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第三六話    《帝国》の影





「では、お任せする」

「剣聖殿はそれで良いと思うておるのかえ? 妾には武を極めた剣士の考えなど及びもつかぬわ」苦笑と共に、マリアベルは頷く。

 帰還後、トウカは自室に姿を消した。

 何も語らず姿を消した為にミユキは大層心配しているのだが、トウカはそれを気に掛ける余裕すらないのか自室に引き籠ったまま姿を現さない。ベルセリカと の遣り取りで何か思うところがあったのだろうが、その拗ねた子供のような態度にマリアベルが思わず笑声を漏らしてしまうという一幕もあった。

 匪賊……トウカと女傭兵の遭遇から傭兵であると確定した傭兵側は、再編成を図る為に後退したことが、偵察に出た天孤達の情報を精査した結果判明した。そ れを受けて一時的な自然休戦が発生している。それを奇貨としてシラヌイは砲撃によって大被害を受けた防禦陣地の修復に奔走していた。

 恥ずかしがっておるのかえ?と問うたマリアベルに対して、ベルセリカは、自己嫌悪をしておるので御座ろうな、と笑うだけである。原因が分かっているなら ば自ら動けばよいではないかと思いもしたが、ベルセリカも恥じているのか、或いは照れているのかも知れない、とマリアベルはその願いを聞き入れた。双方に 恩を売る好機であるという打算もあったが、ミユキ以外に関しては然して興味を持たないようにも見えるトウカの一面を知るのも悪くはないという思惑があって のことである。

 マリアベルは、渡り廊下を進む。

 横の美しい庭園では魔導砲の組み立てが行われている。倉庫で埃を被っていたものをミユキが見つけてきたらしく、二基が大慌てで組み立てられているが、マリアベルが見た限り大昔の魔導砲なので稼働するかも疑わしい。

 魔導砲という兵器は極めて歴史が古く、皇国建国戦争では既に実戦投入されていた。構造としては比較的単純で、魔力を一時的に備蓄する魔導結晶を内蔵した 機関部と魔力の集束を行いつつ撃ち出す砲身、そして砲架やそれらを支える脚などで構成されている。砲身や機関部には魔力の集束や制御の為の魔導術式が内部 に刻印されているが、火薬式の銃砲と違い砲撃時の衝撃や、砲身の摩耗がない為に皇国陸軍の砲兵の一部は魔導砲を運用する魔導砲兵となっている。欠点として は魔力消費が極めて大きい為に、魔導資質に優れた専用の砲兵を育成せねばならないという点であった。

 埃を被る砲を磨く天狐達を横目に、トウカに宛がわれた一室の前で歩みを止める。

 本来であれば一言断って入るべきだが、マリアベルはそれほどに良い性格をしていない。

「さて、泣き顔を拝見するとしようかの」

 意地の悪い笑みを浮かべながら襖に手を掛ける。

 そして、襖を静かに開ける。

 室内に上半身だけを乗り込ませ見回すが、薄暗い室内には身動ぎする影は見受けられない。決して気配を消していた訳ではなく、トウカであれば気付かないはずがない。

 マリアベルは、静かな足取りで室内へと足を踏み入れる。

 そこで噎せ返るような酒気を感じて思わず眉を顰めた。その時点でマリアベルはトウカの現状を察した。自己嫌悪の挙句に酒に溺れてどこかに転がっているのだろう。

「これは、また……」

 酒瓶を手にして壁に力なく寄り掛かって寝息を立てるトウカ。

 部屋の隅で蹲る様にして燃え尽きているその姿は、二十歳にも満たない少年のものではない。飲み屋街で呑んだくれた挙句にごみ捨て場や街角の長椅子で眠りこけている中年と変わらない様にすら見える。

「全く……若人が酒に逃げるとはの。まぁ、気持ちは分からぬでもないが」

 マリアベルは、トウカが立て続けに緊張を強いられた状況をベルセリカから聞き及んでいた。

 剣聖との斬り合いに長命種たる天孤族の長との遣り取り、挙句の果てには傭兵団との衝突。精神的重圧は、計り知れないであろうことは想像に難くない。困難 にも関わらず消極的とはいえ勝利を勝ち取ってきた以上、それらの大元の原因であるミユキをトウカが見捨てることは有り得ない。その点に限って言えばトウカ の評価は高かった。長命種であっても人間種と同程度の魔力と膂力しか持たず、龍へとすら変化できないマリアベルからすればトウカに降りかかった災厄の数々 は大いに同情できるものである。同時にそれらを自らが行えないことも重々、承知していた。

 無論、尊敬はできない。

 矜持や誇りが邪魔をする訳ではなく、それらの方法が余りにも敵を作り過ぎるからである。協調性がないというわけでなく、妥協という言葉の意味も十分に 知っているように見える。だが、他者への配慮が余りにも稚拙であった。マリアベルとて、敵を作り過ぎると評価されることもあるが、トウカはそれを打回る程 に苛烈である。

 シラヌイとの交渉でも他に言いようがあったはず。気遣う発言は皆無であり交渉としてしか捉えていなかった。確かに歳経た長命種は冷徹であるように見える が、少なくとも娘の幸福に無関心であるほど冷酷ではない。シラヌイも表情には出さないだけで、ミユキについては心配し悩みもしていた。

 そんな心情のシラヌイに対して、トウカは無理やりミユキとの関係を進展させないという妥協をした。その点をマリアベルは配慮していたのかと高く評価していたが、その後にそれはミユキの為であると明言している。

 それが、シラヌイがトウカを信頼しきれない理由であった。

 トウカは確かにただの人間種だが人間種とは思えない。まるで名のある七武五公の英傑達と相対しているかのような印象を受ける。父に良い印象を持たないマ リアベルは、交渉の際のトウカに対して良い感情を抱かなかった。特に妥協するにも関わらず配慮はしない点も似ている為にそう感じざるを得ない。

 妥協は詰まるところ歩み寄りであり配慮とは心を配ること。

 妥協と配慮は似ているようで違う。トウカが真に配慮しているのはミユキだけであろう。

 ――あまり多くの者と関わる人生ではなかったのやもしれぬのう。

 マリアベルも神龍としては異端であるが、トウカも人として異端なのだろうと見当を付ける。

「見てくれは小さくとも心意気は公爵並み、か……ふふっ、まぁ、何と無謀なことか」

 相手が悪ければ無礼討ちも有り得る。

 マリアベルは意識のないトウカの横へと座り込むと、開け放たれた襖の隙間より差し込む光を頼りに寝顔を覗き込む。単なる好奇心である。

 その顔は傭兵の砲兵を壊乱させた男の顔ではなく、年相応の少年の顔であった。

 トウカは、その性格や服装から精悍な表情であることが多いが、寝ている最中にあってはその限りではない。

 年相応……年齢を下回りかねない容姿にマリアベルは驚いた。

 元来、大和民族とは童顔の者が多いが、トウカもその例外ではない。無論、トウカもそれを重々承知しており、ミユキ以外と接する際はそう見せない様に動作 に注意を払っていた。外見で軽んじられることを恐れた故にであったが、長命種には外見がトウカよりも幼いにも関わらず何百という齢を重ねた者もいる為に、 皇国では外見で人を判断することは下手をすれば死に繋がる。トウカの懸念は的外れと言えた。

「のぅ、分かっておるのかえ?」

 小さな寝息を立てるトウカの頬を人差し指で突きながらマリアベルは問いかける。年相応な寝顔に頬が綻ぶのを感じつつも、あったかもしれない未来を夢想する。

 ――妾が女としての幸せを求めていれば……子宝に恵まれておれば、或いは、の。

 飽くなき復讐心は行く末を見据えし眼を曇らし、諦観が生物としての欲望を著しく減衰させた。今にして思えば後悔の連続の人生であったが、後悔一つは子を成さなかったことに他ならない。

「今更であろうて……」

 病魔を宿した身で子を成すことは難しく、また何よりも自身の様に迫害されるならば現世に生まれ出ずることに意味などないと深く考えることすらなかった。

 しかし、今になって自らの過去を思い起こせば、子がいれば少なくとも彩りのある人生であったのかも知れない、と安らかに寝息を立てるトウカの横顔を見れば思わずにはいられない。

「まぁ、少なくとも弁の立つ子には育って欲しくはないの」

 短気なマリアベルは、教育で拳を振り下ろすことを厭わない。

 だが、言葉という刃で長命種相手に盛大な斬り合いを行う無謀者と言えるほどの大莫迦野郎でなければ混血の種として世を渡ることは叶わないだろう。

 改めてトウカの白い頬を触る。

 漆黒の服装と髪も相まって白磁の様な肌は一際映えているので羨ましいとすら感じる。無論、マリアベルの肌も人間種の一般女性からすれば憧憬と嫉妬を誘う 程のものであるが、往々にして当人は気付かないものであり、またこれまでの人生にそれを必要とした場面も感じさせる出来事もなかった。

「互いに難儀な立場じゃのぅ……ええ?」トウカの頬を人差し指で弄ぶ。

 きめ細やかな肌触りは触れているだけでも十分に荒んだ心を満たすものであったが、その力が思っていたよりも強くトウカの姿勢が傾く。

「むっ……」

 短い呻き声を上げて倒れそうになったトウカを抱き止める。慌てて開け放たれたままの襖の先に視線を向ける。もし、ミユキにこのような光景を目撃された日 には目も当てられない。人間種と然して変わらない身体能力のマリアベルなど、ミユキにいとも容易く串刺しにされるだろうことは酷く容易に想像できた。

「……疲れが出たのであろうかの」

 マリアベルは、トウカの頭を自らの膝へと下ろす。

 トウカの頭を撫でながら、マリアベルは無為の一時を過ごした。

 傭兵との戦闘が続いているという現実すらも遠い日の記憶となってしまいそうな程に穏やかな一時は、在りし日に母の腕で感じた幸せに勝るとも劣らぬものである。

「……いかんな。妾も眠うなってきおうた」

 在りし日の母と同じ立場に立ったマリアベルは、母も同じように自らを抱いて幸せを抱いていたのだろうかと考えずにはいられなかった。もし、幸せを感じていてくれていたならば妾が生まれたことは無意味ではなかったとすら思える。

 やはり、子を成せなかったことが悔やまれた。

 生まれながらにして不利な条件を背負っているのならば、それを跳ね除け得るほどの力を与えてやればいい。
 生まれながらにして理不尽を強いられる星の下にあるならば、それを上回る程の愛情をもって接してやればいい。
 生まれながらにして幾多の種族より異端の誹りを受けるならば、それを嗤って一蹴するほどの器を身に着けさせればいい。

 何と容易きことであったか、とマリアベルは冷笑を零す。

 詰まるところマリアベルには覚悟がなかったのだ。そして気付くには遅すぎた。

「後悔ばかりの人生よのぅ……」

 過去を変える事はできない。
 未来は多く残されていない。

 その上、現在は悲願を叶える事すら叶わない程に身体は衰弱している。

 マリアベルの手がトウカの頭を慈愛に満ちた動きで撫でる。

 後、二〇〇歳若ければ恋の駆け引きも、トウカをミユキから奪ってみせる自信もあったが、今となっては後の祭りであり、トウカは自らが手の届く範囲にはいない。これほどに近くにいたとしても心は仔狐の下に在るのだ。

 有り得ない未来を思い描いていると、トウカが呻き声を上げた。

「ぅ……ぅう……」

 苦しそうに寝返りを打ち無意識に膝枕から逃れようとしたトウカを、マリアベルは慌てて抱き寄せる。下が畳とはいえ頭を打っては目を覚ましてしまうと考えたが、マリアベルの暖かな手にトウカが朧げながらも意識を取り戻す。

 そして、次の一言がマリアベルの心を大きく揺さぶった。

「……母さ…ん……」

 重い瞼に抗いながら胡乱な瞳でマリアベルを捉えたトウカの一言。

 何故かは分からないが、その一言は心に迫るものがある。諦観と絶望の海を往く人生であったと自負しているマリアベルだが、今この時だけは一人の“母”で在りたいと思えた。

 ――母か……。そうか、これならば叶うやも知れぬの。

 寝ておくが良い、とトウカの頭を優しく撫で、マリアベルは名案を思い付く。

「ふふっ……そうじゃ。妾は母であるぞ」妖しい笑みを浮かべて伯爵は嗤う。

 子を成せないのならば迎え入れればいい。

 マリアベルの心は久方ぶりに軽くなっていた。

 この後、廃嫡の女伯爵は目を覚ました異邦人と幾つかの約束を交わす。

 思い付いた悪巧みが歴史の一幕として語られる日はそう遠くないことをマリアベルは知らない。そして、《ヴァリスヘイム皇国》の歴史上に於いてトウカという奇蹟を重用した事と、稀代の死に様によって長きに渡り後世にまで語り継がれることもまた同様であった。









「助かった、若造。だが、一体何をした?」

「大したことは。幸運に恵まれただけです」

 司令部として扱われている一室に足を踏み入れたトウカに、シラヌイが胡散臭げな声を上げる。確かにトウカも砲兵段列の側面に接触するとは思ってもおらず、尚且つ無造作に大地に陳列された装薬に小銃擲弾が直撃するとも夢にも思わなかった。

 トウカは偶然誘爆したと考えていたが実情は少し違っていた。

 装薬というものは砲撃時に燃え尽きるように円筒状の繊維製容器に詰められている為、破片が飛び込んだだけであっても十分に誘爆の危険性はある。軍では専 用の金属製容器で更に密閉しているが、傭兵達は輸送の際は木箱に封入しているものの、トウカが遭遇した際は砲を展開して砲撃の最中であった。迅速な運用を 試みる為に安全を犠牲にしたのか、或いはただ面倒だったのかは理解の及ぶところではないが、結果を鑑みればトウカの取った行動が砲兵の壊滅という結果を引 き寄せと言っても過言ではない。

「まぁ、偶然と言えるのぉ」

 マリアベルは「善哉(よきかな)、善哉」と朗々とした笑声を零す。対するベルセリカは、トウカに猜疑に満ちた視線を向けていた。

 ――セリカさんには敵わない。まぁ、伏兵にセリカさんが気付かないとも思えない。

 何かを目論んでいたと見るべきか。

 無論、猜疑の言葉を口にすることはない。

 トウカは、ベルセリカを極めて高く評価していた。

 人格的にも知力的……そして何よりも武力的にもベルセリカという女狼は卓越したものを持っていた。ベルセリカに準ずる程の歳月を生きた長命種であっても、これ程に聡明ではないだろうという根拠なき確信をトウカは抱いている。

 そんなベルセリカが伏兵を見逃すなど有り得ない。

 思慮深き剣聖の行動が偶然の産物であることが信じられないのだ。シラヌイも何かしらの蠢動があったのではないか、という疑念を持っていた。皮肉なことに、この時、トウカという少年の投機的な一面を理解しているのはマリアベルだけであった。

 現状でトウカにできることは決して多くはない。

 不確定要素が余りにも多く、また戦場を把握していなかった。そんな中でトウカが動くとは、ベルセリカもシラヌイも想像の埒外であったのだ。

 トウカがベルセリカを高く評価しているが、その逆もまた然り。無論、後者は正当な評価とは言い難い。少なくともトウカはそう考えていた。無論、現状ではトウカは何の権力も持たない少年に過ぎず、天狐達を指揮する立場にある訳でもない。

「そもそも、上空偵察すらできない上、率いるのが民兵同然の狐など……」

 もどかしさから威力偵察を名目に敵の指揮官を狙撃で仕留めようと行動したトウカだが、それは砲兵の撃破という結末に終わる。無論、敵が総崩れとなって予 定していたよりも早期の内に一度目の戦闘が終結した事実は大きいものの、軍記物の様な大勝利を得ることなどできはしない。

 トウカという異邦人は未だ少年であった。

 それ故の未熟さが露呈した結果としての砲兵の壊滅。せめてもの救いは、その結果が十分に狐達の側面支援と成り得たことであり、女傭兵相手に無様を晒したこともベルセリカとマリアベルしか知らない。

 ――この辺りで提案すべきか……

 戦力が少なく敵が大規模であること以上に、状況を正確に知れないことが致命的であったが敵の早期殲滅を行わねば数に押し潰される。

「まぁ、そう言ってやるな。シラヌイ殿も偵察の為に優秀な狐共を敵側に浸透させておる」

 確かに、トウカの求めていた偵察行動を受け入れたことは、シラヌイが妥協したとも取れなくもない。

 状況を地形図に書き込んでいるのか、部屋の中央に置かれた地形図には無数の文字が書き殴られていた。トウカは、それに視線を下ろして眉を顰める。

 赤で書かれた敵の第二波攻撃と思しき集団の陣容には一個大隊弱と描かれていた。当然ながら匪賊などの規模ではなく、傭兵団であってもそれ程の規模を持つ ものは極限られている。亡国の国軍を糾合した傭兵団であるのであれば、充実した武装と火砲の存在も納得できたが、トウカは皇国国内で自由な行動を行えると なると、それだけでは辻褄が合わないと考えていた。

 シラヌイが司令部として扱われている一室から去り、入れ替わるようにミユキが姿を現した。トウカは思考を止めて笑顔で迎える。

「主様ッ! 無事だったんですね!? 凄く大きな音がしたから心配だったんですよ?」

「ああ、御覧の通り五体満足で帰ってきた。敵の砲兵が自滅しただけだ」

 飛び付いてきたミユキを抱き止め、トウカは苦笑する。

 トウカは司令部の端に積み上げられた畳の上に座り、ミユキはその膝上に誘う。畳を踏み締めて激しく出入りしては痛むとの判断か、可燃性の高い物を集積す るという判断か。トウカは推測しつつも、さも当然と言わんばかりに自らの膝にミユキを乗せた。余りにも自然な動作に口を挟む者はいない。

 目の前で揺れる黄金色の毛並みをした尻尾をもふもふしつつ、トウカは至福の一時を過ごす。

 女傭兵との衝突によって波立った心が月下に湛える水面の如く静まる。

 敵への警戒や砲撃によって破壊された陣地、或いは敵味方の戦死者の埋葬などで、司令部として扱われていた部屋にいた者の多くはこの場にはいない。それもあり、唯ひたすらに緩やかな空気が流れる。

 ミユキが狐耳を動かし「そう言えば」と切り出す。

「傭兵さんがこの辺りに出ることっておかしくないですか? こんな辺鄙な場所なんですよ」

 この隠れ里には認識阻害と生命探知の結界が常時展開されており、遭難でもしない限り人が近づくことはないとシラヌイが豪語していた通り、通常では人が接近することすらなかった。

「街じゃなくてこんな隠れ里を襲うなんて。しかも、あんなにいっぱいの数ですよ?」

 トウカの疑念も無視し得るものではないが、ミユキの疑問も捨て置けない。傭兵とは利益の為に戦闘も辞さない集団に過ぎない。場合によっては戦闘以外の護衛任務などもあり、それらの仕事を生業に傭兵すら存在する。

「あれ程の傭兵を集めて戦闘を仕掛けて生じる利益が何処かにあるという訳だ」

 碌でもない利益だろう、とトウカは胸中で続ける。

 利益のない闘争をする程の酔狂な傭兵が大隊規模でいるはずもなく、やはり傭兵にとっての利益が何処かに潜んでいるとみるのが妥当。

 隠れ里には高価な魔導触媒や魔術具も存在してはいたが、それらは比較的規模の小さい都市の商店でも取り扱っている程度のものに過ぎず、合計すると魔導砲兵聯隊に匹敵する魔導資質を有した天狐達の住まう土地を襲うことは被害が利益を上回るだろう。

 敗北は全てを喪う。犯罪者であれば尚更。

 ――外的要因(マリアベル)か?

 貴族を狙った襲撃であるならば、ある程度の説明が付く。マリアベルを増援の望めない場所で包囲し殺害、或いは捕縛する。確保して身代金を要求するか、命 を絶つかまでは理解の及ぶところではないが、マリアベルも複雑な立場にある以上は可能性として少なくない。だが、天狐達を巻き込み事態を大きくすることが 説明できないのだ。マリアベルを襲いたくば、隠れ里へ向かう途上で行えば然したる被害も出ずに簡単に済んだはずであった。

 ――内的要因(ミユキ)か?

 天狐族の姫を狙う理由はあるとは考え難い。だが、姫である以上、身代金目的の誘拐である可能性は捨てきれない。しかし、妹がいるので必ずしもミユキを狙 う必要はなく、ミユキはつい先日まで放浪を続けていたので、傭兵が逐一居場所を掴んでいたとは考え難い。放浪先を把握していたならば、捕縛も容易いはず で、女傭兵達が寒村を襲撃している際も人探しを行っている様子はなかった。

 ベルセリカは長きに渡り隠居同然の生活をしていたので知られてすらおらず、天狐達も基本的には里から出ることは少なく、大隊規模の傭兵が押し掛けてくる程の恨みを何処かで買ったとも考え難い。

「済まんな。俺には分からん」

 もし、私的な理由や途方もない計略の一部であれば、トウカの思考の及ぶところではない。何よりも情報が少なく、判断できる状況になかった。正確な判断とは正確な情報の積み重ねによってこそ成立する。

「主様でも分からないってことは、きっと大きな陰謀が渦巻いてるんです! 帝国が私を誘拐しようとして、主様が颯爽と助けに来てくれたりしちゃ――」

「――御屋形様が往くまでもなく、某が帝国の手先とやらを斬って捨てよう」ベルセリカが苦笑交じりに、ミユキの頭を撫でまわす。

 下らない妄想は止めておけ、という意味を存外に含ませた言葉と態度に、ミユキは頬を膨らませて不満だと表現していたが、トウカが微笑むと否定的な色は霧散する。

 ベルセリカとミユキがあれやこれやと推測を語っている風景を眺めながらトウカは思考の海に身を没する。

 ――帝国か……まさか、な。いや、だが……

 最近、侵攻してきた事すらも策の一部であったとしたら? そして、この襲撃にも一連の流れであるならば?

 些か突飛な考えであると理解していはいたが、帝国が何百年もエルライン回廊に攻め寄せていることを考慮すれば対抗策を考えていても不思議ではない。その一つに後背の擾乱というものがあったとしても不思議ではない。

 ――いや、そう考えると北部の叛乱は些か都合が良すぎるが……

 何百年という時間があれば対要塞戦術の確立だけでなく、対要塞兵器の開発も十分に可能であろう。寧ろ、遅すぎると言える。そちらの可能性の方が高い。敵国の政治的要因に恃んだ戦略の如何に甘いかは大東亜戦争が証明していた。

「或いは、エルライン要塞を抜いた後の為……か?」

 呆然と呟いた言葉に「偶然だ」とトウカは頭を振る。

 有り得ないことなのだ。


 まさか、帝国軍がエルライン要塞突破後の北部制圧に於いて潜在的脅威になりそうな種族を事前に排除しているなど。


「ほぅ、何か心当たりがあるのかえ?」

「あると言えば在ります。ところで傭兵団が襲撃した集落や都市の住民は、一体どのような種族構成か分かりますか?」

 その言葉に首を傾げつつも、マリアベルは狼族や虎族に連なる者が多いと呟く。

 やはり、とトウカは呻く。

 狼族や虎族に連なる種族は、戦闘種族とも言われる程に身体能力が高く、闘争心も他種族を圧倒している。狼族や虎族の中でも中位以上の種族に属する者であ れば、二〇〇を超える年齢の者ならば民間人でも単身で戦車を相手にできるとされていた。そのような“民間人”が無数に住まう皇国は余りにも攻め難い国家で あった。戦車に匹敵する戦闘能力の“民間人”が不正規(ゲリラ)戦を行うなど、侵攻軍にとって悪夢以外の何ものでもない。トウカは後になって知る。皇国の歴史上には、退役軍人が民兵となった“民間人”達を纏め上げ、補給線を絶ち、敵軍主力の後背を突いて壊乱させたことが幾度もあった。

 《ヴァリスヘイム皇国》という国家は先代天帝の融和政策の影響を受けても尚、戦闘国家としての本質を維持し続けていた。

 つまるところ圧倒的な戦闘能力を持つ種族を背景にした国民皆兵である。

「それを知って尚、手を打って見せる者がいる?」笑えない冗談であった。

 エルライン要塞突破後までをも考慮しているということは、エルライン要塞を十分に突破できるほどの兵器、或いは戦術を用意しているという可能性もある。 突破が可能だと判断したからこそ後方擾乱を行っているという可能性。後方の擾乱のみに頼って陥落を期待する程度の相手ならば与し易いが、逆であるとすれば 極めて深刻な状況に陥る。

 敵の総指揮官はエルライン回廊内だけでなく、北部、或いは皇国全土をも視野に入れた戦略を展開していることになる。

「伯爵殿は、如何思われますか?」推論を訊ねるトウカ。

 マリアベルは低い声で唸る。

 だが、その心中は推論の成否を思案するものではなく、トウカへの感嘆と憧憬が多くを占めていた。帝国南部鎮定軍が大規模な戦力を投入しつつも、僅かな期 間の攻勢のみに留めたのは、皇国軍の目を帝国へ向けさせて皇国内で蠢動する傭兵達の動きを支援する意味もあったのかも知れない。

「有り得るのぅ。……しかし――」

「――それだけではありません」

 トウカからすれば帝国南部鎮定軍の侵攻時期そのものが作為的に過ぎた。確かに帝国からすれば皇国北部の叛乱が起きている状況を好機と見て、エルライン要塞への補給が途絶えたと考えて攻め寄せたのかも知れない。

 ――それにしては引き際が鮮やかすぎる。

 エルライン要塞に帝国軍が攻め寄せた際、エルライン要塞の戦闘能力は確かに低下していた。北部で叛乱が起き、エルライン要塞司令部が傍観を決め込んだ以上、後背を突かれる可能性を考慮して北部貴族は補給を行えない。

「もしかすると、帝国軍は動いただけで利益を得たのかも知れません」

「馬鹿な、有り得ぬよ。それ程に皇国は脆弱ではなかろうて」

 確かに皇国内の全ての軍事力が完全に一つの意志の下に完全に指揮統制されているなら帝国の思惑に左右されることはない。

 だが、今は北部貴族が蹶起(けっき)している。

「伯爵殿の心の内は知りませんが、他の北部貴族は、叛乱を起こしても攻勢には出ない心算だったのではありませんか?」

「……現時点ではの」苦々しい表情のマリアベル。

 マリアベルからすれば復讐を兼ねている以上、中央貴族が妥協したとしても矛を収める気はなかったはず。しかし、七武五公の大多数を擁した中央貴族相手に 不用意に刃を向けることは北部貴族でも躊躇われる規模がある。傍目に見ても勝算は乏しい。取り敢えずは、武装蜂起という形で蹶起しても消極的な叛乱となっ たとみても不自然ではない。蹶起軍は未だに積極的な戦線突破による他地方への侵攻を行っていないのだ。マリアベルの言動を見るに、多数派工作が行われてい る様にも見えない。

 双方共に政治的妥協点を探して攻勢を控えている様に見える。

 ある種の政治的駆け引きの延長線上としての軍事行動。

 貴軍官民の大多数の視線を軍事行動に引き付け、水面下での交渉による可決を目指したものではないのか?

 北部貴族も蹶起をする程に現状が危機的であるという意思を示していたに過ぎないのかも知れない。マリアベルは自作自演で事件でも生じさせ、満州事変さな がらの手法で北部に有利な状況で開戦する心算であったのだろうが、それはこの場では重要ではなかった。マリアベルは北部貴族の中でも有力な軍事力を有して いるが、政治力に関しては、寧ろ孤立によって然したるものではないと予想できる。

 確たる密約があった訳ではないだろう。長命種による病的なまでの政治的駆け引きは、咄嗟にして刹那的でもあるのかも知れない。

 ――だが、御前らは軍事力までも駆け引きの道具に利用しようとした。

 その結果、諸勢力にとっての誤算が生じた。

「皇国と帝国との間には北部貴族の領地が横たわっています。帝国軍を退けるには、北部の叛乱を可及的速やかに如何にかせねばならない、征伐軍を率いる大御巫はそう考えたのかも知れません」

 己が勢力の成立と拡大を、叛乱軍の撃破を以て確たるものと野心を抱いた大御巫の台頭。それは急速なものであった。諸勢力は混乱したはずである。

 当たり前である。

 陸海軍が軍事力を提供し、大御巫という宗教的正当性は、有事下に於いて極めて魅力的なものがある。

 トウカが道中で見た新聞によれば、大御巫であるアリアベルは第一皇妃を自称して権力を振るっている。無論、次期天帝が擁立されていない状況で第一皇妃と なったのは無理がある様に思えるが、神祇府は天帝招聘と婚儀を担う行政府でもあった。それらに対する公文書の偽造は容易い。当然、法的な屁理屈を捏ねたと ころで、天帝不在の事実は隠せず、貴族や政府の批判は完全に躱せないが、だからこそ軍事行動による勝利による劇的な変化を望んだ。

 何時の世も回天を望み、軍事力が手元にあるのならば、次の一手は限られている。それは異世界でも同様であった。無論、アリアベルは叛乱勃発に応じて陸海 軍の協力を取り付けていることから、必要に応じて有力な軍事力を手にしたと取れる。トウカは政治的には端倪すべからざる人物であると見ていた。平時から有 力な軍事力を有する事は、いらぬ猜疑と不審を招く。なにも街中を抜身の太刀を手に携えて闊歩する必要性などないのだ。

 だが、軍事的には優秀とは言い難い。北部の各領邦軍も同様である。

「……妾ら北部貴族がそれに応ずる形で防衛線を構築した動きが、帝国には要塞の補給線を絶ち、その上で皇国内の戦力を二分できると捉えられた訳かえ?」

 呆然とした表情のマリアベルに、トウカは黙って頷く。

 その点もある。

 確たる外敵が攻め寄せてきている状況では、叛乱は第三勢力の介入を前提とした消極的な軍事行動の連続となりかねない。皇国内の諸勢力の兵力の減少は緩やかなものとなるだろう。

 それ以外にも帝国が利益を上げる部分はあるが、それを言う積心は出なかった。

「この考えも邪推に近いものですから、あまり本気にしないでください」

 マリアベルの一種の賭けが帝国の侵攻を呼び寄せた、或いは自らの意志を利用されたという側面も捨てきれない。北部貴族を焚き付けて蹶起させなければ、少なくとも皇国はある程度の纏まりを得た状態で対帝国戦争に臨めたであろう。

 ――まぁ、国内の擾乱が叶わねば、侵攻を見合わせる可能性もあるが。

 或いは、被害を最小限に抑える程度の侵攻となるか。

 マリアベルは決して無能ではなく、同時にヒトを慈しむ心を持った女性であった。極めて分かり難いが。

 普段の言動や態度からは、その片鱗すら見えないが、トウカは確かにその優しさを感じた。特にミユキに対しては酷く好意的である。それが、トウカが対立を避ける最大の要因であった。

 だからこそトウカも、相手がミユキに凶刃が迫る一因であるマリアベルに畳み掛けるような言葉を発せないでいた。口を衝いて出た言葉は責めるものではない。

「大御巫は焦ったのでしょう。帝国からすれば然したる増援を望めないエルライン要塞を陥落させ、皇国内の戦力を各個撃破できる好機ですから」

 このトウカの予測は間違いではなかったが、同時に正解とも言えなかった。

 大御巫の本音は北部の征伐を以て危うい自らの立場を強化しようという目論みが大きく、トウカの予測は建前でしかなかった。無論、この予測が外れたのは、 トウカが大御巫が強引な台頭によって兵権を得たことに関して限定的な情報しか得ていなかったからである。アリアベルの立場は、トウカの想像を越えて危う い。

 トウカは七武五公の大多数を敵に回す意味を軽視していた。彼らは単なる政戦の有力者ではない。伝承であり伝説であり、伝統なのだ。天帝とはまた違った威や華、信頼を以て統治を成している。その影響力は、トウカが考える以上に強大なものであった。

「まぁ、今は考えても意味がありません。……それは兎も角、シラヌイ殿が帰ってきたら一芝居打ちます」

 暗澹たる思考を打ち消す為、トウカは目先の一手に思考を振り向ける。

「おおっ、やってしまうか、若者よ」さも愉快だと言わんばかりの笑みを浮かべたマリアベル。

 あの優しくも儚げな笑みだけでなく、人の困る姿を見て笑う姿もマリアベルのなのだ。そんな女性に母性を感じた自らは、やはり捻くれ者ではないか、と思えてしまうことにトウカは首を横に振る。

「あくまでも誘導と説得です。……あまり苛めてあげないでくださいよ」

阿呆(あほ)ぅ、叩かねば隙なぞできぬであろう? 言葉を重ねるも刃を切り結ぶと変わりなかろうて」

 容赦する必要はないと言うマリアベルだが、ミユキの父でもあるシラヌイを無下に扱うことはトウカには到底できない。

 この後、マリアベルに釘を刺すどころか剣でも刺しておくべきだったとトウカは後悔するのだが、それに気付いた時には既に手遅れであった。

 

 

 

 

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