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第一一八話    野心と現実の狭間で

 


「済まないな、フロンザルト艦長」

 トウカは新型防空巡洋艦の艦長に苦笑を向ける。

 マリアベルの独断と強権によって就役した新型防空巡洋艦は、航空騎の水上艦艇に対する攻撃が有効であるか否か不明瞭であることに加え、実戦証明も行われ ていないことから大洋軍は運用自体に消極的であった。その上、未だに練習航海の最中であり、戦力としては見られていない。

 フロンザルトも、内心では不満が渦巻いていることは疑いない。

「敵の正体は理解しているな? 大規模な航空部隊だ」

 トウカの言葉に、フロンザルトが深く頷く。

 新型防空巡洋艦への搭乗前、トウカは軍港に隣接していた鎮守府に押しかけ、最低限の情報と将官としての権威を示せるだけの服装を用意させ、更にはマリアベルの為にもそれなりの軍装を入手した。まさか年頃の少女の様な服装で軍事施設内を歩かせる訳にはいかない。

「どうも我が軍が行った空襲作戦の焼き増しを征伐軍も行いたい様だ」

「推定で一〇〇〇騎近いと聞いております。主目標は軍需施設や改修と修理を行っている〈剣聖ヴァルトハイム〉型二隻となるかと」

 暗に本艦は攻撃を受ける可能性が低いと口にするフロンザルトに、トウカは鷹揚に頷く。

 無論、派手に防空戦闘を行えば注目を浴びて悲惨なことになるのは疑いない。そもそも、揚陸艦改装の防空艦艇が防空“巡洋艦”という艦種として扱われるこ と自体に無理がある。甲板面積から対空火器の搭載量は絶大なるものがあるが、商船構造である以上、装甲は限定的なものでしかない。無論、商船に武装を施し た軽巡程度の火力の火砲を搭載した仮装巡洋艦という艦種も存在する。防空巡洋艦も長距離対空射撃の為、軽巡と同等の口径である火砲を搭載している以上、巡 洋艦と強弁できなくはないのかも知れない。

「生産施設、領邦軍兵器工廠はヘルガ島にその多くがある。そして〈剣聖ヴァルトハイム〉型二隻が入渠している船渠(ドック)も近い」

「では、ヘルガ島とフェルゼンの中間辺りに進出して防空戦闘を?」

 頷いたトウカは軍帽を被り直し、艦長席に腰を下ろしているマリアベルへと視線を向ける。

 緊張している様子は見られないが、寧ろ葉巻を全力で蒸かせている姿は悪の組織の女幹部といった有様である。艦内禁煙などという規則など知ったことではな いと言わんばかりの姿に、艦橋に詰めている士官達は全力で顔を背けている。規則の逸脱を指摘するには、マリアベルの肩書と実績は余りにも絶大であり過ぎ た。

 トウカは溜息を一つ。

「軍務卿、出航の許可をいただけますか?」

 出航序列すら決まっていなかったのか、軍港に停泊していた他の戦闘艦艇は次々と艦列を組んで出航していくにも関わらず、新型防空巡洋艦は離岸したもの の、それを眺めるだけである。防空戦である以上、対空火器を満載した防空巡洋艦こそを最優先で出港させるべきなのだが、鎮守府司令官と艦隊司令官は胡散臭 い新造艦よりも運用実績のある艦艇を優先したのだろう。実戦指揮官としては間違いとも言い切れない。

 足を組み直したマリアベルは、若手将校の間で流行っている斜に被った軍帽を更に傾かせて肘掛けで頬杖を突くと、トウカを見据える。

「さし赦す。存分に……と言いたいが、の」

 何か含むところがあるのか、マリアベルは考える仕草をする。トウカは、その内容を朧げに理解した。

 今回の空襲は完全に防ぐことはできない。

 早期発見できたのはヴェルテンベルク領内に出没する匪賊に対する哨戒任務に就いていた早期警戒騎が“偶然”見つけたという僥倖があったからで、確かに防空体制を整える時間を得たことは大きい。

 しかし、一〇〇〇騎に迫る規模の航空部隊が来襲するとはトウカも予想していなかった。

 短期間で、それ程の数の龍を集め得る皇国という多種族国家の隠された国力を、トウカは甘く見ていた。航空爆弾は野砲や艦砲の砲弾を転用したと推測できる。投弾装置の開発や訓練まではできていないはずであるが、数を考えれば油断はできない。

「入渠中の〈剣聖ヴァルトハイム〉と〈猟兵リリエンタール〉に通信を開くが良いぞ。あと、展開中の城塞鉄道聯隊も妾の名の下に呼び出すが良い」

 マリアベルの瞳に捉えられた通信士官が小さな悲鳴と共に通信機へと飛び付く。

 通信機の本体は通信室にありそこで通信士が扱うのだが、今の彼の悲鳴混じりの通信内容を聞いて通信士が混乱していることは間違いなかった。

 トウカは、もしや、と眉を顰める。


 〈剣聖ヴァルトハイム〉と〈猟兵リリエンタール〉。そして、城塞鉄道聯隊。


 その全てが大口径の火砲を有する戦闘単位(ユニット)である。

 戦艦二隻については語る必要もないが、後者の城塞鉄道聯隊とは皇国最大にして堅牢無比とマリアベルが断言して見せたほどの軍事都市、ヴェルテンベルク領が領都フェルゼンに於いて最大級の火砲を運用する部隊の名であった。

 領邦軍総司令部と伯爵邸宅を兼務した重厚な建造物を中心に、放射状に延びた六車線の道路一二本。それを横に繋ぐ複数の小路や等間隔で張り巡らされた防火水路。そして何よりも、その広大なフェルゼン内を走る魔導機関車用の環状線が有名であった。

 近年、信頼性の向上に伴い、一部では大規模な鉄道敷設が行われているが、一辺境の地方都市に敷設されることは交通の要衝でもない限り有り得ない。ましてや都市内のみで運用される環状線などは、皇都ですら敷設の計画のみが上がっているだけである。

 そしてフェルゼンを囲う様に建造された城壁には魔導機関を内蔵した新型の魔導障壁が更新され続けている上に、それが三重の防護となっており、更には二十輌編制の魔導防護車輛を牽引した魔導機関車を動員することで魔導障壁を更に幾重にも展開することができた。

 だが、何よりも目を惹くのが、合計三〇門のタンネンベルク・四一㎝ Kanone 1(B)拠点防衛列車砲であった。ヴェルテンベルク領邦軍が派手に宣伝している通りフェルゼンの守護神であるそれは、軍事祭典(パレード)の際は一番の見物として領民に親しまれている。

 〈剣聖ヴァルトハイム〉型戦艦に搭載されている長砲身型四一㎝砲と違い長砲身ではないものの、皇国海軍の戦艦の主砲の大半が三八㎝砲であることを踏まえると、優勢な火砲戦力と言えた。

「持ち得る大口径火砲を用いて統制射撃を行おうて。用意をせぃ!」

 マリアベルの言葉に、フロンザルトがトウカへと視線を向ける。

 軍務卿という立場は主に軍政を司るものであり、正確に言うなれば軍事行政と呼称し軍事組織を管理運営するための行政活動を指し示す。対する参謀総長は軍 令を司り、それは軍の作戦行動に関する業務であった。つまり、マリアベルが現場で作戦指揮を執ることは領邦軍ではなく北部統合軍となった現状では指揮系統 上好ましくないのだ。参謀総長であるトウカは軍の作戦行動に提言をできる立場であり口を挟むことは越権ではない。無論、全く問題がない訳ではないが。

「その様にせよ」トウカは、そう口にするしかない。

 楽しいひと時を邪魔されたマリアベルは御立腹なのだ。

 そして、統制射撃という産物を教えたのは他ならぬトウカ自身であり、その有効性を確認する状況としては悪くない。当初の予定では地上目標や水上目標であったが、高速で移動する航空目標が相手であることに不足がある訳でもない。

「弾種は対空霰散弾。目標進路と速度を正確に受け取る必要があります。その上、艦砲と列車砲を連携運用するとなると……」

「〈剣聖ヴァルトハイム〉には、それなりの射撃指揮統制装置を積んでおろう? あれに統制させればよい」

 どや顔のマリアベルにトウカは頬を引き攣らせる。

 射撃指揮統制装置とは、トウカがヴェルテンベルク領に訪れる以前より開発が進められていたもので、トウカの知る珪素(シリコン)を利用した電子部品(トランジスタなど)や集積回路を利用し、論理回路の下で動いているものではなない。巨大な機械式計算機を元より計算に強い高位の耳長(エルフ)族一〇人が扱うことで弾道計算を行うという代物である。開発理由はマリアベルが列車砲の命中率の低さに激怒したという経緯で、当然ながらトウカが望むほどの性能のものではなかった。

「では、その辺りは軍務卿に御任せいたします……艦長、我々は出撃する。艦隊司令には私の直接指揮の元で防空戦闘を行う旨を伝えよ」

「はっ、了解です! 航海長、巡洋艦隊が軍港を出た隙を見計らって出航する。ああ、それと鎮守府直属の哨戒艇や駆逐艇にも付いてこいと伝えるんだ」

 トウカの言葉に出番がきたとばかりに敬礼すると、フロンザルトが次々と指示を飛ばす。

 哨戒艇や駆逐艇に関しては、トウカの顔色を窺うような素振りを見せたフロンザルトだが、狭い湾内で回避運動をさせる訳にも行くまい、と見て見ぬ振りをする。

 対空陣地の急造に忙しいのか、鎮守府司令官が確たる指示を出していないとはいえ、越権行為も甚だしいが、軍港内に停泊している哨戒艇や駆逐艇からは追従の通信が次々と来ていた。

 フロンザルトは大洋軍内で主流派ではないが、それ故に傍流とは強く連帯しているのだろう、とトウカは嘆息する。トウカが事実上の自由裁量権(フリーハンド)を与えた状況では、その責任はトウカに帰属するが、困ったことにフロンザルトの命令は間違ったものではない。

 《大日連》でも、砲術屋と航空屋、水雷屋が派閥争いを行っている。組織があれば派閥が形成されるのは自然な流れである。トウカも咎めようとは思わない。

 新進気鋭の若手将校は、清廉潔白で公明正大であるのか、フロンザルトからの窺う様な視線はそうした意味を持つ。トウカは、それを鼻で笑って見せる。

軍帽の上から額を叩き、これは失礼と言わんばかりに肩を竦めるフロンザルト。

 面倒な立場の防空巡洋艦の艦長を押し付けられる理由を、トウカは察した。

 通信士官を捕まえて〈剣聖ヴァルトハイム〉と通信を取り始めたマリアベルを尻目に、トウカは第一種戦闘配置に就いた将兵達を眺める。艦隊の指揮から離脱 したとはいえ、トウカは大まかに方針を指し示す程度であり、実際の艦の運用はフロンザルトや各々の艦長や艇長が行うものである。つまり、暇であった。

 鉄帽を被り緊張の汗を流しながら高角砲や機銃へと取り付く水兵に、トウカは例え難い感情を抱いていた。

 機銃弾の収まった弾薬箱を運び、高射砲弾を手に取り、機銃や高角砲を旋回させる水兵。曲剣(サーベル)を手に空を睨む各対空砲座士官達……種族は違えども大東亜戦争当時の海戦の様相を感じさせた。桜城一族は陸軍に多くを輩出し続けている軍人家系であったが、海軍にも幾人かを輩出している。有名なところでは布哇(ハワイ)沖海戦で殿軍を努めて沈没した戦艦〈大和〉に随伴していた水雷戦隊旗艦、改阿賀野軽巡洋艦〈鳴瀬〉の艦長を努めていた分家の桜守姫(おうすき)・剣護中佐などがおり、生々しい海戦の様子を聞く機会に恵まれた。

 近距離で人同士が殺し合う陸戦に比して、幾分かは救いがあると海戦を評する者もいるが、それは間違いである。艦内では炎に炙られ全身に重度の火傷を負い 苦しみながら死んで逝く者もいれば、艦砲の着弾で他者と判別できないまでに混ざり合った肉片となって甲板に屍を晒す者もいる。そして、それらは浸水によっ て(たちま)ちに腐敗し、水膨れや腐臭を放ち、軍艦という限定空間の衛生環境を悪化させた。それは想像を絶する戦場である。そして衛生上の問題から遺体は水葬となり、家族の下には遺髪と爪程度しか返してやれない。

 ――歴史書に記されることのない者達、か。

 軍港を抜け、シュットガルト湖へと抜けて進路変針を命じるフロンザルトに鷹揚に頷きながら、トウカは己の中で沸き立つ感情に困惑を覚えた。

 自身の才覚が、この斜陽の国に在って何処まで通用するのか試してみたい。

 以前からそうした欲求があったことは否定できないが、近頃はより強く感じる野心に、トウカは嘆息するしかない。以前はミユキや天狐族の生存圏を維持したいという思惑からであると納得していたが、最近はマリアベルに並び立てるだけの才覚と実績を欲してもいた。

 トウカは頭を振る。

 野心は視野狭窄を招く。有史以来、幾人もの軍人や政治家が繰り返している愚を嘗てのトウカは嗤っていたが、それ相応の理由があるならば鎌首を擡げる野心に抗えないことも有り得るのかも知れないと、思い始めてもいた。

 詮無いこと、とトウカは思考を打ち切る。野心の有無に関わらず作戦方針は以前より決している。

「艦長、この艦の名は何だったか?」

 下らない感傷を振り払い、トウカは尋ねる。

 考えてみれば、トウカは新型防空巡洋艦の一番艦であるこの艦の名を知らなかった。胸中では新型防巡と呼んでいたので、その名を知らない。建艦計画に基づ く大洋軍の増強が戦略規模で意味を成すのは内戦で敗北した場合であり、現状ではその可能性は低いとみているトウカは建艦計画に然して目を通してはいなかっ た。

 フロンザルトは驚いた顔を見せるものの、得心した表情で敬礼する。

「〈ゾルンホーフェン〉……世界初の防空巡洋艦で御座います、参謀総長閣下」










「全艦対空戦闘用意! 主砲は射撃指揮所からの情報諸元入力、急げ!」シュタイエルハウゼンは大音声で命じる。

 〈剣聖ヴァルトハイム〉の改装、修理状況を視察しにきたシュタイエルハウゼンであったが、突然の敵大規模編隊来襲の報に戦闘艦橋で防空指揮を執ることとなった。姉妹揃って〈剣聖ヴァルトハイム〉と〈猟兵リリエンタール〉は、立ち並ぶ船渠(ドック)で仲良く艦首を並べており、シュットガルト湖上への退避は間に合わない。その上、乗員も大半が乗艦していない状況で、何とか有志の工員や軍港の警備兵によって対空火器が準備されつつある状況である。

 幸いなことに主砲や対空火器などは健在であるものの、三胴艦への改装……左右に駆逐艦の艦体を利用した浮舟(フロート)艦の増設の為に舷側の装甲帯が取り外されており艦内構造が剥き出しであった。

「偵察騎より報告。敵編隊進路に変化なし。有効射程までの時間、変わらず」

「射撃指揮機構、正常に作動中……」
「弾着観測機構、接続正常」
「……要塞鉄道聯隊所属の列車砲と照準同期、遅延」
「統制射撃機構、正常……なれど列車砲側、遅延」 

 次々と上げられる報告を受けつつも、シュタイエルハウゼンはマリアベルから受けた命令に悪態を吐きたくなる。

 ――列車砲の射撃指揮装置は統制射撃機構から情報を受け取る様にできていないはずだ。手動で此方の飛ばした情報を追い掛ける分、遅延は止むなしか。

 第一に、列車砲という兵器は基本的に脆弱で即応性に劣る。

 常に戦闘配置を維持していたからこそ、今回の空襲では対応できるが、再装填に擁する時間や防御力は艦砲に対して遙かに劣る。ヴェルテンベルク領邦軍の機 動列車砲は強力な再装填車輛と弾火薬運搬車輛が車列に加えられているが、それでも尚、再装填にはかなりの時間を要した。初弾が全てを決すると見て間違いは なかった。

 軍帽を被り直し、シュタイエルハウゼンは戦闘艦橋で情報処理に勤しむ士官に命令を下す。

「列車砲の大口径砲による統制射撃は一度のみに留める。敵編隊の鼻先に叩き込め!」

 手袋をした右手を握り締め、シュタイエルハウゼンは魔術による投影によって映し出された満天の空を見据える。

 そこで戦闘艦橋に〈剣聖ヴァルトハイム〉の艦長を任されているリンデマン大佐が入室してくる。鎮守府司令官と直々に交渉して足りない乗員数を補う為に警備兵をそのまま引き連れてきたのだ。

「申し訳ない……遅参の段、御容赦いただきたい。しかし、対空火器を全力運用させるだけの兵は揃いました」

「そうか。それより対空戦闘だが如何する?」

 先程より尋ねたくて堪らなかったことをシュタイエルハウゼンは尋ねる。

 艦対空戦闘……即ち、防空戦闘は戦術として確立されてはいない。

 大規模編隊で爆弾を抱き、空襲を敢行するという戦術自体がトウカによって極最近になって実証された戦術であり、それに対応した戦術というのは目下のところ参謀本部が必死に策定中である。

「参謀総長の書き散らかした書類の中に弾幕射撃というものがありまして、それを使おうかと思っていたのですが……。訓練させていた乗員が集まらない有様で、何とか残っている乗員を振り分ける形で各機銃座に付けて対応させる心算です」

 リンデマンの言葉に、シュタイエルハウゼンは大洋軍最大の戦闘艦を任されているだけあると頼もしげに頷く。

「砲撃準備完了、統制射撃までの時間……」

「列車砲付近の兵員への退避勧告開始」

「本艦の全高角砲座と対空機銃座に対衝撃、対防音、対閃光防護障壁を展開」

 砲戦準備が完了したとの報告に、シュタイエルハウゼンは鷹揚に頷く。リンデマンも砲術長を一瞥するとシュタイエルハウゼンへと敬礼を以て応じる。

「全艦、主砲一斉撃ち方、始めッ!!」

「〈剣聖ヴァルトハイム〉一斉撃ち方!」

 大洋軍艦隊司令長官官であるシュタイエルハウゼン、〈剣聖ヴァルトハイム〉艦長であるリンデマンが続く。

 黒鉄の城が火を噴く。

 活火山を思わせる一二門の長砲身型四一㎝砲の砲撃。二番艦である〈猟兵リリエンタール〉がそれに続き、フェルゼンの各路線に展開していた三〇門の列車砲も砲撃を開始する。

 軍港を含めたフェルゼン自体が鳴動したかの様な轟音と発砲炎。

 敵編隊からも見えていることは疑いない。

 殆ど誤差もなく放たれた五四発の四一㎝砲弾は、温度管理の為に城塞都市ベルゲン上空に展開されていた極薄の障壁を突き破り飛翔する。

「列車砲、退避壕への移動を開始」

「敵編隊、フェルゼン防空圏内に侵入しつつあり」

「フェルゼン郊外に展開中の対空部隊が迎撃を開始」

 着弾までの時間を腕時計で計りつつ、シュタイエルハウゼンは次々と上げられる報告を耳にする。シュタイエルハウゼンの指揮下にあるのは大洋軍艦隊のみであり、所属艦艇以外の部隊に対する指揮権はなく総司令部の歯車の一つでしかない。

 総司令部からの指示は適切であり、同時に適当なものであった。

 フェルゼン近郊の現有戦力全てを以て直ちに迎撃せよ。

 明確な対処法など極最近生まれた大規模空襲という概念に対してあるはずもない。救いがあるとすれば、北部領邦軍は総じてエルネシア連峰を越えて飛来する帝国陸軍の龍騎兵に対応する為に有力な対空砲を配備していたことである。

 水平摺動(スライド)式の尾栓による自動排莢、全周旋回可能な十字型砲架を持ち、水平射撃も可能な対空砲を対戦車攻撃と対空攻撃を両立させた両用砲として多数配備している意味は大きい。

「着弾まで…………」

 砲術長の着弾予測に、シュタイエルハウゼンは意識を表層へと浮かび上がらせる。

「…………着弾、今!」

 フェルゼン近郊の上空で轟音と共に、五四もの紅蓮の大輪が咲き誇る。

 その光景にシュタイエルハウゼンを始めとした軍人達は言葉を失う。

 運用されていた四一㎝対空焼霞弾は新型であり、トウカが広域焼夷効果を求め、ヘルミーネが大気中の魔力を結合させ、大規模な燃焼を齎す術式を刻印された砲弾はその効果を遺憾なく発揮した。

 シュタイエルハウゼンはその威力に感嘆の声を上げ、この光景を政務本部から見ていた政務官のセルアノなどは顔を引き攣らせていたが、それを知る軍人はいなかった。

 元来、砲弾に刻印を施す技術というのは敵の展開する魔導障壁を貫徹する為の対魔導徹甲弾という砲弾を製造する事を目的として生まれた技術である。

 これは内部に魔力を封入できる触媒を封じており、魔導障壁に着弾と同時に魔術的な破砕効果を以て障壁を削る為のものである。無論、通常の徹甲弾でもその一t近い質量も相まって魔導障壁を展開する装置に負担を駆けることはできるが効率が悪い。

 だが、その特異な構造にヘルミーネが目を付けた。

 魔導障壁に対する魔術的貫徹効果を齎す刻印を施せるのならば、それ以外の術式を刻印できるのではないか?

 そうした発想(コンセプト)の下で開発された新型対空焼霰弾は当初、広域焼夷効果の為の大規模な火炎魔術式の刻印面積の不足で停滞したものの、トウカの「なら砲弾を(なます)に して刻印を刻む面積を増やした後、刻んで元に戻せばいい。つまりは積層化だ」という暴論に突破口を得たヘルミーネは、魔術陣を刻むことができるように砲弾 を積層構造にすることで問題を解決した。無論、対価として製造単価は高騰したが、それは現場で扱う軍人には関係のないことである。伯爵家の財布を気に掛け るのは政務官の職分であった。

 そして、それは燃料気化爆弾に似た効果を齎す。

 その爆鳴気の爆発は空間爆発となり、強大な衝撃波を発生させ、極めて高い気圧に達する圧力と、戦車の装甲表面ですら融解させるほどの高温を発生させる。

 だが、何よりも広範囲に衝撃波を発生させるため、人体に多大な影響を与えることが大きかった。無論、龍も例外ではない。

 本来の固体爆薬であれば一瞬でしかない爆風が長い間、連続して全方位から襲うという性質を持つそれは航空騎の魔導障壁を押し潰し、その圧力で人と龍をばらばらにした上で、高温で燃焼させる。

 編隊の前部を形成していた航空騎が、焼け落ちるかのように地上へと落下を始める。

 その圧倒的な光景に呆然としている艦橋士官達の尻を叩く様にシュタイエルハウゼンは叫ぶ。

「全艦、異常確認(ダメージレポート)!」

 対空火器への障壁展開が行われているとはいえ、シュタイエルハウゼンからすると訳の分からない理論で製造された砲弾を使用している以上、何処に影響が出ているか分らないという懸念からであった。

 次々と上がる報告を聞きながら、シュタイエルハウゼンは小型の哨戒艇や駆逐艇を率いて軍港から出航しようとしている〈ゾルンホーフェン〉へと視線を巡らせる。

「任せましょう、我らが参謀総長閣下」










「編隊を維持しろ! 高度も下げるのだ! 城壁を死角にフェルゼンへ迫る!」

 〈特設航空軍団〉の指揮官を務めるジギスムント・フォン・デュランダール中将の言葉に、〈第四二五強行偵察飛行中隊〉、中隊長であるヴィトゲンシュタイン中尉は溜息を吐く。

 流麗な銀髪に、深い知性を窺わせる眼鏡越しの視線は大被害を受けた編隊を見据えて小さく揺れる。

「莫迦者め……」

 衝撃波で弾き飛ばされた航空騎の中には態勢を持ち直すことに成功したものもあるが、それすら叶わず地上へと落下したものも少なくない。巨大な火球の群れに捉えられた航空騎に関しては塵一つ残さず燃え尽きたものも少なくなく、その威力が桁外れなものであることを窺わせた。

 デュランダールの命令は完全な間違いとは言い難い。

 無論、フェルゼン空襲という作戦自体が無謀である以上、命令の一つや二つでその評価を上方修正することはないのだが。

 降下する無数の編隊だが、ヴィトゲンシュタイン隷下の〈第四二五強行偵察飛行中隊〉は高度を維持し続ける。それに対して後部座席のオストハイマーや魔導通信機越しに中隊列騎から疑念の声が上がるものの、右手を上げてそれを封殺する。

 隣をみれば、戦友であり友人でもあるシュトリューニング中尉の中隊も高度変更の命令を無視して、悠然と飛行していた。

 当たり前である。大編隊を維持して魔導障壁を複合展開しつつ、梯団を組んで爆撃して命中率を向上させるという手段は、北部統合軍……特にヴェルテンベルク領邦軍主体の航空部隊の騎体の様に精度の高い爆撃照準器有していない征伐軍には難しいが為の苦肉の策と言えた。

 しかし、密集した航空戦力が集中して狙われないはずがない。

 地上からの熾烈な対空砲火。

 フェルゼン近郊の森林地帯に潜んでいた対空砲と対空戦車によって構築された無数の対空陣地が砲火を噴き上げる。

 対空砲火というのは、その性質上、命中率が極めて低く、何千発と機銃弾を撃ち上げて一騎撃墜できれば優秀とされる程度のものに過ぎず、本来であれば然したる脅威ではない。

 しかし、数を減じたとは言え、未だ七〇〇騎近い数が健在であり、それが密集しているとなれば話は違う。

 地上から撃ち上げられる対空砲火の火箭に次々と絡め捕られる無数の航空騎。

「全騎、これより我々は所定の目標……シュパンダウにあるとされる研究開発施設爆撃に向かう。私に続きなさい!」ヴィトゲンシュタインは龍翼を翻す。

 しかし、事はそう簡単には運ばない。

 不自然な陽光の煌めきに高空を見上げると、一〇〇騎を越えるであろう戦闘騎の編隊が頭を抑えんと飛行していた。眼下の征伐軍〈特設航空軍団〉は地上から の対空砲火に気を取られて気付いていない上、先程の艦砲と思しき攻撃よって梯団は乱れて穴が開いている。密集隊形による機銃での迎撃は難しい。

「敵機来襲! 制空隊は迎撃を開始する!」

 〈第四二五強行偵察飛行中隊〉の本来の任務は航空偵察だが、今作戦では戦闘騎としての役割を与えられており、これはデュランダール中将が複座で、背後を取られても攻撃手段のある偵察機が有効ではないかと考えたからであった。

 ヴィトゲンシュタインは騎首を上向きに取りつつ、制空隊の一部を誘導する。

 迎撃を意図した目論見を察したのか、敵編隊も緩やかな角度で降下を開始する。

 航空戦では敵よりも優勢な高度を取った側が有利とされるが、これ程に大規模な航空戦は、この世界で未だに起きたことがなく、初期の段階で乱戦になることが予想される。

 敵編隊がおもむろに降下に移った。

 ヴィトゲンシュタインが、二番機が、三番気が、次々に騎首を上げて降下してきた敵編隊と相対する。

 敵編隊との距離は恐ろしい速さで縮まり、敵騎の鋭角な頭部と特徴的な飛龍の翼が急速に拡大する。

 発砲は敵騎の方が早い。

 皇国陸軍航空隊が正式採用している航空戦時に取り回しがし易い様に製造された魔導杖ではなく、脇に挟み込む様に手にした長銃身の機関銃から、一三㎜と思しき一連射が放たれる。続いて左右翼下に懸吊(けんちょう)された機関砲も唸り声を上げる。

 ――大きい! 二〇㎜はあるッ!

 紅い奔流が正面より殺到し、右翼を掠めて後方へと流れゆく。

 対するヴィトゲンシュタインが魔導杖から放った三発の砲撃型魔術は弓なりの弾道を描いて敵騎の下へと逸れる。重力に左右されないとは言え、内包している魔力の減少によって弾道がぶれることは珍しいことではない。

 ヴィトゲンシュタインが眼鏡越しに有効打を与えられなかったことを確認したその時には、敵騎は既に至近を通過し、黒影が瞬間的に頭上へ吸い込まれて後方へと吹き飛ばされる。

 敵編隊の後続騎が間髪入れずに襲ってくる。

 左右から一騎ずつ。

 魔導杖は機関銃よりも優れた弾道低下率……命中率を持つが速射性に劣り、双方を短時間で攻撃できないので、ヴィトゲンシュタインは右からの敵騎に魔導杖の切っ先を向ける。

 機関銃を連射しながら突入してくる敵騎の速射性能を恨みつつ、紅蓮の吹雪の中に飛び込むような感覚に、ヴィトゲンシュタインは小さく鼻を鳴らす。

 無数の曳火が包み込まんと迫る。

 しかし、そう感じられるのは一瞬であり、文字通り吹雪の如く一瞬で吹き去りろうとしていた。

 だが、それを座視するヴィトゲンシュタインではない。

 夜間戦闘を目的に鍛えられた動体視力はそれを逃さず、過ぎ去ろうとした敵騎の横腹に魔導杖を向けてすかさず発砲する。

 体勢を崩して人龍の血を空へと撒き散らしながら落下していくそれに視線を向けることも敬礼することもなく、ヴィトゲンシュタインは愛騎の騎首を左へ向ける。

 追撃の構え。

 既に敵機は自騎を通り過ぎ後続や眼下の編隊主力に襲い掛かっており、これの援護に向かわねばならない。

 なれど、敵騎は混戦を避け降下を続ける。

 ――一撃離脱かッ! 拙い!

「追撃するな! 罠だ!」

 気が付けば対空砲火は止み、一撃離脱を目的として地表近くまで降下して振り切ろうとする敵騎にヴィトゲンシュタインは焦りを見せる。普段は冷静であるが、友軍の生命が関わるとなれば話は別である。

 ヴィトゲンシュタインの予想通り、一撃離脱の敵編隊を迫撃した友軍騎は次々と撃ち上げられる対空砲によって撃ち落とされる。

 地表近くまで降下させてしまえば対空砲に撃墜される確率は増大する。敵味方入り乱れての混戦を予想して、対空砲が誤射を避ける為に射撃を中止したのだと 考えていたヴィトゲンシュタインだが、伏兵として使う心算で伏せていたのだろうと舌打ちした。大規模な航空戦闘が始まり、通信が難しいことを考えれば連携 は阿吽の呼吸か、元より防空計画に組み込まれていたことになるが、そうなると城塞都市フェルゼンは万全の防空体制を整えていると考えられた。

「中隊各騎、これより我々は当初の目標、シュパンダウに在るとされる研究開発施設爆撃に向かう」

 見てみればシュパンダウ攻撃の任務を帯びていると思しき、爆撃騎などは編隊主力を離脱しつつある。

 主戦場であるフェルゼンから逃げ出した方が生き延びる確率は高いと踏んでか、本来編隊主力の一翼を担うはずのシュトリューニング中尉の中隊も乱戦のどさくさに紛れて其方へと加わっていることには呆れるしかないが、混戦である以上言い訳は容易い。

 北部の軍事中枢を巡る戦いは、今、始まったばかりである。

 

 

 

 

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