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第六話     黄金の少女

 







「逃げるか……」

 トウカは血糊を振り払いながら武士達に背を向けて走り出す。

 背後からトウカを誰何する声が聞こえてくるが無視する。この場で捕まるのは非常に都合が悪い。無断で戦闘を行った挙句に、己の剣技まで見せてしまったので根掘り葉掘り聞かれるのは避けられず、最悪の場合は拘束されるかも知れない。

 故に全力で離脱する。戦域から勝手に離脱するので、後に拘束されると余計に面倒なことになるが、捕まらなければいいとトウカは判断した。

 抜き身の軍刀を手に山間の斜面を駆け上がる。

 トウカは武士達が戦線を放棄して追撃をしてくるとは思っていなかった。騎士達が勝利すれば同胞を斬ったトウカに追撃の手を伸ばそうとするかも知れないが、武士達は戦域の維持を優先するだろう。

 大被害を受けた騎士達は撤退を始めているが、武士達の執拗な追撃に次々と討たれている。騎士と武士の練度は後者が僅少だが勝っているものの、通常は倍の数を覆すまでには至らない。武士が勝利できたのは老練な指揮官に依るところである。

 通常ならそれを見越したトウカは優秀だと称賛されてしかるべきだった。

 騎士を容赦なく斬れたのは、騎士達の負けを予想していたからに他ならない。最終的にこの場を支配する武士達は少数であり、騎士の追撃に掛かりきりの上 に、この場で成さねばならないことも多い。まだ息のある敵の騎士に止めを刺し、負傷した味方の武士の手当てなどを行わなければならないはず。

 ならば、騎士を斬り、敵である可能性の低く、たった一人で実働戦力単位としてすら機能していない者を追撃してくる可能性は低い。

 そうトウカは考えた。それは正しい。優秀な指揮官であればこそ、選択肢は限られる。

 谷の様な場所で左右からの横撃が不可能な場所だからこそ鋒矢の陣形を選択した。左右に軍勢を展開できない地形で、何百人単位の集団で指揮統制を維持しつ つ戦うには基本的に前進と後退しかない。それを踏まえた上での突撃だったのだろう。三倍する戦力だが、武士達は練度も士気も高い水準で維持し、その上、指 揮官が最前に立っての突撃だ。これで奮い立たない方がおかしい。

 そこまでの計算ができる人物が、痛みに呻く部下を見捨てるとは思えない。

 しかし、トウカは知らなかった。武士の使命は戦闘ではなく捜索であったことを。

「――っ! あの老人ッ!」

 トウカは老将の主任務を履き違えた。それは、戦闘を俯瞰しただけでは絶対に分からないことであり、止むを得ないのだが、トウカにはそれが分らない。

 猛然と追いかけてくる老将。背後に続く者はいない。一人だけでの追撃。

 ――速いっ! どんな身体をしてるんだ! ジジィってのはどいつもこいつもッ!

 老将は年齢を感じさせない動きで追撃してくる。トウカよりも早く斜面を駆け上がるその姿は恐怖以外の何ものでもない。その上、騎士との壮絶な斬り合いの後なので具足は返り血で汚れているので、それは酷く壮絶な姿だった。

 こうして異邦人と老将の追い駆けっこが始まった。










 トウカは山頂を越え、斜面を下り始める。

 時には滑り、時には転げるようにして斜面を下る姿は御世辞にも物語の主人公には見えないが、血塗れの老人に迫られて逃げ出さない者の方が少ないだろう。

 撤退に勝算はない。相手は重そうな具足を身に着け、大太刀まで装備している以上、雪深いこの辺りでは移動し辛いはずなので逃げ切れると思っていたが、老 人とトウカの距離は一向に開かない。トウカが、この世界の甲冑が魔術紋章の運用により極めて軽量になっている事を知るのは後になってからであった。

 だが、トウカは運がないと思っていたが実はそうでもなかった。

 老人……老将の率いる〈第九歩兵師団『スカンテンベルク』〉は、本来は西部方面軍隷下だったが、天帝不在で国事が半身不随の今、《スヴァルーシ統一帝 国》への脅威に対抗すべく、急遽、中部方面軍隷下となっていたのだ。それは姿を見れば一目瞭然で、西部方面軍の将兵は《《瑞穂朝豊葦原神州国》》の影響を 受け、伝統的に具足が基本装備となっている。

 当然、その具足には雪中戦闘用ではない。〈第九歩兵師団『スカンテンベルク』〉が北部方面軍隷下となって三日すら経っていない状況では、雪中戦闘用の甲冑を装備させる事や魔導紋章を刻印することは不可能なのだ。

雪中戦闘では重量のある重騎兵や魔装騎士などは、深い雪に足を取られ隊列の維持や突撃の際にその真価を完全に発揮できない。そこで重量の軽減や体温の調整、雪上での滑走が可能な魔術を組み込むことで雪中戦闘を容易にするのだ。

 それが成されていない甲冑で追撃を行う老人はかなりの度胸の持ち主と言える。足を取られて体温が下がる中で、尚も戦闘服の上から外套を纏っただけの身軽なトウカに離されない事を考えれば常識外れも甚だしい。

 何より、〈第九歩兵師団『スカンテンベルク』〉の師団長が自ら捜索に赴いているというだけで、トウカの想像の埒外であった。一万を超える人員を束ねる師団長が戦野に赴く例などそうはない。無論、毎日先兵長を自負する木庭知時少将という例外も存在するが。

 トウカ、思わず涙目。

「一目散に逃げるべきだったか」

 興味本位で戦場を見学し続けた代償が、血塗れの老人となってトウカを追いかけている今この時。目指すのは山を下りた位置にある小さな雪林。老人を撒いてからでなければ、ミユキの下へは帰れない。

「畜生……こんな世界は嫌いだ……」

 この世界でトウカが信じられるのはミユキだけなのだ、と雪原の雪を無造作に蹴り上げながら駆ける。

 少なくとも鉄風が吹き鮮血の舞うこの世界では、安易に人を信じる事は死に繋がる。

 責任者出てこいと叫びたい思いをぐっと飲み込み、彼は雪原を往く。

 ある意味、絶望的な撤退戦を始めたトウカであった。








 《スヴァルーシ統一帝国》第一三帝位継承者のリディアは雪林の中を駆けていた。

 追撃を掛けてくる騎士の軍装は第一三帝位継承者にして《スヴァルーシ統一帝国》南部鎮定軍を預かるリディアでさえも知り得ない特異なものだった。蒼を基 調とした魔導甲冑を身に纏った一個魔装分隊。《スヴァルーシ統一帝国》の戦力でもなければ《ヴァリスヘイム皇国》のものでもない。最初は《ヴァリスヘイム 皇国》陸軍の新型魔導甲冑かと思ったが、その設計思想は明らかに《スヴァルーシ統一帝国》のもの。

 友軍に襲われているこの状況。

 よもや《スヴァルーシ統一帝国》の軍人に襲われるとは夢にも思わなかった。

 他の騎士達は《ヴァリスヘイム皇国》軍と激突している。居場所を漏らしたのはこの者達だろう。御蔭でリディアは騎士達と別れる羽目になった。

結果として騎士達は全滅した。軍事用語上の三割の戦力喪失を以て全滅とするものではなく、一人残らずの全滅である。

 その原因となった魔導騎士達を彼女は睨む。

 本来の力を発揮できるのであればリディアは、一個魔装分隊程度に後れは取らないが、リディアは皇都で行われていた天帝招聘の儀を阻止する為、その魔力の 大半を喪ってしまった。通常は休息を取れば回復するが、リディアは《ヴァリスヘイム皇国》内で一か月近い逃亡を繰り広げており、心身ともに疲弊していたの で魔力の回復も遅い。

 本来の何十分の一以下の力彼女は出せないだろう。戦えば負ける。だからこそ逃げていた。勝てない戦いをするほどリディアは無謀ではないし、まだ成さねばならない事もある。戦は好きだが、それくらいを弁えているからこそ軍勢を統率する司令官となれるのだ。

「貴様ら、兄上の差し金かッ!?」

 リディアは、歩みを止めて大剣を構える。

 相手は何も答えない。黙って一個魔装分隊は魔導杖を構える。

 その魔導杖は《スヴァルーシ統一帝国》軍が広く採用しているものだ。新型の魔導杖は用意していないと見える。魔導杖も魔導甲冑を開発には莫大な資金が必 要であり、そう容易く開発を立ち上げる事はできない。細々とした近代改修で乗り切っているのが《スヴァルーシ統一帝国》軍の現状だ。

「新型の魔導甲冑まで持ち出してまで私を殺したいわけか……」

「………………………」

 怒りは意外な事だが湧き上がってこない。それが《スヴァルーシ統一帝国》。それが帝室。友人を、同胞を、戦友を、そして家族を蹴落とし、上へ上り詰めてこその《スヴァルーシ統一帝国》。故に帝室での蹴落とし合いは止むを得ないことだ。

「屑め……」

 《スヴァルーシ統一帝国》の興廃を決めるこの任務中に仕掛けてくる事はないだろう、とリディアは歯噛みをする。

 ――いや、天帝招聘の儀の妨害は終わった。帰還中に討たれた事にして始末しようという腹かッ!

 リディアの腹違いの姉は“白き女帝”として名を馳せている。彼女も次期皇帝に近い位置にいるので、それに対して協力的なリディアを排除したいのだろう。 だが、《スヴァルーシ統一帝国》国内で排除しようとすれば痕跡を残してしまうので《ヴァリスヘイム皇国》にいる今この時を狙ったのだ。しかも、帰還中なの で任務は完了している。《スヴァルーシ統一帝国》に一番損失の少ない形でリディアを排除しようという狡猾さは、紛れもなく陰湿な兄のものだった。

「腹違いとは言え、妹を殺そうとするとは、な」

 リディアは空虚な笑みを浮かべる。

 帝室の帝位継承者は末端まで含めると一〇〇を優に超える。リディアは帝位継承者争いなどに興味はなかったが、それを真に受ける者などいない。

「そんな事をしているから国一つ落とせんのだ!」

 リディアは大剣を大上段に振り上げ、正面から突撃する。

 絶望と悲観。そして、冷徹な憤怒が身を凍らせる。戦場では心を凍らせよ。だが、指揮統制は苛烈に行え、と教えられていたからこそ感情に剣技を劣化させることはない。

 先頭に立つ魔装騎士とリディアは切り結ぶ。魔導甲冑で強化された魔導的にも身体的にも強化された一撃を、生来の能力を以てして強引に押し切る。体力の消耗など考えない。

 ――どうせ死ぬのならば兄上の私兵を一人でも道連れにしてくれる!

 生還が叶わぬのならば、せめて兄の手札を一つでも破り捨てて散り往こうという決意。常に戦う姿勢を取る訳ではないが、この期に及んで逃げても意味はない。

 《スヴァルーシ統一帝国》第一三帝位継承者が一人、リディア・トラヴァルト・スヴァルーシの戦いが始まった。









 トウカは山から少し離れた雪林へと逃げ込んだ。

 あの非常識な老人と斬り合うなど有り得ない選択なので、トウカは逃げの一手だった。トウカにとって老人とは非常識な存在である。特に祖父などその頂点と言っても差し支えない。

 雪林の木々を避け、トウカは走る。

 ――帰らなければ……ミユキの元に。

 そんな自身の想いにトウカは顔を顰める。自分の帰る場所は《大日連》であってこんな殺伐とした世界ではないはずだ。

 ――ミユキは、やはり俺が祖国に帰る時も付いてくる気なのか?

 別にそれはそれで良いと思った。祖父と幼馴染、そして狐娘との日常生活はきっと楽しいものになるだろう。明朗闊達な祖父はミユキの純真な性格を気に入る だろうし、幼馴染も皮肉と文句を言いながらも赦してくれるはず。悪くはない。いや、きっと今まで以上に楽しい日常となるだろう。

 基本的に人を信用しないようにしているトウカにしては珍しい事に、ミユキは何故か例外だった。それはミユキの能天気……天真爛漫な性格に左右されている 所もあるが、それ以上にその純粋な心にトウカは惹かれた。それが動物のような因子をその身に持っているからこそなのか、生来の性格なのかは分からないが、 少なくとも何としても護ってやりたいとは思っていた。

 詰まるところトウカは、ミユキをそれ程には信頼していた。

 出逢って一週間も経っていないが、ミユキにトウカは随分と助けられた。それは、都市の位置や日常の一般常識の事もあるが、それ以上に精神的な救いが大き かった。生来の性格なのか、幼い言動とは裏腹に人の心の機微を感じ取り、さり気なく気遣ってくれた事にはトウカも救われ、母親の腕のような温かさを持った 少女は一緒に居るだけでも十分に心地よかった。

 この地獄で見つけた安らぎの場所。

 これが恋というものなのか?

 分からない。

 だが、護って魅せよう。後に続く何かしらの感情の為に。その為には何としても逃げ切らねばならない。

 後ろを見るが老人の姿はない。この雪林へと駆け込む寸前までは、老人は後を追ってきていた。あの老人がそう簡単に諦めるとは思えないので、トウカは黙って周囲の気配を探る。

 目を凝らし、耳を澄まし、己の認識範囲を広げる。

 深い雪に覆われた雪林は、純白なので動体が動けば視認しやすい。そして、深い雪を踏みしめれば嫌でも音は鳴ってしまう。疾走によって乱れた己の呼吸と心音が五月蠅いが、寒冷な気候による刺す様な痛みはトウカの意識を先鋭化させた。

 ――馬蹄の音? それにしては……ッ! 剣戟の音か!?

 トウカを追いかけてきたのは老人一人。だが、戦っている者がいるということは最低でもあと一人この雪林にいるという事になる。

 老人とその勢力が敵対勢力と戦っているならば、其れはそれで良い。しかし、違うのであれば少々厄介なことになる。戦闘中の者の中に老人と同じ勢力の者がいれば挟み撃ちにされる可能性があるのだ。

 ――一先ず確認するべきか……

 勿論、背後の位置にいるであろう老人と戦闘中と思しき位置を避けて移動することもできなくはないが、宿泊所に帰るには余りにも遠回りになってしまう。

 トウカは雪化粧のされた木々を伝いながら、剣戟の音が響く位置へと進む。

 そして、一際大きい木の影に身を潜めて、音源を窺う。


 そこでは激しい戦いが繰り広げられていた。


 一〇人近い大型甲冑を纏った者と、長大な剣を手に互角の戦いをする少女。

 地面の雪が盛大に巻き上げられ、吹き飛ばされた大型甲冑が木々を圧し折る。だが、それでも何食わぬ顔で立ち上がり、再び少女と戦おうとする。そして、少女もそれを当然だと言わんばかりの表情で迎え撃つ。

 大型甲冑が吹き飛び、時には少女も吹き飛ぶ。あまりにも非常識な光景にトウカは言葉を失うしかない。が、やはり数の差に圧倒され少女が不利になってゆく。

 トウカはその少女から目が離せなかった。大剣を担ぐように構えた少女。張り詰めているようで、洗礼された鋭い殺意。

 少女には二つの特徴があった。


 一つは大剣と思しき身の丈ほどの大剣。


 それほどの全長と重量になると通常の刀剣のような太刀捌きは不可能で、扱い方としては剣というより槍に近くなり、質量を生かしての突きとなる。或いは、 大きく振りかぶって叩きつけるという手もあるが、刀身と身体に負担が掛かるので長期戦には向かない。戦闘で使う場合はそのような使い方になるが、その重さ 故に取り回しは非常に悪い。対集団の武器であり一対一で斬り合えば確実に負け、また重さ故に長時間の使用には向かない。

 少女が大剣を上段から振り下ろす。

 騎士はその斬撃を受けようとするが、刃諸共斬り飛ばされる。切れ味を二の次にしている形状にも関わらず、その斬撃は敵を左肩から袈裟懸けに両断し、地面に叩き付けられた。凄まじいまでの膂力である。しかし、代償に体力を著しく損耗しているようであった。

 大剣を引き摺るように二人目の騎士へと踏み込む。引き摺られた大剣の切っ先が斜面に降り積もった雪を巻き上げ、血風がそれを朱に染めた。

 トウカとはまた違った戦技。

 膂力と自らの天性の才能に頼り切っているきらいはあるが、それでも尚、目を瞠るほどの戦技にトウカは感嘆の息を漏らす。祖父とはまた違う途を歩みて最強へと至ったその姿は憧憬を抱くには十分だった。

 乙女と言うには少々苛烈な佇まいに目を奪われた。眼を爛々と輝かせ、口元を歪めるその姿は、粗暴でありながら同時に生気に満ちている。


 そして、二つ目の特徴は、陽光の如き黄金の長髪。


 陽を受けて、日ノ本の象徴たる旭日旗の後光の如く輝くその姿は荘厳にして豪奢。

 乙女と言うには少々荒々しい笑みに彼は心を奪われたが、戦闘というものは人の心身を疲弊させる。そして、積み重なることで表面上に隙となり現れる。例え、気高く見えても、無双と言われても限界は存在した。

 少女が片膝を突く。

 限界なのは一目瞭然。纏っている外套には黒く変色した血がこびり付いており、長きに渡る継戦を物語っていた。そして、身の丈に匹敵する大剣は、少女が振り回し続けるには余りにも重いはず。

 ――糞ッ……ッ!

 トウカは雪林を駆ける。気が付けば飛び出していた。ミユキの時の様な後悔はしたくないという思いがなかったわけではないが、それ以上にトウカの直感が少女をこの場で失ってはならないと告げていた。

 今まさに少女に刃が振り下ろされる……寸前にトウカは騎士と少女の間に飛び込むようにして滑り込むと同時に抜刀。

 目前には大型の西洋甲冑を身に纏った騎士。

 大型甲冑の右足の付け根に斬り付ける。大型だけあってその甲冑は、可動部であるはずの足の付け根もうまく装甲が施されていたが、トウカの軍刀はそれすらも切り裂いた。

「馬鹿な。魔導障壁諸共切り裂くなど……」

 背後から少女の呟きが聞こえたが、トウカは無視して足から血を流して倒れた大型甲冑の首筋に刃を突き立てる。首回りも装甲が成されていたが、やはり軍刀は容易く貫徹する。

 木綿を貫徹するが如き容易さで鋼鉄を刺し貫く。焼き入れはされているのだろうが、軍刀は僅かな抵抗だけで貫徹してしまう。トウカは科学の結晶だけあると納得する。

「先に離脱しろ」

「いや、しかし……」

 話している暇はない、とトウカは少女を押し退けて大型甲冑に斬り掛かる。

 機械仕掛けの騎士との絶望的な戦いが始まった。









 リディアは振り返る。

 無論、その様な事をしている時間はないのだが、己の危機に手を差し伸べた少年を見捨てるのは余りにも忍びない。あの洗礼された戦技を持つ少年が簡単に斃 れる事はないとは思ったが、彼は傍目に見る限りは生身であった。そして、戦技に目が奪われたが、その身体能力は人間種としか思えない程度のものえある。

「……助けねば」

 背に大剣と共に担いでいた魔導杖を抜き放つ。

 魔導杖とは、多種多様な魔術を運用する際に使用される媒体の事である。剣や銃などの武器に魔術陣を展開させる為の紋章や術式を彫刻、若しくは刻印する場合もあるが、魔導杖は元来、魔術の運用を前提としているので、それらと比して精度と威力などが桁違いであった。

 それを背から抜き放った大剣の柄尻に装着する。柄の長い大剣……ともすればツヴァイヘンダーの様な槍働きを期待できる形状だが、その運用思想は近接戦闘ではない。

 魔導砲剣。

 《スヴァルーシ統一帝国》では〈親衛魔装師団〉にしか配備されていない兵装の名であり、その中でも特注品のそれは強力な遠距離魔術の展開が可能だった。

 自身の背丈の倍近くになったそれを振り払い、脇に抱え込む様に構える。本来なら魔導甲冑を装備しての運用が基本だが、リディアの潜在魔力はそれを十分に補えた。

 ――魔力など気合いでどうにかしてくれる……ッ!

 魔導砲剣を振り払い、右脇に挟み込んで射撃体勢を取る。

 木々の隙間から、魔装騎士の攻撃を軽業師の様に、時には木を蹴って縦横無尽に雪林の中を掛け巡って躱し続ける少年が見える。照準は付け難いが、当たらずとも少年が離脱する時間さえ稼げれば十分。

 少年が魔装騎士達と大きく距離を取る。

 魔導砲剣の切っ先から眩い光芒が放たれる。

 魔導弾は、その性質から質量を伴っておらず、発射の際も反動と衝撃が全くない。内部の機構が次発装填の為に一部後退するので、少し銃身がぶれる程度である。火薬式の銃火器に勝る点があるとすればこの点が大きい。それ故に連射でも着弾が逸れることは少なかった。

 連続で放たれる魔導破砕弾。

中には途中の木々に命中し、木片を撒き散らすものもあるが、大多数は狙い違わず魔装騎士たちの周囲へと着弾する。魔導甲冑は高い対物理防御だけでなく、極めて優秀な対魔導防御能力も有している。撃破するには対戦車砲や対装甲小銃が必要と言われる所以だ。

 だが、それでも破砕された木々の破片や、巻き上げられた雪と土で魔装騎士達の視界は遮られる。

「頼む……ッ! 逃げてくれ!」

 距離や着弾音を考えると声は届かないが、そう言わずにはいられなかった。

 驚いた顔すらせず、少年は雪を蹴り上げて目くらましをしつつ、撤退を始める。

 軍人でも戦場では咄嗟の判断ができない者は多いが、少年はその様な事とは無縁であると示さんばかりに一目散に離脱した。

 少女もそれを見て再び逃走を開始する。









 トウカは追い付いた少女の手を取る。

「逃げるぞ、あんな化け物相手にしてられん!」

 魔術と思しき攻撃でトウカの離脱を手助けしてくれた少女は見るからに疲弊している。どちらにせよ滑空するように追撃してくる大型甲冑の前では追い付かれるのは時間の問題だったので責めることはできない。

 大型甲冑から繰り出される斬撃は、地面を抉って積もっていた雪を土諸共に舞い上げる。明らかに唯の斬撃ではない。寧ろ、砲弾の弾着に近い。受ければ刃諸共地面に叩き付けられるだろうことは想像に難くないが、受け流す事のできる類の攻撃でもなかった。

 故に逃げる。全力で。

「貴様は……いや、恩に――」


「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」


 少女の言葉と戦野の緊張感を吹き飛ばし、老人が長剣片手に乱入する。蛮族だ。

 素晴らしい時期だ、とトウカはつい笑みを零してしまう。少女が不審な視線を投げ掛けてくるが、それを無視してトウカは叫ぶ。

「御老体! それは人攫いだ!」

 現状は一目見ただけで嫌でも理解できるだろう。少女が大型甲冑達に襲われていたという事実には変わりない。少女が、その言葉を聞いて造りの良い顔を顰めていたが今は無視する。

 傷付いた少女を護る位置に立つトウカ。そしてそれを殺めんと囲む大型甲冑達。どのような状況下であるかは馬鹿にでも分かり、その答えは強ち間違ってもいない。

「帝国の新型魔導甲冑か……相手に不足無し! この神聖なる皇国本土で狼藉を働くとは……成敗してくれる!!」

 案の定、大型甲冑に敵意を燃やして、長剣を振り被って突撃を開始する老人。祖父と同じく単純で助かった。どちらにせよ、怪しい男女と複数の《スヴァルーシ統一帝国》軍魔導甲冑であれば優先順位は決まっている。

 ――統一帝国の兵士だったのか……

 ミユキは、エルライン要塞が防いでくれると言っていたが、やはり他にも侵攻路はあるようだ。浸透してきた目的は分からないが、大型甲冑……新型魔導甲冑なるものまで投入するという事は、かなり重要な任務であったのだろうと容易に想像できる。

 だが、今は逃げる事が先決。

「御老体、御任せする!」

 化け物の相手は化け物に任せるに限る。相討ちの場合、トウカが重要参考人とされる可能性があるので、最善はある程度の時間を掛けて老人が甲冑の集団を撃破する事である。

 見たところ老人は大型甲冑と互角に戦えるようで、正面切って複数の大型甲冑と鍔迫り合いを演じている。それを見てミユキに聞いた《ヴァリスヘイム皇国》軍の編成についての話を思い出した。

「あの老人、七武家の……」

 少女が目を見開く。

 《ヴァリスヘイム皇国》とは多民族国家であり、多種族国家に他ならない。陸海軍の編成でも種族毎の特徴を生かせるように編制が成されている。例えば変化 した後に、突破力に優れる虎族や狼族の支族であれば打撃部隊として集中して配置され、魔術や幻術の得意な狐種などは魔導砲兵部隊に配属されることが多い。

 老人は、前衛戦闘の得意な種族なのかも知れない。

「さぁ、逃げるとしよう」

 トウカは、少女の手を取ってその場から逃げだした。




   

 

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