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第一二八話    最良の行動




「奴ら、もう勝った心算のようですね、姉上」

「らしいな、ならば教育してやらねばならん」

 アンゼリカの言葉に、ベルセリカは猛々しい笑みを浮かべる。

 北部統合軍主力を直接指揮するベルセリカの任務は、一重に征伐軍主力の陣容に穴を開けてこれを突破し後方を脅かすことにある。無論、征伐軍主力を突破するなど容易なことではなく、一部の部隊が突破に失敗して包囲殲滅の憂き目を見る可能性もあった。

 だが、トウカは正面切って戦う必要はないと口にして、基本方針を同行している総司令部や参謀本部に与えていた。

 一翼突破。

 強固な敵戦線の端を集中攻撃して突破、敵後方に回り込む作戦のことであり、それを努めるのは〈装甲教導師団(パンツァーレーア)〉を中心として装虎兵や自走砲などを集中配置した〈集成打撃師団〉である。皇国陸軍軍編成基準によるところの重師団規模の部隊であった。

 一翼突破は、有名なところでは砂漠の狐ことエルヴィン・ヨハネス・オイゲン・ロンメルが、阿弗利加(アフリカ)大陸を巡る戦いで得意としたという戦術であるが、ベルセリカはそれを知らなかった。

 内容としては単純なもので、強固な敵戦線の端を集中攻撃して突破。敵後方に回り込む作戦でしかなく、トウカはそれを確実に成功させる為、正面にベルセリ カ隷下の三個軍狼兵聯隊と三個歩兵師団を主力とした一軍を征伐軍正面に展開させて敵主力を誘引させる心算であった。これにより作戦の成功率は大幅に向上す るはずである。

 司令部から最も距離が離れる戦線の翼端は連絡も増援の到着にも時間が掛かる事が多いという欠点があり、最も脆弱な場所でこれを集中攻撃することで突破を 容易にすることができる。北部統合軍の師団以上の部隊の場合は、大規模な魔導通信設備が充実しており、通信能力に優れている事から弱点を補いつつも攻撃能 力が強化されているに等しい。

 対抗策は一般に翼端を下げることで翼を閉塞し、戦線に厚みを持たせると同時に後方に高度な独自裁量権を持つ有力な装甲部隊を配置して機動防禦に備えるというのが一般的と、トウカより聞いていた。

だが、それをベルセリカが中央に陣取ることで、今作戦では有力な予備戦力を征伐軍に早期投入させることで対応している。折しも征伐軍の兵站線は各所で断線し、敵は決戦を急がねばならない状況にある。予備戦力の早期投入は容易に決断するだろう。

 機動防禦は叶わず、その戦闘教義(ドクトリン)が成立しているのは北部統合軍だけである。その上、装虎兵や軍狼兵までが中央に位置するベルセリカ隷下の正面に誘引されている以上、それを止め得る手段はないように思えた。

「正面より迎え撃つ! 防禦陣地を引き払う故、準備をしておくがよい!」

「姉上、我々の主力は歩兵です。何時ものように軍狼兵だけでの突撃とはいきません」

 アンゼリカの忠告に、ベルセリカは「某を一体誰と心得ておる」とその頭に拳骨を落とす。

 ベルセリカが皇国騎士として戦っていた頃は、軍狼兵という兵科は魔導技術の発展期を迎えたばかりであった。長時間に渡り兵士が跨乗し続けることが可能な 様に重量を分散する術式や魔術的に軽量化した甲冑も実戦配備されていなかった為、長時間の移動や戦闘に軍狼が耐えられないと判断されていた。そうした理由 もあり、嘗ての軍狼兵は跨乗するのではなく徒歩で共に移動することを基本としていた。

 つまり、ベルセリカは軍狼兵としてよりも歩兵として、騎士としての実戦経験の方が豊富なのだ。

 故に無用の心配である。

 銃火器の配備によって散兵戦術が主体になり変わり密集陣形の時代が終わりつつあるとは言え、皇国軍の軍装は防禦術式によって高い防弾性を有している為、小銃弾が決定打とならない事も少なくない。故に皇軍相撃である以上、近接戦闘になることが自明の理であった。

「敵、正面より迫る! 大攻勢!」

 伝令の言葉にベルセリカは「来たか」と笑う。

 大規模攻勢。

 双眼鏡を手に見てみれば装虎兵や軍狼兵を先鋒とした戦力と、それに続く歩兵部隊を防護するために魔導障壁を展開する魔導士部隊が進軍を開始していた。歩 兵部隊は魔導士部隊の魔導障壁を頼りとする為に密集しているが、砲兵戦力の枯渇している北部統合軍主力にそれを正面から打ち破ることは不可能である。

「射程に入り次第、突撃破砕射撃を実施するがよい」

 突撃破砕射撃とは歩兵部隊が防禦において敵の突撃を破砕する為の戦法である。文字通りの最終手段であり、この戦法で敵の突撃の意図を挫けなかった場合は銃剣や刀剣を用いての白兵戦が行われる。

「各部隊は重迫(重迫撃砲)と軽迫(軽迫撃砲)、重機(重機関銃)の用意を。射耗し尽くして構わない!」

 ベルセリカの言葉を捕捉するようにアンゼリカが続く。 

 既に射程内に近づきつつある征伐軍主力であるが、その突撃陣形は皇国陸軍の基本的なもので、高い練度を窺わせる。同数の諸国の軍勢であれば確実に優勢を 維持できるであろう征伐軍だが、あらゆる奇想戦術と奇天烈兵器を運用する北部統合軍を相手に戦うとなればどうなるか。それは双方の将兵ですら想像の付かな いことであった。

 突撃態勢を見せる征伐軍主力に対して鉄条網や塹壕の多くは繰り返しての砲撃にその機能を成しておらず、その上、そこに木板や丸太などを掛けることで征伐軍は無力化する構えを見せた。征伐軍も学習能力がない訳ではなく、次々と対抗措置を講じている。

「各迫撃砲部隊は射耗次第、後退し。鉄道を利用して戦線を離脱せよ」

「閣下、近接航空支援です。数は一五〇……〈第一航空艦隊『ヘリヨライ』〉です!」

 その言葉に振り向けば、上空にまばらな黒点が幾つも姿を現す。 

 征伐軍主力の突撃は既に始まり、混戦となれば誤爆の危険性がある為にこれが最後の近接航空支援となることは疑いない。制空権を確保しているとは言え、魔導障壁や対空砲火という障害や連日の戦闘で損耗した騎体や疲労もある為に無理はさせられない。

 ベルセリカの懸念を察したのか首席参謀のアルバーエル少将は補足する。

「〈第一航空艦隊『ヘリヨライ』〉は空襲を終え次第、フェルゼンへと帰還し、休息と再編成を行う予定です」

「ならば佳い」

 ベルセリカは双眼鏡をアルバーエル少将に手渡し、佩刀していた大太刀を抜き放つ。

 そして、大規模な戦闘が始まる。

 僅かに残った砲弾を、僅かに展開し続けている健在な砲兵が次々と撃ち放つ。目標は敵の戦闘序列後方である。

 面制圧も同然の征伐軍主力の突撃に対し、僅かな数の友軍砲兵隊の砲撃は初弾から効力射を叩き出すが、それは魔導障壁によって弾かれることになり、立て続けに行われる砲撃もその密度の薄さから魔導障壁を粉砕するには至らない。

 続けて重迫撃砲や軽迫撃砲が空気の圧搾音のような音を立てて迫撃砲弾を打ち上げ、対戦車砲などが次々と火を噴く。

 迫撃砲弾は曲射弾道を描いて、魔導障壁に次々と突き刺さり炸裂する。

 魔導障壁はその防護する戦力の規模の大きさから主に榴弾対策として部隊前方の上空に展開するが、迫撃砲弾は大きく湾曲した曲射弾道を描き垂直に近い角度で着弾することもでき、遮蔽物などによって防禦された目標に対して直上から攻撃できるという利点があった。

 しかし、迫撃砲の攻撃を察した征伐軍主力は直上にも魔導障壁を展開する。

 防禦は一般に正面を優先することが多い為、上方への攻撃は効果が高い。また、砲弾の落下角度が垂直に近いほどに弾殻の破片が効率良く飛散するため殺傷効 果も高いのだが、精鋭とされる皇国陸軍〈中央軍集団〉を基幹戦力としているだけあり、突発事態に対する即応などに優れていた。

 無論、征伐軍も一方的に攻撃を受け続けることはなく、展開した砲兵隊や砲撃型魔導士による砲撃が友軍の戦列へと降り注ぐ。散兵戦術が基本となり、広域展開によって被弾時の被害は低減される傾向にあるが、逆に分散は魔導士による魔導障壁支援を困難として戦闘単位(ユニット)毎の防禦力を著しく低下させた。兵士の防禦力を捨てて全体の被害拡大を低減するという戦術思想は、トウカの北部到来によって一層の深化を見せていた。

 狂おしいまでの砲弾の応酬。

 人肉が舞い上がり、効力射で吹き飛ばされた野砲の砲身が雪原に刺さる。塹壕に備蓄していた迫撃砲弾が誘爆し、その炎が兵士の気管を焼いて声も出すことすら許さずに物言わぬ亡骸へと変えた。

 敵魔導士部隊はこれに拘束されつつある。防禦に劣る砲兵や迫撃砲の防護を優先しているのだ。

 突破破砕射撃は狙って射撃するのではなく、敵を発見、或いはその方角に気配がしたら徹底的に大量の銃弾と砲弾を撃ち込んで、その方角にいる可能性がある敵兵が確実に死亡するだけの火力を投じることで確率的に敵を撃破することを基本としている。

 塹壕という防禦陣地から攻撃している北部統合軍が損害比率の面では優勢であるものの、その兵力の総数に於いて三倍近い征伐軍の突撃は目前まで迫っている。その上、装甲部隊と装虎兵は別行動であった。

「機関銃各個射撃開始! 投入可能な火力を全て投じよ!」

 ベルセリカの指示により、人間種の目にも明確にその人型(シルエット)を識別できるであろう距離で重機関銃と軽機関銃の射撃が始まる。

 野砲や迫撃砲、砲撃型魔術とは比較にならない程の速射性を示す様に、唸り声を上げた断続的な重低音と軽快な射撃音の合唱が響き渡る。時折、魔導射撃による圧搾音の様な射撃音も聞き取れた。

 それに合わせて征伐軍主力の前衛を努めていた装虎兵が集中射撃を受けて斃れ、後続の歩兵も次々と血飛沫を上げて雪原を朱に染めた。

「総員、銃剣を装備! 及び抜刀! 白兵戦用意っ!」

 ベルセリカは手にした大太刀を振り払う。

 征伐軍の突撃。

 彼我の戦力差は三倍。

 戦線を形成する為に両翼に長く伸びた両軍であるが故に、中央も両翼も塹壕線を形成しているとはいえ、跳ね返すだけの火力集中は難しい。

 本来であればその突撃の前に北部統合軍主力は蹂躙されるはずである。

 しかし、そうはならない。

「征伐軍右翼、崩れる! ヴァレンシュタイン将軍の〈集成打撃師団〉による攻撃と思われる!」

 伝令兵の言葉に、ベルセリカは鷹揚に頷く。

 トウカが予定した通りの状況の推移にある種の恐ろしさを感じるベルセリカ。

 実際のところ、トウカからすると防戦一方の敵が最終防衛線まで押し込まれて逆撃を加えてくることはないという先入観と、征伐軍が短期決戦を意図していることから戦力を一点集中しての突破を行うとの判断から、側面の警戒が疎かになると踏んでの一翼突破に過ぎない。

 征伐軍右翼は森林地帯の木々を薙ぎ倒して次々と現れる戦車と装虎兵の集団に大きく動揺している。

 南方の森林地帯は戦車などの車輛や大部隊が通れないはずの地形であり、敵の攻撃発起地点となるなど予想だにしていなかっただろう。そう思わせる為に南方 の森林地帯には偵察騎を飛ばさず、軍狼兵による威力偵察すら行っていなかった。北部統合軍は征伐軍に重視する地点ではないと錯覚させのだ。

 歯の付いた回転円盤を水平並列に二つ装備したものを機械腕(アーム)の先端に装備……収束伐採機を装備したⅣ号中戦車の後に、排土板(ドーザーブレード)を装備したⅣ号中戦車が続く光景。征伐軍だけでなく北部統合軍の将兵ですら唖然とするものであった。

 一輛目の収束伐採機を装備したⅣ号中戦車が、次々と数本の伐採済み樹木を丸ごと抱えたまま、新しい木を抱いて根元から切断して横へと薙ぎ倒す。二輌目の排土板(ドーザーブレード)を装備した戦車がその鋭い先端で根元を抉り返す様に左右へと寄り分けで行くことで、後続の行軍路を確保する。その姿を思い浮かべ、ベルセリカは機械がこれからの戦争を左右するのだと一抹の寂寥感を感じた。

「頃合いか……総員、躍進距離五〇〇! 突撃用意!」

 寂寥感を振り払い、ベルセリカは大太刀を天へと突き上げる。

 目標は軍狼兵による中央への一点突破による強襲で、アリアベルを殺害することにある。無論、敵両翼を拘束する為に友軍の三個歩兵師団による両翼への甚大な被害を覚悟した上の攻勢も行わねばならない。

 闘争である。

 迫撃砲などの重量物をその場に打ち捨てた将兵は、銃剣付小銃や曲剣(サーベル)戦斧(バルハード)などを手にして塹壕より飛び出す構えを見せる。唯一、重機関銃や軽機関銃を扱う者だけが突撃を支援する為に塹壕に残留し、遅れて突撃することになる予定であった。

 大太刀が僅かに覗いた曙光を受けて煌めく。

 ベルセリカは大きく息を吸う。

 そして張り裂けんばかりの大号令を以て命ずる。

「全軍、突撃にぃ! 移れぃッ!!」

 英雄の時代は未だ終わらない。








「貴方が指揮しても敵わないということですか?」

「面目次第も御座いません、大御巫。剣聖ベルセリカ・ヴァルトハイムを……いえ、サクラギ・トウカを甘く見ていたということでしょう」

 アリアベルの言葉にファーレンハイトが謝罪する。

 無論、アリアベルも非難しているわけではなく、ファーレンハイトという陸軍の英傑が敗北したという事実が、勝ちきれないという事実が征伐軍将兵にどれ程 の影響を齎すか危惧したからである。専門家ではない宗教的象徴に過ぎないアリアベルの敗北ですら大きな影響を齎した以上、専門家であり陸軍の英雄である ファーレンハイトの敗北は、それを上回る影響を与えるのではないかという懸念は至極当然のものであった。

 兵数に於いては未だ優勢であるが、左翼を敵装甲部隊と装虎兵部隊に奇襲され、その指揮統制の乱れを突くように躍進してきた剣聖ベルセリカ・ヴァルトハイムが中央を師団規模で強襲突撃しつつある現状となった。

 エルゼリア侯爵邸として運用されている城郭に押し込まれれば逃げ道はなく包囲されることになる。無論、兵力の上では優勢であるが用兵で遅れを取ったという事実が征伐軍の士気を下げた。

 航空騎による索敵の(ことごと)くを要撃で阻止される以上、征伐軍は咄嗟の奇襲に対応できないでいたのだ。

「我が軍の右翼を攻撃発起地点として、城郭に突入するしかないようですね」

「見たところ城郭内に展開している敵の兵力はそう多くありませんが……間違いなく誘いかと」

 アリアベルの言葉に、ファーレンハイトが苦々しい顔をする。

 大規模な会戦であり、皇国始まって以来の大規模な火力戦と運動戦が展開されている。両翼が攻撃を受けているとはいえ、広域戦線であることには違いなく司令部として運用されている指揮車輛には遠方より雷鳴のように砲声が響いた。

「装甲部隊の突撃を無理に押し留めては甚大な被害が出る。作戦参謀、予想される被害は?」

 ファーレンハイトの問いに、些か疲れた面持ちの作戦参謀が答える。

「推定で一個師団近い死傷者、負傷者はその倍以上かと……しかし、それでも突破されかねません。あの忌々しい鋼鉄の野獣は、歩兵を轢き殺しながら一直線に此処を目指しています」

 主力だけでなく予備戦力も前線に投じて短期決戦を意図したが、有り得ない方角から装甲部隊を主力とした打撃戦力が一翼を突き、その混乱に対処するべく動けば、もう一方の一翼を、塹壕を放棄したベルセリカ隷下の部隊に突き崩されつつある。

 甚大なる被害も問題であるが、適正とされる防禦行動を取ったとしても、突破されるであろうという事実が問題であった。

 ――轢殺……私の下に集った者達が斯様に無残な死に方を……

 戦争は何処までも残虐を求め続ける。

 装虎兵や軍狼兵の咢に噛み砕かれるという悲惨な死に方は以前より存在したが、空襲による航空爆弾は無差別に……民間人すらも区別せずに焼死させ、戦車は重量で歩兵を雪原に敷かれる鮮血の絨毯の材料とした。

 サクラギ・トウカは戦争に恐ろしいまでの多様性を齎した。

 そして、それはこれからも続くだろう。

 止めなければならない。この内戦を決意し、真に火蓋を切った当事者として。

「城郭に対して予備兵力の二個師団を以て右翼から躍進するしかなさそうですな。それ以外の戦力は後続しつつ、城郭への攻撃を行う二個師団の背後を護る……これを基本作戦とする。敵司令部を先に陥落させよ」

「小官は直ぐに作戦を立案いたします」

 敬礼する作戦参謀だが、ファーレンハイトは時間を惜しんだ。

「時間が無かろう。疾く実行……否、二個師団は〈第三四歩兵師団『ノインキルヒェン』〉と〈第三六歩兵師団『ヴィットリヒ』〉を充てて進撃を開始。他は城郭を目標に後衛戦闘を始めよ」

 つまり、攻撃発起地点へ二個師団を進撃させながら城郭の攻略作戦を立案させようというのだ。時間のない現状では妥当な判断と言える。敵司令部が陥落すれば、エルゼリア侯やマリアベル、トウカを喪えば、敵は継戦を断念する……はずである。

 しかし、状況はそれを簡単に許すことはなかった。

「伝令ッ! 剣聖殿を陣頭とした一個中隊規模の軍狼兵が接近しつつあり!!」

 指揮車輛へと飛び込んできた通信士の報告に、ファーレンハイトが立て掛けてあった戦斧を手に取り、その石突きで床を付く。

 それを合図に、司令部の中でも古参とも言えるファーレンハイトと親しい将校がそれぞれの得物を手に姿勢を正す。その顔触れは初老に差し掛かる者ばかりであり、ファーレンハイトが共に戦野を駆け抜けた戦友達でもある。

「大御巫よ……貴女は往かれるが良い。詳細は参謀達に」

「指揮官が総指揮を放棄すると?」

 この禿げ爺と心中で毒づきながらもアリアベルは問う。

 剣聖ベルセリカ・ヴァルトハイムといい、陸軍長官バタザール・フォン・ファーレンハイト元帥といい、アリアベルの聞く指揮官としての振る舞いから大きく 逸脱している存在であった。そして、その考えが正しいはずであるにも関わらず、参謀達やファーレンハイトを囲む老将達がそれを咎めることなく、寧ろ敬礼を 以て送り出そうとする理不尽は理解できかねるものである。

 しかし、ファーレンハイトは立派なカイゼル髭を揺らして背を向ける。その姿は何処かクロウ=クルワッハ公爵……父親に似ていた。

 ――これが上に立つということ……

 ヒトを率いるとは理屈だけではないのだ。

 ヒトは理屈だけでは動かず、正論だけでも動かない。

 そんな数値と感情の地平線にあるナニカこそが幾多の名将を、貴族を心服させ、無理と無謀が潜む未来を切り開く事ができるのだ。

 果たして自分は大御巫という“肩書き”なく、征伐軍を率いる事が出来るだろうか?

 アリアベルは、その老将の背を疑問の渦巻く瞳で見つめる。

「小官は古き指揮官なればこそ危急の時に在って戦野に立ち戦わねばならん。何よりも吾輩の背中を見て軍を志した若き将兵や、共に皇国の繁栄を願って散っていた同胞(はらから)の為にも」

 ファーレンハイトは、将校が開けた扉を抜けて外へと続く舷梯(ラッタル)を駆け降りる。

 雪の降り始めた雪原、扉の近くまで歩みを進め、その姿をアリアベル見つめ続ける。

 幾分か進んだ時、ファーレンハイトは突然、歩みを止める。

「ふん……死ぬでないぞ、小娘っ!」

 背を向けたまま戦斧を振り上げたその姿。

 肩に羽織った軍用大外套が雪風に翻るその姿、まさに騎士。

 狡い、ズルイ、ずるい。

 彼らは自らの意思を押し通し、それでも尚、多くの者達の尊崇を受け続ける。征伐軍最高指揮官になって以降のアリアベルがその権勢を削がれつつある、失いつつあることとは酷く対照出来であった。

 自身に足りない要素を持ち合わせた老将。

「貴方こそ死ぬことは許さない、糞爺ッ!」

 乙女らしからぬ言葉に周囲が驚くが、一瞥を向けてきたファーレンハイトの呵々大笑はそんな雰囲気を吹き飛ばす。

 騎士の時代はまだ終わらない。










「こいつは御機嫌だ……なぁ? レオンディーネ」

 おどけた様子で笑い掛けたトウカ。

 しかし、天守の側面に設置された天空回廊で横に並び立つレオンディーネは苦虫を噛み潰した表情をそのままに舌打ちを一つ。

 城郭に攻め寄せるは二個師団。

 城郭を護るは一個中隊。

 戦況は著しく不利であり、ヴァレンシュタイン隷下の〈集成打撃師団〉とベルセリカ隷下の征伐軍主力は、その後背に食い付かんとする。だが、城郭を攻撃し ている二個師団の背後を護る為に、その二個師団以外の征伐軍主力の全てが展開しているとなれば突破は兵力差から不可能に近い。アリアベルの命にベルセリカ の刃の切っ先は届かなかったのだろう。既に人命の削り合いとなっている。

 勿論、左翼に攻撃を仕掛けたヴァレンシュタイン隷下の〈集成打撃師団〉と、中央に攻撃を仕掛けたベルセリカ隷下の予備戦力である三個軍狼兵聯隊を避ける形で、右翼側から敵が戦力を進出させることは想定済みであった。

 征伐軍主力の包囲に成功したものの本陣が極めて脆弱であり、これを陥落させた後に取っ手返して全力で北部統合軍主力と決戦を行えばいいと判断しているはずである。

 それを判断する立場にあるならば、トウカでも同様の選択を取っただろう。

「御主は何か企んでおるじゃろう?」

「勿論だ。それが俺の仕事だからな」

 双眼鏡を手に取り、トウカは戦況を見下ろしながら小さく笑う。

 参謀総長は謀略と知略を以て軍事組織を支える存在である参謀の頂点である。レオンディーネの言葉は今更なものであり、それがトウカの軍務なのだ。

 そして、トウカは嗤う。

 探し求めていたモノを見付けた。

 予想していたよりも早い到来にトウカは双眼鏡を下ろして、レオンディーネを抱き寄せる。

「見てみろ。あそこだ……大御巫がいる。あの女、痺れを切らしたな」

 短期決戦を意図している以上、拙速を優先することは予想していたが、相当に切羽詰っているのか魔導士部隊を集結させつつ、砲兵部隊の散布界を徐々に狭め つつある。城郭に展開している城内地下の魔導炉の大魔力を用いた魔導障壁の粉砕を意図してのことであることは疑いない。魔導炉の強制停止(オバーヒトー)もそう遠くはなかった。

 トウカはアリアベルが一心に天守の方角、自身へと視線を睨んでいる事を見て取り、総攻撃が近いことを悟る。

「ほう、陣頭指揮を執るか。予定通りだな。……ところで、こうして抱きすくめられている御前を見てアリアベルは激昂していると思うか?」

「お、御主……まさか挑発して――っ!」

 面倒臭いとレオンディーネの口を自身の口付けを以て塞ぐ。

 嫌がるそぶりを見せるレオンディーネだが、隷属の枷によって魔力と膂力を封じられた身では男性であるトウカに抗うことができない。必死にトウカの胸板を 叩くレオンディーネだが、トウカは両腕で抱き締めてそれを許さず、貪る様に唇を奪い続ける。見方を変えれば征伐軍主力を目前にしての衆人環視の痴態である が、挑発には最適である。

 案の定、アリアベルの立つ本営と思しき一角は慌ただしさを増していた。

何と単純な事か。否、貴族でもあり、独裁者に近い遣り様で征伐軍を成立させたアリアベルであるからこそ誰よりも外敵からの理不尽に激怒せねばならないのだ。

「さぁ、歓迎の準備をしようか」

 トウカは、レオンディーネの肩を抱いて天守内へと戻った。









「城郭の魔導障壁は消失したっ! 両師団は私に続けッ!!」

 アリアベルは曲剣(サーベル)を振り上げて、城郭へとその切先を向ける。

 アリアベルはアーダルベルトの避難指示を無視し、前線へ赴く選択をした。騎兵によって主戦場を迂回して前線へと訪れたアリアベルは、増援の神殿騎士団騎兵大隊を伴って〈第三四歩兵師団『ノインキルヒェン』〉と〈第三六歩兵師団『ヴィットリヒ』〉に合流したのだ。

 本来の軍の命令ならば、目標と躍進距離の提示を以て突撃命令と成すのだが、軍人ですらないアリアベルに細かな事を求める参謀達はいない。その命令をその ままに突撃に参加すると〈第三四歩兵師団『ノインキルヒェン』〉と〈第三六歩兵師団『ヴィットリヒ』〉に伝え、尚且つ最適な命令内容を添えた命令も同時に 下す。士気を向上させ最善の指揮を執る手段としては最適と言えるものであり、陸軍総司令部付参謀達は正にファーレンハイトの下に集う精鋭であった。

 しかし、それはトウカの戦術予測を酷く単純化させた。

 優秀であるからこそ取り得る選択肢は少なく、多様性が削がれる。

 砲兵の効力射が次々と城郭内に撃ち込まれ、魔導障壁を展開する魔導小隊と連携した機関銃小隊の前進に加え、その後方から城郭内へと続く門扉を吹き飛ばすべく重迫撃砲弾や軽迫撃砲弾が次々と放たれる。

 そして、それらの支援を受けて歩兵師団付独立装虎兵大隊を中央に、左右を歩兵師団付強行偵察軍狼兵大隊が固めた突撃陣形……矢先の様な鋭い陣形を以て迫る。

 絵に描いた様な、皇国陸軍戦術操典に記された通りの攻城戦闘戦術である。

 しかしながら、それの連携や速度は陸軍総司令部付参謀達が前線付近で指揮統制を行っていることから通常の比ではない。

 瞬く間に装虎兵と軍狼兵が破壊された門扉を抜けて城郭内へと攻め入った。

 私に続け、と神殿騎士団騎兵大隊を率いて躍進したアリアベルだが、参謀達の思惑通り、優速の軍狼兵と装虎兵が先を往き、当人が門扉の前に到着した頃には城郭の占領行動が開始されていた。

「状況は?」

 軍馬から降り立ったアリアベルは、占領行動を指揮している装虎兵大隊長に訊ねる。

 装虎兵や軍狼兵や開けた戦域での運動戦こそを得意としており、市街地や建造物内での戦闘には向かない。こうした場合は後続の歩兵が主体となるので、装虎兵や軍狼兵は城郭内の堡塁や特火点を潰していく。

「残敵掃討の心算でありましたが……敵の姿は見えぬ様子。念のため特に鼻の効く軍狼兵を城郭の内外に放ち、敵を逃がさぬように対応しております」

 その報告を聞いて、アリアベルは満足する。

 〈第三四歩兵師団『ノインキルヒェン』〉と〈第三六歩兵師団『ヴィットリヒ』〉の主力は城郭外を包囲するように展開しつつあり敵の離脱は極めて困難である。そして、軍狼兵の鼻からは組織でなく、単体であっても容易には逃れられない。

 内城……楼閣と天守への突入は歩兵を主体にして行われるが、アリアベルは待つ心算はなかった。

「騎兵中隊は総員下馬。楼閣の占領に移ります」

「ひ、姫様、お待ちください! 閉所は咄嗟戦闘の可能性や罠も仕掛けられているでしょう! 危険です!」

「エルザ、五月蠅いわね。……いい、私はあの御転婆な虎娘を助けて自分の権威を確かなものにしたいと考えているの」

 戦友を助ける為に陣頭指揮を執り、見事それを成すという美談は近頃の被害で低下気味な征伐軍の士気向上に一役買うことは間違いなく、大御巫としての権勢にも大きく影響することは疑いないとアリアベルは考えていた。

 しかし、それは建前に過ぎない。

 一刻も早く、あの変態参謀総長からレオンディーネを救い出さねばならないという焦燥に駆られていた。幸いなことに御目付け役としての側面を持つ参謀達は、攻撃発起地点からの指揮に忙殺されており、アリアベルの行動を止め得るものは近くに存在しない。

「友を見捨てる女に騎士達は付いては来ないでしょう」

 ファーレンハイトを名目上だけとはいえ指揮下に収めている以上、それに相応しい振る舞いをする義務がアリアベルにはある。そして、ファーレンハイトの様に無茶を押し通してこそ見える未来もあるのではないかと考えていた。

「私は今まで、御利口に立ち回りすぎの、きっと」

「それは最高指揮官として宜しきことではありませんか?」

 エルザの言葉に、アリアベルは首を横に振る。

 違うのだ。全く違うのだ。

 それはあくまでも“指揮官”の話であり、“最高指揮官”としての振る舞いではない。アリアベルはそう気付いたのだ。自身にとっての最良が、或いは軍事組織としての最良が将兵にとっての最良かは別問題であり、心情的に納得できるかという点もまた同じである。

「行きましょう、エルザ。誰よりも私達が騎士達に胸を張って再会できるように」

 アリアベルは微笑む。

 周囲で警戒していた騎兵は次々と下馬し、命令を受けていないはずの装虎兵もまた虎の背より降り立った。

 尊敬とは、最良の行動によって得られるものではなく、心情に訴える事によって得られるのだ。

 そして《ヴァリスヘイム皇国》の内戦に於ける一つの分岐点を迎えた。

 

 

 

 

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