第一〇九話 闘争への調
「……………………」
腕を組み全力で不機嫌だという雰囲気を醸し出しているトウカ。
そんな姿に、相対している少女も自分こそが被害者であるという意味を込めて小さく鼻を鳴らす。
実際、少女にも理解できないままに状況は推移していた。豪奢ながらも造りに隙の窺えない一室に二週間以上も閉じ込められ、一応は重要人物であるという自尊心が大いに傷つけられつつあった頃に現れたのは、廃嫡の龍姫と異邦人。
それに続く、黒衣の軍装の一個小隊。
その練度は正規軍に劣るものではなく、皆が銃剣の装着された小銃を手にしている。
油断なく室内で射角を確保できるように展開する一個小隊に油断や隙は見受けられない。飛び掛かって小銃を奪取できないかと考えたが、雰囲気や動作から察するに要人警護や暗殺などの汚れ仕事を主任務とした部隊であることは疑いない。ヴェルテンベルクの親衛戦力と言ったところだろうとの見当を少女は付ける。
勲功を挙げた将校や友好関係を演出したい貴族に下賜されるのかとも、不安を抱いたこともあった。
もしや、自分にそれ程の価値があると判断されていないのでは、と考えていた矢先の急展開に不安を感じることは不思議なことではない。
控えめに見ても銃殺であった。
無論、見ず知らずの男性に抱かれるというのも抵抗があるが、力を封ぜられたとはいえ、虎を組み敷く度胸などある貴族は少ないはずであった。臥所で噛み千切られたくはないだろうという打算もある。
見も知らぬ男共に穢されることや、爪を剥がされて情報を吐かされることに比べれば幾分かましな未来であった。少女は武門の末席に連なる者であり軍人であ る。戦野に在って、ヒトとして、軍人として、女として耐え難い屈辱に晒された挙句に打ち捨てられた者を幾度か目撃したことがあり、男性に任せる訳にはいか ないと自ら埋葬したこともあった。
今更に女としての矜持が護られることに安堵する一方で、武人としての己がその不甲斐なさを嗤う。
だが、それを表情には出さない。
寧ろ、最後くらいは勇ましくも凛冽であろうと、例え薄暗い処刑場であったとしても、一人でも死に様を見ているのであれば、その目に焼き付けねばならない。
マリアベルの顔を睨み付けて、少女はそう胸中で意気込んだ。
アリアベルが心配していることを伝えようかとも思ったが、聡明なマリアベルがその辺りを蹶起前に考慮しなかったはずはなく、寧ろ、ベルゲン強襲によって アリアベルを害そうとしたのは、マリアベルは隷下のヴェルテンベルク領邦軍であった。最早、廃嫡の龍姫は覚悟を決めているのだ。
――と、儂が思っておったのは間違いじゃった……
少女を処刑するならば、処刑場に連行した方が面倒は少ない。血塗れの部屋を清掃し、遺体を運び出すのは舞踏会場からである必要はない。
或いは、そちらであれば幸せであったかもしれない。
そう、この部屋に移される前、衣裳部屋に連行されたのだ。
それはもう、ふりふりでひらひらの衣裳がこれでもかと並んだ一室で、それらを手に笑顔で近づく侍女たちに少女は恐怖を感じた。理屈ではないのだ。
つまりは、この部屋に身柄を移される前に身綺麗な衣裳へと侍女の手によって着替えさせられたのだ。着せ替え人形である。死装束が軍装ではなく、饗宴衣裳というのは些か不満であるが、致し方ないとも考えていた。だが、次から次へと着せ替え人形にして、魔導写影機(高輝度の写真機)によって、その姿を記録に残される屈辱は想像を絶する。
そして、少女は思い出した。マリアベルは、アリアベルの姉なのだ、と。
あの可愛ければ大貴族の御令嬢であろうが、他国の重鎮の娘であろうが、着せ替え人形にしてしまう悪魔の姉。その脅威度は、アリアベルの比ではなかった。
隷属の枷によって人間種の小娘と同程度の膂力にまで封ぜられた少女に抵抗できるはずもないとは言え、その写真が生存を示す証拠として征伐軍や中央貴族に送られると聞いた時、少女は絶望した。
荒々しいが、服を破かぬように引ん剥かれる少女。
或いは娼婦の真似事でもやらされるのではないかと思えるほど露出の多い衣裳を身に纏うことになった少女は、無駄に通気性の良い下半身に戸惑う。
同時にふりふりでひらひらを好むアリアベルに対し、マリアベルは露出の高い衣裳を好んでいるのか、平時に纏う着物ですら大きく着崩されて、片や胸元が外気に晒されている。それでも下品に見えないのは、歳の功であるかもしれないが、少女は躊躇いもあれば羞恥心もある。
「つまり、じゃ!!」少女は叫ぶ。
自分で乙女と口にする気はないが、姿を見られた瞬間、被害者顔をされるのは余りであった。
「この虜囚となったレオンディーネ・ディダ・フォン・ケーニヒス=ティーゲルが、何故、被害者顔をされねばならんのじゃぁ!!」
それは少女……レオンディーネの心からの叫びであった。
「俺が悪いと?」
トウカは視線を、マリアベルへと巡らせるが、彼女は苦笑するだけで何も答えない。寧ろ、視線を逸らすばかりあった。
「まぁ、落ち着け。一人の武人として敵と面会を重苦しいものにしない為の配慮だ。短気は感心しない」
「では、似合っていると言うべきじゃ!」
面倒臭い女だとトウカは溜息を吐くが、同時にこれほどまでに面倒臭くなったのは間違いなくマリアベルの仕業だろうと見当を付けていた。
それは、正しくもあり間違ってもいた。
レオンディーネは獅子であり騎士でもあるが、同時に年頃の乙女でもある。死への覚悟や身を穢される覚悟ができていると奮い立ち、その瞳に裂帛の意思を宿していたとしても、その胸中には不安と恐怖が燻ぶっていたのだろう。
「ああ、似合っている。似合っているから俺の襟首を掴むな。小隊各位、この躾のなっていない野良猫を押さえ付けろ」
そう命令するが、情報部の兵であり、マリアベルの旗下にある小隊は動かない。命令系統が違うというだけでなく、ケーニヒス=ティーゲル公爵に連なる血縁を無理に押さえ付けることに対する心理的抵抗もあるのだろう。
止むを得ず、トウカはレオンディーネの両肩を力の限りに掴んで無理やり席に着かせる。女性に対する扱いではないが、トウカが女性としての扱いをする人物は限られており、レオンディーネはその範疇にない。
「それで? どの様に扱っても良いと?」
「妾は使い道に迷ったゆえ、この猫の扱いは御主に任せようて」
その血縁と、征伐軍の軍事面に於ける旗頭であったことを踏まえれば、使い道がありそうにも思えるが、下手に扱えば中央貴族が征伐軍に合流する理由にもな り得る。征伐軍自体が政治的に追い込み過ぎれば、アリアベルが排斥されて政治的に中央貴族の影響下に置かれる可能性もあった。
征伐軍を瓦解させる機会は永遠に喪われた。
少なくとも、マリアベルを含めた北部貴族の有力者はそう判断している。元より殲滅戦などは不可能に近く、禍根が残る上に弾火薬が足りない。トウカがベルゲン強襲で演出しようとした征伐軍総司令官アリアベルの暗殺は既に有効とは言い難くあった。
度重なる苦戦と敗走によって、アリアベルの権勢は縮小の一途を辿っているにも関わらず、クラナッハ戦線とベルゲン強襲などを巡る戦闘で失った将兵を強引に補充しようと、皇国各地に檄を飛ばして優秀な将兵や部隊を募り続けている。
その中には中央貴族の意向を受けた者もいるだろう。
否、将官に関しては無視できない数に上るとマリアベルは見ており、北部貴族も同意した。
北部貴族でも分る程に、中央貴族の意向を受けてきた将官で穴埋めをし続けるアリアベルに、シュトラハヴィッツ少将も“気でも狂ったか”と吐き捨てた程である。
一重に優秀だからこそ登用しているのだ。例え、政治的に足元が不安定になったとしても行い続けるということは、その目的があるに違いなかった。
そして、それは間違いなく蹶起軍との再戦であろう。
勝利を得てしまえば、勝てば官軍の論理で、逆賊を誅したと宣言し、アリアベルは不動の地位を得る。その内情と被害は兎も角、結果として内乱鎮圧を成功させたという事実は、ある程度の勢力を築くだけの看板となるはずであった。
だからこそ、政治的には信の置けないものであっても、有能であれば登用し、可能な限りに早期の決戦を図ろうとしているのだ。
中央貴族も無能ではない。特に長命な者は何百年に渡り、政治という舞台で踊り続けていた。アリアベルの勢力を徐々に侵食していることは疑いないく、アリアベルは時間が経過すれば経過するほどに権勢を失うことになる。
これは一種の賭けと言える。短期決戦という名の賭けである。
高位種とは思えない一手だが、悪くはない。
両勢力が内戦に於いて結果を出す為に情勢を加速させつつある。時間を与えず、短期決戦で済ませられるならば、その行っては紛れもなく適正な果断と言えた。
「つまり、この駄猫を下手に扱えば、征伐軍が中央貴族に乗っ取られかねない、と。何処かの若い盆暗貴族に花嫁として差し出して、無理矢理こちらに引き摺り込むのも叶いません。孕めば相続問題にも口を挟めるでしょうが……」
「斯様な先の話など意味を成さんわ! そもそも、ケーニヒス=ティーゲル公爵など如何でも良い!」
長命種の出生率の低さを考慮すればその言葉は正しく、それほどまでに皇国内での対立が続けば、恐らくは亡国となる。そして、何よりもケーニヒス=ティーゲル公爵は未だに参戦しておらず、マリアベルにとっての興味の対象でもない。
「ケーニヒス=ティーゲル公爵が返還を求めてくるならば渡してしまえばいいでしょうが……。何の音沙汰がないのであれば、公式の場に可能な限り露出させて寝返ったように見せて動揺を誘うくらいが良いでしょう」
トウカは、不満げな顔のレオンディーネの虎耳を引っ張り黙らせる。
あまりにも扱い難い手札が、遊戯の条件そのものを変質させてしまいかねない。内戦の大前提や勢力図すら変わる可能性がある以上、迂闊に切れない。状況によっては切れたかも知れないが、少なくとも今は切れない手札。何とも使えない手札である。
「これが大御巫であれば、見せしめに惨たらしく火刑にしてやったものをの」
自らの妹を火炙りにするというマリアベルの言葉に、遣り切れない表情のレオンディーネを横目にして、トウカは下手にアリアベルを連れ帰っていれば、どの道、面倒が起きたのだろうと嘆息する。龍の丸焼きはミユキが興味を持つかも知れないが、生憎とトウカは興味も湧かない。
「大御巫を殺すことは今となっては反対です。指導者を喪ったとしても戦力が溶け消える訳ではありません。そのまま中央貴族の尖兵になる可能性が高い」
「莫迦なっ……! 我が征伐軍はよく纏まっておる。司令部も作戦目標をよく理解しておるのじゃぞ! 安く見くてくれるなっ!」
状況を知らないレオンディーネ。止むを得ないので、トウカは真実を伝える。苦痛と悲観に歪むレオンディーネの顔は痛々しいが、隠し立てしてもそう遠くない将来気付くことになるだろう。アリアベルは政治を壟断した責によって極刑を免れないことを。
「下手を打つと、大御巫は陸海軍に、いえ中央貴族に売られる可能性すらある」
「ふむ、なくはないのぅ……いや、ありよなぁ。運が良ければ自責の念に駆られた糞親父殿が自ら手を下すこともあり得るやも知れぬ……む、むふっ……」
トウカの言葉に、気味の悪い笑声を漏らすマリアベル。
アリアベルの命など如何でもいいと考えているトウカだが、マリアベルが必要であればアリアベルを殺すことに躊躇う心算はないことだけは理解できた。寧 ろ、クロウ=クルワッハ公爵に精神的被害を与えられる可能性を期待して斬殺する可能性が高い。娘の生首を送られてクロウ=クルワッハ公爵は何と思うか、興
味の尽きないところであった。或いは、恐怖の大王として振る舞った大蒙古国の如く、穂先にアリアベルの生首を突き立てて進軍するという可能性もある。
トウカとしてはアリアベルを人質にしつつ、クロウ=クルワッハ公爵の行動に指向性を持たせるか、制限を科すことができるのではないかとも期待していたが、マリアベルの父親が貴族としての責任を放棄して娘の保護に走るとも思えない。
「御主が大御巫の立場にあるなら何とする?」
「一先ず、諸々の勢力からの不満を逸らす為の勝利を求め、我が軍と決戦を行います。全力で」
今更であるが、レオンディーネに状況を理解させる意味も込めての言葉と気付いたトウカは、マリアベルの問いに答える。既に蹶起軍内でも囁かれている事実であり、隠し立てすることではない。
「決戦ならばアリアも負けんじゃろう! 陸軍の精鋭を舐めるでないぞ!」
レオンディーネの勇ましい言葉に、マリアベルは苦笑しているが、トウカは笑えなかった。
蹶起軍と征伐軍は同様の弱点を抱えている。単一ではない武装集団の集合体であるという点であった。
征伐軍は、陸海軍に神祇府、貴族の各領邦軍、傭兵団などがアリアベルの下で統制された混成軍であり、対する蹶起軍も北部地方の各貴族の領邦軍の混成軍で ある。共に武装や編制、指揮系統、練度までもが違う武装集団を纏め得る存在は少なく、そう簡単に代替えのできるものではない。つまり、指導者の死亡は混成
軍たる両軍の統制に罅を入れかねないものであるのだ。
将兵一人一人を指導者の資質のみで統制しているが故の欠点であり、急進的思想を掲げ、若しくは絶対的権威で統制し、特に急速に拡大、或いは結成した組織によく見られる傾向であった。
「蹶起軍と征伐軍の欠点は同様です。権威を失った指導者は、組織を保てない。もう大御巫は護りは考えない。恐らくはエルゼリア侯爵領を目指して総攻撃を仕掛けるでしょう。勇ましくも自らが陣頭に立つ可能性もあるかと」
「大きな賭けよの。良くも悪くも双方共に時間も限られておるしな。受けて立つのに何の躊躇いがあろうか」
マリアベルの言葉に、トウカは鷹揚に頷くが、内心ではその白々しさに呆れ返るばかりであった。
実際のところ、蹶起軍内では征伐軍が意図しているであろう短期決戦に受けて立つか否か、喧々赫々の議論が行われていた。現状としては、可及的速やかに準 備を行いつつ、征伐軍の動きに対応するという玉虫色の決断が下された。無論、今でも各領邦軍では軍議が続いており、時間を稼いで征伐軍内でアリアベルが失
脚する瞬間を狙い、中央貴族と講和するという手段すら検討されている。当然であるが、トウカは発生時期が不明瞭な外的要因に戦争の勝敗を委ねることなど予 定していない。
「問題は、全戦力を集中し、エルゼリア侯爵領を突いてくる可能性がある事です」
指導者の領地が占領されるのは政治的には敗北に等しく、外聞も悪い。
協力者の離反に加え、地政学的な要因から蹶起軍勢力圏が分断されることもあり、そこからの勝利は極めて難しい。強力に統制された高練度の装甲部隊と航空 戦力、それを有機的に運用できる司令部が必要であるが、そのどれもが征伐軍には不足している。外見上は整いつつあるものの、規模も制度上の不備も是正され てはいない。
「そうか……あり得る! 御主の前例がある以上……否、痛い目を見た連中なれば、同様の手段を取っても不思議ではないかッ!」マリアベルは深刻な表情を浮かべる。
分散していた戦力を集中されて侵攻を受けた場合、魔導戦力に於いて圧倒的優勢を誇る征伐軍を相手にするのは分が悪い。火力優勢で対抗したいが、弾火薬の 欠乏でそれは難しく、装虎兵や軍狼兵、戦車を筆頭に高い移動力を以て進出してくるであろう征伐軍に対しては、戦略や戦術による優位性を作り出して対処せね ばならない。
「面制圧の出来ぬ砲兵では、砲撃型魔導士には敵わぬ」
砲撃型魔導士とは、一人、或いは複数人による詠唱で魔導杖を振り翳し、魔術による砲撃支援を行う兵科である。その特徴は、通常の砲兵と違い身軽なことで あった。砲弾の運搬の必要がなく、魔導杖一つを手に取り、戦場を移動できる重砲など敵からすれば悪夢でしかない。保有魔力の限界もあるので、永続的に魔導
砲撃を行えるわけではないが、陣地転換の容易さは未だ設計段階にある本格的な自走砲すら上回ることは疑いない。
北部が火力主義に傾倒したのは、魔導士の人口が戦力に直結する魔導戦力の拡充競争では、対抗することが叶わないと判断したことに加え、マリアベルが利益率を無視して安価で北部貴族の各領邦軍に販売したという経緯がある。
だが、そんなマリアベルですら予想し得なかったのが弾火薬の消費量である。
火砲数の増大と面制圧の大規模化は、誰しもが考える以上に弾火薬を消費した。
トウカの知る《大日本帝国》ですら第二次世界大戦末期には、弾火薬の欠乏に悩まされたことを踏まえると、近代戦は弾火薬の消費量が途轍もない程に増大す る傾向にあることは明白であった。それが減少傾向へと転ずるのは、射程の更なる増大と命中精度の向上、噴進兵器の発展を待たねばならない。
「しかも装甲戦力も定数を割り込んでいる。唯一、定数を満たしているのは、無理をして編制した〈装甲教導師団〉だけです」
戦線全体での弾火薬の消費も去ることながら、蹶起軍の装甲兵力の中核を成すヴェルテンベルク領邦軍装甲部隊は、クラナッハ戦線やベルゲン強襲で少なくな い被害を受けている。これは直接の交戦による被害よりも、車輛整備を最低限に留めて長躯進撃したことと、撤退を行ったことによるものであった。本来、装甲
兵器とは魔導技術による軽減を見たからと、足回りの整備なく長距離を整備なしで進撃できる訳ではない。
そして、残存している装甲戦力も未だ整備と修理が続いている。
「まぁ、勝算はあるのですが」
「あるのかえ?」
トウカの言葉に、マリアベルは楽しそうに嗤う。
マリアベルのシュットガルト運河沿い平定による戦力の減少は確かに手痛い被害だが、皇国全土の、大陸の勢力の動向を利用する形での戦略を執ることも今な らば不可能ではない。マリアベル直属の情報部の協力を得られるならば、情報工作や他勢力の参戦に対する布石、牽制も可能となる。問題は軍人であるトウカが
政治についても口を出す必要性が生じるということであり、それを危険視する人間が必ず現れるであろうことに対する懸念があった。既にそうした気配はある。
「皇国という遊戯板の大前提すら引っ繰り返してやろうじゃないですか。一切合財巻き込んでやればいい。正規軍も貴族も民衆も政治家も帝国も神州国も……だから、従え、マリアベル」
トウカは、マリアベルの手を取る。それは許可を得る為ではない。宣言しているのだ。総てを思う侭に動かすことを。
マリアベルは緩やかに微笑む。
「良かろうて……御主の望むままに闘争を貪るがよい」
「是非も無し」トウカは不敵な笑みを浮かべて応じる。
だが、レオンディーネは認める心算がないのか、犬歯を剥き出しに叫ぶ。
「運命は貴様らが決めることでは……皇国の命運は、そこに住まう総ての者の意志によって決せられるべきじゃ!」
その建前じみた言葉に、トウカは「下らない」と呟き、レオンディーネの髪を掴んで引き寄せる。レオンディーネが座らせられていた椅子が倒れ、室内に転倒音が響くが、周囲を囲む兵士達もそれを気にも留めない。
「ならば従わせるまで……貴様も、その運命とやらも」
爛々と輝く瞳は、妖しい色を帯びていた。
それは、幾多の者を捉えて離さない至高の瞳。
未だその瞳に高貴なる色合いに神聖さや神々しさは宿らないものの、隠しようもない、狂おしいまでの闘争心は周囲の者を惹き付けて止まない。
気圧されたかの様に頷くレオンディーネ。
周囲の兵士達は直立不動で、トウカの瞳に敬礼する。
――儂が抗う気さえも奪われるなど不愉快じゃ……しかし。
前を歩くトウカの背を睨み、レオンディーネは、己の身体を支配した一時の震えについて考えた。
トウカに、従わせるまでと見据えられた時、レオンディーネは反論することも手を上げることも叶わなかった。神虎の血縁にして皇国を護持する刃と誓ったこ の身が、多くの意味で劣っているトウカに、ただ頷くしかなかったという事実は、レオンディーネには認め難いものであった。
だが、過去となった今ですら、その瞳に抗う自分が想像すらできないとは一体、どういうことか。
隷属の枷を首に嵌められているからとも考えたが、自身が不利な状況に追い遣られたからといって抗う意志を喪失するほど、軍人として未熟であった心算もな かった。しかし、女として、トウカに隷属の意志が芽生えたという事も有り得ず、今も苦々しい感情を持て余している事からその線は薄い。理屈ではなかった。
一体、あの瞳は何なのか? レオンディーネの疑問は尽きない。
「貴女は、私の下で観戦武官となって貰う」
「き、貴様っ……」
二の句の告げないレオンディーネを振り返ることもなく、トウカは前を進むが、同じくトウカの横を進むマリアベルの肩は小さく震えている。笑っているのだ。恐らくはトウカより聞き及んでいるのだと、レオンディーネは歯を強く噛み締める。
ベルゲンで出会い、トウカの才覚を見込んで強引な手段で観戦武官という名目で自身の部隊に収めようとしたことは、レオンディーネにとっても恥ずべき過去であり、謝罪もしていなかったが、この期に及んで意趣返しが行われるとは思ってもみなかった。
「お、怒っておるのじゃな? 儂とてあのことは悪いと思っていたのじゃ……」
「別に怒ってなどいない。御前に指揮権を与えることが危険であり、そもそも、それだけの能力がないから断念した結果に過ぎない」
当然の様に言い切ったトウカに、レオンディーネは頬を引き攣らせる。
正面切って兵を指揮する才能がないと言われたレオンディーネは、虎耳と尻尾を逆立てて不機嫌な雰囲気を出すが、トウカは見向きもしない。
装甲兵器主体の部隊で、機動師団を世界で初めて撃破し、ベルゲン強襲では航空爆撃部隊の集中運用と、空挺という未だ各国の軍が試案してすらいなかった戦 術を次々と行使したトウカが相手では大抵の軍人の武功は霞む。しかし、正面から才能がないと口にされれば冷静ではいられない。
「貴官は陸軍の軍人だ。個人の武功に拘る内は佐官は務まらない」
貴族の私兵に過ぎない領邦軍軍人は、個人の武功に固執することも上位存在である貴族の許しがあれば認められるが、国体護持の為に育成され、軍務に就いた 陸海軍の将兵は国家の為に最善を尽くすことが本分である。そこに個人の名誉や誇りなど介在する余地はない。ある様に見えても、それは錯覚に過ぎない。も し、それが当然の様に許容されるならば、国家は成り立たないのだ。
しかし、戦野に立てば、やはりヒトは武功や名誉、誇りを求める。
レオンディーネは、どちらの立場も理解している。
だが、やはりトウカから見ると、自身は個人の栄誉などに拘っている様に見えるのだろう、とレオンディーネは落ち込む。対するトウカは、恐らく堂々とミユキの為に戦っていると公言すらしているかも知れない。
「非難はしていない。拘ればいい。貴女個人の有無など、この国を左右し得ない」
「腹立たしい程に事実じゃ……じゃが、儂はそうとしか生きられぬのじゃ」
この点については、トウカは成否を求める心算もないのか、然して興味を持った様子は窺えない。否、レオンディーネに興味がないのだろう。
軍人としては落第で、貴族としては使えないレオンディーネに、トウカが興味を見い出すこと自体が有り得ないことなのだ。
しかし、そうなるとトウカとマリアベルの仲は只ならぬものと見える。
トウカが興味を見い出すほどのナニカがマリアベルにはあるのだろう。そして二人は互いにそれを理解して、足りない要素を補い合っている様に見える。
互いに交し合う視線が、当然の様でいて深い信頼が窺える。トウカがミユキに向ける視線とはまた違った種類の視線は、レオンディーネも知らない色をしていた。
――そう言えば、儂はトウカのことを何もしらぬ……聞きたいのじゃが……
利益もないのに自身の過去を話すほど御人好しではないことを、レオンディーネは理解していた。
「さぁ、レオンディーネ。我々の戦争を始めよう」
淡く笑みを浮かべたトウカは、舞踏会場へと続く扉を衛兵に開ける様に指示した。
その日、エルゼリア侯爵やタルヴィティエ侯爵、先代シュトラハヴィッツ伯爵、アイゼンヴェルト伯爵、ロートシルト子爵などを中心とした指導部の発足を北部貴族は連名で布告するに至った。
そして、エルゼリア侯を最高指導者とした中央集権体制の確立と、タルヴィティエ侯爵の政務卿就任……そして、マリアベルの軍務卿就任が正式決定する。
蹶起軍は北部統合軍へと名称を変更し、ベルセリカを総司令官とした大規模な再編成を宣言。
トウカには、北部統合軍に於いて新設された統合参謀本部、参謀総長への就任が命じられた。
闘争は、未だ終結の気配を見ない……