことが敵味方の兵士たちには信じられなかった。


 騎士は絶命したが倒れない。刺さったままの長槍が宙に縫い止めているのだ。


「雑魚に構うなッ! 狙うは敵の大将ぞ!」


 軍馬を急き立て、混迷の戦場を駆ける。


 だが、最後の障害がトウカたちに立ち塞がる。


 混乱を極めている兵士たちの中で、そこだけは完璧な統制をとっていた。


 全員が甲冑を着て、真紅の外套を身につけている者も多数いた。騎士のみで編成された部隊なのだろう。一人ひとりが将校としての教練を受けていなければ、このように統制された部隊は編成できない。


 だが、ここまで来て止まる気はない。



「雄々々々々々々ッ!」



 騎兵たちは”神奪者”と共に突撃した。

 

 

 

 

 

 

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