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第一三九話    シュットガルト湖畔攻防戦 5



「エップ中佐……御指示を!」

 響き渡る砲声と銃声に負けない様に指示を請う盟友のカール・エアハルト大尉の声に、エップは視線を巡らせる。

 エアハルトは、〈エアハルト海兵旅団〉という〈右翼義勇軍(フライコール)〉 の一部隊を指揮していた猛者で、内戦が本格的に始まると同時にヴェルテンベルク領邦軍に編入され、〈第二義勇装甲擲弾兵(フライヴィリゲン・パンツァーグ レナディーレ)師団〉隷下の大隊指揮官を拝命している。そして、その大隊を隷下に加えた聯隊指揮官がエップなのだ。ゲフェングニス作戦での活躍に功ありと 判断され昇進し、中佐の階級を得たエップは義勇兵の運用に精通しているとして〈第六義勇装甲擲弾兵聯隊〉の聯隊長に任命されたのだが、マリアベルに嫌われ ているのだと信じて疑わない。

 ――戦野に在ることが許されている以上、不満はないが……いよいよ負け戦だな。

 中年真っ盛りという風体のエップの本名は、フランツ・ヨハネス・リッター・フォン・エップという名で、リッターという名称が示す通り騎士 (Ritter)称号……士爵の叙爵を受けた男であった。二〇年以上前の対帝国防衛戦中に華々しい戦功をあげ、多くの勲章を受章した騎士であり、ヴェルテ ンベルク領に於いて一線を画した人物でもあった。

 何者の命令も受けない右翼武装集団の統率者。


 〈右翼義勇軍(フライコール)


 マリアベルは有事の際の戦力として成立当時から黙認していたものの、同時に危険視していた節がある。しかし、この内戦という有事に際して、〈右翼義勇 軍〉は北部の各地の貴族領邦軍に志願して一翼を担っていた。〈右翼義勇軍〉という組織自体が退役軍人を中心に郷土兵達を教練した愛郷者集団で、マリアベル の予備役制度の領分を著しく侵食しており、ヴェルテンベルク領邦軍内では〈右翼義勇軍〉出身の兵士は少ない。だが、その指導者であるエップがヴェルテンベ ルクにいることがマリアベルの逆鱗に触れた。

 マリアベルは、政敵に成り得ると判断したのだ。

 だが、エップはラムケの盟友であり、嘗ての戦役の立役者であることもあって邪険に扱うことは叶わず、ラムケに一任するという形で丸投げされることになる。

 そして、〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉の編成に当たりラムケと共にエップも配置されることとなり、帰還後は義勇装甲擲弾兵の教練を担い、その後に征伐軍がフェルゼン直撃を避け得ないと判断された為に〈第六義勇装甲擲弾兵聯隊〉の聯隊長に任命された。

 響き渡る断続的な重低音……MG99重機関銃の連射を耳に、エップはエアハルトに向き直る。

「この地区を放棄しましょう。……工兵に地区の地下道の爆破を命令、負傷者の後送は?」

 騎士然とした佇まいであり、鼻の幅ほどに短く刈り込んだ口髭も相まって、その姿は近所の頑固親父といった風にも見える。他の将校と違い軍帽ではなく、戦闘用鉄帽(シュタールヘルム)を被っていることもそれに拍車を掛けたが、その声音は優しげなものであった。

「問題ありませんよ、先輩」

 エアハルトの用意の良さに、逃げ足は相変わらず健在なのだろう、と苦笑する。官憲から逃げるという一点に関しては、彼に勝る者はいない。

 改めて部隊へ指示を出すエアハルトの背中を眺めながら、エップは戦域図に視線を向ける。

 既にフェルゼンの三分の一近い部分が征伐軍によって制圧されており、砲兵部隊の支援も密度が薄くなりつつある。対砲迫射撃による砲兵同士の潰し合いが双 方で行われており、征伐軍が大被害を承知でフェルゼン内に砲兵部隊を進出させているからこそ砲兵同士の戦いが起きたと言えるが、それによって北部統合軍の 砲兵戦力が徐々に削がれつつあった。

 地理に明るく、フェルゼンは中央部に向けて緩やかな丘陵という地形的に高所であることも相まって優勢は確保しているが、それも限界に近い。火力主義を標 榜するマリアベルの下、驚異的な火砲保有率を誇っていたヴェルテンベルク領邦軍や北部貴族の各領邦軍であるが、一地方軍が国軍を相手に消耗戦を続けて優勢 を確保し続けることは不可能なのだ。ましてや弾火薬の欠乏という欠点を抱えての火力戦である以上、結果は予想し得るものであった。

 ――フルンツベルク中将配下の〈傭兵師団(ランツクネヒト)〉が輜重線遮断の為に不正規(ゲリラ)戦をしていると聞きますが……これはいよいよいけませんな。

 火力優勢をフェルゼンという限定空間に誘い込むことで演出し、市街地という地形を利用した市街戦や浸透突破によって敵兵力を漸減するという当初の予定 は、大半の者の予想を遙かに超える形で大戦果を叩き出していたが、それはフェルゼンの荒廃と引き換えにしたもので邪道に近い。

「音源評定と戦術的妥当性による砲兵の優位は数の暴力に屈しつつあるという訳ですか……となると夜襲ですな」

 既に薄暗くなり始めたフェルゼン。

 夜の帷は敵味方に静寂と一時的な休戦を齎す。

 しかし、その大前提はトウカの到来によって崩れた。

 ベルゲン強襲も黎明前に行われ、パンテオン作戦も征伐軍を北部地域の縦深に引き摺り込み、大規模な夜襲は幾度も敢行された。夜間戦闘をこれ程に多用した指揮官は皇国軍事史上、トウカが初めてと言える。

 〈装甲教導師団(パンツァーレーア)〉や〈傭兵師団(ランツクネヒト)〉などは夜襲の成功と引き換えに少なくない被害を受けたものの、征伐軍にそれを遥かに超える多大な被害を与えている。索敵能力に秀でた軍狼兵を加えることで夜襲の成功率は増大し、航空騎の脅威もないとなれば傭兵や熟練兵にとって一撃離脱による独壇場であった。

 既に闇夜は戦人の休息の時間足り得ないのだ。

「第二大隊と第四大隊に狼種の兵を前衛に夜襲を行うと命令を。陣頭指揮は私が取りましょう」

 聯隊司令部要員に夜襲の命令を伝え、エップは背負っていた野太刀を引っ掴むと、鯉口を切り、一息で抜き放つ。

 拳銃嚢(ホルスター)に収まるP89自動拳銃と 太刀という武装は、トウカがヴェルテンベルク領に現れて以降に士官の間で流行り出したものである。トウカの扱う流麗な剣技に魅せられた者や、種族的に膂力 が秀でている者は至近距離を太刀で対応し、刀身の届かない範囲を自動拳銃で補うという方法に利便性を見いだしたなどと理由は様々である。無論、トウカの場 合は人間種でしかなく、自動拳銃と軍刀を同時に扱える膂力はない。よって、膂力に優れた種族の様な戦い方はできないのだが、噂は勝手に独り歩きし、トウカ はそうした戦い方で陣頭指揮を執っているという勇ましい風評が定着しつつある。

 そして、エップは実情を知りつつも、それを真似した一人である。

 この出で立ちが兵士に受けが良いというのもあるが、エップは狼系混血種であり膂力にはそれなりの自信がある。

 若くはないが、兵士だけに突撃させては士気を保てない以上、エップに選択肢はないのだ。既に組織的抵抗よりも小隊単位程度の遅滞防禦が主体となっており、エップの夜襲命令も二個大隊を動員する心算であったが、実際に命令が伝達され、続くのは半数程度であると見ていた。

 野太刀の刀身に映る自身の貌にエップは苦笑する。

「……エアハルト大尉、貴官は後退したまえ。幾ら組織的抵抗を前提にしていない防戦とは言え、指揮官の損失は可能な限り避けねばならない」

 刀身に映るエアハルトの貌に、エップは溜息を一つ。

 しかし、エアハルトは軽やかな笑声を零す。

「残念ながら戦争ですよ」

 意味を成さない一言。会話など必要ないのだ。

 引く事に意味はなく、既にフェルゼンこそが最終決戦の地であり総力戦の焦点なのだ。此処で引いた場合、戦う機会を失う事とて有り得た。

「まぁ、どうやら恰好を付ける必要はなさそうですが……」エアハルトの呟き。

 そして蛮声が響き渡る。

 敵方の夜襲。

 蛮声の規模から見て大隊規模。続く着弾の炸裂音を見るに重、軽迫撃砲の支援の下での突撃であり、大隊規模での戦術としては真っ当なものである。エップの 聴覚が正しければ突撃発起地点は正面ではなく、攻勢を受ける防禦陣地は隣の地区であるはずであり、そこは日中に熾烈な白兵戦が行われた為に抵抗力を減じて いる。

 恐らくは成功するだろう。昼間であれば、という前置き付くが。

「どうやら夜襲は、我々の専売特許ではなくなってしまったようですね」

「構わない……諸君、先の命令は撤回しない。右翼より迂回、後に敵の側面より突撃する! 続けッ!」

 突撃を試みるならば側面からの痛打で挫くまでである。

 エップは野太刀を振り翳し、刀身を見せつけるように歩を進める。続く様に兵士達も遮蔽物となった建造物の残骸を利用し、或いは建造物内の扉を蹴破り、窓 から窓へと飛び移り移動を開始する。狙撃兵や機関銃分隊は建造物の高所に展開し、その前進を支援した。義勇兵とは思えない手慣れた動きであるが、徴兵制と 平時から常設されている〈右翼義勇軍(フライコール)〉を始めとした義勇兵組織が多数あった事を踏まえれば何ら不思議なことではない。後退を繰り返しながらも士官や下士官に不足していないのにはそうした一因もある。

 狼種が尖兵長を務め、時折、遭遇する斥候や偵察兵などを音を立てずに排除し、進み続ける。表通りを使用すれば簡単に前進はできるが、当然、征伐軍が張り 巡らしているであろう警戒線や索敵網に接触し、察知される可能性がある。結果として脇道や並び立つ建造物内を複雑に進みながらとなり時間が必要となった。

「先輩……あれを。袖章(カフタイトル)を見るに、恐らくは陸軍の〈第九歩兵師団『スカンテンベルク』〉隷下の大隊でしょう」

 渡された双眼鏡を覗くと、戦い慣れた気配と個性的な刀剣が特に目立つ歩兵が蠢いていた。

 闇夜に蠢く甲冑拵えの胸当てや草摺り、脛当、袖を軍装の上から身に纏う歩兵の姿は遠目にも威圧感に満ちた者であり、一目見れば皇国南部で猛将フランベルク・ハルダー少将に率いられているという〈第九歩兵師団『スカンテンベルク』〉の部隊であると見て取れる。袖章(カフタイトル)を確認する必要すらなく、皇国南部から師団ごと引き抜かれた甲冑拵えの防具を装備した部隊は〈第九歩兵師団『スカンテンベルク』〉だけであった。

「ハルダー家と言えば七武家の一つ。なれば、相手に取って不足なし。討ち取って誉れとしてくれようか」

 〈第九歩兵師団『スカンテンベルク』〉は、ハルダー家の派閥に属する者達が主要な要職を占める師団である。七武家とは陸軍内に派閥色を前面に押し出した 部隊を擁している事が多く、そうした師団は高い戦闘能力を一様に示していた。武名の下に彼らは研鑽を怠らず、死を恐れない精兵足らんとする意志を隠さな い。

 だが、内戦は過酷だった。

 決戦という焦点がなく、不正規(ゲリラ)戦や治安戦の延長線上に破壊工作や狙撃、夜襲などが何カ月と続き、挙句に航空攻撃という抗い様もない死神が空より大鎌を擡げる状況に、彼らは櫛歯が欠ける様に精鋭兵を削がれた。

 挙句に要塞都市フェルゼンに於ける終わりなき市街戦への投入である。内戦勃発時からの兵士の数は大きく割り込んでいると見て間違いはない。補充によって額面上の兵数を満たしても、それは往時の戦闘能力への回帰を意味しないのだ。必ずしも精鋭と見る必要はない。

「敵は大隊規模、戦列は市街地である事と前面の友軍に気を取られていますよ」

「うむ……攻撃する。……総員、突撃に移れぃ!!」エップは野太刀を振り上げて飛び出す。

 続く蛮声と銃声。

 本来であれば蛮声一つ上げずに突撃を敢行し、直前まで気付かれる事を避けたい。しかし、義勇兵の練度でそれを求める事は不可能であり、彼らは自らを奮い 立たせる為に蛮声を迸らせる。恐怖に相対しても尚、冷徹に義務を履行し続けるというのは職業軍人ですら難しい事なのだ。蛮声を上げる事は致し方ない。

 〈第九歩兵師団『スカンテンベルク』〉隷下の大隊は、動揺の為か組織的な応戦ができないでいた。

 小銃と機関銃、狙撃銃の銃撃が殺到し、征伐軍大隊の側面を襲うことで動揺が広がっていた。小隊指揮官や中隊指揮官の中には撃ち倒された者もおり、指揮系統が混乱したのだ。

 義勇装甲擲弾兵の中でも脚力に優れたエップに勝る速度を持つ者達は、エップを追い越して瞬く間に大隊の側面を担う位置の歩兵中隊側面を襲う。

 短機関銃を連射し、戦列に踏み込んだ狼種義勇兵は、負い(スリング)で弾倉が空になった短機関銃を背中へと回し、曲剣(サーベル)を抜き放つ。

 エップも後に続いて突入すると、義勇兵の背後を襲おうとしていた一人の歩兵を右下から袈裟懸けに斬り上げる。

 防弾性と防刃性に優れた皇国陸軍の軍装に、甲冑拵えの胸当てや草摺り、脛当、袖を装備した歩兵に対し、エップは大腿部を狙って斬り付ける事で斬撃を徹した。

 野太刀は通常の太刀の様に立ち会いで使うものではない。合戦の際に馬上から低い位置にいる兵士などを叩き斬る為に使われる特性上から取り回しに難があるものの、遠心力などを利用しやすく斬撃の威力に優れていた。

 大腿部を切断され、大量の血を流して倒れる歩兵の首筋にそれを突き立てて絶命させ、近づいてきた別の歩兵に拳銃嚢(ホルスタ―)から抜き放ったP89自動拳銃で短射を加える。

 P89自動拳銃は、タンネンベルク社で生産された皇国陸軍正式採用の自動拳銃の一つだが、皇国陸軍では騎兵科の将兵にしか配備されていない。しかし、 ヴェルテンベルク領邦軍では士官以上の全てに配備されており、拳銃でありながら長い銃身故に遠距離での命中率が高く、大型である事や重量があるという欠点 はあるものの、総じて好まれていた。だが、何よりも好まれたのは最新型からは連射機能が追加されたことであり、近接戦では局地的ながらも制圧を可能として いる。

 歩兵に三発ほど撃ち込み、魔導障壁諸共に体勢が崩れたところを後続の義勇兵達の銃剣が襲う。

 三本の銃剣に貫かれて絶命した歩兵は、石畳の大通りへと叩き付けられ、周囲に血の匂いが満ちる。

 巻き上がる血風に兵士の殺意。そして、銃声に迫ろうかというほどに耳障りな断末魔の叫びは、双方の部隊主力の衝突を意味していた。

 夜戦では視界が制限されるために銃撃戦を主体に展開しても、敵に決定打を与えられない可能性が高く、ましてや遮蔽物の多い市街戦となれば弾火薬の消費は増大する。よって北部統合軍将兵にとって、夜戦で状況を見て白兵戦に移行することは珍しいことではなくなりつつあった。

「先輩ッ! 左翼に混乱の少ない士官の一団がいます!」

「撃破する、続けぃ!」

 野太刀を振り上げ、周囲の義勇兵の注目を集め、混乱の少ない士官の一団をその切っ先で指し示す。

 沸き立つ蛮声。

 それに合わせて、エップも踏み出す。

 前を塞ぐ歩兵の爪先を野太刀の切っ先で突き下ろして刺し貫き、戦闘用鉄帽(シュタールヘルム)を被ったままに頭突きを行う。右足の甲を石畳の大地に野太刀で縫い付けられ、頭突きで前歯を圧し折られた歩兵は受け身も取れずに倒れる。

 歩兵の首を蹴飛ばして頸の骨を折りつつも、エップは歩みを止めない。

 銃弾や魔術が支援の為に放たれる中、エップとそれに続く一部の義勇兵達は走る。

 歩みを止めては狙われる。

 機動こそが生存への条件であると理解しているからに他ならない。

 大隊司令部直轄小隊の歩兵に阻まれ、曲剣(サーベル)で切り掛かってくるそれを野太刀で受け、そのまま蹴りを加えて押し返すと、通り脇の倒壊した建造物へと転がり込む。

 〈第九歩兵師団『スカンテンベルク』〉の司令部も指揮統制を乱しているのか機関銃の掃射音が響いており、友軍誤射(フレンドリーファイア)も覚悟の上なのか、或いはただ混乱しているのかは不明であるが機関銃による火力支援が復活しつつあった。

「エアハルト! 生きているか!」

 エップは叫ぶ。

 すると、視界の右端から伸びた鋭く尖った刀身が、近くを通った歩兵の脇腹を突き刺す。

「先輩、残念ながら生きていますよ! それよりも――」

 先端になるにつれ狭まり先端が鋭く尖っている刀剣……鎧刺し(パンツァーシュテッヒャー)を手にしたエアハルトが、エップが身を隠している倒壊した建造物へと飛び込んできた。

 エアハルトの言葉を、エップは遮る。

 建造物の辛うじて原形を維持されている室内の隅には、無残な姿の女性義勇兵が斃れている。冬季である為に死臭がすることはまだないが、饐えた男の匂いをさせている。軍装も半ば剥ぎ取られて、明らかに性的暴行を受けた後に殺されたと見て取れる。

 袖章(カフタイトル)を見るに〈第二義勇装甲擲弾兵師団〉のもので、恐らく所属はこの地区の防衛を受け持っている〈第五義勇擲弾兵大隊〉の女性義勇兵のものと推察できる。

 戦場という極限状況の場に在って、捕虜となった女性達の末路は悲惨の一言に尽きる。

 敵の鬱憤と欲望の捌け口だったのだろう。自尊心を砕く様な相当に酷い扱いを受けた事は疑いないが、二人は遺体に罠が仕掛けられている可能性を考慮して近 づく事はない。軍用長外套を掛けてやるくらいはするべきかも知れないが、これこそが市街戦なのだとエップは理解しつつあった。

 ――道徳心を擦り減らし、極限状況を銃剣突撃で突き進む。まさに戦争だな。

 双方共に道徳心は崩壊し、敵の女性兵士に対する強姦は勿論、降伏した捕虜の虐殺など、最早、両軍の指揮官には如何ともし難い程に倫理の崩壊は表面化していた。

 方や地方軍閥の征伐程度だと考えていたにも関わらず、過酷な戦野を何カ月も転戦し続けていた征伐軍。

 方や一部が離脱したとは言え、未だ強大な火力と全軍の半数近くを占めつつある戦意旺盛な義勇兵に支えられて頑強な抵抗を続ける北部統合軍。

 前者は転戦の影響から将兵の心が荒み、後者は義勇兵という事実上の民兵の増加によって道徳心を減じていた。戦争犯罪がそこで起きる事は当然の流れなのだ。

 エップは視線を逸らし、軍帯(タクティカルベルト)に吊り下げられた戦闘雑嚢から戦域図を取り出して状況確認を行う。

 エアハルトの指示を受けて至近に展開していた義勇装甲擲弾兵一個小隊が崩れた建造物内の捜索と、警戒を始める中、エップは戦域図を眺めながら中々に愉快な状況に笑みを零す。

 運の良い事に隣の地区の攻撃中の〈第九歩兵師団『スカンテンベルク』〉隷下の大隊は、側面を大きく晒している形でエップが率いる大隊規模の兵力の夜襲伏 撃を受けた。状況としては、隣の地区の防禦を担っている部隊と連携を取っていた訳ではないが、鉄床戦術を実現したような戦況になりつつある。

 鉄床戦術とは、軍を二つの部隊に分け、一方の部隊が敵を引き付けている内にもう一方の部隊が、背後や側面に回り込み敵本隊を包囲、挟撃する戦術である。

「エアハルト……このまま一翼包囲は可能か?」

 一翼包囲とは、自軍部隊の左右に展開した両翼のいずれかを対峙する敵軍の一方の側面から回り込むように機動させて、中央の部隊と協力して多方面から攻撃と包囲を行うことである。

 この場合は隣の地区の防衛を受け持っている部隊と連携ができている訳ではないが、その部隊の指揮官は、〈鉄兜団〉という義勇兵団を率いるテオラ・ディスターベルク大尉という妙齢の女性将校で信頼に足る指揮官であった。

 戦況に合わせて戦術を変更させるくらいの目端は効くはずである。

「夜明けまでなら行けるでしょう。迫撃砲の支援も必須ですが」

「よし、刻限を設けて包囲網を形成しつつ、敵大隊の戦力を漸減する」エップは決断する。

 何の他愛もない市街戦の一幕。

 フェルゼンの各所で両軍の指揮官が智謀の限りを尽くして相手の隙を突き、兵士達は視界の悪い市街地であるが故の突発的な白兵戦によって凄惨な戦闘を強いられる。

 英雄達が決定打を齎す事を許さず、内戦は多くの者の予想を裏切って泥沼化しつつあった。








「トウカ……無事であったか」

 マリアベルは、トウカの姿を認めて胸を撫で下ろす。

 特設の軍務府として機能している重巡洋艦〈プリンツ・ベルゲン〉の統合指揮所の最奥に位置する長官公室の執務席へと入室したトウカの姿に、マリアベルは溢れそうになる喜びを押さえて何時も通りの自信に満ちた表情を取り繕う。

 敬礼を以て応じたトウカ。

 その軍装は戦塵に汚れており、少なくない火薬の匂いが漂っている事から、列車砲部隊や重砲兵部隊の指揮を執っていたのだろうと見当を付ける。既にフェル ゼン内では敵味方入り乱れての市街戦が始まりつつあり、砲兵支援の重要性は更なる増大を見ていた。効率的な火力の提供と必要な場面と地点、時間を考慮した 戦域全体を支える大口径砲による砲兵支援は上級司令部によって統制され、現在はトウカがそれを担っている。列車砲の砲身限界と砲弾備蓄を踏まえてである 為、本来であれば別の軍務に就いているはずのトウカに押し付けられたのだ。

 現在は戦術的に使用されているが、列車砲はある種の戦略兵器である。

 複雑な市街地の敵拠点を一瞬で叩き潰し、侵攻路である大通りを破砕し、高層建築物を倒壊させて敵戦力を分断する。

 その扱いは砲弾備蓄量や砲身寿命の問題もあって極めて難しくなりつつある。

「御前がここにいる必要はない筈だが……後方に下がっても誰も咎めはしない」

 軍務卿とは軍政を司る者である。実戦部隊の指揮官は、最高司令官のベルセリカであり、彼女は明確なまでに義務を果たし続けていた。

 トウカの本音としては、ミユキ共々後方に押し込んでおきたいが、マリアベルがそれを素直に認めるはずもない。そして、トウカはそんなマリアベルの在り方が厭うてはいなかった。

「なに、領都防衛の任を捨て置けばヴェルテンベルク伯爵としての名に傷が付こうて。それは我らに都合悪かろう?」

 だからこそマリアベルは急造艦で赴いてきたのだ。

 重巡洋艦〈プリンツ・ベルゲン〉は、ヴェルテンベルク領邦軍にあって外洋航行を前提とした数少ない艦艇で、将来的には〈剣聖ヴァルトハイム〉型戦艦と共 に外洋戦略の中核戦力となるべく整備されていた艦艇であった。長砲身五〇口径三連装二一㎝砲を艦首側に二基、背負い式に配置し、艦尾側に一基搭載した保守 的な設計で、その規模や対空兵装なども現行艦艇と同等程度に過ぎない。強いて言うなれば平均的な重巡洋艦よりも厚めの装甲と、やや優れた速度を有している に程度であった。

 無論、これは就役後の性能である。

 現在は砲塔も装備されておらず、対空機銃や高角砲もまた同様であった。代わりに陸上部隊が使用している対空砲などが甲板に展開しており、若干の防空能力を与えているが、防循も無ければ甲板に固定されている訳でもない為、激しい戦闘機動に耐え得る訳ではない。

 そして、一番、目を惹くのは後甲板に設置された巨大な長方形の箱型設備であった。

 これは、ベルゲン強襲での主目標であるアリアベル殺害に失敗した事が明確となった頃より急造されていた臨時の総司令部施設で、フェルゼンが失陥する可能 性すらもマリアベルが考慮していた事を示すものでもある。艦艇として辛うじて航行可能なだけの、重巡洋艦としては未だ武装などの艤装すら終えていない事に 目を付けたもので、後甲板に総司令部施設となり得る施設を増設したに過ぎない。シュットガルト湖という閉鎖された水域では敵艦艇との交戦はなく、対空戦闘 も直衛艦が行えばいいという割り切った発想の産物と言えた。

 マリアベルにとっては水上を往く別荘のようなものであり、ベルセリカや総司令部要員も現在は此処に詰めている。中には夜を徹して部隊に指示を出し、再編 成を行っている将校もいるのだが、最上階に位置する長官公室は足元に防音、防振障壁が展開されている為にその慌ただしさを感じることはない。

 長官公室には二人以外の影はなかった。

 現状報告の為、トウカは呼び出されたことになっている。

 しかし、長官公室へと続く隣室には秘書官室が併設されており、セルアノが詰めていた。

「無論、無事だ、マリィ。戦局も想定していた通り……決定打に欠く状況ではあるが」

 執務席の前に立ち、穏やかに微笑むトウカ。

 マリアベルとしては征伐軍を完全に打倒したいが、現状の北部統合軍の戦力では難しい話であり、興味は如何にしてアーダルベルトをトウカが討つのかという点に移っていた。征伐軍は何れ根負けして和議を願い出てくるとマリアベルは踏んでいるのだ。

 二人は並び立つと、戦火の燻ぶるフェルゼンが投影された光景を眺めて沈黙する。

 あの光景の下で、マリアベルが築き上げた大都市が荒廃し、幾多の命が消費され、内戦の焦点となっている。

 敗戦とは惨めだ。まして領地全てを焼き尽くされ、挙句に領民としての気概や郷土愛すら破壊し、磨耗し尽くす敗戦など在ってはならない。

 しかし、廃墟を見れば自身の選択が正しかったのかという疑問を抱かないでもない。

「不安か、マリィ」

 トウカの優しげな声音に、マリアベルは首を静かに横へと振る。

 上に立つ者が不安を表に出しては配下の者が揺らぐが、二人しかいない場に在って気に留める必要はない。だが、愛する者の前で弱みを見せるという惰弱を自 身が許せないのだ。何よりトウカが好む女性というのは、全般的に揺らぐことなき意志を持った気高い女性であるということを理解していたからに他ならない。

 気取られまいとマリアベルは、敢えて自ららの疑念から目を逸らし、トウカの好みの女性についての“不自然”に思考を巡らせる。

 ――ふむ、そう言えば、トウカの好みから、ミユキは外れるのぅ……

 考えてみれば、トウカの好みは当人も口にしている通り、姫将軍や騎士姫などと巷で言われるような心に秘めるものを宿した勇敢で麗しき乙女である。最初は そうした強い女性を従える、或いは組み敷くことで征服感や優越感を得る事を好むのだと考えていた。しかし、ベルセリカに対して好ましげな視線と感情を向け ていながらも、行動に移す気配がないことから不自然に感じていた時期もあった。無論、マリアベルは社会的にも軍事的も政治的にも強者たる女性を組み敷きた いという渇望を軽蔑することはない。寧ろ、人間種という表面上の能力的には底辺にいる種族の雄であれば、そうした感情を抱く事は当然だと理解していた。そ んなに単純な感情を見せる雄であれば、ミユキから奪うことは難しい事ではなかったのだが実情は違う。

 無論、トウカの精神構造を知るには過去を知る必要があるのだが、当人がそれを語る事に難色を示している以上、マリアベルは推察するしかない。

 ――或いは、ミユキに対しての感情は恋ではなく依存なのやも知れぬの。

 もし、その推測が正しければ、そう遠くない未来にトウカの女性関係には大きな嵐が訪れるだろう。

 在り得るかも知れない未来。

 きっと、それは面白くも可笑しく、そして愉快なものとなるだろう。

 そこに自身の姿があるのか否かはわからないが、叶うならば在りたい。

 マリアベルは切に願う。

 例え自身の復讐の過程として膨大な命が喪われつつあるとしても、枯れたと思っていた乙女心が燎原の火の如く燃え盛る事実に何ら影響を与えるものではな い。元を辿れば誘導したとはいえ、マリアベルの復讐に北部貴族の思惑が迎合したに過ぎず、双方の利害が一致したに過ぎなかった。北部の民すらも周辺の全て の勢力を潜在的脅威として認識し始めていた以上、その背を少し押すだけで世論は容易く傾倒した。

 それ故に今この時、フェルゼンで潰え往こうとしている命に対してマリアベルは心を致命的に病む事はなかった。

 後の世では血塗れの恋とも言われるかもしれないが、それは寧ろ廃嫡の龍姫にとっては相応しいもの。

「御前は心の赴くままに振る舞えばいい。……そして、優しく接するのは俺だけで良い」

 差し出されたトウカの右手が、マリアベルの腰に及ぶと優しげな手付きで抱き寄せられる。

 傍若無人な言葉で自信を甘やかそうとするトウカに、マリアベルは思うところがないでもないが、同時にそれを嬉しく感じる部分もあった。だが、ミユキという少女であれば唯その言葉に満足するであろうが、マリアベルはあくまでもあらゆる面で対等に扱われる事を望んだ。

 しかし、偶には唯の乙女として扱われるのも悪くはない。

 きっと、こうして女は堕落していくのだろう。

 抱きすくめられたマリアベルは、トウカの肩に(こうべ)を預けて小さく微笑む。

 仄かに漂う火薬の匂いと戦塵と汗が入り混じったそれがトウカらしくあり、マリアベルは不快ではなかった。寧ろ、それらの匂いと着飾らずに訪れたことで、男性の腕に抱かれるという実感が一層強く感じられて気恥ずかしくもある。

 皇国人の平均からすると幼さを感じさせるトウカの顔立ちだが、こうして軍装と戦塵に汚れた姿で戦野の匂いを纏っているとしっかりと雄なのだと実感できる。

 気恥ずかしさから身動ぎするマリアベルだが、トウカが一層強く抱き寄せることでそれを許さない。

 戦野から舞い戻ってきたのだ。気が昂っているのだろう。

 マリアベルはトウカの袖を引き、長官公室の隣に併設されている扉へと誘うが、トウカはマリアベルの右手首を掴む。

 突然のことに身体の姿勢を崩したマリアベルだが、トウカの足に引っ掛かったのか執務机上へと倒れる。弾みで執務机上の書類や筆記用具、写真楯などが床へと零れ落ちて小さくない音を立てた。

 隣室の秘書室にいるセルアノに気付かれたかも知れないと焦り、起き上がろうとするマリアベル。

 しかし、トウカがマリアベルの両肩を押さえ付けて執務机へと再び押し遣る。

 突然、背中を襲う執務机の硬い感触にマリアベルは驚くが、呻き声はトウカの唇によって塞がれて意味を成さない。否、声を上げることなど許さないとばかりに強引に唇を奪われたのだ。

 貪る様な口付け。

 方や、叛乱軍の指導者の一角。
 方や、叛乱軍中枢を担う将官。

 共に明日、散ったとしても何ら不思議ではない二人が、互いを求めることに対して貪欲ではないはずがなく、獣の様に互いを求めて手足が動く。 

 漸く離された、惜しむかの様に糸を引く唾液が二人の唇の間に橋を掛け、そして零れ落ちる。

 荒い吐息と共に、首筋への押し付けられたトウカの頭を両手で抱えることで、マリアベルはその行為を迎え入れた。戦野での昂りに異性への渇望が引き摺られ るということは、マリアベルと手理解しているが、昔であれば間違いなく愛情以外の要素で身体を求める真似を許しはしなかっただろう。そんな惰弱は許さない と叱責したに違いない。

 しかし、今となっては抵抗を忘れ、最終的に受け入れてしまう。

「今この時だけは、御前の身体で戦争を忘れさせてくれ……」

 容易い女と思われることは気に入らないが、それでも良いかと思えてしまう怖さを恋と言うのかも知れない。

「……啼いた後でも騙されぬからの」形ばかりの抵抗の言葉。

 そして、マリアベルは幾度となくトウカに抱かれた。

 床で貪る様に求め合い、応接椅子(ソファー)に染みを作り、壁に押さえ付けて喘がされと、執務机から寝台へと場所を移すだけでも、互いを求め合いながらである為に遅々として進まない。寝台に縺れ合う様に倒れ込んでからは最早、隣室のことなど頭にはなかった。

 妖麗な裸身を思うが儘に組み敷き、隣室の者が何時来るやも知れぬ中、小さく震える自身を荒々しく、空が白むまで啼かせ続ける最愛のヒト。マリアベルが幾度も、痛いと、優しく扱えと鳴いても聞き入れられなかったが、その(かいな)の中に在る一瞬だけは病の痛みを何故か忘れられた。

 奉仕を教え込み、可憐な唇に、清楚な美貌に、豊麗な乳房に欲望の証を刻みつけたトウカ。

 まるで、マリアベルが自分だけの雌だと誇示するかの如く。

 肌を合わせる毎に、精の迸りを浴びる度に艶やかさを増していく気すらマリアベルはしていた。

 思うが儘に雌を貪り満足したのか、重い瞼をそのままにマリアベルの桜色に色付いた可憐な頬へと触れてきたトウカ。

 途絶えつつある意識の中、最愛のヒトの胸板に顔を寄せ、マリアベルはその意識を手放した。

 

 

 

 

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