第一一五話 航空主義者の台頭
「どう思いますか?」
千早を纏いながら大御巫であるアリアベルは、背を向けた男性将官に問う。
男性将官……オスカー・ウィリバルト・バウムガルテン中将は、姿勢を今一度正すと一礼して端的に結論を口にする。
「端的に申し上げて止めることは不可能かと」
中央総軍砲兵参謀のオスカーは作戦計画立案の練達者であり、軍事作戦に於ける政治の影響や、それの対応に深い理解を持つ将官でもあった。
紳士的な中年男性という雰囲気のオスカーに、アリアベルは振り返ると胡乱な視線を向ける。
「まさか、こんなことになるなんて……同じ龍として恥ずかしい限りです」
「しかし、気持ちは分かります。今までの会戦の多くは虎種や狼種が主体となり戦果を上げていましたが、対する龍種は航空偵察などが殆どです。種族の特徴を生かした戦いをできないことに強い不満を抱いていたのは致しかたないことかと」
二人揃って溜息を吐く。
事の発端はアリアベルが警戒する陸海軍府長官……ではなく、龍種の将官や士官を中心とした者達から提出された作戦計画書であった。
北部統合軍と名称を変えた叛乱軍の一大兵器工廠地帯となっているヴェルテンベルク領、領都フェルゼンへの大規模空襲。
しかも、残存兵力と陸軍の増援により再編成の終わった三個機動師団による陽動を含めた作戦計画であり、龍種以外の将官の一部も、座して敵の戦力拡充を見過ごす必要はないと賛成に回り止められる雰囲気ではない。
一応、筋は通ってはいるが、承認はできない。
これに関しては陸軍府長官のファーレンハイト元帥も同様の見解を示しており、事態の鎮静化に乗り出しているが、蹶起集会同然に集まった龍種の将官や士官達は、航空攻撃という新たな可能性に魅入られて命令すら無視しかねない状況である。
元より征伐軍は、大御巫であるマリアベルという宗教的象徴を最上位に据えた超法規的な戦闘集団であり、軍規や指揮系統の面に於いて曖昧な部分があった。 陸軍と海軍陸戦艦隊、領邦軍、憲兵隊、傭兵団などの混成という面から正規軍の軍規を当て嵌めることが難しく、新たな軍規の設定も其々の思惑が複雑に絡み合 うことで難航し、棚上げ状態であったことが災いして罰則規定も曖昧である。
つまり、軍規に当て嵌めて押さえ付けることができない。
或いは軍事面での象徴であったレオンディーネがいれば、貴族将校達に関しては大喝を以て事態を掣肘できたかも知れない。
ファーレンハイト陸軍府長官は陸軍の軍規を適応することも視野に入れるべきだと口にしていた。だが、その動きを警戒するよりも龍種が活躍できるという風 潮に押され、新規に加わった龍種達の勢力が増大し続けていることを危険視しており、場合によってはそれに押される形での承認も有り得る。
しかし、アリアベルが最も恐れるのは、征伐軍内にクロウ=クルワッハ公爵であるアーダルベルトの意向を受けた龍種が大量に紛れ込みつつあるかも知れないという事実であった。
自身の失脚の為にアーダルベルトが多くの者を犠牲にするはずがない、とはアリアベルは思わない。
だが、国家に混乱が生じ、それによる犠牲者の数がそれを越えるのであれば、アーダルベルトは断じて実行する。
アリアベルに見極められない祖国の行く末を、アーダルベルトは垣間見たのかも知れない。それこそが七武五公なのだ。
闘争を特別視せず、常に呼吸をするかのように政治的手段として懐に忍ばせているアーダルベルトは、アリアベルによって成立した征伐軍という存在を認めて いない。何故、自分を認めないのかという点は、今更考える気も起きないが、忍び寄っている可能性のある脅威から目を背ける訳にはいかない。
「対応は?」
「作戦計画を承認すべきかと」
即応したオスカーに、アリアベルは執務椅子に深く身体を預けるだけに留める。
明確な返答は難しい。
ここで龍種を押さえ付ければ離反者が発生しかねず、大敗後である以上続く者も少なくないはずであり、征伐軍の亀裂が明確な形となって表面化しかねない。 そして、ファーレンハイトが大御巫であるアリアベルを奉じる利点よりも欠点が上回ると判断した場合、その指揮権を剥奪しようと動きかねなかった。
「この内戦が治まって挙国一致が叶うなら……私は表舞台から降りることになっても構わないです」
苦渋の選択ですが、とアリアベルは深い溜息を零す。
国家の担い手たらんとし、多くの血を流し、多くを敵に回した。
ある意味では、皇国内のあらゆる武装勢力の集合体でもある征伐軍を結成し、協力体制を実現したという結果こそが、アリアベル最大にして最後の成果になるかも知れない。
自身に軍隊を統率する能力と経験がないことは理解している心算であり、だからこそ自身に友好的、若しくは中立の立場を取る優秀な将官を望み、眼前のオスカーもその一人であった。
しかし、蹶起軍……否、北部統合軍と名称を変更した叛乱軍が更に上手だった。
サクラギ・トウカ。
政戦の総てを見透かし、嘲笑う男。
アリアベルは、トウカが嫌いである。
生理的なものでも本能的なものでもないが、一番の理由は痛い目を見たということが原因であることは間違いない。クラナッハ戦線突破戦とベルゲン強襲…… 北部統合軍内では、ゲフェングニス作戦と呼ばれていると聞いたそれは、恐らくトウカの目論見通りアリアベルを軍事的にも政治的にも追い詰める結果となっ た。
もし指揮権を剥奪されるならば、アリアベルは征伐軍の全ての権限を陸海軍府に移譲し、自身は霊都へと引き籠る心算であった。
中途半端に権限に固執した場合、征伐軍が割れる可能性があるので、それならば一層のこと全ての権限を委譲し、戦争の専門家に全てを任せる方が無難である。
「ファーレンハイト陸軍府長官に今回の一件、御任せすると伝えてください」
「確かにその方が宜しいかと。……勝てばそれで構いませぬし、失敗されれば陸海軍派の権勢を削ぎ落とす事も可能かと」
諸手を挙げて賛成するオスカーに、アリアベルも深く頷く。
征伐軍の指揮権維持を断念することを前提とすれば、取れる選択肢は増える。悲しいことではあったが、アリアベルは政治と戦争を連動させ得るだけの手腕を 持ち合わせてはいない。互いが互いにどの様な影響を齎すかの判断が付かないのだ。対する陸海軍府は、長きに渡る天帝不在の状況を鑑みて、独自に政治活
動……内閣を組閣できるだけの人材を揃えようと陰で躍起になっていることをアリアベルは知っていた。
陸海軍府は、遙か昔に貴族や政治家を見限っていると言える。
そうした姿勢こそが貴族や政府の猜疑心を掻き立てているということを理解しても尚、非常時に備えねばならない彼らの胸中は如何程のものか。
皇国の危機とは、其々を纏め得る人物がいないことに起因するものである。
そして、アリアベルにもそれは叶わなかった。
次は陸海軍府長官の連立による国家統制を図るのも悪くなく、アリアベルが神輿になったならば、国体の象徴という観点からも一応の体裁は整う。
「一切合財、陸海軍に押し付けようという訳ですか? それは宜しいことです。戦争は本職に任せるのが宜しいかと」
陸軍府長官の息が掛かっているであろう立場のオスカーだが、ヴォルフローレを護り、ベルセリカと相対した経緯を聞いて信頼に値する者であるとアリアベル は判断した。女性としてオスカーという男性は、実に評価に値する将官であり、ヴォルフローレのいる皇国という御国を断じて護るという決意を持っている。
「ファーレンハイト陸軍府長官をここへ」
「承知致しました」
一礼したオスカーが下がり、扉の先へと消えるのを確認し、アリアベルは立ち上がると背後へと視線を巡らせる。
そこには幼馴染にして忠勇なる騎士が身じろぎもせずに立っていた。
「エルザ……思い通りにはならないものね」
小さく苦笑するアリアベルに、エルザは困り顔である。
当初の予定は完全に頓挫し、その権威すらも低下し始めているアリアベルに対して掛ける言葉が見つからないことは明白であるが、実のところアリアベルは然 して気負っている訳ではなかった。皇国の存続こそが重要であり、征伐軍の成立はその目的の為の手段に過ぎず、目的さえ叶うならば征伐軍の指揮を誰が執るか など些末時に過ぎない。
「無念です。こんなに頑張ってきたというのに……誰も彼もが現状を甘く見ている!」
下唇を噛み締めるエルザに、アリアベルは小さく笑う。
アリアベルはベルゲンを引き払い、霊都へと帰還する心算であり、後の指揮権を陸軍府長官に移譲することを胸に決めていた。
無理な抵抗は征伐軍を瓦解させてしまう以上、選択肢はない。
「姫様はこれで宜しいのですか? 何も護れず、戦友すら取り戻せないなど……」
「良いのよ。国を護るは戦人が勤めにして、我が戦友は神虎の姫君として遇されているもの」
アリアベルは執務机に置かれた湯呑を手に取る。熱い黒茶の入っていたそれは、既に冷えていた。
総てを自ら成すことなど元より不可能だったのだろう。
軍人にその本分を全うさせることを、何故に躊躇う必要があるのか。彼らが戦争を望み、それが必要な状況にあるならば存分にさせてやればいい。そして、虜 囚の身になったレオンディーネが厚く遇されていることは外交筋を経由して伝えられており、話によると参謀本部付の武官としてサクラギ中将の副官の様な立場
に収まる予定であるとのことであった。政治的な思惑あってのことであろうが、逆に安定した立場を得られたことから不遇を強いられることはないとアリアベル は判断している。
少なくとも、そう自分を納得させていた。
憤慨するエルザを宥めるアリアベルだが、そこで執務室の扉が叩かれる。アリアベルは「どうぞ」と入室を促す。
「陸軍府長官ファーレンハイト。御呼びとの命により参上した」
威風堂々の佇まいを其の儘に、相変わらずの光沢に満ちた頭部を一層に輝かせ、アリアベルの前で最敬礼の姿勢を取る宿将。
カイゼル髭を撫でたファーレンハイトが口を開く。
「して、やはり航空主義者共のことですかな? 既に根回しをして勝手に準備を始めているようですが」
全てを理解しているであろう立場にあるファーレンハイトだが、その表情からは焦りは窺えない。
「面倒なので単刀直入に言います。貴方に征伐軍の指揮権を委ねます……良い様に」
「それはまた……面倒なことを面倒な時期に押し付けてくれますな」
ファーレンハイトは毛根の死滅した後頭部を撫で、心底迷惑そうな顔をして見せる。大御巫であるアリアベルを敬う心など持ち合わせてはいないファーレンハイトの無遠慮な態度や言葉を咎める者は多いが、実のところアリアベルはそれを好んでいた。
常に飾らず本音を以て応じるファーレンハイトに、諫言を口にしようとしたエルザを片手で制止し、アリアベルは小さく笑う。
「戦争屋なのですから存分に本分を尽くす機会を与えられて満足でしょう?」
「分かっておられない。全く分かっておられない。……だから御前は阿呆なのだ」
心底莫迦にしたような口調と態度で呆れ返るファーレンハイトに、エルザが腰に佩用した長剣の柄に手を掛けようとするのを、手を掴むことで制止し、アリアベルは目線でファーレンハイトに言葉の先を促す。
「この一連の動き、クロウ=クルワッハ公爵の差し金でしょうな」
「それは理解しているわ。私の政治的失脚を狙って征伐軍内に不和を齎す、そんなところでしょう」
征伐軍内の龍種による無秩序な動きを誘発させ、軍事行動に掣肘を加える。軍事行動は制限され、征伐軍は内憂に備えて動きを停滞させることになるだろう。
しかし、それは失敗した。
アリアベルが潔く身を引くからである。アリアベルに当初より付き従っていた者には不満を口にする者もいるだろうが、合理的な説得と、不和はクロウ=クルワッハ公爵を利するだけであるという現実の前に次々と口を噤んでいくだろう。
「違いますな。全く違いますな。……だから御前は阿呆なのだ」
阿呆だ阿呆だと連呼するファーレンハイトに、さしものアリアベルも顔を引き攣らせるが、クロウ=クルワッハ公爵の差し金と判断しながらも政治的なものではないと言いたげなその言動に興味を引かれた為、黙って言葉の先を促す。
「これは様子見だろうな」
「様子見?」
最早、敬語を使うことすら億劫なのか、カイゼル髭を撫で付けながらファーレンハイトは、厳格な老教官が生徒に軍事教練を施すかのような口調で告げる。
「貴様程度の小娘が見透かせる程度の思惑を、あのクルワッハ公爵が巡らせるはずがない。何より、貴様がその手を講じることができるということは、それは然して意味のない手段と言うことになる。小娘、分かるか?」
憤懣やるかたない状況にがりがりと壁に爪を立てるエルザを無視し、アリアベルは執務椅子を揺らして思案する。
確かに、アリアベルの先手を打つことが容易い程の智謀の持ち主であるアーダルベルト。アリアベルの征伐軍指揮権譲渡を目論んでいるのであれば、龍族が無 為に喪われる作戦を後押しするはずがなく、それ以外の手段を講じたことは疑いない。クラナッハ戦線突破戦とベルゲン強襲……ゲフェングニス作戦によって指
揮系統に大被害を受けた征伐軍司令部は、アリアベルの支持者だけで構成することは難しい。陸軍から将官を招聘していることを踏まえると忠誠心など期待でき るはずもなく、一部の者には七武五公の息が掛かっていても何ら不思議ではなかった。
そんな状況にまで追い詰められたアリアベルだが、七武五公から直接的な手出しがあったことはなく、人的被害が生じたこともまた同様であった。精々が資金 面や人材面での妨害のみに留まっており、態々この時期にアリアベルの失脚を狙うというのであれば相応の理由があっても不思議ではない。必要であれば、いつ でも失脚を意図した行動は起こせたはずなのだ。
それ程に政治力……幾星霜と受け継がれてきた貴族の連帯は強く、政府や有力者に張られた根も深淵と称して差し支えない程に深いはずであった。
何故、今なのか?
「私が本当の意味で邪魔になったということですか?」
「違うな。今までは不愉快な存在だったが、現状で貴様の手中に征伐軍の指揮権があるのは不都合と見られた訳だ。唆された者が征伐軍内にいるだろうな。護衛を増やしておけ」
懐から葉巻を取出し、先端を口で噛み切りながら侮蔑の表情を浮かべる。
その意図を察したアリアベルは、首筋に冷たい刃を押し当てられたような感触に息を唾らせた。
「…………御父様は私を殺す心算だった?」
それは今更である。
しかし、少なくともそれなりの理由と死に場所を与えてはくれるであろうという淡い期待があったが、ファーレンハイトの表情を見るにアリアベルの選択次第では屈辱的な死に様も有り得たのだろう。
そう、例えば無理に征伐軍の指揮権に固執し続けて内部崩壊を招き、戦闘状態に陥った場合。
恐らくは暗殺されただろう。暗殺とは思われない様な形で。
総司令部に突入してきた陸軍派との戦闘に巻き込まれた、或いはベルゲン強襲で受けた爆撃で不満を蓄積している住民に暴行される、若しくはアリアベルの野放図な権力拡大に危機感を抱いた神殿騎士団の騎士に背後から刺されるなどという演出を以ての暗殺。
「俺は答えを既に口にしたぞ、小娘」
「…………航空主義者ね」
噛み切った葉巻の先端に長燐棒で火を付けるファーレンハイトに、アリアベルは吐き捨てるように呟いた。
航空主義者。
ゲフェングニス作戦で征伐軍が行った防禦行動は、皇国陸軍の戦術規範や基本戦略から見ても決して間違ったものではなかった。否、その命令は迅速であり成功したものであったと言える。
しかし、航空騎の速度と打撃力には遠く及ばなかった。
各地に展開している師団司令部は勿論のこと、大隊や中隊以下の司令部にまで爆撃や銃撃を加えられて指揮系統を寸断され、輜重線まで脅かす空からの大規模 な突然の脅威に征伐軍は対応できなかった。航空騎、特に爆撃騎の集中運用がこれほどの効果を齎すというのは、航空騎先進国である皇国でも爆撃騎の集中運用
による攻撃など実施されたことはない為に初見である。龍の攻撃と言えば火炎息吹や魔術が中心で、後者の場合は龍騎兵として魔導士を搭乗させる必要があり、前者は短射程で通常の陸戦兵器に迎撃される程に降下する必要があることを踏まえれば、数を揃えるのは難しく長所も少ない。
しかし、ヴェルテンベルク領邦軍の戦闘航空団は爆弾や機銃を装備することで遠距離から、そして魔導士でなくとも強力な攻撃を行えるようにすることで問題 を解決したのだ。あくまでも魔術は防禦障壁の展開に制限することで、魔導士でなくとも運用可能な龍騎兵となり大量動員も可能となる。
「ああした考えは陸海軍にもなかった。試験的に爆撃を試すことはあっても、搭載爆弾を一瞬で投弾し終えて戦力としての意義を敵軍上空で喪失する爆撃という手段は主力とは成り得ないはずだった……あの日までは、な」
ファーレンハイトは、葉巻を咥えて不快げな表情をする。
研究段階ではあったのだろうが、継戦能力のない対地攻撃を疑問視する風潮は軍事に造詣が深い訳ではないアリアベルにも理解できた。
皇国という国家は、継続することを何よりも重視する。それ故に四〇〇〇年を超える歴史を持ち、圧倒的なまでの種族の連合として国家を維持し続けることに 成功したが、その思想は軍事や政治にまでその影響を及ぼした。無形の風潮として吹き荒れるそれらは、多くの恩恵と共に少なくない弊害を齎した。
恩恵とは種族の連合が長期間、継続した事象そのものであるが、対する弊害とはその慎重に過ぎる姿勢と物事を常に長期的な視野で考えることである。短期的に使い捨てるかのような手段が最適であることもあり、それらと長期的な視野を併存させてこその軍事であり政治である。
だが、《ヴァリスヘイム皇国》は何事に於いても長期的な物事を重視する傾向にある。
航空騎も長期的に運用することを踏まえれば、敵軍の上空で主武装を喪失した状態で飛行させることは憚られ、ましてや火炎息吹による攻撃は一部の高位種を除いて地上限界まで降下せねばならず、被害は甚大なものとなる。そして、短期間で損耗する航空戦力を皇国という国家は認められない。
だからこそ航空攻撃という手段は、高位の龍種魔導士の搭乗した魔導龍騎兵という極一部の試験部隊や教導部隊としての運用に留まっていた。育成までに時間が掛かり、強力な龍と優秀な魔導士という単価の高いそれらを同時に用いて喪失した場合の不利益を恐れたがゆえである。
「でも、ゲフェングニス作戦で、これ以上ない程の成果を見せつけた……
成程、とアリアベルは思う。
。
武装が一発乃至、少数の航空爆弾しかないという欠点があるが、集中運用すればある程度は補える上に、そうした大規模な空襲を受けることを考慮していなかった征伐軍には奇襲も同然である。そこに装甲部隊の機甲突破が重なり戦線は引き裂かれ、指揮系統は各所で寸断された。
他の北部統合軍……当時の蹶起軍の他の部隊の妨害があったとはいえ、その速さに戦線の再構築すら間に合わなかったことに変わりはなく、挙句の果てには混乱で〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉を見逃し、ベルゲン強襲までを許した。
航空騎の集中攻撃は、戦線を打ち砕き、指揮統制を大きく低下させるだけの威力がある。例え、航空騎自体が継戦能力を一瞬で失おうとも、十分にそれに釣り合う戦果を叩き出せる可能性を秘めていることが証明されたのだ。
「航空騎の時代になるとすれば皇国は有利……いえ、そう。そういうことね……」
アリアベルは前髪を掻き毟り、執務机に、ごん、と頭を打ちつける。
何故、今まで気付かなかったのか。
自身に対する嫌悪と、自らの手を汚さすに確認をしようとする父に、アリアベルは羞恥と怒りで顔に朱を散らせる。
征伐軍内の航空主義者の攻勢の声は、クロウ=クルワッハ公爵の思惑を反映させたものであることは疑いなく、アリアベルは征伐軍を二分する意図があるのだ と考えた。しかし、それは何時でも可能だったはずであり、この時期である必要性が薄い上に、それは指揮権譲渡という手段を以てしてアリアベルの専横を阻止
することができる。父であるクロウ=クルワッハ公爵が解決の手段が相手の手中にある様な策を講じる程度の人物ではないことをアリアベルは良く知っていた。
だからこそ他に目的がある。
そして、それは恐らく……
「航空兵力の有効性の確認。……これは実戦での実験なのね」
恐ろしいことだ。
父は政治的怪物であるとは理解していたが、軍事に興味を抱き、政治に大きく織り交ぜる事をしたという記憶はなく、寧ろ息子であるリヒャルトの死から軍事 によって政治的停滞を打破するかのような武断的姿勢を危険視している様にも思えて、そうした行動を起こすとは考えてもみなかった。
「あれは皇国での龍族の地位を良くも悪くも揺るがす可能性を秘めたものだ。……小娘、軍事が政治の延長線上だということを忘れていたな?」
アリアベルへと紫煙を吐き出してくるファーレンハイと。
「私が航空攻撃の可能性を軽んじていた、と?」
いや、恐らくはそうなのでしょう、とアリアベルは思う。
軍事衝突が起きる理由の多くは有史以来、政治的摩擦であり、それは隠しようもない事実である。経済活動が政治によって名目上、統制されていることから最終的には戦争の原因は政治に起因するのだ。
そして、今一歩、軍事戦力として虎種や狼種よりも運用の難しさから活躍の機会が少ない龍種に巡ってきた種族間の主導権を取る好機。その確認の機会を奪おうとアリアベルが目論むならば排除も辞さないだろう。
それらから考え出される答えは、クロウ=クルワッハ公爵による航空戦の確認以外には考えられない。眼前のファーレンハイトの不快げな様子も、自らは手を 汚さずにその真価を見極めようとするクロウ=クルワッハ公爵に対してのものであるとするならば、アリアベルにも納得できるものであった。
アリアベルは、蟀谷を抑えて嘆息する。下手な混乱は征伐軍を二分するかも知れない。
「航空攻撃は行わねばならないでしょう……今後の征伐軍の指揮は陸軍府長官に一任します。皇国に勝利を齎しなさい」
「それが無難だろうな。まぁ、俺が指揮を執ってやる。これ以上、貴様の指揮で負け続ければ権威が消し飛ぶ」
御前は御淑やかに拝まれる石像をしていろ、というファーレンハイトだが、その表情は険しいままである。勝算が低いのだろう。
航空攻撃は北部統合軍側で立案された攻撃手段であり、それの齎した戦果を見て取った相手側が相応の対策を講じていることは想像に難くない。無論、北部統 合軍の戦力から見て北部全体に防空網を張り巡らすことは困難であると推測できるが、要衝の制空権は抑えてはいるはずである。しかし、北部統合軍に軍事的に
も政治的にも打撃を与えるならば、要衝への攻撃となるのは当然であり頑強な抵抗が予想された。
恐らく、そうした結末を踏まえてファーレンハイトは航空戦を危険視しているのだろう。
「龍種の将官、ジギスムント・フォン・デュランダール中将が前線指揮を執ってのヴェルテンベルク領空襲になるだろうな。目標は各種軍需工廠とフェルゼン内の船渠で修理と改修を行っている〈剣聖ヴァルトハイム〉型戦艦二隻……それと叶うならば噂の新型巡洋艦を撃沈したいそうだ」
ファーレンハイトが差し出した作戦計画の資料を受け取り、アリアベルは苦笑するしかない。
「息巻いているのね……でも新型巡洋艦はシュパンダウに寄港していると報告を受けていたのだけど……」
「シュパンダウには研究施設が集中している。そちらの序いでだろう」
兎に角、北部統合軍の鼻を圧し折りたいという思惑が透けて見える攻撃目標の羅列に、アリアベルは眉を顰める。目標を絞って確実な戦果を求める作戦に変更できないのかという視線をファーレンハイトに送るが、当の本人はカイゼル髭を揺らして首を横に振る。
無論、その理由は航空攻撃に対する過信であることは疑いない。
ベルゲン強襲では一〇〇騎程度の爆撃騎がベルゲンや近郊の空を自由に飛び回り、少数しか展開されていなかった迎撃騎を即座に撃墜し、その後は航空優勢を確保し続けた。戦空を支配する暴風に地上戦力は抗う術を持たなかった。
大規模空襲など想定していない為、少数しか展開されていなかった対空機関砲や高射砲は、その多くが迎撃開始と同時に発砲炎で位置を露呈して集中的に叩か れた。後は魔導士による魔導砲撃を空へ向けての応戦という手段しかなくなるが、高速で飛び回る爆撃騎を相手に数も練度も足りない中、次々と数を打ち減らさ れていった。
その後は装虎兵や軍狼兵、装甲兵器や砲兵などを手当たり次第に襲うことで戦力を削り続けるだけに飽き足らず、鉄道や魔導機関車、通信施設、物資集積所、 各部隊司令部を爆撃し始める有様であり、征伐軍の再編成と補充に手間取った最大の要因は、それらによる人材と物資の喪失に加えて指揮系統の甚大な混乱によ
るものであった。ベルゲン内に突入してきた〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉との戦闘もあって、一部では同士討ちまで起きる程に混乱していのだからその混乱は 素人でも理解できる。
しかも、陸海軍が研究を続けていた航空爆撃だけでなく、翼下に装備した大口径機関砲は装虎兵や軍狼兵、装甲兵器に対して絶大な効果を発揮し、同じく翼下に装備された噴進弾や新型と思われる消火し難い炎を撒き散らす爆弾にしても恐ろしいまでの威力を見せ付けた。
それらの新兵器もなく、その上で対策を講じているであろう中へと仕掛けるというヴェルテンベルク領への空襲。
「碌なことにならないでしょう……」
「だろうな。俺は御前の姉を高く評価している。実は一度だが会ったこともある。あれは物事の本質を理解し、行使することを躊躇わない。恐ろしいまでに軍事を政治の延長線上として扱える」
アリアベルは、そうかも知れないと苦笑する。
姉はあらゆるモノの取捨選択に対して、恐ろしいまでに冷徹になれる人物であることを、アリアベルはその背中を見て嫌という程に理解していた。それが痛々 しくもあり気高くもあるのだが、絡繰りの様な精密さは畏れを抱くに十分なものである。それ故にマリアベルという龍は、ヒトを惹き付け、ヒトに忌避される。
「御姉さまは――」
アリアベルの言葉は、乱暴に開け放たれた扉によって遮られる。
レオンディーネやむさ苦しい一部の軍人達によって乱暴に扱われる扉の耐久度が不安になるが、アリアベルはそれを一瞥することもなく闖入してきた不良神父に視線を向ける。
「……ラムケ少佐。昼間から飲酒とは良い御身分ですね」
「うぁぁっ!? 小娘めぇっ! 汝、酒精を愛せよと、何処かの神様も言っておるだろぉうが! うぉい! 飲むぞ、バルタザールぅ!」
ウィシュケの酒瓶を手に、グワッハッハと呵々大笑するラムケに、アリアベルとファーレンハイトは顔を見合わせる。
ヘンリック・アインハルト・ラムケ。
ベルゲン強襲で捕虜となった〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉の特務大隊大隊長であり、マリアベルの信任も篤く、北部の天霊信仰の中心的人物でもあるラムケは、捕虜として拘束されていたが、叶う限りの情報を提供することを条件として拘束を解かれていた。
アリアベルとファーレンハイトは、それを凄まじく後悔している。
政略に使うにはラムケの性格は破天荒に過ぎ、少佐という階級は軍序列にあって高度な情報を閲覧できる程に高位という訳でもない。有用であったのはアリア ベルの為人やヴェルテンベルク領の工業力に対する意見程度のもので、それも間諜の断片的な情報を補強する要素程度のものに過ぎない。
対する当人は気楽にベルゲン内を闊歩して、アリアベルのツケで飲み歩く毎日。正直なところ兵員増強や強力な武装を強請るレオンディーネと大差ないが、それを口にしてしまうと色々と悲しくなるので敢えて口にはしないアリアベル。
右手には相当に酒を飲んでいるのか酒瓶を手にし、左手には護衛兼監視役だった兵士が襟首を掴まれて引き摺られている。
そして、赤ら顔のままに怒鳴る。
「何を暗い顔をしているのでぅかぁ! 飲め!」
護衛兼監視役だった兵士を投げ捨て、のしのしと執務机の前へとやってきたラムケが、どんと酒瓶を置く。見てみれば、それなりの銘柄のウィシュケであった。
「……それは俺が秘蔵していたウィシュケなのだが」がっくりと項垂れるファーレンハイト。
ある意味、自由気儘に行動するだけで精神的な破壊工作員となっているラムケをひと睨みして、アリアベルは問う。
「そう言えば貴方はヴェルテンベルク領邦軍の航空部隊について何も知らないと言っていましたね? 本当ですか?」
無論、間諜が掴めていなかった情報であり、陸上部隊の指揮官であるラムケが航空部隊の編成や内情に詳しいはずもないことは理解しているが、大凡の航空騎数が分かるだけでも状況は十分に変わる。
戦前から民間騎と偽り集結させていたことから、その航空戦力は大きく増大しているものと予想されていた。マリアベルは戦力になりそうなものを資金力にも のを言わせて戦前より手当たり次第に集結させていたが、航空戦に対する先見の明があったのだと今では見られている。だが、実際のところは広大な北部地方の
治安維持や前線偵察、情報伝達手段として高い移動力を誇る航空騎を重視した結果に過ぎない。無論、征伐軍でそれを信じる者はおらず、良くも悪くもマリアベ ルは過度に高く評価されていた。
ラムケは酒精によって赤く染まった顔に、思案の表情を浮かべて首を傾げる。
「航空隊なんぞはな、あくまでも補助戦力として集められただけに過ぎん。誰もが注目していなかったからな。簡単に集められただろぅなぁ」
兵達には敬語であるが、アリアベルや将官などにはぞんざいな言葉を其の儘に、ラムケは諜報から受けていた報告通りの概要を口にする。
眉を顰めてカイゼル髭を揺らすファーレンハイトに対して、アリアベルは恐らくはそうなのだろうという確信をこの時得た。
酒精に濁っていたはずの瞳は、暴力的なまでに喜悦を感じさせる色を帯び、ウィシュケを一気に飲み欲して酒瓶を投げ捨てたラムケが両手を振り上げて叫ぶ。
「北部には軍神がいる!! 傲慢な糞蜥蜴女を引き裂き、皇国全土に砲声を高らかに響かせる英雄が! 楽しいぞ! 消極的な虚構の平和を、戦争という実体で積極的に埋め合わせるのだ!!」
大音声で叫ぶラムケに、アリアベルは戦争を望む狂気の神官を見た気がした。
終わりなき闘争に終止符を打つには、英雄の存在が必要となる。
それは果たして誰か?
自分か。或いはトウカか、マリアベルか。
アリアベルは思いを馳せる。
トウカとマリアベルが、フェルゼンで逢引きをする二日前の話であった。