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第七四話    飛行場占領戦

 

 



「戦闘団揮官殿……差し向けた兵達が戻ってきました。成功です」

 トウカは、遠方から立ち昇る薄い黒煙を遠目に、双眼鏡を手にして様子を眺めていたザムエルに囁く。

 鷹揚に頷いたザムエルが笑みを零す。それを見た参謀達も一斉に表情を緩め、その場に弛緩した空気が流れた。

 帰還した兵士達の任務は、“飛行場に設置されている大型遠距離魔導通信装置の破壊”であった。特殊部隊という概念に薄いこの世界に於いては、選抜した兵 士達による任務の遂行しかない。無論、それはトウカも重々承知しており、偽装と隠蔽に関した魔術に秀でた狐種と、感知と探査の技能に優れた狼種の混成編成 からなる一個分隊を編成して作戦に当たらせた。幸いにして目標の警戒能力は、後方と称して差し支えない為に極めて杜撰で、破壊任務に対する直接の障害はな かったとのことであった。

「偽装配置している各小隊に襲撃指示を出します」

「ああ、参謀。大いにやってくれ」

 笑い掛けてくるザムエルに、トウカも敬礼で応じる。

 視線を通信兵に向けて頷くと、通信兵は通信機を操作して攻撃指示を出し始める。

 飛行場は偵察騎の運用を前提とした、征伐軍勢力圏の中央とベルゲンの中間地点に近い距離にある寂れた場所にあった。部隊の進撃路や輜重線とは遠く離れて おり、飛行場も正規のものではなく冬場の間、牧場を借り受けて粗末な臨時滑走路を造り、その横に木造の管制塔と駐騎施設、兵舎が並んでいる。

 トウカは散発的な銃声が聞こえ始めた飛行場の方角を一瞥し、装甲指揮車から下りる。

「この飛行場が一番適しているとはいえ、この雪は面倒だな」

「ねぇ、トウカ。時間的に無理があるんじゃないの?」リシアが駆け寄って来て行き成り疑問を呈する。

 実はリシアのトウカに対する“質問”は多岐に渡り、周囲からは手当たり次第に質問しているように見えた。それは一側面としては正しく、リシアはトウカの 戦術思想を理解しようと手帳に聞いた言葉を書き込むほど熱心に励んでいる。無論、これには第二装甲大隊長を解任されて時間に余裕が……否、暇であったこと が大きいのだが、半分は自身に対する当て付けなのだとトウカは確信を抱いている。

「通信機の性能に限界がある以上、致し方ないだろう。それに余裕は見ている。あちらが先に到着したなら、飛行場に対しては限定的な航空攻撃を行ってから、 強行着陸を行う手筈になっている。……いや、そもそもこの作戦の大前提が、この世界の戦術、戦略の基本に対して意表を突く類のものだ。敵の効果的な対応は 想定していない」

「へえぇ、対応できるものならしてみろ、ってことね」

 一々と引っ掛かる言い方ではあるが、その左手には手帳、そして右手は忙しなく万年筆を動かしていた。領邦軍士官学校首席名だけあり勤勉なのだろうとトウカは薄く笑う。或いは、マリアベルが好む戦術であると理解しが故の行動か。

 魔導機関を停止し、対地魔導探針儀に探知されない様に雪の大地に伏せる鋼鉄の野獣達の間を二人は歩く。

 共に領邦軍中佐と少佐であり、この待機時間を利用して愛車の点検に勤しんでいる装甲兵達は二人を認めると敬礼しようとする。共に面倒を嫌う性格であり片手でそれを制すると、整備を続けろと指示する。

「現状は上手く進んでいる」

 トウカは空を見上げると、遠く北の空に小さな影が幾つも現れ始めていた。

 戦場の支配者たる戦闘爆撃航空団の到着だった。

 釣られるように空を見上げたリシアが小さく息を呑む。

 航空優勢の原則は未だ正しく認識されていない。否、正確にはクラナッハ戦域突破の際の航空攻撃の脅威を〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉の将兵は眼にしているが、それでも野砲や噴進兵器による攻撃の最中であることも相まって正確には理解していないだろう。

 現時点での航空攻撃で最も有効な手段は無差別飽和爆撃……市街地に対する無制限爆撃である。無論、自国の国土で繰り広げられる内戦に在って、自国の国防を担う自国の戦力がそれを行うことは許されない。

「あれは戦闘爆撃航空団だけじゃ……輸送機が何かを牽引している?」

 首に掛けた双眼鏡を手にリシアが、トウカを睨む。

 説明しろということなのだろうが、トウカは肩を竦めるだけに留める。どちらにせよ飛行場に全ての戦力を集結させた後、部隊指揮官を集めて作戦概要を説明する心算なので二度手間になると考えていた。

 装甲部隊が俄かに慌ただしくなり始めた。

 銃声が途絶えたところを見るに、突入した三個小隊は飛行場の制圧を完全に終えた様子であった。ヴェルテンベルク領邦軍情報部の情報通り、飛行場の規模と 比して展開している戦力は極めて小勢であったのだろうとトウカは当たりを付ける。航空攻撃が事情のない限り集団で行われず、偵察や輸送を主体とした戦力と して位置付けられていたことも大きく影響していた。第一前提として、爆撃装備を有する航空騎はヴェルテンベルク領邦軍を始めとした北部の幾つかの領邦軍し か保有していない。対地攻撃も行ったとしても火炎攻撃(ブレス)と銃撃、魔術が限界である。

 それほどに大きい飛行場があっても、航空騎が攻撃任務に就かない以上、その展開規模は知れている。軍とは攻勢であれ防衛であれ、攻撃と破壊を伴う組織であり、それに直接寄与しない戦力が大規模であることなどありはしない。

「ちょっと! ザムエルの莫迦! 私達が指揮車にいないこと忘れているんじゃない!?」

 暖機運転を始めた鋼鉄の野獣達を見てリシアが焦る。

 トウカは拙速を尊ぶのは悪いことではないと、笑い、ゆっくりと動き始めた装甲部隊を見据えると一輌の兵員輸送車に目を付けると、その取っ手に手を伸ばす。

「御嬢さん(フロイライン)、乗車券は必要か?」

 迂遠な席に空きはあるかという問いに兵員輸送車を操縦していた女性兵士が驚いた顔をするが、次の瞬間には深い笑みを浮かべて、特別席がありますと返してきた。

 そのまま進み続ける兵員輸送車を見て、トウカはリシアの腰に左手を回す。

「ちょっと! やめなさッ!」

 通り過ぎようとした兵員輸送車の荷台の端を掴み、リシアを荷台の取っ手に押し付ける。軍人であるだけあり、落ちる前に取っ手を掴み荷台をよじ登り始める。だが、遅いと感じたトウカは、リシアの尻を無理やり押し上げて荷台の中へと押し込もうとする。上面開放式(オープントップ)の荷台を持つ兵員輸送車だからこそできる芸当であった。

 しかし、リシアが不意に脚を大きく引き、トウカの顔を蹴る。

 何事もなかったかのように荷台内へと消えるリシアに、トウカは口内の鉄の風味に、高速で景色の変わる雪の大地に唾を吐き、手早く荷台内へと駆け登る。

「これは……御嬢様(フロイライン)の方々、申し訳ないが便に遅れてしまった。どちらの席は空いているかな?」

 女性ばかりの兵員輸送車内を見て、トウカは軍帽を取り尋ねる。

 二人目の来訪者に驚いて、目を丸くしている女性兵士達の中でも先任と思しき曹長の階級章を身に着けた女性兵士が不安定な車内の中、立ち上がる。

「これは、参謀殿。あちらが空いております」

「助かる。しかし、良いのかな? 麗しき女性の園に迷い込んでしまって」

「いや、此方も参謀殿がいらっしゃると華やいで助かります」

 女性曹長の言葉に男性として何とも言えない思いを抱きつつも、ならば幸いだと笑って見せて、指差された席へと腰を下ろす。

 その後、女性比率の多い通信大隊の車輛を捕まえたことが運の尽きだったと、トウカはリシアに睨まれつつも女性兵士達の質問攻めに対応した。








「ラムケ少佐。ようこそ。トロッケンベーレン航空基地……いえ、蹶起軍最南端の航空基地へ」

「おお、サクラギ中佐! 航空設備を無償で確保してくれるとは有り難い!! 流石、皇国軍人の鑑ですぞぅ!」

 無精髭に丸眼鏡……そして何よりも大柄な体格に似合わない人懐っこい笑みの中年。トウカとしてはあまり前例のないラムケに苦笑しながら差し出された手を握り返す。大仰にトウカの手を上下に降ると無駄に感激した面持ちで言葉を続ける。

「我が領主も御喜びになぁるでしょう。確かに子宝には恵まれなかったが、貴官の様な子がいるならば何ものにも勝る喜びぃに違いない!」

 ぶんぶんという擬音が聞こえる程に振られる手に曖昧な笑みを浮かべ、トウカはそう言って貰えると幸いだと応じる。随分と色気のある母親は勘弁願いたいものであり、現状では作戦計画の勝手な変更でトウカは(はらわた)が煮えくり返っていた。

 今尚、着陸行動を続けている戦闘爆撃航空団の騎体を頭上に、二人は接収した兵舎へと歩き始める。

 不意に巨大な影が頭上を横切った。

 トウカとラムケが空を見上げる。

 そこには龍に混じって巨大な怪鳥が待っていた。

 Ju16と命名された軍用大型輸送滑空機(グライダー)であった。

 トウカの指示によって製作されたもので、要求性能が高いものではなかったことと簡単な構造であったことから、設計と製造が比較的順調に進んだ珍しい“機体”であった。

 性能としては、完全装備の兵士四〇名程度とそれだけの戦力がある程度継戦できる弾火薬、数門の対戦車砲と迫撃砲を搭載し、中型騎が牽引できるというもの である。皇国の技術力ならば更に大きい搭載量の機体を製作することも可能であったが、トウカは堅牢性を重視した為に搭載能力は据え置かれた。機体構造は全 翼機に近く、主翼の前縁中央部には湾曲した貨物扉があり、その上部に操縦席がある。尾部は主翼中央部から後へ延びており、通常配置の水平、垂直尾翼と方向 舵を持っていた。

 だが、何よりも特徴的なのは魔力波を吸収する素材を混ぜ込んだ黒色の塗料を塗布された上に、幾何学模様の認識阻害魔術の魔術陣が描かれている点である。 前者に関しては常時力を発揮するが、後者に関しては魔導士による魔力供給によって稼働するもので、民間人の注目を受けない程度のものでしかない。

「感謝する、少佐。あれを連れて来て貰えなければ、破壊工作による潜入なんて真似をせねばならなかった」

 無論、実情としては撤退するしかなかった。失態と思わせない程度に後方を蹂躙した上で、であるが。

 トウカは、輸送滑空機(グライダー)が、或いは投入されないのではないかと危惧していた。各戦線で征伐軍に甚大な被害を与えたと満足したことで、蹶起軍全体の再編と再配置に踏み切るのではないかと恐れていたのだ。

 各戦線での積極的軍事行動による戦果は、マリアベルに蹶起軍内での権威と主導権を齎しかねない。そうなれば、蹶起軍の兵権はマリアベルの欲しいままとなる。トウカが現在もマリアベルに影響力を及ぼせるならば喜ばしいことだ。

 しかし、マリアベルはトウカを裏切った。

 一度、裏切った者を重用し続けるという危険をマリアベルが座視するだろうか?

 一度でも徹底的に侮辱したり、手ひどい仕打ちを与えたことのある者を、重要な任務に就かせてはならない。なぜならこの者は一挙に悪評を挽回しようとして か、あるいは、どうせ結果は悪く出ても自分の評価はこれ以上悪くなりようがないと思うかして、一か八かの勝負に出やすいからである。

 トウカは疑念を胸中に仕舞い込む。

 余計な事を考えている暇はない。自身の作戦立案で何千という将兵が敵中深くに赴こうとしているのだ。それらに対する義務をトウカは万難を排して履行しなければならない立場にある。

「それはそれで楽しそうで。次の楽しみぃにとっておきましょう、中佐殿」

 神父然とした笑みのままに、敢闘精神溢れる返答を返すラムケにトウカは苦笑する。

 この世界に於ける戦争とは陸戦と海戦……それも大規模な決戦に集約される。それはつまり、将兵の意識も集約されるということである。多くの者が同じ、或いは近い部分に意識を向けるということであった。

 潜入任務の場合は、それら全ての意識を逸らすことが最善である。主戦力や有力な戦力であると思わせてはならない。それは並大抵のことではない。何より戦力の集中した城塞都市の将兵総ての意識を逸らすことは難しいのだ。

「ほぅ、対空戦車の周囲に土嚢(どのう)を積み上げて、特設の対空陣地にするのですか。妙案ですな。流石は中佐殿!」

「戦車も壕に籠って戦うこともある時代だ。装甲兵器も必要ならば地面なり海中なりでも潜るだろう」

 後者は少なくとも計画段階に留まったものであれば、トウカも記憶にある。

 二人は、戦闘爆撃騎が次々と着陸し続けている飛行場の横を歓談しつつ進む。

 実は、トウカはこのラムケという男が嫌いではなかった。

 その愛国心溢れる姿勢もあるが、それ以上に、マリアベルから信を得て孤児院を運営しているという点が何よりもトウカの心に響いた。トウカも実戦を経験 し、人を斬った身。その次の機会では然したる感傷も抱かなかった。しかし、ヴェルテンベルクで軍装姿のトウカを見て駆け寄ってきた子供達の頭を撫でようと したた際に躊躇いが生じた。

 血に塗れた手で、子供達に触れる事は果たして許されるのか、と。己の職分を逸脱しているのではないかとと。

 だが、息抜きを兼ねた巡回時に孤児院に立ち寄ったラムケはそれを然して気に留めた風もない。折り合いが付いているというよりも、何処か誇らしげであり、それはきっと子供達の未来を護ったという自負なのだろう。

 トウカは純粋にそれを強いと感じた。

 ただ単に前向きだと捉えることもできるが、トウカにはできないことをしている。客観的に多角的に、そして何よりも自身の心中に複数の意見と感情を併存さ せることに馴れたトウカだが、一つの可能性に縛られることがあった。特に神が実在する大地に流れ着いてからは、非科学的な要因を無視できなくなり、その傾 向に拍車が掛かっている。

「さぁ、ラムケ少佐。入ろう。工兵に駐騎施設の増設を命じている。龍の心配は必要ない」

「それは有り難いですな」 

 二人は兵舎の扉を抜けた。








 リシアは席に座り、ザムエルとトウカの到着を待った。

 兵舎内の作戦会議室として使われていた一室に各部隊……小隊以上の首席指揮官と次席指揮官、司令部要員が集まり其々が談笑に興じていた。リシアは解任さ れるまで首席指揮官を務めていた第二装甲大隊の次席指揮官と部隊運用に関しての認識の齟齬を洗い出していただけである。元より次席指揮官が優秀であったの で然したる時間もかからず、残った時間を持て余していた。

 他の指揮官達と違い、必要以上の交流を避けているので会話の糸口を得ることすら難しく、そして何よりもリシアは会話の必要性を感じていなかった。

「いけませんねぇ、リシア。そのツンツンとしたぁ癖は直さねば。サクラギ中佐に嫁に貰って貰えなくなりぃますよ? ちなぁみにぃ、花嫁衣裳は小官が縫いますぞぅ」

 この神官、大きな身体と無精髭の顔立ちに似合わず、裁縫や家事炊事を得意としているのだ。軍歴を踏まえればリシアより先任であるが敬おうという気は起きない。

「相変わらず冗談が御上手ですね、ラムケ少佐」

 リシアは隣の席に腰を下ろしたラムケに呆れた視線を向けるがそれで堪える男ではない。

 ラムケはマリアベルにも言いたいことを笑顔で言ってしまう男である。ある意味、絶大な信頼と畏怖を以てヴェルテンベルクに君臨していた。官僚達がマリアベルに諫言を受け入れられないと泣き付く相手であったことからも無形の信頼が窺い知れる。

「我々二人の任務は同じでしょう。いや、楽しみぃですなぁ。大御巫をフェルゼンの中央大広場で磔に出来ると思うと心が躍る!」

 心底楽しそうに笑うラムケ。

 だが、リシアはトウカ……否、その上位に立つマリアベルの思惑が分からない以上、果たして殺害することになるのか疑問を抱いていた。マリアベルは例え肉 親であっても敵に手心を加えるような人物ではないが、敵対勢力の指導者として見るならば生かしておいた方が政治的な多様性は増大する。

 ――あのマリア様が見逃すとは思えない。きっと何処かで利用しようと考えているはず。

 思考の海に引き摺られたリシアだが、扉の開く音に現実へと引き戻される。

 そして、トウカを伴ったザムエルが士官服を翻して静かに作戦会議室へと足を踏み入れた。

 共に然して緊張した面持ちではなく、どちらかと言えば孤児院にいる悪餓鬼に近い雰囲気を漂わせていた。しかし、其れを感じた〈ヴァレンシュタイン戦闘 団〉の面々も楽しそうな笑みを浮かべていたのだから、同類ばかりが集まっているとリシアは溜息を吐く。戦闘を経て意識が纏まりつつあるのか、或いはこれか らの作戦行動と悪戯の区別がつかないのか。

「さぁ、戦闘団戦友諸君! これより作戦の概要を伝達する! 今作戦は一言で言えば奇襲と恫喝(ハッタリ)の複合体だ。偏った編制で既存の戦術も無視する」

 意味ありげに笑うザムエル。

 若手将校が大半を占めていることから、既存の戦闘教義(ドクトリン)に挑戦的な作戦に対する根強い反感は少ないかも知れない。本当に非常時に正確な各自の判断ができるのかと問われればリシアは首を傾げざるを得なかった。非常時に脆い編制は本来であれば避けるべきなのだ。トウカがその点を理解しているか、未だに不明瞭であった。

「各自想定外の状況に陥ることが想定されるが、それ故に作戦完遂へと繋がるならば現場での独自判断を容認する」

「「「「「「「「「!」」」」」」」」」」

 ザムエルの言葉に作戦会議室に驚きが満ちる。

 それは、独断を許すに等しい一言。

 軍とは厳格な規律によって統制される組織であり、各自の独断行動は最悪、国家の崩壊の一端となることすらある。今回に於いても状況であるとは言え、現場 の判断でザムエルの指揮を無視して、独自の判断で直接指揮下に収めている部隊を運用できる大義名分を得たに等しい各部隊の指揮官達の動揺は大きい。

 勝利の為、軍規と軍法、作戦計画に背かない程度の適度な独断は許されるが、それを態々発言する意図は独断の範疇の拡大ともとれる。

 ざわつく部隊指揮官達を、ザムエルが片手で制する。

「無論、これはあくまでも想定外の状況に陥った状況のみであり、諸君らは作戦の達成を第一に考えて欲しい。武勲に逸るような真似をして作戦遂行を妨げた場合は……」

 ザムエルが言葉を区切り、脂汗を浮かべる。斜め後ろに待機しているトウカも何処か緊張の面持ちである。

 ――ちょっと、早く言いなさい! 

 たっぷりと引き付ける様に指揮官達の顔を眺め回すザムエル。

 最早、会議などではなく子供の悪巧みの集まりでしかない。

「我らが麗しき領主様から直接、懲罰内容を言い渡されるそうだ」

「「「「「「「「「……………………………………………」」」」」」」」」」」」」

 不気味な沈黙が作戦会議室に下りる。

 それも無理からぬことで、マリアベルが懲罰内容を言い渡すということは、その懲罰内容をマリアベルが考え出したということに他ならない。またマリアベルの容赦のない性格と悪辣な行動はヴェルテンベルク領邦軍に所属している者ならば誰もが知っていることでもあった。

 指揮官達は暫く、懲罰の内容を思い浮かべて軽挙な独断は高い授業料が付くのだと胸中で噛み締めていた。









「さて、以上が作戦の基本的な概要であるが、質問は?」

 トウカは黒板に書かれた作戦内容に背を向けて、今一度、指揮官達を見渡す。

 難しい点も多い作戦だが、部隊行動が複雑になる訳ではない。問題はそれぞれが火力と機動の本質を理解して、偏った編制の欠点を最大限に見せない形で長期間継戦できるかが重要であった。

 質問の声は上がらない。

 異論が挟まれない様に作戦説明を行ったからであるが、問題点の大半をトウカが事前に洗い出していたことも大きい。問題点は大きく幾つかに集約され、その内の一つは戦闘団主力の進撃時に敵戦力と遭遇することであった。

 クラナッハ戦域が事実上瓦解し、戦線全域に渡っての攻勢を受けた征伐軍は、恐らくはベルゲンからも戦力を抽出して、前線を後退させると共に防禦に当てて いることが予想された。それでも尚、総司令部である以上、それ相応の戦力が展開できることが予想できる。そして、ベルゲン近郊の哨戒網の規模も不明である ことから、最悪、ベルゲンを視界に収める前に迎撃に現れた戦力と遭遇し、交戦することになるかも知れない。

 今作戦は拙速こそが肝要である。

 しかし、航空偵察などは戦闘団(カンプグルッペ)の存在を察知される可能性があるので不用意に行えない。

 トロッケンベーレン航空基地に戦闘爆撃航空団が飛来する際も、東部地方の境界線を添う形で飛行した後に西進するという迂回行動を取っていた。その上、可能な限り高空を飛び、雲に隠れる形での飛行であり、航空騎と飛行兵には多大な負担を掛けている。

「航空攻撃による殺害を進言します」立ち上がって意見具申するリシア。

 ザムエルが、ここで楯突いてくれるな、と焦った表情でリシアを見ているが、当人はそれを見て鼻で笑う。トウカとしてもそれは杞憂であり、リシアの述べた航空攻撃に関しては一度ならずも推敲した案件であり、複数の問題から却下した。

「それは小官も推考した、ハルティカイネン少佐」

「殺害の是非に疑問が生じるからでしょうか?」

 トウカは間髪入れずに応じたリシアを手放しで賞賛してやりたい気分であった。

 航空攻撃による攻撃を認めなかった理由は複数ある。

 本来、都市攻撃する為の戦術爆撃機や戦略爆撃機に類する航空騎が未だ存在していないことと、例えそれらが存在しても精密爆撃という名の科学技術の発展形である航空攻撃ができないことから確実性がなかった。そもそも戦闘爆撃騎の搭載量(ペイロード)では、ベルゲン中央に位置する征伐軍総司令部として使われているとされる市役所の地下構造物にまで被害を与えることはできない。そして、不確実な戦果というものは、政治的には一番利用し辛く面倒であった。リシアの口振りはこの点を指摘している。

 ――爆撃照準器の開発は急務か。いや、航空戦力を軽視していたのは北部も同じだ。

 大型騎は少ない。蹶起軍が長期間存在し続けることにならない限り本格的な戦略爆撃部隊は難しかった。無論、トウカは既にその点も手を付けていた。戦略爆撃という一種の偏在性を持つ攻撃手段は、対応の為、敵勢力に資源(リソース)の多大な消費を強いることができる。どちらにせよ現状では難しい話であるが。

 どう転んでも爆撃による大御巫殺害はできない。

 そもそも都市爆撃は民間人を殺す為のものでもあり、それだけの覚悟を以て内戦を行う程、北部貴族は苛烈な意思を持ってはいない。

「投弾に失敗した航空爆弾は、征伐軍総司令部周辺にある民家を吹き飛ばすだろう。そもそも、現時点での爆撃は然して命中率の高い攻撃手段ではない。編隊を形成しての絨毯爆撃となるだろう」

「絨毯爆撃……」

「多数の爆弾を用いて一区画を爆撃する手段だ。通常は目標地域の人員、物的資源の完全破壊や心理的効果等を意図して行われる。被害が無差別かつ広範に渡り、民間人は我等を恨むだろうな。貴官の生命で償える程度には収まらん」

 絨毯爆撃……戦略爆撃の爪痕は想像を絶するものである。

 大日連が体験した第二次世界大戦に於いても、戦略爆撃は主要国全ての航空部隊が実施したと言っても良い。核兵器の到来までは戦略爆撃機が何百機と翼を並 べて飛来し、何千tという爆弾を投下して直接国力を減衰させる手段として多用された。大日連でも九州、四国地方を中心に大きな被害を齎し、ヒトも物資も建 造物も公共施設(インフラ)も歴史も……何もかもを焼き払った。

 あの温厚な昭和大帝を激怒させ、五大湖周辺の工業地帯に対する弾道弾での核攻撃を決断させる程の地獄を生み出したのだ。

 トウカは黒板から離れ、最前列の前を歩く。

「家族を亡くした者を大量生産することになる。勿論、貴女の様な孤児も」

 リシアが顔を青くする。

 この内戦は、言うなれば北部貴族と中央勢力の戦争であり、必要以上に民間人を巻き込めば敵勢力が増大する結果となりかねない。

「だがハルティカイネン少佐。もし、貴官が絨毯爆撃の指示を出し、そのことで何かの思いに責め苛まれたとしよう。そんなときはきっと、幾つもの瓦礫が寝台(ベッド)に眠る子供の上に崩れてきたとか、身体中を炎に包まれ『ママ、ママ』と泣き叫ぶ三歳の少女の悲しい表情を、一瞬思い浮かべてしまっているに違いない」

 市街地爆撃の本質が虐殺の一端であることは避けようもない事実である。

 戦闘爆撃航空団の指揮官が顔を青くしているのを横目で眺め、トウカはリシアの前で歩みを止めて、その肩に手を置く。

「だが、もし正気を保ち、主君が貴官に希望する任務を全うしたいのなら、そんなものは忘れることだ」

 指揮官達が息を呑む。民間人を殺した記憶を忘却の彼方に追い遣れと言っているのだ。無理もない事であった。

 物言いたげな一部の指揮官を、ザムエルの使っていた机に拳を振り下ろすことで黙らせる。

「それが軍人であり続けるという事だ」

 反論はなかった。









「戦闘団主力が出ていく様です」

「うっさいわね」

 大いに機嫌を損ねているリシアに、トウカは苦笑する。

 戦略爆撃に対する心構えは、騎士然とした道徳を支柱として士官教育を行っている皇国軍人には受け入れ難いものだろう。トウカが考えるような命令と効率性 の下でのみ許される武士道という大日連の将兵の在り様はこの世界では異端と言えた。全ての国民が高等な教育を受けた状態で軍に入隊するという大前提がある 大日連という国家は、この世界の国々とは成熟度の面で隔絶していると言える。

 「国民の質こそが軍の質、か……」

 トウカは眼下で移動を始めた〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉に敬礼する。

 遠目にザムエルが楽しそうに敬礼する姿を認めつつ、トウカは進撃を始めた戦闘序列を見据える。傍目に見る分には十分な練度を有しているが、若手指揮官ばかりで戦意に逸るかも知れないことだけが心配であった。

「それより、トウカ。さっきは良くも誤魔化してくれたわね! 私は悲惨な話を聞きたいんじゃなくて、航空攻撃ができない理由を聞きたいの!」

「臣民から必要以上の恨みを買うからでは納得できないか?」

「不愉快極まりないけど、そんなの勝ってしまえば何とでもなるわ。貴方ならそう考えるはずよ」

 余りにも失礼極まりない言い様だが、それは決して間違いではない。トウカも条件さえ整えば臣民の犠牲を付随的被害(コラテラルダメージ)として許容しただろう。

 そう、大御巫は可能な限り捕縛したい。征伐軍が大御巫を政治的根拠とした組織である以上、大御巫を失えば瓦解することは確実である。それは逆に大御巫を 手中に収めれば征伐軍を掣肘、乃至、併合という手段を取れる可能性が出てくるということである。後者の場合は大御巫を傀儡とした征伐軍と蹶起軍を統合した 新たな政治的、軍事的集団となるだろう。

「まぁ、そんなことはどうでもいい訳だが……まぁ、詰まるところ、個人として良い魚を釣る為の餌が欲しい訳だ」

 確かにトウカは、大御巫の捕縛に関しての利点をマリアベルに言及したが、当のマリアベルは「好きにせい」の一言でトウカに一任……丸投げしてしまった。 これは恐らく、安易に生命を保証するような言動をとることができないほど複雑な思いを抱いていると想像できるが、同時に興味を失っているとも受け取れた。 トウカは大御巫の腱を切って行動の自由を奪ってから傀儡として新勢力を成立させるという案を述べたが、然したる歓心を得ることはできなかった。マリアベル にとっては勢力を大きくするよりも、北部防衛やクロウ=クルワッハ公爵の殺害の方が遙かに重要なのだ。統制できるかもわからない新興勢力を成立させること など時間の無駄と考えたのかも知れない。

 ――いや長期的に考えれば……マリアベルがそれを見落とすとは……

 思案するトウカだが、リシアが脇腹に肘打ちを入れることでそれは中断する。

「女性を放置するなんてマリア様のお気に入りとは思えないわね」

「……お気に入り? 面白い冗談っだ。あのヒトにとって周囲のヒトは状況を構成する要素でしかない」

 それが悪いとは、トウカは思わない。少なからず自身にもそういった面があることをトウカは理解していた。ヒトという生物は差異はあれども基本的に自己中心的なものであり、利益が損失を上回らなければ基本的に動かない。

「さて、そろそろ我々も仕事をしようか」

「……詳しい理由は教える気はない訳ね」

 リシアは溜息を漏らすが、それを無視してトウカは作戦会議室の手短な窓を無造作に開ける。途端に刺す様な冷気が吹き抜けるが、それは決して不快なものではない。

「さぁ、雪掻きの時間だ。手すきの兵士は、全員で雪と戯れるという重大任務がある」

 その言葉にリシアは小さく首を傾げた。









「ああ、もう! 雪国の宿命をここで体験する事になるなんて!」

 リシアは軽合金製の|対雪円匙(雪掻きシャベル)を雪の大地に突き刺して不満を漏らす。

 本来であれば将校が不満を漏らすなど言語道断なのだが、周囲の兵士も大なり小なり似た状況である。リシアの不満に対して耳を傾けている者はいないので然したる問題はなかった。

 遠方ではトウカやラムケも指示を出すと共に、自ら対雪円匙を振るって除雪作業に精を出している。

 そう除雪作業だ。

 兵舎の屋根は、積雪を避ける為に魔導資質のある者が魔導結晶を粉末化させて塗料に混ぜ、それを使用して魔術陣を描くことで低温発熱する術式……防雪術式が描かれている。これは北部では至って一般的な積雪に対する防護策で、施設の類は全てこの対策がなされていた。

 だが、滑走路はそれが成されていない。

 元が軍用ではなく牧場であった為、航空騎の運用など当然であるが考えられてすらいない。その上、運用するのは少数の偵察騎のみである以上、運用時のみ最 低限の滑走距離だけ除雪作業をしていたのだろう。前線に近い位置に航空基地が複数あることを考慮すれば、ここからの偵察活動が頻繁に行われていたとも思え ない。

つまり航空基地としての能力は限りなく低いのだ。これは流石にトウカも想定していなかったらしく、深い溜息を漏らしていた。

 工兵部隊の半装軌式兵員輸送車には、実は可動式の排土板(ブレード)の付いたものが在り、それも懸命に滑走路を走り回って除雪作業を続けている。小隊付きの支援魔導士は、除雪の済んだ剥き出しの土の滑走路に防雪術式を書き込む作業を続けている。

「策士、策に溺れる、ね。まぁ、たまには下手打って貰わないと手助けのしようがないもの」

 そうは言っても直接、筋力で手助けすることは想定していなかった。トウカの危機を、リシアの名案で颯爽と解決する展開を想定していたのだが、雪塗れで除雪作業に講じることになるとは想定外もいいところで、帰還後にマリアベルに何と言ったものかと頭を悩ます。

 そんなことは露知らず、トウカはラムケと共に通信大隊の女性兵士達と楽しく談笑しながらの作業を進めていた。

 腹が立った。

 リシアはしゃがみ込んで、掻き集めた雪を両手で掴むと丸く固める。

 作り上げた拳ほどの大きさの雪玉をリシアは立ち上がり、これでもかと言わんばかり……親の仇の如く強く固める。決してトウカに対して含むところがない訳 ではない……と本人は思っている……のだが、世の中そう上手くいく事ばかりではないという現実を教えてやるのが、先輩というものであるとリシアは雪玉を構 える。

 手榴弾の投擲姿勢では威力がないので、遠心力を最大限に生かす姿勢を取る。

 狙うは、トウカの頭部。

 そして、投げる。

 だが、トウカは不意に動き、雪玉を避ける。

「あッ」

 投げた雪玉は対角線上にいたラムケの顔面に直撃する。

 緊急退避。

 リシアは雪を蹴り上げて撤退を開始する。

 孤児院時代、優しさの代名詞でありながら、恐怖の象徴でもあったラムケは悪戯っ子に決して優しくはなかった。今でこそ教育の一環であったのだと分かるが、あの顎鬚のじょりじょりとした感触は生理的嫌悪と共に幼き日の心的外傷(トラウマ)になっている。

「覚えてなさいよ、トウカっ!」

 無駄に様になった疾走姿勢で追撃を開始したラムケに背を向けて、リシアは叫んだ。










「ザムエルが攻撃発起地点に到着するまで予定では一二日……野戦築城を続けながらの待機になります」

「それは宜しいことかと。中佐殿。しかし、野戦築城となると資材がありませんな」

 ラムケの直属の部下だというエップ大尉の言葉に小さく頷いた。

 中年真っ盛りという風体のエップの本名は、フランツ・リッター・フォン・エップという名で、リッターという名称が示す通り、騎士(Ritter)位の叙 爵を受けた男であった。二〇年以上前の対帝国防衛戦中に華々しい戦功をあげ、多くの勲章を受章した騎士であり、ヴェルテンベルク領に於いて一線を画した人 物でもあった。

 何者の命令も受けない右翼集団の指導者。

 〈右翼義勇軍(フライコール)〉。

 マリアベルは危険視している節があるが、この内戦という有事に際して、〈右翼義勇軍〉は北部の各地の貴族領邦軍に志願してその一翼を担っていた。〈右翼 義勇軍〉という組織自体が退役軍人を中心とした教練集団で、マリアベルの予備役制度の領分を著しく侵食していた。ヴェルテンベルク領邦軍内では〈右翼義勇 軍〉出身の兵士は少ない。しかし、その指導者であるエップがヴェルテンベルクにいることがマリアベルの逆鱗に触れた。だが、エップはラムケの盟友であり、 嘗ての戦役の立役者である以上、邪険に扱うことは叶わず、ラムケに一任するという形で事実上、丸投げすることになる。

 そして、〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉の編成に当たり、ラムケの直属の部下と言う形でエップも配置されることとなった。

「いや、雪を使う。増設した駐騎施設と管制塔、兵舎を完全に囲う形で、水を掛けて押し固めた雪を積み上げる。駐屯戦力の隠蔽と遮蔽物を作製する心算だ」

「なるほど。視覚的な防護を優先する訳ですな。雪を集めるので今夜はかまくらで寝ることになると思いましたぞ」

 騎士然とした佇まいであり、鼻の幅ほどに短く刈りこんだ口髭も相まってその姿は、近所の頑固親父といった風にも見える。他の将校と違い軍帽ではなく、戦闘用鉄帽(シュタールヘルム)を被っている事もそれに拍車を掛けた。

「しかし、ラムケ少佐は元気だな。院長は兵役に就かれても院長ということか」

 今まさに逃げ惑うリシアに、圧し掛かり(ボディプレス)を敢行しようとしている笑顔のラムケを遠目に眺めつつ、トウカは溜息を吐く。将校としての威厳というものが霧散する光景だが、少なくともラムケに意見しようという猛者はいなくなるだろう。

彼奴(あいつ)は困った性格ですが、同時にこれ以上ない程に教育者ですので。何せ、ヴェルテンベルク伯が手を出せない数少ない猛者ですからな」

 中年の腹と床に圧縮されたリシアに寝技による教育的指導?をしているラムケを、楽しげに眺めるエップの眼差しに辿るは、信頼の情念。

「そうですか。情によって人の信頼を得ている。小官にはできぬことだ」

 トウカは利によって説き伏せるか、そう動かざるを得ない状況を作り上げることによって、周囲のヒトの動きに自身に好ましい指向性を持たせることを重視し ていた。情という不確定要素に満ちた感情を前提にヒトを動かすということに対する忌避感もあるが、それを上手く表現できないという自覚がトウカにはあるの だ。

 反撃虚しく関節技の報復を受けて苦しむリシアを遠目に、エップが苦笑する。

「思ったことを口に出せば宜しい。周囲の者に己がどういった人物か知ってもらうには、やはり自らが動くしかありませんからな」

 エップの言葉は正しい。口先が器用なトウカであれば重箱の隅を突く様な論法で、反論できなくもなかったが、エップの言葉には年長ゆえの重みがあった。それでいて、真剣な眼差しは、トウカの問いに偽りなく全力で答えていた。そう、彼は誠実なのだ。

「……そう言えば」トウカはふと思いつく。

 ここで、これほどの男と己の欠点を会話することを勿体ないと感じてしまったのかも知れない。それは言い訳かも知れないが、少なくとも〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉主力の攻撃開始位置到達までには一週間近い時間がある。それまでは、周辺警戒を行いつつの待機が続く。

「領主の館に秘蔵されていた五百蔵酒造の純米大吟醸酒がある。ラムケ少佐も交えて今夜どうか?」

「おお、それは宜しいですな。御相伴にあずからせていただきましょう」エップが相好を崩す。

 トウカは親睦に必要であるという名目で、かなりの量の酒を持ち込んでいた。特に共に敵地突入を果たすことになる降下猟兵の面々とは是非とも親睦を深めて おかねばならない。輜重大隊が輸送車輛の後部に追加で補助荷台を牽引してまで物資を満載していたので物資には余裕があった。長期的な作戦行動を想定してい る訳ではないが、征伐軍前線からの挟撃や戦力抽出を想定して、敵地で擬装待機して状況を窺うという選択肢も有り得た為に輜重物資も多めに持ち込んでいる。

 ――まぁ、それは酒を持ち込む名目だが。

 どうも慌ただしい編制であった為に兵士間の連携などにも不安がある、と感じたトウカは任務中の大休止で程々に酒でも振る舞えば改善するのではと考えていたのだ。他にも嗜好品は積んでいるが、酒に勝る交流方法はない。故郷も同じであることから話も進むだろう。

「いやぁ、宜しいですなぁ」

 本当に楽しそうにしているエップに、トウカは苦笑する。










「戦闘団司令殿……先行した偵察隊からです」

「輜重段列だと。何故、こんなところに。面倒な」

 ザムエルは下士官からの報告に思案する。

 戦闘団主力を統率して攻撃開始地点……ベルゲン近郊に進出することであった。その為に、ヴェルテンベルク領邦軍情報部などは作戦開始以前より、征伐軍勢 力圏内の戦力配置の調査を行っており、それを元に進撃路は策定された。基本的には東部との境界線に近い位置まで迂回行動を取って、その後、西進。ベルゲン を突くという予定であった。

 ザムエルが率いる戦力は、便宜上、戦闘団主力を呼称しているが、〈第一装甲聯隊『ラインバッハ』〉に装甲砲兵大隊、戦車駆逐大隊、対空砲大隊、工兵二個 中隊、輜重大隊などを一つに纏め、更には自動車化した装甲擲弾兵大隊とそれに付属する付属の一個突撃砲中隊もこれに加わっている。

 抱いたあ数が装甲車輛と戦闘車輛のみで編成されているのだ。

 そこに一切の通常の歩兵戦力はなく、装甲擲弾兵大隊もまた長時間の戦闘が可能な兵種ではない。極めて偏った編制と言える。

 接近した歩兵に対応できない代償に得たのは、聯隊規模の戦力にあって皇国最速の機動力。

 敵中にあって進撃路を都市や街道を避け、道なき雪原を進み往く以上、歩兵を随伴させられないという現実的な問題からの編成であったが、ザムエルはこの編成に関しては肯定的であった。

 ――何よりも重要なのは移動速度だ。だが、早速、足止めを食らうとはッ!

 ザムエルは歯噛みする。

「恐らくは前線最東端の戦線……クラナッハ戦線辺りへの輜重かと」

「成程な。つまりは既定の輜重線を無視してでも物資と弾火薬を輸送しなければならない程に追い詰められているというか」

 思案のしどころかと、ザムエルは悩む。

 通過するのを待つべきか、短期間で殲滅するべきか。

 進路からすると接触することはないものの、安全が確認されるまで戦闘団は魔導機関を完全に停止させて息を顰めねばならない。魔導の気配を気取られて察知されることは避けねばならず、それならば頃合いを見て奇襲を加えて殲滅するという手段も取れなくはない。

「やりますか?」

「莫迦野郎。弾火薬も無駄にはできねぇんだぞ」

 戦機に逸る下士官の頭を軍帽の上から小突き、ザムエルは決断する。

「待機だ。遣り過ごす」

 少なくとも完全に視界から消え去るまでは、動くことはできない。

 ザムエルが士官達に視線を向けると、士官達は指揮車から慌てて飛び降りていく。先行している偵察隊を呼び戻し、戦闘団を付近の森林や稜線を利用して隠蔽しなければならない。

 ――しかし、征伐軍と蹶起軍の衝突は想像以上に大きくなっているらしいな。〈傭兵師団(ランツクネヒト)〉が隣の戦線の後背を突いたのかもなぁ。

 輜重が増大するということは、それだけ弾火薬と物資を消費しているということに他ならない。前線に近い位置に物資集積所を設置していたとしても、ザムエ ル隷下の〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉が前線を突破して五日が経過していることから、物資と弾火薬の欠乏は厳しいものとなっている事は容易に想像できる。 北部の蹶起軍は、長きに渡り火力主義を標榜するマリアベルの影響を受け続け、火砲の比率が征伐軍の倍近くあった。それらとまともに撃ち合うことになる以 上、弾火薬は急速な消耗を見るであろうことは疑いない。火力に応じるには火力しかないのだ。

 ――中隊規模の輜重部隊を殲滅したところで、前線への寄与は知れているしな。此処は任務を優先すべきだな。

「戦闘団司令殿。参謀殿がいらっしゃらないと大変ですね」

「カリスト中尉。なんだ? この糞寒い中、出来のいい部下がいなくて指揮が面倒な上官に文句を垂れに来たのか、畜生め」

 実は二人の付き合いはそれなりに長く、順調に昇進を重ねたザムエルに対して、装甲兵器に魅入られたカリストでは昇進速度に大きな開きがあった。ザムエル が野戦士官をしている時に、技術開発部で装甲兵器と戯れていたカリストは正反対にも思えるが、士官学校の同期でもあり、リシアの先輩に当たる。残念なこと に二人は尊敬される先輩ではなかったが。

「いなくなると分かる。トウカは天性の参謀資質を持ってるぜ。何せ、物資手配から部隊編制、教練項目の設定に先任の言葉にまで耳を傾けようとしやがる。指揮官の俺は席から勿体ぶって頷くだけでいいんだ」

 いなくなると面倒が増えて困ると、ザムエルは嘆く。本来はザムエルも大いに携わらねばならないのだが。

 部隊の運営に関する問題をトウカが行っていたのは、ベルゲン強襲というこの無理の多い任務に対して極端な編制を実行せねばならないが故である。止むを得 ず自ら行っていたに過ぎないことはザムエルも理解していた。同時に作戦行動中の細かな進言からも、トウカの資質が参謀寄りであることを確信していた。

「砲撃支援位置に各隊の配置転換。状況に対応する為に常に機動し続ける果断さ……そして、相手の手の内を予想した上で戦っていやがる。しかも、想定外の状況に対して即応する柔軟な思考……いきなり現れた黒ずくめの不審者が佐官になるかと思えば大当たりだ」

 押し付けられるだけ仕事を押し付けるに限る。

 思い出されるのはクラナッハ戦域突破戦。あの一戦に於けるトウカの思惑は、その多くがマリアベルの独断によって瓦解したと言っていいが、それでもトウカの先読みは十分に発揮されていた。それは征伐軍に対してであるが、それ以上に領邦軍内の思惑に関してであった。

 マリアベルが想定外の動きをした際、トウカは機動防禦による戦力の保全に固執する態度を見せたという。

 ――結果として我らが我儘伯爵はトウカの策を捨てておられなかった訳だ。

 だからこそ列車砲による支援を行ったが、あれがなければどうなっていたかザムエルにも分らない。

 それは作戦の失敗に対する懸念ではない。

 トウカが、マリアベルを廃して、ベルセリカにヴェルテンベルク伯爵位を継承させる可能性……つまりは軍事的簒奪(クーデター)の可能性に対してである。

 彼は忘れない男だ。常にナニカを恨み、敵に回していなければ安定しない男なのだ。

 手中の戦力の保全に拘った理由と、リシアに銃口を突き付けてまでマリアベルの意志を確認しようとしたこともそれを考えれば納得できる。ベルセリカが蹶起 した場合、ヴェルテンベルク伯爵領と面するシュトラハヴィッツ伯爵領の支援を受けられる可能性がある。リシアを疑ったのは自身の思惑が漏れる可能性をトウ カが恐れたのかも知れない。

 ザムエルはトウカの世界を憎んでいると言わんばかりの視線に晒されたいとは思わないが、ヴェルテンベルク領邦軍が割れれば相対する事も有り得た。

「いや、全ては推測か」稀代の装甲部隊指揮官は飛躍した妄想を笑う。

 士官達にトウカの行動を聞いて繋ぎ合わせた推測にすぎず、現にその可能性はなくなった。

 ――俺の部隊を勝算がないにも関わらず助けようとした。

 クラナッハ戦線突破戦で、トウカはザムエルとリシアを見捨てても致し方ない状況があった。それでも尚、見捨てなかった。そして、その点があるからこそ銃を突き付けられたリシアは、尚もトウカに纏わり付いているのだろう。

 決して危険で陰湿なだけの男ではないと。

 英雄の真似事程度はできるだけの資質を持っている。

 あれは軍事的には間違いであった。

 しかし、其れでも戦友を、部下を見捨てようとしなかったことは、トウカの生来の気質を暗に示しているとも言えた。

 冷徹であっても冷酷ではない。

 少なくともザムエルにはそう受け取れた。無論、リシアに対する態度は問題だが、それはリシア自身がトウカに懐疑的な態度であったことが原因である。トウ カが適切な指揮を見せた以上、不満は出ないはずであった。マリアベルがどの様な意図で、リシアを〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉へ配置したのかザムエルには 分からないが、まさか綺麗どころを揃えて機嫌を取ろうとしたとも思えない。

「まぁ、例えそうだとしてもリシアの奴がどれだけ頑張ったところで、分が悪いな」

「可愛い後輩を応援しないのですか? 酷い先輩だ」

 ザムエルの言葉にカリストが笑うが、当人も階級は低いが軍歴に於いてはリシアの先輩に当たるので立場は変わらない。

 忍耐と耐久が試される雌伏の一時は、自然体の指揮官の態度もあって至って平穏に過ぎ去って行った。

 

 

 

 

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  一度でも徹底的に侮辱したり、手ひどい仕打ちを与えたことのある者を、重要な任務に就かせてはなら ない。なぜならこの者は一挙に悪評を挽回しようとしてか、あるいは、どうせ結果は悪く出ても自分の評価はこれ以上悪くなりようがないと思うかして、一か八 かの勝負に出やすいからである。

        《花都(フィレンツェ)共和国》外交官 ニコロ・マキアヴェッリ       



「君が爆弾を投下し、そのことで何かの思いに責め苛まれたとしよう。そんなときはきっと、何トンもの瓦礫がベッドに眠る子供の上に崩れてきたとか、身体中 を炎に包まれ『ママ、ママ』と泣き叫ぶ三歳の少女の悲しい視線を、一瞬思い浮かべてしまっているに違いない。だが、正気を保ち、国家が君に希望する任務を 全うしたいのなら、そんなものは忘れることだ」

        《亜米利加合衆国》空軍、第二一爆撃集団司令官 空軍中将 カーチス・ルメイ