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  第二三・五話   動乱の足音  

 

 

 

 

「ミユキ……」

「そ、そんな目で見ないでくださいよぅ。出来心だったんです!」

 トウカの冷たい目線に、ミユキが狼狽える。

 そのミユキの手には、ハイゼンベルク金貨が詰まった麻袋が確りと握られていた。

 宿から逃げ去る際の混乱に紛れて奪って来たのだろうが、トウカが必死に逃げる算段を考えていた時、ミユキはどの様に目前の一個増強師団と同等の価値を持つ金貨を失敬するか考えていたのだ。トウカの心中は複雑であったが、将来、家庭の財政が安泰であると前向きに捉えた。

 ミユキが、この程度では足りない、とハイゼンベルク金貨が詰まった麻袋を見て憤慨して見せたが、或いは、レオンディーネが更に金額を上乗せできるか見極める為ではないのか、とすら邪推してしまう程に手際が良かった。事実、そうなのだろう。

「でもでもッ! 武器を買ったから資金も心許なかったですし……」

「確かにな。だが、その小さな麻袋一つで一個増強師団を新設できる金貨……一枚でもそう簡単に換金できないはずだ……出来たとしても宜しくない連中に目を付けられては敵わない」

「でもでもっ、お金が少ないです……」

 ミユキが尻尾を垂らす。

 そのような心配をさせてしまうとは男として甚だ情けない限り。そう、トウカは考えていたが、今はベルゲンより離れる事を何よりも優先せねばならない。金策は一端放置である。

 既にベルゲンの防護壁を潜り抜け、北部へと歩を進めているが、騎兵や軍狼兵などの追撃を考慮すると距離を稼ぐに越した事はない。あの場にいた兵士達が、 トウカとミユキの会話を聞いていた可能性を考慮すると、北部へ行く事は露呈していると考える事が賢明であった。無論、そうと錯覚させて他の方面に捜索隊を 多く割かせる心算であったのだが、レオンディーネの思いつめた表情を思い出すと、そこまで頭を巡らせずに北部方面に捜索隊を全力投入するかも知れないと考 え直す。しかも、旗下には一個装虎兵中隊。侮れるものではない。

 二人は、北部へと続く道を足早に歩いていた。

 商隊の馬車に便乗させて貰うという手もあったが、この風雲急を告げる時期に、戦場へと様変わりする可能性の高い北部へ行こうという商人が善良であるとも思えない。武器商人や非正規品を扱う商人に近づくという選択肢は余りにも危険であった。

「さて、叛乱軍の勢力圏まで逃れる事ができれば一応は一安心、急ごう」

「う~ん、レオさんは追ってこないと思うんですけど……」

 ミユキが首を傾げるが、トウカは、その真意を理解できなかった。

 あれ程に苛烈な意思を見せたレオンディーネが容易く諦めるとは考え難いと、トウカは考えていた。噂の装虎兵に追い回される事を覚悟すらしていた。小銃を三点支持負い(スリング)という伸縮自在の帯革(ベルト)を用い、不安定な体勢からの咄嗟射撃が可能な様に両手で構えている。これは、トウカが武器屋の店主に頼み込んで製作して貰ったもので、建物屋上から降下してからの射撃や、銃床(ストック)を使用しない変則的な射撃姿勢の際、照準の安定に役立てる事ができる優れものであった。

 周囲は、唯只管に開けたミナス平原と呼ばれる土地で、遮蔽物は少ない。敵が少数であれば、長距離射撃で仲間を呼ばれる前に撃破できる。魔導障壁も咄嗟に展開できるものではない。軍装に編み込まれた防御術式も、拳銃弾(クルツパトローネ)程 度の弾丸の貫徹は阻止できるが、それでも衝撃までは防いではくれない。関節や装甲の間隙を狙えば確実に戦闘能力を奪える。皇国の場合、民間では稼働状態を 維持する事が難しい小銃などよりも、射撃魔術が盛んであるが、種族毎の固有術式を除く民間に流布している術式の威力には限界があった。魔導障壁を切断可能 な対魔導術式が刻印された刀剣が主武装となる事は当然の帰結と言える。

 ――最悪、殺すべきか。しかも遺体は残せない。埋めるしかないが、円匙(スコップ)がないな。

 まさか、ミユキに魔術で埋めさせる訳にもいかないと、トウカは最悪の事態を考えて、木製銃把(グリップ)を強く握り締める。

 今までは、否応なく状況に流させる形で刃を振るっていたが、以降は自身と愛しの仔狐の為に、自らの意思で障害を撃ち抜かねばならない。

 小銃の感覚は郊外で射撃練習を行って掴んだ。軍事教練を受けている為、基礎的な運用は容易であるが、魔導国家の小銃だけあり、トウカの与り知らぬ機構も存在する。本来は、射撃時の銃身の跳ね上がりを銃口制退器(マズルブレーキ)で抑えるが、風魔術の応用でそれを成しているという点は特筆すべき点と言えた。消炎器(フラッシュハイダー)の機能を併せ持つ消音器(サプレッサー)などの開発も進んでおり、それ等の事情で単価が高騰して評価試験(トライアル)から脱落したという噂を、武器屋の店主より、トウカは聞いていた。

「主様……」

 ミユキの手がトウカの頬に触れる。両手で頬を優しく包まれたトウカは、自身の顔が強張っていた事に遅ればせながらに気付く。異邦人とは仔狐を心配させてしまう星の下に在るのかも知れないと、苦笑する。

「何時も笑っている時も主様は、何処か翳があるんです。私だって護られているだけじゃ嫌です。私も主様を護らせて下さいね」

 顔を両手で包まれている為に、トウカはミユキの瞳から視線を外す事ができない。

 翡翠色の瞳は、優しげに揺れ、それでいて尚も気高い意志を宿していた。

 ミユキという少女はどんなことがあっても折れない心を持っている。レオンディーネとの交渉の際も、兵士達が纏う戦場の気配と、トウカの撒き散らす憎悪の只中にあって狼狽する事はなかった。それどころか、トウカの今後を考えて金銭の心配までしていた。

「助かる。……そうだな。少し昔話をしようか」

 話を逸らす意味も含めて、トウカは提案を一つ。幸いな事に、ミユキは常々、トウカの過去を気にする言動を見せていた。

 トウカは小銃を離し、ミユキの手を優しく握る。そうでもせねば壊れてしまうのではないかと恐れているかの様に。

 トウカは全力で庇護する。自らを無条件で慈しむ者を。

 それこそが、武勇や矜持を持ち合わせぬトウカの、決して譲る事のできない一線だった。

 レオンディーネに対し、無慈悲とも思える態度を見せたトウカであるが、その本質は冷徹であっても冷酷とは程遠くあった。民族性としての温厚さも然る事な がら、武門の一族としての教育の賜物であった。少なくとも、微笑を浮かべて礼節を保っていれば、不用意に敵を作る事もないというトウカ個人の打算に依ると ころも大きいが、それを知る者は当人以外に存在しない。

「俺の家族は祖父だけだ。両親は幼い頃に死んだ。まぁ、両親の死は本人達の行動の末の結果と聞いている。異論は挟まない」

 幼き日の印象が、辛うじて記憶の片隅にしがみ付いている程度の両親に対する愛情など抱きようもない。同情や憐憫を示されても、トウカは困惑しかない。

「…………………」

 トウカの言葉をミユキは黙って聞いている。そこには、同情も憐憫もなく、ただ好奇心だけが窺えた。生と死を強く感じるであろう戦乱の世界である以上、そ の死生観は戦時下に近い。何処かで誰かが斃れている。あまりにも身近な死という現象に対し、度々と過剰な感情を見せる事はないのかも知れないと、トウカは 感じた。

 ヒトという生物は、交友関係のない者の状況に対して酷く冷淡であるのだ。

 ミユキはトウカの事を知ろうと話し掛けてくる事が多く、トウカ自身は異邦人であると出自を少し語った程度であった。元いた世界……特に自身の過去につい て、未だ多くを語ってはいない。前者の理由は技術や発想の漏洩を恐れた事と、自らの知識が偏っていると自覚しているからであり、後者の理由は然して語る程 の中身がないと考えていた為である。

 だが、それでも今この時、トウカはミユキに自身を知って欲しいと思った。

 この死が満ちた世界で悔いなく生きる為でもあり、もしトウカが屍を晒すような事になっても、ミユキには忘れないで欲しいという利己的な考え方の産物であった。死して尚、生者を自身の意思で縛り付けようとする醜い感情。だが、それくらいは許されるだろうとも思っていた。

 ミユキも、これ以上ない程に、トウカを縛り付けているのだから。

「別段、何かがある生活ではなかったな。英雄と呼ばれた祖父は、実際のところは耄碌した御老体だった。後は、厚かましくも優しい幼馴染が一人。それがサクラギ・トウカの世界だった」

 今にして思えば、何とも小さくも脆い世界だったが、それでも尚、トウカの世界だったのだ。

 懐かしく、儚げに在りし日を仔狐へと話す。

 悲しくはない。ミユキがいるから。
 後悔はしない。ミユキがいるから。
 嘆きはしない。ミユキがいるから。

 それはある種の自己暗示でもある。

 新たな拠り所である仔狐は、トウカの過去を聞き逃すまいと狐耳をぴんと立てて興味深げに聞いている。こうも真剣に聞いてくれる程、自身の過去が愉快なものではないと確信していたトウカは、苦笑交じりに在りし日の出来事の中でも特段に愉快な出来事を語る。

 祖父が人間離れした膂力と武術で機動隊を圧倒していたこと。
 幼馴染に引っ張られて桜吹雪舞い散る並木通りを歩いたこと。
 三人で鍋を囲んで箸を片手に激しい攻防戦を繰り広げたこと。

 何気ない日常だが、今にして思えば、あれは確かに幸福な日々だった。それ以外の者達と関わる事を避けていたトウカだが、それ以外の者達を信用しなかった 訳ではない。だが、二人は特別であった。サクラギ・トウカという何処か屈折した人物を語る上で外せない要素であったのだ。そして、物心ついていない頃に両 親を喪ったという理由よりも、政戦両略を旨とする武家であった事が大きい。詰まるところ人という存在の醜さを知り過ぎていたのだ。

  情に絆され安易に他者を助けはしない。
  刃を振り翳す事に正当性を求めない。
  礼節を以て接する相手は極めて少ない。
  巡らす策謀は多くの者の目に触れない。
  有象無象の他者を信用することはない。

 そのような考え方こそトウカの根底を成すもの。人間不信とも取れる考え方であるが、それらの基準に支えられた考え方をしているからこそ、トウカはこの世界に於いて心身共に(こわ)れる事はなかった。

「だが、奪われてしまった。そして、見知らぬ異世界に流れ着き、異邦人(エトランジェ)となった」

「主様……でも私は――」ミユキの言葉を片手で遮る。

 既に後悔はない。後悔したとしても、在りし日への回帰は叶わないという事実以上に、最愛の人と共に同じ道を歩いているという事が何よりも重要。祖父も幼 馴染もトウカがいなくなったとしても勇ましく生きて往けるだろう。トウカは、心配などしていない。したとしても当人達は、余計な気遣いだ、と笑い飛ばすと 断言できた。

 だからこそトウカは、前を見据える。

「――俺はこの世界で生きる。御前と一緒に」

「主様……」

 悲しみと嬉しさが同居した表情を浮かべたミユキの肩を抱く。

 ミユキは、トウカを好きだと言った。だが、トウカはその想いを口にしたことはなかった。故に想いは伝えねばならない。

「好きだ、ミユキ。誰よりも」

「はいっ! 私も大好きです!」

 擦り寄るミユキ。

 二人の行く先には、無数の動乱が待ち受けているが、この時だけは笑顔で歩き続けることができた。







「今日は野宿せずに済みそうだな」

「はいっ! 守備隊の駐屯している村なら安心です」

 仔狐と異邦人は、村の通りを歩きながら笑みを零す。

 街道沿いに政府が設置した宿泊所が存在しているとはいえ、寒さを完全に凌ぐ事はできない。幸いなことにミユキの耳は、トウカよりも遙かに優れていた。野 外の人が雪を踏む音まで聞こえるらしく、就寝していても異変に気付くことができる。レオンディーネの迫撃は叛乱軍の勢力下に入った事で警戒する必要はなく なったが、どちらにせよミユキに頼り続けることは避けたいと、トウカは考えていた。男の矜持云々の問題ではなく、ミユキの負担を考慮した上で、このアルム スという村へ寄ろうと判断したのだ。

「でも、良かったんですか主様。少し大街道から逸れちゃいましたよ」

 不安げな表情をするミユキの頭を撫でる。安易に言葉を紡ぐよりも、こちらの方がミユキは安心すると知っているのだ。

 確かに目的地への到着は遅れるが、皇国の文化や風土に興味があり、少々の寄り道であれば気にする程ではない。寧ろ、旅の最中の味気ない食事から逃れられるならば大いに結構であった。

「追っ手があるなら主要街道から離れるのは間違いではない。それに疲労も無視できない」

 叛乱軍の支配地域に入った以上、迫撃の可能性は低い。索敵を意図した程度の戦力であっても、双方が逐次投入を繰り返して大規模な衝突にまで発展する事は 歴史上、然して珍しい事ではないのだ。男の為に兵を動員し、軍が被害を蒙る可能性を増大させる程、レオンディーネは無能ではない。

 頭を撫でられて気持ち良さげな表情をしているミユキを尻目に、空腹を何で満たそうかと思案する。幸いな事に、この村は小さな都市程の規模があり、露店や屋台が通りを賑わせていた。中には食欲をそそる匂いをさせた屋台も見受けられる。

「ミユキは何が食べたい?」

 どの様な料理があるか知らないトウカは、初見の印象だけで食べるものを判断せねばならないので、外れを引く可能性があった。ミユキに選ばせた方が良いという判断と、どうせならばミユキの好みを知っておきたいという理由があった。鼠以外であるが。

「ん~、串焼きと焼魚がいいです。一緒に広場で食べましょうね」

「あ、ああ……」

 ミユキは幾度かこの村へと訪れた事があるらしく、露店の老夫婦や屋台の親父達から、行く先々で声を掛けられている。何度か訪れただけで、これ程の者達に 声を掛けられる様子を見れば、ミユキという少女がどれ程に人々に好かれている事が分かる。全ては、その純真さと陽光の如く暖かなその雰囲気に依るところか も知れない。実際に、共に過ごしているからこそ良い娘だと理解できる。この世界の道徳を持ち合わせていない為政者達に、ミユキの爪を煎じて飲ませてやりた いと、トウカが思う程であった。

「親父さん親父さん、この串焼き高すぎると思います、安くしてくださいよぅ」

「ええっ、嬢ちゃん、そりゃ、勘弁してくれ。ウチはこれでも……」

 笑顔のまま強引な値切りを始めたミユキに苦笑する。天真爛漫斯あるべしという表情のまま、鬼の値切りを敢行するミユキは少し恐ろしいものがある。

「嬢ちゃん鬼だな!」

「浮気男より鬼のほうが可愛いですよ?」

「な、何の話だ?」

「おかみさ~ん。ご主人から他の雌の匂いが――」

「二割引きだ!」

「おかみさ~ん?」

「半額だ! 半額で勉強させていただくぞ!」

「……………………」

 トウカは空を見上げる。

 ――平和だな……

 夫婦喧嘩の声を耳にしながら、トウカは、良い事です、と深く頷いた。










「あれは……」

 二人は広場の隅に居座る鋼鉄の塊を見上げる。

「戦車ですね……街中にいるなんて不思議です」

 トウカはミユキの言葉に、眼前の鋼鉄の塊が戦車なのだと納得する。確かに車輛前面から二門の砲身が突き出ており、戦闘車輛であると実感できる。側面には車載機銃用の銃眼があり、子供達がぶら下がって何処か場違いな雰囲気を醸し出していた。

「固定砲に銃眼……旋回砲塔は未搭載か……」

 戦車という概念は旧文明に存在しなかった。

 無論、トウカが文献を漁った限りであって、存在していた可能性は否定できないが、主要な文献に記載されていなかった以上、鋼鉄の野獣は陸の王者足り得なかったのだろう。

 ――陸上戦艦なんて代物があったらしい事を踏まえれば、当然と言えば当然、か。

 科学の発展により、それまで主力であった兵器が、一夜で旧式化する事など歴史上では何ら珍しい事ではなかった。《大英帝国》海軍の弩級戦艦(ドレットノート)然り、《アイヌ王国》の火縄銃(エウシアペカムイ)然り。

「中々な代物だな。上手く火器が配置されている」

 見た限りでは履帯もトウカの知る第一世代の戦車のものに比べて広く設計されており、砲身もそれ程に短砲身ではなかった。至らない点は多いが、皇国の文明 規模を考慮すれば、かなり優秀な設計がなされている。機甲戦よりも鉄条網を破り歩兵を支援するという発想に基づくものである事は容易に想像できる。トウカ が知る戦車と比較してかなり大きいのは、歩兵の搭載も考慮しているのだろうと後部の降車口を見る限りではそう思えた。

「ほう、若造……コイツの良さがわかるか?」

 戦車の上面の車長用司令塔(キューポラ)から黒 を基調とした開襟の軍装を身に纏った中年男が顔を出す。その頬に傷を持つ顔は、軍人というよりも極道を思わせる風体で、ミユキが思わず警戒するが、トウカ は尻尾を引っ張ってやめさせる。祖国の為に、いざ事があれば死地に赴かねばならない軍人に礼を失した態度を取る事は好ましくない。周囲の目がある状況では 特に。

「良い戦車です。惜しむべくは集中運用されていない事ですが」

 街中に一輌だけ周囲を威圧するが如く停車している有様から、大規模な装甲部隊として編制されていないと見当が付く。

 戦車とは、高火力を迅速な機動力で展開できる極めて有用な兵器に他ならない。戦車を中心として高度に機械化された部隊は、それ相応の通信設備と航空戦力 の支援を受ける事で、他の兵科の追随を許さない高機動打撃戦……電撃戦が可能になる。特に遮蔽物のない平原などの戦場では圧倒的な戦力と成り得る。そんな 兵器である戦車が、遮蔽物ばかりの居住地に一輌で居座っているのは不自然に過ぎた。

「民への威圧……匪賊への抑止力という訳ですか?」

「えっ、私は子供の遊具かと思いました」

「……もしかして皇軍装甲部隊は市井に嫌われとるのか?」

 むすっ、とした顔で不機嫌になる極道戦車兵。

 実際のところ、戦車を遊具代わりに遊んでいる子供達の表情は年相応に無邪気なもので、市井に嫌われているなどという事はなく、概ね好意的に捉えられた。遊具として。

「まぁ、冗談はさておいてだな……。戦車がここで飾りに甘んじとるのは、匪賊どもに対する牽制って事だ、坊主」

 野生の肉食獣を思わせる豪快な笑み。鋼鉄の野獣を駆る男もまた野獣なのだ。無論、小さな物事に拘る様には見えないが、精密機械の塊である戦車の運用を任されている以上、それ相応に思慮深さも持ち合わせているのだろう。

「実際は戦車なぞで賊を追う事はできん。しかも一輌となれば、な」

「同意します。戦車はそれのみで部隊を編成してこそ意味があります。敵の前線の一点を強襲し、友軍の突破口を開き、危機に陥った友軍戦線の火消しを行ってこそでしょう」

「ほぅ……」

 驚いた様子でトウカを見つめる極道戦車兵。睨まれている様にも見える為に、ミユキが背中に隠れてしまう。

 極道戦車兵は、トウカをただの民間人であると思っていたのか、笑みに翳ができる。

「打撃力ならば魔装騎士や装虎兵がおるし、機動力ならば軍狼兵や龍騎兵がおるぞ。どちらも半端にしか持たん戦車などお呼びではないって事だ」

 悔しいのだろう。その手は震えている。だが、戦士に慰めの言葉など意味を成さない。そのやり場亡き憤怒は、戦果によってこそ雪がれるべきもで、異邦人の口先で癒されるものであってはならないのだ。

「時代です」

「時代?」

 思ってもみない言葉を聞いたと、極道戦車兵の顔が言っているので苦笑する。リットベルクのような思慮を持つ者はそうはいない。

「そうです。全ては時代が求めるか否かですよ。天帝陛下でも貴官でもありません」

「ふむ……では、若造は、いつか戦車が活躍する時代がくると?」

「その時代を手繰り寄せるのは、戦車兵たる貴官の勇戦次第です」

 突き放したような言葉。或いは激怒される可能性を秘めた言葉でもあったが、その時点で思考が止まってしまうならば戦車兵としては失格。冷静さと即断こそが戦車兵に求められる資質に他ならない。

 だが、極道戦車兵の反応はトウカの予想したものとは違った。

「ふはははっ! 面白い事を抜かす若造だな! 要は俺の努力次第で何とでもなるという訳か! 愉快ではないか!」

 極道戦車兵が笑う。トウカは苦笑で応じる。

 言葉では表現できない戦士としての意志を感じた。この様な兵士は、亡国の淵にあっても尚、最後の時まで死を恐れずに刃を振るい続けるだろう。レオン ディーネといい、リットベルクといい、どうも皇国という国は将兵共に苛烈な意思を持っている様に、トウカには感じ取れた。その様な者達は、往々にして貧乏 籤を引かざるを得ない状況に追い込まれる。だが、それでも笑って貧乏籤を引こうとする。始末に負えない大莫迦野郎と言えた。

 だが、トウカは、そんな大莫迦野郎が嫌いではない。

「国でもない。民でもない。ただ自分の意志を貫徹せん……」

 祖父の言葉を思い出す。

 究極的に考えれば人とは自らの意思こそを至上として行動する。それは決して悪い事ではない。何かを護りたい。誰かを護りたい。誇りを護りたい。無条件に 人を従わせる事は不可能であり、そこにはそれぞれの個人に合った理由が必要となる。国家が与えるのは法的、民族的な理由であって、個々人の為の理由は与え てはくれない。そして自らが望んで得た理由がなくては、人は全力で戦えない。

「ん、何か言った痛痛痛痛ッ! 糞餓鬼共、髭を引っ張るな!」

 子供達の襲撃を受けた極道戦車兵の悲鳴に、ミユキが自身の尻尾を抱き竦める。引っ張られると思ったのだろう。

 もう語る事はない、とトウカは踵を返す。こうも堂々と顔を見せながら言葉を交わしたにも関わらず、然して変化を見せない事から指名手配されてはいないと確認は取れた。十分に目的は果たした。

「若造、逃げるな! 助けんか! 敵前逃亡は銃殺けい痛痛痛痛ッ!」

 戦車の上から救援を求めてきた声を無視する。国民を敵扱いするのは軍人として如何なものかとは思うが、個人としては攻撃機(ヤーボ)対戦車擲弾筒(パンツァーファウスト)よりも子供が天敵なのだろう。トウカも理屈の通じない者と会話すると言う点に於いては同様だが、あしらう術は知っている。

「主様――」

 ミユキの声にトウカは我に返る。女性の相手を忘れて中年の戦車兵との会話を優先してしまったことに後悔する。

「済まない。つい夢中になった」

 むむっ、と狐耳を立てて唸る仔狐に謝る。

 この世界の軍事や政治は特殊なものが多く、見て学ぶ分には十分に楽しく、魅力的なものであった。無論、当事者になりたいかと問われれば否と断言できる。政治も戦争も第三者だからこそ楽しめるのだ。

「むぅ……」

「勿論、今はミユキに夢中だぞ?」

「むぅ……」

 仔狐は恨みがましい唸り声を上げる。頬が僅かに赤くなっているのは気の所為ではないだろうが、あからさまな台詞では機嫌を直してはくれない様だった。

「なんだ、若造は女に弱いのか、うははははッ! 痛痛痛痛痛ッ!」

 無邪気な暴君たちの猛攻に晒されながらも、笑う極道戦車兵。かなり腹立たしいが、否定できる様相が全くない以上、笑顔で無視するしかない。

「子供達、その極道……もとい、戦車兵のオジさんの髭はどれだけ引っ張っても切れないんだよ? 試してみようか?」

「なっ、テメェ! ……痛痛痛痛痛ッ!」

 子供達がトウカの言葉の真偽を確かめようと、極道戦車兵の髭を引っ張り出す。

「さぁ、悪は去った。何処かで昼食にしよう」

 仔狐の手を取り、中年の悲鳴と子供達の無邪気な声を背に広場を歩き出した。









「主力の集結には時間が掛かりますな」

「仕方ないわ。戦力の逐次投入による戦況の泥沼化はどうしても避けたいの」

 リットベルクの言葉を、アリアベルは受け入れる。

 二人は今、ベルゲンより北方の平野部であるミナス平原に集結しつつある軍勢を、小高い丘から見下ろしていた。

 皇国陸軍の基本軍装色である国防色の兵士達が雪原の中を激しく移動している。各国の軍は、活動地で将兵の行動を十全に生かせる軍装を支給している。砂漠 地帯では通気性を考慮した軍装で発汗を抑え、寒冷地帯では凍傷による被害を抑える為……軍が想定している戦場の機構や地形の影響を最大限に利用、若しくは 軽減できる様な工夫がなされていた。戦わずして将兵を損なう事は、どの軍であれ忌避されているのだ。

 皇国軍の中でも寒冷地帯などの冷帯気候が訪れる戦域の将兵の軍装には、一様に防寒術式が編み込まれている。無論、この術式だけでなく、対物理術式や対魔 導術式などの複数の術式も編み込まれていた。当然であるが、これによって軍装のみで何十倍もの費用が掛かっている為、皇国軍以外で総員の軍装への術式付与 は行われていない。この軍装の為、皇国軍は過酷な地形や気候であっても、他国の軍勢にと比して行軍速度の低下が少ない。戦闘時の負傷者数や戦死者数も同様 であった。

 そして、アリアベルが着用している巫女服と千早も同様である。天霊神殿御禁制の高位術式が編み込まれており、更に強力な能力を有している。

「爺やは、戦力を投入する時期についてはどう思う?」

「戦力が終結次第、可及的速やかに、ですな」

 リットベルクが片目を瞑って、茶目っ気のある仕草で告げる。

 純軍事的に考えれば、それ程に難しい話ではない。

 叛乱軍の総兵力は現時点で約五万五千と予想されているが、アリアベルが編制を命じた征伐軍の総兵力は、現時点だけでも一〇万を越えている。兵力で圧倒し ている上、練度と装備でも国軍主体である征伐軍が上回っている。負ける要素などない。しかし、中央貴族の政治的干渉が増す現状を考えれば、残された時間は 少なく、可及的速やかな進軍が好ましい。

「皇国各地より、兵が終結するのは一ヶ月以上、掛かるでしょうな。それまで貴族共を姫様が抑えきれば我らの勝利。叶わねば叛乱は継続……天帝不在の混乱と共に国を蝕み続けるでしょう」

「そうね。陸海軍の長官が一時的にとは言え、私を支持してくれている以上、軍事的混乱は避けられるでしょうけど、貴族の混乱を抑えなければ国は傾き続けるものね」

 アリアベルは、儚げな笑みの張り付いた顔で溜息を吐く。

 皇国の政治体制が原因で軍事が政治の影響を受け過ぎている以上、政治を主導している貴族の発言により軍部が混乱を生じることは避けられず、双方の間に第 一皇妃たるアリアベルが入って緩衝剤とならねばならない。そして、今は叛乱の早期鎮圧を以てして周辺諸国に皇国の軍事力未だ健在なりという事実を示す事こ そが肝要で、また急務でもあった。

 ましてや《ヴァリスヘイム皇国》を取り巻く現状は激変しつつある。

 五日前、同盟国たる南エスタンジアより、帝国と北エスタンジアの混成軍である三個軍団……凡そ三五万に上る兵力による全面攻勢を受けたとの急報が皇国全土を駆け巡った。

 アリアベルは酷く取り乱した。

 帝国による同時攻勢。エルライン回廊とエスタンジア地域という二つの戦線への圧力。

 内戦中である為、陸軍に余裕はない。叛乱軍撃破の為、征伐軍の存在を黙認する姿勢の陸海軍府長官の意向も変化するかも知れないという恐怖。

 それを救ったのは二人の公爵であった。

 ケーニヒス=ティーゲル公レオンハルトが、自領の領邦軍から〈重装虎兵師団『インペリウス・ティーガー』〉を、フローズ=ヴィトニル公フェンリスから 〈大軍狼兵師団『カイザー・ヴォルフガング』〉を基幹戦力とした諸侯軍を編制。総兵力一五万を超える動員を以て応じる事を宣言。機動力に優れる装虎兵や軍 狼兵を主体とした部隊は先発し、鉄道輸送が開始されている。本来であれば、フェルゼンを経由する鉄道路線が最短距離であるが、ヴェルテンベルク伯マリアベ ルは、それを拒否。その上、鉄道鋤(てつどうすき)を使用して、北部までの路線を完全に破壊するという暴挙に出た。それでも尚、再配置に時間を要したものの展開自体は間に合う。元よりマリアベルが協力すると考える程に二人の公爵は楽観的ではない。

 鉄道鋤とは、鉄道車輛の最後尾に連結し、走行しながら枕木を巨大な(すき)で砕くという兵器である。地上での大規模輸送手段である鉄道路線を放置する危険性を認識したのか、その動きは極めて迅速であった。

 結果として、征伐軍の叛乱軍鎮圧という当初の目的は継続する事ができた。

 少なくない数の征伐軍部隊は、当初、エルライン回廊救援の為に差し向けられた。しかし、部隊が北部に差し掛かろうという状況で帝国軍は謎の撤退。状況の 推移を見て判断するという現状維持の決断の結果、蹶起軍も喉元に刃物を押し付けられた状況を良しとするはずもなく、両軍は膠着状態となり戦線が形成され た。

 この五日間の流動的な事態は、アリアベルの想像を越えたものがあった。

 全軍を後退させ、別の移動経路で征伐軍をエスタンジア地方へ投射するべきかとも苦悩したアリアベル。余りにも時間を要する上、眼前の蹶起軍が他地域へ進出する構えを見せた場合、それを抑止する事が難しくなる。

 結果として、アリアベルや征伐軍に大きな影響はなかった。

 レオンハルトやフェンリスの思惑は不明であるが、中央貴族の戦力が前線に張り付けられたという点は、アリアベルからすると好機でもある。

「しかし、巫女服のままで宜しいのですかな?」

 リットベルクが何時も通りの優雅な笑みで尋ねるが、その視線は鋭い。

 アリアベルもその言葉の意味するところを察して溜息を吐く。

 現在のアリアベルの立場は極めて微妙なもので、正確には大御巫ではなく第一皇妃でしかない。これは、皇国の政教分離の原則の為に、双方の肩書を兼任できない以上、当然の処置であり、歴代の大御巫(おおみかんなぎ)が当代の天帝の皇妃となる際には必ず実行されていた。

 天霊神殿の権勢が肥大化し、宗教組織からの圧力に国政が左右される事を恐れたが故に、初代クロウ=クルワッハ公によって提案された法律である。皇国政治が宗教勢力に左右される事を法的に防いでいた。

 しかし、どちらにせよ、宗教勢力が皇国で台頭する事はなかった。

 神が厳然として存在し、人前に現れて自ら神託を与える以上、神職に携わる者達の腐敗によって宗教が政治の道具と成り下がることは有り得ない。

 神の憤怒は人を貫き得る。
 神の悲哀は人を沈め得る。
 神の悦楽は人を殺し得る。

 確かに実在する神々を奉るが故に、神職に携わる者達は決して腐敗しない。唯人の世の救いとならんとしている為に、民は神々を敬い続ける。無論、これは天 霊の神々だけであり、帝国や神州国などの異教の神々を奉ずる国家の宗教は、また違った概念の下で運営されていた。神が実在するという事は、天罰が実在する という事に他ならず、神職者の腐敗は死を意味するのだ。

「天霊の神々は私に罰を与えなかった。それは、私の行いがより多くの者達を助け得るから……そう確信しています」

「成る程。なれば姫様には、皇妃と大御巫を兼務する資格があるのでしょうな」

 宗教の影響力は、皇国では政治や軍事の分野に於いて異常な程に少ない。

 先代クロウ=クルワッハ公爵の時代は、周辺諸国に於いて宗教という存在が民草を虐げていた時代でもあった。それを重く見て、天霊の神々以外の、人々の想念が作り出した幻影の神々に対する牽制として、政教分離の大原則は制定された。

 それが今、アリアベルの身を、皇国という国家を、これ以上ない程に縛ろうとしていた。

 それらを薙ぎ払い、アリアベルは、この戦乱の時代にあって祖国に(みち)を示そうとしている。

「ですが、貴族達は認めぬでしょうな」

 リットベルクの懸念は正しい。

 政教分離の原則以上に、大御巫の職権を乱用したアリアベルを臨時とはいえ、指導者と仰ぐには皇国の貴族達は清廉潔白に過ぎた。

 長命種(メトセラ)には、基本的に清冽にして厳 格な者が多い。人ではない二重螺旋(DNA) の因子をその身に宿しているという理由が学者達の一般見解だが、アリアベルは長命であるが故の慢心だと考え ていた。正しき行いをしていれば、少なくとも腐敗による自壊と、権勢喪失による廃滅は免れる事ができる。長命であるが故の膨大な経験と戦闘能力は、程度の 低い策略や戦略など容易く一蹴してしまう。

 長命であるが故の怠惰。
 長命であるが故の保守。
 長命であるが故の諦観。

 それをアリアベルは何よりも唾棄する。自らの手が血で穢れる事を厭うては貴族足り得ない。何故、時代の足音が聞こえないのか、と如何程に義憤を抱いた事 か。新たな時代が、各々の貴族の力だけで国体を護持できない程に激しいものだと、アリアベルは理解している心算であった。

 眼下に大軍を収め、第一皇妃にして大御巫たる少女は、千早を翻す。

「無論、貴族の言葉は全て無視します」

 アリアベルは厳然と言葉を紡ぐ。周囲の自身の騎士であるエルザや、アリアベルの考えに賛同して桜華皇旗の下に集った将官が、その決意に沈黙を以て耳にしている。

 政治的にも軍事的にも脆弱なアリアベルの権勢は、その自身の言葉によって大きく左右される。

 貴族の支持を得られていないにも関わらず、軍を動員したその手腕は今の皇国に必要とされるものであると皆に知らしめなければならない。

 故に自らの心の内を忌憚なく告げる。建前だけで人の心は動かない。本音を持ってこそ人は動いてくれると、アリアベルは確信していた。

 同胞(はらから)達の一人一人に視線を巡らせる。

「貴族が何だというのですか?
 宗教が何だというのですか?
 政治が何だというのですか? 
 私は天霊の神々と、散って逝った巫女達に誓ったのです。
 それを認めず、私の護国への意志を阻まんとするのであれば――」

 アリアベルの髪が氷雪交じりの風に揺れる。

 その決意の瞳にその場に立つ全ての同胞が姿勢を正す。

「――殲滅するまでのこと」

 それは、中立を保っている憲兵総監を処断し、アリアベルを支持する将官に挿げ替える事で憲兵隊を動員し、貴族を粛清することを厭わないという決意に他ならない。

「私は御国の護り神になって見せるわ」

 動乱の足音は、すぐ目前にまで近づいていた。

 

 

 

 

 

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