第一二三話 煉獄の門
「砲兵は陣地転換を急げ! 自走砲は支援砲撃を継続!」
越権行為と知りながらも、参謀本部付首席参謀であるハインツ・アルバーエル少将は師団司令部の面々を怒鳴り付ける。この場に展開している〈第八歩兵師団 『ブライテンバッハ』〉の指揮権は当然ながら師団長にあるのだが、前線の司令部直轄の軍狼兵大隊を直卒して後退の遅れている歩兵聯隊の支援に向かっている
為、臨時でアルバーエルが指揮を執っているのだ。同期とは言え、前線視察に訪れた首席参謀を捕まえて、自分が殿を努めたいからと師団運用を押し付けるの は、副師団長は既に戦死しているとはいえ、指揮系統上好ましくないことである。
「我が軍の指揮官は指揮系統を蔑ろにして困りものだ」
時を同じくしてトウカも同様の事を考えていたのだが、それはアルバーエルの与り知らぬこと。
雷鳴が轟いたかの様な砲声を響かせる支援砲撃は、躍進してきた騎兵聯隊に少なくない被害を与えているだろう。
アルバーエルは総司令部として運用されている戦闘指揮車輛から舷梯を使って降りると、遠くない距離に擂り鉢状の砂柱が乱立している光景を目にする。
「近いな……師団司令部も後退する。罠も仕掛けたな? 三個狙撃小隊は遅滞防御だ。ただし、無理はするな」
師団参謀の是とする言葉に、野性的な笑みを以て応じたアルバーエル。
現在、全前線で大規模な後退と機動防禦が行われている。それもただの後退と機動防禦ではない。後々、皇国軍事史に刻まれるであろうほどの規模と果断を以て、である。
戦線縮小は征伐軍の大攻勢に対する基本方針であるが、現場の将兵には縮小が決まっている地域出身の兵士も少なくない。内心では忸怩たる思いを抱いている ことは疑いないが、ベルセリカの必ず取り戻すとの宣言と、トウカの最終的には皇国からの独立も視野に入れているとする強気の姿勢によって従わせることに成
功している。否、或いは既にサクラギ・トウカという奇蹟を演出して見せた男は、権力を伴わないある種の権威を有し始めているのかも知れない。
実績と武威のある二人が揃って徹底抗戦を、征伐軍の大攻勢が始まる以前より明言していたこともあり、離反する貴族や将兵は現れていない。
アルバーエルが考えている以上に、トウカとベルセリカは北部にとって重要な人物となりつつある。
当たり前である。この軍事力こそが最も頼れる今この時代、それらを用いて艱難辛苦を撥ね退け、奇蹟を起こす者に依存するのは仕方のない事と言えた。
彼は来た。この北の大地を護る為に。
「閣下、増援です! 〈装甲教導師団〉が、敵の後方を遮断しつつありとのこと!」
「あの若造め、独断を許されたことを最大限に利用しておるな! 褒めてやる!」
アルバーエルは、縦横無尽に活躍する若者達の熱意が北部を助けるのかも知れない、と苦笑する。
独自裁量を与えられたザムエル……ザムエル・フォン・ヴァレンシュタイン少将隷下の〈装甲教導師団〉 は、装甲戦力を主体とした機動力に優れる戦力を以て北部地域を駆けずり回り、幽鬼の様に出現と撤退を繰り返して機動防禦の訓練に明け暮れていた。そして、
征伐軍大攻勢の報と共に訓練を打ち切り、即座に任務を変更、征伐軍の砲兵戦力と輜重部隊を主目標とした攻撃を加えている。戦車随伴猟兵などの歩兵戦力を多 く組み込んでいない為、敵勢力内での戦闘は危険だと参謀本部が異論を唱えた。だが、トウカがベルゲン強襲を行った際の編成が類似したものであったこともあ
り、トウカとベルセリカはそれを認めた。遅滞行動はどの道、必要なのだ。方法が個性的であるが致し方ない。
「しかし、陣地転換の容易な火砲があるとはいえ、これ以上の継戦は無理か」
「司令部直轄軍狼兵大隊と師団長も先程、戻られましたのでそろそろかと」
師団参謀の言葉に、アルバーエルは頷く。
敵は後背からの装甲部隊の攻撃に混乱しており、攻撃に晒されていた歩兵聯隊は窮地を脱したとのことで、統率の取れた後退が可能となった。
「後退せよ。慌てている様に。そして見苦しく、な」
アルバーエルは含み笑いと共に、師団参謀の肩を何度も叩く。
エルゼリア侯爵領までの縦深に征伐軍主力を引き摺り込むことが防衛計画の大前提であったが、征伐軍は然したる警戒を見せることもなく進撃を続けている。
恐らく縦深に引き摺りこまれつつあることを承知で、これを奇貨として大きく躍進し、エルゼリア侯爵領を短期間で占領しようという腹積もりであろう。
だからこそ現時点では参謀本部の予想通りに事態は進んでいる。
思惑の一致である。
だが、結末は違うものを思い描いている。
「このままエルゼリア侯爵領まで後退して、戦線の一翼を担うことに……」
「報告! 中隊規模と思しき装虎兵が一六時の方角の森林地帯より出現! 〈第三四五歩兵中隊〉が現在応戦中なるも突破は時間の問題かと!」
飛び込んできた報告に、アルバーエルは師団参謀に視線を向ける。
即座に師団参謀が対戦車砲小隊や対戦車自走砲小隊、魔導砲兵中隊、重迫撃砲中隊を呼び出すが、至近に現れたからこそ混乱しているのであって、既に懐に入られているのだろうとアルバーエルは嘆息する。
振り向けば、司令部陣地の一角で怒号と悲鳴が飛び交っている。
三人ほどの魔導砲兵が至近距離から数の減じた装虎兵の中隊の側面から砲撃型魔術を浴びせて混乱を助長させるが、二騎ほどの装虎兵が魔力と人虎の血を撒き散らして飛び出てくる。
アルバーエルは喜悦に顔を歪ませ、背に吊るした大剣を抜き放つ。
「良かろう、受けて立つ」
アルバーエル流剣術という北部地域で勇名を馳せている剣術の一つを修める……師範代を拝命しているアルバーエルが武魂烈々なる者を忌避するはずがなかった。
「いざ尋常にッ!!」
両刃の大剣は、アルバーエルの背丈に迫る全長と騎兵を人馬諸共に両断する斬馬刀に匹敵する重量を誇る。アルバーエルは、それを以て戦斧を振り上げて迫る 装虎兵に正面より応じる。人間種でしかないアルバーエルだが、その優れた魔導資質によって身体能力が大きく底上げされていた。膂力は大剣すらも軽々と取り 回すことができるものの、装虎兵の突進力の前ではそれも心許ない。
しかし、それでも尚、正面から応じるのだ。
振り上げられた大剣。
迫る二騎の装虎兵。
先頭の装虎兵は何処かの領邦軍の指揮官であるのか、特に華美な軍装に身を包んでいる。
アルバーエルは周囲で対戦車小銃を構えた歩兵に、無用也!と今一歩進み出た。
これが最後の一騎打ちとなるだろう。
一騎打ちの風潮や戦場に浪漫を求める気風は損なわれつつあるが、トウカが頭角を現す様になって以降はそうした思想の浸透が更に進む事となった。
武勇よりも一発でも多くの弾薬を。
勇猛よりも統制された指揮系統を。
戦争の効率化という面からは正しいことであると理解できるが、同時に一抹の寂寥感を感じるのもまた事実。
故に之が最後。
目を見れば分かる。彼もまた喪われつつある誇りを胸にこの突撃を成したのだ。
「宜しい、我々の戦争を」
眼前に迫る装虎兵。
後続のもう一騎の装虎兵は、無数の歩兵に取り付かれて虎上から戦斧を振るいながらじりじりと後退を始めている。装虎兵と言えど、単騎の上に囲まれれば躍進も難しい。
振り下ろされる大剣。
突き出される戦斧。
交差する意思。
『―――――――ッ!』声にならない蛮声。
打ち合わされる大剣と戦斧が甲高い金属を奏でるが、それに気を払う事もなく、アルバーエルは嚙み付いてきた装虎兵の騎乗する白虎の鼻面に蹴りを加える。
高く前足を掲げて驚く白虎に動じず、虎上から飛び降りた装虎兵が戦斧を一薙ぎし、アルバーエルを遠ざけると白虎の横へと並ぶ。互いの隙を補い合うような動きであり、強い絆があるであろうことが窺える。
白虎と装虎兵が飛び掛かってくる。
それに合わせて周囲の混乱も続く。
内戦中盤の戦闘は未だ始まったばかりであった。
「構わねぇ!! 突っ込め! 犬っころの尻穴に戦車砲をぶち込んでやれ!」咆えるザムエル。
続く鋼鉄の野獣達の唸り声……機関音に、ザムエルは車長用司令塔から乗り出して後続する装甲部隊を見据える。各戦車の車長用司令塔から覗く戦車長の表情は、一様に戦機に気が逸っているのか猛々しくもあり頼もしく思えた。
大隊規模の軍狼兵と聯隊規模の歩兵部隊に護られた輜重部隊の後方を捉え、彼らは初の活躍の機会に心を躍らせている。
ゲフェングニス作戦での活躍で装甲部隊への注目は集まったが、実際に華々しい活躍を見せたのはヴェルテンベルク領邦軍の一部装甲部隊だけに過ぎない。この場にいる〈装甲教導師団〉の戦車の多くは、ヴェルテンベルク領邦軍兵器工廠で生産され、北部貴族に売却されて配備された車輛を再編制時に組み込んだものが大半を占めており、小規模な実戦経験は在れども大規模で華々しい活躍は未経験である。
ザムエルは、喉頭変換器の通信相手を師団参謀へと繋げる。しかし、会話だけは各戦車長にも聞けるように繋げることも忘れない。恐怖を紛らわせるには下らない会話も必要である。
「おい、戦友。実際、何処までやれると思う?」
『一度だけの通り魔が良いでしょう、師団長閣下』
喉頭変換器越しに、にやりと口元を釣り上げている姿が浮かびそうな声音に、ザムエルは真意を理解してくれていると笑声を漏らす。
「女性を後ろから通り魔か? 感心しねぇな」
ザムエルは失笑を以て頼れる師団参謀に応じる。領邦軍士官学校時代の同期であり、気心の知れた仲で在る以上、遠慮は必要ない。
実は、今の北部統合軍では比較的若い将校が佐官の地位に多く存在し、将官の地位を窺っていた。無論、若いと言っても中位種や高位種の若い将校は見た目以 上の年齢であるので、十分にその経験と素養を蓄積しているのだが、ザムエルの様な低位種や人間種の若い将校が登用される例も少なくない。
選考基準は二つ。
一つは、元来の戦術として運動戦を気質的に好んでいる者。
一つは、上位命令を順守しつつも最善の決断を行える者。
前者は、装甲部隊が主力とは成り得ないと判断されていた頃から、騎兵や軍狼兵を用い移動力を重視しての戦術を好んで多用していた者という意味であり、そ れは制約がありながらも高い機動力と火力、防禦力の三点を有する装甲兵器という兵科を指揮する者にとって欠かせない要素である。
対する後者は、軍事目標を達成する手段として上官の命令に愚直に従うばかりではなく、命令に逸脱しない範囲、或いは露呈しない範囲で創意工夫を行える者 であるという意味である。それは装甲部隊の運用方法が未だに策定されているとは言い難く、野戦指揮官のある程度の独断を暗に黙認しているからであった。
――その落ち着きのない(運動戦を好んでいる)奴らの独断(ある程度であるが)の集大成が、この〈装甲教導師団〉って訳か。皇軍一、口の悪い教導部隊とも言えるんじゃぁねぇか?
ザムエルは、上等だと笑う。
『ところで本官の主砲なら可愛い軍狼兵にも非常に有効なのですが』
「間違って男を誤射しても知らねぇからな」
女性比率が他国の軍隊と比して桁違いに高い皇国の各軍では、男女間の痴情の縺れという問題は非常に多いものであるが、極稀に実は相手が同性であり寝台を 共にするまで気付かなかったという珍事が発生することもあった。軍事法廷で争われたこともあり、裁判官や憲兵の「こんなくだらないことで軍刑法を行使して
堪るか」という激怒によって当事者達が軍から叩き出された前例もある。ザムエルとしては、そんな部下を持ちたくはない。
失笑の漏れる部下達を尻目に、ザムエルは大隊規模の軍狼兵と聯隊規模の歩兵部隊に護られた輜重部隊が二手に分かれる様を目にして鼻を鳴らす。
別れたのは輜重部隊。
大隊規模の軍狼兵と聯隊規模の歩兵部隊は〈装甲教導師団〉の進路を塞ぐ位置に展開する。その辺りは降雪で分かり難いものの、荒地であることは戦域図を見れば一目瞭然である。
『可愛ければ男性でも……いえ、巷で噂されている男の娘というのも試してみたいものです』
「男相手に採掘作業がしたけりゃ、根性見せろ! 目標は輜重部隊! 狼と歩兵は摘まみ食いだぁ!」
ザムエルの命令は具体性を些か欠いているようにも思えるが、同時に理にかなったものであるのもまた事実であった。優秀な師団参謀や各装甲大隊や中隊、小隊に至るまでの指揮官は、ザムエルという指揮官を良く理解していた。
進路を変える鋼鉄の野獣達。
追随できるのは軍狼兵だけであり、歩兵は抗戦の構えを見せていたが、自身に向かってくることはないと困惑していることは間違いない。
「目標、左前方の歩兵聯隊及び軍狼兵大隊、各個判断で砲射ッ!!」
〈装甲教導師団〉の進路は、既に抗戦の意志を見せた歩兵聯隊と軍狼兵大隊ではなくこれの横を突っ切るものとなっていたが、歩兵の移動力では対応できないことは明白である。
進路を変えながらも砲塔を旋回させ、砲身を敵へと指向させ続ける鋼鉄の野獣達。
そして、一輌の戦車が火を噴く。
それに続くかの様に、〈装甲教導師団〉に属する戦車が次々と砲撃を行う。
ザムエルの指揮型戦車は〈装甲教導師団〉の中央に近い位置である為、周囲の戦車が一斉に砲撃すると視界が紅い閃光で満たされたかのような感覚に陥った。遮光眼鏡があるとはいえ、それでも尚視界を遮るだけの閃光。
「止まるなよ! 命中率は榴弾の投射量で補え! 正確に狙う必要はねぇ!」
あくまでも牽制であり、そもそも至近距離でもなければ機動中の戦車の砲弾を命中させる事など至難の業である。砲撃時に停止することが基本であり、互いに機動している状態であれば熟練の耳長族の砲手であれば辛うじてと言ったところである。
多くの理由により命中弾は然して多い訳ではないが、圧倒的な投射量の榴弾がそれを補う形となった。歩兵聯隊所属の魔導士によって展開されたであろう魔導障壁の表面に紅蓮の花々を咲かせる。
征伐軍は皇国陸軍の編成を踏襲していることは有名なので、それを信ずるのであれば防護魔導士中隊と汎用魔導士中隊による魔導障壁であろう。司令部直轄装甲大隊と〈第一装甲聯隊『ラインバッハ』〉による一三〇輌近い数の戦車の砲撃を受けては耐えられるものではない。
実は、この場にいる〈装甲教導師団〉は、その一部でしかない。
正確には司令部と〈第一装甲聯隊『ラインバッハ』〉を含めた二個装甲聯隊。自走対空砲大隊、輜重中隊というベルゲン強襲時の〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉よりも極端な編制であった。
本来であれば〈装甲教導師団〉は、司令部直轄装甲大隊と二個装甲聯隊を基幹とした師団で、そこに機械化歩兵聯隊と複数の自走砲兵大隊や自走対戦車砲大 隊、突撃砲大隊、自走対空砲大隊、汎用魔導士大隊などが戦闘部隊として組み込まれた大規模な装甲戦力である。更には支援の為に工兵大隊、衛生大隊、軍狼偵
察中隊、通信大隊、武器整備中隊、輜重中隊などを含めた自己完結した能力を持つ一つの打撃戦力であった。
しかし、各自の演習の為に現在は別行動を取っており、主に他の隷下部隊はエルゼリア侯爵領内での演習に留めている。
「まぁ、これも参謀総長様の予想通りってか」
形振り構わない大規模な侵攻。
それを事前に聞かされていて尚、ザムエルは前線となり得る場所で演習をしたのだ。
本来の出撃目的は装甲小隊間での連携を目的とした演習であったが、当然のことながらヴァレンシュタインは実戦を行う気であった。
実情としては演習中であったものの、突然の征伐軍大攻勢の報と凄まじいまでの侵攻速度に占領区域に取り残されてしまったと評した方が正確であり、森林地 帯に戦車を隠した状態で機会を窺ったのだ。総司令部からは所在確認と帰還命令の暗号魔導通信が幾度か飛んできたが、交信した場合に潜伏場所が露呈する可能
性があると師団参謀からの進言も(という遣り取りが交わされたことになっている)あって、ザムエルが止む無く命令を反故にせざるを得なくなった。
という筋書きである。
そして侵攻速度を重視しているのか征伐軍は大規模な偵察を行っていないことと、その侵攻路自体から大きく離れていたこともあり発見されなかった。元より曇天と降雪が続いている北部で、しかも深い自然が横たわっていることも発見されなかった一因と言える。
無論、ザムエルにはフェルゼン空襲で征伐軍の航空戦力が大打撃を受け、航空偵察や近接航空支援を“決戦”まで控えるであろうという打算があったという理 由もある。それは正しく、アリアベルはエルゼリア侯爵領での“決戦”に保有している航空戦力の総てを叩き付ける心算でいた。
上位命令を“ある程度”順守しつつも最善の決断を行える者。
そうしたトウカの考えに基づく指揮官選考基準は、良くも悪くもザムエルという人間を精鋭装甲部隊の指揮官にしてしまった。
ザムエルには野心がある。端的に言えば北部統合軍総司令官……つまりはベルセリカの後釜である。
だからこそトウカが成した奇蹟をもう一度、自らの手で演出してみたかったのだ。
しかし、所詮は野戦指揮官の思惑に過ぎない。
「警報! 左4時の方角より三〇騎ほどの航空集団が接近!」
突然の報告に支援騎を呼ばれたのかとザムエルは舌打ちするが、予想していたよりも遙かに早い出現に砲塔の天蓋を叩き曇天を見上げる。或いは、偶然に付近を飛行していた航空部隊が緊急通信に駆け付けたのかも知れない。
自走対空砲大隊の展開と戦車の近隣の森林への避難を急ぐべきかと逡巡するザムエルに再び報告が届く。
「閣下、友軍騎です! 戦爆連合!」再び砲塔天蓋を叩く。
――こっちの思惑はお見通しってわけかよ、参謀総長様はッ!
トウカの手際の良さに歯噛みするザムエルだが、胸中で文句を吐き散らしつつも次の指示を飛ばす。参謀本部には演習地域の上申は行っているので、そこから潜伏先を割り出す事は困難なことではない。
「目標を歩兵聯隊と軍狼兵大隊の撃破に変更! 各車、右旋回、背後を取れ!」
軍狼兵大隊が突撃によって戦車の壁に楔を打ち込もうとの姿勢を窺わせたが、ザムエルが対応するまでもなく各戦車長の判断で集中的に加えられた戦車砲による砲撃によって、彼らは雪上の赤い染みへと変わる。
直後、上空を通過する戦爆連合。
戦闘騎と爆撃騎、或いは戦闘爆撃騎の混成飛行隊の数は三〇前後であり、大規模な航空戦力とは言い難いが、それでもこの戦域を支配するに十分な戦力であった。
しかし、戦爆連合は〈装甲教導師団〉を航空支援しようとする姿勢は見せない。
目指す先は輜重部隊上空。
あまりにも予想通りの展開に、ザムエルの口から未成年には聞かせられないような罵声が迸り、それに自身が叱責されていると勘違いした〈第一装甲聯隊『ラインバッハ』〉の戦車の砲撃が一層の熾烈さを増す。
トウカからすれば、これは局地的に行われた、しかも偶発的な戦闘でしかないのだ。
自身の目的を知られた上で妨害されたのであれば納得できるが、偶然踏み潰した程度のものでしかなのだろうとザムエルは歯噛みする。
戦爆連合の騎数が少ないことから見て三〇騎前後の戦爆連合を幾つも編成しての索敵攻撃であることは疑いない。恐らくは対地攻撃力を持った航空部隊に索敵 任務と攻撃任務を負わせて、征伐軍主力を大きく迂回。索敵を実行しつつ、見つけた輜重部隊への攻撃を行っているのだとザムエルは見当を付けていた。
それは正しく、トウカの指示で三〇部隊以上も編制された小規模の戦爆連合は征伐軍主力を左右から大きく迂回し、その後方支援能力を担う施設や部隊への攻撃を各自の判断で行っていたのだ。
索敵を控えて主力を以て遭遇した敵を鎧袖一触にしつつ飛行しているのだ。エルゼリア侯爵領を目指すアリアベルからすれば煩わしくもあるが、同時に時間と の勝負に追われることとなる。征伐軍主力の継戦能力を維持する為の兵站線の弱体化によって糧秣と弾火薬の備蓄事情は厳しくなり、早い段階での決戦を強いら れるからであった。
共に短期決戦を意図しているのは同様であり、この索敵攻撃は両陣営のその動きを加速させ得る一因となることは疑いない。
――航空攻撃は大規模じゃなくても使えるってことか。元祖大元は違うな、畜生め! 集中した運用でなくとも使えるってことかよ!
ザムエルは小さく笑う。
トウカの航空戦力の運用法は元の世界の戦訓に依るところであるが、この世界の軍人からすればトウカの発案としか見えず、トウカも自身の発案である様に見 えるように振る舞っている為、ザムエルはトウカを恐ろしく感じた。否、実際、北部統合軍内でもトウカの戦略や戦術に余りにも無駄が少なく、効率的である為 に畏怖を抱く者は少なくない。
既存の戦略や戦術を破壊する者。
そして、その混乱の中で確たる解を示すトウカが人間であるはずがないのだ。高位種に慈しまれて、短期間で軍を掌握しつつある奇蹟。
「まるで……」
初代天帝陛下みたいではないか。
有り得ない。有ってはならないのだ。トウカは、ザムエルの頼れる戦友であり、少し世間知らずで、本当に愛した者に本心を悟られまいと必死な大莫迦野郎なのだ。
天帝などという必要な時世に現れない不良品などではない。
だから証明するのだ。トウカの成した奇蹟が他者にも成せるのだと。
「全く、莫迦な弟分を庇うのも疲れるなぁ!!」
ザムエルは片手伝達で突撃を指示する。
振り払われる右手。
薙ぎ払え。
本来は、主目標を撃破せよと用いられるそれであるが、今この時ばかりは総ての戦車長にそう感じられた。
〈装甲教導師団〉。
皇国最強の装甲部隊として勇名を馳せる事になる鋼鉄の野獣達の咆哮が戦野に轟いた。
「くそっ! 迎撃騎はまだかッ!?」
一人の征伐軍士官が叫ぶ。
何ら指向性のない言葉に応える者はおらず、応じるのは航空爆弾と機関砲弾ばかりである。
眼前の兵士が二〇㎜と思われる機関砲弾の直撃を受け右足を吹き飛ばされて雪原へと斃れ伏す。その姿を見た小隊の面々を叱咤して伏せるように士官は怒鳴 る。配置されて間もない新兵が恐怖に気が触れたのか立ち上がろうとするのを、拳骨と共に雪原へと沈めると士官は新兵に覆い被さりつつも空を見上げる。
空に死霊が舞っている。
漆黒に塗装された航空騎が腹の底へと響く嘶きと耳障りな風切り音を響かせながら銃弾に機関砲弾、航空爆弾と噴進弾を以て襲い掛かってくるのだ。恐慌に駆 られて小銃や機関砲、対戦車小銃、魔導杖を振り上げて応戦する部隊や展開していた対空砲などは真っ先に集中砲火を受けて撃破される。
雪原に突き刺さる対空砲の砲身を尻目に、士官は周囲を見渡す。
順調に前進していた前衛部隊は、二〇〇騎を越える航空騎の空襲に晒されていた。アリアベルや征伐軍総司令部も前衛部隊にはフェルゼン空襲で損耗したとはいえ、それ相応の直掩騎を防空任務に当てていた。
しかし、それらは前線後方にすり抜けた“大規模な航空部隊”迎撃の為に上空から一騎の残らず消え去っていた。彼らは知らないが、トウカの提案によって放 たれた三〇騎前後からなる戦爆連合は三〇部隊に上るものの、広域に分散した上で主要街道や市街地を避けて浸透突破しており、戦線後方にほぼ時を同じくして
それらが現れた為に大規模な空襲を後方兵站が広域で受けていると判断し、征伐軍総司令部は迎撃可能な航空騎の全てを向かわせたのだ。
だが、それは罠だった。
それは総力を挙げた航空攻撃でありながらも分散した攻撃であり、規模を更に大きく見せる為の偽装に過ぎなかった。しかし、ベルゲン強襲での空襲やフェル ゼン空襲で兵器工廠に大被害を与えられたという失敗と成功の経験から、数を頼んでの大規模空襲が爆撃の解だと捉えた征伐軍総司令部が判断を過つことは仕方 のない事と言える。
征伐軍に大規模な航空攻撃を同時に行える余裕あり、と迎撃騎の大半を後方へと向かわせた間隙を縫って現れた二〇〇騎近い航空騎……その全てが軽爆撃騎と戦闘爆撃騎、戦闘騎で編制された〈第一航空艦隊『ヘリヨライ』〉はその猛威を遺憾なく振るう。
歯噛みする征伐軍将兵。しかし、彼らが悲観に暮れる余裕さえ、北部統合軍は与えない。
迎撃騎という邪魔者が完全にいないことを判断し、戦闘機が地上への機銃掃射と火焔息吹による攻撃を始めたのだ。
配備され始めた一五㎜機関砲の直撃を受ければ人体など挽肉になる。以前までは航空騎に搭乗している飛行兵に小銃や機関銃を装備させる事で火力を増強して
いたが、トウカの提案により戦闘騎の両翼付け根辺りに一門ずつ装備することで火力を増した戦闘騎は小回りが利く対地攻撃騎に等しい。更に一部の航空騎には無誘導噴進弾さえ積まれていた。これらが地上に撃ち放たれて惨状と悲劇を量産する。
火達磨に、若しくは血塗れとなって転がり回る征伐軍将兵達。
朱に染まる北の大地。
次々と征伐軍前衛部隊の継戦能力が失われていくに反比例するかの様に、北部統合軍の攻撃は激しさを増していく。
前衛部隊の主力を成していた騎兵や軍狼兵、魔導車輛などに次々と航空爆弾と機関砲弾、噴進弾が降り注ぎ、手当たり次第に薙ぎ払う。砕けた車輌が横転し、人馬虎狼が血涙と共に屍を晒す。
付近の森林へと逃げ込んだ歩兵であっても、油脂焼夷弾(ナパーム弾)の集中投弾を受けては蒸し焼きにされる運命からは逃れられない。
近くでは破片によって切り裂かれた腹部から零れ出そうになる腸を必死に抑え込む兵士や、片足を失い這いずる兵士などが満ちて、最早、指揮統制は崩壊していた。
征伐軍士官は、その光景に歯噛みする。
これほどの実力を持ちながらも、内戦という手段を以て状況を解決しよとする北部統合軍に対する不満が湧き上がる。
「畜生め、これだけの力があるなら貴様らだけで帝国に備えればいいだろう……っ!」
そんな彼の怒りなど知ることもなく北部統合軍、〈第一航空艦隊『ヘリヨライ』〉は手当たり次第に主要目標を爆撃した後、悠然と翼を翻して去っていった。