第一一九話 権利と義務
「叩き落とせ! 一騎も生かして返すなっ!!」
蛮声を上げて部下を叱咤するフロンザルトの後姿を背に、トウカは戦況の書き込まれた戦域図へと視線を落としていた。
対空戦闘真っ盛りと称しても差し支えないが、防音障壁によって大部分の騒音は軽減されており、機銃や高角砲の盛んな砲声は然して聞こえない。時折、至近 弾によって水柱が吹き上がり、焼け焦げた航空騎が水面に突入するが、音が小さいこともあり酷く現実味を欠いた様な状況にも思えた。
防空巡洋艦である〈ゾルンホーフェン〉は現在、熾烈な対空戦闘を継続中であった。
そんな中、トウカとマリアベルは、今回の空襲の状況と背景について話し合っていた。
「妾の妹だけあって空気が読めぬの。怪しからんわ」
「御自身が空気を読まない自覚はあった訳ですか」
魔導障壁が展開できない喫水線下からの至近弾の衝撃によろけたマリアベルを横から支えつつ、トウカは小さく微笑む。
征伐軍の数に頼んだ空襲は効率的とは言えず、その数からして脅威ではあるものの、この空襲が終われば甚大な被害に気付くだろうことは疑いない。
これ以降の航空騎の運用には慎重となり、北部中央に侵攻してきた際に近接航空支援が大規模に行われる可能性が減少することは疑いない。征伐軍は後方の中 央貴族に対しても無防備ではいられず、高い能力を見せつけた大規模空襲という手段を行使する為の大量の航空騎の損失に及び腰になるだろう。何より、未だ空 襲という手段は研究段階にあり、この空襲の被害で征伐軍はそれを思い知ることになるだろう。
「莫迦な奴らです。空襲が敵の頭上に爆弾を落とすだけだと思っていたのか」トウカは嘲笑を口元に張り付ける。
空襲は多くの要素を必要とする。精密な照準器と適切な編隊飛行、護衛戦闘騎による制空行動、事前の航空偵察、航空爆弾、航空魚雷、そして何よりも練度……必要なものを上げれば際限がなく、単に信管付きの爆弾を投下すれば良いという訳ではない。
現に、その規模の割に敵航空部隊の攻撃は効果を上げていない。
代わりに市街地に爆弾が降り注いでいる状況を踏まえれば、決して軍人として喜べるものではないが、早期に避難指示が出ているので領民への被害は極めて少ないと考えられた。
会話をしている二人に、見張り員からの報告が届く。
「〈ヴァルトハイム〉に大隊規模の爆撃編隊、迫る!」
「〈リリエンタール〉防空圏に大型騎の編隊、飛来!」
トウカは眉を顰める。
やはり、皇国最大の戦艦は狙われる運命にあった。
軍事的な象徴でもあり政治的な象徴でもある二隻の新鋭戦艦が集中攻撃を受けるのは当然で、今まで編隊が接近しなかったのは領都防空隊の戦闘騎との交戦に よるところが大きい。編隊を維持できなくなった敵騎は適当な目標に投弾し、高空に退避しているからだろう、とトウカは当たりを付ける。事実として、投弾を 終え、或いは編隊からはぐれた騎体は空域の一角で再集結していた。
「機銃は弾幕射撃を継続! 高角砲は船渠上空に砲火を差し向けろ!」
フロンザルトの命令が的確なので、トウカは肩を竦めて、マリアベルに向き直る。
船渠上空への対空砲火を確実とする為、右へと舵を切った〈ゾルンホーフェン〉。
征伐軍〈特設航空軍団〉の航空騎も活火山の如く艦首から艦尾までをも噴火させる様に盛んに対空砲火を打ち上げる〈ゾルンホーフェン〉。脅威と感じたのか、緩降下に入る中隊規模の爆撃騎がいた。魔導障壁を転用した降下制動機構のない征伐軍の爆撃騎は、引き起こしができない為に急降下を行えない。もし、行えば投弾後に引き起こせず海面に激突するだろう。
「敵騎、左直上! 真っ直ぐ突っ込んでくる!」
「騎数、一一乃至一二っ!」
悲鳴のような声音による見張り員の報告。
フロンザルトが面舵の指示を出し、艦首底部の側面補助推進器までをも作動させて回避行動を始める〈ゾルンホーフェン〉。
俄かに慌ただしくなり揺れる艦橋で、トウカとマリアベルは互いに視線を交わす。
静かな、それでいて戦端が開かれる以前のシュットガルト湖の湖面の如き静謐なマリアベルの瞳に対し、〈ゾルンホーフェン〉が放つ活火山の噴火の如き凄絶な対空砲火の有様を写し出したかの様な野心に燃えるトウカの瞳。
対を成す瞳。
少し以前であれば、二人の瞳は互いに相手のものであったはず。
〈ゾルンホーフェン〉上空に緩降下で近づきつつあった爆撃騎が、無数の高射砲弾の破片を正面から受けて翼を捥ぎ取られ、編隊から逸れ、二騎目は機銃の掃射を受けて全身を砕かれ、鮮血と共に湖面へと落下する。
三騎目は能力の高い魔導士が搭乗していたのか、魔導障壁が数発の至近弾を弾くが、姿勢を崩されて編隊から逃れたところで〈ゾルンホーフェン〉の対空砲火を恐れずに追撃してきた友軍戦闘騎の機関銃掃射によって搭乗員を殺される。
「敵騎、投弾!」見張り員の金切り声。
それに続く様に水柱が吹き上がり、投影魔術によって全方位に映し出された光景が遮られるが、二人はそれに目もくれない。
そして、被弾の衝撃が伝わる。
予想していたことであり、フロンザルトが素早く消火指示を出す。艦首側であったったこともあり第一砲塔弾火薬庫への注水が開始された。誘爆の可能性を低減する手段として被弾時の弾火薬庫への注水は一般的であるが、その代償に第一砲塔は砲撃不能となる。
「第、一二から一八の応急分隊は、現場に急行せよ!」
「第一砲塔注水により射撃不能!」
「第二砲塔は直撃弾の破片による電纜切断により旋回不能!」
「錨鎖庫に軽度の浸水。防水隔壁閉鎖中、付近の乗員は退避急げ!」
次々と上がる報告。
大型艦である〈ゾルンホーフェン〉が、この程度の被弾で撃沈することはなく、直撃弾は一発のみに留まった。高精度の爆撃照準器がない中での爆撃であり、 寧ろ一発であれ命中させたことは誇れることであるが、離脱しようとしていた爆撃騎も続く様に二騎ほどが砲火に絡め取られて湖面へと叩き付けられた。
「敵航空集団の残存は最終的に半数を切るでしょう」
「うむ、そうであろうの。……して、シュットガルト湖の島嶼に展開している複数の航空隊は何時、使う?」
二人はこの状況を楽しんでいた。
舞踏会で手を取り合い、音楽に合わせて足捌きを踏むなど二人には似合わない。火薬と銃声が奏でる戦場音楽と戦闘艦の指揮所こそが二人の舞踏会なのだ。
「通信士。島嶼の各航空基地に通信を送れるか?」
「他艦や地上施設を経由すれば辛うじて。しかし、少々の時差と機密保持に難が」
構わない、とトウカは通信内容を告げる。
マリアベルは、楽しげに葉巻を燻らせるだけである。
敵の航空部隊は既に、その多くが投弾を終えているが、未だに投弾を終えていない大型騎が船渠上空へと迫りつつあった。
「敵騎、大型! 船渠、上空へ迫る!」
「迎撃、急げ! 主砲、弾種、対空焼霞弾。装填次第、各個判断で砲撃を開始せよ!」
見張り員の言葉に、フロンザルトが即応する。
トウカは付近の投影魔術機構を操作している兵に拡大投影を命じ、大型騎の姿を一角に映し出させる。
「ほぅ、中位種の戦龍族かの。勇ましいことであるのぅ」詰まらなさそうに呟くマリアベル。
龍の姿に転化できず、龍でもなくヒトでもないと扱われたマリアベルからすると、龍種が龍に転じて戦空を舞っている光景は不愉快なものでしかないのだろう。
健在な艦首側の第三砲塔と艦尾側の第四、第五砲塔が旋回し、砲身に仰角を取ると各個に砲撃するが、遠方で小さな人工の華を散発的に咲かせるだけに留ま る。大口径砲による統制射撃での対空攻撃はそれ相応の砲門数と、それを統制可能な演算装置が必要となるが、〈ゾルンホーフェン〉にはどちらもなく、前者は 健在な中口径砲が九門に過ぎず、後者は装備すらしていない。
「高角砲弾を弾くか……出鱈目な防禦力だな」
「……御主の心に描いておる航空戦力は龍ではない様であるの」マリアベルはが紫煙を吐きながら笑みを零す。
トウカは失言だったと眉を顰める。
この世界であれば、爆撃騎に魔導士を搭乗させて魔導障壁を展開させることは特別なことではないが、トウカの世界では迎撃される可能性を減らすには電波妨 害や高速化が主な対策となった。これは防禦力向上に比例して重量が増加し、迎撃される時間が増大するからであり、重量を伴わない防禦の強化が不可能であっ た為である。
自然と漏れた言葉であるが、マリアベルはトウカが前提としている航空戦力が龍ではないことを察した様子であった。
「水平爆撃か」
高度を維持したままに降下の気配を見ず、船渠上空空域に侵入した大型騎の編隊に、トウカは苦笑を零す。
威力で言えば高高度から行う水平爆撃が一番、高い威力を発揮するものの、距離や気流、風の影響で、その命中率は世界的に高練度として有名であった在りし日の《大日本帝国》空母航空隊であっても限定的なもので、大戦後期には目視誘導爆弾に取って代わられた。
既に〈剣聖ヴァルトハイム〉も〈猟兵リリエンタール〉も緩降下爆撃の直撃弾を受けて火災を生じ、機銃掃射によって幾つもの機銃や高角砲が潰されていたが、盛んに砲火を撃ち上げている。
一騎、二騎と直上を攻撃できる高角砲の集中砲火を受けて翼を圧し折られ、首を捥がれて墜落する騎体が存在するが編隊は崩れない。
「敵騎、投弾!」
「勇敢だ」
「なれど、無謀でもあるの」
マリアベルも命中率に難ありと見たのか、胡散臭い視線を拡大投影された大型騎に向ける。トウカは「焼夷弾を満載して戦略爆撃を行うべきだったな」と呆れるしかない。
しかし、何事にも不運は存在する。
「〈リリエンタール〉、前甲板に直撃弾、大火災!」
「〈ヴァルトハイム〉、左舷中央甲板に命中弾、対空砲火、減少!」
二人は頬を引き攣らせる。
使用された爆弾は戦艦主砲用砲弾を転用し急造したもので、その威力は絶大であった。通常榴弾を転用したものであり貫通効果よりも、その爆発力による上部構造物の破壊に重きを置いていた。
「両艦共に火災発生!」
「船渠内に浸水の模様! 設備にも甚大な被害!」
激しく燃える〈剣聖ヴァルトハイム〉と〈猟兵リリエンタール〉だが、構造体への被害は極めて軽微であり致命傷ではない。
しかし、関門が破壊されて船渠内に浸水した為に被害は大きく、周囲の設備にも甚大な被害が出ており、〈剣聖ヴァルトハイム〉に関しては倒壊した橋脚型起重機が前甲板に覆い被さることで艦首側の第一砲塔と第二砲塔は旋回不能に陥っていた。
今の時間、大洋軍艦隊司令長官であるシュタイエルハウゼンが改装状況の視察に〈剣聖ヴァルトハイム〉へと搭乗しているはずであったが、あの様子では無事ではないかも知れない。
「魔術的な誘導でも働いていたのか?」
「この魔力が飛び交う戦空で誘導など叶わぬであろう」
二人は揃って呆れ顔。
運が悪い。その一言に尽きた。
しかし、悪運の強い男は健在であった。
艦隊司令長官官の安否を問う通信が、その光景を見た艦艇や大洋軍施設の間で飛び交うこととなるが、トウカは然して心配していなかった。エルシア沖海戦で 生き汚く座礁してまで抗戦したシュタイエルハウゼンが容易く散るとは思えなかった。だからこそ仕官させたのだ。彼は実に運が良い。
「大洋軍艦隊、全艦に伝達です!」通信士が困惑顔で命令を通達する。
最大出力での通信であった様子であり、戦意を維持する為にシュタイエルハウゼンが大見得を切ったことが窺える。
「ツェザール・ルサ・フォン・シュタイエルハウゼンは健在なり。怯むな、反撃せよ! 敵騎を悉く撃墜するのだ! とのことです」
その命令としては些か抽象的なそれに、トウカは声を上げて笑う。
戦意を掻き立てる為、敢えて勇ましい命令を通達するシュタイエルハウゼンの胸中を思いトウカは苦笑するしかない。負傷を悟られまいとしているのか、或いは征伐軍の航空戦力漸減の好機と焦っているのか。
どの道、撤退しようとする敵騎を追撃する為、戦闘騎を主体とした航空隊が各島嶼の航空基地から発進しているはずであった。軍需物資生産拠点であるフェルゼンへの航空攻撃は参謀本部や総司令部では予想されていたことであり、防空計画も十分に練られていた。
だが、トウカは、この時期に空襲を受けるとは征伐軍の政治的混乱もあって予想だにしていなかった。
トウカは自分の齎した影響を軽視していた。
軍事学者でもあるカール・フィーリプ・ゴットリープ・フォン・クラウゼヴィッツは“戦争論”の冒頭で、“戦争の目的は敵の抵抗の粉砕にあり”と提唱して いる。これは敵国領土占領を意味するものの、クラウゼヴィッツ自身は、領土の占領は一都市や地方……限定的な領土でも同様の効果が得られるとしている。寧
ろ、戦争という極端な外交活動に在って重要なのは、政治的決着……即ち降伏や講和、領土割譲などという外交での決着に、どの様に繋げられるかということこ そが肝要であると説いていた。
クラウゼヴィッツの、“戦争とは外交の延長”であるという言葉は、そこから来ていると言える。
だが、トウカの行った都市部への爆撃……戦略爆撃(限定的ながらも)は、このクラウゼヴィッツの“戦争論”を根本から否定するものである。
敵の軍事力や国民の結束……継戦能力を、敵戦線を空から突破し、敵首都や都市を直接攻撃することで漸減する手段こそが戦略爆撃である。戦争に於いてこれ以上ない程に残虐非道な戦略でありながら、同時に極めて合理的戦略でもあった。
事実、第二次世界大戦では、戦艦や戦車などを差し置いて主力に躍り出た航空機は、海戦や陸戦に於いて空戦を制した者が戦いを制することを夥しい流血を以 て万人に認知させた。続く冷戦では更なる高空……宇宙空間を巡って争い続けたことを踏まえれば、その有効性は腹立たしい程に理解できる。敵より優位な高度 を取り、敵地上空へと至ることの重要性は何ものにも勝った。
「航空騎の大規模運用は今まで以上に戦争を戦場に限定しなくなった。……恐れたか、大御巫は」
「……或いは、過ぎたる刃を振るう妾らを中央貴族が看過できぬと判断した、とも考えられるの」
トウカの言葉に、マリアベルが葉巻を圧し折って応じる。
その是非を推測することはできない。
トウカは中央貴族を詳しく理解している訳ではなく、マリアベルが容易ならざる“敵”と認識しているからこそ警戒しているだけである。もし、マリアベルの言葉が正しいならば、想像以上に征伐軍内に中央貴族勢力が浸透しているということになるが。
「まさか、これ程、過敏に反応されるとは」
心情は正にそれである。
弱り切ったトウカに、マリアベルは、ころころと笑う。葉巻をもみ消しながらなので上品さは窺えないが、相変わらずのドヤ顔は見ていて微笑ましい。
「分かっておらんの。御主が齎した恐怖を。……前線から遠く離れた策源地を襲撃して、貴様らに安住の地など在りはしない、と突き付けたに等しかろうて」
実にマリアベル好みの遣り様であったのか、その機嫌はすこぶる良い。
恐怖を以て統制する。
「まぁ、今回は失敗したようですが……」
「暴発させては二流よの」
返す言葉もない。
項垂れるトウカに通信士が近づいてくる。その困惑の表情に首を傾げながらも、トウカは報告を促す。
恐縮しながらも告げられた報告に、トウカは沈黙する。
「…………シュパンダウに敵編隊が向かっている、だと」
トウカは通信士が手にしていた電文を引ったくり、血走った目で内容を再確認した。
「航空隊は発進急ぎなさい! 手空きの兵は近くの対空砲へ!」
次々と指示を放つリシアの背を見ながら、ミユキは不安に苛まれていた。
ロンメル領邦軍司令官を兼任しているトウカは不在であり、人事上の混乱もあって領邦軍副司令官や防空隊長も正式には内定しておらず、代理を立てている状 態であった。各領邦軍の統合による北部統合軍の再編成や、総司令部と参謀本部の新設に伴う人事上の混乱は、形骸化した各領邦軍にも影響が出ていた。
今となっては、根拠地隊や守備隊程度の権限にまで縮小された各領邦軍だが、トウカやベルセリカが人事上の混乱を黙認したのは銃後であり、優先順位として低かったからであった。
それが裏目に出た。
航空騎は前線など飛び越え、北部統合軍の軍事中枢たるヴェルテンベルク領を直撃したのだ。
ミユキは軍事に明るい訳ではないが、トウカが近いことを征伐軍に対して行ったのだから相手ができても不思議ではないと考えていた。戦争など雄が雌や蓄え を求めて力を競い合う延長線上に過ぎないのだから、相手だって同様の、或いはそれ以上の手段で応じてくるのは明白である。
「リシア……領民の避難は大丈夫?」
ミユキは、臨時で領邦軍司令官代行を押し付けたリシアに尋ねる。
領民の生命は総てに於いて優先される。その為に領主たる貴族は、税を集め、法を整備し、軍備を整えているのだ。権利には義務が付き従い、ミユキに今この時、時代は義務の履行を求めていた。
研究開発の要衝でもあるシュパンダウには、試作型の魔導探針儀や一つの領邦軍にしては大規模な一個戦闘航空団が展開している。戦闘航空団は三個飛行隊か らなり、一個飛行隊の保有騎数は三六騎であり、総数にすると一〇八騎という数で、防空任務主体である為に全騎が戦闘騎で占められていた。
しかし、それらは島嶼全体に分散配置されており、三つの航空基地から発進させねばならない。集結には今暫くの時間が掛かるが、戦力の逐次投入を行う訳にもいかなかった。
「領民の避難は終えているけど……民家への被害は避けられないと思うわ。覚悟しておきなさい」
「もし、家を失くした人がいるなら、天狐の皆を宿泊させる為に呼び寄せた客船を使えばいいから大丈夫かな……あっ、でも食糧とか衣類を確保しないと、チカちゃん!」
ミユキは、一大事です、と尻尾を一振り。
それに合わせ、咳払いと共に現れる影。
「エイゼンタール少佐、そう御呼びいただきたいのですが」
苦言を呈しながらも背後に現れたエイゼンタールに向き直り、ミユキは衣類などの生活用品を確保するように指示するが、島嶼という閉鎖空間である以上、既に有事を考慮して備蓄がされているとの返答に胸を撫で下ろす。
「しかし、医療品の備蓄に不安がありますので、敵騎来襲の報と同時にキュルテン大尉をエルシアに向かわせています」
「流石、できる女って感じがします! なら、私達も頑張っちゃいましょう!」
「なに莫迦なこと言っているのよ。私達も防空指揮所に行くの」
ミユキは、リシアに襟首を掴まれて、ずるずると引っ張られる。
エイゼンタールを伴い、二人は屋敷に併設された領邦軍司令部へと足を運ぶことになる。
弱小貴族であるので防空指揮所も兼ねている領邦軍司令部に入ると、領邦軍士官が道を開けて敬礼するので、ミユキはリシアの背に隠れながらぺこぺこと頭を 下げる。トウカやリシアなどの人間種の若輩な領邦軍士官というのは貴族の私設軍である領邦軍でも珍しい例であり、大半は相応の年齢である。実質的に、長命
種のミユキは容姿以上の年齢をしているのだが、やはり気後れするものがあり、ミユキは沈黙した。
「あの魔導探針儀が正しいなら、そろそろ来るでしょうね」
領邦軍司令官席に腰を下ろしたリシアは、腕時計を一瞥して呟く。
戦闘艦の艦橋の様に全天を見渡せる程ではないが、投影魔術によって外の光景が映し出される。
外では対空機銃を兵達が操作し、無数の阻塞気球が続けざまに展開されていた。
放たれた傘状の阻塞気球は一定の高度に達するとその後に中から複数個の金属重りが舞い落ち、それらは長い金属糸で繋がれて航空騎の動きを制限する働きを 持っている。ヴェルテンベルク領邦軍では、友軍の迎撃騎の防空戦闘の邪魔になると運用が中止されたものであるが、今暫く友軍騎の来援が望めない状況では遠 慮する必要はなかった。
「敵騎来襲! 数は約一二〇! 大型騎を含む!」
「射程に入り次第、各個の判断で迎撃しなさい」
報告に対して、リシアはそれだけを命じる。
陣地防禦の一種である対空戦闘では、指揮官の特筆した指揮による現状打破というものは望めず、ただ将兵達の奮戦こそが之を撥ね退ける。
そして、対空戦闘が始まる。
最初に狙われたのは、湾岸施設と停泊する船舶であった。
徒に人的被害を拡大させる必要はないと、リシアの命令で真っ先にシュットガルト湖上に退避している艦艇が殆どで、商船などの大型船は哨戒艇や駆逐艇、水 雷艇の護衛を受けて逃げ去っていたものの、比較的規模の大きい漁船や民間船は攻撃を受けて相次いで湾内で沈没、或いは大破着底する。
「次は此方でしょうね」
リシアの呟き通り、屋敷や隣接する領邦軍司令部への投弾が相次ぐ。
屋敷も領邦軍司令部も地下の魔導機関によって展開された障壁である程度は防ぐことができたものの、広範囲を防護せねばならない上、出力は戦艦には遠く及ばず、駆逐艦程度のものに過ぎなかった。
「ああっ! 私と主様の愛の巣がっ!」
「屋敷が吹っ飛んだわね……良い気味」
半地下式の上に、分厚い練石と装甲で 護られている領邦軍司令部は無事である。屋敷は軍用の造りではなく盛大に吹き飛ぶこととなった。倒壊はしないが屋根を貫通し、屋内で炸裂した爆弾は家具や
生活品を拭き払い、爆風を以て扉や窓諸共、外へと押し流した。屋根の建材も空高く舞い、屋内の物品は全滅したことは誰の目にも明らかであった。
そんな中でも、兵士達は鬼気迫る様子で対空戦闘を続けていた。
領邦軍司令部屋上に並べられている無数の旧式機関砲が砲座上で、兵達によって操作され続けている。各砲座では機関砲に必死の形相で取り付いた給弾手が、飛び跳ねようとする旅行鞄ほどもある弾倉を手で支え、射手は敵騎の進路予測に合わせて懸命に重い操舵装置を回している。
時折、自動拳銃を手に慌ただしく歩いて回る曹長の指示に従い、照準手が機関砲の射角と仰角を調整するが、その様な過程を経ている時間を航空騎が与えてく れるはずもない。撃ち上げられる機関砲弾のほとんどは命中しない。リシア曰く、いっそ兵達も避難させて成すがままにさせてやればよかったわね、と言わしめ る程の命中率であった。
幾つかの砲座の間には、傍らに分隊付軍曹と伝令兵を置いた。分隊長と思われる年若い少尉が双眼鏡を片手に空を睨んでいる。一方の手で曲剣を手にしているのは意味があるのか甚だ疑問であった。
「えぐえぐ……」
「泣かれても知らないわ。経費は征伐軍にでも請求しなさいよ」
せっかく手に入れた御姫様みたいな生活(仔狐主観)が、航空爆弾で消し飛んで涙を流すミユキに、リシアが呆れ声を上げる。別段、命令を連発する必要がな いので、リシアもミユキの愚痴に付き合う余裕があるのだ。この場合、指揮官に求められるのは泰然自若としていることのみである。
「まぁ、あんな広い屋敷より、小さな家の方がトウカとはいちゃつけるでしょうに。部屋も一つだけなら四六時中一緒じゃない」
「そ、それだよっ! 流石、名参謀!」
いきり立つミユキに、周囲の領邦軍士官も思わず苦笑い。
戦闘中であっても己の調子を維持する ミユキは、良くも悪くも大したものであるという評価によるところである。領邦軍士官の中には、ヴェルテンベルク領に事実上の併合がされて以降、数ある軍事
衝突に参加した士官も少なくなく、戦場で取り乱す新兵を数多く見ている。それに比べれば、ミユキの調子が崩れないことは評価に値する事であった。
寧ろ、屋敷なんて私には勿体ないし維持費が大変、と口にするミユキに、リシアは肩を竦める。
「ちょろいわね」
「はっ、誠にちょろいかと」
エイゼンタールの同意に、リシアは曖昧な笑みを零す。
装甲姫の忠実な鋼鉄の女は主君同様、容赦がない。チカちゃんと呼ばれたことに対する不満があるのだろうと見当を付けた。
「あっ!?」
ミユキは拡大投影された街並みに異変を見た。
リシアとエイゼンタールが首を傾げるのを無視して、魔導投影を行う水晶板を操作していた領邦軍士官を呼び、写し出されていた一角を拡大投影させる。
そこには逃げ遅れていた領民の姉弟がいた。
戦火は市街地にまで及んでいるのか、彼方此方で火の手が上がっており、消火活動を担う自警団も避難させているのでそれを押し留めるものはいない。
泣き叫ぶ弟を抱き締める姉。
火の手が周囲を包み、このままでは一酸化炭素中毒か、焼け死ぬかであろうことは明白であった。領民の避難は完了したと聞いていたが、領民全てを完全に把握することなどできない。
「助けないと……」
「余裕がある物資集積所の兵を向かわせたわ……まぁ、間に合わないでしょうけど」
ミユキの言葉に、リシアは最善を尽くしていると返しつつも、間に合わないと冷静に口にする。
そのリシアの表情は、何時も通りの表情で用意されていた黒茶を啜っている。ミユキにはなぜそれほどまでに冷静なのか分らず、助けを求めるようにエイゼンタールへと視線を巡らせるが、黙って首を横に振られるだけであった。
そんなミユキの表情を、リシアは見咎める。
「見たくないなら目を背けていなさい。……これが私とトウカ……いえ、サクラギ中将のいる戦場よ」
詰まらなそうに呟くリシアに、ミユキは反発を覚える。
領民の生命に対して最善を尽くしているとはいえ、余りにも冷たい態度である。
もっと、なにか方法があるのではないのか。ミユキはそう考える。
「領民を護るのは私の役目なのに……」
「貴女は、この非常時に在って他領邦軍の指揮官である私に指揮権を与えて最善を尽くした。それで十分、貴族の役目は果たしたわ」
その言葉は冷静にして正しい。
世の中にはどうしようもないこともある。ミユキはあの寒村でそれを嫌という程に見せつけられた上に、シュットガルト湖とて人造の神の悲しみの涙によって 生じたのだ。神ですら悲しみに涙を流すというのなら、総てを思うが儘に操ることができる存在など居はしないということになる。
「それに戦場を限定することを放棄したのは、トウカ自身。あのヒトの考えていることが手に取るように分かるわ。軍人だけに血を流させて、傍観者で在り続けることを民衆に許す気はない、そういうことでしょうね」
軍人が民衆に対して不信感を抱きつつあるということは、ミユキも耳にしたことがある。北部貴族の各領邦軍は帝国という脅威があったので潤沢な資金を投じ られていたが、他地方の貴族の領邦軍や陸海軍は、三代前の先皇陛下の頃より周辺諸国との協調路線という名の平和主義を堅持していた。
年々減少する軍事予算に比して増大する外圧。
そして、それを是とし、軍人など必要ではないという風潮の醸成。
軍人が民衆に猜疑心を抱くのは当然と言える。
今回の内戦で陸海軍府長官の大御巫への協力、否、それ以前からの陸海軍の部隊の協力や好意的中立は、急進的思想を有し、武断的解決を意図したそれに対する期待があったのかも知れない。
「北部統合軍も征伐軍も関係なく、民衆が内戦で血を流せば理解するでしょう。軍人もまた民衆であり、民衆は国家の歯車だと、ね。そして、気付けばいいわ。皇国が滅ぶ時こそが、自らが喪われる刻である、とね」
リシアは、ただ喪われつつある命を投影越しに見つめる。
其々の立場があり、不満と義憤があることは理解できる。
今、領民が喪われようとしているように、戦野で助かるはずの軍人が疎かにされた軍備故に助からなかった場面に、リシアは遭遇したことがある。或いは、それを知ったからこそ装虎兵士官学校を中退し、ヴェルテンベルク領へと舞い戻ってきたことにも納得できたのかも知れない。
だが、ミユキはリシアを正面から見据える。
「それでも私の領民なの」
そう、ミユキはシュットガルト=ロンメル子爵であり、この島嶼に於いて、権利を行使し、義務を有する者である。
「だから、行くね、リシア」ミユキは背を向ける。
今この時、ミユキは義務を履行せねばならない立場にあるのだ。