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第一二七話    エルゼリア侯爵領攻防戦




「という訳だ」

 トウカは苦り切った表情で参謀達へと呟く。

 全力で視線を逸らす参謀達に舌打ちすると、トウカは野戦机上に置かれたウィシュケの酒瓶を手に取る。銘柄を見るに安物であるが、身体を温める為に支給さ れている官給品である為に文句を言う訳にもいかない。そもそも嗜好品であって嗜好品ではなく、酔う為のものではないのだ。

 トウカの頬にはレオンディーネによる平手打ちの跡がある。

 参謀達は誰も彼もがレオンディーネに対して“無礼な行動”を取ることを嫌がった為にトウカが“やらかす”ことになったのだ。参謀達の心情も理解できない 訳ではない。レオンディーネはへらへらと近づいてきたザムエルに頭突きを以て応じる程に凶暴である。“ナニ”を噛み千切られるのではないのかという噂が高 級将校の間で流布していることを踏まえると、決して敢闘精神の不足と罵ることはできない。誰もが男としての尊厳(物理的な部分を含む)を失いたくはないの だ。

「それで、本当に……いたしたので?」

「それに対して俺がどう答えたら満足する?」

 楽しげに問うてきたアルバーエルに、トウカは憮然とした表情で質問を返す。

 現像した写真はレオンディーネの名誉の為に見せはしないが、少なくとも涙を流すレオンディーネが男に組み敷かれている様子は十分に表現できた。浴びせかけた牛乳が情事の後を思わせて生々しいところもまた現実性を増す要素として活躍している。

 ちなみにトウカは後ろ姿で写っている為、写真だけでは識別はできない。

「まぁ、写真の裏に“次は貴様だ”と書いているからな。挑発としては十分だろう」

「それはまた……」

 アルバーエルが苦笑する。他の参謀達は顔を青くしていた。宗教的象徴に喧嘩を売るが如き行為は何時どの時代であってもある種の禁忌として扱われるが、トウカはその様なことは気にしない。織田信長という英雄が、政治に干渉する宗教勢力の(ことごと)くを手段を問わず惨たらしく打ち祓ったことは後世に語り継がれるべき“偉業”だとすら考えていた。

 当時の比叡山が堕落していたことは明白であり、焼き討ちの責を比叡山に帰することは当然と言える。

 信長公記にもこのような記述があった。

『山本山下の僧衆、王城の鎮守たりと言えども、行躰、行法、出家の作法にも関わらず、天下の嘲弄をも恥じず、天道のおそれをも顧みず、淫乱、魚鳥を食し、金銀まいないに耽り、浅井・朝倉をひきい、ほしいままに相働く』

 腐敗は根絶せねばならない。

 特に人の精神に寄り沿う宗教はその根絶が難しく、それが叶わずに近代まで肥大化させ続けたが故に西洋文明が多大な不利益を被ったことを踏まえれば、堕落 した宗教勢力を大きく後退させたことは称賛されるべき偉業である。延暦寺は京の鬼門を封じている非常に重要な寺社であるにも関わらず、正親町天皇や朝廷も 焼き討ちを正式に抗議をしていないことからもその正当性は窺える。天皇をも凌ぐ権力を振り翳し傍若無人の振る舞いをし、仏法を説くことを忘れた連中が軍事 力や経済力を持つことなど許されないのだ。くれてやるのは仏の加護ではなく、命を刈り取る鉛玉であるべきである。

 トウカはこの内戦の勝敗に関わらず、皇国内の宗教勢力を削ぐ為の戦略を講じ続ける心算であった。

「この内戦は政教分離の原則を、流血を以て国民に示すべき戦いでもある。狂信者の意思を政治に反映させることなど許されない」

 例え腐敗していないとしても、明確な信仰対象を持つ宗教を軸に国政を行うなど許されることではない。明確な利益と被害管理(リスクコントロール)の基準を神々や宗教理念に求めては非効率極まる上に、曖昧な部分は敵対者に利用される局面が必ず出てくるはずである。

 トウカが宗教に対して否定的なことは参謀本部では周知の事実であり、参謀達も驚きはしない。

「できればこの内戦中に宗教勢力も削いでおきたいが……北部で天霊神殿勢力の主流派が敵視されるようになっただけで満足するべきか」

「まぁ、征伐軍など天霊神殿が攻めてきたようなものですからな」アルバーエルが小さく笑う。

 外の砲声はその熾烈さを増して密度を上げている。

 最終防衛線までの後退は前線の陣容密度を増しつつ、その抗戦能力を向上させた。しかし、同時に総司令部であるエルゼリア侯爵邸でもある城郭と前線の距離は大きく縮まり、長距離重砲による砲撃は城郭の魔導書壁に時折命中してすらいる。

「〈装甲教導師団(パンツァーレーア)〉の準備はできているな?」トウカは問う。

 エルゼリア侯爵領の失陥は避けられない。

 勝算は五分と見ていたが、アリアベルが征伐軍の陣頭指揮を執ったこともあり、低下していた戦意が向上したという部分が僅かな狂いを見せた。当初から陣頭指揮を執るとはトウカも予想しておらず、想像以上の戦意向上も想定外と言える。

 ――今は迂闊だったと分かる。

 天霊神殿は腐敗していないのだ。

 民衆が信仰の対象とすることを躊躇うような腐敗がない以上、民心掌握という手段として未だ有効であることは疑いない。そして、その象徴たるアリアベルが陣頭指揮を執れば狂信的な戦意を見せることは不思議なことではない。

 ――まぁ、作戦の骨子を揺るがす程ではない。

「残存の装虎兵や軍狼兵も再編成を終えておりますれば。……何時でも」

「宜しい。大いに宜しい。さぁ、一世一代の大博打と行こうか」トウカは大外套を翻して盛大に笑声を漏らす。

 気付けば参謀達も嗤っている。

 被害数でもなく、攻略目標でもないたった一人の小娘を殺す為の戦争。

 これ以上ない程に愚かでいて愉快な戦争である。近代の戦闘がこうした小さな目的のために行われた例は少なく、良くも悪くも歴史に残る戦闘となることは疑いない。

 トウカ達は司令部として充てられている部屋を出て、外へと続く大回廊を進む。

 威風堂々とした姿と参謀本部の権威の前に、大回廊に居た将兵達は一斉に道を開けて敬礼を以て敬意を払う。それに応じるトウカであるが、大回廊も負傷した将兵は即席の薄い布によって作られた無数の寝台で左右が埋め尽くされている。

 満ちる呻き声と慟哭。

 中には粗末な寝台の上で身じろぎもせず、声も上げずに沈黙している者もいる。


 死んでいるのだ。


 中には戦友の屍を掻き抱いて号泣している者もいる。北部統合軍の前身が北部貴族の各領邦軍であり、その本質は郷土兵(ラントヴェーア)でもあることを踏まえれば、長い付き合いの友人や知り合いが当然のように同部隊に配属されていても不思議ではない。そうした理由から士気崩壊(モラルブレイク)の可能性が高い部隊として正規軍からは一歩劣る存在として見られがちであるが、トウカはその練度も能力も正規軍に劣るものではないと感じていた。

 劣るとすれば領邦軍毎の部隊編成や練度の差、指揮系統の違いを今でも引き摺っている点であり、これが能動的な戦闘を妨げていたと言える。この点さえなけ れば、トウカは平原での大規模運動戦を躊躇しなかった。郷土を護持する為に命を擲つことを躊躇わない戦士達による運動戦は歴史の一頁(ページ)となっただろう。

「諸君! 北の大地が戦人達よ!」

 トウカは大回廊を歩きながら周囲を見回す。

 その大音声に弾かれたように多くの将兵が顔を上げる。負傷者や衛生兵、軍医……立場も役職も例外なく視線がトウカへと向けられる。

 言わねばならない。士気を高め、勇気を余簿起こす一言を。それを何時いかなる時でも謳うように口にできるか否かこそが指揮官としての最低限の資質であり、今この時これ以上ない程にトウカそれを求められていた。

「我等は正義など求めないし興味もない。纏めて心底どうでもいい」

 それは偽らざる本心である。

 ざわめく将兵達だが、トウカは元より正義などという御題目を信じて戦うことを決して良しとはしない。ヒトは建前だけで戦うには脆弱な生物である。真に命 を賭けるに値し得る本音を依って立つところとして初めて勇敢に戦うことができる。笑って死地に向かうことができた。それは歴史が証明している。

 そして、正義には何処かに必ず闇と矛盾が潜んでいる。万人にとっての正義など存在しない。よって正義とは決して不変の立脚点足り得ないのだ。

「我らが掲げ得るべきは日常への回帰である」

 そう日常こそが目指すべき目標であり理想でもある。

 家族と食卓を囲み、恋人と語らい、友人と莫迦をする日常は平時であれば何気ないものであるが、有事である今は叶わないものである。何よりもそれらはこの内戦で損なわれ、二度と叶わぬ未来となった者もいるだろう。

「この内戦によって我らは多くを喪った。だが、泣き寝入りするのか?」

 戦っても取り戻せないものはあるだろう。

 喪われた生命は闘争による勝利ですら取り戻し得るものではなく、復讐による代償行為でさえ喪われたものを取り戻すことはできない。

 だが、それでも戦うのだ。

 トウカは歩を進める。

「我等を突き動かす感情は何か? 決まっている! これまで北部の現状を放置していながら今更軍事力を以てして掣肘しようと蠢動する勢力総てである!」

 四方の限りを仮想敵に囲まれていると言っても過言ではない皇国北部にとって気を許せる勢力など存在しない。国家に真の友人が存在しない様に、皇国北部もまた独立勢力も同然である。

「我らが時代の潮流に翻弄されるは運命か!?」

 それは自身に対する問いでもある。

 総てが儘ならない。

 命懸けで開拓し、発展させ続けてきた皇国北部の歴史は苦節の歴史である。それの幾分かは中央貴族の責任であり、帝国に融和姿勢を見せた歴代天帝とそれに 追従した天霊神殿によって軍備は制限され、脅威を放置され続けた。その上、発展に対する妨害や税率を考えれば皇国政府が北部を帝国との緩衝地帯と判断して いることは明白であった。

 緩衝地帯として扱うならば、我等もそう振る舞おうではないか。

 大国の狭間に在る小国として。

 なばら答えは決まっている。

「我等の運命は、我等の決断と勇戦によってこの北の郷土に示されるべきである!」

 トウカは周囲を見渡す。

 反論はなく、負傷者や衛生兵、軍医、司令部要員も裂帛の意思を宿した瞳を以て頷いている。彼らもまた押し付けられた運命を良しとする程に脆弱な者達ではない。だからこそこの戦野に在り、命を捨てる事も厭うてはいないのだ。

 彼らの魂魄は今この時、明星の如く燃えているだろう。

 血塗れの包帯をそのままに松葉杖を突き、喪った手足を庇いながら立ち上がろうとしていた。中には明らかに立ち上がれないような者までいるが、それには周囲の者達が手を貸す事で何とか立ち上がりつつある。


 本来、こうした官位も金銭も屈服せしむることのできぬこの清純な魂こそ、我等の矜持とせねばならぬものである。


 時代を動かすのは、何時だって流血と暴力である。

 しかし、人の矜持こそがそれに佳き方向性を与えるのだ。


「北部は世界に冠たる独立国であるッ!! 我等は今、独立戦争の最中にあるのだ!」


 独立。

 目標を掲げるならば盛大に、そして過大なものでるほうが好ましい。

 彼ら彼女らの目が眩む程の理想を示すのだ。

 北部統合軍の参謀総長が明確に独立に言及したという事実は、早晩、皇国国内を掛け巡るだろう。無論、大半は有り得ないと一笑に付すだろうが、そうした論 調が存在することを知らしめることができる。そして、例え北部統合軍が負けたとしても、北部への圧政が続くようならば、その都度北部貴族や領民はその言葉 を思い出すだろう。

 この時、トウカは後々にまで続く皇国北部独立問題が、想像を越えて己の足を引っ張ることになるなど考えてもみなかった。


「さぁ、諸君、独立戦争の時だ!」


 トウカは拳を突き上げる。

 続く怒声とも歓声ともつかない大音声。

 それは城郭を震わせ、戦野へと響き渡る。

「北部統合軍主力は、これより征伐軍主力と決戦。後にフェルゼンに凱旋する!」

 トウカの作戦は単純明快であった。

 負傷者などはリシア隷下の列車砲や砲兵部隊を撤退させたのと同じく、迂回してベスターナッハ伯爵領を経由しての後退となる。それを気取られない為、そし て主力の撤退を確実に行う為に敵の一部を壊乱状態にして後退する予定であった。征伐軍も籠城から運動戦に切り替えてくるとは想定しておらず、攻城陣形で城 郭を包囲している。

 慌ただしく動き出した将兵の中、後衛戦闘を終えたのかベルセリカが悠然と姿を現す。その軍装は血塗れであり、隣に立つアンゼリカなどは口元にも血が付着している。恐らくは敵の喉笛を噛み千切ったのだろう。狼種とはそうした戦いを行う種族でもある。

「参謀総長……大御巫の本陣が徐々に前線へと押し出されつつある」

 鳶色の髪から返り血を古めかしい石畳の床へと滴らせて、ベルセリカが報告する。

 不覚にも美しいと感じたトウカは、胸衣嚢(ポケット)から応急処置用の白布を取り出してその頬を拭う。これほどに血化粧の似合う女性ならば戦野を舞い踊ることを祖国の頑迷な老将達も認めるやも知れない。

 二人は並び立ち、大回廊を進む。

 幾つかの確認事項と健在な軍狼兵数、再攻撃の時間などを確認しながらであるが、作戦開始までには幾許かの時間があり、二人はこれからを相談する。

 部隊の再編制と後送する負傷兵の準備の為に散った参謀本部や司令部の面々の背中を眺めつつも城郭の壁へと背を預ける。ちなみにアンゼリカは城郭に据え付けられた砲眼から外を窺っている。良く揺れる尻尾が微笑ましい。

 そして、隣に立つベルセリカは乾いた血を拭きながらトウカに身を寄せていた。

「近い……誤解される。離れろ」

「欲情していてな……と言えば怒ろうか?」

 茶化す様な口調だが心なしかその息遣いは荒いように感じられる。上気した頬と彫刻のように繊細な顔立ちは興奮を呼び起こすに十分な威力を持っており、トウカはベルセリカを押し退ける。

 トウカとてレオンディーネを押し倒した為に気が昂っているのだ。高位種は総じて見目麗しい傾向にあるというのは周知の事実であるが、こうした場面では逆に困るものがある。

「ふむ、冗談くらい笑い飛ばして見せんか。参謀たる者、泰然自若を旨とせんで如何(どう)する?」

「そう言う割には息遣いが荒いので怖いのだが」

 ベルセリカの言葉に苦笑を零すトウカであるが、内心では最近の女性遍歴に対して宜しくない状況だと考えていた。

 ミユキという少女で女性を知ったことはトウカにとって一つの分岐点だったのかも知れない。男の欲望は一人の女性の身体では押し留められない化物なのか、或いは自身が無節操な畜生なのか、トウカとしては判断を下したくはない事柄であった。

「ところで、今回の作戦では小官は別行動を取らせていただく。セリカには総指揮官としての本分を尽くしていただきたい」

「御屋形様は何処(いずこ)へ?」

 疑問を口に出しただけと言ったベルセリカに、トウカは小さく微笑む。

 高位種はその紡いだ年齢に似合うだけの勘と見切りを持っている。些細な動作からも気取られる可能性があった。

 あまりにも危険だと判断されて拘束されては元も子もない。軍の序列の上ではベルセリカが上位であり、命令系統の上でもトウカを拘束できる権利を有してい た。参謀本部は勿論であるが、それ以外の部署なども独立勢力として行動することを避けるように北部統合軍は総司令部の序列に組み込むことを選択している。

「この城郭に罠を仕掛ける。大御巫を捕殺する為の罠を」

 嘘ではない。

 既に大半の準備は終えているが、一部は未だ完了しておらず技術的な問題もある為にトウカが離れる訳にはいかなかった。

 寧ろ、この罠の為に大御巫を誘き寄せたのだ。

 野戦で個人を特定して殺害するなど極めて難しいことである上に、場合によっては遺体を隠され、影武者を立てることで組織を存続させるという手段に出てくることも不思議ではない。征伐軍将兵の誰しもがわかる形で大御巫を捕殺することが望ましい。

「ヴェルテンベルク伯爵旗の掲揚と虜囚のレオンディーネ、そして参謀総長である俺……餌としてはそれなりだ」

 アリアベルは倍以上の戦力を有しながら徐々に押し上げることしかできない戦線と辱めを受ける友人、眼前に翻る愛しい姉の伯爵旗に、己の才覚を不安視する中央貴族派の将校……不確定要素は無数にあり、そのどれもが心中を圧迫しているだろう。

 何より、マリアベルの変装をしたリシアを城郭内で度々、闊歩させていたのは征伐軍にマリアベルがこの場にいると思わせる為である。

 後は目に見える形での打開策を示してやればいいのだ。判断力の低下した決戦の最中に。

「危険はなかろうな?」

「危険の上を舞い踊るのが戦争屋だろう?」

 トウカは軍用長外套(ロングコート)を翻すと、ベルセリカをそのままに歩を進める。

 アリアベルに再度、毒を流し込むくらいはしてやる心算であるし、何よりもフェルゼンまで誘き寄せねば征伐軍に致命傷を与えられないのだ。アリアベルが征伐軍と北部統合軍を糾合させねば、帝国や中央貴族に対抗できないと判断するまで追い詰めねばならない。

 無論、ここで討ち死にしてしまえば、それはそれで愉快な事となるが。

 征伐軍内の主導権争いに加えて、内部の中央貴族派は中央貴族との連携を図るだろう。これにより中央貴族の戦力が強大化する事は避けたいが、もしそうした展開となるならば帝国が看過しないだろうことは疑いない。

 帝国が“人中の龍”は、皇国の諸勢力が統一することを看過しない。

 皇国の勢力が統一されてしまえば、その国力は帝国との戦闘で統一された意思の下で効率的に運用されるだろう。そして何よりも、背後を気に掛けながら戦わ ねばならないという心理的不安は、皇国が一つの勢力に意思統一されては喪われる利点である。例え、一つの勢力に意思統一されるまでの被害を差し引いたとし ても余りある利点であり、大いに付け入る隙を生じさせるだろう。

 詰まり帝国は皇国の主要な勢力が二つとなり、それらが決戦となる直前に侵攻してくるはずであった。それが一番効率が良い。だからこそ、その思惑から逃れねばならない。

「その血肉、我が装甲姫の糧としてくれる」

 トウカは薄く笑いながら上層階へと続く階段を上る。

 征伐軍が瓦解すればその主戦力となっている陸海軍の動きが重要となるが、此方の提案と帝国の出方を上手く利用すれば陣営に引き込むことは不可能ではな い。帝国との軍事的対決を明確に方針として打ち出している北部統合軍と、皇国最大の軍事組織である陸海軍は方針の上では一致している。もし、それが叶わず とも、無数の軍事技術を段階的に提示することと引き換えに友好的中立を堅持させることは難しくないと見ていた。

 最上階、エルゼリア侯の私室として使われている天守を目指すトウカ。

 時折、設えられた窓から外の戦況を見るが、征伐軍は頑強な防衛線の突破に手間取っている様子であり、特に初めて戦場で使用された鉄条網への戸惑いも少な くない様に見受けられる。中盤では戦車で乗り越えようと試みる優れた視点の将校もいた様であるが、突出した戦車部隊など砲兵の的でしかなく、征伐軍は犠牲 を以て乗り越えるしかない。膂力に優れた種族にも対応できるように製作されており、トウカの知る破壊筒(バンガロール爆薬筒)などの工兵用装備がなければ 短時間での突破は難しい。

「いるか、ヘル」

 トウカは無数の本棚が壁に設えられているエルゼリア侯の私室……天守部屋へと入ると女性の名を呼ぶ。

 可燃物を除去する為に書籍の一切が取り除かれた天守部屋内を進む。

「むぅぅぅっ、トウカ。元気?」

 謎の機械を弄りながら技術大佐の階級を正式に得てヴェルテンベルク領邦軍兵器工廠で辣腕を振るい、時には妄想を垂れ流すヘルミーネが幾人かの技術士官と共に部屋の改装に追われていた。

「順調ではないようだな」

「間に合わせる。だけど有線での投影には限界があるから。城郭内は魔導回路を利用できても外は限界がある」

 当初の予定通りなので、工具を手にしたヘルミーネにトウカは鷹揚に頷く。

 奥の本棚に中身を火薬に偽装した分厚い本を再収納している技術士官を尻目に、トウカはこれからの戦況を思案する。

 エルゼリア侯爵の屋敷となっている城郭は北部黎明期に建造されたもので、北を山岳に南を川に護られた地形に鎮座し、西は樹海が広がっている。樹海には幾つもの小道と鉄道が通されているものの大軍での行軍に向かず、実質的に東が主要侵攻路となる。

 実際、征伐軍は東に戦力を集中しており、定石通りの戦術行動と言えた。

 リシア隷下の主要な砲兵部隊や野戦列車砲聯隊は樹海に敷かれた鉄道から撤退を始めているが、完全に目を逸らす為にはベルセリカを陣頭にした大規模攻勢が必要となる。

「有線の件は承知した。それは工兵に地下設置作業を急がせている」

「……私も付いていくから。場所も決めてある」

 自身の言葉を無視したヘルミーネの言葉に、トウカは眉を顰める。

 トウカが成そうとしていることを考えれば突発的な技術的困難に対処するためにヘルミーネを同行させたいところであるが、ヴェルテンベルク領邦軍で兵器開発の重要な位置を占める技術大佐に危険の伴う任務に随伴させることは躊躇われた。

「これがこんな事に協力させられる私からの要求」

「……そう言われては断れないな。仕方がない、準備をするか」

 トウカは近くの技術士官に話し掛ける。

 大方の準備は終えていたのか配線を床下に隠し、魔導障壁展開術式を床や天井に刻印し、映写幕を設置するという作業は順調に進んでいるように見える。

「レオンディーネも来たか……これで道具は揃ったな」

 暴れたのか手足を縛られた上で猿轡を噛まされた姿は視覚的には哀れに思えるが、その凶暴さを知るトウカからすると檻にでも入れておきたいところですらあった。

「うぅぅぅぅ! うぅぅぅぅぅぅぅっ!」

 猿轡をしているレオンディーネは何か言いたげに唸っているが、出てくるのは罵詈雑言だろうとトウカは溜息を一つ。何故かトウカではなくヘルミーネに唸っ ているが、レオンディーネに下手に手を出したのかも知れないと二人を眺める。神虎族など数が少ないので珍獣扱いされても不思議ではない。

「ヘル、何か言いたがっているぞ。知り合いか?」

「……私の知り合いの虎にこんな莫迦な虎はいない」

「うぅぅぅぅ! うぅぅぅぅぅぅぅっ! うぇっ!」

 トウカの問いにヘルミーネは限りなく無表情に近い表情のままに心外であるという雰囲気を醸し出しつつ、手足を縛られて唸るレオンディーネの脇腹を蹴る。

 容赦のない一撃でレオンディーネは三回転ほどして床に俯せになる。

 ベルセリカを含め狼種とは口先よりも行動で示すことが多いのは種族的な特徴なのか、或いは気の強い女性ばかりがトウカに近しい関係となっているのか大いに悩むところである。

「では我々の手で内戦の幕引きを始めようか」

 くぐもった蛮声……守勢から攻勢に反転したベルセリカ隷下の北部統合軍主力による総反撃が始まった瞬間である。







「この状況で反撃なんて無茶なことを……」

 アリアベルは戦域図に視線を落として、呆れた表情を浮かべる。

 このまま状況が推移すればあの古めかしい城郭が陥落することは間違いなく、押し込まれつつある北部統合軍は御自慢の砲兵戦力の弾火薬が底を吐いたのか砲 撃の密度は著しく低下している。目下のところの最大の問題は北部統合軍が運用している鉄条網なる鉄の茨と甲高い銃声が特徴の速射性に優れた新型機関銃であ るが、鉄条網を銃剣で切り進み特火点と陣地を虱潰しに一つ一つ潰していくことで抗戦能力を奪いつつあった。

 しかし、敵は攻勢に打って出た。

 北部統合軍主力を瓦解させる好機でもある。

「ファーレンハイト長官……後の指揮を御任せしてよろしくて?」

 アリアベルは総指揮をファーレンハイトに丸投げする。

 蓄積する人的損耗を危ぶんだファーレンハイトは実質的に征伐軍の総指揮を執りつつある。名目の上では未だにアリアベルにある指揮権であるが、士官学校す ら出ていないアリアベルは無能ではないものの軍の指揮能力に卓越した部分がある訳ではない。よってアリアベルの下でファーレンハイトが指揮を執る事は理に 叶った事であり、現在でもそうした状況になりつつあった。

 ファーレンハイトは立派なカイゼル髭を撫で付けて鷹揚に頷く。

 敢えてこの場で指揮権の移譲に言及する事で周囲の参謀達や司令部要員に指揮系統を明確に示したと言える。野戦となれば一々、アリアベルに御伺いを立てるような戦いでは無用の被害を招くことになりかねないのだ。

 総司令部の面々を眺め、ファーレンハイトが命令を下す。

「我が軍は既に前衛に無視し得ん被害を蒙っている。本営の全装虎兵聯隊を躍進させ、敵の攻勢を挫きつつ前衛は左右に分離、後退せよ! 再編制の後に戦線を再度、押し上げる!」

 圧倒的な威。

 それは自身の持ち得ないものであり、ヒトと命の遣り取りをする組織の指導者たる素質というものなのだとアリアベルは胸中で嘆息する。

 生粋の武人であるファーレンハイトは 皇国陸軍に在って名将と称される人物であり、軍の近代化以前より戦斧(ハルバード)を手に勇戦を繰り広げていた。装虎兵として皇国に立ち塞がる困難を武力で薙ぎ払った英傑は生きた伝説といっても過言ではない。

 戦争なのだ。

 理論だけでなく感情をも押さえ付けるには、理論武装だけでなく物理的な武装が必要となる事も往々としてある。

 しかし、それを押さえ付けるのが“威”なのだ。

 或いは、ファーレンハイトであればあの剣聖ヴァルトハイムと互角に戦えるかもしれない。

「私も往きましょう。敵を誘導できるかと」

 束の間の捕虜交換の時間に添えられた一枚の写真を受け取ったアリアベルには、来るべき時がきたという怒りよりも遣る瀬無さが胸に満ちた。

 幼少の頃に何も考えずに陽光の下、一面の花畑を駆け回った様なそんな晴れやかな気分は既に久遠の彼方。子供時代の延長線上と捉えたいならば、摘み取られるべきものが華から人命に変わっただけのこと言とえるかもしれない。

 剣を手に、血の薫りを纏い、華の代わりに屍を踏み締めて戦乱の世を駆け抜けるのだ。

 闘争の時代を。

 

 

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 官位も金銭も屈服せしむることにできぬこの清純な魂こそ、我等の矜持とせねばならぬものである。

             《大日本帝国》海軍 池尾俊夫中尉