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第一三四話    死という名の権利

 



「一斉撃ち方! 押し返せぃ!」

 ベルセリカの号令の下、大小様々な火砲が砲火を煌めかせる。

 北部統合軍総司令部の地下指揮所にまで届く振動は、その砲撃の苛烈さを物語っていた。重砲に加えて機動列車砲も加わった火力戦は、戦況が北部統合軍有利 に推移することに確信を抱かせるには十分であるものの、弾火薬の損耗比率を知る高級将校達からすると期限付きの優勢に過ぎず不安は晴れない。

「御館様がエルゼリア侯爵領である程度の持久をしていてくれていたからこそ北部中から弾火薬を集積することができたとはいえ、戦局を覆すことは容易ならざろうな」

 ベルセリカは、これからの困難を考えて眉を顰める。

 同時に、トウカが状況を打開する為に博打に近い作戦を立案したことに妙な可笑しさを感じていた。サクラギ・トウカと言えば精緻な作戦計画と新兵器の限界 を正確に“予測”した上での部隊運用、防禦側であっても機動防禦を行ったことから能動的で苛烈な作戦行動を好む軍人であるという一般的な評価は間違ってお らず、マリアベルもそれらの点に関しては同意していた。

 だが、基本的に周囲は別として、少なくとも自身は納得できる作戦計画を立案しているからこそ異常な程に大胆なのであって、決して往時より無謀ではない。

 故にベルセリカは、トウカを“保守的”だと考えていた。

 革新的な兵器を提案して画期的な戦術と戦略を提示していても、それはトウカにとって成果を出して当然のこと。無論、当人からそうした言葉を聞いた訳では ない。自身を漲らせるでもなく、ただ既定事実を追認するかの様に結果を俯瞰する醒めた視線に、そうではないかと朧げに察しただけである。

 そんなトウカが博打を打とうとしている。

 なんと愉快なことかとベルセリカは笑みを浮かべた。

 サクラギ・トウカの本質は“臆病”そのものである。勝てないと判断すれば確実に逃げる、とベルセリカは断言できる。

 通常の者が譲れないと感じる部分を容易に踏み越えてまで後退するに違いなく、今までは勝てると判断していたからこそ揺らぐこともなかった。

「ふん、このフェルゼンそのものが彼奴にとって譲れぬ一線という事で御座ろうが……ミユキでは御座らんな」

 ミユキを連れ出すことは容易く、いざとなればロンメル子爵領も躊躇わずに放棄するであろうトウカがフェルゼンに固執するというのは違和感がある。再起で きないとは思えず、周辺には無数の勢力が存在し、トウカを受け入れたいという勢力もまたこれまでの勇戦から存在するであろうことは疑いない。

 ――もしやマリアベルでは御座らんだろうな? ……御座らんな。

 ベルセリカは有り得ないと頭を振る。

 皇都に匹敵する工業力を持つ大都市を育て上げ、皇国北部の梟雄(きょうゆう)として君臨するマリアベルの居城たる要塞都市フェルゼン。護る理由があるとすればマリアベルと関連していると考えるのが自然であるが、それならばマリアベルを艦隊に押し込んで神州国にでも亡命するだろうという考えに行き着き、莫迦らしくなったベルセリカは思考を打ち切る。

 魔導投影によって映し出された城壁外の光景は、火砲の弾着による雪交じりの土砂によって半ば遮られている。

 しかし、蒼い輝きが瞬き着弾で逆円錐状に立ち上った土砂を吹き払い魔導障壁が眩いばかりの偉容を現す。

 そして無数の装虎兵と軍狼兵が兵種に分かれて二つの戦列を形成している様が魔導投影越しに露わとなる。

 単一兵科による編制など廃れて久しいが、今この時ばかりは二人の強大なるモノがそれを可能としていた。


 片や一六〇〇〇騎余りの装虎兵の最前列に立つケーニヒス=ティーゲル公爵。

 片や一八〇〇〇騎余りの軍狼兵の最前列に立つフローズ=ヴィトニル公爵。


 ベルセリカは嗤う。

 ケーニヒス=ティーゲル公爵とフローズ=ヴィトニル公爵。

 白銀の髪を靡かせた胸甲騎兵用の甲冑に身を包み、巨大な戦斧を構えて猛々しい笑みを浮かべる虎を統べる者……レオンハルト・ディダ・フォン・ケーニヒス=ティーゲル公爵。

 流麗な漆黒の長髪を揺らめかせた漆黒の巫女装束を見に纏い、大太刀を手にして妖艶な笑みを浮かべる狼を統べる者……フェンリス・ルオ・フォン・フローズ=ヴィトニル公爵。

 《ヴァリスヘイム皇国》の諸勢力の有力者が集いつつあると感じたベルセリカは、面白い、と唸る。

 嘗てのベルセリカは国の為、主君の為、当時の七武五公を斬ることが叶わなかった。

 思わず渇いた笑声が零れる。

「彼奴めッ! 知っておったな! 粋な計らいをしおってからに!」

 当時のケーニヒス=ティーゲル公爵とフローズ=ヴィトニル公爵はベルセリカの前に立ち塞がり国家の為に戦うことを求め、そして主君を斬ることを求めた。

 ベルセリカとてその結末に納得していた訳ではない。状況を看過して主君を死に追いやって尚、その口で殺せと言ったフローズ=ヴィトニル公爵を斬ることが できなかったのは今まで続く後悔である。しかし、当時の情勢を鑑みれば、七武五公まで喪えば、皇国は体制を維持できない可能性が捨て切れなかった。主君に 《ヴァリスヘイム皇国》の護持という“呪い”を与えられたベルセリカにとって、それは耐え難い苦痛であり、だからこそ厭離穢土を決め込むことで逃げ出した のだ。

 結果として表向きは武装勢力の討伐となり、北部貴族による現在の蜂起が皇国初の”叛乱“と認識された。そしてベルセリカという存在がその二つに関わっている以上、最初の“武装勢力の討伐”の原因を真に理解していれば現在の“叛乱”は起きなかったはずである。

 因果は巡る。

 そして、今この時にあってケーニヒス=ティーゲル公爵もフローズ=ヴィトニル公爵も邪魔者でしかなく、体制を維持できるだけの才覚を持つ者は少なからず存在する。

 ――否、寧ろ、皇国を躍進させるには保守的なアレは邪魔で御座ろう。

 斬る時、今を置いて他になし。

「総員、撃鉄を起こせ! 抜刀せよ! 命ある限り抵抗せぃ! 今こそ死して郷土の誉れと成ろうぞッ!!」

 ベルセリカの大音声は通信機を通し、フェルゼン全体に展開している各部隊に伝わる。

 英雄の一言は、一軍に匹敵する。士気を上げ、彼らを死地に赴かせるのだ。

「各装甲部隊は砲兵支援の下、進出して敵の戦列を乱せ! 深追いの必要はない!」

「〈第三四砲兵大隊〉から〈四六砲兵大隊〉は装甲部隊の支援! 弾火薬の損耗は気にするな! 兵器工廠から順次輸送する!」
「スヴェルト地区に展開している第六五歩兵聯隊は南方城壁に移動!」
「〈第二四戦闘爆撃大隊〉は離陸、対地攻撃を開始せよ! 〈第一三戦闘騎大隊〉は之の直掩に移れ!」
「〈剣聖ヴァルトハイム〉型戦艦二隻は運用可能な砲を以て砲撃支援に参加せよ」
「〈第三二輜重中隊〉、重砲の弾薬運送が遅れているこれに加われ」
「〈第四重対空砲中隊〉は行政府前で対空監視に当たれ!」

 総司令部要員によって次々と指示が与えられ、フェルゼンに展開する北部統合軍のその強大な戦力は有機的に蠢動を始めた。

 フェルゼンが震える。

 砲声と銃声。
 軍靴と蛮声。
 狼の遠吠えと虎の咆哮。
 龍の嘶きと魔導機関の駆動音。

 あらゆる音が戦場を構成し、将兵を駆り立てる。

 フェルゼンを巡る会戦にして、北部統合軍の分水嶺となるシュットガルト湖畔会戦はこうして始まった。











「ねぇねぇ、リルカ。戦争始まっちゃったね?」

 他人事のように呟くフランカの言葉に、リルカは空を見上げる。

 外装機銃(ガンポッド)や航空爆弾、無誘導噴進弾を翼下に懸吊した大隊規模の戦闘爆撃騎が編隊を維持したまま南方の方角の城壁外へと向かう雄姿に、大通りの軍人達が歓声を上げるが、リルカは対象的に眉を顰めた。

 彼我の戦力差から見ても北部統合軍の敗北は分かり切っている。それでも尚、彼ら軍人達は戦おうとする。予定された敗北が目先に在っても尚、屍を積み上げることに腐心する様は狂気すら感じた。

 戦いが続くのは、このフェルゼンに幾人もの英雄が集結しているからだ。

 廃嫡の龍姫として北部に確たる工業基盤と近代都市を築き上げた稀代の名君であるマリアベル・レン・フォン・グロース=バーデン・ヴェルテンベルク伯爵。

 五〇〇年余りもの(とき)を越えて北の大地に再臨した救国の騎士にして現北部統合軍最高指揮官であるベルセリカ・ヴァルトハイム元帥。

 そして、突如現れた北部の新たなる英雄……軍事に関連する総ての分野に於ける先駆者にして常勝無敗の軍神である北部統合軍参謀総長サクラギ・トウカ中将。

 三人の英雄。

 一人だけでも十分に心の拠り所となり得る英雄が氾濫している状況は嘗てないことであるが、相手も七武家の大多数であることを踏まえれば数の上では互角と言える。無論、兵数で大きく劣勢な以上、リルカの劣勢であるという初見の判断に揺らぎはないが。

「あれ? でも城塞都市に籠城しているから、その分攻勢側は守勢側の何倍も兵数がいる? 軍事学なんて学んでいないから分からないけど……」

 首を傾げたリルカだが、手にしていた紙袋が崩れそうになり慌てて体勢を持ち直す。紙袋の中には生肉などの生ものが詰まっており、フランカの手にしている紙袋もまた同様である。

 実はフェルゼン周辺で戦機が高まりつつある現状を受けて、マリアベルの指示の下で非戦闘員の領民の殆どはバルシュミーデ子爵領やシュトラハヴィッツ伯爵 領などでの受け入れを進めており、征伐軍も寧ろ民衆に被害を出すことを忌避してそれを見逃していた。否、見逃すだけではなく、荷馬車などを貸与して領民の 避難を促した程であり、征伐軍が戦後を見据えて神経質な程に民間への被害を気に掛けているか理解できるが、リルカがそれを知るはずもない。

「本当に、みんな戦争が大好きなのね。わたしには分からないかな。これだけ続ければ相手も譲歩してくれると思うのだけど」

 リルカの祖国である《ロマーナ王国》の王位や権威を求めた闘争であるならば兎も角、現在の皇国北部で行われている内戦は、中央貴族や政府に譲歩を求める 為の蹶起であり、あくまでも政治的手段の延長線上でしかない。無論、大御巫が征伐軍などを成立させて介入した為、手を引く時機を逸して混迷の度合いを深め たという事実も見逃せないが。

 軍隊や国家という不特定多数によって運営される組織は、内外関係なくその機構に対しての変化を忌避する傾向にある。それまでその組織運営で利益を得ていた者や、寄り何処にしていた者にとって寄る辺たる組織が喪われるのは理屈で片付けられることではない。


 軍隊は、その機構に変革を加えようとする傾向を持つものに対して、本能的に恐れを抱くものである。


 ただ、自らの郷土を護る手段として。
 ただ、自らの生き抜く手段として。
 ただ、自らの愛しき人を護る手段として。

 特に軍隊は多くの役目を追うが故、様々な思惑と狂気を映し出す鏡となり得るのだ。

 莫迦らしい話である。

 一度、現在が過去となって振り返ってみれば軍隊は護る為の手段に過ぎないことなど容易に察することができる。しかし、有事となれば軍隊という暴力に頼り続け、それが唯一の手段であり正解だと思うようになり、ヒトはそれに総てを賭けるのだ。

「戦争の勝敗なんて本当は誰も望んでいない殺し合いの結果に過ぎないのに……」リルカは溜息を一つ。

 唯一の正解を求める愚を犯してはならないが、座視して機会を失うこともまた恐ろしいという事なのだ。

 だから戦い続けるしかない。

 世界を作った神々は碌でもない性格をしているのだ。

「リルカ、急いだ方が良いわ。……戦争が始まる」

 フランカの視線の先には整列して訓辞を受ける中隊規模の歩兵の姿が窺える。鈍く輝く銃剣を装備した小銃を顔の前で垂直に掲げて執銃の敬礼を以て佇む歩兵の姿は、ヴェルテンベルク領邦軍の漆黒の軍装と相まって葬列を思わせるが、その表情は鬼気迫るものであった。

 一般女性には刺激の強い雰囲気にリルカも足を速める。

 しかし、慌てた為に抱えていた紙袋から赤い果実が零れ落ちる。

慌ててしゃがみ込もうとしたリルカだが、不意に視界に差し込んだ軍装の手が赤い果実を掴み取る。

 慌てて立ち上がったリルカの眼前に立っていたのは軍装を纏った美しい女性であった。

 ――あら? 何処かで会った気が……

 既視感にリルカは首を傾げつつ、差し出された赤い果実を取ろうとするが、紙袋で両手が塞がっているのを察した女性将校は苦笑を零しながら紙袋へと赤い果実を入れる。

「ありがとうございます……えっと、大尉さん?」

 名前が分からないので咄嗟に肩の階級章を見て取ったリルカは一礼する。

 身体諸共に紙袋を傾けた為に再び宙に浮いた赤い果実を右手で受け止めた女性士官は、更に深い苦笑と共に紙袋に赤い果実を入れる。

「此処にいては危険です、歌姫殿」緩やかな声音。

 しかし、嗄声(ハスキー)な声音と、麗人という に相応しい佇まい。流れるような黒い長髪はヴェルテンベルク領邦軍の漆黒の軍装も相まって、顔と手以外の総てが黒で塗り潰されているかのような印象を受け る。だが、軍装の上からでも分かる起伏に富んだ身体でありながら、ほっそりとした手足は軍人とは思えない色香を感じさせ、その笑顔は愛らしくもあった。

 同時に些か童顔であることも相まって、無邪気さも窺える笑みを湛えた女性将校……大尉がリルカとフランカに微笑みかける。

「最寄りの防空壕に避難してください。空襲の危険があります」

「えっと、私達はロンメル子爵家の使用人で……」リルカは一瞬の逡巡の後に応える。

 歌姫という異名を知る者はフェルゼンに多いが、現在の二人の服装は女中(メイド)服なので初見で気付く者は今までいなかった。

 二人はミユキからの依頼でロンメル子爵家への奉公に出ているのだ。

 トウカは身元確認の済んでいない二人をミユキに近づけることに反対したが、ロンメル子爵自身でもあるミユキが強固に主張したので止む無く認めることと なったという経緯で女中となった。二人としても貴族という明確な権力者の後ろ盾を得られるのであれば、と判断してトウカには境遇の全てを話すこととなっ た。

 そうした事情もあって女中服を着ているリルカ。

「承知しております。私は貴女達を探す様に総司令部より派遣されました。ロンメル子爵の御付武官として以降は、ロンメル領邦軍に配属されるとの内示を受けています」簡潔に立場を示した女性大尉。

 そう言えば、とリルカは思い出す。

 神祇府や政府の了承を得ず、北部貴族内だけで承認されているミユキのロンメル子爵拝命は急なものであることに加えて、その領地自体も極めて小さいもので あった。それは収益や人材面でも同様であり、不足した人材を補おうと各方面から人材を引き抜こうとしているが、戦時下であることから治安が乱れ、それに対 応する為に有能な軍人や政務官僚は全ての場所と場面で不足している。その上、トウカが身元確認の済んでいない者をミユキに近づけることを拒み、然りとて天 狐族の者ばかりを登用しては反感を抱く者も現れかねない。

 よって、ロンメル子爵領は政戦共に未だ体裁すら整っていない。

 特に軍事面ではシュパンダウが空襲を受けた際、参謀本部の情報参謀であるリシアが臨時で指揮を執るという事態にまで陥っている。

 流石にトウカも放置はできないと判断したのか、二日前にミユキを軍事面から支えるべき人材が着任するという話はリルカも受けていた。

 踵を石畳に打ち付け、凛とした表情の女性大尉が敬礼する。


「エーリカ・ヴァレンシュタイン騎兵大尉です。以後、よしなに」


 優しげに笑う女性大尉……エーリカの佇まい。

 似ている。

「ヴァレンシュタイン……そう、ザムエルさんの――」

「ええ、不本意ですがあの不良指揮官の妹です……その点については深く訊ねることを避けていただければ幸いです」

 煤けた雰囲気を見せるエーリカに、リルカは色々と察してしまう。隣のフランカも「それは、まぁ、大変よねぇ……」と曖昧な言葉を返すに留めるだけであった。

 不良装甲指揮官……ザムエルの“武勇伝”は領民の間では周知の事実であり、軍人という独立性の高い職種にありながら、その話題性から良くも悪くも最も慕 われている軍人として有名であった。その親族ともなれば苦労は容易に窺い知れるものであり、後ろ指を貴軍官民から指されることは間違いない。

「……ご苦労様です、大尉さん」

「苦労しちゃってるのねぇ。あとで奢ってあげる」

 リルカとフランカの同情の視線に、エーリカは下唇を噛み締めている。

 真面目な心根の女性なのだろう。冗談や軽口も真に受けてしまう女性ではザムエルの妹を勤めるには無理があろうが、親兄弟とは自ら選べないものである。

 実はトウカもエーリカには同情しており、まるで東欧某国の国民に、「貴方はソ連人を友人と兄弟、どちらと考えていますか?」と訊ね「勿論、兄弟です。友 人は自分で選ぶものですが、兄弟だと選べませんからね」と返された気分で就任を歓迎した。昇進までさせてロンメル子爵御付武官に推薦したのだからその憐み ようは窺えるが、リルカがそれを知るのは暫し後のことである。

「……いえ、ロンメル子爵には感謝しております。どうも兄の差し金か自分は今まで無任所だったので……」

 石畳に膝を突きかねない表情のエーリカ。

 軍人が活躍の場を与えられないというのはその意味を喪失するに等しく、しかも戦時下である現在まで無任所であったという事実は当人の経歴にも大きな傷が 付いているに等しい。そして、尉官を遊ばせておく余裕など北部統合軍にはないことから、エーリカの言う「兄の差し金」というのは信憑性がある。

「では、行きましょう。シュパンダウに戻られるというのであれば、水雷艇を最寄りの軍港に待たせていますので」

 エーリカに促されて、リルカとフランカは軍港へと足を向けた。









「フロイライン・ヴァレンシュタイン。二人は回収できたか?」

 トウカはエーリカに訊ねる。

 空襲によって焼け落ちたロンメル子爵邸の代わりとして、用意された古惚けた洋館の一角に用意された執務席から入室してきたエーリカへと視線を向けた。

 エーリカが“御嬢さん(フロイライン)”という言葉に眉を顰めつつも任務達成を報告する姿に、トウカはザムエルと比べて余裕がないのだろうと判断する。

 ザムエルがああした奔放な性格をしているので幼少の頃からそれの抑え込みや後始末に追われていたからこそであろうが、野戦指揮官には向かない性格をして いる。どちらかと言えば参謀寄りの性格であり、当人は野戦指揮官としての配置を望んでいるのだが、つい最近までザムエルの横槍もあって無任所として総司令 部に留め置かれていた。

 無論、ヴェルテンベルク領邦軍だけでなく、北部統合軍全体で斜陽の兵科となりつつある騎兵科であるという点も理由の一つである。

 トウカはこれ幸いとミユキに不足している軍事面での視野を補う為にエーリカを招聘して、ロンメル子爵御付武官に据えることでロンメル領邦軍の健軍にも関わらせる心算であった。無論、それだけではなく、優秀な指揮官候補をトウカが個人的に欲したという理由もある。

「子爵家の関係者が少ないとは言え、私生活の一切を彼女達に任せるとなると負担が掛かります。身元が確かな天狐族の女性から女中を選抜する許可をいただけますか?」

「構わん……が、それは貴様の職務ではないだろう」

 トウカは、エーリカの難儀な性格に呆れ返る。

 苦労している者を見れば捨て置けない性格をしているのだ。無論、苦労している者をみれば茶化すザムエルに比べれば余程上等な性格をしているが、軍人には 向かない性格と言える。弱った人間を嗤い、嬉々として止めを刺しに行く者こそが野戦指揮官としては相応しい。ヒトとして卑怯で卑劣な者こそが野戦指揮官と しては活躍する可能性が高いのだ。

「しかし、必要です。それに要職に天狐族を付けることを忌避されているのであれば、暫くは子爵家内の予定の調整をする者が必要なはずかと」

「……任せる」

 未だ小さい為にロンメル子爵家内には火種などできようはずもないが、シュパンダウにマイカゼやシラヌイが腰を落ち着けて多くの使用人を抱えて領邦軍を整 備することにでもなれば、必ずそこに利害が発生し、人間関係によって一層の複雑化を見るだろう。しかし、今のロンメル子爵家内の人事程度であれば、エーリ カに任せても問題ないと判断したトウカは丸投げすることにした。

 立ち上がったトウカ。その肩に軍用大外套を掛けるエーリカ。副官に欲しいくらいには気が利いた。レオンディーネとは随分と違う。

「しかし、本当にあの様な兵器が使えるのでしょうか?」

 二人は廊下を歩きながら会話を続ける。

 不安げな表情のエーリカは、本当にザムエルと血縁関係にあるのか疑いたくなる程に可憐なものであるが、トウカがその程度で慰めることなどない。宣誓をして領邦軍に入隊した以上、トウカが義務の全うを彼女に求めていた。

「使えなかったら君が元の階級に戻るだけだ…………そう泣きそうな顔をするな」

 活躍の機会を奪われ続けていることが余程に悔しいのであろうが、悲しそうな顔をされても軍事方針が変わることはない。

 女性の涙で軍事行動が左右されることなど有り得ないのだ。そう胸中で考えるトウカであるが、自身の軍事方針がミユキとマリアベルの生存権確保という大前提の上にあるので口には出せない。

「まぁ、アレは使い潰す心算で運用する予定だ。存分に無理をすると良い。大きい騎兵みたいなものだ」

「四連装三〇cm主砲を三基装備した騎兵がいるのであれば是非とも目にしてみたいものです」

 トウカの慰めに返ってくる皮肉は、ザムエルの言葉に似ている。血縁関係にあるというのは間違いない様であった。

「この作戦はクロウ=クルワッハ公爵を殺害することに特化しています。ケーニヒス=ティーゲル公爵やフローズ=ヴィトニル公爵には決定打を与えるのは難しく、フェルゼンも荒廃するかと」

 存外にフェルゼンでの市街戦は回避するべきではないのかという言葉に、トウカは「気持ちは分からないでもないが」と返す。

 生まれ育った都市を瓦礫に変えてまで抗戦するのであれば、望みを掛けて野戦に打って出るという主張は総司令部と参謀本部にも根強くあった。

 しかし、トウカは問答無用でそれらの意見を退けた。

 市街戦の抵抗力が強靭であることは独ソ戦時のスターリングラード攻防戦が証明している。

 双方で一〇〇万名を越える死者を出した市街戦であり、動員兵力と犠牲者、経済損失という点の全てから比較しても第二次世界大戦の分岐点の一つと言えた。

 そして果てのない戦いでもあった。

 爆撃と火災により瓦礫の山と化した廃墟を効果的に使って防衛する防禦側の激しい抵抗。若しかすると建物一つ、部屋一つを奪い合う市街地戦は次の季節にまで縺れ込むだろう。攻撃側が練石(ベトン)の 塊となった廃墟に突入しても、防禦側は上階で頑強に抵抗し、完全に占拠しても地下道や下水道を使って逆襲を掛けてくる。地下壕を発見し、負傷兵や避難民ご と火炎魔術で焼き尽くしたとしても、後方の建物や窪地、瓦礫の中には防禦側の狙撃兵がいつの間にか浸透し、高い階級の敵の将校を、若しくは伝令や斥候や砲 兵、工兵を集中的に狙うことで継戦能力を削ぎ続ける。

 現世の地獄である。

 その上、トウカは市街戦に有用な戦術を可能な限り各士官に配布物として周知徹底させており、そうした訓練も続けられている。

 自動小銃や短機関銃、拳銃、軍刀、刃を入れた円匙(スコップ)な どを携えて敵兵に忍び寄り、執拗に近接戦を展開する。そして、敵が潜伏している可能性のある部屋に手榴弾を投げ入れて爆発直後に短機関銃などの火器を構え て突入し、粉塵の中を手当たり次第に掃射して制圧、更に次の部屋の制圧に向かうという戦術だけであっても敵側に多大な精神的負担を与えることは疑いない。 独ソ戦で有効性は確認されている。

 民間人に関しては、そのほぼ全てを他領地に避難させているので巻き込む心配はないが、彼我の戦力差を考えても半年は持久できるとトウカは考えていた。一方はシュットガルト湖であり、輜重物資の搬入は容易であり、地政学的な問題から支配権が奪われる可能性は低い。

 そうなれば征伐軍も停戦の席に着くだろう。

 無論、クロウ=クルワッハ公爵を喪えば、その時点で看過できない混乱に折れて停戦の席に着く可能性は高い。七武五公、特に五公爵とは《ヴァリスヘイム皇国》という国家の支柱でありそれは信仰に近いものとなっている。

 どこで停戦するかという点が征伐軍次第であり、主導権を得られないことは愉快なことではないが、防衛戦という性質を考えればそれは当然のことと言えた。

 トウカは洋館の外へと足を踏み出すと、フェルゼンの方角を向いて立ち止まる。

「如何されました、閣下」

「いや、ザムエルが大尉を前線から遠ざけたのは正解だったと考えていた」

 市街戦という凄絶な、ただでさえ道徳(モラル)のない戦場には、気の触れた人間が無数に徘徊して非常識が常識に取って代わる。

 特に見目麗しいエーリカの様な女性将校は物陰に引き摺りこまれて無数の兵士の慰み者にされることなど容易に想像できる。代わる代わる兵士に押さえ付けら れて精神が壊れても尚、凌辱され続けるのだ。市街戦という敵味方入り乱れて至近距離で殺し合い、食事し、睡眠する環境では憲兵は存在していないも同然であ り、寧ろ憲兵すらもそうした振る舞いをしかねない。

 将兵に正常な精神を維持し続けることを強制することなど不可能である。

「中尉、君に恋人はいるか……いや、男に抱かれた経験はあるか?」

「だっ、抱かれた――ッ! ありません! 性的言動(セクハラ)は、閣下……」

 トウカの無機質な声音に決して揶揄(からか)われている訳ではないと察したエーリカの言葉は次第に尻すぼみになっていく。そもそも、トウカとミユキの関係は有名であり、臨時のロンメル子爵邸の前でそうした意図を露わにするはずがないと気付いたのだ。

「俺は君の自意識が過剰な言動に笑えばいいのか?」

「か、閣下に乱暴されたと悲鳴を上げて宜しいでしょうか?」

 頬を引き攣らせて呟くエーリカに、トウカは「士官学校からやり直したいなら構わないが」と肩を竦める。

 そうした反応は想定していたのでトウカとしては驚くに値しないが、エーリカの様な女性将兵が多く存在していることは真実として捉えねばならない。

「何故、俺が拳銃の携行率向上を図ったか知っているか?」

「……咄嗟の遭遇戦や主武装である小銃などの破損時の予備と聞いていますが……真意は別に?」

 首を傾げるエーリカにトウカは頷く。

 副兵装(サイドアーム)を運用し、将兵の不測の事態に備えるという側面は確かに存在する。この世界の軍事組織の標準では、嵩張る上に輜重の問題から歩兵などは拳銃を持たず射撃武器が小銃だけということは珍しくない。拳銃の有無で費用対効果(コスト)が大きく変わるということもあり、携行するのは一部の士官や将校に限られている。

 しかし、トウカは全軍に拳銃の配備を急いだ。

 非武装に近い輜重部隊や通信隊、工兵隊にも拳銃や短機関銃を配備して戦闘能力の向上を図るという“建前”の下それは実行され、多くの主力兵器と共に拳銃は量産が続けられている。

 拳銃の大量配備は将兵に権利を与えたのだ。


「君達が戦場で自害できるように、だ」


 自害の権利。

 敵に捕縛され慰み者にされるくらいならば拳銃で頭を撃ち抜くという発想は大日連のものでしかないかも知れないが、物質主義よりも精神主義に重きを置くという思想は皇国にあっても存在している。

「ヒトとしての、女性としての尊厳を保ちたいならば、自らの精神と矜持が穢されると思ったのならば自ら命を絶つのも一つの選択肢だ」

 多くの将兵は拳銃が配備された意味を理解しているだろう。

 少なくとも反対意見はトウカまで上がってきてはいないが、決して愉快なものではない。自らの命の重量が明確に腰に吊るされているという感覚は気を重くさせるには十分である。

 或いは、トウカが女性に抱いている幻想の発露に過ぎないかも知れない。女性が打算的であり、男性よりも遙かに機会を窺うことに長けた一面を持っているこ ともまた事実で、慰み者になって尚も生を諦めないということとて有り得る。否、それこそが軍人であるならば正しいのかも知れない。

 ミユキやマリアベルがそうした場面に遭遇しない為にこそトウカは戦っているが、二人がどういう選択をするかはトウカにも分からない。無論、幾多の女性将兵もまた同様である。

 だからこそ選択肢だけを与えた。

 情けない話である。トウカからすると女性を戦場に動員している時点でどうかしているのだが、雌雄に身体能力の面で差のない種族が多い皇国にあってトウカの考え方は古臭いと一蹴されるものに過ぎない。

「閣下……」

「軽蔑したか? 将兵に自害の選択肢を与えていることに。いや、君達がそうした悲劇に見舞われることを前提にしていることに」

 市街戦をせねばならないかも知れないという事実は、トウカの気を重くさせる。そこには大日連の英雄たる祖父が本土決戦での市街戦だけは一言も語ることはなかったという事実も影響していた。

 英雄ですら口を噤ぎたくなる様な地獄が顕現したのだ。それはトウカには想像を絶することであろう。

 そして、それがミユキを護る為に行われたと当人に知られたくはないという葛藤。

 そんなトウカの胸中を知らないエーリカは淡く微笑む。

「いえ……正直に言わせていただけば、不覚にも閣下に恋人がいなければ、と思ってしまいました」

 母性的な微笑にトウカは言葉を詰まらせる。

「…………そうか」

 そうとだけ返し、トウカは石造りの階段を下り始めた。

 

 

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 軍隊は、その機構に変革を加えようとする傾向を持つものに対して、本能的に恐れを抱くものである。

     《仏蘭西共和国》 陸軍大佐 シャルル・ド・ゴール