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第一四〇話    シュットガルト湖畔攻防戦 6






 トウカは胸板に熱を感じ、緩やかに意識を覚醒させる。

 微睡の中、胸板へと擦り寄る様にして深く眠るマリアベルに、トウカは小さく微笑むと頭を撫でる。起きている時ならば照れて嫌がるのだが、寝ている上に事後であり髪が乱れている今であれば然して気にする必要もない。

 甲板に赴けば小さく鳴動する機関音が聞こえるであろうが、総指揮を取る為の長官公室として整備されていることもあり、足元からの振動や音は遮断されてい る。無論、急造であることもあり、足元の防振、防音障壁のみが優先されている為、隣の秘書室にはマリアベルの嬌声が聞こえていたことは間違いなく、トウカ は如何したものかと思案する。

 しかし、直ぐに思考を放棄する。

 秘書室に詰めているのはセルアノだけであり、マリアベルが口を塞ぐだろうという楽観と、いざとなれば生意気妖精の羽根を()いでくれようという開き直りがあったからと言える。

 投影魔術で無機質な壁に映り続ける艦外の風景。

 フェルゼンで上がり続ける火の手は、黎明の下に在って尚も明るい。

 時折、垣間見える砲爆撃によって舞い上がる建造物の破片は、その下で未だ両軍が激しい戦闘を、血で血を洗う白兵戦を繰り広げている事の証明でもあった。

「予想以上の出血を強いているとはいえ……やはりクロウ=クルワッハ公爵か」

 征伐軍の部隊を包囲し、壊乱させる事ができたとしても殲滅戦や迫撃ができないのは、空中機動で迅速に駆け付けるアーダルベルトの存在があった。フェンリスは総指揮を代行しているのか初戦以降は前線に現れていないが、レオンハルトは市街地を縦横無尽に暴れている。

 しかし、アーダルベルトの空中機動力と攻撃力が卓越していると言える。

 既に転化し、巨大な龍へと転じたアーダルベルトは空飛ぶ砲兵師団とでも言うべき存在で、戦場の火消し役としては理想的と言えた。遮蔽物の多い市街地とは 言え、これは極めて有効な手段である。航空部隊は甚大な被害と引き換えに列車砲部隊への攻撃を阻止し、列車砲もアーダルベルトの巨体が窺える内は掩蔽壕に 籠らざるを得なかった。

「だが、当初の予定通り転化させる事には成功した」

 トウカの立案した作戦でアーダルベルトを仕留めるには、転化した姿にさせる必要があった。

 しかしながら転化とは高位種にとっての最終手段に等しく、それ程に追い詰められた状況に陥っているという事を内外に示すに等しい。指揮官が前線に出る為 に士気は下がらないが動揺は著しいはずであった。特に征伐軍という大軍であれば、動揺による影響は幾日か続くことは疑いない。

 転化して巨大な龍となり、質量保存の法則に真正面から喧嘩を売ったアーダルベルトもトウカからすると想定通りで、前線の火消しとして利用されている事もまた同様であった。

 大きな図体で空中機動するという事はそれだけ可視性が高くなるということであり、既に一日もそれを続けている以上、撃破し得る手段がないと考えているだ ろう。その錯覚によりアーダルベルトはより大胆に友軍への対地支援を行っていく事は疑いない。フェルゼン市街地の各所で惨たらしく釣り野伏せを演出してい る北部統合軍を座視する事はできないはずである。

 例えそうでなくともアーダルベルトは火消し役を務めるしかなく、その大きな図体の露出を避けられる訳ではない。

 戦略規模で個人を殺害する作戦の前に、戦術規模の打開に謀殺されるアーダルベルトが思考を巡らせることはない。例えあったとしても然して時間は割けないはずであり、それが致命傷となるはずであった。

 フェルゼンで征伐軍に出血を強いている将兵の命を対価に、トウカはアーダルベルトを戦術規模で拘束しているのだ。

 トウカによって演出された地獄は、《ヴァリスヘイム皇国》という国家の為政者の立場から可及的速やかに解決せねばならない問題なのだ。

 市街戦は憎悪を生む。虐殺や強姦、捕虜虐待などの発生率が飛躍的に上昇する事からもそれは分かる。次の内戦への火種となる可能性を秘めているのだ。

「さぁ、如何する? アーダルベルト」

 指揮官が前線に現れた時点で本来は負け戦なのだ。無論、ベルセリカが前線で積極的に暴れている北部統合軍も褒められたものではないが、こちらは弁解しよ うもない程に負け戦なので止むを得ない。征伐軍は帝国の動向を気にして内戦終結を急いでおり、それ故に時間というものに追い詰められている。その上、時間 的制約だけでなく、兵站線の脆弱化が解決しておらず、輜重も万全ではないはずであった。

 決して劣勢ではない。

 しかし、停戦への明確な道筋を立てておかねばならないこともまた事実であり、完全な勝利など不可能なのだ。無論、それは将官であれば誰もが理解している であろう事実なのだが、最初にそれを言い出すことを躊躇っているのか、積極的に停戦を軍務卿であるマリアベルに主張する者はいない。エルゼリア侯やダル ヴェティエ侯などは、トウカに“何時、停戦協定を切り出すのか”と一日おきに連絡してきていた。帝国軍侵攻への懸念は征伐軍だけのものではなく、寧ろ、エ ルライン要塞失陥後に前線となるのは北部地域であり、政治的には北部貴族こそが追い詰められているのだ。

 面子と現実を秤に掛けて、若しくは存続と栄華を追い求めて。

 多くの側面を持つ内戦だが、既に双方共に相手の覚悟と求めるところなど十分に理解している。後は切っ掛けさえあれば、直ぐにでも停戦論は燎原の火の如く広まるだろう。帝国という脅威はそれほどに大きいものがある。

 それがアーダルベルトの殺害であれば、北部統合軍にとって、否、トウカにとって真に好ましい事である。

 ――やはり、停戦を切り出す“演出”は俺がやるしかないか。

 マリアベルを恐れて誰もが口を噤むのだ。

 エルゼリア侯やダルヴェティエ侯が停戦案について意見を求めてくるのは常にトウカであり、明らかにマリアベルを避けている。マリアベルの復讐心を理解 し、尚且つアーダルベルトの殺害を不可能であると考えているからこそトウカに相談しているのは間違いない。政治家として確実な手段を模索し、選択する事は 正しい。無論、そこには軍事的成果を幾度も上げているトウカの諫言であればマリアベルが聞き入れるかも知れないという打算も潜んでいる。

 アーダルベルトへの復讐心という点に対してだけは冷静さを欠くマリアベルだが、トウカの見たところエルゼリア侯やダルヴェティエ侯がマリアベルに対して政治的な判断を仰がないのは別の理由があるとも考えていた。

 北部統合軍の中で言えば、実はマリアベルの政治権力は圧倒的という訳ではない。マリアベルと周辺貴族との関係は幾許かの改善を見ているが、最高指導者のエルゼリア侯や政務卿のダルヴェティエ侯を中心に纏まった貴族勢力の規模が揺るぎない事に変わりはないのだ。

 しかし、それは主導権(イニシアチブ)がないということを意味しない。

 本来、政治的影響力とは、有力者の紐帯によって生じるが、戦時下では軍事的影響力で覆される例がある。

 あくまでも軍事分野を統括する軍政家の頂点として軍務卿の地位についているマリアベルだが、北部貴族の領邦軍の集合体でありながら多くの領邦軍が離脱 し、半数近くをヴェルテンベルク領邦軍が構成している以上、その運用や意思決定などはマリアベルの意志が大きく左右する事になる。

 何よりも、マリアベルは軍事的成功を重ね、その意見は当然ように受け入れられるようになりつつある。

 独裁ではない。だが、法律や常識の中では有力者達と対等でありつつも、実質的には大多数の有力者を従わせる形無き力……独裁的影響力とでも言うべきものをマリアベルが持つ事を、エルゼリア侯やダルヴェティエ侯は危惧しているのかも知れない。

 ――権力ではない……強いて言うなら威光か? いや、権威か?

 威光を求めて両家の血筋や衰退した将軍家を利用した戦国大名も、武力による威光を示そうとした例は枚挙に暇がない。

 考えてみれば戦時下である以上、軍事という分野が力を持つ事は当然の帰結であり決して不自然な事ではない。しかし、あらゆる分野に影響を齎し、政治的判断にすらも関わってくるとなると政治を司る者が疑念を抱く事も当然と言えた。

 大抵の場合、行き着く先は、権力と権威の同化である。

 表面上は多数の貴族からなる寡頭制であっても、実情は独裁制となるだろう。違う部分もあるが、強いて例を挙げるとするならば、《古代アテナイ》の政治家、大ペリクレスに近い。大ペリクレスが最高権力者たる将軍職(ストラテゴス)で あった時代の《古代アテナイ》は政治制度としては民主共和制でありながら、国政は大ペリクレスの意思が国家方針となる事実上の独裁制であった。制度成立に 伴う理念と行政の実情が異なる体制下であったと言える。多くの政敵を実績と実力によって抑え、主権者たる民衆の支持を背景に一五年にも渡り民主共和制国家 の“合法的独裁者”として大ペリクレスは君臨した。

 それは極めて珍しい例と言える。

 《古代アテナイ》の住民は富を追求する。しかし、それは可能性を保持するためであって、愚かしくも虚栄に酔いしれる為ではない、という大ペリクレスの言葉も、マリアベルの重工業化政策と現状打破の機会を窺いながらの軍拡姿勢と重なるものがある。

 ――だが、結局は帝国主義的政策がペロポネソス戦争の遠因となってしまった。そこも、マリアベルによって加速した内戦と似ていると言えば似ている。

 マリアベルも大ペリクレスも親しみやすい性格とはいえないが、前者には人的魅力(カリスマ)がある。否、演出していた。

 大ペリクレスは喜劇作家に度々風刺され、政敵から幾度となく中傷を受けていたが、マリアベルは情報操作による多数派工作と敵対的勢力の漸減に常に力を入 れており、ヴェルテンベルク領の黎明期以降は否定的な勢力は存在しないに等しかった。そして、マリアベルは不満の矛先を逸らす術を心得てもいる。

 だが、マリアベルは大ペリクレスの様な失敗はしないだろう。トウカの愛する独裁者なのだから。

 そして、その政戦の実績から権威を獲得しつつある。

 独裁者は大多数を誘導せねばならないが、対する権威を有する者……権威者はそうした行動を一切必要としない。権威者を主権者達が受容すれば、政治的混乱は発生し得ないからである。権威とは理論と常識をある程度とは言え、極めて低い費用対効果押(コストパフォーマンス)で付ける事すら叶うのだ。

 独裁体制下にあらずとも、多数の主権者が権威者の能力と実績に慊焉(けんえん)とせず、決断や判断を容認し続けるならばそれは最早、独裁と評して差し支えない。反対なき個人を政治に反映させるが故に。

 ――共和制下では独裁が発生しないと夢想する莫迦も多い様だが、実際は違う。やはり、国民が政治への関心を喪えば権力は集中し始めるという事か。その方が効率的だからな。

 独裁は独裁体制下でなくとも発生し得る事象なのだ。民主主義体制でも独裁が生じる可能性は常に付き纏う。

 独裁とは、政治に於いて政治権力が一人、或いは少数に集中する事象を指すに過ぎない。民主共和制の対極に位置するのは専制君主制であって独裁ではないのだ。

 周囲が彼女の言葉を常に肯定するならば、それは独裁と変わらない。

 マリアベルは権威者になりつつある。

 威光は武力によって築き上げられた。

 彼女は間違わない。彼女こそが正しいのだ。そうした風潮が醸成されつつある。否、そうした風潮を情報部が演出したのだ。何百年という時間を掛けて領民に風潮という名の画一化の毒を刷り込み、唯一の解であると錯覚させ続けた。

 だからこそ、市街戦などという守るべき郷土を擦り減らす防衛戦が可能となったのだ。その点だけを見ても、少なくとも北部統合軍内では、極自然な形でマリアベルの権威は形成されつつある事が理解できる。

 無論、最近の成果であるゲフェングニス作戦やパンテオン作戦、そして現在行われているフェルゼン攻防戦での頑強な抵抗は、マリアベルが育成し、増強したヴェルテンベルク領邦軍と義勇装甲擲弾兵によって齎されたものであるという事実の追認があればこそでもある。

 劣勢な戦況で最大の武装集団に絶大な影響力を有するマリアベル。

 そして、現状では劣勢ながらも絶大な戦果を齎している。


 軍事的な原則として、命令の基本は、精神的にも実践的にも常に攻撃的でなければならない。だから防禦もまた、次の攻勢の準備として考えねばならない。


 この大前提を満たせる者がいなかったからこそ、唯一絶大な戦果を挙げ続けたヴェルテンベルク領邦軍……マリアベルに支持が集まる事となった。他に選択肢がなかった以上、極めて当然であり自然な流れである。

 エルゼリア侯やダルヴェティエ侯が危惧するのは当然と言える。復讐心に駆られて停戦時期を見誤るのではないかと懸念を抱いているのだ。権威者がそうなってしまえば、最早、敗北は免れ得ない。

 権威者は周囲の承諾など必要としないのだ。

 だが、トウカからすると意味のない危惧であった。

 隣で深い眠りに就いているマリアベルの、流れるような紫苑色の長髪に手を這わせ、トウカはその絹糸の様な感触を楽しむ。

 その寝顔はあどけなくもあり、儚くもあった。

 これ程に無邪気な寝顔を見せる独裁者ならば大いに歓迎すべき事である。ちょび髭の伍長やカイゼル髭のグルジア人、国民帝国の人種改良論者などと比較すれば十分に崇敬するに値する主君と言えた。その上、類稀なる容姿を持ち、優れた政略家でもある。

「無駄な心配だ……政治がしたいなら貴様らが勝手にしていればいい」

 政治の出番は、停戦を征伐軍が提案して以降である。


 ひとたび軍隊が戦争に従事したならば、軍事に関する指針は、軍人によってのみ示される。


 そうでなくてはならないのだ。今、暫くは、トウカとマリアベルの戦争であって貰わねばならない。

「……ん……んっ……」

 髪を弄ぶトウカの気配に気付いたのか、マリアベルは小さく呻くと薄っすらと目を開ける。寝ぼけ眼に気だるげな雰囲気のマリアベルは、豊満な乳房をそのままに上半身を起こす――

 ――心算であったのだろうが、途中で力尽きてトウカの肩へと寄り掛かる。

 独裁者の微睡(まどろ)み。

 この内戦は、今の様な緩やかな日々を過ごす事ができる日常を取り戻す為の戦いでもある。

「マリィ……起きたか?」

「むぅ……トウカ……? もう朝かの?」

 投影魔術による艦外の風景は映し出されたままであり、そこから覗く黎明は未だ始まったばかりであった。直接、陽光が部屋に差し込んでいる訳ではない為に、眠気を吹き払う程ではない。

 二人は、寝台(ベッド)の上で、唯それとなく黎明を眺める。

 フェルゼン沖合に停泊している為に黒煙の立ち上る光景は、重巡洋艦〈プリンツ・ベルゲン〉からも窺える。周囲を輪陣形で警戒している〈ベルント・ヴェルネンカンプ〉型艦隊駆逐艦の艦影も見える事から穏やかな光景とは決して言えないが、二人に相応しい光景と言えた。

「好きだ、マリィ」

 ふと、思い出したかのように、トウカは呟く。

 これから忙しくなるので今を逃せば何時言えるか分からないということもあるが、公式の関係にはできないものの、自分の想いは明確にしておかなければならない。互いに、もしも、ということも有り得る。

「おっ、御主、よく斯様な台詞を恥ずかしげもなく言えるのっ……」

 マリアベルは頬に朱を散らして、トウカの胸板を叩く。

 まさか死ぬかもしれないから言ってみたとは言えない。ミユキと接する中で、少なくともその程度の配慮はできるようになったのだ。

 しかし、ただ肯定するだけでは面白くないので、おどけて返す。

「御前にはこうした遣り方のほうが効き目があるからな」

 マリアベルは意外と初心なのだ。こうした事に一種の憧れがあるのかも知れない。

「トウカ……」

「ん?」

「……もう一度、言ってはくれまいかの?」

 トウカの肩へと擦り寄って、マリアベルが願う。

「そう言えば、前にもこんなことがあったな」

「いいから……」

 トウカがマリアベルの耳元に顔を寄せたが、願いを安易に叶えては面白くない。

 トウカは、マリアベルの腰に手を回して叶う限りに抱き寄せると、そっと顔を近づけ唇を奪った。

 マリアベルの細い肩を抱きしめながら寝台に倒れ込む。

 昨晩の情事で解けた長い紫苑色の髪が頬を擽り、鼻孔に桜華にも似た薫りを届けた。さり気なく纏う香水の薫りと昨晩の情事の香りが入り混じり、トウカの判断能力を奪う。

 抱き締めたマリアベルの身体が静謐に熱を宿していることを感じ取り、胸の鼓動が一層に早鐘を打つ。トウカはそれ以上の細かい思考を放棄して、ただ、マリアベルと一つになる事だけに意識を傾けていった。








「……戦況は我らが有利であるが、決め手がない」

 アーダルベルトの言葉に、アリアベルは報告書へと目を落とす。

 征伐軍の状況は、一言で言えば散々たる有様である。

 練石(ベトン)と鋼鉄の密林であるフェルゼンでは、軍狼兵や装虎兵は能力を十全に発揮させる事ができない。寧ろ、機動力を奪われた上で死角からの攻撃によって多くが喪われる。純粋な火力集中による特火点(トーチカ)の粉砕と、歩兵による制圧地域拡大だけが都市を制圧する方法であるが、甚大な被害は免れない。陸軍魔導砲兵隊による集団詠唱魔術による攻撃も行われてはいたが、建造物とその瓦礫によって照準が遮られ、その上、制空権の維持も怪しい以上は命中率を期待できない。

 被害は想像を越えて久しい。

 強力な火器を持つ、地理に明るい郷土兵。たったそれだけの事だが、効果は絶大だった。

 その上、機動列車砲や砲兵部隊の支援、近接航空支援などという支援によってフェルゼン内で征伐軍部隊を足止めしつつ、特火点の設営を妨害している。互いに決定打を欠くままに熾烈な戦闘は継続していた。

 無論、七武五公も手を(こまね)いていた訳ではなく、七武五公の多くがフェルゼンに直接侵攻。火砲戦力の撃滅を意図した事があるが、ベルセリカが遊撃戦を展開し、分散配置された火砲は巧妙に隠蔽されており短期間での殲滅は叶わなかった。

 アリアベルは責任を取らねばならない。

 無論、実質的に七武五公が指揮を執っている以上、責任は分散しつつあり、アリアベルの責任は良くも悪くも風化しつつある。何より、皇国内の主要な勢力の 全てが大なり小なり内戦に介入した為、表立っての批難を避け合っている。他勢力への非難は自らの失点の暴露となって返ってくる事は間違いなく、表向きは関 わっていない政府ですら、北部の暴発を防げなかった責任と、陸海軍の独断を掣肘できなかったという点から負い目があった。

 だからこそ、アリアベルや七武五公が戦闘を断念する事ができない。

 勝利によって、その内情は兎も角として勝利を勝ち得たと喧伝する事で、後の皇国での政治的主導権(イニシアチブ)を得る事ができる。陸海軍もそれに追従する事でしか政治の軍事に対する優先権から逸脱したという罪から逃れ得ないのだ。

 この場で戦う誰も彼もが、勝利という建前によって総ての罪を踏み倒そうとしている。 

 ――私は確かに国権を得る為に挙兵した……でも、ここまでして、こんなに将兵を喪ってまですることだったの……いえ、それは違うはず。

 皇国を纏め得る存在は必要であるが、その為に外敵から抵抗する為の軍人を喪っては本末転倒であり、既に取り返しのつかない程の被害を出しつつあるのではないか。

 アリアベルは机の上に置いた手を強く握り締める。

 指揮官は戦野で散り往く将兵の親族や恋人について考えを巡らしてはならず、恨まれ憎まれつつも畏敬の念を受けて指揮を執り続けなければならない。

 しかし、子犬の様に自らの飾り立てられた権威を慕い、命令に従い、そして散って逝こうとする者への責任の取り方は果たして存在するのだろうか。

 それについて考えると、アリアベルの心臓は軋みを上げる。

「姫様……」心配げな表情のエルザ。

 レオンディーネはアリアベルの瞳から何かを感じたのか、腰に佩いた曲剣(サーベル)の柄へと手を伸ばしている。

 ――私がこの戦争を終わらせないといけない……。

 アリアベルは上座の椅子から立ち上がる。

 終わらせねばならない。

 そして七武五公や北部統合軍の総司令部や参謀本部のいずれかに罪を押し付けるのではなく、アリアベルが総ての罪を背負わねばならない。将兵の多くを失っ た今、有能な将兵を指揮下に収め卓越した指揮能力を持つ彼らには、これからも力を振るって貰わねばならないのだ。帝国という脅威が迫っている以上、これ以 上の被害の拡大は避けねばならない。何より市街戦は相手に異常な程の憎しみを募らせる戦いであり、もし内戦が終結しても国内で憎しみ合い続ける事になりか ねなかった。先延ばしという選択肢はない。

 故に総ての責任はアリアベルに帰属させねばならない。

 神祇府から多くの資金を拠出しつつ、宗教的な祭事よって民心の鎮撫を図る。無論、アリアベル自身は進退を問われるだけで済まず、命を喪う結果となるだろ うが全ては祖国の為。神祇府もアリアベルと心中するはずがなく、無理矢理押さえ付けている派閥も少なくない。必ず生命を対価に事態の鎮静化を求め始めるは ずであった。

 司令部にいる七武五公を含めた陸軍将校達も自身に注目した事を、視線を今一度巡らせて確認し、アリアベルは口を開く。

「……北部統合軍総司令部に停戦を申し込みます。軍使の派遣を」静かにそれでいて反論を許さない断固とした口調のアリアベル。

 七武五公が反対する可能性があるが、今は三人の公爵以外は出払っており、名目上とは言えアリアベルは最高指揮官であり続けている。多くの将兵が見ている以上、高飛車に否定される事はないと踏んだからこそ、誰にも相談せずに行き成り”命令”という形で命じたのだ。

 将校達は困惑顔である。

 座したまま三人の公爵は沈黙している。

 しかし、暫くすると腕を組んでいたアーダルベルトが溜息を吐く。

「止む無し……か」

 その一言に、征伐軍総司令部が動き出す。

 アリアベルはその光景に深く頷くと、将校達が軍使派遣の為に俄かに慌ただしさを増す。通信兵などの司令部要員が動き出し、フェルゼンに展開して戦闘を継続している部隊を後退させる命令を下し、砲兵部隊への砲撃命令を中止させる。

「アリア」

 レオンハルトとフェンリスが、突然の命令に混乱しているであろう部隊の収拾の為に総司令部として運用されている天幕から出ていく姿を眺めていると、残っていたアーダルベルトが気難しげな顔でアリアベルに近寄り、娘の名を呼ぶ。

「……何でしょう、御父様」

 肩書ではなく、久方ぶりに名前で呼ばれて咄嗟に返答に詰まったアリアベルであるが、周囲の将校達は一様に忙しなく動いており、注目されていないことから一人の家族として応じた。

 身構えたアリアベルに、アーダルベルトは小さく鼻を鳴らす。

 背後のレオンディーネとエルザから”何処の父親もくそじじぃばかりだ”と言わんばかりの嫌悪感が背中に刺さっている様な気がしないでもないアリアベルは、引き攣った笑顔のままに些かの疲れが滲むアーダルベルトを見上げる。

 アーダルベルトは善戦した。

 数えきれない程の砲兵陣地を踏み潰し、局地的に包囲された友軍歩兵を救出し、征伐軍の士気崩壊を防ぎ続けた姿は七武五公の一柱として名に恥じないもので ある。レオンハルトもフェンリスも同様であった。他の七武五公、この場合は七武家となるが、彼らも戦野に武家の精華を示し続けた。

 それでも尚、勝利切れなかったという事実。

 相手が悪く、北部統合軍の軍事技術と戦闘教義(ドクトリン)の進歩に、既存の戦術と編制、兵器の征伐軍は勝利できなかった。征伐軍の指揮と能力に問題があったのではなく、北部統合軍は多くの面で優越していたに過ぎない。少なくともアリアベルはそう考えていた。

「貴様だけが罪を負うような事にはさせん……良からぬ噂も流れているようだからな。この辺りが限界だろう」

「いえ、この罪は私だけのもの……御父様の手を煩わせたくはありません」

 淡い笑みを浮かべてアリアベルは、アーダルベルトの言葉を否定する。

 その胸中には北部貴族から下手な反感を買う真似をして、これ以上話を拗らせたくはないという考えがあった。停戦の譲歩案として戦災復興と発展の為という 名目での政府への税を一〇年間免除しようという腹案があるものの、七武五公と政府が横槍を入れては破綻しかねない。税の免除は政府と大蔵府の判断が必要と なるが、それはアリアベルが総てを賭して押し通す心算であった。

 ――良からぬ噂……もう嗅ぎつけられたなんて。まぁ、狼もいるから当然ね。

 腹黒い笑みを浮かべているフェンリスを思い出して、アリアベルは笑みを零す。

 術数権謀渦巻く神祇府で最高位を勤め上げた自信と実績のあるアリアベルは、決してフェンリスに謀略で後れを取る心算はなかった。今更であるが、軍事的勝 利という博打ではなく、謀略という時間は掛かれども流血を最低限に減らし得る手段の可能性を更に深く考えるべきであったとアリアベルは嘆息する。

 沈みがちな気分から目線を逸らして現実へと意識を戻せば、娘に素気無く返された父龍が微妙に元気をなくしており、その背後から現れたエルザの父であるハルトヴィヒに肩を叩かれて慰められている。

 良くも悪くも父娘達の仲は一般世間と変わらない。年頃の娘が父を嫌うのは世の真理である。

 エルザに詰られるハルトヴィヒの姿に、久しくなかった父との会話に苦笑するアリアベル。

 運が良ければ在りし日の生活が戻ってくるかも知れない。フェルゼンにはマリアベルもいる。話し合う機会はあるのだ。


 しかし、彼らは甘く見ていた。


 マリアベルの狂気と、トウカの戦略的視野を。

 突然の大音声。

 天幕には強固な魔導障壁と共に、防音を兼ねた障壁が展開されているが、それでも尚、耳朶を塗り潰すかのような轟音に、アリアベルは身を竦ませる。

「こ、公爵閣下っ! 後背より敵襲に御座います! 数は不明なれど、多数の装甲車輛を伴う巨大兵器が二基!」

 天幕に転がり込んできた血塗れの将校の報告に、アリアベルは立ち上がると外へと駆ける。アーダルベルトやハルトヴィヒ、レオンディーネにエルザも続く。

 外は戦場だった。

 フェルゼンからは後方であり、予備の砲兵部隊や車輛の修理を行う工兵部隊、輜重部隊を中心に設営された物資集積所などを中心とした後方支援戦力が集中する後方拠点。

 それらが燃えていた。

 集積されていた弾火薬に引火したのか、吹き飛んだ重砲の砲身が舞い上がり、車輛が横転する。将兵が炎に巻かれる悲鳴にアリアベルは息を呑む。炎によって 生きながらに焼かれるといのは、ヒトの死に方として最も残酷なものであり、神経が痛みを主張し続けることで意識を失うことができず、黒煙によって息苦しい 状態も続く。

 アリアベルは付近で倒壊している魔導通信用の鉄塔に飛び乗ると、フェルゼンとは真逆の方角……敵襲があったという方角に視線を巡らせる。

「あれは……そんな……戦艦?」

 棚引く黒煙と揺らめく炎の先に見えたのは黒鉄の城。


 その姿、威風堂々。


 それは、皇国軍事史に”世界初の陸上艦隊による戦闘”と記されることになる戦いの始まりであった。










「ぶっ潰せっ! 俺の主砲で巫女様を後ろから襲うなんて最高じゃねぇか、畜生め!」

 ザムエルは〈龍討者シークフリート〉の艦橋で呵々大笑していた。

 本来であれば〈装甲教導師団(パンツァーレーア)〉を指揮するべき立場のザムエルだが、軍集団隷下の通信聯隊に匹敵するほどの通信能力は一個装甲師団を率いるには最適であり、その指揮能力を遺憾なく発揮していた。

「〈第三装甲大隊〉は、攻撃目標を南方の重砲陣地に変更。征伐軍総司令部は無視して良いぞ。このまま本艦と〈龍討者シグルズ〉で踏み潰す!」

 征伐軍の車輌や火砲を踏みつけたのか時折、揺れる艦橋でザムエルは指揮を取り続ける。

 奇襲は成功した。

 先鋒として幾つもの装甲小隊が随伴の戦車猟兵部隊と共に事前偵察を行ったが、征伐軍はフェルゼンに意識を取られて後方への防備は最小限であった。無論、これには北部各地で跳梁している北部統合軍の不正規戦(ゲリラ)部隊による征伐軍兵站線への破壊工作などにより、後方に少数の敵がいるという状況を征伐軍が常態化させたままであった事も大きい。征伐軍は先鋒を担っていた部隊との接敵時の第一報を過小評価してしまった。何時もの兵站線への小規模な攻撃だと錯覚したのだ。

 ましてや両軍にとって主戦場は遥か前方のフェルゼンなのだ。しかも市街戦は事実上の総力戦となりつつある。後方から巨大兵器と装甲師団が襲ってくるとは考えもしなかっただろう。フェルゼンは包囲され、通常であれば迂回などできないのだから。

 先行させていた装甲中隊と戦車猟兵中隊によって、征伐軍の後方を哨戒していた少数の部隊は短時間で撃破され、それが突破口となった。

 無論、防備を固めていたとしても、強力な防禦力を持つ陸上戦艦二隻を中核としたこれを先頭に突撃し、敵陣を一挙に突き崩す楔型陣形(パンツァーカイル)の 前では敵足り得ない。先頭を行く陸上戦艦が陣形の要で、敵に破壊されないことが肝要であるものの、攻撃準備射撃などを省略すると攻勢頓挫の危険性が高ま る。しかし、陸上戦艦には三〇㎝砲を四門装備した砲塔を艦首側に背負い式で三基集中配置していた。艦橋の両舷上甲板には雛壇状に配置された対空砲が等間隔 で据え付けられ、艦尾側の後甲板には多連装噴進弾発射機(ネーベルヴェルファー)が五〇基も整列している。この動く砲兵師団と称しても過言ではない火力があれば、咄嗟戦闘であっても一瞬で相手を制圧できることは疑いない。

 陸上戦艦の火力は圧倒的の一言に尽きた。

 厚い装甲に護られた砲兵師団が、常に陣地転換し続けながら戦闘を継続するというのは近代戦に於ける一つの悪夢である。それが不可能であるからこそ、大日 連や米帝では対地攻撃技術が発展し、対地誘導弾や誘導爆弾の精密性が過剰な程に求められたのだが、ザムエルという男は、これからトウカの常識に真っ向から 喧嘩を売ることになるなど予想すらしていなかった。後世に、戦皇の思惑を最も外した男と呼ばれる彼の伝説は、ここからがその始まりであったのかも知れな い。

「閣下、ケーニヒス=ティーゲル公爵とフローズ=ヴィトニル公爵です!」

 艦橋要員の報告にザムエルは立ち上がると、彼我戦力を投影している航海長に拡大投影を命じる。


 そこに映し出されるは、巨大な神虎と神狼。


 既に転化したのか、それは二隻の陸上戦艦には大きく劣るものの、生物学上の多くの制約を無視した偉容で、陸上戦艦二隻に立ち塞がる位置で咆哮している。 魔術的な補助があってこそ維持ができるのだという予想は付くが、生物とは思えない偉容に、ザムエルは舌打ちするしかない。

「主砲、各個撃ち方! 常に砲火を絶やすなよ! 多連装噴進弾発射機(ネーベルヴェルファー)の再装填まだか!?」

 火力を絶やすことは短時間で接近させることを意味する。例え、魔導障壁を展開しているとしても、それは徹甲弾の貫徹を阻止するだけであり衝撃までは軽減 できない。障壁の展開角度によっては着弾の衝撃を軽減できるとするタンネンベルク社の研究結果を彼らが知るはずがないのだ。

「ちっ、着弾させるのも至難かよッ!」

 巨大な獣であるとは言え、虎と狼である事に変わりはなく、その脚力は想像を絶するもので、時には前足で砲弾を弾き飛ばすという光景にはザムエルも頬を引き攣らせるしかなかった。多連装噴進弾発射機(ネーベルヴェルファー)は、面制圧用兵器なので命中は容易なものの貫徹力に欠ける為に致命傷にはならない。

 そして、陸上戦艦の躍進を阻むのはレオンハルトとフェンリスだけではない。

「左舷より、中隊規模の軍狼兵が接近!」「左舷副砲と高角砲は応戦せよ!」「ええい! 手漉きの水兵は艦載機関銃を持ち出して上甲板に集まれ!」「試式ボルトカノーネ(リヴォルヴァーカノン)も武器庫から出せ!」「近づけるな、飛び移ってくるぞ!」

 総てを薙ぎ払い雪原を第一戦速で突き進む陸上戦艦。

 活火山の様に盛んに砲火を撃ち上げる二隻の陸上戦艦により、征伐軍の総司令部やその周囲に展開していた予備隊、後方支援部隊が蹂躙されるだけではなく、 フェルゼンの包囲すらも食い破られようとしていた。フェルゼンに対して砲撃を繰り返していた砲兵隊は後方への応戦を容易にできるはずもなく、陣地転換に追 われる。しかし、そこに何百発という大口径の多連装噴進弾発射機(ネーベルヴェルファー)の噴進弾が降り注げば、備蓄している弾火薬に引火して盛大な火柱を上げる事は避けられない。

 紅蓮の大華が天壌を焦がす。

 一拍遅れた爆音が〈龍討者ジークフリート〉の魔導障壁を震わせる。

 軍狼兵や装虎兵の中には周囲の装甲部隊の間隙を縫い、甲板に飛び移ろうとする猛者もいるが、これは陸上戦艦の建造段階から予想されていたことである。砲廓(ケースメート)式 副砲の代用として、傾斜した中央舷側と両舷の中央甲板に雛壇状に設置された高角砲や対空機銃によってその全てが排除された。元より高い位置にある甲板への 跳躍は、並みの練度の装虎兵や軍狼兵では難しいという理由もあり、海賊のように敵艦に移乗戦闘を行うような真似は容易ではない。

 そして、上甲板で機関銃を二脚(バイポッド)で固定して射撃を続ける”水兵”は、振り落とされない様に懸命に甲板にしがみ付きながら、歩兵部隊の傍を通り過ぎる度に手当たり次第に銃撃を加えている。中には手榴弾を投げ付ける猛者までいた。

 ザムエルは投影される戦力配置の変化に眉を顰める。

「おいおい、彼奴(あいつ)の言う通りかよ」

 一際大きい魔力反応がフェルゼンへと一直線に向かう様子に、作戦計画書には、ある種の博打である、というトウカの走り書きが付け加えられていたが、中々どうして上手くいっているではないかと、ザムエルは呆れ返る。

 速度から見て飛行物体であり、その規模はレオンハルトとフェンリスに匹敵する。

 つまり、アーダルベルトである。神龍に転化して、フェルゼンに向かって一直線に飛行しているのだ。

 ――トウカは意外とクロウ=クルワッハ公爵と同類なのかもなぁ。

 相手が発生した事象に対してどの様な行動を取るかということが手に取るように分かるのだ。クロウ=クルワッハ公爵がトウカに対して後手に回っているの は、一方的なまでに情報が不足しているからであろうと、ザムエルは見当を付けていた。永く生きているアーダルベルトはそれ相応に情報が流布しており、それ を繋ぎ合わせれば性格や発想を読み取ることは不可能でなく、対するトウカは一般に全く情報が流布していない、突然現れた新進気鋭の軍神様である。双方の流 布している情報量と、その質に差が出るのは当然と言えた。

「頼むぜ、兄弟……って、上甲板の兵士を艦内に下げろ! 野良猫とサシで正面衝突だ!」

 戦艦で度胸試し(チキンレース)をすることを想定していなかった訳ではないが、ザムエルは最初から全力で応じる事を決めていた。装甲部隊の指揮官が装虎兵の親玉に根性と度胸で負けてはならないという意地である。

 対する〈龍討者シグルズ〉を指揮するエーリカは距離を置いての砲戦を選択したのか、転舵を行いながらフェンリスへと向かっていた。攻撃も多連装噴進弾発射機(ネーベルヴェルファー)で 足止めをし、そこを狙って主砲を斉射するという手段で、フェンリスの接近を防ぐ構えを見せている。フェンリスも重砲に匹敵する威力の砲撃型魔術の連射を繰 り返しているが、陸上戦艦の魔導機関によって展開された魔導障壁は攻撃側に集中展開されていることもあり貫徹することは叶わない。

 横目で〈龍討者シグルズ〉とフェンリスが激しい砲戦を繰り広げているのを確認し、ザムエルもレオンハルトとの衝突を覚悟する。

「衝角戦闘用意! 艦首側に魔導障壁を集中! 正面決戦だ!」

 ザムエルの命令に顔を引き攣らせる艦橋要員達だが、同時に一番レオンハルトに被害を与えられる可能性であるとも理解していた。水上艦とは違い、総員に用意されている自席に座り身体を固定する彼らを見て取り、ザムエルは満足する。

 艦首上部の機構が駆動態勢に入り、収納されている衝角(しょうかく)の展開準備が整う。 

 衝角(しょうかく)は戦闘艦の船首水線下に装備されている体当たり攻撃用の固定武装である。前方に大きく突き出た角の形状をしており、戦闘艦同士の接近戦に於いて敵艦の側面に突撃し、水線下を突き破って損傷させ、航行不能乃至、浸水によって撃沈する事を目的としていた。

 元は龍都の異名を持つドラッケンブルクの防護壁を突き崩す為に装備された対攻城戦用衝角は、陸上戦艦へと転用が決まった直後に増設された武装であるが、内戦が想定されていた以上に早い段階で発生した為に活躍の機会を失うはずであった。

 しかし、ザムエルはこれが唯一の突破口だと判断していた。

 レオンハルトという多くの戦野で先鋒を担った攻撃資質に富んだ神虎が、迂遠な戦術を取るはずもなく、高確率で正面衝突する事は疑いない。ならば魔導侵徹効果を付与させた対攻城戦用衝角による一撃こそが最も有効な手段となり得る。

 衝角を有した戦艦の質量が最大戦速によって対象に衝突した場合の貫徹力を数値化するほどザムエルは算術に秀でている訳ではないが、少なくとも手足の一本は潰せるのではないかと考えていた。

「主砲、一斉撃ち方に移行! 野良猫に気取らせるな!」

 艦首側に集中して背負い式に配置された三基の四連装三〇㎝砲が束の間の静寂を生む。

 斉射に備えて全砲への装填の間、主砲は沈黙するものの、前方に投射できる副砲や高射砲が火を噴き、そして多連装噴進弾発射機(ネーベルヴェルファー)から射出された噴進弾が霧雨の如く降り注ぐ。既に装甲楔型陣形(パンツァーカイル)から解き放たれ独自行動に出た〈装甲教導師団〉の装甲車輛や降車した装甲擲弾兵は、遙か後方で混乱する征伐軍部隊に盛んに攻撃を仕掛けている。そして、一部はフェルゼンを半包囲している征伐軍部隊にまで攻撃する構えを見せてすらいた。

 しかし、所詮は寡兵である。

 総司令部すら鋼鉄の暴風によって押し潰され、混乱の極みに在るとっても過言ではない征伐軍だが、レオンハルトとフェンリスはこれ以上ない程に明確な形で健在ぶりを示している。

 立て続けに砲撃が繰り返され、既に間近に迫ったレオンハルトの魔導障壁に砲弾が突き刺さる。

 しかし、甲高い金属音を立てて砲弾は弾き飛ばされる。

 通常の徹甲弾であり当然と言えるものの、対魔導徹甲弾であったとしても貫徹は不可能であることはザムエルも承知している。目晦ましとしての効果を期待したこともあるが、攻撃をしていなければ水兵が士気崩壊(モラル・ブレイク)を招きかねないという危惧からであった。

 咆えるレオンハルト。

 巨大な神虎の咆哮は、心臓を鷲掴みにするかのような威圧感を齎す。その姿だけでも足が震える偉容であり、魔力の放射量は陸上戦艦の魔導探針儀すら狂わせる存在というのは反則も甚だしい。

 だからこそ攻撃は続けなければならない。戦意を失わない為に。

 間近に迫る〈龍討者シグルズ〉とレオンハルト。

「衝角展開! 根性見せろ、野郎共ッ!」拳を艦長席に叩き付けたザムエルの命令。

 その一言が黒鉄の城と神虎の激戦の始まりであった。

 

 



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 ひとたび軍隊が戦争に従事したならば、軍事に関する指針は、軍人によってのみ示される。 

         《大独逸帝国》 陸軍参謀総長、ヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケ元帥



 命令の基本は、精神的にも実践的にも常に攻撃的でなければならない。だから防禦もまた、次の校正の準備として考えねばならない。

        《亜米利加合衆国》 陸軍欧州派遣軍総司令官ジョン・パーシング大将


 アテナイの住民は富を追求する。しかしそれは可能性を保持するためであって、愚かしくも虚栄に酔いしれるためではない

         《古代アテナイ》 政治家 人類最古の合法的独裁者 大ペリクレス


ちょび髭の伍長……総統閣下
カイゼル髭のグルジア人……書記長
国民帝国の人種改良論者……大統領