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第十話    那由多の果てまで

 

 

 




  三日後。


 最高指揮官であるアウレリア候・ランドルフを失った反乱軍が瓦解するのは早かった。


 一部では騎士たちが抵抗を繰り広げていたが、クレシーダ自らが説得に立ったため急速に収まった。一度、王家へと弓を引いたとは言え、忠誠までも失われた訳ではなかった。


 焦げ臭い風がトウカの顔を撫でる。


 クレシーダの部屋のテラスから城下を見下ろす。


 城下の様子は悲惨の一言に尽きた。


 大通り方面は比較的無事なものの、家屋が密集している地帯は多くが焼け落ちていた。見ただけでも黒一色といった風体で見ていただけで痛々しい。その中を米粒のように小さい人影たちが懸命に動いている。復興には時間がかかるだろう。


 だが、人々の顔は一様に明るい。


 不安から解放されたことと、王家が予算を出して王都の修復が思いのほか進んでいるためだろう。クレシーダもその陣頭に立っているため、今では民衆の希望となっている。


 全てがうまく進んでいる。


 腐敗した貴族を切り崩すことに集中すればいい。


 だが、不安要素もある。


 ――エジンバラが侵攻してくる、だと……。


 ルクセンベルクの東の国で、武勇を尊ぶ国としても名高いエジンバラ王国。


 両国の関係は深く、トウカとスオメタリアが出会った時には既に友好関係が築かれていた。同盟は締結していないが、両国は大きく干戈を交えることもなく今でも友誼は続いている。それよりも北部の国境に接するミレディア王国のほうが脅威度が高い。


 ミレディア王国とは近年幾度も干戈を交えている。


 エジンバラとミレディア。後者との衝突は予想していても、前者との衝突は夢物語に過ぎない。


 考えれば考えるほど袋小路へと陥っていく。


「どうしたの? 怖い顔です」


 後ろからクレシーダがやってきて、トウカの横に立つ。


 一国の三番姫の衣服は煤で汚れており、一部は破けていた。だが、表情は明るく瞳も輝いている。先ほどまで城下の復興の陣頭指揮を執っていたのだろう。そのせいか城下の者たちのなかでもクレシーダを敬愛するものが増えていると小耳に挟んだこともある。


「城下は……どうだ?」


 できる限り無表情になるよう努めつつ、クレシーダを見る。


「復興は進んでるかな。王家の資産を使ったので税を上げずに済むのもいいことです」


「クレアの指示なのか?」


「父がお決めになったの。火事の知らせを聞いた時には心に決めておられたそうよ」


 それはトウカも初耳だった。


 賢王と呼ばれているので聡明な人間だとは分かっていても、あの親バカな一面を見るとどうしても忘れがちになる。


「その国王は何と言っている?」


 トウカは柵に背を預け目を瞑る。


 クレシーダはトウカの言葉の意味を理解したのか、眉根を顰めてため息を吐く。


「演習目的で東の城塞都市に軍の一部を移動させるの。でも……」


 武勇を尊ぶ国としても名高いエジンバラ王国。そのような国が理由もなく戦を仕掛けてくるとは思えない。そして、戦争になったとして果たしてルクセンベルクの軍が勝利を収める事が叶うのか? クレシーダの心の中にはそのような不安が渦巻いていた。


「まだ、戦争になると決まったわけではないだろう。気にするな、反乱軍の指揮官が死に際に言った戯言にすぎない」


 一部の隙もなく答えるトウカを見て、クレシーダもまた頬を緩める。


 だが、トウカは内心ではアウレリア候が嘘をついているとは思っていなかった。あの騎士と立ち合って刃を交えたトウカにはそれがよく分かった。アウレリア候は、真に祖国を思う騎士だった。


「国外の事もあるから分からないことも多いわ。でも、分かったこともある」


「なんだ?」


「一つは、この国が危機に陥りつつあるということよ。そして貴族の中に他国に与する者がいるわ」


 前々から薄々感じていたことをクレシーダは語りだす。


「貴族の一部には露骨ではないものの王座を狙っていた侯爵がいます」


「ローレンツ候とハイゼンベルグ候か」


 トウカは思い出した二侯爵の名を口にする。


 ローレンツ候とハイゼンベルグ候は、貴族の中ではアウレリア候と勢力をほとんど三分割してしまうほどの勢力だ。アウレリア候が戦死し侯爵家が断絶した今、二人の侯爵は覇を競い始めることは自明の理だった。


「分かりませんか? アウレリア候は他の二侯爵のどちらか…いえ、もしかするとどちらにも騙されたのかも知れない。最悪、二侯爵は後ろで手を結んでいるかも知れないわ」


「アウレリア候は愛国心を利用された訳か……」


 あの老人のことだ。騙されていると知って尚、王家に刃を向けたのだろう。国のため、民草のため。まさに貴族の鑑かもしれない。火事を起こし、相手の混乱を誘うような策を好むとは思えなかった。


「王家が討たれていればよかったのでしょうか……」


「王家の…クレアの死に意味はない。その二侯爵は王家を弑逆した国賊としてアウレリア候を攻撃し、王国全土が戦火に包まれる」


 そして、ミレディアとエジンバラの軍隊が国土を二つに分割するかもしれない。いや、もしかすると二侯爵は王座を奪うために両国の侵攻を手引きするかもしれない。両国には領土の割譲で納得させて自分が王座に収まる、そのあたりが妥当だろう。


「不愉快だ、不愉快極まりない」


 アウレリア候のことも。無能な貴族のことも。他国のことも。


「ふふっ…」


 それを見たクレシーダが口に手を添えて上品に笑う。


 ムッと心外な顔をして見せたトウカに、クレシーダは笑い声をより一層大きくする。


「ご、ごめん……。でも貴方がこんなに表情豊かだったとは思わなくて……」


《アウレリア候と相対したときはもっと凄まじくあったぞ。なぁ?》


「言うな」


《何を…俺はクレシーダの為に戦ってんだ! と修羅の如く戦ったではないか》


 魔神はさも楽しげに笑う。


「まぁ、いい事を聞きいたわ。王でもなく国でもなく私のため…ね」


「随分と能天気なことだ」


 腕を組んで無粋な顔をするトウカにクレシーダは笑顔で答える。


「大丈夫ですよ。私も、この国も」


「どこからそんな自信が来る?」


「だって、あなたが守ってくれるのでしょう?」


 さも当然だと言わんばかりに挑みかかるような視線を向けてくる姫君。
 騎士となった男は、不敵な笑顔で告げる。


「護って見せよう、那由他の果てまで」










「という訳で何かいい拷問法はないですか?」


「いや、その手の事は専門外なんだが……」


《我に任せよ。専門じゃ、というか趣味じゃのフフフフ》


 二人と一柱はジメジメとした空間で話し合う。


 目の前で牢屋に閉じ込められた一人の女性を前にして。


 女性の名はラウラ・エーベルマイヤー。


 トウカがラルフに調べさせたところによると、ラウラはアウレリア候の孫らしい。名を変えて保安局の局員として職務についていた理由は不明だが、アホな子なので理屈ではないのだろう。


「貴方たちに正義はないのでありますか! いたいけな少女を閉じ込めて酷いでありますよ~」


「コレが本当にアウレリア候の血縁なのか? アホすぎるだろ」


 ラウラを指さしてため息を吐く。


 指さされた本人は、頭に?マークを量産している。


「それより、貴方の腰に吊るしているのは刀ですよねっ! しかも喋ってます!」


 興奮気味に格子を掴み、ベルセリカの宿った刀を見つめる。


 ベルセリカの宿った刃はもともと剣だったが、ラウラとの戦いの際に刀に変化したのだ。それはベルセリカが、トウカが一番使い慣れた武器が刀だったと理解しているからであったが、形状を変えることは魔力の消費が大きいので、剣の姿には戻っていない。


「オマエを守って見せると誓ったが……」


 初任務が拷問とは……。


 凄まじくテンションやらモチベーションが下がっていく。


「ラウラ・エーベルマイヤー。私は三番姫・クレシーダ。聞きたことくらいありますね?」


「ひ、姫様ですか?」


 一国の姫君が牢屋などに表れたことが信じられないのか、ラウラは口をあけてクレシーダの顔を見る。カフェテラスで会った少女がルクセンベルク王国の三番姫だとは思えないらしい。


 ――まぁ、あんな風に菓子を貪ってた少女を姫だとは思えんか。


「またまたぁ、姫様っていうのはもっと、こう…お上品で素晴らしい方です。アウレリア領の姫君はこんなのじゃないであります」


「い、言いたい放題ね……」


 口元を引き攣らせるクレシーダ。これでは話が進まないのでトウカも話に加わる。


「現実を見ろ。時間がない。肖像画くらい見たことあるだろ? 性格や行動を別として考えろ」


「む…そういえば…似ている気がするであります」


「……ホント失礼ね、二人とも」


 ぶすっとむくれる姫君に、二人は顔を見合わせる。


 確かに言動は姫様とは思えないかもしれないかもしれないが、残念なことに姫様なのだ。目線だけでラウラを説得してみる。ラウラも観念したように項垂れる。


「……現実とは…惨いでありますぅ」


「全くだ……」


 二人は揃ってため息をつく。


 そこで、トウカは格子に背を向ける。


 クレシーダは、これから何が起こるかを察したのか後ろへと下がる。


 尋常でない雰囲気にラウラも息を呑む。トウカの後姿には、それだけで他者を圧倒する力がある。それは覚悟か、もしくは決意か、あるいは修羅か。


 対するクレシーダは、トウカの表情が陰になって見えなかった。


 だが、肩を竦めるだけで見ているだけだ。それどころか楽しそうな表情をしている。トウカがクレシーダにとって最善となる事をすると信じているからだ。


「俺は、三番姫・クレシーダが近衛騎士。キルヒアイゼン伯・トウカだ」


「知っているであります。ですが、それは嘘でありましょう? キルヒアイゼン家の血族は途絶えたであります」


 そのあたりはクレシーダが情報を操作しているので完璧に隠匿できているはずだった。


「我が一族はキルヒアイゼン家とは深い交流があったのであります。三年前の戦争で当主の死に際を看取ったのはアウレリア候でありました」


 なるほど。それなら、キルヒアイゼン家に隠し子がいたという嘘も通じないかもしれない。


 ラウラという少女が、何故、官憲の姿でトウカの前に現れたのか理解できた。


 トウカの存在を見極めようとしたのだろう。ラウラ自身はトウカの正体を知らなかったようだが、アウレリア候に命じられたということは容易に想像がついた。


「で、俺の正体は分かったのか?」


「分からないであります。ですか……」


 ラウラは視線をクレシーダに向ける。


「トウカ伯が三番姫の忠実な騎士たり得るということは、刃を交えて理解したであります」


 確かに、あの時はクレシーダに忠誠を誓っていた訳ではなかった。適当なところまで付き合って、隙を見て逃げ出そうと思っていたくらいだ。


 だが、今は違う。クレシーダの…夢と理想の為なら命懸けで戦う事も厭いはしない。


「正体は分からないままか?」


 格子に背を預け、トウカは背中越しにラウラを見た。


「正体? そんな事はどうでもいいであります」


 その言葉に、一瞬、虚を突かれる。


 トウカにもクレシーダにも予想外の言葉だった。なら、何のためにトウカに接触したのか分からなくなる。


「貴方がこの国と王家を護り、激動の時代を駆け抜ける覚悟と才覚があるか、それこそが重要であるとアウレリア候は言われました」


「負けても勝っても、この国が良くなる途を選んだのか」


 アウレリア候が戦いに勝っていれば、しかる後二侯爵との戦いを制し、国内を統一して激動の時代へと臨む。だが、王家が勝利すれば、残る二侯爵の争いは続く。


 それを打破する事が出来るのはクレシーダだけだと、アウレリア候は見極めていたのだろう。だが、クレシーダ一人では心もとない。軍事面では特に……。


 だからこそのトウカである。


 一人の騎士としての能力と、大軍を率いる指揮官としての能力。その二つを、この戦いを通して見極めたのだろう。


「それはそうと…城下町に放火したのはオマエの軍か?」


「武士はそのような卑劣な手は行わないであります!」


 格子を掴んだラウラが吠える。


「分かっている。確認しただけだ」


 ラウラは勿論のこと、アウレリア候自身もそのような事をする人間ではなかった。そもそも、それなら火事で混乱している最中に突入すればよかったのだ。奇襲となって確実に成功していただろう。


「俺が救国の切り札になると思っているのか?」


 このままでは噛みつかれそうだったので、次の質問を提示する。


「貴方はアウレリア候を斬ったのでありましょう? なら、貴方は合格です」


「アウレリア候はオマエの祖父だと聞いている。それでもか?」


 その言葉にラウラは一瞬、言葉を詰まらせる。


 アウレリア候…祖父に命じられた任務はトウカの覚悟と意思を確かめる、その一点だった。もし、負けた場合に王家が…ルクセンベルクが、より良い道を歩めるように。


「もし貴方が祖父を殺めているとしても…私は……」


「それでいい」


 牢屋の鍵を取り出し、黙って開錠する。そして、近くに立て掛けられていたツヴァイヘンダーを手に取とると、ラウラへと押しつける。だが、反射的に受け取ったラウラは戸惑うばかりだった。


「これからオマエは俺の騎士団の団員だ。この国を護る為に一緒に地獄を見てもらう。俺がラウラの期待に値しないと思ったら後ろから斬って捨ててもらってもいい」


「やっぱり助けちゃうんですね」


 肩を竦めて見せるクレシーダに、トウカは黙って頷く。


「……承知し――」


 ―――――ッ!


 ラウラの声が掻き消される。


 突然、起きた揺れと爆音の為だ。


 トウカは、咄嗟にラウラの手を掴んで引き寄せ、ふらつきながら近づいてきたクレシーダを反対の手で抱き寄せる。


 暗く、光源の少なかった部屋に、眩しいばかりの光が差し込む。崩れた天井の一部から差し込んだ光を、トウカは見上げる。


「火事を起こした犯人達も戦争をしにきたようだな」


 たぶん他の二侯爵のどちらか……いや、運が悪ければどちらもだろう。だが、二侯爵を始末できれば主要な侯爵を全て排除できることになる。危機であると同時に好機でもあった。


「早速だが、一緒に地獄を見てもらう事になりそうだ」


 二人の少女の腰に回した手に力を込める。


 抗議の声が上がるより早く、トウカは崩れた天井から、二人を抱えたまま飛び出した。


 ルクセンベルクの戦火は未だ収まりそうになかった。


 

 

 

                                        

 

  

 

 

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