第七話 剣戟の時代
「まぁ、そう言う訳で脱げ」
「殺して良いか?」
少女の答えは簡潔だった。
背中の大剣の柄へと手を回した少女に、トウカは慌てて弁明する。
「いや、怪我の治療だ。何を勘違いしている? 女性が欲しくなっても貴女みたいな面倒な事情を抱えた者は御免だ。ミユキが傷薬を持っていたから塗ってやる」
そう言って木製の小さな丸い容器を見せる。
残念ながらミユキにはトウカの代わりに薪を拾いに行ってもらっているので、この場にはいない。二人は宿泊所に戻ってきていた。トウカは少女に肩を貸して いたので薪を持つ余裕はなく、ミユキが代わりに薪を拾いに行っているのだが、戦闘集団が跋扈している状況なのでできるなら引き止めたかった。しかし、声を
掛け難い雰囲気を発するミユキに気圧されて引き止められなかった。得体の知れない少女を連れ込んで怒っているのだろうと、トウカは勝手に見当を付けて納得 する。
「必要ない。一日経てば治るような傷ばかりだ」
遊び疲れて傷だらけになって帰ってきた子供の母親に対する言い訳の様な言葉を零す少女に、トウカは呆れ返る。意外と性格は子供らしい。
「何なのだ、その目は?」
「いや、傷が一日で治れば苦労はしない、と思っただけだ」
皮肉の心算はないが、少女は不快げな顔をする。生来の性格と属性なのかトウカの言葉は何時も的を射ているが、同時に地雷を踏んでしまいもする。勿論、相 手の癪に障る言葉を故意に使って、その内心や真意を引き摺り出すこともあるが、眼前の少女はそれを実行すると間違いなく拳で返事してくるので、その様な勇 気は出なかった。
「私は魔人族だ。小さな傷など傷の内に入らん。唯の人間と違って魔力が桁違いにあるからな」
「魔人……」
ミユキに幾つかの種族は教えて貰っていたが、知らない種族の方が多い事は理解していた。話によると、支族などを合計すれば《ヴァリスヘイム皇国》だけで も何百という種族がいるらしく、ミユキですら見たこともない種族も数多く存在しているとのことである。トウカが知らない種族がいても何ら不思議ではない。
「そう言えば名前を聞いて無かったな? ああ、俺はトウカだ」
握手を求めそうになったが、この世界で握手の概念があるかどうか分からないので止めておく。些細な文化の違いから推し量られては酷くつまらない。
少女は一瞬、逡巡する様子を見せた後、トウカを正面から見据える。その折れることを知らない意志を宿した碧眼に、トウカは改めて思う。
少女は歴史なのだろう。この世界の法則や仕組みは知らないが、例えどんな世界であったとしても、歴史を紡ぐのは人に他ならない。祖父というある意味に於 いて、歴史上の存在を知っているからこそ同じ気配を感じ取れた。一言で言い表すと、大事を成すことができる瞳。その峻烈な輝きを放つ瞳を持った少女を見捨 てなくて良かったと彼は心底と思う。
「リディアだ。しがない旅人をしている」
あれ程の戦闘をしたにも関わらず、疲れを見せない笑みを浮かべる戦乙女に、トウカは言葉を紡げなかった。燃えるような瞳と、他者を引き付けてやまないであろう笑顔に圧倒された。
「……ただの旅人が随分な目に遭ったようで」
勿論、表情には出さないが。
リディアは只者ではない。
ミユキから《ヴァリスヘイム皇国》の指導者不在という状況は聞いていた。指導者の不在は国家にとってありとあらゆる不運と不幸を招き寄せる。指導者が無 能であったとしても存在する事だけで十分に価値はあるのだ。王は君臨すれども統治せず、という言葉もある通り、王が国政の全てを取り仕切らなければならな
い訳ではない。勿論、暴君でなければと言う前提が付くが、国家を運営する文官や武官などがそれ相応に機能すれば、国事は緩やかに退廃をしたとしても停滞す ることはない。
だが、王とは権威主義国の顔にして国威の象徴でもあるのだ。存在していないだけで、数々の不利益が発生する事は免れない。そして、それは長期になればなるほど増大するだろう。
内政の擾乱による治安と、その統治機構の急速な機能不全化。単一、若しくは複数の隣国からの政治的、及び軍事的圧力。
そして、天位後継者同士の争い。
トウカが真っ先に思い付くだけでもそれだけ存在する。皇国がそれら全てに直面しているかまではトウカには及びもつかないが、例え一つであったとしても対応を間違えば国家にとって致命傷となり得る可能性を秘めた混乱であることは疑いようもない。
――その状況で、金髪少女が一人旅?
有り得ない。トウカが出会った寒村を襲撃した傭兵を思い出しても分る通り、治安は乱れに乱れている。
――そして、何よりも《スヴァルーシ統一帝国》の戦力との遭遇が偶然とは思えない。
リディアには不審な点が多過ぎる。それは、あの戦闘での活躍もあるが、それ以上に《スヴァルーシ統一帝国》の魔装騎士に包囲されていたという事実があったからこそ。
――あの老人は、帝国の新型魔導甲冑か、と言っていた……という事は《スヴァルーシ統一帝国》の戦力が《ヴァリスヘイム皇国》内部に浸透しているということになるな。
現状で《ヴァリスヘイム皇国》北部の要衝に近い位置で少数による不正規戦闘をする以上、それ相応の理由があって然るべきである。新型魔導甲冑がどの程度希少なものなのかトウカには判断が付かないが、唯の情報収集や威力偵察ではないだろう。
要は少女が、それ相応の重要人物であるという可能性を示唆しているのだ。まさか本名という事もないだろうが。
「まぁ、要するに貴女も俺も、何も見なかったということで。宜しいか?」
わざわざ面倒事に首を突っ込むこともあるまい、とトウカは判断する。
「見なかった……そうか、助かる」
そう言って、少女……リディアは恩に着る、と野性的とも武断的とも取れる笑みを浮かべる。
「では、夜営の準備をしますかね……」
トウカは軍刀を杖代わりに立ち上がると、部屋の隅まで移動して置かれていた背嚢を漁り、寒村の家々を漁って手に入れた旅の必需品を取り出す。背嚢には基 本的に食糧や小道具などが入っており、トウカの旅を支えてくれた。驚いた事に《ヴァリスヘイム皇国》の民間の生活水準は同じ頃の《大日連》の時代と比較し
ても非常に高かった。魔術があり人道的意識が低いという点を考えれば、決して居住しやすいという訳ではない様子だが、今のトウカにとって思っていたより日 本の生活水準に近いという事実は実に喜ばしいことである。
「もうじきベルゲンに着くからな。今日は豪勢な食事といこうか」
目的地に近い今、食糧の配分を考える必要はない。少々の贅沢くらいは問題ない。むしろ、ベルゲンに到着すると食糧を使う事がなくなるので腐らせてしまうかも知れない。今、到着時に使い切るくらいの方が良い。
「で、魔人で旅人なリディアさんは嫌いなものはありますかね?」
「呼び捨てでいい。私も御前を名で呼ぶことにする」
「面倒だ」と断言するリディアに、トウカは黙って頷く。
リディアは明朗闊達にして公明正大な少女だ。虚実を排した簡潔な物言いと、その立ち振る舞いを見れば嫌でも分ろうというもの。そんな者を、トウカは決して 嫌いではない。寧ろ好ましいと考えていた。武断的な性格は祖父を見ているようで楽しく、自身にない苛烈さと裂帛の意志を持つ者を頼もしく思う気持ちもあっ た。
「そうは言っても火がないと水すら作れないが……」と、トウカは溜め息を一つ。
結局のところ調理を開始するには、ミユキが持ち帰るであろう薪を待つしかない。
室内とは言え、火を焚いていない事もあって肌寒く、二人は外套を纏ったまま対面に座る。無言であるが、トウカは居心地が悪いとは思わなかった。寧ろ、ミユキとはまた違った安らぎを感じた。ある種の気安さである。
だが、リディアはそうは思っていない様で所在なさげに視線を彷徨わせていた。
「なぁ、トウカ――」
リディアがそわそわした様子で、トウカを上目遣いに見上げてくる。
あの戦野で見せた猛々しいまでの戦意を感じさせない一面は可愛らしくもあった。だが、なんだ?と微笑んでみせるトウカの耳に届いた言葉は恥らう乙女のものではなかった。
「私と戦ってくれないか?」
その笑みは麗しき乙女のものではなく、猛き戦女神のものだった。
リディアはトウカという少年を計りかねていた。
浮世離れした雰囲気や、その異質な剣技。そして掴みどころのない性格。全ての要素がまるで噛み合っていないような印象を受けた。恐怖や憧憬とはまた違っ た佇まいを見せるトウカ。まるで現実感のない存在だと思えることは、リディアにとって初めてのことである。その勘の良さも侮れない。自身が面倒事の中心に 近い人物であることを察して、致命的なまでに関わる事に一線を引く構えを見せていた。
その正体を突き止めようなどとは思わない。命を助けて貰った恩もあるが、それ以上に互いに詮索はしないとの約定がある。
「強い者と刃を交えるのは本望……それにトウカの剣技を私は見てみたい」
それは紛れもない本音であった。リディアは軍人としての道を選択して以来、多くの剣技を好むと好まざるに関わらず目にしてきた。
だが、トウカの扱う剣技は見たこともない。何処かの流派の片鱗さえ窺えなかった。
そして何より扱っている刀剣もリディアの知るものではなかった。湾曲した刀剣は《スヴァルーシ統一帝国》軍が正式採用している突撃剣や、リディアが扱う 長剣とは似ても似つかないものだった。《瑞穂朝豊葦原神州国》の武士が扱う“カタナ”と呼ばれる刀剣に形状は似ているが、特徴であるはずの波紋がない。魔 装騎士などという硬装甲目標を切り裂いたにも関わらず傷一つなかった
気になる。或いは、トウカの存在以上に。リディアは《スヴァルーシ統一帝国》が第十三帝位継承であり、同時に……いや、それ以上に武人なのだ。
「……絶対嫌ですが」
「嫌って……子供じゃないんだから私と戦ってくれ。私と戦って損はない。そうだろう?」
リディアの言葉に、一理ありますが、と唸る。
トウカを助ける為に一度、離脱した戦野に再び戻ろうとする程度には無鉄砲だが、状況を正確に判断できる目は持っていた。その上で、無鉄砲な行動を取るのだから余計に始末に負えないのだが、本人はそれに気付いていない。
トウカは魔術に疎い。正確には魔術という技術大系の一端を使用する兵器を含めた全てだ。そうでなければ魔導甲冑に斬り掛かろうなどとは思わない。甲冑の構造上の隙間とて、近代突入より魔術的に防護されている。隙などないのだ。
魔導騎士とはそれ程に強力な兵種なのだ。長砲身の魔導砲と、同じ魔装騎士を切り裂く為の大型魔導長剣を装備しているが故の強力な武装、対魔術、対物理術式を編み込んだ迫撃砲の直撃にも耐え得る強靭な装甲。そして、機甲戦力と共に運用できる程の機動力。
技術的には、戦車と双璧を成す陸上の王者……それこそが魔装騎士だ。
そんな魔装騎士と唯の人間でしかないトウカが斬り合う? しかも、トウカには全く魔力が感じられない。冗談としか思えない戦果である。
「戦ってくれるな?」
「……まぁ、良いが。だが、魔術など使われては勝ち目はないし、あの膂力で押し切られては勝てるとも思えん」そう顔を顰めるトウカ。
人間種と魔人種には大きな差がある。有する魔力や体力、膂力……見た目は同じであっても、より戦闘に適しているのは魔人である。実際、装備が同じであれば一人で一個小隊程度の働きは期待できた。
「私は武人だ。同じ条件で戦うに決まっている」
「相手に容赦するのは武人として許容できるのか?」
トウカは驚いたような顔をする。その言葉から察するに、彼は“道”を理解してはいるのだろう。
「本来ならば戦いに於いて手心を加えるなど言語道断だが、同じ条件で剣技を競ってみるのも悪くないと思うのだ。……それにトウカは武人としての矜持はないのだろう?」
それは、話している内にリディアもそれとなく感じられた。矜持を感じない在り様は感心できないが、あれ程の戦技を持つ以上、何かしらの依って立つところがあるのだろう。
――武人の矜持ではない依って立つところ、か……
リディアには及びもつかない事である。だが、他者の戦う理由に口を挟むことは、リディアの騎士としての矜持が許さない。
「まぁ、戦えば分かること」
拳で語り合う人種というものが往々として存在するが、世の中には刃で語り合う人種も存在する。そんな稀有な者にであったトウカは運が良いのか悪いのか判断の迷うところだが、戦機に逸るリディアにはそのようなことはどうでも良いことであった。
「本当に戦うのか? 正直に言うが、凄まじく面倒だ」
トウカは淡雪の降る雪原で太陽の髪と身の丈ほどの大剣を持つ少女と相対する。少女は大剣を雪の地面へ突き刺し、裂帛の戦意を以てして少年に応じる。
「無論! 騎士は剣戟で語り合うもの」
「先程は旅人と聞いたがな。何時から騎士となったのか」
何時の間にか神殿で職業の再選択でも行ったらしいリディアは、戦意を漲らせている。別に語り合うだけであれば、刃でなくとも言葉で十分だと思うのだが、それを出来ないからこそ騎士であり不器用者なのだろう。
そして、そんな大莫迦者は嫌いではない。
トウカは腰に佩用した軍刀を抜刀する。
差し込む陽光を受けて、煌めく、怜悧な切っ先。だが、何より目を惹くのは、刀身部の側面……平地や鎬、鎬地面と呼ばれる側金が深淵の如き漆黒に彩られていた事であった。
古来、地域、大陸、国家を問わず、剣とは人の心を写す鏡である、という格言が存在する。それは、剣が古よりの力の象徴であったからこそであった。また冶 金技術の問題で生産性が低かった為に他の武器と比して希少性が高く、騎士などの高位の戦士しか所有していなかったことから、同時期に運用されていた棍棒や 鉾とは一線を画していたからでもある。
しかし、トウカの軍刀は心を写す事を拒むかのように漆黒に彩られている。或いは、トウカの心が漆黒そのものなのか。
「やはり、黒……か。魔導術式が刻印されているからかと思っていたのだが……」
リディアも幾度か目にしていたその刀身であったが、改めて見るとその異質さは大きくなる。相対しているリディアにはあらゆる意味で、自らの意志を隠そう としているかのように見える。対するトウカは、その漆黒が野戦時に刀身に光が反射して早期発見されたり、狙撃の対象となる可能性を低減させるために過ぎな いことを理解していた。
一度振り払い、鞘に戻す。
両足を広げ、右手で鞘を握り、左手を柄に添える。
抜刀の構え。
居合という者もいるが、トウカの流派では居合と抜刀は別物とされている。元々、居合とは刀を抜く技術のみに限らず、正坐の状態から繰り出す技の事も指し ている。居合が抜刀術の意味として捉われる事となったのは、多くの抜刀術の流派が座った状態での抜刀技術を重視していた為であった。故にトウカの流派では 立った状態で行う技を抜刀と呼び、座った状態から行う技を居合と呼ぶ。
そして、最速の剣技こそが抜刀の本質なのだ。
しかし、抜刀にはかなりの速度があり伸びもあるのだが、片手打ちである為にどうしても両手で構えた際の威力には及ばず、先手を打ち牽制の為の剣技として積極的に扱うものではないと考える流派が多い。
だが、トウカの流派は逆であった。唯、只管に速度を求めた結果である。
「それが……トウカの構え……」
リディアは興味深そうに呟く。
その驚きは当然で、湾曲していない直剣を扱う文明圏には抜刀術という概念すらない。リディアの剣技はどちらかと言えば西洋のものに近く、扱う武器もまた同様であった。
西洋と東洋の剣術には大きな差がある。前者は体力を、後者は技術を優先している点がその最たるものと言える。向上させようとする部分が根本的に違うからこそ、両者の戦い方には大きな差が出る。二人の戦いは東と西の剣術の戦いでもあるのだ。
リディアも大地から大剣を引き抜く。
右手で大剣の柄を掴み、左手は鍔の部分から刃に対して垂直に伸びたもう一つの柄を握り締める。剣把と呼ばれる《スヴァルーシ統一帝国》独自の装備で、突 撃の際に体勢を保持し易く、真っ直ぐに突く事ができる。加えて、敵を突いた後に刃を引き抜き易いという点がある為、《スヴァルーシ統一帝国》軍では前衛を
務める突撃兵を中心に配備されている。無論、周辺諸国でも運用されており、現状でリディアが使用していても不思議ではない。
前屈立ちで刃を地面から水平に構え、《スヴァルーシ統一帝国》軍の基本的な突撃体勢を取るリディア。
両者共に攻撃的であり、最速の構え。
「参るッ!」
「御自由に」
二つの影が駆ける。
雪原の雪が二人の凄まじい脚力で巻き上がり、白煙の如く立ち上る。二人は磁力で吸い付けられたかのように直線に距離を詰めた。
リディアの烈風の如き刺突がトウカの心臓に迫る。
トウカの神速の如き抜刀がリディアの首筋に迫る。
抜刀術は、活人剣としての武道の最高峰に位置するものであると考える流派もあるが、そのような実戦に何ら寄与しない理由ではなく、トウカの流派は現実的な理由から抜刀術を重用した。
狙うは急所。首筋。気管を浅く切り裂き呼吸を絶ち、尚且つ首の骨には刃を接触させない様にすることで刃の損傷を抑える。致命傷であるが即死ではないが故に、本来は反撃を抑える為に蹴り倒すまでの動作が基本である。
だが、互いの刃は相手へ届くことはない。
軍刀の一閃は、リディアが地を這う様に踏み込んだ為に空を斬り、大剣の刺突はトウカが身体を右に体を捻って抜刀に威力を持たせようとした為に空を突く。
抜刀によって振り抜かれ、上段の位置にある刃を返し、再び首筋目掛けて右斜め上から袈裟掛けに斬り下ろす。
技の成功の成否に関わらず連撃となるように運用することがトウカの流派の剣術。トウカの扱う抜刀術とは複数の剣技を指す言葉でもあった。
しかし、一呼吸早く、リディアは大剣の質量すら利用して後退してみせる。才能に愛され、勘に恵まれたからこその回避運動。
トウカは間髪入れず、リディアの懐へ踏み込まんと追撃に移る。
日本刀という武器は速度を至上とする刀剣であり、大太刀や野太刀などを除いて基本的には長期戦に向かず、短期決戦が前提の戦技ばかりが主体となっている。切れ味を保持し続けられない為に、継戦能力に合わせた剣技のみが考案され続けたという理由からであった。
故にその剣技は神速の名を冠する。
それでも尚、リディアはその刃を左へ傾かせることで避けてみせる。
リディアの体捌きは天性のものであると、トウカは理解していた。動体視力や直感に関しても同じだろうが、打つ手がない訳ではない。要は相手にとって予想 外の事をして見せればいい。予想外の出来事に間髪入れずに対処できる者は少なく、対処するまでに一瞬の隙ができてしまう。
――甘いッ!
トウカは軍刀を反回転させて大地……いや、リディアの右足の甲を切っ先で突こうとする。
リディアが履いている靴には脚甲という鋼鉄製の防具が付いているが、トウカの軍刀であれば遅れた文明の鉄など容易く切り裂けるだろう。事実、魔導甲冑は簡単に切り裂く事ができる。だが、リディアはその様子を見ていたので、軍刀の異常な切れ味を理解してもいた。
リディアの右足の膝が軍刀の平地……刀身側面を蹴り上げたことで狙いが逸れる。
雪原の地面に刺さる軍刀。そんな致命的な隙をリディアが見逃すはずもなく、その重量故に下段に構えられていた大剣が唸ろうとしていた。軍刀を引き抜いて 防御へと回す暇はなく、そもそもリディアがあの怪力を使えば押し切られることは目に見えている。使わないと言われて信用する程、トウカは善人ではない。
今、正に斬り上げんとしているリディアの大剣。
だが、それも予想していた。下段に構えている大剣の剣身諸共に、左脚でリディアの腹部を蹴り上げる。
足蹴と呼ばれるタイ捨流剣術の組太刀の一つであった。敵の刀身を左脚で蹴り、後方へと押し遣やることで敵の構えを無理やり崩す戦技だが、生身の足で鋭い刀身を蹴り上げる為に、失敗すると自分の脚の指が切れて弾け飛んでしまう可能性がある。
トウカは何も大剣を狙って蹴り付けた訳ではなく、あくまでも腹部に被害を与え体勢を崩させる事が目的であり、その勢い故に大剣まで蹴ってしまっているに 過ぎない。無論、脚の指を失う危険を恐れず立ち向かう度胸、そして刃ではなく刀身の切れない部分を無駄のない動作で蹴り上げる反射神経を、常日頃から鍛え ているからこそ初めて可能といえる戦法だった。
押し戻された大剣が地面に刺さり、気を取られたリディア。通常であれば蹴られても地面に刺さることはないが、大剣の長さゆえに大きな隙ができてしまう。
一歩下がりながら軍刀を引き抜き、正眼に構えて、三連撃の突きを間髪入れずに繰り出す。刀先を横に寝かせ、三連続で繰り出されたその突きは、神速と呼ぶに相応しい速さで、一つの動きにすら見える。
リディアは身体を左に傾けそれを危ういところで躱すが、流れるように動いた金髪が幾束か宙を舞う。この剣技が避けられるとはトウカも考えていなかったので驚いたが、この技はここで終わりではない。
三回目の突きを引かず、寝かせた刃を横に振り払う。狙うはリディアの首筋。
「――――――――ッ!」
身体を傾けた上に、大剣が地面に刺さった状態で真横から迫る白刃にリディアが対応できるはずがない。
だが、トウカはリディアがそれを凌ぐこと、直感とでも言うべきもので察していた。