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第三一話    答えなき至上命題

 

 




「ほう……貴様がミユキと共に来た人間の雄か」中年の狐男が唸る。

 導かれるままに訪れた母家の一室の最奥に座る中年男性と相対したトウカは、頭上から押さえ付けられる様な威圧感に思わず笑みを零す。怪訝な顔をする狐男 だが、思いの外悪い状況ではないと感じていた。最悪の状況とは、出会い頭に斬り掛かられることで、その次が無関心を貫かれることである。

 ――まぁ、利用しようという企みがあるのかも知れないが。

 少なくとも死傷者が出る状況ではないのは僥倖であった。後はトウカの口先次第。ミユキの背を押される形で前へと出たトウカは部屋の中央に傅く。

「貴方が、ミユキの父上で相違ないでしょうか?」

「むぅ……父上と呼んでくれるな。儂は認めぬぞ」腕を組み、唸るミユキ父。

 シラヌイという名であることはミユキより聞いていたが、想像していたよりも伊達男と呼んで差支えない顔立ちに、一廉の武士であることを伺わせる整った体 形。天孤族は魔導技能を重視し、近接戦の鍛練を疎かにしている者が多いと聞いていたが、それを感じさせない戦士としての佇まいは、例外が存在するというこ とを示していた。

「御心配なさらずとも……父上殿の意志は俺とミユキの関係に影響を与えませんので」

 予想していた反応にトウカは、言葉による牽制を加えながらも表情に出さずにどうしたものかと思い悩む。先程から太腿にじゃれついているミユキを見て、シラヌイの視線が険しくなるが、トウカにはどうにもできない。

「マイカゼから聞いておるな? 儂はミユキを婚約させねばならん」苦渋に満ちた表情で語るシラヌイ。

 シラヌイに天孤族の長としての立場がある以上、例え肉親であっても一線を引かねばならない。望む望まざるに関わらず、多くの者達の上に立つということは、時としてどうしようもなく自らを縛る。

 天孤族は長命種であるが、それ故に種の保存に積極的ではない。長命種には子を宿しにくい、或いは一生に幾度も子を成せない身体構造をしている種族も存在 するが、長命にも関わらず人間種に対して総人口で極めて劣っているのは、その点が大きく関係している。長命種全体に言えることでもあるが、長命である為に 新たなる生命を紡ごうという考えに薄く、人生に於ける優先順位の中で仔を成すことが人間種よりも低く見積もられているのだ。

 だが、長命種の中には比較的早い段階で伴侶を見つけようとする者も少なくない。長命であっても、子を成せる期間は限られている。伴侶を見つけることが早い事に越したことはない。

 無論、トウカとしてはどうでもいい話だ。

「……それが、何だと言うのですか?」

 それはシラヌイの事情であって、トウカの事情ではないし、ミユキもまた望まない展開だった。ならば、一方的に状況を説明されたところで、トウカはその想いを汲んでやる必要も意味もない。

「貴様にも関わりのある話であろう」

 眉を吊り上げたシラヌイ。その内心に大よその見当が付いた。ミユキが他の男に奪われるのに何も思わんのか、とでも考えているのだろうが、その点に関しては見当はずれの懸念であった。

 仔狐の睡眠の定位置になりつつある膝を枕代わりに寝息を立てているミユキの頭を撫でる。最近、寝てばかりいるようだが、寝る子は育つとも言うので起こそうとは思わないし、またシラヌイとの交渉に於いても都合が良かった。ミユキが口を挟むと話が複雑化しかねない。

 異邦人は嗤って見せる。

「いえ、その婚約者は不慮の事故で死にますので問題はありません」

 その宣言にシラヌイが顔を引き攣らせる。

 遠回しに婚約者を殺すと言っているのだ。

「貴様は……いや、そうか」

 一瞬、厳しい表情を浮かべたものの、直ぐに理解を示す。

 トウカは、肩透かしを食らった気分になる。

 シラヌイが、トウカを婚約者に対して嗾けて喧嘩両成敗でも目論んでいるのではないかと考えていた。或いは、一方が斃れればもう一方に罪を着せて排斥しようとしているのかも知れないと邪推していたのだが、この様子を見るにその可能性は低い。

 ――考え過ぎか……いや、此方の意図を察した以上、頭が回るはず。

 自身を利用しようとしているとトウカは考えていたが、シラヌイにその様子は見受けられない。しかし、トウカの内心を一瞬で察した以上、頭の回る者であることは疑い様もなかった。

「まぁ、良い。……だが、里の中での暴力沙汰はならんぞ。儂とて庇いきれん」

「庇うのですか? ミユキに付く悪い虫を」

 拍子抜けした展開。拳で語り合わねばならないのだろうかと一種の悟りの境地にあったトウカだが、思いのほかシラヌイが柔軟な思考を持つ人物で救われた思いだった。

「申し訳ありません。少し気が立っていました」

「なに、構わん。訳の分からん盆暗なら二、三発殴って追い返そうとは思っていたからな」

 拳を握りしめて皮肉げ(シニカル)な笑みを浮かべるシラヌイ。父上やお父さんよりも伊達男やおじ様という言葉が似合う笑みにトウカは毒気を抜かれる。予想とは大きく違っていたが、その瞳は鋭い光を宿していた。

 無論、方向性は違うが、親馬鹿であることは間違いない。シラヌイの握り締めた拳から転がり落ちた、見るも無残な扇子を見れば一目瞭然であった。返答を一歩間違えば、トウカの頭部がその扇子の様になっていたことは想像に難くない。

 思案顔のシラヌイは不意に言葉を紡ぐ。

「貴様はミユキを幸せにできるのか?」

 平坦な、まるで明日の天候を尋ねるかのように問いかけるシラヌイ。

 しかし、その瞳は全てを見通さんばかりに苛烈な輝きを宿していた。口調も顔も笑っているが目だけは全く笑っていない。真っ直ぐにトウカを見つめながら も、その瞳にトウカは映っていなかった。まるでのトウカ心の奥底を見透かしたかの様に清澄な瞳は、トウカの本質を見極めた故かも知れない。

 シラヌイは多くを語ってはいない。

 だが、それは語る必要すらなかったからではないのか。見透かすことができる程度の相手だったからこそではないのかとトウカは悟った。

 これこそが長命種。

 ベルセリカは、トウカに対して必要以上に探りを入れなかったが、シラヌイはミユキに対する想いだけでなく、トウカ自身の本質にまで無言の言及を行おうと している。長命種の長所とは、その永き時を過ごした故の経験であると理解していた心算であったトウカだが、その理解ですら生温い。若造の本質など見透かし て当然。

 故に虚飾は通じない。

「分かりません」

 大言壮語を吐いたところで、シラヌイには無意味。ならば正面切って応じるしかなかった。

 未来など、ただの人間に過ぎないトウカに予想できる代物ではなく、また非力なトウカには避けようのない未来が待っているかもしれない。

 ――だが、それでも尚、共に在りたい。

 そう思うのは傲慢かも知れない。努力すれば必ず報われるのは物語の中だけであり、現実がそれほどに良い造りをしていないことをトウカは重々承知していた。

 夢は決して叶うことがないから夢と言うのだ。
 奇蹟は起こり得ないからこそ奇蹟と言うのだ。
 未来は予測し得ないからこそ未来と言うのだ。

 決して折り合いの付かない二つの感情に、トウカは未だ答えを見つけられないでいた。護ってみせると決意することは容易く、その意志の下、苛烈に行動することも難しいとはいえ不可能ではない。しかし、その先に望む答えを得ることができるとは限らなかった。

「ですが、あの心優しい仔狐が、優しい仔狐のままでいられるなら、自分が手を汚すことを躊躇う気はありません」

 それが異邦人の精一杯。

 正直なところ、トウカは武に於いて剣聖に叶わず、知に於いて父狐に及ばない自分に何ができるのかと無力感に苛まれていた。

 父狐は無言で異邦人を見据える。

 二人の男が視線を交わし、沈黙する。双方共に身動ぎ一つせず相対しているが故に、視覚が曖昧になる程に代わり映えのしない風景がその瞳には写されていた。視覚が止まっている様にすら見える為に、時間の感覚までもが曖昧になりつつあったその時、シラヌイが笑みを零す。

「どうも難儀な性格をしておるな、貴様は」

 溜息を吐き、トウカの膝で寝息を立てるミユキを見やるシラヌイ。その目は、面倒なモノをウチの娘は拾ってきたと言わんばかりで、トウカはどう切り返したものかと口を噤む。

「卑屈さの塊……その癖、壮烈な意志を見せる。矛盾しておると分かってはおるな?」

「……はい。でも、俺にはこれしかできませんので」

 少しの間を置いて、トウカは同意する。今更、取り繕う気はなかった。そして、取り繕えるとも思えない。ならば忌憚なき意見をぶつけて見せた方が、シラヌイの真意を推し量れるとも考えていた。

「答えの見つからないかも知れない至上命題であることも承知しています」

「異種族の恋に答えはない、か……貴様は良いのか、それで?」シラヌイは、猜疑の色を帯びた瞳でトウカを睨む。

 納得できない答えでもあったのだろう。好きだと口にしておきながら、その結末を求めようとしていないのだから。

「私が納得のできる答えを得る必要はありません。ミユキが納得できれば良いのです」

「……ミユキの為に全てを擲つ、か。人の仔よ」

「然り。擲って見せましょう」

 寝息を立てるミユキの頭を撫でながら、微笑むトウカにシラヌイは苦虫を噛み潰した顔をする。納得できないのだろうが、私情を犠牲にしてもミユキと共に在りたいという想いは、トウカに揺るがぬ意志を与えていた。

「それに、恋はその過程こそが至上であって、結末は付属品でしかないのですよ……だから――」

 異邦人は仔狐の腰に手を回し抱き寄せる。急に抱き起こされたミユキが寝起きの顔で、狐耳をぱたぱたと動かす。そんな愛くるしい仕草で、自身に体重を預けてきたミユキを、トウカは一層、強く抱き締める。

 ミユキが、痛みで目を覚まして驚いた顔をする。

 そんな様子に微笑み、一拍の間を置いて告げる。

「ミユキの人生の一部……俺が貰い受けます」厳然と言い切ったトウカ。

 喜色満面のミユキと、艱難辛苦のシラヌイ。

 そして、トウカは無表情。

 それが交渉の始まりだった。

 異邦人と仔狐の運命が流転する。

 その日、天狐族の長の自室は明かりが消える事がなかった。











「主様、釣りに行きましょう!」

 トウカに与えられた客間に転がり込んできたミユキが提案する。

 和風の一室で火鉢を抱き締めていたトウカは、襖を全開にして微笑むミユキの提案に頬を引き攣らせる。今だ早朝であり、身を刺すが如き寒さに身動きの取れないトウカに抱き付いてきたミユキは、寒さにも関わらず元気一杯の天真爛漫であった。

「釣り? この寒さなら河は凍っているだろう」

「大丈夫ですよ。だって渓流ですから」

 楽しそうなミユキ。そのような顔で乞われれば、トウカに断わる術はない。

 釣りの経験はトウカにもあるが、得意という訳でもない。何年も前に幾度かしただけに過ぎない上に、待ち時間というものが怒り狂うほど嫌いな祖父は、投網によって魚を一網打尽にしていた。無論、釣り人からは顰蹙(ひんしゅく)を買っていたが、効率の良い遣り方であることも確かであった。正直なところ、トウカも爆弾漁法(ダイナマイト漁)でないだけ紳士的であるとすら考えていたが、ミユキは投網も爆薬も好まないはずであった。

「今日は寒いからな。二人で炬燵(こたつ)で温まるというのはどうだ?」

できるならば動きたくない。それがトウカの本音であり、何よりも天狐族の隠れ里……正式名称はライネケであるが、ここから離れる事は危険であると考えていた。シラヌイが何をしでかすか分からず、良からぬ事を目論むのではないかと、トウカは警戒していた。

 だが、ミユキはうんうんと悩んだ末に首を横に振る。

「ん~、それは午後にしましょう。昼御飯を取りに行くのが先ですよ」

 ミユキの言葉に大凡の理由が分かった。この里は自給自足の生活をしているのだ。ベルゲンのような都会的な地域を目にしたので、同じ基準に考えてしまって いたが、《ヴァリスヘイム皇国》は地域によって生活水準に大きな差がある。それについての不満が噴出しないのは、種族的な差の一つとして捉えられている為 であった。

「そうでした。主様の大外套に防寒術式を編み込んだんですよ。もう、私、吃驚しちゃいましたよ。てっきり編み込まれていると思っていたんですよ? 防寒術式なしで北部を歩き回っていたなんて……流石、主様です」

「防寒術式? そんなものがあるのか? 侮れん」

 余りにも便利そうな名称にトウカは唖然とする。その様に便利なものがあるならば早いうちに教えて貰いたかった。魔術は多少の効率化はあっても、常に進歩 し続ける科学には敵わないと考えていたトウカ。ミユキが薄着で雪原を走り回れたのは、種族的に寒さに強いのだろうと納得していたが、改めて理由が分かっ た。

「助かる。……ミユキは良い御嫁さんになるな」

「くぅん……主様の御嫁さんですよ?」

 ミユキの華が咲いた様な笑みに、トウカも笑みを零す。

 その様な笑みで大外套を肩に掛けられれば、トウカも釣りに行こうという気になる。我ながら現金なものだと苦笑と共に立ちあがる。

 腕に絡み付いてきたミユキと共にトウカは部屋を出た。









「これはまた随分と立派な渓流だな」

 内地の開発が進む祖国ではまず見られない光景に、トウカは感嘆の息を漏らす。

 一枚の風景絵の様な渓流は、トウカが目にしたことすらない植生と相まって神秘的な情景であった。叶うならば、草木が色を帯びる季節に再び赴きたいと思うほどである。現在の白雪に塗り潰された風景はある種のもの悲しさを感じさせた。

「さぁ、主様、釣りましょう。釣れないと御昼御飯が寂しくなっちゃいますよ」真摯な瞳で訴え掛けるミユキ。色気より食い気であった。

 釣り針に名状し難い虫を付けたミユキは、釣竿を大きく振り被る。様になっていると言い難い姿だが、裂帛の気合いは感じられた。トウカもミユキに倣い、餌を付けると渓流へ釣り糸を垂らす。

 そして、無言の時が過ぎる。

 防寒術式の効果は絶大で、冷たい石の上に座っていても何ら寒さを感じない。冬季戦部隊には羨ましい限りの装備かも知れない。カイゼル髭の書記長の国に攻め入ったちょび髭総統の軍勢も防寒術式さえあれば、戦争は長引かなかっただろう。

「……釣れないな」

 かなりの時間が経過したが、浮きが動くことはおろか魚の気配すらない。足音でも聞かれて警戒されているのかも知れない。

「むぅ、これはアレでいくしかありませんよ、主様。やっちゃいましょう」

「アレとはどれだ?」

 拳を握り締めて深く頷くミユキに、トウカは首を傾げるしかない。アレが何を指しているのか全く理解できなかった。銃で撃つのか、或いは軍刀で串刺しにし ろというのか。手榴弾ならば爆発による衝撃波で魚を気絶させられるかも知れないが、残念ながら今のトウカは軍刀と拳銃しか持ち歩いていなかった。

「よし、アレをしてみるか?」

「はいっ!」

 笑顔で頷くミユキだが、トウカは実のところ何をするか分かっていなかった。

 そんなトウカを尻目に、ミユキは仔狐の姿へと変化する。

 一瞬の出来事である。

 漫画的な変身風景はなく、刹那の時間もない内の変化に、トウカは色々と残念な気持ちとなる。無論、質量保存の法則に対する学術的な興味であって、それ以外の理由はない。一度、衣類が意味もなく肌蹴ることなど期待してはいない。

 犬にしては大きく、狼にしては小さいその姿。思わず背後から抱き締めて、モフモフしてしまいそうになる程に愛くるしかった。

「主様、早く糸を私の身体に括ってください」

「………………ああ、分かった。分かったぞ」

 何をする気か分かってしまったが、敢えて何も言わず、言われた通りにしてやる。自分から口にした以上は自信があるのだろう。

 狐の姿で身体を震わせたミユキが、渓流に勇ましく飛び込む。

 トウカは黙って釣竿を構える。

 時折、水面から顔を出すミユキに、トウカは手を振る。そうすると嬉しそうに水面の上ではしゃいで見せるところがまた可愛らしい。

 そして殺戮が始まった。

 別にミユキが餌として大人気だった訳ではなく、飛び上がった魚を口で咥え、若しくは水中に潜り捕獲したりの大活躍という意味であり、鵜飼いよりも遙かに効率が良さげに見える。

 さしもの川魚も、追尾する餌?が相手では分が悪い。そもそも、釣糸でミユキを結ぶ必要性をトウカは感じない。

「愛くるしいな……どうにかなってしまいそうだ」

 魚を咥えたミユキを、釣り糸を引きながらトウカは笑みを零す。凄まじくモフモフしたいという感情を不断の努力で押さえ付ける。

 陸地へと上がり、身体を振るわせて水飛沫を飛ばすミユキ。正直なところ、身体に釣り糸を巻き付ける意味があったとは思えない。

 咥えた魚を桶に入れるとミユキは再び川へと飛び込む。

 他の釣り人には見せられない光景だが、ミユキはその様なことはお構いなしに次々と魚を捕まえてゆく。寒さに強い狐ならではの行動だが、トウカにはとても真似できない。トウカは、ミユキが上がってきても寒くならない様に、集めておいた木の枝に燐棒(マッチ)で火を付ける。結局、ファウストは部品の消耗の為、早々に扱うことを諦めてしまった。維持費の高騰は、民間への普及に対し、致命的な問題と言える。

 狐の血がそうさせるのか、ミユキは狩猟に於いては特筆すべき技能を有していた。里へと赴く間にも、風の魔術によって飛距離を増大させた合成弓(コンポジットボウ)で、小銃の射程に匹敵する距離の射撃を行って獲物を仕留めている。銃火器の発展が、紡がれた歴史の長大さに比して余りにも遅いのは、射程と速射性、威力に於いて代替となり得るモノが幾つもあった為であろう事は疑いない。

 どちらにせよ動物としての一面は、人間種を遙かに凌駕している。

 特に屈託ない、迷いのなさといえば耳触りが良いが、見方によればそれは苛烈さや残酷さに見えなくもない。動物とは生き残る為にあらゆる手段を躊躇わない。

 ――そこもまた可愛いのだが……

 一生懸命な姿は、素直に好感が持てる。例え、手段とその結末が如何なるものであっても。

「……主様」

「いや、何でも――野生動物か?」

 人の姿へと戻ったミユキが、狐耳を動かしながら一方へと視線を向けていた。無論、衣類は既に身に纏っている。一瞬の出来事であった。

 トウカは、懐の輪胴式(リボルバー)拳銃へと手を伸ばし、ミユキは置かれていた合成弓(コンポジット・ボウ)を手に取る。姿が見えない相手に軍刀を振り翳す訳にもいかないという理由もあるが、飛距離に優れる飛び道具がより先手を取れるという理由もあった。

 その二人の動作は、長年の戦友のように息が合っており、素早くミユキの視線の先へと武器を向ける。先手はミユキに打たせ、銃声と閃光で視界を遮る輪胴式拳銃が後手である。

 そこに、緩やかな微笑を湛えた女性が姿を現す。

「随分な歓迎よのぅ。……斯くもか弱き乙女に矢羽を向けようとは」さも愉快だと言わんばかりの声音を響かせて、女性が二人へ向かって歩みよる。

 その乙女という言葉とは裏腹に、妖艶さと厭世的な雰囲気を纏った女性と称することが似合うであろう女性は、厭世的な笑みで異邦人と仔狐を見据える。

 紫苑色の長髪を纏め上げ、それでも尚、垂れる程に長い長髪。着崩した《瑞穂朝豊葦原神州国》の豪奢な着物に煙管(キセル)。そして、厚めの化粧は高級娼婦の如く見え、見る者によっては嫌悪感を抱くだろう。その上、雰囲気も出で立ちが示す様に厭世的であり退廃的であったので、ミユキとは対極に位置する人物という印象を持つ。

「申し訳ありません。……御嬢さん(フロイライン)、御名前をお教え戴けますか?」

 ミユキが警戒を解いた事を見て取ったトウカは、輪胴式拳銃を懐へと仕舞い、女性の前に立つ。

 決して乙女とは言えない年齢であることに対して、道化じみた笑みで肯定するという遠回しな嫌味を含んだ言葉と共に一礼するトウカに、女性は愉悦を含んだ声音で笑いかける。

「御主は中々に笑えるのぅ。うむ、妾はマリアベル・レン・フォン・グロース=バーデン・ヴェルテンベルクと言っての、戦車の設計をしておる。ついでに副業で伯爵もしておるが、まぁ、それは然して重要とは言えぬよ」

 女性――マリアベルは、扇子で口元を隠して、嗤い声を漏らす。

 戦車の設計は兎も角として、伯爵ということは貴族ということになる。この秘境に現れたのは余りにも不自然だとトウカは思えた。姓がヴェルテンベルクとい うことは、この里を含む、北部に於ける一大領地ともいえるヴェルテンベルク領の領主、或いはその血縁ということであることはトウカにも容易に想像できる。 伯爵と言う以上は前者であることは疑いなく、黄金の瞳は龍種であることを示しているが、その性格は厳格さと冷厳さに定評のある龍種とは思えない。

「サクラギ・トウカです。……名乗る程のものがある訳ではありませんが、仔狐の恋人をしています」

「えっと……お久しぶりです、マリア様」

 ミユキが慌てて頭を下げる。やはり既知なのだろう。

 二人は面識があるのか、トウカの眼前で楽しげに話を始める。ヴェルテンベルク姓で伯爵ということはグロース=バーテン・ヴェルテンベルク領主のはずだ が、この様な秘境に現れる暇があるとは思えない。《スヴァルーシ統一帝国》と《ヴァリスヘイム皇国》の軍勢に攻め入られる可能性のある領地の君主である以 上、遠くない将来に訪れるであろう軍事的脅威と食糧難に、難民への対策で激務に追われていることは想像に難くなく、この様なところにいて良いのかと不安に なる。

「しかし、よもやミユキに恋人ができるとは思わなんだのぅ。……しかも人間種か……」

 一瞬、鋭くなった視線を柔和なものへと変え、マリアベルは、トウカの頭を撫でる。余りにも自然であり、敵意のない動作にトウカはされるが儘であった。

「恋人か……良いの。叶うなら、最後の刻に至るその時まで共に在ってやるがよい」

 愁いと期待の入り混じった瞳がトウカを捉える。

 その真意を推し量ることはトウカにはできない。哀れみや悲観、憤怒などという感情ならば有り得ただろうが、期待の感情だけは理解が及ばなかった。今代の 《ヴァリスヘイム皇国》に於いて、一部の例外を除き、異種族間の恋は実らない。天狐族の娘であれば、通常は同じ天狐族や狐種に連なる炎孤族や悠狐種、赤狐 種、北狐種、銀狐種、雪狐種などの種族と結ばれることが大半である。無論、可能性として高い相手は、同族の天狐族の者となるだろう。天狐族族長の娘である ミユキは、天狐族よりも高位の狐種はいないので、種族的に降嫁することは、本来であれば許されないことなのだ。

「シラヌイは認めておるのかえ?」よもや、という表情のマリアベル。

 眠っていて父狐と異邦人の遣り取りの大半を聞いていなかったミユキも、狐耳を動かす仕草で興味があると表現していた。ミユキは表情よりも狐耳と尻尾に感情が出るのだ。

「父上――いえ、シラヌイ殿は消極的賛成と言ったところです」

 二人が首を傾げる。

 異邦人と父狐の間で決められた盟約は、トウカとミユキの関係に対する不干渉だった。

 シラヌイの立場からすれば、トウカの首を刎ねたとて責めを受けることもなく、そしてミユキを人間種にくれてやることは断じて許容できなかった。感情の問 題がどうであれ、長女であるミユキは次期天狐族族長に収まる立場にあり、自らの意思によって愛する者を選べはしない。今代の天狐族の長の家系には男子が生 まれておらず、長女であるミユキがその後を継ぐことになっていたのだ。ミユキが里を飛び出した理由の一つでもある。

 だからこそ、トウカは、ミユキの人生の一部を貰い受けた。

 長命種にとって、人間種たるトウカの人生など短いものでしかない。それ故に、トウカがこの世を去るその時までを期限として、ミユキと共に過ごすよう取り計らうことが盟約の根幹であった。

 シラヌイからすれば、ミユキの婚約を先延ばしにするだけで多くの利点があった。トウカとミユキが激発する可能性を防ぐことができるというもあったが、シラヌイはそれ以上にトウカの存在自体を保険にする心算だとも語る。

 《スヴァルーシ統一帝国》の侵攻が噂される中、一部の貴族を除き長命種達は然して危機感を抱いていないが、シラヌイは大きな危機感を抱いていた。曰く、 勘であると述べていたが、ミユキも勘に頼って行動している一面があることは、この親にしてこの子ありとでも言うべきだろう。

 もし、里に何かあればミユキを連れて逃げろとシラヌイは厳しい面持ちで告げた。

 トウカはそれを承諾し、シラヌイも満足した。

 無論、この盟約に於いてベルセリカという存在が、極めて大きな存在感を持ったことも大きい。シラヌイからすれば、トウカを抱き込めばベルセリカという皇 国で最も有名な騎士の歓心を買うことができる。ベルセリカの名前で、ミユキの人生の一部を買ったといっても過言ではない。

 盟約自体に口外しないことも含まれているので、それらをミユキに伝える気はないが、気取られる訳にもいかない。例え結末が同じであっても、期限付きの恋などミユキは断じて許さないだろう。

 ミユキが笑顔でいられるなら、トウカは如何様なことでもして見せる。既にトウカには、ミユキしかいないのだから。

「別に大したことではありません。熱意が伝わっただけです」

 熱意だけでなく殺意の応酬もあったが、それはミユキに知られてはならないことだ。今でも、ミユキの婚約者を何とかして消せないものかと未だに機会を待っていることは、特に秘密であった。

「流石、主様です。おとさんを説得するなんて!」

「熱意……説得……のぅ。物は言いようかの。面白いことを言うの、汝は」

 感激するミユキに、笑うマリアベル。

 ミユキは兎も角として、マリアベルは大凡の出来事を理解したのだろう。本人にとっては全く笑えない話だが、傍から見れば笑い話にもなる。

 一夜を通して二人で睨み合った結果、何とか()り合せに成功した盟約だが、トウカはベルセリカの名を出来る限り出したくはなかったのだ。本人も再び現世に躍り出るつもりはないらしく、売名行為を嫌っており、トウカもその意向に沿うようにしようと考えていた。

 結果としては、想像以上にシラヌイが粘ったこともあり、トウカは自らが持ち得る手札の全てを切ることとなった。人間種相手にも容赦のない交渉を持ちかけ る辺りはミユキと似ている。相手の容姿や種族が如何なるものであれ態度を変えないという点は間違いなく美点と言えたが、この場合に限って言えば迷惑極まり ないものであった。

「まぁ、色々とあった訳だ……過程はどうあれ結果は出せた、結果は……」遠い目をするトウカ。

 思い出しただけで疲れが足元から蝕んでくるようにも感じた。実はシラヌイと一晩中、角を付き合わせた後、自らに与えられた客間に戻り床に就いたものの、一時間足らずでミユキに叩き起こされて釣りに誘われたので、全く睡眠を取っていないのだ。

「帰ろう、腹も空いた……」

 心底疲れた面持ちの異邦人に、只ならぬものを気取った仔狐と伯爵は黙って頷いた。







「面白い若者よのぅ……」

 マリアベルは縁側で米酒を啜りながら寛いでいた。

 雪が降り積もっている為、秋の様な色付いた山々の紅葉を目にすることができないことが非常に残念に感じられる程に、自然が満ち溢れている。冬の山々は神々しくも儚く見えるが、自然が最も表情豊かなのは秋の季節に他ならない。

「その季節に、また訪れることができればよいが」

 心底、惜しいという想いが宿っているかのような声音は、庭園に降り積もる氷雪に音もなく受け止められた。

 退廃と厭世を感じさせる佇まいで米酒を楽しむマリアベル。

 脇息と呼ばれる《瑞穂朝豊葦原神州国》発祥の腰掛けに体重を預けて寝そべるその姿は、ベルセリカとはまた違った意味で世捨て人と窺えるものがある。

 そんな姿で妖艶さと悲哀を同居させた笑みを見せるマリアベルだが、その心中では論戦が繰り広げられてもいた。

「しかし、あの若さで、まぁ、何と徹底しておる」

 サクラギ・トウカという少年は、不確定要素を徹底的に排除するよう行動していることを、シラヌイから聞いた人となりで理解している心算であったが、実際 に会ってみると何処にでもいそうな少年であった。話してみても何ら特筆すべきところが無いように思えたが、それはミユキに関することではなかったからであ ろう。ミユキが案件に関わろうものなら、手段を問わず最短で解決して見せるだろう、というシラヌイの言葉を推し量ることは、神龍族の中でも若輩とされるマ リアベルにはできなかったが、確かにナニカを感じさせることには頷けた。

「……そうは思わんかえ?」盃を煽り、米酒を飲み干したマリアベルは背後を見やる。

 そこには渋い顔をしたシラヌイが壁に寄り掛かっていた。高雅な顔立ちを歪ませて、同意して見せているが、その仕草は無駄に様になっており、マリアベルは思わず口元を歪める。

「分からん……が、この里にいる若い雄狐の誰よりも“男”をしておる。……あの歳で清濁併せ持つ柔軟さと、長命種を熱意以外……それも理論で妥協させようという無謀さ。まぁ、やりたい放題と言えるな」肩を竦めるシラヌイ。

 トウカという人間を評価しているようであり、そのある意味に於いて無謀とも取れる行動の数々を懸念してもいた。

 長命種相手に交渉を持ちかける人間は極めて少ない。種族間に於ける寿命の差は経験の差となってあらゆる事象に大きな影響を与える。舌先三寸で長命種と交 渉をしたとしても、いい様に言い包められるだけであり、長命種の長きに渡る経験は人間種の少々の優勢など容易く凌駕し得る。

 それでも尚、正面から交渉という手段を取ったトウカは称賛して然るべきだろう。例え、その内容に剣聖を背景にした静かなる武力恫喝が含まれていたとしても。

 ――認めれば良いものを。あの若者との交渉が里を左右すると分らぬわけではあるまいて。

 シラヌイは既に、里に向かって進撃しているであろう匪賊の存在を知っている。既にマリアベルが打ち明けていたからであるが、元より備えていた気配が里の各所に見受けられた。里の外周には魔術的な細工の成された罠に、硬化術式の刻印された木造阻塞(バリケード)や 鉄条網までもが準備されていた。無論、人々も何かしらの武装をしており、安穏としている中にも戦に備えていること十分に窺える。北部の治安低下と帝国軍に 備えてであることは分かるが、これは運が良いとしか言いようがなく、トウカが、これを見て武力を欲しているのだと察した事も間違いではなかった。

「何とかして護り切れないか? あの鉄の塊はそれなりに使えるのだろう?」

 幾分か期待した瞳のシラヌイを無視して、盃に新たな米酒を注ぐ。

 鉄の塊……つまりは戦車である。

 戦車とはその高い機動力と、強靭な装甲を以てして敵弾を跳ね返し、常に最善の位置に高火力を提供する兵器に他ならない。周囲を深い森に囲まれた里で全性 能を遺憾なく発揮することは不可能であった。そもそも戦車三輌程度では、深い森に囲まれた里を歩兵の浸透突破から防ぎ得ない。

「戦車三輌では最低限の被害では護り切れまいて。なれど、あの少年が頷けば、剣聖を戦力に加えられる」

「む、いや、まぁ、そうだが……」

 言い澱むシラヌイにマリアベルは呆れる。

 トウカとミユキの仲を認めたわけではなく、大凡時が経てば頃合いを見て引き離そうと考えていたのかも知れない。その上、利用しようというので尚、性質が 悪い。無論、その程度、平然とやってのけなければ一種族の長などしてはいられないことをマリアベルも重々承知しているので、異論を挟む気はないが。トウカ との約定にあった剣聖存在の隠匿を早々に放棄して、マリアベルへと伝えて戦力化しようという動きからも、シラヌイの姿勢は窺い知れる。

 狐とは狡猾なもの。異邦人と父狐の化かし合いは、果て無く続きかねない。

 ミユキの恋人であるトウカがその辺りを理解していないとも思えないが、立場上、シラヌイに圧倒的な理があることに変わりはない。ミユキの家族に剣聖という名の暴力は振るえない。

「まさか、ミユキを本当にくれてやれとでも言われるお積りか」視線に幾分かの殺意を漲らせたシラヌイ。

 どう言い繕ったところでシラヌイにとって、ミユキは可愛くて仕方がない娘なのだ。長命種であっても娘を容易く男にくれてやるほど感情を割り切れない。ましてやそれが人間種であれば尚更と言えた。

「そうは言ってはおらぬだろうて。なれど、あの若者は必ずそう迫ってくるとは思わぬかえ?」

 シラヌイが言いたいことがその辺りの事ではないとマリアベルは理解している。

 人間種と龍種の中でも最高位の神龍族の間に生を受けたマリアベルは、異種族間の恋の結果だった。人間にしては余りにも強大な力を持ち、龍族としては余り に非力なその身体は、どちらの種族にとっても異端だった。幼少の頃は母が隣にいてくれたが、流行病で今は亡く、例え生を全うできたとしても人間種の寿命を 考慮すれば既に散っていることは必然。そして、父はマリアベルを疎んじて辺境たる北部へと押しやった。

 シラヌイは、それを知っている。だからこそ、トウカを擁護する立場をとったマリアベルに安易に反論できない。誰にも理解され得ぬ身として、今この時を生きるマリアベルだけが、異邦人と仔狐の恋を否定できる立場にあるのだ。

 米酒を一息に飲み干し、盃を振り払い、シラヌイへと差し出す。

「妾のような者が生み出されることに、御主が口を挟むことは許されぬことよ」

 遣り切れない表情で、盃を受け取ったシラヌイ。

 掛ける言葉が見つからないと言ったところだろうと見当を付けたマリアベルは、この仔狐を護らんとする父狐に複雑な思いを抱く。父狐として以上に口を挟む ことはしたくはないが、異種族間の恋である事と、種族の長としての立場がそれを許さない。そして、そこまで干渉されることをミユキが良しとするかも不安な のだ。

「結果がどうであれ、命の生まれを否定することは短命種であれ長命種であれ、あってはならぬ。……良いな」シラヌイの杯へと米酒を並々と注ぐマリアベル。

 その米酒の水面には、苦り切った顔のシラヌイが映し出されている。

「……納得はできないが、答えも見つからない。あの若造は真に難しい疑問を持ちこんでくれたものだ」

「いずれ解決せねばならない問題であろうに。種族は違えど恋は盲目であろう?」

 長命種でさえも折り合いの付けることができない難問へ、異邦人と仔狐は挑もうとしている。マリアベルには見る事が叶わなかったナニカを二人は垣間見るこ とができるかもしれない。無論、マリアベルのような悲劇を生み出す可能性もあるが、これは避け得ない時代の流れの一つに他ならない。

「人は我らと違って歩みを止めはせぬよ。時には傷付き、時には同胞を失い……或いは、外道に甘んじても尚、答えを求め続けようとしおる」

 マリアベルの血も半分は人間の血であり、その一端を感じ取ることができた。人間種との混血である為に、寿命も神龍族の半分以下……その上、免疫力の低下も祟って発症した龍族特有の病気も身体を蝕みつつある。寿命の終焉はそう遠くない。

 短命であるが故に、妥協しない。それは強欲とも傲慢とも取れる姿勢。だが、他者も、或いは自らをも顧みない姿勢であるからこそ、成し遂げられる奇蹟もある。

「有史以来、文明や武器の過半に至るまでの悉くを作り上げたのは人間種であろう。……人間種は諦めぬ」

 かつては文明すら持たなかった人間種は、短期間で文明を育み、国を造り、科学を刃に盾と未来を切り開いた。今でも、自らに足りない全てを異なる何かで補おうと研鑽を続けている。

 なればこそ、異種族間の恋に対しても何かしらの答えを見つけるのではないか。

 マリアベルはそう思わず……願わずにはいられない。

「妾は確かに不遇を強いられてはおった。なれど、生まれを愧じた事は一度としてありはせぬ」

 自らが生まれてしまった事を後悔するということは、在りし日に抱き締めてくれた母の温かみを否定するということ。

「せめて見守ってやるがよい……今だけは、の」

 結末はマリアベルですら分らない。

 だが、願わくは二人に幸あらんことを。

 当の二人は、父狐と伯爵の想いなど知る由もなく、平穏な一時を過ごしているのだが、それを知るのは少し後だった。


 

 

 

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