第一四四話 我等死ぬまで狼ぞ
「対砲兵吶喊を行いますか?」
リシアの進言に、トウカは苦笑する。
時折、床を伝う振動と、天井から剥離した練石の小さな破片が舞い落ちる光景は、薄暗い室内であることも相まって息苦しさを感じる。そうした中、二人は気にすることもなく、指揮を執り続けていた。
既にトウカ達が居る高射砲塔……防空要塞を攻撃目標に定めたアーダルベルトの猛攻は凄まじく、互いを主な交戦目標と認識して五分足らずで、外壁の砲座に据えられていた連装高射砲は火炎息吹でその悉くが吹き飛ばされ、高射砲兵は一瞬で塵芥となった。下の広場には吹き飛ばされた高射砲の砲身が石畳を突き破って刺さっており、最早、笑うしかない威力である。
部屋の中央で仁王立ちのままに佇むベルセリカの周囲には魔術陣が展開しており、それはベルセリカの魔力波形を完全に遮断して存在を認識させない為であっ た。永続式魔術が展開していることは察知されても、ベルセリカの存在を隠蔽で切れば十分である。そもそも激しい魔術の応酬がフェルゼンの各地で行われてい る以上、規模が然して大きくない魔術程度であれば察知される可能性も少ない。
トウカは野戦金属碗の水に口を付けると、一気に飲み干す。
戦場での水の確保は重要な問題であるが、高射砲塔や防空要塞の構造には様々な工夫がみられる。屋上部に高射砲や対空機関砲が設置されており、下層階は民間人用の避難場所となり、市街戦時には“要塞”として長期間篭城できるように発電機や貯水槽が設置されていた。
よって、純粋に戦闘だけに思考を傾ける事ができる。
片腕を喪って戦友に運び込まれた兵士や、既に遺体となって部屋の端に並べられた兵士からは焼け焦げた匂いがしており、龍の火炎息吹に焼かれた事を嫌でも理解できる。アーダルベルトだけでなく、高位の龍種が少数ながらも進出してきており、アーダルベルト同様に暴れていた。恐らくは、アーダルベルトの直衛戦力だろう。
トウカは、投影魔術に映る光景に内心で頭を抱える。
フルンツベルクが地上に降り立って転化した高位の龍種の首に組み付いて絞め殺している姿も現実感がないが、それ以上に、アーダルベルトがこの防空要塞に突進する様は、出来の悪い映画の怪獣大決戦にしか見えない。
その齧りつかれている防空要塞にいるトウカとしては気が気ではない。
龍の歯とはそれ程に頑丈なのかという疑問と、先程、口内に撃ち込まれた対戦車擲弾筒が然したる効果もなかった事も気が重い。龍の口に個人携帯対戦車弾(LAM)や手榴弾で撃破というのは、祖国の粗製乱造小説の御約束であったのだが、それはやはり妄想の産物だったのだ。効果に乏しい。
「あの勇敢な擲弾兵は叙勲をしてやらないとな」
「閣下、そろそろです。クルワッハ公爵以外の目ぼしい戦力は一時的に間引きました……しかし、周辺に支援の為に展開していた擲弾兵や砲兵は……」
リシアの言葉に、戦域図を目にしていたトウカは、両軍の戦力の多くが喪われた状況を見て取り、鷹揚に頷く。
致し方ない。
友軍の被害が当初の予定よりも甚大であるが、アーダルベルト以外の戦力を一時的に退けるという目標は達している。
「ヴァルトハイム総司令官、ではクルワッハ公爵の御相手を御任せいたします」
トウカは、ベルセリカへと恭しく手を差し出す。
対するベルセリカは苦笑しながらも、その手を取る。
気が昂っているとばかり思っていたが、シュットガルト湖の湖面のように澄んだ翡翠の瞳をしたベルセリカは、あくまでも平静である。フルンツベルクなどが戦闘開始までに飲酒して呵々大笑であった事とは対照的であった。
「リシアは残余の部隊を纏めろ。余計な真似はするなよ」
そうは言ってはみるものの、リシアは曲剣を手にしており、続く気がありありと見て取れる。命令違反を堂々と継続し続けているので、既に自暴自棄に片足を突っ込んでいるのだろう。
トウカは、やれやれと首を振る。
「ここは俺に任せて先に行け、と言うのが神州男児の浪漫なんだがな」
リシアはそれを鼻で笑う。
「死ぬ時は一緒よ、って応じるのがヴェルテンベルクの女の意地なのよ」
残念ね、と笑うリシアに、トウカは溜息を一つ。
ヴェルテンベルクの女は強い。
それが、過酷な大地で生きる女達の先天的な気質であるのか、マリアベルの性格が領民に反映されているだけなのか大いに判断に悩むところであるが、トウカとしては好ましいものを感じた。
「ああ、畜生め、良い女だな」
「あら、ありがと」おどけた調子で肩を竦めたリシア。
後に続く狼種で統一された鋭兵小隊から苦笑が漏れるが、トウカがひと睨みすると気まずげに視線を逸らす。
――まぁ、巻き込まない様に配慮はしなければならないか。
前方を歩くベルセリカが、曇天の空が窺える位置で立ち止まる。最上階へと進み出る扉は既に戦闘によって破壊されて、その役目を果たしておらず、その周囲には練石と鉄の破片が散乱していた。
最上階にも対空機関砲などが設置されていたが、既に破壊されているのか発砲音は聞こえない。目立つ位置でもあった為、真っ先に破壊されたのだ。
「総司令官、準備は既に」
「御主らは別に来ずともよかろうに……随分と物好きでは御座らんか?」
トウカの言葉に、今更ながらに呆れるベルセリカ。
この場にトウカが居ることは作戦立案の段階で決定した事であり、ベルセリカの言葉は今更と言える。無論、トウカは作戦立案者が安全な場所に居ては兵士の 戦意に影響するなどとは考えておらず、寧ろ、武勇に秀でたベルセリカに注目が集まっている為、トウカの存在の有無に然したる影響はない。それでも尚、トウ
カがベルセリカと並び立つのは、アーダルベルトにこの防空要塞での戦闘が総力戦であると“錯覚”させる為である。
総司令官と参謀総長が並び立つ戦野が決戦場でないはずがないという先入観。
ある意味、決戦場であるというのは双方共に間違った認識ではないのだが、北部統合軍の場合は征伐軍の撃滅ではなく、アーダルベルトの殺害を主眼に置いている以上、目標であるアーダルベルトをこの場に拘束し続ける必要がある。
よって、この場にアーダルベルトを縛り付ける必要がある。
その餌がトウカなのだ。
勿論、これには総司令部や参謀本部から非難轟々といった有様で、実は総司令部の将官や参謀本部の参謀達を各前線に派遣して分散させたのはこうした声を封 殺する意図もあった。勿論、表面的な作戦計画ではトウカは、重巡洋艦〈プリンツ・ベルゲン〉で指揮を執り続ける事になっている。
ベルセリカが大太刀を抜き放ち、階段を一息に駆け上がる。
狼種で統一された一個鋭兵小隊がそれに続いた。脚力で劣るトウカとリシアも慌てて追随する。
「命を賭せ! 我等死ぬまで狼ぞ!」
ベルセリカが大太刀を振り上げ、防空要塞の最上階で行われていた戦闘に鋭兵一個小隊を率いて乱入する。征伐軍が大型航空騎による決死の空中停止で 送り込んできた歩兵によって、防空要塞の各砲台で激しい歩兵戦が行われていた。無論、被害は増大するが、地上からの侵入が甚大な被害を蒙る以上、これに対
する対応としては悪くはない。空挺に意識を割かねばならなくなれば、地上への警戒と戦力配置が疎かになると願ってのことだろう。
トウカとしては、防空要塞には定数を遙かに超える二個大隊が控えており、そもそも後方と地下通路で連結しているので戦力補充も容易く、兵力を割いたとしても全く問題はない。
防空要塞を攻め落とさんと勇戦している征伐軍の各部隊の指揮官も枯渇しない戦力を前に歯噛みをしているだろう。トウカとしては、航空騎に回転翼機の真似事をさせたという事実こそが驚嘆すべき点であり、これは後に大きな意味を持つ事は疑いないと確信していた。だからこそ七武五公には油断できない。
瞬く間に三人の歩兵を文字通り横一線に一刀両断したベルセリカ。
遮蔽物として設置されていた阻害諸共に斬り伏せるベリセリカの勇戦に続き、銃剣を装備した小銃や、曲剣を手にした鋭兵が敵歩兵へと踊り掛かる。圧倒的な瞬発力と膂力で、敵を撃ち抜き、斬り伏せ、貫く姿は勇壮の一言に尽きた。
防空要塞の最上階は、瞬く間にベルセリカと鋭兵一個小隊、そして元より防衛の任に就いていた歩兵によって制圧される。高位種の膂力は卓越したもので、殴 れば相手の頭部が拉げ、蹴れば相手の腹が抉れる。勢い余って最上階から弾き出された敵歩兵も少なくない。地上を見下ろせば、高所建造物から落ちた赤い果実 の様な有様である事は疑いなかった。
トウカは、制圧された最上階から周辺の戦況を見渡す。
アーダルベルトの姿が見えないのだ。
もしや、ヒトの姿に戻って前線指揮でもしているのかと顔を顰めて、手摺の縁から大正門側を見下ろす。
「セリカさん……」
「なんぞや?」
トウカは黙って下を指差す。
ベルセリカやリシア、鋭兵達が大正門側を見下ろす。
アーダルベルトが防空要塞の側壁に齧り付いていた。
練石など齧っても美味しくもないだろうにと思わないでもないが、神龍の牙と顎の力は想像を絶するものなのか、防空要塞の要所に展開した魔導障壁諸共に噛み砕かんとしている。牙がめり込み、練石を砕き、内部装甲にまで牙を突き立てる光景は、酷く現実離れしている。
何とも言えない光景である。
恐らくは巨大な龍に転化している事から至近のトウカを捉えていないのだろう。防空要塞から突き出す様に設置された高射砲座や機銃座によって物理的に視覚が遮られている事も大きい。
可笑しさと恐怖という本来は相反する感情に顔を引き攣らせるトウカ。
「携帯式対戦車擲弾を」
トウカの差し出した手に、鋭兵の一人が背負っていた携帯式対戦車擲弾を渡す。それなりの重量のある携帯式対戦車擲弾を両手で手にしたトウカは銃把を握り、安全装置を解除する。フェルゼンで使用されたものと比べて改良が進み、操作性が向上しており、トウカは、アーダルベルトへ容易に照準を付ける事ができた。
製造の容易い個人携帯型使い捨て兵器として開発された為、照準器に空けられた四角い穴を照門、穴から見える弾頭の頂点を照星とする簡素な構造となっているそれを使い、トウカはアーダルベルトの頭部を照準に収める。
外しようもない程に巨大なアーダルベルトの体躯が原因で遠近感が狂うものの、致命的な程ではない。それ程に近い。
頭部中央を狙い、トウカは引き金を押し込む。
火薬による圧搾音が響き、携帯式対戦車擲弾の前部……弾頭部が射出されて一直線に突き進む。
狙い過たず、アーダルベルトの頭部……鼻先へと命中した弾頭が炸裂する。
弾頭には内部に漏斗型の凹みの付いた治具が付けられ、表面には金属板と呼ばれる密度が高い金属の内張りが嵌め込まれており、飛翔した弾頭が硬装甲目標に命中したことで、弾頭の先端にある外装が砕け散り、衝撃で弾頭内部の起爆薬が発火して炸薬に引火し燃焼が始まる。
衝撃波を伴った超高温の燃焼炎が金属板を溶かし、漏斗型の凹みの中心に収束して、その中心から極めて高い熱量と速度を伴った溶解金属の超高速噴流が噴出する。
本来であれば、この超高速噴流が装甲を溶かしながら穴を開け、その後、噴流が流れ込み、目標内部を焼き払うのだが、アーダルベルトには通用しない。
魔導障壁を展開するまでもないと判断したのか、然したる反応を見せなかった為、頭部を覆っている鱗に命中する携帯式対戦車擲弾。
成形炸薬弾としては一般的なモンロー/ノイマン効果を利用した弾頭は、戦車の装甲を侵徹し得る兵器だが、神龍の鱗は戦車の装甲よりも優越しているのだろう。態々、禁止している対戦車榴弾(HEAT)を用意しても意味がなかった。
――噂通りか……あの鱗を剥いで戦車の前面装甲に使えば、軽戦車に戦艦並の防禦力を付与できるかもな。
意味のない感想を抱きながら、トウカは携帯式対戦車擲弾の発射機をアーダルベルトへ投げ付けて笑い掛ける。
「御久し振りです……義父上」
対するは意味を成さない大音声。
咄嗟にベルセリカや鋭兵が効き手を翳し、魔導障壁を展開することで防がれたそれは、声でありながらも鼓膜を易々と破る程度の威力を持っていた。
「若造おぅぅぅぅッ!」襲い掛かってきたアーダルベルト。
巨大な龍の咢が迫る光景というものは、想像以上に現実味を欠く光景であり、寧ろトウカは綺麗に生え揃った牙を前に「成程、確かに蜥蜴とは違う」と小さく笑う。
ベルセリカが迫るアーダルベルトの咢を大太刀で押し退け、防空要塞より飛び降りる。
アーダルベルトを相手に、大太刀で応じるベルセリカ。
巨大な龍と長身の女剣士。
大通りへと降り立った剣聖と巨龍。
両者の戦いは、一見しても分る程にベルセリカの劣勢であった。
ベルセリカも転化して狼に転じれば互角とは言えないまでも、それ相応の時間は持久できる戦闘能力を有しているが、市街地であれば小回りが利く方が攻撃を避けやすいとの判断から、ヒトの姿で応じている。
盛大に市街地を暴れ回り、破砕しながら戦闘を行うアーダルベルトに、時折、市街地の建造物に潜んだ義勇装甲擲弾兵からも携帯式対戦車擲弾が放たれ、対空砲や対戦車砲の攻撃が放たれるものの意に介する様子もなく、ベルセリカとの“決戦”を繰り広げていた。
その強靭な牙で引き裂かんと鎌首を擡げるアーダルベルトを、立ち並ぶ建造物を利用して躱すベルセリカ。神龍の咢によって建造物が噛み砕かれ、巨大が押し潰して石材へと還る。
「一四時の方角、航空騎の編隊!」
「数は一個中隊……高位種編制と思われる!」
鋭兵からの報告に、トウカは空を見上げる。
アーダルベルトとベルセリカの決戦の間隙を突いて、防空要塞へ一撃を加えようという意図であることは明白。敵騎の数としては少なく、恐らくは高位種が転化した航空騎なのか航空兵が搭乗しておらず、両翼に識別章や識別番号が見受けられない。
「迎撃しなさい! 魔導障壁多重展開! 個別に対空射撃……撃ち方始め!」
リシアの叫びに、鋭兵……魔導杖を手にした野戦魔導士が、自身の身の丈以上もある中隊支援魔導杖を構える。切っ先を空へと向けて、石突きを床へと押し当てる。
中隊支援魔導杖の切っ先に、幾重もの魔術陣が射線上に展開し、回転を始めると、目にも留まらぬ速さで光の矢が無数に射出される。それは射線上に幾重にも展開した魔術陣の中心を通過して初速を増幅させ、空へと放たれた。
魔力量や練度によって大きく左右される魔導射撃は、対地や対空、対艦に関わらず、基礎能力の低い低位種が行った場合、射撃は可能でも照準に難があり、冷 却廃熱による反動を抑える為に他の兵士と共に魔導杖を押さえ付けるという目視的に見苦しい状態となる。しかし、魔導資質に優れた高位種で編成された鋭兵の 魔導士は、中隊支援を前提とした長大な魔導杖を容易に使い熟していた。
しかし、魔導杖を装備した鋭兵は三人しかおらず、命中は望めない。
対空射撃の命中率とは元来、高いものではない。
だが、対空攻撃を行ったことによって、目標に気付いた戦域の高射砲や対空機関砲、野戦魔導士からの対空射撃が始まる。
盛んに撃ち上げられる対空砲火に惑わされて、中隊規模の航空騎が進路を逸れる。
トウカは、その光景に視線を逸らすこともなく、アーダルベルトとベルセリカの決戦に視線を向け続ける。
「何とか広場まで誘導させたいが……ヴァイトリング中佐は?」
「問題ないとの事ですが、あまり暴れられると拘束の為の装備が持たないとことです」
リシアが通信機を背負った鋭兵から受話器を受け取り、遣り取りをすると危惧を上申する。
既にフルンツベルクまでもが巨大な両刃の斬馬刀を手に、ベルセリカと共にアーダルベルト相手に抗戦を開始している。剛力で有名なフルンツベルクであって も、神龍の巨大な角が相手では、巨大な両刃の斬馬刀で押し切る事は叶わない。寧ろ、押し切られて弾き飛ばされ、建造物へと衝突し、石材と戦塵による白煙を 巻き上げた。
――広場への誘導は難しいか。
大通りの延長線上にあり、防空要塞から見下ろせる位置にある広場に誘き寄せるというのが作戦の大前提であったが、ベルセリカとフルンツベルクを投入しても、アーダルベルトを広場まで誘き寄せた上で足止めするというのは難事であった。
「シュトラハヴィッツ大佐ッ! 貴官の持ち場はここでは――」
「――ええぃ、紫芋は黙っていろ! おい、サクラギ! 貴様、姉様に何てことをさせる!」
リシアの非難の声と、聞き覚えのある声にトウカが振り向くと、包帯を体中に巻いていることが着崩した軍服の上からでも窺えるアンゼリカが肩を怒らせて立っていた。
アンゼリカは、アーダルベルトが初めてフェルゼンに侵入した際の戦闘で負傷し、シュトラハヴィッツ少将と共に野戦病院へと担ぎ込まれて、そのまま後送さ れていた。負傷者を船舶輸送によって、シュットガルト湖上の島嶼の中でも医療施設の整った施設のある島へと分散して後送するという計画は事前にトウカが策 定したもので、効率的に負傷者を後送し続けている。
しかし、アンゼリカは傷だらけの姿のままに、この場にいた。
「シュトラハヴィッツ大佐、上官に随分な物言いだな……まぁ、良い」
気に入らないとは思いつつも、使えるかも知れないとトウカは思案する。
広場に誘導するには、それなりの“餌”が必要であるが、それはトウカが担えば良く、一瞬の足止めならばアンゼリカにも不可能ではないはずであった。広場 付近に展開している部隊は高射砲中隊と装甲擲弾兵二個中隊であり、糾合すればそれ相応の戦力となる。迎撃は可能であった。
だが、下手をすると、否、下手をせずとも戦死するかも知れない。
アンゼリカという庇護は余りにも脆弱であり、ベルセリカやフルンツベルクの支援を望める展開となるかは分からない。否、恐らくは望めない展開でなければ
アーダルベルトは、脅威度から優先順位をベルセリカやフルンツベルクを上として、トウカには目もくれない事は明白であった。防空要塞からアーダルベルトに対戦車擲弾筒を撃ち込んだにも関わらず無視された事からも推測できる。直接的な戦闘能力が自身の脅威と成り得ないとするアーダルベルトの判断は正しい。
アーダルベルトは、冷静さなど欠いていない。
転化して神龍となった為、その表情を見ても感情が推し量れないが、優先順位を酷く妥当な順番で順守している以上、冷静さを欠いているとは思えない。例え、膨大な熱量の火炎を吐き、天壌を朱に染めていたとしても、神龍たるの本質を見誤ることはないのだ。
トウカは喉の奥で笑声を零す。
「あれだけ火を吐いても思考が熱に犯されないとはな……シュトラハヴィッツ大佐、御前の姉を助けに行くぞ。転化しろ、俺を乗せて広場まで奔れ」
アンゼリカの手を掴み、トウカは命じる。
転化を高位種に迫るというのは、《ヴァリスヘイム皇国》の常識としては非常識に当たる。
転化した姿とは、本来の姿とは別の姿として一般的に捉えられており、自身を偽る事を強制していると判断されるのだ。何より転化した場合、手足で武装を保 持する事が難しく、攻撃手段のほぼ全てが魔術に頼ることになる。持久の面で劣り、魔導資質に優れた者だけが好んで使用する手段こそが転化であり、シュトラ
ハヴィッツ伯爵家は天狼族の家系であるが、それ以上に皇国騎士の家系として勇名を馳せていた。故に刀剣による近接戦闘という手段を放棄する転化に対して酷 く否定的である。
「くっ……ッ! 致し方ない、今だけだぞ!」
些かの逡巡を見せたアンゼリカだが、結局は認めざるを得ない。
誇りと姉の生命を天秤に掛けた結果としては順当なものに過ぎないので、トウカは鷹揚に頷くだけに留める。
アンゼリカの身体が光に包まれたかと思えば、突風が吹き荒び、後に巨大な天狼が姿を現す。
鳶色の毛並みの見事な巨狼の片耳を掴み、姿勢を低くさせると、トウカはその背に飛び乗る。鐙もないので軍靴のままで問答無用に踏みつけた為に、アンゼリ カからは屈辱の唸り声が聞こえるが、負傷したにも関わらず、砲爆撃の市街地を走り抜けてやってきた酔狂な狼に配慮するほどトウカは優しくはない。
「行くぞ、最短距離だ」
トウカは、天狼に跨り、自動拳銃を拳銃嚢から抜き放つ。
そして、人狼一体となった二人は、防空要塞の最上階から飛び降りた。
「そこの大尉、高射砲は何基健在か?」
トウカは、広場に展開していた高射大隊の大尉に訊ねる。
戦塵に塗れた姿は、連日の対空戦闘などによるものであろうが、高射砲部隊の被害は甚大なのは、トウカの積極的運用によるところでもある為、胸中では複雑な想いを抱いていた。それを無表情で覆い隠すと、努めて穏やかな笑みを浮かべる。
無論、それはトウカの主観であり、周囲はその張り付いた狂相に戦意を漲らせていた。古来より、野戦指揮官の戦意とは部下に伝染するものである。
「四基が健在です、閣下!」
定数の三分の一近い数まで減少した対空戦力に、トウカは薄く笑う。
被害が大きいということは義務を果たしているということであり、軍人の在り方としては好ましいものがある。高射砲は高初速の為に遮蔽物越しに敵を砲撃で
きることに加え、装甲兵器に対しても有効な兵器である事は、Ⅵ号中戦車の換装された長砲身砲が高射砲からの流用品であることからも窺い知れる。《独逸第三帝国》が示した高射砲による数々の奇蹟をトウカが理解していたからこそ、高射砲は重点量産する兵器として指定されていた。
アンゼリカは転化したままの姿で、トウカの足元で蹲り唸っている。男性を背に乗せるというのは恥ずかしい事であるらしく、狼耳をぺたんと寝かせて前足で 両目を覆っている姿は、近所の野良犬の様であった。笑うと頭を齧られるので決して口にはしないが、ヒトの姿でもそうして振る舞っていれば可愛げがあるもの を、とトウカは思わないでもない。
「閣下、クルワッハ公が……ッ!」
装甲擲弾兵中隊所属の兵長からの報告に、トウカは広場から大通りへと視線を投げ掛ける。
火焔を吐くアーダルベルトの頭部に盛大な踵落としを見舞うベルセリカに、その尻尾を受け止めたままに抑え込み大地へと縫い付けんとするフルンツベルク。
大通りの石畳を踏み砕き、周囲の建造物が倒壊する。
大通り脇の建造物に潜んでいた義勇装甲擲弾兵達が携帯式対戦車擲弾で側面からの支援を敢行するが、対人榴弾でしかない上に、戦艦の装甲すらも優越する魔導障壁と鱗に覆われたアーダルベルトに対しては蚊が射した程度以下の痛みでしかない。逆に暴れるアーダルベルトに巻き込まれて、建造物の破片や倒壊に巻き込まれて甚大な被害を受けている。
既にフェルゼンに展開している部隊……列車砲部隊や重砲部隊、噴進砲兵部隊などの長距離支援砲撃を行う部隊以外の戦力は、近場の最上位の将校に従って、 独自判断で戦い続けている。これは、連日の砲爆撃で通信網が寸断され、下手に総司令部に指揮権を維持し続ける事で戦闘の非効率化を招くという懸念からであ るが、同時に前線の兵士が地の利を最大限に利用する事ができるという長所があった。
しかし、指揮系統から外れた部隊に、トウカが即座に命令を遵守させる事は難しい。
伝令兵を走らせるという手段もあるが、確実性に欠き、時間も掛かる。
健気にささやかな抵抗を続ける大通り沿いの装甲擲弾兵に対する伝令は間に合わない。
意味のない抗戦だが、それは郷土愛の発露であり、命を擲つことを彼らに求めたのはトウカである。
彼らは愚直なまでに義務を果たしている。
ならば自分もまた義務を果たさねばならない。
「来るぞ! 高射砲は足止めを! アンゼリカ、起きろ!」
アンゼリカの尻尾を踏みつけながら、トウカは指示を飛ばす。
大通りを破砕しながら縺れ込んでくるアーダルベルトとベルセリカ。尻尾に掴まったフルンツベルクは建造物に叩き付けられて酷い有様であるが、それでも戦意を失っていない。
だが、大通りに誘き寄せることまでは成功したとベルセリカとフルンツベルクは、卓越した脚力で飛び上がり、広場へと転がり込む様に滑り込んできた。
「各自、撃ち方始めッ!」
高射砲に加えて、広場に展開している義勇装甲擲弾兵から機関銃や小銃、軽迫撃砲、携帯式対戦車擲弾による制圧射撃が、火薬と鉄による戦場音楽を奏でる。
次々と多種多様な銃弾と砲弾が、アーダルベルトへと撃ち込まれる。
ベルセリカにフルンツベルク。
そしてトウカ。
主要な攻撃目標が揃い踏みの広場へとアーダルベルトが踏み込んでくる。
火焔を再び拭いたアーダルベルトだが、ベルセリカは風魔術を併用した斬撃で吹き払う。しかし、それを見越したかのように身体を巨体とは思えない素早さで半回転させたアーダルベルトの尻尾がベルセリカを直撃する。
吹き飛ばされたベルセリカが広場脇の建造物に直撃し、倒壊によって白煙が吹き上がる。
再び振るわれるアーダルベルトの尻尾。
狙われるのは高射砲陣地。
しかし、フルンツベルクが割って入り、その尻尾を受け止める。
フルンツベルクは脚を半ばまで石畳の地面へとめり込ませ、大きく引き摺られるが、それでも尻尾による一撃を受け止めて見せた。
巨龍へと銃撃を続ける義勇装甲擲弾兵達。
トウカは、アンゼリカを従えたままにその姿を見上げ続ける。
割れた石畳の破片が頬を掠め、血が流れるが、それを気に留める事もない。
「これが神龍か……」
不愉快な事であるが、恐らくはこれでも尚、手加減されているのだろうという事は、実際に初代クロウ=クルワッハ公爵が参加したという戦役での結果を考え れば容易に思い当たる事であった。フェルゼンを完全に破壊してしまえば、あとの領民生活に響くという判断と、或いは戦後政策を考慮したからであろうが、あ る意味、無駄な配慮と言える。
アーダルベルトはフルンツベルクと戦いながらも、砲撃型魔術を連射して義勇装甲擲弾兵中隊や高射大隊を薙ぎ払っていく。アーダルベルトの周囲に展開され た魔術陣の数は尋常なものではなく、そこから放たれる魔術の威力もまた大きなものであり、その上、無数の属性魔術であることから対応もし難い。
急速に増える被害。
阻害を遮蔽物とし尚も抗戦する。
フルンツベルクの頑強な抵抗に、アーダルベルトは足で踏み砕かんと進み出る。対するフルンツベルクは右脚が折れたのか、血塗れの姿で片膝を突いていた。
既に広場の半ば近くまで侵入したアーダルベルト。
今少し、目的を気取られぬように引き寄せなければならない。
「アンゼリカ、行くぞ!」
「し、仕方ない! 今だけだからな!」
二人は、人狼一体となって一歩を踏み出す。