神々の座
「今こそ、古の約定を果たしていただく」
壮年に差し掛かろうかという佇まいの男神が告げる。
雲上に並ぶ無数の座の一席に座る男神の声は、星天の舞台に朗々と響き渡る。
無数の座はあれども、座る神々は僅か。
明瞭な態度を示すこと無き神々は既に星々を渡った。 今、この場にいるのは、先の見えぬ始まりの大地の宿命に乾坤一擲の修正を加えようという神のみ。
僅かに六柱。
だが、多くの世界で主神たるの神威を担う者達ばかりであり、対する男神の権威など吹けば飛ぶ程度でしかない。
多種族の播種を担う中心世界の荒廃は目に余るものがあり、現状の放置は多くの種族の滅亡を招くと推測されていた。多種族が入り乱れ、数多の信仰の創世地であるという条件が、本来は見通せるはずの世界の行く末を妨げた。存在を願う者の数と心の強さによって神々の神威は増減するが、種族と信仰、国家と民族……願いの数だけ神々は存在する。
男神は多種族の繁栄を悲願として成立した国家を建国した者であり、それ故に神々の座の末席に招聘された。ヒトの身で神々になった者など然して珍しい訳ではなく、古今東西、無限世界に満ち満ちている。祖国にも社に祀られて神へと昇華した偉人は無数にいた。
その綺羅星の如き英雄達の中でも、特に重きを置かれる男神は、神威を以て座する神々へと求める。
英雄の御世を、と。
英雄が必要なのだ。崩れ往こうとする世界を正す為に。一切合財を薙ぎ払い、新たな秩序を打ち立てる英雄が。
男神の意志に、厭世的な仕草で座する雌の狐神が賛意を示す。
「妾は構わぬ。なれば、妾に奉祠せし狐どもより、女子を侍らせようかの。その程度ならば叶おう」
英雄に侍るは我儘娘が相応しかろう?と扇子で口元を隠す狐神に、男神は凛然として頭を垂れる。
「なれど、枷は付けるべきだろう」
「然り、彼の地の運命、甚だ朧げなれど屍山血河だけは確か」
神々とは、運命を造る者である。
神々に偶然なし。神は賽を投げない。神の火を生み出し、恐れ多くも神々への挑戦状を叩き付けた理論物理学者は、そう嘯いた。
正しい。実に正しい。
だが、唯一の例外の地が原初の世界である。
多くの神々の策源地である原初の世界は、多くの神威と魔力、霊力といった物質が鬩ぎ合うことで、神々の視線すら曖昧とする。
見通せない未来。
多くを見通す神々からすると、数少ない不確定要素でありながらも、根源となる世界でもある。対応を決めかねている神は多い。
「では、終末兵器や反応兵器に関わる項目を禁則事項に……」
「特定の種族が不遇を強いられぬよう……」
「異世界への干渉もできないようにするべきでは……」
龍神に狼神、虎神……そう形容すべき特徴の容姿を持つ神々の会話。
男神は、軍刀の鞘尻を包んでいる石突きを以て、足元の雲居を突き立てる。その動作に、神々の足元を覆う雲居が雲散霧消した。眼下に窺えるは、神々の理想を体現すべきはずの神造国家のなれの果て。
夜の帳の中、ヒトが作り出した都市達が神々しく光を放ち、地上に星河を描いている。
「既に! 既に彼の地は喪われようとしている! 我らの悲願が喪われようとしている! 私が、我らが求めた理想郷が!」
拙速なる行動を以て、尚且つヒトの意志を持って救われねばならない。
「禁則事項? 制限? 干渉? 卿らは耄碌したのか! 総てを成すが儘にさせてやるのだ! ヒトの身で打ち建てる奇蹟によってこそ国家的大義は前進する! 今こそ英雄の時代を演出すべきだ!」
地上の星河を眼下に、男神は立ち上がる。
「この社会主義者め……」
「私は軍国主義者であるッ! 違えるな!」
下賤なチョビ髭伍長と同一視されて欲しくはない。
大きな呆れと、僅かな笑声。
原初の世界に関係した時点で万物は、その運命を神々の眼光からも運命とする。神々もまた偶然を手繰り寄せるしかない立場にあるのだ。
「……ヒトの世だ、ヒトの身であったそなたに委細任せよう」
「神々が賽を投げる真似をせねばならんとはな」
「後の世に神話にでもなるかも知れない」
先が見えぬ未来を進むと決断した神々は、笑声を漏らしながらも男神の言葉に同意する。元より選択肢などなかったのだ。成すか成さぬかなど、己の意志の依るところに過ぎない。
「貴顕らの決断に、心よりの敬意を」
元がヒトである男神は、彼らよりも劣る神威しか宿さないが、それでも尚、持ち得る総てを以てして成し遂げた。
懸念と不安は星々の数ほどあれど、ヒトも神も進むしかないのだ。
理想の為に。
狐神は手のひらに閉じた扇子を打ち付け、狂気と厭世の入り混じった表情を其の儘に足を組み変え、尻尾を揺らす。
「汝の子が幾星霜の時を越え、理想郷に堕ちるなど皮肉極まりない! 歴史は繰り返すなどという妄言が、我ら神々にも通用するとは何たる喜劇であろうか」
堪らんわ、と尻尾を震わせる狐神。
頗る機嫌の良い狐神。
狐神が相好を崩す際は、常に流血と悲劇に彩られた時勢となる。
「まぁ、汝も遠く狐の系譜であろう。さすれば汝の子も狐に惹かれようなぁ?」
「御冗談を。我が系譜に女狐の血が混ざる事など畏れ多い」
狐の雌は同族に対して寛容である。
やはり狐の生態と関連するのだろう。
巣立ちの時期が近付けば、母狐と父狐も躾の為の甘噛みではなく、容赦なく追い縋って強く噛み付き、仔狐を巣穴に帰らせないのだ。甘えたい盛りの仔狐は泣 き叫ぶが、一顧だにしない父母狐の前に、泣きながらその場を逃げ出す。変わった点は、親と離別することになるのは雄だけで、雌は巣穴や近くの新たな棲家で 過ごすことになるという部分である。
極端から極端に走る動物であり、それでいて不器用な愛情を持っている。状況が赦すならば、狐という種は同胞に対して偏執的なまでに拘る。或いは、男神に対して狐神が協力的な点もそこにこそあるのかも知れない。
無論、狂気と厭世の入り混じった表情の遮光幕に遮られ、その真意は見透かせないが。
拒否しても手頃な狐を遣わせる真似を思い留まるとは思えず、お好きなようになされるが宜しい、と男神は妥協する。
何より、英雄とて唯人。
見知らぬ世界に堕とされ、一人で生き延びるのは多大な困難が伴う。先導者として最初から傍に侍る者がいるのは悪いことではない。幾つかの確認事項が議題に上げられ、言葉を交わし終えた神々が次々と掻き消える。夜空に立ち上る曙光の如き光景を一瞥し、男神は最後に残った一柱……狐神と真正面から向き合う。
「本当にこの途しかないのか。無念だ」
「汝の子の試練……些か苛烈なものとなろう」
己が息子の才覚を、男神は信じている。
だが、今より歩ませようとする途は、屍山血河に彩られたものとなることは疑いない。
「己の不始末を我が子に拭わせる真似をしなければならないとは。息子は俺を赦さないだろう。神となった身であっても儘ならぬものが斯様に多いとは」
「所詮、神々もヒトの願いにより生じ、気紛れに導く生物に過ぎぬ。諦めよ」
神などヒトとは違うだけの生物に過ぎないと断言する狐神に、男神は確かに、と曖昧な笑みで頷く。
二柱の神は、頭上の星々による河を見上げる。
神々より永く生を紡ぐ星々は嘲笑っているかも知れない。神々の無力と理想に。
だが、他に途はない。
「強く生きろ……刀華」
男神は、ただ願う事しかできない。
神々は、ヒトの意志の前では無力なのだから。