第一四六話 停戦への道
「早く、急いでください! 一大事なんです!」
ミユキは、ヴィトゲンシュタインの背を何度も叩く。
軽爆撃騎から偵察騎となったヴィトゲンシュタインの愛騎の嘶きがシュットガルト湖上空に響き渡り、水面に飛龍の影が奔る。
高度を上げると敵騎に視認される可能性が高い為、海面に近い高度を飛行する飛龍には、飛行兵としてロンメル領邦軍に入隊したヴィトゲンシュタインが、後 部にはミユキが搭乗していた。ヴィトゲンシュタインは、陸軍〈第四二五強行偵察飛行中隊〉中隊長の任にある中尉であったが、ミユキがシュパンダウ空襲で大
きな被害を受けたことを鑑みて、ロンメル領邦軍の軍備増強を決意。その結果、入隊したのが……させられたのがヴィトゲンシュタインであった。他にも〈剣聖 ヴァルトハイム〉艦上で勇戦したレーヴェニヒ少佐を始めとした航空歩兵なども入隊しており、ロンメル領邦軍は投降した征伐軍から積極的に軍人を受け入れて いる。
無論、ミユキの気に入った者であるという条件が大前提であるが。
参謀総長の任務に掛かりきりのトウカには話を通していない為、トウカはロンメル領邦軍が増強されている事実を知らない。無論、投降者を迎え入れているという事実を、トウカが許すはずもないと判断したミユキの独断でもあった。
「これ以上は無理です、ロンメル子爵!」
急かすミユキに、ヴィトゲンシュタインは寒風によって固まった表情のままに怒鳴り返す。
既に通信士であるオスハイマーを下ろし、機銃なども放棄している以上、更なる増速は不可能であった。
「っ! どうも両軍が戦っていない様です!」
「えっと……戦いって終わったの?」
ミユキは詳しく戦況を知る立場ではない上に、マリアベルですらも独自行動を続ける前線部隊を把握している訳ではない。
眼下に見える防空巡洋艦〈ゾルンホーフェン〉を始めとした艦艇も市街地への砲撃を停止しており、砲声は聞こえず、発砲炎も見受けられない。艦砲射撃によ る友軍支援の砲声は熾烈なもので、征伐軍砲兵部隊と魔導砲兵部隊による刺激な砲撃戦を繰り広げていると、ミユキは聞いていた。
「じゃぁ、上を飛んで主様を探してください!」
「む、無茶な! 〈プリンツ・ベルゲン〉に着艦して所在を聞くべきかと!」
ヴィトゲンシュタインの言葉に、ミユキは「それはだめ」と否定する。
軍務卿であるマリアベルであれば兎も角、ミユキでは軍機につき申し上げる事は……と躱される事は目に見えている。領邦軍から北部統合軍という事実上、正 規軍と同列の軍令と軍法によって維持される組織となった以上、軍人の階級序列とは違う貴族の宮廷序列は通用しない。子爵位を振り翳したところで、トウカの
居場所を答える事はないだろう。北部統合軍が正規軍と同等の指揮系統を有したとは、そうした意味でもあるのだ。
「取り敢えず、フェルゼンの上を飛んで!」
トウカの居場所は、ミユキ自身で探さねばならない。
見付けられるだろうか?
そして、間に合うだろうか?
そうした不安と焦燥を胸に、ミユキは眼下に迫りつつあるフェルゼンを見下ろしつつ、通信機を強く抱き締めた。
「要件を拝聴致しましょう」
トウカは広場の中央で、アリアベルと相対する。
和平交渉と言えば聞こえは良いが、内容が事実上の無条件降伏に近いものであっては意味がなく、そもそもマリアベルや北部貴族が納得しない。少なくない数 の北部貴族が、エルゼリア侯爵領攻防戦後に離脱した為、彼らの利益と権益を交渉の際に考慮しなくとも良いという点だけが救いであった。裏切り者と風見鶏へ の配慮などに費やす時間はない。
アリアベルは、遅れて訪れたリットベルクとレオンディーネを従えて、トウカやベルセリカ、フルンツベルクと相対しているが、アーダルベルトはこの場で治 療を受けている。レオンハルトとフェンリスはこの場に向かっているとの事で、広場を挟んで両軍が睨み合う状況が続いていた。アーダルベルトは、後送させて
然るべき治療を受けさせるべきという意見もあったが、再戦の可能性もあり、その場合はこの場で問答無用でベルセリカがアーダルベルトを討ち取る必要があ る。手元に転がり込んできた好機を逃す必要などないのだ。よってトウカは後送を認めなかった。
そして、あらゆる面で譲歩する必要もない。
「最初は爺やを向かわせようと思ったのだけど、胸騒ぎがして慌てて来たのです。でも、正解でした……こんなに愉快……ではなく悲劇的な状況になっているなんて」
アリアベルが口元を押さえて、ころころと笑う。鈴が転がる様な笑声は、上品でいて影を感じない。
アーダルベルトは娘の教育を間違った様子である。無論、トウカはどちらの娘がとは考えないが。
「あと暫しの時間を与えてくださるならば、蜥蜴の刺身を振る舞えたのですが」トウカも全力で応じる。
子供が捻くれるのは教育した者の責任である。アリアベルは勿論、トウカも。
ヒトの姿に戻ったアーダルベルトは、左手を喪い、脇腹から血を流しており、衛生魔導士が分隊規模で治療に当たっている。残念な事であるが、高位種の生命力は卓越しており、アーダルベルトは助かる見込みが高いとの事であった。
軽やかに笑う異邦人と大御巫。
二人に付き従う者達は、呆れか苦笑を疲労の表情に滲ませ、両軍の将兵は困惑していた。
白衣と緋袴……金の刺繍が施された重厚な意匠の巫女装束の上に、千早を纏い、前天冠を戴いた姿のアリアベル。対するトウカは無造作な髪や無精髭に、戦塵に塗れた軍用長外套と軍帽であり、些か釣合の取れない絵だが、野戦将校宜しく前線指揮を執っていた点を踏まえれば致し方のない事である。
マリアベルが嫌わなかったからこそ髪も無精髭も放置していた部分もあるが、そろそろ剃った方が良いかとトウカは無精髭を撫でる。
「それで? 詳しい内容は後で詰めるとして、停戦に関してはこの場でお決めに?」
「そうですね。これ以上、血を流す必要もないでしょう。負傷者を合同で助けるべき……医療品が足りないならば、此方から供出しましょう」
トウカとアリアベルは、さも当然の様に握手を交わす。
周囲からのどよめきの声など二人は意に介することもない。
互いに相手の思惑を察していたからと言える。
トウカは既に有利な条件での停戦しかないと踏んでおり、マリアベルの望んだアーダルベルトの殺害は失敗したものの、神同士が殺し合う為に打たれた神剣の 一撃を受けたアーダルベルトの左手は再生する事は叶わず、脇腹に受けた傷もまた臓器の幾つかを傷つけて後遺症になるという事で一定の成果は得ていた。
対するアリアベルは、アーダルベルトが負傷し、レオンハルトとフェンリスもまた混乱の渦中にある現在、一時的に自らの征伐軍の統帥権を発揮できた。自ら が停戦を決定づけたという“戦果”を得て、しかも七武五公の一柱を救ったという事実を以て中央貴族に恩を売り付ける心算であった。その上、この甚大な被害
を蒙った市街戦が七武五公の指揮下で行われたという事実を周囲に印象付けることで、責任問題を分散しようという意図もあり停戦を急いでいた。
トウカとアリアベルに限って言えば、利害は完全に一致していた。
トウカの場合は、隣に立つベルセリカが承諾しているものの、軍務卿であるマリアベルの承諾は得ていない。しかし、アーダルベルトを仕留めきれなかったものの、停戦内容次第では頷かせる自信がトウカにはあった。
――ヴェルテンベルク領邦軍が、小国の軍隊を優越する程の軍事力と経済力を有していることは、この内戦を通じて世界に知らしめる事に成功した。
つまりヴェルテンベルク領は、世界的に一目置かれる存在となった。
マリアベルはこの好機を見逃さないだろう。
七武五公を退け得る兵器に、装虎兵や軍狼兵に限定的ながらも平原地帯で抗し得る戦闘教義、そして広域を防護し得る近代空軍体制。
水上艦艇や陸上兵器の種類だけ利益を上げる可能性があり、戦闘教義や戦術に関しては、教導官の派遣や他国の将校の受け入れを以て、周辺諸国と友好関係を演出することもできる。
兵器は飛ぶように売れ、新たな軍事的概念は称賛の的となるだろう。そして、皇国ではなく、ヴェルテンベルク領と連携を図る国家も少なからず現れるはずである。
そうなれば、周辺諸国の力を利用しつつ、ヴェルテンベルク領だけが皇国から緩やかに離脱するという選択肢もあるだろう。皇国の領土制度は分権的であり、 多くの分野が集権的ではない為に離脱に関する面倒は酷く少ないという事もあるが、北部が経済的に皇国内で孤立しているという理由も大きい。
兵器売買の条件にヴェルテンベルク領を周辺諸国に国家として承認させれば、皇国と帝国を争わせて疲弊させる事も夢ではないのだ。無論、皇国に兵器を売り付けて、帝国との戦局を調整する事も必要になるだろう。
ヴェルテンベルク王国の成立と繁栄。
綱渡りであるが、マリアベルと自身がいるならば不可能ではないと、トウカは信じて疑わなかった。
――やってみせる。失敗すれば多くを失うが、成功すればかつてない繁栄をヴェルテンベルク領に齎す事ができるだろう。何より、次にマリィがアーダルベルトの首を獲りに行くとき、法治国家として周辺諸国と連帯できる。
トウカは、笑顔の下で次の戦争について思考を巡らせていた。
「一先ずは両軍将兵の傷を癒し、休息を与えないといけませんね」
「此方は弾火薬以外は欠乏しておりません。其方が不足している物資を供出させましょう」
帝国の動向が不明瞭であることが痛手であるが、噂に名高いエルライン要塞が短時間で陥落するとは考え難く、例え空挺によって後方を遮断されたとしても十分に持久できる規模と能力を兼ね備えている。
「私は、貴方に色々と訊ねたい事があります。勿論、平和を維持する為に……姉様と」
「所詮、平和とは戦争と戦争の間の準備期間に過ぎません。語るなら次の戦争について、でしょう」
トウカの世界では、三四〇〇年前から今日まで、世界で戦争がなく平和だった期間はの合計は僅か二六八年程度とされている。欧州人の三割が死亡した一四世紀の黒死病の大流行は、英蘭の総人口四百万人の内、三分の一を死に追い遣ったと言われているが、その最中ですら欧州では戦火が絶えなかった。それどころか黒死病によって死亡した者の遺体を投石器で敵拠点に投げ入れてすらいた。
戦争はなくならない。
ヒトは歴史的にみれば、正常か否かは別として戦時下に在る方が通常なのだ。
平和を史学では戦間期と表現し、戦争終結から次の戦争開始までの時間を意味すると定義していることからも分る通り、平和とは基本的に状態に対する消極的 な表現と、次の戦争に備える為に国力を増強する為の休戦期間に過ぎない。勝ち取り、享受する事は許されても、決して溺れてはならない事象が平和なのだ。
平和とは、指導的立場の者が語る時点で健全ではなくなる。軍事力の行使の結果として偶発的に生じる程度のものであると考えるのが妥当であるのだ。
平和など存在せず、求めるに値する事象ではない。そう考えてこそ現実的な指導者足り得るのだ。
「偶には理想を語っては? あまりに悲観的になるとヒトが付いてきませんよ?」
「理想を現実に近づける手段として、理想を妄りに口にするのは下策かと。何より貴女の姉君も理想は目標であって、妄想ではないと弁えておられた」
トウカの物言いに、アリアベルの顔が引き攣る。
そう、理想は容易く口にすべきではない。
容易く口にできる程度の理想なら高が知れている。
トウカもマリアベルも全てを諦めた訳ではない。
決意を胸に、トウカは空を見上げた。
「ヴィトニル公! 俺は行くぞ! 行くからな!」
レオンハルトが心からの叫びを上げながら走り出した後姿を尻目に、フェンリスはその場に居並ぶ将官達に肩を竦めて笑い掛ける。
被害を受けた部隊の再編制は、既に大凡が終了した為、レオンハルトが抜けても問題はない。陸上戦艦という新兵器による混乱と、何よりもアーダルベルト重 傷の報を受けて浮足立った征伐軍将兵を鎮静化させる為に部隊間を走り回る羽目になったフェンリスとレオンハルトは、少なくない時間を喪う事になった。
恐らく、停戦協定の大まかな内容は、アリアベルが勝手に詰め始めている事は疑いない。
――それは別にいいのよ、それは……
フェンリスは胸中で独語する。
中央貴族の権益に口を挟む愚は犯さないであろうし、政府の税収や方針には些かの譲歩が迫られるであろうが、これ以上の内戦は禍根を残す。否、既に双方に 大きな禍根を残しており、これ以上、継戦すれば国が割れる可能性とてある。地域毎の認識の差というのは、本質的に国家を分裂させる潜在的脅威なのだ。これ
状の表面化は避けて然るべきである。目下のところ、場合によっては全力で潜在的脅威を煽る事を躊躇わないであろう存在も厳然として存在するのだ。油断は国 家分裂を招く。
「私はこの場で再編制を続けるわね。でも、暴れちゃだめよ? これ以上は戦えないのだから」
勇猛で知られるレオンハルトであるが、フェンリスからすると猪武者に過ぎない。虎であるが、その行動は基本的に猪である。掣肘するのはフェンリスとアーダルベルトの仕事であった。
「ふん、分かってる! あれは闘争に全力で応じただけだからな、畜生め!」
のしのしと歩いていくレオンハルトの後姿に、フェンリスは溜息を一つ。
七武五公の予想を遙かに超える被害は、皇国に大きな影を落とすだろう。
正確な被害は不明であるが、このフェルゼンを巡る攻防だけであっても人的被害は一〇万名を越えるという有様である。せめてもの慰めは、双方が民間への被害に神経を尖らせていた為に領民の死傷者が少なく、公共施設などへの被害を極最小限に抑えられた点だろう。
無論、フェルゼンを除いて、であるが。
市街戦が悲惨である事は、幾度も体験した対外戦争によって理解していたが、近代兵器と義勇兵、火力支援の充足した市街戦がこれ程までに被害を強いる事な ど予想だにしていなかった。フェンリスは、装虎兵や軍狼兵などの行動が制限されるが、障害物の多い市街地では火力投射が十全に行えないので互角であると考
えてすらいたが、結果は悲惨の一言に尽きる。最早、フェンリスの知る戦闘教義は過去のものとなったのだ。
――違うわね。北部統合軍の戦闘教義だけが、新しい時代に対応していたということね、きっと。
それを皇国陸海軍に反映させねばならない。
特に甚大な被害を受けて国防戦力が低下している現状を補う為、積極的に北部統合軍の技術形態や戦闘教義を学ばねばならない。否、それだけではなく、ヴェルテンベルク領の領法や経済対策などは大いに学ぶべき部分がある。経済的停滞の皇国に在って政府に冷遇されているという不利を背負いながらも、それを嘲笑う……高笑いしながらマリアベルは領地を繁栄させ続けており、特に工業力や造船業に関する点は皇国全土に反映すべきなのだ。
だからこそ停戦という選択肢を北部統合軍は取り得たのだろう。
彼ら彼女らは、戦後の巻き返しが十分可能な力を維持した儘、皇国の獅子身中の虫となろうとしている。
恐ろしい。その一言に尽きる。
確かに停戦は成り、軍事衝突はなくなるだろう。
しかし、経済と政治、工業力、科学技術による競争と衝突が起きる事は想像に難くない。
何も変わらないのだ。ただ、手にする武器と争う分野が変わるだけなのだ。
「あの子、きっと理解しているわよねぇ」
フェンリスは擱座した陸上戦艦〈龍討者ジークフリード〉を見上げながらどうしたものかと思考を巡らせる。周囲では総司令部要員が野晒の雪原上で通信機に 怒鳴り、部隊長を招集し、命令を飛ばしている。陸軍府長官であるファーレンハイトを皇都に帰還させていなければ指揮を執らせて自身もフェルゼンへと向かう のだが、フェンリスまでこの場を離れる訳にはいかない。
サクラギ・トウカ。
謎の少年。瞬く間にヴェルテンベルク領邦軍で要職を占め、北部統合軍成立を提言し、参謀総長となって七武五公の一柱を討った人間種の雄。
正直に言ってしまえば、フェンリスにも図れない部分がある。
面識がないという事もあるが、私的に有している間諜に探らせてもその出自は勿論、経歴も出てこない。規模の大きい陸軍情報部であっても掴めない以上、過去がない、若しくは皇国の勢力圏外から来訪したと見るべきである。そうであれば探る事は容易ではない。
だが、フェンリスは、トウカの出自がこの世界にないと判断していた。
恐らくは次元漂流者。
稀に何らかの理由によって、他世界から流れ着く異邦人。
異質な軍事関連の知識に加えて、政策や経済分野への既存の経済学とは方向性の違う提言。そして何よりも、アーダルベルトに対し、最後まで対等の立場とし て相対していたという部分が、フェンリスにトウカが異世界の人間である事を確信させた。この世界に住まう者達によって、高位種とは何処か隔意と畏怖を感じ
る対象である。その高位種の頂点に位置する七武五公に対して、生まれ育った頃からこの大地で教育を受け、常に高位種の力を目の当たりにしてきた者達が七武 五公に対して横柄に振る舞うというのは想像し難いことであった。
つまり、高位種に対して敬意を払う、或いは畏怖を抱く文明圏と縁がない、そして長期間そうした文明圏で過ごした事がないということになる。
だからこその異世界。
しかも、極めて高度な文明を築き上げた世界。
軍事や政治、科学、文化……サクラギ・トウカという異邦人のナカにはそれら多くが詰まっているのだ。
欲しい。
次元漂流者の中でも、優れた文明の者である例など過去には数例しかなく、その思想や発想、技術をこの世界に転移させる程に優れた知能の持ち主など僅かしかいなかった。
トウカは、皇国のあらゆる分野を急成長させる起爆剤に成り得るかも知れない。
敢えて言うならば、トウカを手にした勢力は著しい成長を遂げることになり、もしもこの内戦が無ければ北部は手の付けられない規模にまで成長を遂げていたかも知れない。
可能ならトウカを北部と切り離さねばならない。
ならばそれ相応の名分と、待遇を擁せねば北部統合軍も、北部地域の領民も納得しないだろう。
「軍事は無論のこと経済と政治にも卓越した才覚……強いて言うなら、その全てに対して提言できる立場をあげたいわねぇ。勿論、首輪を付ける必要があるでしょうけど」
首輪は、もしヘルミーネとそれなりの仲ならそのままくっつけてしまおうと目論みつつ、フェンリスはどうしたものかと悩む。軍人が政治に口を挟むのは好ま しくない為、軍籍に置くのは最善ではないが、政治に関連する部署では軍に対して影響力が限定的に過ぎ、中央貴族の領邦軍に入れた日には内部崩壊させかねな い。
「う~ん、まさか宰相にする訳にはいかないものね」
皇国宰相は、天帝の勅命を受けて成立する立場であり、常設の役職ではない。あくまでも天帝の補佐役であり、選任した天帝が崩御すれば自動で解任される。選任する天帝が不在の上に、不明瞭な点が多い人間種の若者を宰相の任にしては風当たりも強い。
中々に扱いの難しいトウカに、フェンリスは苦笑する。
溢れ出る程の才覚を持ちながらも、危険視されて全体からの支持を受けることに時間の掛かった初代天帝と、立場と状況は違えども似ていると言えなくもない。
そこで、ふとフェンリスは先程までとは違う喧騒に顔を上げる。
「もしかすると、ヴェルテンベルクの人間は、高位種を畏怖しないような教育を受けているのかしらね……」
少し離れた位置で盛大に酒盛りをしている連中がいる。
ベルゲンの強襲の際、捕虜となったラムケという少佐と、陸上戦艦二隻を指揮下に収めていたヴァレンシュタインという少将であった。捕虜の癖に全く自重し ない二人が大破した陸上戦艦の陰で酒盛りをしているのだ。将校待遇の捕虜なので比較的自由与えられているが、再編成に勤しむ者達の横で酒盛りをするという
のは羽目を外すどころの話ではない。顎を外してやりたいわね、とフェンリスは首を横に振る。
「レオンディーネを苛立たせたのは、流石だけど」
あのマリアベルの指揮下にあるだけあり、厚かましい事この上ない。
そもそも、何故、アリアベルがラムケを前線まで引き連れてきたのかわからないフェンリスは、七武五公に対する当て付けとして、図太い神経のラムケを連れ てきたのだと疑わない。実際は、マリアベルを良く知るラムケを手元に置いておきたいという理由であったのだが、当然ながらフェンリスは知らなかった。
征伐軍もまた一枚岩ではなかった。
「まぁ、この程度が妥当だろう」
トウカは、停戦協定の草案に目を通して苦笑する。
好き放題言ってくれるものだ、と内心では呆れていたが、征伐軍が優勢であったが勝ちきれなかったという建前が無ければアリアベルや七武五公の顔が立たない。征伐軍成立に協力した陸海軍を始めとした幾つもの勢力への”褒賞”を考えれば仕方のない事である。
しかし、トウカも無料では転ばない。
倒れ掛かるならば、軍刀の切っ先を相手に向けたまま倒れ込むくらいの真似をしてこその神州男児である。
陸軍が総司令部付の将校としてトウカを欲しがったが、それは全力で拒否し、ヴェルテンベルク領邦軍で使用しているⅥ号中戦車などの活躍を見せた兵器の供 給と、それを運用する為の教導隊の派遣で納得させ、海軍は〈剣聖ヴァルトハイム〉型戦艦二隻を欲したので即決で有償供与で許可した。
陸軍の場合は、機甲戦力を手に入れ、それを運用する技術を手に入れたところで戦闘教義を教える訳ではない。機甲戦や電撃戦を、時間を掛けて理論構築させておけばいいとトウカは考えていた。彼らに取って装甲兵器は装虎兵や軍狼兵の延長線上にある兵器という認識なのだろう。この世界特有の運用がコウアンサレルかもしれないという期待もあった。
そして、海軍は〈剣聖ヴァルトハイム〉型戦艦二隻を欲していたが、現在は二隻とも軍港の船渠内で大破している。海軍に戦艦二隻を移譲するとは停戦協定の 内容に盛り込んだが、それを修理するなど一字も記されてはいない。砲の半数が喪われた二隻だが、海軍は長砲身型四一㎝砲の運用経験はなく、どの様に修理す
るのか。そして、ヴェルテンベルク領御自慢の高出力魔導機関は浸水によって、総検査が必要になっている。
陸海軍共に最終的に泣き付いてくるのは目に見えている。
そして、兵器を手にした以上、それを維持する為、或いは十全に運用し続ける為にはヴェルテンベルク領に依存し続けなければならない。
――失敗だったな、アリアベル。急ぎ過ぎだ。陸海軍を交えず停戦協定の草案を詰めるとは。兵器産業を、隔意を抱く勢力依存する不利益を奴らに教えて……もとい、金を毟らねば。復興には金が要る。
他の勢力への”褒賞”はアリアベルが用意するようで、恐らくは金銭ではなく、物質を欲する陸海軍への対応こそが最も苦慮するものだったのか、あからさまに安堵した表情を浮かべている。
「これで、この悲しい戦いも終わります……」
「全く以て喜ばしいことです。少なくとも、勃発させた当人が終わらせたという点は救いがあるでしょう」
引き攣るアリアベルの表情に、トウカは笑みを深める。
レオンディーネやリットベルクがアリアベル同様に顔を引き攣らせ、面識のない近衛軍士官が眉を顰めているが、少なくとも口先では勝利したと風評を流すく らいはしておかねば、北部統合軍将兵も溜飲が下がらない。両軍共に急な休戦であり、感情をぶつける相手を喪った。矛先を向ける話題は多い方が良い。
そもそも、トウカが停戦協定の内容を判断するのは越権行為も甚だしい。
しかし、妥協はヴェルテンベルク領内で済ませる心算であり、北部貴族も自ら権益を奪われず、税が軽減され、経済封鎖が無くなるならば十分に満足するだろう。彼らからすれば、敗走を続けていたにも関わらず、経済状況好転の機会が訪れたのだ。
そして、北部統合軍に尚も参加し続けている領邦軍の貴族は数が少ないものの、最後まで戦い続けた盟友であり、中には領邦軍として北部統合軍に参加してい た貴族もいる。その者達には領邦軍再建の為に最新兵器の永久貸与や、ヴェルテンベルク領と交通網を結ぶ為の契約などで便器を図るように、トウカはマリアベ ルに進言する心算であった。
義務を果たし、戦列の一翼を担い続けた者達には恩顧を以て報いねばならない。
戦傷によって困窮した傷痍軍人は、ヴェルテンベルク領邦軍で面倒を見るべきだとも進言する心算であり、教導官や、これからは重要性が増すであろう諜報 員、分析官なども当然であるが、人事や管理、兵站、教育、整備点検、医療、軍令、連絡なども後方支援業務とて戦闘教義の発展により、規模拡大と能力の向上
を強いられる。これの不足を直接戦闘に参加しない範囲で傷痍軍人を可能な限り当てる心算であった。
「フルンツベルク中将……義手の調子は如何ですか?」
トウカは、後方に控えていたフルンツベルクへと訊ねる。
《ヴァリスヘイム皇国》は、トウカの祖国である《大日本皇国連邦》と比して劣る部分は多いが、中には優れたものある。その最たる例が、義肢などの欠損した部位を補う技術であり、これらは遙かに優れていると評しても良い程に優越した技術であった。
魔導技術の恩恵であり、元来、魔導技術は神経結合や身体強化などの点が、純然たる科学技術に対して大きな優位性を持っている。神経の結合は、視野の拡大や精神交感などの霊的技術から、微細な動作は極小の魔導結晶という原動機による高い稼働率から実現される。寧ろ、術式という名の電算処理は、人間種には不可能な動作や魔術という名の奇蹟まで実現させることができた。
そして、フルンツベルクはアーダルベルトとの戦いで左手を喪い、代わりに義手を付けていた。
今は代替品であったが、現在、領邦軍工兵隊に依頼して鋼鉄製の大層立派な義手を準備させているらしく、噂では打撃の際に衝撃を侵徹できる術式を組み込むと豪語している為、周囲は苦笑するしかない。
「おう、新しい義手が届いたなら万全だろう。次は何処の龍と素手喧嘩だ?」
「それならば、某が相手してやろう」
義手が届けば馴染ませる為と称し、周囲の高位種に無差別に襲いかかりかねない雰囲気に、ベルセリカが応じる。
トウカの世界では、フルンツベルクは名高き騎士と謳われていたが、皇国のフルンツベルクは、ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンの様な有様であった。
ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンとは史実の人物であるが、劇作家でもあるヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテが作成した戯曲”鉄の手のゲッツ・フォ ン・ベルリヒンゲン”の登場人物として一躍脚光を浴びた騎士である。ゲーテの戯曲では著しく、美化された挙句に英雄として描かれているものの、実際のベル
リヒンゲンは決闘を悪用した強盗、恐喝、追剥ぎを繰り返して一財産を築いたことから”盗賊騎士”の異名すらあった。
皆が苦笑する。
一頻り響く笑声に、心地良さを感じていたトウカだが、リシアが近づいてきて耳打ちする。
「閣下、どうも単騎で飛び回っている騎体がいるようです」
「我が軍か? どこの所属だ?」
トウカの疑問に、リシアは端的に「照会中です」と応じる。
アリアベルに視線を向けると、リットベルクに視線を一度向けた上で、トウカの視線での疑念に首を横に振る事で否定した。陸海軍という正規軍の指揮系統を 利用している征伐軍は、命令違反や抗命に対する対応も早い。こうした事は指揮系統の面では統合を果たしたとはいえ、未だに練度や武装の差から領邦軍毎の編
成が続いている部分もある北部統合軍にこそ起き得る問題である。正規の命令系統よりも領邦軍間の上下関係や血縁を優先する場面も、内戦中には少なからず存 在した。書類上では先進的な指揮系統を実現しても、将兵はそれを理解できず、所詮は寄り合い所帯なのだ。
リシアが近くの通信士が背負った通信機の受話器で、報告を受けているがその表情は芳しくない。碌でもないことが起きた事は一目瞭然であった。
――シュトラハヴィッツ伯爵家にロートシルト子爵家……。ロンメル子爵家もだが編制すら終えていない。……心当たりがあり過ぎる。
再びトウカに近づいたリシア。
「……ロンメル領邦軍の様です。ミユ……ロンメル子爵も搭乗なさっているとのこと」
何とも言えない空気が周囲に満ちる。
征伐軍側のアリアベルやレオンディーネ、将官などは首を傾げているが、北部統合軍のベルセリカやフルンツベルクは何とも言えない表情でトウカを見つめている。
「………………………そうか」
「閣下、至近に迫っております。如何なさいますか?」
リシアの問いに、トウカは、決まり切っている、と溜息を一つ。
トウカは空を見上げる。
そこには、広場に対して緩降下に入った航空騎が一騎近づいていた。
「大御巫、どうか広場を開けて貰えますか?」
「……差し迫った理由のようですね。協力しましょう」
広場は、停戦協定の擦り合わせの為の場を設ける為に、兵器の残骸や、瓦礫などは取り除かれている。広場に展開している両軍の将兵が立ち退けば航空騎が十分に着陸できた。
「通信越しでは、随分と、その、支離滅裂な事を……」
「……そうか、それはロンメル子爵当人に聞こう」
――一体、何があった。
首筋をちりちりと焼く焦燥の感覚に、トウカは嫌な予感を覚えた。
平和とは、戦争と戦争の間の準備期間である。
《亜米利加合衆国》 作家 アンブローズ・ビアス
判明している情報では、三四〇〇年前から今日まで、世界で戦争がなく平和だった期間は僅か二六八年である。
《亜米利加合衆国》 記者 クリス・ヘッジズ