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第一三五話    シュットガルト湖畔攻防戦 1





「面倒な事を! この期に及んで徹底抗戦だとッ!」

 アーダルベルトが激怒する光景を、アリアベルは他人事の様に見つめる。

 既にアリアベルに指揮権はなく、実質的に征伐軍を指揮統率しているのは七武五公であった。フェルゼン攻防戦では七武五公の中でも一番軍歴のあるアーダル ベルトが総指揮を執り、装虎兵と軍狼兵で統一された二個増強師団は、ケーニヒス=ティーゲル公爵であるレオンハルトとフローズ=ヴィトニル公爵であるフェ ンリスが其々独立して指揮を執っている。

 無論、それらはエスタンジア方面の《スヴァルーシ統一帝国》侵攻軍に甚大な被害を与えた上で引き抜かれた〈重装虎兵師団『インペリウス・ティー ガー』〉、〈大軍狼兵師団『カイザー・ヴォルフガング』〉などを主体とした部隊である。再配置が完了して漸く作戦行動が可能となった。

 本来であれば、指揮権の分散は混乱を招くのだが、七武五公という重責を勤めて長い三人は“戦友”の行動を手に取るように察することができるので、指揮統制が混乱するなど考えてすらいない。

「既にフェルゼンを巡る攻防は三日経過しているのに……随分と粘っているのね」

「帝国の介入を待っているのかと。……それは別としても、此方の被害が大きすぎます」

 椅子に座ってガリガリと木片を小刀で削り戦域図に使う駒を作るアリアベルに対し、エルザは総司令部要員が使用しているものとは別の戦域図に状況を書き込んでいる。

 二人に用意された席は上座であるものの、周囲から取り残されており傍目に見ても御飾りであることが窺える状況である。

 しかし、アリアベルとしては気楽なものであった。

 重責を好んで肩代わりしてくれていると考えれば腹も立たず、寧ろ軍事的才覚は七武五公の方が遙かに高いので将兵の被害も抑えることができる。一層のこと 自身が指揮していた頃の失態も何とかして押し付けられないかとすら考えているアリアベルだが、流石に戦時下に身内同士で足を引っ張り合う愚をこれ以上行う 心算はなかった。

「そろそろ、フェルゼンの魔導障壁も限界の様です」

「……三〇万を超える軍勢の効力射を受け続けて三日も持久する魔導障壁なんて、皇都の都市型魔導炉でも無理でしょうね」

 フェルゼンという城塞都市が工業都市であり、軍需都市、魔導都市、経済都市、工業都市という多種多様な側面を持っていることは有名であるが、マリアベルの計画的人口密集によって近郊に膨大な人口を擁していることもまた同様であった。

 広大な領地の公共設備(インフラ)整備を嫌っての集中であると言われているが、アリアベルはそうとは思わない。

 防衛対象の分散を嫌い、領邦軍の分散配置を嫌ったのだ。

 塹壕や防護城壁、要塞砲を筆頭とした防禦兵器の集中配置に加えて、兵力そのものの集中は確かに戦略や戦術の基本であるが、経済や工業、領民の生活までをもそれに合わせて形作るなど狂気じみた都市計画である。

 総ては闘争の為に。

 領民を護る為に領邦軍を増強するのではなく、領邦軍を増強する為に領民の生活を最適化するという計画にはある種の執念を感じさせる。

 アリアベルもまた気付き始めていた。あの優しかった姉は遠く昔に喪われていたことに。そして、最早取り戻せないことも。

「皆、勝利の為に幾星霜の時を越え、刃を研ぎ続けていたのね。……私は、その刃の鋭さを真に理解できていなかった」

 出来上がった騎兵聯隊を示す駒の木屑を払うと、戦域図の上……木屑の雪原へと置く。戦域図の上では木造の駒に過ぎないが、実際に使われれば、その下では何千という将兵が蠢き、行動することになるだろう。

 そして軍隊とチカラである。

 それは国家を分断する刃。
 それは種族を分断する刃。
 それは思想を分断する刃。

 何が為にそれ程に鋭き刃を鍛えたか。

「……目的なんて分かっている……だけど認めてしまえば後戻りはできないから」

 戦域図上の騎兵であれば小指一つで容易く止まれるが、実際の騎兵が突撃時に止まれないように、一度、動き出した軍勢は簡単に止まることができない。故にアリアベルは姉を敵と認識してしまえば取り返しのつかないことになるのではないかと考えていた。

 ――本来なら軍事衝突が起こった時点で取り返しがつかないのだけど……

 容易には処罰できないとアーダルベルトが語っていたことが、尚もアリアベルを期待させる。

 そんなアリアベルの葛藤など露知らず、アーダルベルトが上座へと歩いてきた。その足取りはゆったりとしたもので、動揺など露ほども窺えず、権威が姿を成した様とすら思える。

「航空偵察の様子では、空襲で大破した戦艦の魔導機関の魔力も供給して魔導障壁の強化をしているとのことだ。あれも粘ってくれる」

 上座には防音障壁が展開しているので、アーダルベルトの言葉は大御巫に向けた者ではなく、実の娘に向けたものとなっている。父親に敬われるというのも気味が悪いので、アリアベルとしてはそこに不満はない。

 アーダルベルトは、木屑が雪の如く積もった戦域図に並ぶ駒を見て顔を顰めた。当然と言えば当然で、駒の数は既に皇国陸海軍の総兵力を越える単位となって いる。暇が過ぎた結果であるが、次は艦隊の編成に勤しむ心算であった。〈フライジング〉型巡洋戦艦を一〇個戦隊は編成する建艦計画で、海軍の予算編成の屈 辱をアリアベルが晴らすのだ。

「そろそろ障壁は突き崩せるようですね。さて、彼らは何処まで持久する心算なのでしょう」

 露骨に他人事な姿勢を見せたアリアベルに、アーダルベルトは益々嫌そうな顔をするが反論はない。

 最近の征伐軍で一番の話題となっているのは、北部統合軍が降伏する時期である。

 無論、帝国の参戦を以て停戦協定を迫ることは誰しもが予想していることであるが、例え帝国が侵攻してきたとしてもエルライン要塞が短時間で陥落するはずもない。予想されているフェルゼンに籠城している兵力は七万前後と見積もられている。

 つまり、征伐軍は帝国軍侵攻があったとしても、兵力を半数差し向けたところでフェルゼンに籠城する北部統合軍に対する優勢は揺るがない。

 ましてや城塞都市フェルゼンは、魔導障壁が失われつつある状況で七武五公という打撃力を相手にせねばならない以上、戦力差は更に大きくなる。

 北部統合軍に勝利はなく、対等な停戦もまた有り得ないのだ。

「早く折れて貰いたいものだが……そうはいかんだろう」

「意外と父上の命を狙っているというのもありそうですね。……恨まれているようですから」

 アーダルベルトの疲れを滲ませた言葉に、アリアベルは薄く笑う。

 良くも悪くも傍観者となり、客観的な立場から戦況と取り巻く政治状況が見えるようになったアリアベルには、時間的にも精神的にもトウカの思惑を考えるだけの時間的余裕を得た。

 無論、その思惑は全く分からないが。

「さて、どうじゃろうか。この防衛戦であったはずの内戦で常に主導権を取り続けたトウカが、相手に主導権を奪われたままであるはずがないじゃろうし。まぁ、……そう思わせることが狙いというのもありそうじゃな」

 上座を区切っている簀垂れ(すだれ)を押し退けて、大股で入ってきたレオンディーネに、アリアベルは小さく驚く。

 当然だが芝居であり、帰還するように指示を出しておいたのはアリアベルである。

 フェルゼンの魔導障壁が完全に消失すれば、砲兵隊の支援の下、先鋒を担って正門の確保を目指すのは装虎兵部隊であることは疑いなく、トウカがどの様な策 を弄するか分からない。そうした理由もあり、適当な理由を付けてレオンディーネを呼び寄せたのだ。〈第五〇一装虎兵中隊〉の中隊長の役職を剥奪されて無任 所になったレオンディーネを引き抜くのは容易いことであった。

「レオンディーネ……一度目の突撃は失敗するわ」

「じゃろうな。そして、あの皮肉屋は儂を騎士として死なせてくれる程、甘くはないじゃろう。惨めな死に様は嫌じゃ」

 アリアベルの言葉にあっさりと同意するレオンディーネ。

 アーダルベルトが溜息を吐いているが、二人にとってそれは既定事項だった。

 七武五公の一人であるレオンハルト隷下の装虎兵で統一された一個増強師団の突撃力は、皇国軍事史の中でも最高峰と言えるかも知れないが、応じるは戦場に幾多もの新しい概念を持ち込み続ける北部統合軍参謀総長サクラギ・トウカ中将。

 大正門の確保を目的とした装虎兵の突撃は、成功したとしても夥しい犠牲が出るとアリアベルは踏んでいた。無論、城塞都市フェルゼンが剣と魔法を主体とし た戦争を行っていた頃に建造された皇都や、ベルゲンと違い近代戦を考慮して建造された軍事都市であるという理由もある。近代戦闘を想定した市街地構造など 攻略側からすると悪夢でしかない。

 特に高射砲塔(フラックタワー)という全高三〇m以上にもなる巨大な鉄筋練石(コンクリート)製の建築物に設置された高射砲から砲弾が撃ち下ろされれば大被害は免れない。爆撃による大型爆弾の直撃弾にすら耐える為に厚さ数Mの分厚い練石(ベトン)で作られており、高射砲や対空砲が針鼠のように配備されている。防空戦闘の拠点だけではなく、陸上戦力にとっての防禦拠点にもなり得るのだ。それが三〇基以上もあるとなれば多大な流血は避けられない。

 狙撃や奇襲を防禦側が常に好ましい状況と時間帯で行える戦場……それが市街地である。

 思考の海に沈み込む意識だが、傍に控えるエルザの報告が呼び起こす。

「姫様、フェルゼンの魔導障壁が……」

 投影拡大された空中映像に視線を向ければ、青白い粒子となって崩れゆくフェルゼンの魔導障壁の姿が映し出されていた。魔導障壁が消失したことで、フェルゼンの堅牢な防護障壁に次々と重砲による砲撃が着弾する。

 だが、一部が崩れはするものの防護障壁は崩れない。よく見てみれば、砲撃によって内部が露出した防護障壁の位置側からは鈍く輝く鋼鉄の壁が窺える。

「莫迦な……防護障壁の内側に装甲板を挟み込んでいるのか……」

 理解し難いものを見たというアーダルベルトの声音は驚きと呆れが滲んでいる。

 単なる石造りの防護障壁では近代的な火砲の前には持久できない。あくまでも外敵の侵入を阻む程度の役割を期待するに留まるようでは、軍事都市の防護障壁足り得ないと考えるアリアベルは、アーダルベルトの驚いた様子に首を傾げる。

「それほど驚くことですか? 装甲が無ければ、砲撃を受けた防護障壁は元の石材に戻ります」

 対策を講じるのは当然のことと言える。

 アリアベルはそう考え、エルザやレオンディーネも頷く。

 しかし、アーダルベルトは「だから貴様らではあれに叶わんのだ」と吐き捨てる。

「重砲の口径は海軍の艦砲で言うところの重巡洋艦の主砲に匹敵する。それを受けて然したる被害を与えられていないということはそれに耐え得る装甲……戦艦並みの装甲を持っているということになる」

 それは、アリアベルにも理解できることであり、レオンディーネは首を傾げている。陸軍のレオンディーネには海軍の話は畑違いの話と言えた。

「分からんか? あの皇都並みの規模を持つ都市を、一方がシュットガルト湖に面しているとはいえ、三方を覆っている防護壁……それら総てに戦艦並みの装甲板が張り巡らされているとすると、凄まじい量の鋼鉄を使用していることになる」

 アーダルベルトの呆れ声の意味を察したアリアベルは顔を青くする。

 大都市一つの外周を戦艦並みの装甲で覆う。

 それは凄まじい資金と労力、そして鋼鉄を消費する行為である。往年の軍拡と重工業化政策を考えれば、恐ろしいまでの予算が消費されているに違いなかった。

 一体、ヴェルテンベルク領はどれ程の資産を運用しているのか?

 魔導資源は大陸最大であり、鉄鋼資源も大陸有数であることは確かだが、それが純粋に資金に結び付く訳ではない。資源採掘能力の向上や第二次産業の育成なども必要であり、それらの維持とて莫大な資金が必要となる。

「戦艦二〇隻か三〇隻か……ヴェルテンベルク領は、あまりにも莫大な予算を運用していることになる。政府に提出している運営予算など明らかに改竄している以上、大蔵府は興味津々と言ったところだろう」

 アーダルベルトの言葉に、少女三人が押し黙る。

 マリアベルは魔術を使えない。

 しかし、経済面では魔術どころか魔法を使えるのではないかとすら思える状況に、アリアベルは溜息を零す。だが、それ以上に大蔵府が興味を示しているということも嬉しくなかった。

 誰も彼もがヴェルテンベルク領の遺産を飢狼の様に狙っている。海軍府が〈剣聖ヴァルトハイム〉型戦艦二隻の接収と長距離魚雷の生産技術の獲得を熱望し、 陸軍府は装甲兵器の技術とサクラギ・トウカ自身を渇望しているのだ。大蔵府はマリアベルの生存を望み、国土開発府はセルアノの身柄を求めた。

 そうした意思を感じたからこそ、ヴェルテンベルク領や北部貴族は徹底抗戦しているのではないのか?

 アリアベルはそう考えていた。

 しかし、それ等に対する疑念は報告によって遮られた。

「ケーニヒス=ティーゲル公爵の〈重装虎兵師団『インペリウス・ティーガー』〉が正門に突撃を開始した模様です。砲兵もこれを支援しています」

 エルザの報告に、アリアベルは頷く。

 投影された映像には、突撃する師団規模の装虎兵と砲撃によって黒煙に包まれるフェルゼンの防護障壁が映っている。防護障壁は戦艦並みの装甲を内包していても、据え付けられた野砲はその防禦力を有している訳ではなく、急速にその数を減じていた。

 時代の波に消え往く定めは変わりない。

 せめて生き残った者達の生活を護らねば、と決意を胸に宿したアリアベル。

 なれど、異邦人の戦争は彼女の想像を越えて苛烈にして残酷だった。









「装虎兵、来ます! 数は増強師団規模!」

 サムエルは、部下からの報告に舌打ちを一つ。

 フェルゼン近郊に進出し、征伐軍が展開した装虎兵師団と軍狼兵師団を相手に、距離を取りつつの戦闘を行ったザムエル隷下の〈装甲教導師団(パンツァーレーア)〉などの装甲部隊は、少なからず被害を受けている。

 相手が強大なケーニヒス=ティーゲル公爵とフローズ=ヴィトニル公爵の直卒する〈重装虎兵師団『インペリウス・ティーガー』〉と〈大軍狼兵師団『カイ ザー・ヴォルフガング』〉である以上、苦戦は免れないことは当初より想定されていた。結果、フェルゼンに展開している機動列車砲全車輛の支援砲撃を受けて も尚、半日程度の時間を捻出することしかできなかった。

 無論、装甲部隊の主力であるⅥ号中戦車の長砲身化や自走砲という攻撃手段の長距離化が成功したからこそ、装虎兵や軍狼兵と距離を置いてある程度の交戦は可能となったが、一部の装甲部隊は混戦に持ち込まれて被害を出していた。

 帰還して以降は、大通りなどの比較的広い道路の封鎖を担う為に分散配置され、阻塞(バリケード)や自走可能な砲台としての役目を負った。

 こうなってしまっては、指揮官であるザムエルの指揮など然したる意味を持たない。

 通常の防衛戦は受動的であり取り得る選択肢は少なく、指揮能力が介在する余地は少ない。寧ろ、防禦指揮官というのは現場の工夫などに大きく左右される為、叩き上げの野戦指揮官や現場に多くの裁量を任せることのできる者こそが重用される傾向にある。

 無論、防禦戦主体の内戦であるにも関わらず、積極的攻勢による主導権の獲得を無理やり行うトウカのような存在もいるが、それはあくまでも例外であった。

 ザムエルは咥えていた煙草を目一杯に吸い切ると、胡坐を掻いていた指揮型Ⅵ号中戦車の天蓋から吸殻を投げ捨てる。

「さぁ、戦争の時間だぜ……野郎共、対装甲榴弾を装填!」

 楽しげに命令を下すザムエルだが、胸中は穏やかではなかった。

 陸戦の王者である装虎兵を全ての虎種を統べるケーニヒス=ティーゲル公爵が直卒する〈重装虎兵師団『インペリウス・ティーガー』〉。当然、全てが装虎兵 という単一兵科で構成された、恐らくは史上最強の打撃集団である部隊を敵に回すなど三か月前であれば考えられなかったことである。

 ―― 三カ月でトウカは北部の状況を大きく改善させやがった。なら、一年あれば皇国の現状くらいは変えられたかもな。

 突如、北部に降って湧いた可能性。

 戦況は甚だ不利であるが、それでも尚、戦う構えを見せているのであれば、そこに打算や思惑があるのは間違いなく、ザムエルはそれに期待していた。

 否、心躍らせていたと言っても過言ではない。

 固く閉ざされた大正門を挟んだ先から圧倒的なまでの虎の咆哮が響くが、負けじと装甲兵達が戦車の魔導機関の出力を上昇させて応じる。戦闘状態への移行が完了した鋼鉄の野獣は戦機に身を打ち震わせていた。

 ザムエルは鳴動する戦車の人造の嘶きを天蓋の上から感じつつ、遮光眼鏡(サングラス)を掛ける。

「各固定砲が応射を開始したとのことです。……いけませんな。こうした無駄は」

 師団参謀長であるマイヤー大佐の言葉に、ザムエルは苦笑する。

 防護障壁から砲身を突き出す様に据え付けられている固定砲による砲声も轟いてはいるが、征伐軍からの凄まじいまでの応射が防護壁を震わせており、圧倒的 な重厚さを誇る防護壁が身震いする度に固定砲の砲声は減少していく。圧倒的な火力集中の前に虱潰しに破壊されているのだろう。征伐軍も列車砲や戦艦二隻の 主砲による応射で重砲陣地が多大な被害を出しているが、それでも分散配置によって致命傷は免れており、砲兵戦力を磨り潰してでも突入するという気負いが見 て取れる。

 言わんこっちゃない、というザムエルの呆れに、マイヤーは肩を竦める。

 一個師団規模の装虎兵が魔導障壁を展開して突撃してくる以上、幾重にも展開された魔導障壁が展開されていることは疑いない。これを貫徹し得るほど、対空砲を改修しただけの固定砲の口径は大きくなく、ましてや防護障壁に据え付ける都合上、その規模には限界がある。

「まぁ、いい……この広場で敵を迎え撃つことを前提にしているからな」

「ええ、閣下。此方は火力を集中させ易く、敵は散開し難い」

 軍事都市の面目躍如と言える構造を利用した防禦戦なので、急速に瓦解するということはなく、単純な持久だけで敵に大きな犠牲を強いることができる。その上、フェルゼン上空の制空権を維持している為、航空支援を望める事も大きい。

「何はともあれ、我らの軍神殿が虎の丸焼きを馳走してくれるらしいからな。俺達は適度に持久していればいい」

「小官としましては、虎は筋肉質そうで食欲が失せる気がするのですが……参謀総長の差し出された料理であれば食さない訳にもいきませんな」

 互いに苦笑。

 同じくして正門が轟音と共に崩れ落ちる。

 舞い上がった石片と砂煙、粉雪によって生じた煙幕を突き抜け、無数の装虎兵が飛び込んでくる。ザムエルがいる広場と正門は大通りで繋がっており、そして直線であった。

 ザムエルは無造作に右手を振り払う。

 無数の曳火に彩られる市街地に断続的な砲声が響く。それは次第に大きくなり、然したる間を置かずして正面から突撃を敢行してくる装虎兵へと降り注ぐ。

 成形炸薬を利用した対装甲榴弾は、モンロー・ノイマン効果を利用して超高速の金属噴流を前方方向に集中させて噴射する特徴を遺憾なく発揮し、生じた爆轟波は装虎兵の魔導障壁を一瞬で侵徹し、装虎兵を人虎諸共に焼き殺す。

 次々と着弾する対装甲榴弾に装虎兵の被害は増大する。

 元よりモンロー効果の有効距離は僅か数十cm程度であるが、生じた爆轟波や液体金属の超高速噴流(メタルジェット)は生身の人虎を襲う。

 石畳の大通りが血に染まる。

 しかし、最高速度はⅥ号中戦車にも勝る装虎兵は、徐々にザムエルが直卒する装甲部隊や対戦車砲などが展開する広場へと距離を詰めてきていた。特に練度の高い装虎兵が魔導障壁を展開せず、戦斧(ハルバード)で対装甲榴弾を上へと弾き飛ばすという荒業で応じて見せた為、速射性の高い大口径機関砲でそれらを排除する必要性に迫られる場面も生じる。

 対装甲榴弾とは、魔導障壁に命中してこそ効果を発揮するが、衝突せねば一〇cmにも満たない直径の徹甲弾に過ぎなかった。効果範囲は点に過ぎなくなる。

 大通りとは言え、広い平原とは違い展開と陣形を維持できる程ではなく、複合的な魔導障壁の展開は難しい。一翼突破ができる地形でもない以上、彼らは出血を覚悟で突破を図るしかなかった。

「敵装虎兵前衛が広場に突入しつつあり!」

「制圧射撃を始めろ!」

 マイヤーの報告に、ザムエルは短く指示を下す。眼前で起きていることでもあるので、命令を下すのは早い。

 一層の砲煙が吹き上がり、砲声がフェルゼン市街へと響き渡る。

 魔導資質に優れた装虎兵からの砲撃型魔術が応射として放たれるが、規模は大通りの地形という制限もあって数も少ない。だが、運悪く直撃を受けた対戦車砲が兵士を諸共に四散し、Ⅵ号中戦車の正面防循を焦がす。

 幾多の生命が輝き、幾多の生命が喪われるが、彼らは戦う事を止めない。

「平和は享受するもじゃない。武力で勝ち取るものなんだよ!」

 だから戦うのだ。

 突然、視界が閃光に満たされ、後に轟音が続き、自身の身体が僅かに押し上げられる感覚にザムエルは頬を歪める。

「そうだよな、兄弟。認められねぇなら、認められるまで殺し続けるまでだ」

 軍人の仕事を、臣民を護る事や国体を護持する事だと“言い訳”する者は少なくないが、その手段はあくまでも闘争であり“殺人”である。

 だからこそザムエルは胸を張って答える。

「俺の仕事は人殺しだってな、畜生めッ!」

 呵々大笑(かかたいしょう)のザムエル。

 大いに結構な話である。

 ヒトを殺して何が悪いのか?

 我等は軍人。意志を徹す為に積極的に武力を行使する者である。

 装虎兵の肉片と鮮血が大通りの石畳を染め上げ、最早染まっていない部分を見付けることが困難な程に紅蓮で満たされた。広場にまで飛んできた肉片が戦列を形成して固定砲台となっているⅥ号中戦車へと降り注ぎ、鋼鉄の野獣達は歓喜に打ち震える。

 この時、フェルゼンに突入していた装虎兵を襲ったのは、石畳の下に予め敷設されていた指向性散弾と呼ばれる一種の指向性対人地雷であった。トウカの指示 により開発されたもので、既存の技術の複合品に過ぎない為、極僅かな期間で量産体制に移行した兵器である。本来、皇国ではエルライン回廊という例外を除い て国内に於いては地雷を使用しないことが暗黙の了解となっていたが、遠隔操作のみで爆破可能な指向性散弾は例外であるという“建前”の下で運用されてい る。無論、完全に禁止されていたとしても、トウカは嬉々として運用していたことは疑いない。北部統合軍が叛乱軍であるが故に。敵が反乱軍と認めるならば反 乱軍として振る舞う事に何の躊躇いがあろうか。

 そして、石畳の下に敷き詰められていたトウカの殺意。

 トウカが帰還して以降、フェルゼンの各所では道路整備の名目で実戦配備が急速に進む指向性散弾……SMi―99を敷設していたのだ。

 この指向性散弾はトウカが直接設計したもので、米帝陸軍が運用しているM18クレイモア地雷……指向性対人地雷の規模(サイズ)の三倍近い大きさであった。形状は湾曲した箱状で、基本的には地上に敷設し、起爆すると爆発により内部の鉄球が扇状の範囲に発射され、広い範囲を殺傷範囲に捉えることができる兵器である。そして、散弾銃(ショットガン)に匹敵する威力を広範囲に提供できる兵器として工兵から絶大な支持を受けつつあった。

 トウカがフェルゼンまでの後退戦で多用した事からも、その有用性は確かなものとして証明された。

「おいおい、なんて威力だよ……戦争とは言え、無数の鉄球で襤褸雑巾なんて死に方は御免だぜ。……フランベルク、か」

 ザムエルは、SMi―99……トウカが名付けた名称を呟く。

 原型となった米帝陸軍が運用しているM18クレイモア地雷のクレイモアという名称が、《蘇格欄(スコットランド)》王国で使われた大剣に因んだものである。両手持ちの大剣として蘇格欄(スコットランド)高地人(ハイランダー)氏族(クラン)間抗争や隣国の《英蘭(イングランド)王国》との戦争で運用していた。当時の欧州に於ける両手剣としては比較的小型で、素早い動きが可能な為に当時は重用されている。

 対するトウカが名付けたフランベルクという名称は、刀身の揺らめきが炎の様に見える為、炎を意味する仏蘭西(フランス)語 から名前を与えられた刀剣からのものである。波打つ様な造詣の刀身が肉を複雑に引き裂き、止血し難くする為に殺傷能力が高い。衛生事情が現代と比して劣悪 であった時代には、破傷風などに感染して死亡する例も多く、治り難い傷を残すことから“死よりも苦痛を与える剣”として名を轟かせた。

 ヒトを襤褸雑巾のようにする兵器には最適な名称と言えるが、ザムエルは知る由もない。

 肉片の散らばる大通りは鮮血に着色されており、後の世の“フェルゼンの中央大通りは野獣の血を以て塗装されたり”という言葉はここから始まったのだ。

「残敵掃討を急げ! 敵は混乱している後退を許すな!」

 大通りをそのままに突入してきた装虎兵部隊の隊列中央が一瞬で消し飛んだ為に、前衛と本隊が分断され、挙句に大部分は大正門を通過してはいなかった。

「正門の周囲を中心に建造物も倒壊しておりますな。しかし、三分の一程度の撃破に留まりそうですぞ」

 指向性散弾の一斉起爆と同時に、爆破処理により倒壊させた大正門付近の建造物が大通りを塞ぎ、広場まで進出した装虎兵部隊の後退を一層、困難にしていた。

 本来であれば護るべきであるはずの市街地を緒戦から積極的に爆破するという手段に加え、地雷が仕掛けられるはずもない石畳の下からの爆発はケーニヒス=ティーゲル公爵にも予想外であったはずである。

 元来、軍狼兵や装虎兵は突撃時であっても下方に魔導障壁を展開していないのだ。

 そもそも、装虎兵や軍狼兵に通常の地雷は有効な兵器ではない。

 跳躍できる二つの兵科は砲撃型魔術で地面を抉り、そこを足場にするという手段で前進を続けるからであり、それは皇国陸軍の軍狼兵操典と装虎兵操典に記されている基本戦術でもある。彼らは地雷原を力技で突破できた。

「士気が重要な防衛戦で、ケーニヒス=ティーゲル公爵相手に初戦で優勢ってのは魅力的だ。しかも、力技で押し返した訳でなく作戦で応じたんだ。軍神の智謀は七武五公と互角だって箔が付くだろうよ」

 もしかすると、後世では軍事書籍の片隅に名が乗るかも知れないな、と苦笑するザムエル。

 実際のところ、皇国陸軍の電撃戦の中核的指揮官として、電撃戦の代名詞となるのだが、現在の当人はそれを望むこともなく、適度な資産を溜め込んで女性の間を飛び回る風来坊になりたいとすら考えていた。

 世の中、何が理由でどの様な立場を得るか分からないものである。

 そう、そして活躍の機会もまた唐突に訪れる。

 不意に巨大な旋風が正門付近に満ちていた戦塵を吹き払い、その余波がザムエルに届く。遮光眼鏡(サングラス)越しに、ザムエルは生ける伝説を見た。


「閣下、ケーニヒス=ティーゲル公爵ですぞ!」


 軍用双眼鏡を覗いたままのマイヤーの報告に、周囲の兵士がざわめく。

「チッ、やっぱ出てきやがったか……野戦鉄道聯隊に砲撃支援要請だ! 周辺の被害は気にするな! 何をしてる野郎共、野良猫退治だ!」

 戦車の天蓋に拳を振り下ろし、ザムエルは通信機の受話器を手に大音声で命じる。

 野性的に、大胆不敵に。

 遮光眼鏡(サングラス)越しに見えるケーニヒ ス=ティーゲル公爵……レオンハルトは柄が長く、刀身が幅広の大剣を無造作に振り払い、肩に担ぐと野性的な笑みを浮かべている。彼我の距離は、人間種のザ ムエルの視力で顔の識別できる距離ではないが、何故かザムエルはレオンハルトの表情を確信していた。

 野獣を率いる皇虎(ケーニヒス・ティーゲル)と、科学が創造した鋼鉄の野獣。

 遠方に雷鳴のように響く、機動列車砲の斉射音。

 本来であれば友軍部隊を誤射しかねないが、相手を考えれば、最早躊躇っていられる状況ではない。

 火を噴く戦車砲と野砲、対空機関砲……後方から重砲の支援砲撃までが集中し、大正門周辺が再び爆発と黒煙、戦塵によって遮られるが砲撃は止まない。

 しかし、瞬間的に展開された魔導障壁はそれら総てを遮る。

 蒼い粒子が乱舞し、傍目に見ても分る程に高魔力である魔導障壁は、陸軍の砲噴火器基準では最大規模を誇る機動列車砲の対魔導徹甲弾すら貫徹できない様子 であった。戦艦の有する大出力魔導機関や大都市以上の人口密集地への魔力供給を担う魔導炉でもなければ不可能な芸当である。

 一時的とはいえ、混乱の渦中にある装虎兵師団が指揮統制を取り戻すまでの時間を捻出する為に、自らの挺身を以て最前線に突出したのだ。

 集中砲火を加えない理由はない。

 否、何としても撃破せねばならない。

 七武五公の一人を撃破できたならばこれに勝る戦果はなく、戦局を有利に運べることは疑いない。

「これからの陸戦の王者は俺達だ! 戦車、前へ(Panzer vor)! 郷土を護れッ!」

 ザムエルは、装甲部隊に前進の命令を下す。

 目標に近づていの砲撃がより貫徹力を増すのは自明の理であり、今ここで装甲部隊を擦り減らしても尚、価値のある目標が眼前に現れたのだ。

 ザムエルの命令に奮い立つ装甲兵が、戦車の魔導機関を最大出力まで上昇させ、大通りに鋼鉄の野獣の咆哮を高らかに響かせると、ザムエルの指揮戦車を追い越して次々と進む。

 石畳の大通りを軋ませ、或いは着弾によって生じた破孔や阻害(バリケード)の残骸を踏み締めて前進を開始したのだ。

 ザムエルは鋼鉄の絨毯とも思える光景に蛮声を上げる。

 そうだ、それでいいのだ。

 列車砲と重砲の砲撃から装虎兵を護る為に圧倒的なまでの魔導障壁を展開するレオンハルトは、神々しいまでの大剣を地面に突き刺し、一歩も動いてはいない。

 大通りとその周辺の路地を市街地諸共に吹き飛ばさんとする野戦鉄道聯隊の機動列車砲と砲兵部隊の重砲の制圧砲撃に対し、魔導障壁の傘を提供する事で大正 門を突破して突入してきた装虎兵の撤退を支援するだけで限界なのだ。機動列車砲の大口径砲弾の直撃に耐え得るレオンハルトを相手に、幾ら接近したところで 戦車砲では貫徹できるはずもないが、魔導障壁に負担を掛けることはできる。貫徹できないまでも近距離射撃であれば威力は格段と増す。

 もし、レオンハルトが装虎兵の撤退を諦めて大正門周辺の占領へと切り替えたならば、ザムエルには為す術もないが、それならば突入してきた装虎兵には甚大 な被害を与えられる。何よりも、レオンハルトが友軍を見捨てたという状況を、トウカは最大限に利用するだろう事は疑いない。

 死して尚、敵に打撃を与えうる名となるならば、戦死も無駄ではない。ましてや敵は七武五公。唯一の家族である妹が頼る勇名として不足はない。

「よしッ! 進め! 擱座した車輛は即座に放棄して装甲兵は後退させろ! そいつは貴様らの棺桶には安すぎるんだよ!」

 レオンハルトを護る構えを見せた一部の装虎兵から放たれた砲撃型魔術を履帯に受けて擱座しても尚、砲撃を止めないⅥ号中戦車に無線で放棄を促す。

 新型重戦車の噂は多くの装甲兵の耳に届いており、それこそが対装虎兵戦闘を設計当初から前提とした戦車である。それに搭乗させる前に優秀な装甲兵を喪うことなど装甲部隊指揮官として許容できる事ではない。

「閣下っ! ケーニヒス=ティーゲル公爵に動きが……」

 マイヤーの言葉に、ザムエルはレオンハルトへと視線を向ける。

 そこには、大剣を片手で振り払わんとしているレオンハルトの姿があった。

 

 

 

 

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