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第一二二話    前線と銃後で

 



「強襲しましょう。神殿騎士団、躍進用意!」

 アリアベルは千早を翻し、馬上で曲剣(サーベル)拵えの軍刀を抜き放つ。

 指揮官陣頭という風潮は近代化著しい皇国陸海軍でも未だに健在であり、初代天帝の御世よりの伝統でもあった。現在では野戦指揮官の場合は、それぞれの判断に委ねられている。指揮官旗を掲げる部隊と掲げていない部隊があるのも同様の理由であった。

 自身の武勇と隷下の将兵の士気。
 指揮系統の保全と継戦能力の維持。

 相反すると言えなくもない要素のどちらを有するかは指揮官の性格にも起因することあり、前者が攻撃的であることに対し、後者は防禦的な資質を持つ指揮官 が多い。部隊とは、指揮官の性格に合わせた戦闘を得意とするようになるが、アリアベルが前線にある事で征伐軍全体が攻撃的な戦闘単位へと変化しつつあっ た。

「爺や……いえ、リットベルク大佐。砲兵も躍進させなさい。無理をしてでも敵の特火点を粉砕します。騎兵には右翼の山間部を走破して側面を突くように伝えて」

 アリアベルはクラナッハ戦線での征伐軍敗北を、火力不足と砲撃支援を受けることなきままの突撃によるものだと判断していた。征伐軍総司令部は機動師団の 壊乱を正面からの突撃のみに留めた慢心によるものであると判断していたが、アリアベルは、そもそも機動師団の編制そのものが時代の変化にそぐわなくなった のではないかと今では考えている。

 征伐軍は戦力の大多数が実質的に陸軍からの抽出部隊なこともあり、編成はそれを踏襲していた。

 対する北部統合軍は爵位に合わせた領邦軍兵数の制定により、兵数不足に悩まされ続けていた。よって、部隊内の火砲数はそれを火力で補う為に増大の一途を 辿っている。間諜からの報告では、完全に砲兵部隊だけで編成された砲兵師団すら編成する計画があるとされているとのことであった。

「弾火薬の消費量に陸軍府長官が目を回しそうですな」

「内戦が終われば政府も軍を重視するでしょう。それまでは我慢して貰います」

 皇国陸軍も火力優越を重くみて砲兵戦力の増強を図っていたが、それは難航していた。

 北部統合軍の砲兵は中隊単位で一つの単位になっており、砲撃は最低でも中隊単位で行われる。砲兵聯隊の大隊数は同師団に配備される歩兵聯隊の数と連動し ており、歩兵聯隊数と同数の大隊が編成されていた。その上、歩兵聯隊を直協支援する砲兵大隊とは別で遠距離全般支援を行う重砲を運用する大隊が存在してい ることも多い。

 即ち、征伐軍に倍近い砲兵戦力である。

 しかし、容易く増員できない戦力でもあった。

 砲兵は運用に弾道学に基づく複雑な計算技術を必要とすることもあり、十分な教育を受けた将校と下士官を多数必要とする。

 教育水準の低い発展途上国では優秀な砲兵の確保が難しく、砲兵の能力の低さから砲戦能力が制限されることも少なくない。砲兵将校の能力不足から長距離間 接射撃が行えず、直接照準に頼った近接砲撃という運用が行われることすらある。文字通りの突撃砲兵を実践せねばならないのだ。

 つまり、砲兵科将兵を短期間で増員することは難しい。

 内戦終結後に北部統合軍の砲兵将兵を引き抜くことすら期待しているという陸軍の苦労話は、その台所事情の苦しさを端的に表してすらいる。

 しかし、現状では征伐軍砲兵が優勢であった。瞬間的に運用可能な砲兵戦力のほぼ全てを一戦線に投入した以上、当然の結果と言える。

「敵が後退しますぞ、大御巫」

 神経質そうな顔立ちのファルケンハイン上級大将は、普段であれば威厳と不機嫌が溢れだす高級将校であるが、現在は腕を三角巾で釣り、罅割れた眼鏡をして いることもあって何処か愛嬌が漂っている。ベルゲン強襲で生き残った数少ない将官であるものの、負傷により療養を余儀なくされていたファルケンハインであ るが、その類稀なる忠誠心と「若造共なんぞに負けてはおれぬわ!」という敵愾心を胸に滾らせ、アリアベルの陣幕へと復帰したのだ。

 無論、その様な憎まれ口を叩きつつも、実際は征伐軍総司令部の再建で少なくない数の忠誠心に疑いのある、中央貴族寄りの将官達を懸念してのことであることは疑いない。外見からは想像できないが、ファルケンハインは信仰心に篤い忠勇なる騎士であった。

「突撃します。全騎兵聯隊、続きなさい!」

「大御巫が御躍進なさるぞ、各々方!」

 アリアベルの言葉に、リットベルクが総司令部の陣幕に並ぶ将官達に檄を飛ばす。

 征伐軍は北部統合軍と比して内戦ということもあり、その戦意と士気は劣る部分がある。外敵から国体を案じ奉らんことを目的として厳しい教練を受けていた将兵。その実戦が皇軍相撃であるとなれば致し方ないとも言える。

 故に征伐軍の士気向上を期待するならば、象徴たるアリアベルが陣頭に立たねばならない。

 しかし、それは建前である。

 その真意は、中央貴族寄りの将官達を戦野で運用することで叛意を抱く暇すらも与えないというものであった。無論、他の部隊を指揮している中央貴族寄りの 前線指揮官や将校に対しての人質という面もある。何よりその能力に不足はなく、士官が多いことは指揮統制の維持の面で有効であった。そして、無様な壊乱は 指揮崩壊を招く恐れがあり、それをアリアベルが行えば致命的であることもあり、士官が充実していることは悪いことではない。

「総司令部直轄の装虎兵聯隊も投入しますぞ」

 ファルケンハインが敬礼を以て、アリアベルにその意志を伝える。

 前線にアリアベルが立つものの、征伐軍全体の指揮は陸軍府長官であるファーレンハイトが執っており、そこから中央貴族寄りの将官達を排除しつつ、陸軍総 参謀長でもあるファルケンハインは征伐軍総司令部に残留する。これにより謀殺される危険も低減できた。フェルゼン空襲に合わせて攻勢を行えば相手の混乱が 期待できるからこそ現状での攻勢だが、アリアベルからするとそれは建前である。

 アリアベルは、リットベルクとファルケンハインの対応に鷹揚に頷くと馬を促して陣幕から進み出る。

 小高い丘から見えるのは様変わりした戦場であった。

 火力が支配し、雪交じりの土砂が着弾によって巻き上げられ、大地が耕される。

 火薬の爆ぜた匂いが運ばれて頬を撫でる感触にアリアベルは柳眉を曲げるが、背後を振り返ることもなく馬上で大太刀を振り上げる。

 両翼には騎兵と軍狼兵の混成師団が展開している。

 背後にも陣幕を囲む様に総司令部直轄の装虎兵聯隊が展開し、そこには中央貴族寄りの将官も混じっている。

「……神威也(なり)

 アリアベルは、粉雪の舞う曇天を見上げて呟く。

 そう、神威である。

 天霊の神々は、私を罰しなかった。

 つまり、現時点ではアリアベルの闘争は《ヴァリスヘイム皇国》の行く末に有益であると判断されているのだ。天霊の神々は肯定した訳でもないが、否定した訳でもない。ならば、その沈黙を利用して己の状況を強化するべきである。

神威也(なり)ッ!」今一度、声を上げる。

 振り上げた大太刀の刀身に陽光が煌めくことはない。それは、天霊の神々の無条件の肯定ではないことを示すのかも知れないが、アリアベルにとってそれは重要なことではなかった。

 大御巫の言葉に将兵達が意味を成さない蛮声を張り上げた。

 声は津波となって小高い丘を駆け降り、大御巫の武威を示す。実情が違うとしてもそれを大多数が認めてしまえば真実に取って代わるのだ。


「突撃します! 続きなさい!」


 二二万を超える将兵の蛮声。

 征伐軍が北部中央エルゼリア侯爵領に進軍を開始した瞬間であった。







「ど、ど、ど、如何しようか?」

 動揺するエルゼリア侯に、トウカは敬礼を以て応じる。

 実はですね、という一発逆転の策を出してくれることを期待している視線が周囲からは突き刺さっているが、トウカとしては迷惑以外の何ものでもない。そう した一発逆転や乾坤一擲を意図した作戦というのは得てして無理があって瓦解するのが相場である。あの第一次真珠湾空襲でさえ本来の目的は達成できておら ず、そもそも国力に“倍”程度の開きしかなかった米帝相手に開戦初頭から博打を打つ必要はなかった。大日連には《独逸第三帝国》という朋友が存在したの だ。戦力比では決して劣勢ではない。

 トウカは咳払いをすると、仕方なく説明を始める。

「勝利の定義に変更がないならば、恐らくは勝てるでしょう」トウカは椅子に一層深く腰掛けて呟く。

 勝利の定義。即ち、大御巫の殺害と陸海軍との講和。

 トウカとしては征伐軍と中央貴族を殺し合わせるという思惑を胸に抱いていたが、最早、時間はない。こうも早くに征伐軍が軍事行動を起こしたのは、東部貴族の一部を抱き込む姿勢をマリアベルがエルシア占領で見せてしまっあからであり、状況は悪化の一途を辿っている。

 だが、征伐軍の政治的象徴であるアリアベルの戦死は征伐軍の瓦解を意味する。

 政治的大義を失えば、征伐軍は陸海軍と領邦軍、傭兵の集団に過ぎず、それは最早叛乱軍と言えた。それ以降の継戦は政府や中央貴族から見ても叛乱と取れな くもなく、その辺りを突いて孤立させる構えを見せれば講和は難しくない。寧ろ北部貴族全体が陸海軍の政治的後ろ盾となり好意的中立を堅持させる方向で纏め るという作戦方針が示されていた。渋る貴族は陣営の区別なく攻め滅ぼす事も辞さない。

 陸海軍が中立となれば中央貴族は其方への警戒にも戦力を割かねばならず、二正面戦闘を恐れて武力行使を躊躇することになる。

 陸海軍も弾火薬や兵器の少なくない数がフェルゼンで生産されていることを踏まえ、その売却面で譲歩すれば北部貴族寄りの中立となるはずであり、Ⅳ型中戦 車や〈剣聖ヴァルトハイム〉型戦艦などの兵器にも大きな興味を持っていることは疑いない。特に航空騎の運用技術は何としても手に入れたいと考えているはず である。交渉の余地は十二分に存在する。

「しかし、それには皆様方の協力が必要です」

 トウカの言葉に、集まった北部貴族の間から溜息が漏れる。

 この場にいる北部貴族は二〇名ほど。北部地域の中でも中央に領地を持つ貴族であった。

「敵の進路は本来の予想通り、このエルゼリア侯爵領を目指して最短距離を選び続けています。しかも、軍を密集させていることから、矢の如く北部に楔を打ち込もうとしていることが予想されます」

「ならば側面を突いて輜重線を崩壊させ、停滞させることは可能ではないか?」

 政務卿であるタルヴェティエ侯の言葉にトウカは首を振る。

 そう考えたのは参謀本部も同様であり、総司令部もその意見を受け入れて偵察騎を投入したが輜重部隊には十分な直掩騎と防空部隊が同行していた為に航空攻撃は難しい。滑雪(スキー)兵や軍狼兵による浸透攻撃も護衛部隊が十分に配置されている為、思うような効果を上げないことは疑いないと中止された。

 予想されていたことなので総司令部や参謀本部は動揺しないが、北部中央の貴族は知っていても暗澹たる雰囲気となるのは致し方ないことである。トウカですら同情したのだ。

「皆様には避難の準備を御願い致します」

「領民を見捨てて、か?」

 タルヴェティエ侯の言葉に、トウカは言葉に詰まる……振りをする。

 彼らは貴族。権利を与えられ、義務を行使する者。貴(等と)き(やから)である。

 そう、この場に集まっている北部中央の貴族には、その親類などの総てを率いてエルゼリア侯爵領にまで撤退する予定なのだ。

 当初、これには撤退する北部中央の貴族が大きな反対の構えを見せた。

 彼らは統治者としての権利と義務を佳く理解しており、トウカの知る貴族の腐敗とは無縁に近く、資金を貯め込むことも無ければ無用の税を課す真似もしな い。その上、北部貴族は資産運用の多くを北部貴族内で共有しており、互いの無駄の削減や足りない部分での支援を行っていた為、トウカはその資産運用を知る ことができた。

 彼らは義務を十全に果たしている。

 その上で、領民を一時的とはいえ見捨てるという決断をしなければならない彼らは同情に値する存在であった。

「皆様方が軍事面での統合を疎かにした結果の末路かと。……尤も、それが叶っていても彼我の戦力差は絶望的であったでしょうが」

 端的な結論を口にするトウカに恨めし気な視線を向ける一部の貴族。

 こうなると理解していたからこそ参謀総長であるトウカがこの場で説明に立っているのだ。マリアベルであれば隔意も露わに嚙み付いてくる貴族がいるであろ うことは疑いなく、ベルセリカは前線で壮絶な機動防御と遅滞防御が展開されている都合上、総司令部から離れる訳にはいかない。

 だからこそ、トウカなのだ。

「皆様方が此処で敵と交戦し命を散らすことになれば、この内戦の終結後に訪れるであろう混乱を抑える者がいなくなり領地は荒れるでしょう。それは望むところではないかと。それに、征伐軍は国体護持の大義の下で闘争を続けており、民間人に対する配慮は最大限に行っています」

 双方共に民間人への被害は最小限に留まるように配慮していた。戦後統治が厳しくなるという征伐軍の思惑と、国内でのこれ以上の孤立は好ましくないという 北部統合軍の思惑が重なり合った結果である。空襲ですら市街地への積極的な攻撃を避けていた以上、占領した人口密集地で略奪や強姦を働くとは考え難く、現 在の進路も都市を避けて進撃している節がある。

 無論、感情と理性は別である。

 貴族達も無能ではなく、それが最善であり勝利できるのであれば協力すべきだと理解しているのだ。

「止むを得ぬことは理解している……」

 ダルヴェティエ侯の言葉に、トウカは沈黙する。

 貴族の苦悩などトウカには推し量れない。彼らは貴族であることに誇りを持ち、義務を果たしていた。評価することはその部分だけであり、貴族として生きた こともないトウカ自身に、その苦労や苦悩などを察しているなどと口にするなど烏滸がましいにも程があることは理解している。

「勝てばよいのです。いえ、負けても処刑されるのはヴェルテンベルク伯とエルゼリア侯だけでしょう。これ以上の北部の混乱は帝国に付け入る隙を与えかねません。ちなみに小官は厚かましく高待遇を要求する心算です」

 トウカは薄く笑みを零す。

 無理ならベルセリカとミユキ、マリアベルを引き連れて神州国にでも亡命すると匂わせればいい。無論、兵器の設計図や一部の艦艇も共に、である。

 エルゼリア侯は顔を真っ青にしているが、ダルヴェティエ侯は溜息を一つ。

 帝国の脅威を叫べば、大御巫も北部の混乱を最小限に止める為に隷属は求めても、一族の処刑や法外な賠償金を降伏内容に盛り込むことはないはずであった。それを理解したがゆえの溜息であろう。

 トウカとしては、彼らをここで激発させたくはなかった。

 北部統合軍という大層な看板を持った連合軍であるが、実際のところ領邦軍と領主である各々の貴族との繋がりが切れている訳ではない。この場の貴族が領地に戻って徹底抗戦すると叫べば、その領地の領邦軍であった北部統合軍の部隊が離脱しかねない。

 そうなれば北部統合軍の権威は喪われる。

 維持する為の懲罰動議と出兵など、今の北部統合軍には発動している時間も兵力もない。

 最悪、卑怯なる征伐軍による暗殺という筋書きの演出も有り得る。

 しかし、そうはならなかった。

「皆の衆、宜しいですな? 己と領地だけを護っていればよい時代は終わったのだ。我らは北部と……皇国の為の最善を選ばねばならない……」

 立ち上がったダルヴェティエ侯の言葉に、貴族達が苦悶の表情と共に頷く。

 机を静かに叩く音と啜り泣く音が続くが、トウカは黙って敬礼するだけに留める。

 貴族としての義務を果たした彼らの決断は尊ぶべきものであり、退出を始めた北部中央の貴族達をトウカは無言で見送る。

「御二人は職務に戻られないので?」

 方や北部統合軍最高指導者、方や北部統合軍政務卿。共に要職でありこの戦時下に在って決して時間に余裕のある人物ではない。

「まぁ、苦労をさせているようだからな。一言文句でも言ってやらねば気が済まん」

 むすっ、として腕を組む顎髭を蓄えたダルヴェティエ侯に、トウカは苦笑するしかない。恐らくは、この場にトウカが来た理由や思惑など全て見通しているのに違いなかった。その程度のことができなければ政務卿に推挙されることなどなかった。

「……ちなみに僕は腰が抜けて動けないだけだからね」

 脂汗を顔にびっしりと滴らせたエルゼリア侯の引き攣った笑み。

 臆病の皮を被った好奇心、とマリアベルはエルゼリア侯の事を評していたが、この姿を見れば好奇心の皮を被った臆病と訂正するかも知れない程の脂汗であり、トウカとダルヴェティエ侯は顔を見合わせて失笑を零す。

 エルゼリア侯の言葉に和らいだ雰囲気。

 或いはこうした要素を持ち合わせているからこそ、エルゼリア侯という威を持たない指導者の下で北部統合軍は纏まっているかも知れない。

 気を取り直し、トウカは空いた席に腰を下ろす。

 エルゼリア侯は上座であり、トウカは机を挟んでダルヴェティエ侯と正面から向き合う形となる。既に公式の会議ではなくダルヴェティエ侯は葉巻を口にして 寛いでいた。北部貴族は精神的重圧が大きい為か、煙草か酒類に依存する傾向があるという噂は検証に値するのかも知れない。

「ふん……まぁ、憎まれ役は十分に果たしておるようだな」

「勝てば尊崇と畏敬に変わるでしょう」

 ダルヴェティエ侯の言葉にトウカは重ねて苦笑する。

 勝てば多くが解決する。だからこそ人は争い、勝利しようとするのだ。

 乾坤一擲の軍事作戦。

 大御巫の殺害。

 御誂(おあつら)え向きに、アリアベルは勇敢に前線指揮を執っているとのことで誘引は難しくない。

 ――まぁ、前線に立つだけの理由ができては、な。本来ならば殺すのは不確定要素も多いが……そうと言わねば貴族の士気を保てない。

「そうだろう? レオンディーネ」

 トウカは視線を投げ掛けることもなく、背後へと訊ねる。

 流れるような銀糸の長髪に、短い耳と銀色の侍従武官飾緒の様な尻尾。そして、上向いた眉に凛冽な意思を宿した瞳に流麗な顔立ちの少女。


 レオンディーネ・ディタ・フォン・ケーニヒス=ティーゲル。


 ケーニヒス=ティーゲル公爵に連なる血縁にして一人娘であるレオンディーネは、その役割を十分に果たしていた。生贄の姫君という役割を。

 大御巫であるアリアベルが前線指揮を執り易い様に、或いは執らざるを得ないように参謀本部は手を打ち続け、情報部もそうした風潮が好まれる様な世論が形成されるように工作を続けていた。

 アリアベルの求心力低下は度重なる戦闘による敗北によるものであるが、それ以外の情報工作による誹謗中傷も少なからず影響している。

 マリアベルとアリアベルが姉妹であることは広く知られている。

 だからこそトウカはその対決の構図を煽り、現時点でマリアベルが優勢であると印象付ける世論を醸成。あくまでも内戦が個人の闘争の延長線上であり、アリアベルの野心と劣等感によるものであると風潮される様に仕向けた。当人は激怒していることだろう。

 フェルゼン空襲が行われた際も、トウカは〈ゾルンホーフェン〉の艦上で既にそれを利用しての情報攻勢を仕掛けていた。

『余りに勇敢だったので、成す儘に赦してやったのだ』世界で初めて編成された一〇〇〇を超える規模の航空軍団を前にして、マリアベルはそう嘯いた。

 という逸話と台詞を作り流布させた。実際は、大声で兵器工廠の消火指揮を執っていただけなのだが、真実は多数派の形成によって真実となる。戦中に於いて真実であるか否かなど然したる意味はなく、それに対する追及は戦後の法律と歴史家に任せればいいことであった。

 そんな言葉と共に合わせるように空襲の被害が軽微であることと、〈特設航空軍団〉が半数以上の撃墜騎を出して”撤退”したことを大々的に報道した。〈特 設航空軍団〉が半数程の撃墜騎を出したという”低め”の数字は現場から嫌でも周囲に伝わり、実際の七割以上の未帰還騎の数と照らし合わせて現実性を高めて くれることは疑いない。受け取り方によっては、北部統合軍が征伐軍を買い被っているという風潮まで出てくる可能性があり、士気が更に低下することもあり得 る。

 兵力は征伐軍が勝っているが、練度と兵器性能で北部統合軍が優勢であるという印象を深く浸透させる為であり、それは現在のところ成功していた。例え、勝 利しても容易く服従させられる集団ではない上、強力な兵器の生産設備と反骨精神に溢れた領民、そうした情報も流布させている。大凡が事実であるが故に、征 伐軍は戦後に対しても気が重いことは疑いない。

 露骨な宣伝戦ではなく、静かに、だが確実にそうした風潮や世論が形成される手段をトウカは選択した。下手に大御巫が失脚して軍事的、政治的才覚のある人 間が指導者となる可能性への懸念もあるが、それ以上に陸海軍府の長官が征伐軍の指導者となった場合、政府が迎合すれば明確に国軍と叛乱勢力という構図が出 来上がってしまう。それだけは避けねばならない。内戦の定義を明確化することは好ましくない。曖昧なままに風潮による優勢の錯覚こそが現時点では好ましい のだ。

 そして、マリアベルとエルゼリア侯がエルゼリア侯爵領にいるとなれば打って出る理由としては十分である。その上、レオンディーネがこの場にいることも流布しており、捕らわれた盟友を救うという大義名分までアリアベルには用意した。

 極論を言えば、独裁者とは人気商売である。

 支持者の疑念を払拭する為にはあらゆる手段を講じなければ、遠くない将来には断頭台が待っている。独裁者は民衆と断頭台に板挟みの職業なのだ。無論、こ れは極論であるが戦局が傾けば失脚の可能性もあり、後々に付け入られる要素ともなり得る以上、万難を排して排除しようとするはずである。

 トウカは両手を広げて嗤う。禍々しくも楽しげに。

「士気の低下した征伐軍を奮い立たせる為に先陣を切る大御巫……さぞ、絵になるでしょう」

 宗教画として後世に描かれることすら有り得るなぁ、とダルヴェティエ侯も葉巻を吹かせながら皮肉げに頬を歪める。アリアベルは士気の低下による征伐軍の崩壊と叛乱に怯えながら前線指揮を執っているはずであった。

 政治闘争の権化。

 そう評されることもあるダルヴェティエ侯は、トウカを高く評価している。無論、逆もまた然り。

 情報を操り、世論や風潮を自身に有利となる様に静かに、ゆっくりと不可視の侵略をすることを得意としているダルヴェティエ侯の“影の戦功”はマリアベル から聞き及んでいた。北部が皇国内で孤立していながらも周辺諸国と交易を続けられているのは、ダルヴェティエ侯が何百年も前より手を打ち続けていたからに 他ならない。

 ――恐らくは独自の諜報網を持っているな。しかも、ヴェルテンベルク領邦軍とは違い、領邦軍管轄ではなく完全な“影”として。

 存在するかどうかも分からない“影”。

 北部統合軍参謀本部は、恐らくは存在するであろう諜報組織を指揮系統に組み込みたいと考えていたが、存在の有無すらわからず軍ですらないであろうそれに 対して指揮下に加われと言うことなど出来ない。ダルヴェティエ侯もその存在を認めないであろうことは容易に想像できた。現に軍務卿となったマリアベルが一 番に行ったのは、ダルヴェティエ侯の諜報組織を指揮下に寄越せという催促であったが、当の本人は髭を撫で付けながら知らぬ存ぜぬを決め込んだ。

 実際のところ、アリアベルはマリアベルに対して敵愾心を抱いている訳ではなく、寧ろ北部貴族に脅されているのだとして助けようという姿勢を取っている。 トウカの敵愾心を煽るというのは見当外れであるのだが、二人はそれを知らない。結果として征伐軍の士気低下とレオンディーネの立場こそが最大の要因であ り、参謀本部や情報部の努力は意外と報われておらず、戦後に溜息を吐くことになるのであるがそれは先の話。

「腐っておる。武人とは思えん奴じゃ」

「俺は戦争屋だ。殺したり殺されたりすることが仕事であり、誇りの為に将兵に無駄な血を流させることが仕事ではない。一人でも多くの友軍を活かす為、友軍に効率的に死んで貰う様に演出する訳だ。素敵じゃないか、ええ?」

 恨めしげな視線のレオンディーネの手を取り、引き寄せて椅子に座らせるとトウカは凶相で言い切った。

 これからの戦場は武勇や戦技ではなく、高度な統制と指揮系統、火力に物量が支配するものとなるだろう。否、トウカがそうさせるのだ。

 先駆者として、トウカの名は轟くことになるだろう。

 幾多の軍事組織がその運用思想と新時代の戦争形態の解を求めて自身を欲するのだ。

 心躍らないはずがない。神州日本男児たるの本懐ですらある。

 高揚する胸中を隠さず、禍々しい狂面を其の儘にトウカは言葉を続ける。些か饒舌になってしまっているとは自覚しているが、既にこの内戦は終結に向かって胎動を始めている。
トウカの描いた軌条(レール)に従って。

 トウカの説明に聞き入るダルヴェティエ侯とレオンディーネ。エルゼリア侯は腰を擦っている。北部の風は老骨に染みるのだろう。

「まぁ、ヴェルテンベルク伯爵旗が此処に翻ってはいても本人はいない訳で――」

「トウカ! もう我慢の限界よ!」

 簡素な造りの木製扉を押し開けて、傾いた格好の女性が怒気も露わにトウカに詰め寄る。

 格好はマリアベル……であるが、実際はリシアであった。

 マリアベルの影武者としてこのエルゼリア侯爵領で服装を真似て暴虐不尽に振る舞うリシアはその任務を十全に果たしていた。元より顔立ちも近いものがあり、双方共に髪は紫苑色である為にかなり近づかねば見分けは付かない。

 ――背と乳が足りないな。哀れな。

 リシアへと無遠慮な視線を向けるトウカ。

 その視線の意図に気付いたリシアの右手が一閃する。

 古い造りの家財で統一された落ち着いた基調の一室に、小さな破裂音が響く。

 平手打ちを受けたトウカは曖昧な笑みを浮かべたままに、リシアの手を取り着席を促す。右にレオンディーネ、左にリシアを座らせたトウカは両手に危険物と いう有様で、ダルヴェティエ侯は机を野太い右手でばしばしと叩いて呵々大笑し、エルゼリア侯は卓上を引っ掻いて笑いを必死に噛み殺している。どちらにせよ 机が不憫であった。無論、一番不憫なのが自身であるとトウカは自負しているが。

 隣で含み笑いのレオンディーネの尻尾を引っ張って黙らせたトウカ。

「そうした行為は軍の統制上好ましくないが……」

「女性の身体を不躾に眺め回し後に憐みの顔をした男を引っ叩くのはね、オンナの特権なの。それが軍権以前の男女の営みよ」

 苦言を呈したトウカに、よく理解して?と言い返したリシア。

 再び部屋に笑声が響く。

「それより聞きなさい! 私の格好を見て〈装甲教導師団(パンツァーレーア)〉の兵士が貴方みたいな顔をするのよ! ザムエルが甘やかすからねッ!」

「残念だからな」

 嫌味を籠めた一言に、再びリシアの平手が一閃する。無論、右手で受け止める。

 しかし、突然、右から軍服を引っ張られて体勢を崩し、その隙にもう一方の手でトウカの腹部に拳を叩き込むリシア。右を向けばレオンディーネが全力で顔を逸らしている。相反する胸囲であるにも関わらず連携するとは、トウカも予想すらしていなかった。

 腹部を擦りながら、トウカは今後の顛末を思い再び苦笑する。

  時を同じくして、前線では熾烈な後退戦が始まろうとしていた。

 

 

 

 

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