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第一三八話    シュットガルト湖畔攻防戦 4




「これが、例の神剣……使えるのか?」

 トウカは古惚けた大剣を眺めて胡散臭い表情をするが、ヘルミーネは心外だと言わんばかりに剥れて見せる。しかし、無表情なので怒っているというよりも言 葉を発するのが面倒臭いとも取れなくもない。だが、それは然して付き合いが長い訳でもないトウカには判断が付かなかった。


 テペヨロトル。


 またの名を山の心臓。

 山脈を統べる獣の心臓を貫き得る刃か、或いはそれ自体が獅子の心臓足り得る魔術的要素を持つのかまではトウカの知るところではないが、それが特定の条件下で神すらも害し得る可能性を秘めたものであるということだけは報告書からも理解できた。

「ヴァルトハイム総司令官に魔力を注いでもらった……これで一度きりなら効力を発揮できる」

「……そうでなければ困る。セリカが魔力の大半を注ぎ込んで倒れただけの真価を発揮して貰わねば」

 ヘルミーネの言葉に、トウカは眉を顰めて返す。

 ベルセリカは既に回復しているが、七武五公にも匹敵する潜在能力を持つ者が持て余しかねないほどの能力を有する神剣山の心臓(テペヨロトル)に対し、トウカは多くの疑念を抱いている。しかし、戦時下にそうした疑問を持ったところで時間の無駄でしかないことを承知しており、調べる心算はなかった。

「できれば、魂を刈る大鎌(ヨワルテポストリ)が良かった……あれが噂通りの能力なら七武五公を確実に仕留められただろう」

 魂を刈る大鎌(ヨワルテポストリ)は巨大な大鎌型の神剣で、真夜中に悪寒を走らせるような音を立てると伝えられ、この音を聞いた者は病に罹る、或いは見つかった者は魂を抜かれてしまうという噂を持つ一振りである。神剣の性能は過大に捉えられて背鰭と尾鰭が付いた噂となる場合が多いが、魂を刈る大鎌(ヨワルテポストリ)は第五次エルライン回廊防衛戦に於ける実戦投入による報告書があるので比較的詳しい能力を掴めていた。

「魂を刈る大鎌、な。そもそも大鎌など構造上、使い難いと思うが……」

「その程度の不利を容易く超越する……それが高位種」

 トウカの滲ませる不信感に、ヘルミーネは残酷なまでの事実を口にする。

 成程、とトウカは呆れる。

 神剣と呼称される神造兵器は、旧文明時代の神々と機巧女神の陣営の衝突時に運用された。多くの種族の戦闘能力の底上げを意図して製造された兵器であり、 魔導障壁への極端なまでの優位性や特殊能力を付与されたものが多く、一部には戦略兵器として扱われるものも存在する。量産型聖槍などは余りにも有名であっ た。多世界大戦であった以上、その逸話は他世界にも存在するはずである。確かに西洋圏にも聖槍の逸話は存在する。

「弾芯に神剣の刀身を使用する新型砲弾……弾道低下率の問題もあるから使用しても直進するとは限らない」

「そうは言っても一発限りだ。試射する訳にもいかないだろう。そこは戦術で補う」

 ヘルミーネの懸念に、トウカは問題ないと応じる。

 実際、予定されている戦術は基本から大きく逸れるもので、相手の対応を鑑みて作戦計画書には何通りかの対応が書かれていたが、運が良ければアーダルベル トを撃破できるかもしれないという程度のものに過ぎないと参謀本部では判断している。彼らの目標は征伐軍の砲兵戦力の撃滅と兵力の漸減にこそあり、あくま でもアーダルベルトの撃破は副次目標と捉えていた。

 だが、トウカは確信している。アーダルベルトはトウカの思惑に乗る、と。

 ――あの男が兵力を喪うことによる国防能力の低下を見逃すはずがない。その程度の男なら脅威足り得ない上に、ここまで追い詰められることもなかった。

 忙しなく動いている工員や研究者を横目に、トウカはヘルガ島の最奥に位置する研究棟からヘルミーネを伴って外へと続く廊下を移動する。

 遠目に窺えるフェルゼン上空は探照灯(サーチライト)で 照らされており、さながら不夜城といった情景を演出していた。移動できない拠点であるならば、浸透してくるかも知れない航空目標を確実に捉える事ができる ようにと、夜空に向かって幾条もの光線を立ち上らせた光景だが、幻想的でもある。高い対地攻撃能力と夜間戦闘能力を持つ航空騎が存在しない以上、灯火管制 の必要性は薄く、砲兵の目標になるならば、それはそれで敵に弾火薬の損耗を強いる事ができるので問題ないと判断したトウカにより、盛大に探照灯を使った対 空警戒を行う事になったのだ。

 窺い見ることのできるフェルゼンの軍港は、大型艦艇は一隻たりとも存在しておらず、朝日が昇り再び戦闘が始まれば早晩、艦隊の不在に気付くことは疑いない。

 ――奴らは大星洋への出入り口……ベルネット海峡を閉塞している艦隊が哨戒網を厚く、いや、シュットガルト運河を遡上するかも知れないが、いざとなればエルシアに係留している商船を自沈させる命令を出している。問題はないはずだ。

 総司令部と参謀本部は当初、機雷封鎖も考慮していたが、内戦終結後に機雷という完全に撤去できたか否かという点で疑問符が残るであろう兵器による封鎖の 影響を鑑みて、トウカとマリアベルの連名で却下された。機雷が残存しているかも知れない、その可能性だけでも商業活動は委縮するのだ。潜水艦の遍在性によ る一種の抑止力と同様の効果が機雷にはあるのだ。

 全ては予定通りに進んでいる。

 後はザムエル隷下の〈装甲教導師団(パンツァーレーア)〉と、エーリカ隷下の〈陸上特装艦隊〉の働きに期待するだけである。

 トウカは、エーリカに陸上戦艦を任せた事をザムエルに伝えていない。言えば反対されるのは分かり切ってるとエーリカが懸念した事もあるが、ザムエルがトウカを風俗に引き摺り込んだ事が原因でミユキとの関係が拗れた点を忘れてはいないからでもあった。

 トウカは根に持つ男である。恩も仇も決して忘れはしない。

 ――精々、妹との関係を拗れさせるといい。

 トウカはヘルミーネの頭を撫でながら、小さく笑みを零した。






「糞っ! 糞ったれめ! 何が参謀総長だ! うちの超絶可愛い妹をこんなかち込みに巻き込みやがって! そんなことだから狐一匹言い包められねぇんだよ!」

 ザムエルは、巨大な四連装三〇㎝砲塔の側面装甲を両手で引っ掻きながら怒鳴り散らす。

 周囲の〈装甲教導師団(パンツァーレーア)〉の師団司令部要員は一様に困惑の表情をしている。付き合いの長い師団参謀のマイヤーだけは、一人噴き出していた。

「ヴァレンシュタイン師団長……(いたずら)に兵の不安を煽る様な言動は止めていいただきたく御座います」

 領邦軍艦隊士官用長外套を纏い、曲剣(サーベル)を佩用した出で立ちのエーリカは、軍帽を手に取りながら呆れた声音で上官に苦言を呈する。その姿は様になったものであり、決して急に与えられた責務に押し潰されそうな重圧を受けている様には見えない。

 寧ろ、戦野に立てることに逸っている様に見える。

 良くない徴候であるとは思うが、トウカが選んだ以上、エーリカにはそれ相応の資質があるということになる。ザムエルはトウカが捻くれ者であることを知っ ているが、それ以上に、何よりも無駄を忌避し、残酷なまでに現実主義である事を理解していた。彼は理想を軍事行動の根拠とする事を誰よりも忌避している。

 エーリカ・ヴァレンシュタインには才能があるのかも知れない。

 それは、ザムエルが認めたくなかった現実である。

 唯一の肉親となってしまった妹を戦野に立たせるという現実に繋がるのだ。

「……腐っても戦争だ。油断するなよ」

「失礼ながら私は戦野で油断したことは一度もありません。何処かの不良装甲部隊指揮官の様に下品な言葉を並べて突撃するような真似はしませんので、ご心配なさる必要はありません、閣下」

 緩やかな笑みを浮かべて軍帽を被り直したエーリカだが、その目は笑っていない。

 一を言えば十で言い返されるのは恒例であり、ザムエルは不機嫌な表情で黙り込む。生まれてこの方、エーリカに口先で勝利できたことはない。口が良く回る という点はトウカに似ており、そこがまた腹立たしいと、ザムエルは甲板に唾を吐く。新造艦でも容赦はしない。意味もなく構造物に蹴りを加える。

 意味もなく艦首……その最先端に向かってザムエルは歩を進める。


 陸上戦艦〈龍討者ジークフリード〉。


 その後続には二番艦の〈龍討者シグルズ〉が単縦陣を形成するべく追従しており、周囲にはⅥ号中戦車を始めとした装甲兵器が展開している。上空から見ると巨大な(やじり)の様に見えるであろう光景は壮観と言えるだろう事は疑いない。

「兄さん……」

 背後からの声に、肩越しに頭を巡らせたザムエル。

 対するエーリカは、何時も通りの澄ました顔でザムエルの横へと並ぶ。

 背後に再び視線を投げ掛ければ師団司令部要員は艦内へ引き下がったのか姿が見えず、〈龍討者ジークフリード〉の前甲板は兄妹だけの世界であった。

 月夜の雪原を進む黒鉄の城と鋼鉄の野獣達。

 それを兄妹で率いるという奇縁に何処かおかしさを感じるザムエルであるが、それを実現させたのはトウカであり、恐らくは自身を中心とした派閥の形成を試 みているのだろうとも考えていた。ヴェルテンベルク領は果断にして苛烈な主君であるマリアベルの下、組織としてはこれ以上ない程に纏まりと統制を見せてい るが、派閥争いがないわけではない。他勢力と比して中央集権がこれ以上ない程に進み、その必要性と意味が喪失しているに等しいからこそ全く表面化しないの だ。表面化による政治的、軍事的混乱はマリアベルによる粛清を意味するからである。

 ――いや、我らが龍姫がトウカに参謀本部の成立を許し、総司令部の人事にまで口を挟んだことを黙認したのは周知の事実だしな。……後継者、或いは、それを支える奴として容認したって言っても過言じゃねぇか。

 政戦の中心となりつつあるトウカに役職上では厚遇されている以上、ザムエルは周囲からトウカの派閥に属していると見られているのは間違いない。肝煎りで編成された〈教導装甲師団(パンツァーレーア)〉などは、その影響下にあると見られていると判断して良い。編成の面でもザムエルの意見は最大限に反映されたことから周囲は完全にザムエルをトウカの影響下にあると見ていることは疑いない。

 ――結局、トウカの掌の上かよ……まぁ、捨て駒にされる事はないだけマシか。

「まったく……出来の悪い妹だよ、御前は。あれは義務を果たさない奴には厳しいぜ?」

「サクラギ中将は、“一大尉に斯様な任を与えることは不徳の致すところであるが”と言っていたの。決して今回の私の任務に対して私が最善を出すとは考えていないと思うのだけど……」

 妹ながら現実主義な考え方に、ザムエルは鼻を鳴らす。

 激しい攻防戦の最中に総司令部や参謀本部から陸上戦艦二隻を統率する事のできる将校を引き抜くのは難しい。元より不足気味であった将官や佐官は既に何ら かの任についており、その大多数はフェルゼンや、その近郊で野戦指揮を執っている為に引き抜きは部隊の、ひいては戦線の混乱を意味する。義勇部隊の編制も 始まっている状況下であるが故に、各所で指揮官は不足していた。

 しかし、あの戦争屋が“本命”を未だ、その真価を見せていないエーリカに任せるはずがない。

 ――或いはこれすらも“本命”ではないってことか?

 エーリカの考えは全く以て正鵠を射ており、ザムエルもそれには同意できた。

 トウカからの作戦計画書に記されている状況の推移を見ても、本命はフェルゼンに展開している“ナニカ”であることが良く理解できる。ザムエルはベルセリカであると踏んでいるが、七武五公の全てが健在である以上、ベルセリカだけでは手数として純粋に不足していた。

 ザムエルは風にこそばゆさを感じて鼻頭を擦りながら、エーリカへと笑い掛ける。

「まぁ、あいつの言うことは気にすんな。作戦計画通りに俺と御前が動けば、あいつの望む状況になるだろうよ」

「……そう、なの。それはそれで悲しいところだけど、これからの働き次第では認めて貰えるだろうし、我慢しないと」

 エーリカの悲しそうな、それでいて何処か戦意に爛々と燃える瞳にザムエルは呆気に取られる。

 エーリカという女性が決して前向きでないことをザムエルは良く理解しており、悲観主義的な発想に基づく戦術は隙がなく、堅実であるが兵士を惹き付ける要 素まで削いでいる部分がある。それは野戦指揮官に最も必要な資質であり、それが欠けているからこそ、エーリカに部隊を任せることをザムエルは認められな かった。妹の不明で命が失われることも、それで傷付く妹を見ることも、ザムエルには看過できないことである。

 しかし、こうした表情をされるとは考えていなかった。

 そして、極めて不愉快な可能性に思い至る。

「御前、まさか――」

「――舌を噛みますよ。兄さん」

 エーリカがザムエルの言葉を遮り、甲板の縁に設置された手摺を掴む。

 そして制動が掛かる。

 急ではないものの、突然の減速にザムエルは姿勢を崩す。

 あわや教導装甲師団長が陸上戦艦の艦首から転落死するという珍事は避けられたが、甲板の縁に這い蹲った姿は余りにも情けないので、ザムエルは即座に立ち上がる。

 陸上戦艦の全高は陸戦を想定して低めに設計されているとはいえ、光学式測距儀や魔導式測距儀などの照準機構は地上より可能な限り高い位置に設置したい思 惑の為か三二mと想像以上に高く、上甲板から地上までも八m近い。転落死も有り得る高さであり、加えて艦首側から落下すれば艦体に轢かれることになる。

 無論、即死である。

 戦車の履帯に轢かれる以上の悲劇であり、確実に生還は望めない。履帯の代用として使用しているという複数の魔導障壁と地面に挟まれて雪原に赤い花を咲かせるに違いなかった。

「……チッ」

「おいっ、てめぇ! 今、舌打ちしただろう!」

 心外だと言わんばかりの表情をしているエーリカであるが、女性の行動と口先が一致しないことなど当然のことなので、ザムエルは溜息を一つ。

「俺が戦死した場合でも指揮権は首席参謀に移るだけだからな」

 副師団長を務め得る人材を見い出せなかった為に、〈教導装甲師団〉は副師団長を首席参謀であるマイヤーが兼務している。

「チッ……」

「……お兄ちゃんは、妹をこんな性格になる様に育てた覚えはないんだがな」

 兄上、超悲しい、と甲板にしゃがみ込んだザムエルを心底蔑んだ目で見下ろすエーリカ。そんな兄妹の遣り取りだが、マイヤーの声がそれを中断させる。

「閣下、今日はこの辺りで野営となります。早朝に掛けて大雪となると気象長は申しておりますので予定通りかと」

「……そうか、このでかい戦車もあるから兵に十分に温かい飯を食わしてやれるのは有り難いからな、直ぐ準備してくれ」ザムエルは鷹揚に頷く。

 シュットガルト湖を輸送艦隊と共に航行し、翌日の深夜に南南東の方角、リューデッツ子爵領の寒風吹き荒ぶ湖岸に上陸。征伐軍の輜重線を躍進すれば征伐軍 の輜重線を壊滅させ得る位置に展開したが、主要な移動経路となっている街道を迂回しつつ、フェルゼンを半包囲している征伐軍の後背を突くことのできる位置 を目指しつつあった。

 無論、困難は無数にあった。

 大雪という天候不良を味方に付けるべく天候悪化を待ち続けた為、フェルゼンでは既に義勇装甲擲弾兵(フライヴィリゲン・パンツァーグレナディーレ)を三個師団追加投入しており、事実上の領民を巻き込んでの総力戦が開始されていた。

 〈義勇装甲擲弾兵〉とは、各地に避難しているヴェルテンベルク領の領民から有事の際の徴兵基準を合格した者の中でも特に秀でた者を招集。壊乱した部隊の 残存戦力や他貴族の領邦軍の敗残部隊を基幹として編成された集成部隊で、戦意は旺盛であるものの、定期的な軍事教練しか受けていない領民が大多数を占める 為に領邦軍と同等の働きは期待できない。

 そして何より、領民までをも戦闘単位として戦線を維持せざるを得なくなったという状況は、皇国内を掛け巡り、ヴェルテンベルク伯爵領の徹底抗戦の構えに 大きな波紋を投げ掛けた。領民を犠牲に保身を図るとして非難する者もいれば、義勇装甲擲弾兵の正規軍に劣らぬ勇戦を聞き、マリアベルの求心力を称賛する者 もいる。

 そして、皇国全土が俄かに慌ただしさを増しつつあった。皆が内戦の終結が近づきつつあると理解しているのだ。

 艦橋へと戻る為に城郭の様に聳える砲塔脇を歩きつつ、困ったもんだ、と首を横に振る。

「港湾設備もない湖岸で揚陸なんて無茶をさせやがって……」

 目下のところ、それの被害こそがザムエルの頭痛の種であった。

 揚陸時の死者一三七名。

 悪天候の中、上陸設備のない寒風吹き荒ぶ湖岸に短時間で上陸した結果であり、短艇(カッターボート)や上陸用舟艇の転覆、架橋の脱落による装甲車輛の水没が主な原因である。ザムエルとシュタイエルハウゼンの迅速な指示と果断の連続が無ければ早朝にまで揚陸行動は縺れ込み、発見される可能性を増していたことは疑いない。

 元より無理があったのだ。

 海岸に強行接岸(ビーチング)できる揚陸艦が大 多数であったが、通常の輸送艦は舷側を向けて擱座。舷側を爆破して低位置に搬出路を確保し、架橋戦車によって海岸に向かって架橋するという荒業で輸送を果 たした。結果、投入された大型輸送艦七隻は甚大な被害を受けている。穴を塞いで駆逐艦に曳航されたが、一部は浸水を免れず傾斜、放置すれば露呈する為に駆 逐艦二隻で無理やり水深の深い沖合まで曳航後、魚雷処分を実施するという状況に陥る場面もあった。

「港を使えば露呈するかも知れませんので、致し方ないですぞ、閣下」

「でも、建造中の強襲揚陸艦が就役し始めればこんなことはなくなるはずです」

 マイヤーとエーリカの言葉に、ザムエルは苦笑する。

 止むを得ないことなのだ。

 その中で彼ら彼女らは最善を尽くしている。

「……よし、予定通り上空に光学迷彩魔術を展開し、日中は休息と航空偵察をやり過ごす。陸上戦艦を中心に教導装甲師団を密集展開させろ」

「はっ、了解です、閣下」

 マイヤーが舷梯(ラッタル)を駆け上がる後ろ姿に、ザムエルは感謝する。衛兵や従兵を遠ざけるように指示を出した事がマイヤーであることは疑いない。ザムエルとエーリカに配慮したことは間違いなかった。

 しかし、ザムエルは時間を掛けるつもりはない。

「エーリカ」

「……はい、どう言ったご用件でしょうか、教導装甲師団長閣下」

 ザムエルの只ならぬ気配を察して、エーリカが姿勢を正す。しかし、名前で呼んだにも関わらず、役職名で返したということは軍務以外に口を挟むなという迂遠な意思表示であることは、ザムエルには手に取るように理解できた。

 エーリカは察しているのだ。察しの良い妹。そして何時も通りに妥協してくれるならば、ザムエルとしては有り難い。

「トウカは止めておけ。御前にあれは癒せんし、理解もできねぇよ」
溜息と共に、ザムエルは内心を吐露する。

 エーリカがトウカに並々ならぬ感情を抱いていると、艦首で話していた際にザムエルは確信に至った。〈龍討者ジークフリード〉型陸上戦艦の概要説明を受ける際の言動を見れば一目瞭然であり、憧憬が思慕に変わりつつあるのだと察することができる。

「そんなことは私だって理解している……けど、時代の潮流は激しく残酷なの」

「御前……」

 これから先、トウカの隣に在る者が健在であり続けるとは限らない。

 妹が初めて見せる一面に、ザムエルは息を呑んだ。








「ランゼル地区の橋梁は直ぐには落とすな……可能な限り落とす姿勢を堅持しつつ、相手に奪取できるかもしれないという希望を抱かせろ。無論、敵部隊の半数が渡河した時点で橋梁は吹き飛ばせ」

 トウカは義勇装甲擲弾兵師団司令部を経由して、前線に展開している一二個義勇装甲擲弾兵大隊の指揮官に直接命令を下す。本来であれば指揮系統の混乱を招 く方法であるが、義勇装甲擲弾兵師団司令部というものが、本来は大隊指揮官を任される階級と能力の人物に任されている状況なので、参謀本部が総出で指揮の 一部を請け負うこととなったのだ。

 そして結果は残酷な事になりつつある。

 元より謀将の気質や政治家の本質に近いトウカの成立させた参謀本部の前線部隊指揮は、残酷なまで貪欲に征伐軍に出血を強要し、利益と損益を取捨選択し続けるかの様に戦闘を継続する。

 建造物を爆破して歩兵部隊を下敷きにしつつも分断を図ることは茶飯事で、地下水道を利用した夜襲伏撃や、陸空連携攻撃による空襲と奇襲は征伐軍将兵を心身共に疲弊させ続けている。無数の遮蔽物に囲まれたフェルゼンは練石(ベトン)と鋼鉄によって演出された密林であり、そこに潜むのは地形を知り尽くした領民が殆どである。

 征伐軍からすれば悪夢に等しいのだ。

「さて……あちらも攻めあぐねている様だ」

「ああも狂信的な勇戦に加えて、陰湿な戦術の数々……御主は一切合財を戦野に投じて何とする気か」

 トウカの会心の笑みに、ベルセリカが呆れ返る。

 トウカからすると郷土愛の発露に指向性を与えただけであり、ベルセリカの言葉は心外なものであったが、想像を越えて優勢に推移しつつある現状に満足していたので咎める気は起きなかった。指揮官一人が外道と呼ばれた程度で優勢を確保できるのであれば安いものである。

 七武五公は打つ手を失った。

 既に戦力を無制限に消耗し続ける市街戦は始まり、制圧は叶わず撤退も困難という現状に目を覆っているだろう。“スターリングラード攻防戦”を知れば誰し もが市街戦で防禦側が有利であるかを理解するが、この世界では未だ火力主義の下で成立した軍事組織が大規模な市街戦で防衛戦を担った例はない。

 七武五公も前線に現れて血路を開かんと市街地の複数区画を一撃で瓦礫にし、少なくない数の北部統合軍将兵が戦死したが、その瓦礫の山すらも北統合軍将兵の塹壕となり掩体となる以上、戦局を打開するには至らない。

 突出した戦闘単位が三つ存在したところで戦域を制圧する事など出来はしないのだ。

 五日近い抗戦で幾度も司令部を変え、戦火の中を移動した為に戦塵に汚れた軍用長外套(ロングコート)と襟を正し、ベルセリカへと向き直る。総司令部とは言うものの攻撃を受けた際にそれ司令部能力を喪失しない様に、総司令部も参謀本部も幾つかに分散しており、トウカとベルセリカの周りに見知った顔は少ない。

「移動しましょう、総司令官殿……この辺りも暫くすれば前進してきた砲兵の射程に収まるかと」

 征伐軍は被害を覚悟でフェルゼン内に少なくない砲兵……特に軽砲を前進させて被害を受ける事を承知で制圧行動を行っている友軍部隊の砲撃支援を行っている。尤も、それは瓦礫に阻まれて然したる効果を与えず、寧ろ多連装噴進弾発射機(ネーベルヴェルファー)や迫撃砲の目標になるだけであった。

 ベルセリカは、椅子に立て掛けていた大太刀を腰の軍帯に差し込む。

「良かろう。戦線を維持しつつ後退しようぞ」

 その一声に周囲の将兵が動き出す。

 一様に年若い者が多く、戦闘用鉄帽(シュタールヘルム)を被り、軍用長外套を纏い、携帯式対戦車擲弾発射器(イェーガーファウスト)を背に二本背負って、手に短機関銃や半自動小銃を手にした若者達であった。


 義勇装甲擲弾兵。


 一様に若い彼らは、速成編成されて投入された三個装甲擲弾兵師団の中でも特に低年齢の者を集めた護衛部隊とされていた。本来、護衛として配備されていた 鋭兵中隊は既に前線投入され、代わりに戦火が及ぶ可能性が少ない総司令部の護衛部隊に配置されたのだ。本来であれば精鋭を配備するはずの護衛であるが、ベ ルセリカという圧倒的な戦闘単位が存在すれば、分散配置によって規模が小さくなった総司令部を護ることは容易であるとの判断からである。

 よって周囲を護る者は一様に年若い。

 総司令部として使用されていた掩体壕から出たトウカは、連日の大雪が弱まりつつあるのを確認し、思案しながらもベルセリカに装甲車輛への搭乗を促す。

 ――ザムエルなら征伐軍の後背を突けるはずだ。

 征伐軍はフェルゼン攻略を急いでおり、叶う限りの戦力をこれに投じているはずで、偵察は主に未だ占領していない北部貴族領に向いている。後方や兵站線は疎かになりつつあるだろう。

 兵站線への攻撃はフェルゼン攻防が開始されるよりも前に中止されており、北部統合軍も可能な限りフェルゼンに兵力を集結させている。征伐軍の後方に然したる障害はない。

「さて、彼らにマッカーサーばりの上陸作戦を防げるか?」

 沖縄攻防戦(アイスバーグ作戦)の指揮を執り、大日連陸軍の裏を掻いた米帝陸軍のダグラス・マッカーサー元帥が得意とする半島上陸を参考にした揚陸作戦 による征伐軍後背への打撃。あくまでも性質を似せただけであり、目標を多方面に釘付けにしての奇襲上陸という面だけが類似しているに過ぎない。過剰なまで の準備攻撃や航空支援などを当然の様に用意できる《米帝》の物量の非凡なることを、トウカは作戦立案時に本当の意味で理解した。

 ベルセリカの手を取り、執事の如く搭乗を促したトウカ。

 しかし、ベルセリカが小さく狼耳を動かし、大太刀の柄に手を添えた事で状況は一変する。

「全周囲警戒! 第二小隊、携帯式対戦車擲弾発射器(イェーガーファウスト)使用、目標は問わない! 敵を炙り出せ!」

 トウカの突然の命令に驚く義勇装甲擲弾兵だが、手にしていた半自動小銃や短機関銃を手放し、背負った携帯式対戦車擲弾発射器(イェーガーファウスト)を手にする。

 太めの鉄筒(パイプ)のような発射筒の上面に簡素な照準器と発射装置を備えたそれを構え、義勇装甲擲弾兵一個小隊が引き金を引く。

 発射筒内には発射薬として少量の黒色火薬が充填され、安定翼を折り畳んだ棒が付い弾頭を先端に装着し、それが雷管によって着火し、弾体が周辺の建造物へと無差別に撃ち込まれる。

 構造としては無反動砲であり、弾体自体に推進力はなく安定性に欠けるものの、対人攻撃の為の破片榴弾の殺傷範囲はそれを補って余りあるものであった。

 実は義勇装甲擲弾兵には対戦車榴弾はモンロー・ノイマン効果の露呈による成形炸薬弾技術の流出を避ける為に配備されていない。

 トウカの知る歴史では《独逸第三帝国》国防軍が成形炸薬弾を用いた対戦車擲弾筒(パンツァーファウスト)を使って目覚しい戦果を上げた。

 特にグスタフ・ヴァレ大尉以下三名の防禦戦闘は卓越したもので、一九四五年四月の〈『クラウゼヴィッツ』装甲師団〉麾下の戦車猟兵大隊に所属する彼ら は、三〇輌のチャーチル歩兵戦車中隊をイルツェン近郊で迎撃した。この時、戦車中隊は随伴歩兵を同行させておらず、独逸兵を視認できずに一方的に二二輌を 撃破された。

 内戦後の為に、戦車の価値を落とし得る兵器の存在を露呈させる訳にはいかない。

 戦車や装甲車輛という模倣に時間と金銭の掛かる兵器は比較的高値で売却することができる。軍需産業に於ける利率の良い商品なのだ。

 周囲の建造物から爆発音が響くが、同時に断続的な発砲音が響き、砲撃魔術弾が飛来する。

 携帯式対戦車擲弾発射器(イェーガーファウスト)を使用しなかった残りの小隊は、半自動小銃と短機関銃で即座に攻撃元へと反撃を開始する。

「出端は挫いた! 長居する必要はない、総員、車輛に分乗! 離脱する!」

 トウカはベルセリカの背を押して、自らも装甲車輛へと乗り込む。

 車載重機関銃の腹の底に響く様な重低音による射撃を耳に、トウカは動き出した装甲車輛の小さな窓から外を覗く。トウカの世界であれば狙撃されかねないが、魔導障壁に護られた装甲車輛なら窓への攻撃は装甲への攻撃と同様の威力を必要とする。

 フェルゼンは崩壊しつつある。

 高射砲塔(フラックタワー)を始め、軍が構築した練石(ベトン)製の防空壕や地下鉄の駅構内、市街地に掘った防空壕、個人宅の地下室などと言った身を隠せる場所は全て陣地となったが、動く事すら叶わず水道も断水して衛生状況も悪化しつつある。

 戦いが長引くにつれ地下壕や病院は負傷兵で溢れ返り、医薬品も麻酔薬も不足していた為に負傷兵の生命は脅かされ、市街地の各所には四肢を喪い、骨が剥き 出しになった兵士や、血塗れの包帯が巻かれた負傷兵や死体が横たわっていた。既に戦闘不可能な負傷兵が集う場所も、極限状況下では問答無用で砲撃に晒さ れ、双方共にヒトとしての道徳(モラル)など喪いつつある。

 これが市街戦。最もヒトが残酷になれる戦場である。

「…………そろそろ、か」

 トウカは荒んだ瞳で小さな窓から空を見上げる。

 総てを一変させる鋼鉄の暴風が迫りつつあった。

 

 

 

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