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第一一四・五話   狼が夢の後

 

 



「皇国軍は派手に戦っている様子なのだ」

 ヴィルヘルミナは報告書を総司令官に用意された席へと投げ入れると、眼前一杯に広がる戦況図を俯瞰する。魔導投影によって壁面に映し出された戦域図は刻一刻と変遷を続けていた。

 赤で示される帝国軍の兵科記号は、青で示される皇国軍の兵科記号によって分断に突破、包囲と様々な遣り方で敗走を余儀なくされてた。

 特にケーニヒス=ティーゲル公爵レオンハルトが、自領の領邦軍から動員した〈重装虎兵師団『インペリウス・ティーガー』〉、フローズ=ヴィトニル公爵フェンリスが自領の領邦軍から動員した〈大軍狼兵師団『カイザー・ヴォルフガング』〉の活躍は目覚ましいものがある。

 エスタンジア地方は峻険な山脈が大部分を占める。

 それ故に南エスタンジア陸軍は山岳歩兵を中心とした編制をしている。皇国陸軍よりの派遣軍は、山岳戦闘を考慮して軍狼兵や装虎兵を基幹戦力としているだけあって高い運動力を誇っていた。

 帝国陸軍は推定兵力四〇万前後という空前の規模で侵攻してきた。

 名称は、〈エスタンジア方面侵攻軍〉。

 露骨に侵攻軍と名称に付け加える辺りが、帝国の拙劣な外交姿勢を示している。しかし、それに抗うことすらできないのが南エスタンジアの実情である。

「でも、勝ちきれないのだ。六万の増援じゃ駄目なのだ」黒の軍帽を取り、宙を仰ぐヴィルヘルミナ。

 当初の増援の規模より減少したのは、皇国に於ける内戦が影響している。そして、戦線維持ではなく、苛烈なまでの攻勢を選択している理由も戦力分散を早期に是正したいという皇国側の意図があってのことである。

 既に強行偵察を行った軍狼兵部隊は、北エスタンジア領土に浸透しており、戦線を押し返すどころか逆侵攻の情報収集と索敵を続けていた。

我が総統(マイン・フューラー)!」

 右手を天に翳す様に宙へと突き出した長身の女性が、報告の許可を求める。

 肩で切り揃えた黒髪に、雫型眼鏡(ティアドロップメガネ)に、些か鋭い眼光を持つ彼女は長身を以て圧倒するかの様に、執務席に収まったヴィルヘルミナの前へと立つ。


 マルティナ・ボルマン官房長官。


 初代総統を支えた一翼、ボルマン家の秀才である。

 ヴィルヘルミナの側近であり、多大な権限を有する彼女は政敵の排除に、国内統制と八面六臂の活躍を内外へと示している。

 瀟洒な金髪(ブロンド)を揺らし、顎で促したヴィルヘルミナ。

「我が軍の山岳歩兵師団は皇国よりの派遣軍に追随は不可能。ここで無理させず残敵掃討を主眼に据えると、モーデル将軍より報告が」

 流麗な黒髪を持つ国民啓蒙・宣伝省大臣、ヨゼフィーネ・ゲッベルスの姿は近くにない。宣伝の為の準備に走り回っているのだろうと、ヴィルヘルミナは納得 する。苛烈な流血の時代こそ、ヨゼフィーネが虚実を交えて己の才覚を歴史へと叩き付ける事の叶う時代である。故に彼女は躊躇しない。

 総ては国家社会主義(ナチズム)運動を達成させる為である。

 初代総統は元の世界で敗れ、「私の運動に値しないことを自ら証明した」と悲観に暮れた末、エスタンジア地方へと漂着した。往時の若さと指導者たるの決意 を黒鷲の神に下賜され、《エスタンジア王国》を北へと追い遣り、《南エスタンジ国家社会主義連邦》を建国するに至るが、その理想は未だ達成されたとは言い 難い。

 国家社会主義への最適化は常に行われている。国民啓蒙・宣伝省は啓蒙と宣伝を以てこの使命を遂行していた。民族的な媒体によって啓蒙活動を行い、新聞などによって国家社会主義(ファシズム)は宣伝され続けているが、実情としては未だ不完全なものでしかない。

 個人は独立した人格よりも、民族という共同体の維持を共に担うことを優先せねばらない。民族が全てであり、個人は無である。

 ヴィルヘルミナは、その理想を信じている。

 個人に主権があるからこそ混乱が生じ、同時に極少数が主権を持てば驚くべき速度で腐敗する。それを防止する為にこそ国家社会主義が存在するのだ。

 自分自身の為だけに過ごせる時間というものは誰にも存在しない事を自覚し、民族という共同体の為に総てを捧げるのだ。ヒトの人生は民族への奉仕のみに傾けられるべきものであらねばならない。

 だが、本当にそうだろうか? 予の失敗は民族を恃んだかたではないのか?

 自らの民族ではない民族に縋り、総てに破れた初代総統は常々、側近にそう漏らしていた。

 彼は《南エスタンジア国家社会主義連邦》成立の方便として、国家社会主義(ナチズム)運動を異世界で継続した。

 しかし、彼は国家社会主義に於ける民族や国家の再定義を終えず、否、行わない儘に異邦の神の下に召された。

 それを余地と見るべきか、或いはこの世界を儚んだが故の諦観と見るべきか。ヴィルヘルミナには分からない。それを生かすも殺すも後継者に連なるヴィルヘルミナ次第だが、少なくとも一つは分かることがある。

「あの御方は、きっと私を赦さないのだ。そうに決まっているのだ」

 彼は常に皇国を恐れていた。


 近い将来、我々は東洋の覇者と対決しなければならない段階が来るだろう。


 その一言が彼の恐怖を示していた。

 国民の多くは、それが神州国と考えているが、実際は違う。

 《ヴァリスヘイム皇国》なのだ。

 彼の知る東洋の覇者の末裔が建国した国。旭日の軍旗を左肩に掛け、紫苑桜華の咲き誇る枝を手にして、建国宣言をした初代皇王の絵画を彼は酷く複雑な表情で見据えたとされる。

 だが、皇国に縋らねば国運を継続できぬ程に南エスタンジアは追い詰められている。戦後復興でさえ単独では難しく、最早選択肢はなかった。

 彼が嫌った他者に自らの命運を託さねばならない状況から、未だ南エスタンジアは脱していない。祖国を挟む大国は斜陽を迎えつつも未だ強大で、祖国は未だ統一すら叶っていない。大星洋進出を塞ぐ形で神州国も存在する。

 (いず)れかの国家と連携せねばならない中、国境を面し、敵意を隠さない北エスタンジアや帝国を打破するには、神州国の陸軍戦力では不足している。結果として選択肢は皇国一択であった。

 ヴィルヘルミナは瀟洒な金髪の枝毛を弄び、自嘲する。

 鍵十字(スワスチカ)の下での民族的紐帯など望むべくもない。

 だが、諦めはしない。内政干渉のない皇国の下で北エスタンジアを併合し、捲土重来を期するのだ。

 故に今後を考えねばならない。

 全てはモーデル将軍の帰還後に決定せねばならないが、内戦中でもある皇国には付け入る隙も多い。各勢力に恩を売り、国益に繋げる機会も望めるかも知れなかった。

 傍に控えるマルティナを呼び寄せる。

「ボルマン。この一戦、皇国が押し切るのだ。その後は、国境に五個山岳歩兵師団を残して、三個山岳歩兵師団を皇国派兵の為に準備させる。鉄道輸送の調整を御願いなのだ」

 状況次第では、ヴィルヘルミナが直卒する心算である。

 皇国側に負債が増え続ける状況は看過できるものではなく、誠意を見せるという行動も国際社会では一定の意味を持つ。何より、内戦の成り行きは南エスタン ジアの興廃に影響する。自らが関わる機会を得る意義は大きい。自らの与り知らぬ場所で祖国の命運が決するなど、指導者として許容しかねるものがある。

 モーデルは祖国防衛の要であり動かせない。

 ヴィルヘルミナは自身の軍事的才覚が、それなりのものであると理解していた。

 養父は将官であったし、ヴィルヘルミナ自身も武門の令嬢として教育を受けていた。実戦経験もあり、政界入り以前は軍人であった。

「私兵があれば、もっと早く動けたかもしれないのだ」

「それは……」

 マルティナの怜悧な顔立ちが困惑に歪む様に、うら若き総統は軍帽を傾いで被る。

 初代総統は、元の世界では武装親衛隊という私兵を有していたが、南エスタンジアでは私兵を持つ事を酷く嫌った。金髪の神々の連中の能力のなさに気付いたからであると語っているが、その真意は永遠に不明である。

 一般親衛隊(アルゲマイネSS)の設立すら忌避したのだから、その私兵への忌避感は絶大なるものがある。

 ともあれ、ヴィルヘルミナには過去を嘆く無意味を犯す心算はない。

「できれば直ぐにでも私が主導して内戦を止めたいのだ……切っ掛けさえあれば」

 国家社会主義にも理解を示すヴェルテンベルク伯を救う事が叶うかも知れない。

 彼女は皇国に於ける南エスタンジアの主張の代弁者でもある。軍事技術や農業技術の支援は、大部分が彼女から齎されたと言っても過言ではない。










「軍狼兵三個聯隊は突撃に移れぃ!」妙齢の酷く婀娜な佇まいの寡婦が叫ぶ。

 フローズ=ヴィトニル公爵フェンリスの命令に合わせ、軍狼兵三個聯隊が躍進を開始する。

 九〇〇〇騎を越える軍狼兵の突撃は、峻険な山地を下ることで速度を増す。戦車などの装甲兵器を遙かに優越する速度での突撃には一種の威圧感は伴う。

 九〇〇〇を超える獰猛な肉食獣に騎乗した騎士達の蛮声は、理論を超越した威勢がある。

 一つの戦線を突破するには十分な突撃だが、フェンリスの隷下には未だ二個軍狼兵聯隊が存在し、司令部直属索敵軍狼兵大隊や魔導騎兵大隊、工兵大隊、通信中隊、衛生中隊なども残っている。

 それが〈大軍狼兵師団『カイザー・ヴォルフガング』〉の戦力であった。

 後方には後詰として、五個師団規模の戦力が《ヴァリスヘイム皇国》より動員されているが、機動力に劣る戦力より〈大軍狼兵師団『カイザー・ヴォルフガング』〉を分離しての急襲をフェンリスは選択した。

 同時に隣の戦線では〈重装虎兵師団『インペリウス・ティーガー』〉を直卒したレオンハルトによる突撃が行われている。

 黒狼と白虎の蛮声(ばんせい)、鯨波となって戦野を圧倒する。

 野獣達は、突撃の先鋒を預かる部隊よりも尚早く山を下り、北エスタンジアと帝国による連合軍へと到達する。

 敵の戦列が乱れる。蛮声による鯨波が本能的な恐怖を喚起させ、持ち場を離脱しようとした兵士を士官が射殺して抑えたのだとフェリスは察した。無論、万に も届こうかというケモノとヒトの鯨波に掻き消され、神狼の耳ですら銃声は届き得ないが、軍狼兵や装虎兵の突撃を前にした戦線では良く見られる光景である。

 突発的に生じる圧倒的な殺意の奔流に耐え得る者は少ない。

 だからこそ士官や督戦隊が存在する。士官の拳銃とは、本来は抗命に対する処置の為にこそ存在するのだ。

 だが、その士官や督戦隊ですら逃げ出す威容が迫りつつある。

「敵の迫撃砲と機関銃を優先して撃破しなさいな。いい? 時間は掛けていられないわ。浸透突破でイルミナを襲撃するの。急ぎなさい」

 壊乱した敵には指揮統制を取り戻す前に〈重装虎兵師団『インペリウス・ティーガー』〉が襲い掛かることで、指揮統制の回復は遠退く。そこに、後詰の中央貴族の各領邦軍からなる五個師団規模の戦力が襲い掛かる。

 フェンリスは扇子を掌に叩き付け、隷下の二個軍狼兵聯隊に迂回突破を命令しつつ勝利を確信する。

 この戦域の敵軍総数は概算で二八万名程度。

 皇国による〈遣エスタンジア方面軍〉の総兵力は紆余曲折を経て約一四万名となり、後方支援の二万名程度を省いた約八万名が直接戦闘を行う戦力であった。ここに《南エスタンジア国家社会主義連邦》陸軍の一〇個師団約一一万名を加えた約一九万名となる。

 一九万名対二八万名。

 兵力の上では九万名程度不利であるが、山岳地帯に於ける有力な軍狼兵と装虎兵の機動力は敵軍にない長所である。加えて峻険な地形である事から重砲の展開が難しい点も、〈遣エスタンジア方面軍〉有利に働く要素であった。

 問題は峻険な地形であるが故に視界が悪く遮蔽物も多い点にある。機関銃や迫撃砲が砲火を集中し易く、陣地構築も容易である為、時間経過と共に堅固な陣地が形成されてしまう。無理に重砲を人力で持ち込む可能性も増大し、陣地構築には練石(ベトン)が使用される事になるのは疑いない。

 それ故の突撃。

 短期決戦を意図するのは、無論であるが自国の内戦に介入する為でもある。

 このエスタンジア地方への帝国による軍事介入自体が、皇国に於ける内戦で陸軍戦力の分散を意図していることは疑いない。少なくとも七武五公の大多数はそれを理解しており、それを理解しているからこそ北部統合軍も勝機を窺い続けているに違いなかった。

 それは綱渡りに他ならない。既に皇国に内憂を続ける余裕はなかった。故に一連の動乱の総てを終わらせるのだ。

 戦域中央を早々に食い破りつつある。三個軍狼兵聯隊の槍働きに満足しつつも、フェンリスは戦果の拡大を求めて〈大軍狼兵師団『カイザー・ヴォルフガング』〉の師団長であるエーベルドルフ・フォン・ブランデンベルガー大将を一瞥する。

「公爵閣下、後続も到着しつつあります。些か早くは御座いますが……」

 怜悧な印象を受ける肩眼鏡(モノクル)の、若き日はさぞ美丈夫であったであろう面影を残す師団長が敬礼を以て上申する。

 それを最後まで聞かず、フェンリスは早々に言葉を返す。

「いいわ。投入なさい。でも、戦果拡大の機会は後続と虎共に与えるのよ?」

 戦果を明け渡すという意味ではなく、〈大軍狼兵師団『カイザー・ヴォルフガング』〉は浸透突破により、敵の後背に於いて物資集積拠点や輜重線、後方支援部隊を撃破。フェンリスは、可能であれば北エスタンジアの首都であるイルミナを直撃する腹心算ですらあった。

 敵軍全体を、機動力を以て各個撃破。戦力を漸減し、エスタンジア地方から〈大軍狼兵師団『カイザー・ヴォルフガング』〉と〈重装虎兵師団『インペリウス・ティーガー』〉の両師団を再配置させるだけの均衡を演出する。

 それこそが作戦内容の根幹を成す。

 〈遣エスタンジア方面軍〉から皇国最強の呼び声も高い両師団を引き抜く理由は明白であるが、同時に両師団が〈遣エスタンジア方面軍〉に組み込まれているのは、元より短期決戦を意図していたからに他ならない。予定調和に過ぎないのだ。

 遙か遠方に響くヒトとケモノ、火薬と魔導の戦場音楽を背に、フェンリスは振り返る。

「早く戻らないと、アーダルベルトが暴発しちゃうものね」

 遙か皇国へと続く空を見上げ、フェンリスは凄絶な笑みを零す。

 今まで行動を起こさなかったのは、臆病だからでも被害を恐れたからでもない。利益を最大化できる機会ではなかったからに過ぎない。一切合切悉く、その点を勘違いした者達に知らしめねばならない。

 皇国は天皇大帝に統治され、高位種貴族によって運営される国家である。

 それを勘違いした者達を教育せねばならない。












「公爵閣下、〈大軍狼兵師団〉が動きましたぞ!」

 〈重装虎兵師団『インペリウス・ティーガー』〉師団長を務める髭を蓄えた粗野な気配を滲ませる偉丈夫、レオンガルト・フォン・ディートリヒ大将の蛮声の如き言葉に、レオンハルトはそれ以上の蛮声を以て応じる。

「よぅし! 俺達も行くぞ! 獅子の何たるかを地上に示せ!」

 白虎に騎乗し、戦斧(ハルバード)を掲げて号令を下す。

 鈍色に輝く戦斧が曙光を受けて輝き、白虎達が嘶く。

 レオンハルトは(あぶみ)に乗せた両足で白虎を軽く叩き、躍進を開始する。

 指揮官先頭の伝統を今尚も堅持する彼こそは、《ヴァリスヘイム皇国》がケーニヒス=ティーゲル公爵レオンハルト。祖国の虎種を滑る猛き神虎であった。

 山肌を忽ちに駆け上がり、敵陣地へと殺到しようとする〈重装虎兵師団『インペリウス・ティーガー』〉の五個装虎兵聯隊。基幹戦力による小細工なしの正面からの突撃は、帝国軍と北エスタンジア軍の連合軍にとって晴天の霹靂であった。

 山岳地帯の傾斜を味方に付け、地形を最大限に生かす形で機関銃陣地や迫撃砲陣地を設営した連合軍は、戦線の停滞を将兵共に予想していた。敵よりも高所に あり、火砲は撃ち下ろす形で運用され、敵よりも延伸された射程となる。その上、山地を駆け上がらねば敵陣へと到達できない〈重装虎兵師団『インペリウス・ ティーガー』〉の躍進時間が平地よりも増大する。それは敵陣に取り付くまで撃たれ続ける時間が増大する事を意味した。

 それでも尚、彼らは突撃してきたのだ。

 連合軍の常識にあった躍進速度を遥かに超える形で。

 〈重装虎兵師団『インペリウス・ティーガー』〉とは、皇国最精鋭であることを意味する。騎乗する装虎兵は悉くが魔導騎士であり郷土の精華でもある。

 円錐状に各々が展開した魔道障壁を背後から風魔術で押し出す事により、加速を行う事など雑作もなかった。

 重砲もなく、一点に絞られた五個装虎兵聯隊による突撃行動は、数に勝る連合軍によって行われたが、攻勢正面に展開する連合軍中央のみを踏まえれば決して多いものではない。

 三個師団、三万四〇〇〇名。

 倍近い敵兵力だが、その躍進速度に両翼の支援砲火は間に合わない。距離的に届き得ず、陣地転換は更なる混乱と間隙を招くからである。

 だが、装虎兵達も軽微とは言い難い被害を受ける。

 一際、甲高い砲声が無数と続く。

「対装甲砲か! 臆するな! 続け続けぃ!」

 レオンハルトの卓越した魔道障壁は、極至近距離からの集中射による対装甲砲の貫徹すら許さないが、他の装虎塀達は違う。

 対装甲砲。

 それは軍狼兵や装虎兵という兵科を微々たる数しか保有しない帝国が、その突撃を阻止する為に開発した長砲身の野戦砲であった。肉抜きなどの構造で軽量化 を図りつつも、口径長を延伸し、砲弾の大型化を避けつつも装薬を増強。貫徹力を増した軽便な野戦砲として帝国陸軍では正式採用されている。

 開発経緯と戦車への対抗手段としても期待された事もあり、対装甲砲は急速な配備が成されつつある。そこには製造単価が比較的安価であり、運用に於ける費用対効果(コストパフォーマンス)が優れるという部分も大きく関係していた。

 だが、その数は帝国陸軍の通常編成の師団が保有する対装甲砲の数を遥かに上回っていた。通常編成であれば師団毎に一個対装甲砲大隊……五〇門弱の対装甲砲の配備が通常であるが、眼前の三個師団には明らかに三個大隊ずつ配備されている。

 相手も、この峻険な地形で装虎兵や軍狼兵が活躍すると見て編成を変更していたのだ。

 だが、五個装虎兵聯隊は突撃を続ける。

 無論、そこには一度突撃を始めれば、容易に止まる事が出来ないという事情もある。接触事故の連続で停止すれば、そこを集中砲火される事は珍しい事ではな い。装虎兵も軍狼兵も騎兵も、だからこそ突撃時に停止する事はない。後続に接触して地面に叩きつけられ、踏み殺されると知っているからでもある。

 何よりも、指揮官たるレオンハルトや師団長であるディートリヒを初めとした、著名な装虎兵が先鋒を務めているからであり、複数人による複合魔導障壁は対装甲砲による高初速弾すら弾いた。

 それでも被害を完全に被害を抑止できる訳ではない。攻勢正面は彼らの防護できる範囲よりも遥かに長い。

 本来であれば迂回突破や歩兵と砲兵の直協支援を以て被害を低減できるが、今は時間こそが千金に値する。時間が装虎兵の生命に優越するのだ。

 レオンハルトは飛び上がり、白虎の上へと立って戦斧(ハルバード)を構える。

「推し通る!」

 名乗りはない。最早、戦場は嘗ての浪漫を喪い、屠殺場となったのだ。

 最前面で対装甲砲を操作する対装甲砲兵達の恐怖と憎悪に引き攣った表情。それらの姿が克明となる瞬間、対装甲砲兵達の隙間を縫って深緑(しんりょく)の魔導甲冑を纏った一団が進み出る。対装甲砲兵達は、対装甲砲と持ち場を放棄して後退に移る。予定された行動と受け取ることもできる。

 深緑(しんりょく)の魔導甲冑の一団は見受けられる限りで一個聯隊規模。或いは他の戦域にも姿を現しているかも知れないが、突撃の最中……今まさに躍りかからんとしているレオンハルトには詮無い事であった。

 だが、天晴な事に魔導騎士の先頭に立つ指揮官と思しき男は大剣を構え、レオンハルトの宣言に応じた。

「こいやぁぁぁあぁぁぁッ!」

 彼らは捨て石であろうが、帝国に於ける尚武の象徴たる魔導騎士は放置するには余りにも危険である。砲兵の漸減から優先目標を変更せざるを得なくなった。

 例え、その深緑(しんりょく)の魔導甲冑が親衛軍であることを示すものであっても、レオンハルトには関係のない事である。

 〈第五親衛軍〉

 五つある帝国親衛軍の一つで、陸軍から独立した指揮系統を持ち、皇帝が直接統率する集団でもあった。帝家の資産によって維持され、帝族によって指揮される親衛軍は極めて高い戦闘能力を有する武装集団でもある。

 レオンハルトの戦斧(ハルバード)が、魔導騎士の大剣と交わされる。

 甲高い音よりも人虎の嘶きと蛮声が周囲を満たし、その突進力で少なくない数の魔導騎士を押し倒す。

 だが、その代償に突進力は大きく削がれた。後は混戦である。

 情報にない親衛軍の存在が脳裏の不安を増大させるが、精鋭と干戈を交える機会にレオンハルトは喜悦の笑みを零し呵々大笑。〈重装虎兵師団『インペリウス・ティーガー』〉の将兵達もまた想像以上の煉獄に悦んだ。

 多くを斃し、多くが斃れる事になるだろう。

 戦斧で魔導騎士を薙ぎ払うレオンハルトは、魔導甲冑すら(ひしゃ)げさせ、或いは両断する。頭部を砕かれ身体を押し潰される魔導騎士達は甲冑故に流血量が少ないが、未だに対装甲砲や重機関銃が誤射を承知の上で陣地より攻撃を続けている。

 装虎兵も魔導騎士との衝突に手間取り、側面から対装甲砲を受けて人虎諸共に薙ぎ倒される光景もあれば、重機関銃の集中砲火に足止めされて魔導騎士に大剣で打ち取られる装虎兵の光景も見られる。無論、戦斧(ハルバード)で魔導騎士を突き上げ、その遺体を穂先に掲げて突撃。魔導騎士の戦列を突き抜け、逃げ惑う歩兵や砲兵の背後に襲い掛かる装虎兵もいる。

 しかし、彼我の被害は〈重装虎兵師団『インペリウス・ティーガー』〉が優位を維持していた。

 近接戦闘こそが装虎兵の本分。決して突撃だけではない。

 白虎から飛び降り様に蹴りで魔導騎士を砕き伏せ、レオンハルトは手短な魔導騎士を次々と圧し折り、破砕し、縊った。

 高い魔導資質からなる魔術防禦は装虎兵と魔導騎士に小銃弾をものともしない防護性能を与えたが故に、主体は近接戦闘とならざるを得ない。刀剣に付与され た浸徹術式にこそが魔導障壁を貫通できる。弾体の体積そのものが刀剣に比して極小な銃弾は“現在のところ”浸徹術式を刻印できない為、完全な決着は近接戦 によって成される例も少なくない。

「押せや押せやぁ! 食い破れぇ!」

 国外での戦争であるが、祖国の興廃に繋がる戦争である以上、装虎兵達の戦意に翳りはない。

 戦争は何時でも複合的な要素により構成されているのだ。













「本艦に続いて〈ヘルゴラント〉、〈ヴァイセンベルク〉も転舵!」

「敵艦隊は後退を開始! 撤退する模様!」

「〈第五水雷戦隊〉、敵艦隊を追撃の構え!」

 次々と上がる報告に、〈第四艦隊〉司令長官であるゲルハルト・フォン・ヒッパー上級大将は、隷下の将兵達を一瞥すると右手を天へと突き出す。

 歓声とも蛮声ともつかない凱歌の声が艦橋を満たし、それは忽ちに〈第四艦隊〉全体へと伝播する。

 エスタンジア沖合の大星洋上で行われた皇国と帝国による海戦は前者の勝利という結末を迎えた。

 帝国艦隊は戦艦二隻、重巡洋艦一隻、軽巡洋艦二隻、駆逐艦一四隻を喪って撤退行動に移った。対する〈第四艦隊〉の被害は重巡洋艦一隻、駆逐艦三隻を喪い、戦艦と重巡洋艦の複数に大破や中破の被害を受けるに留まった。

 そして、戦略目標である敵艦隊による南エスタンジアの首都であるゲルマニアへの艦砲射撃阻止を達成した。

 猛将との評価に違わぬ指揮振りによって帝国艦隊を撃退させたヒッパーだが、未だに任務は残っている。

「沿岸に展開している敵陸上部隊に艦砲射撃を加える! 戦艦と重巡は榴弾に順次換装! 艦隊進路を沿岸部に!」

 ヒッパーの命令は大音声であったが、同時に当初の予定に基づいたものであった。

 だが、帝国艦隊は十分に時間を捻出した。

 帝国海軍、〈第五辺境艦隊〉所属〈イグナティエフ辺境艦隊〉は能力ではなく爵位によって艦隊司令長官職を得た男の艦隊であり、ヒッパーは予想以上の粘りと練度の高い艦艇に酷く驚いていた。無論、海軍情報部の怠慢を胸中で罵る事も忘れない。

「〈五水戦〉の追撃を中止させろ。水雷戦隊には水雷艇への警戒をさせる」

 ヒッパーは〈第五水雷戦隊〉の迫撃を中止させる。

 沿岸部への艦砲射撃は水雷艇による襲撃の可能性を増大させる。

 南エスタンジアの領海であり、同国海軍の支配海域でもあるが、北エスタンジア海軍であれば拮抗した海上戦力であるものの、帝国海軍であれば戦力差があり過ぎる。

 そして、〈イグナティエフ辺境艦隊〉には水雷母艦が存在する。夜陰に紛れて水雷艇の投入を行ってくる可能性は常に存在した。

 水雷母艦は水雷艇の洋上基地となるべく建造された艦である。魚雷艇は艦形が小型で航続性能が低く、外洋での行動範囲が限定的であった。それを外洋での航 海に耐え得る水雷母艦に複数積載、戦闘海域付近まで投入して攻撃。加えて修理や補給を行える母艦としての役目を持つのが水雷母艦であった。

「対地砲撃は、三射後より榴弾となります。着弾観測はエッケガルディン領邦軍所属の観測騎が協力してくれるとの申し出がありました」

 砲術参謀の言葉に、ヒッパーは髭を撫でる。

 ――エッケガルディン領邦軍は余程に切羽詰っていると見える。

 申し手があったという事は、自らに割り振られた戦域への支援を優先させる心算である事は疑いない。

 陸戦の舞台は主に二か所。

 比較的高度の低い山地で、アルゲン街道という主要な交通路がある地点。

 海岸に近い隘路を進撃した先にある首都ゲルマニア近傍。

 前者は七武五公から二人の公爵が中央貴族の主力を率いて決戦の最中にあるが、後者は皇国中央貴族の領邦軍から抽出された一個師団相当の兵力。加えて、南 エスタンジア陸軍から四個師団が投入されて防衛に当てられている。更に背後には召集令状により徴兵された民衆からなる三個義勇師団が展開している。

 ゲルマニア近傍の山地での決戦。

 帝国陸軍は八個師団、約九万五千名を擁しており、尚且つ首都を攻めるという政治的要素から精鋭が当てられていると予想される。数の上では大兵力の運用が 辛うじて可能なアルゲン街道周辺が主攻となっているが、それは軍事分野に限った話である。政治分野で論ずれば間違いなくゲルマニア付近での戦闘が主攻とな る。

 それ故に防衛は困難を極める。

 皇国としては、南エスタンジアという国家存続はゲルマニア保持を前提としたものではないが、逆は違う。国家が首都を喪うのは、その権威を喪うに等しい失態であり、国際政治の舞台に在ってもその失点は付き纏う。

 よって、南エスタンジア陸軍は死に物狂いで戦うことは疑いない。

 そして、その総指揮官は防戦の名手であるモーデル将軍であった。

 背水の陣である南エスタンジア陸軍。対する皇国中央貴族〈エスタンジア派遣軍〉は直接的な祖国防衛ではない。認識の差は戦意の差に繋がり、その点を以て後者を与し易いと帝国側が判断した可能性もある。

「所定の位置に付き次第、艦砲による陸上部隊の支援を開始する」

 間違ってもゲルママニアに帝国兵を突入させることはあってはならない。

 南エスタンジアの国民にとって、ゲルマニアという首都は初代総統が築き上げた国家社会主義の象徴に他ならない。陥落は彼らの主義主張の正当性に傷を付けるに違いなかった。

「閣下、戦隊と巡洋戦隊が所定の位置に付きました」

 砲術参謀の報告に、ヒッパーは思考の海より脱する。

 随分と深く考え込んでいたのか周囲の参謀達の不安げな視線が煩わしい。

 それを振り払うかの様にヒッパーは叫ぶ。

「全艦、一斉撃ち方用意! 砲弾を吝嗇(けち)るな! 撃ちまくれッ!」

 弾薬運搬艦も既に到着しており、砲弾備蓄量に不安はない。

 斯くなる上は、当初の作戦計画通り陸上支援を行うのみである。

 本来であれば交互打ち方で着弾精度を上げていく射法が正しいが、戦艦一隻の火力は三個師団に匹敵すると言われている。それが三隻。加えて重巡洋艦も複数 展開している。第一射目で敵軍に艦隊という脅威を明確に示すべきだと、ヒッパーは判断した。作戦目標は防衛であり、敵軍の撃破ではない。

 砲撃用意を知らせる警報音が艦内に鳴り響き、甲板上で応急処置に当たっていた乗員が艦内へと退避を始める。

 砲術参謀が頷き、航海参謀が艦隊進路に問題なき事を申告する。

「全艦、撃ち方始めぃ!」

 ヒッパーの大音声に応えるかの様に、エスタンジア近海が朱に染まった。

 

 

 

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「私の運動に値しないことを自ら証明した」

「民族が全てであり、個人は無である」

「自分自身の為だけに過ごせる時間というものは誰にも存在しない」

「近い将来、我々は東洋の覇者と対決しなければならない段階が来るだろう」

              《独逸第三帝国》総統 アドルフ・ヒトラー



「金髪の神々の連中の能力のなさに気付いた」

              《独逸第三帝国》親衛隊大将 フェリックス・マルティン・ユリウス・シュタイナー