第九一話 バルシュミーデ子爵領攻防戦 前篇
「艦隊速度を第二戦速へ。両翼の水雷戦隊は運河の河川幅限界にまで広げろ」
トウカは艦隊司令官席から立ちあがると、手早く指示を出す。
電磁加速推進への更新が始まっている大日連ならば兎も角、未だ|第二次世界大戦(WWⅡ)以前の科学技術力しか有していない皇国に在って、排気煙を出さずに航行する艦艇の姿にトウカは複雑な思いを寄せる。
魔導機関は放熱する必要があっても排煙の必要はなく、起動も瞬間的なものであった。大日連であれば、現在の皇国と同程度の文明の頃は、戦闘艦艇の推進機関として艦本式蒸気機関が採用されていた。
皇国の魔導機関は、艦本式蒸気機関と比して遙かに優れていた。
重量や規模に比して出力が劣るという欠点があるが、同時に推進剤として使われる重油が可燃性で重量を持つことに対し、魔力は結合反応を起こさねば反応せ ず、また重量も存在しない霊的物質であった。この点は大きく、推進剤の積載で重量がなく非可燃性であるということは戦闘兵器の推進剤としては極めて魅力的
と言えた。そして推進剤まで考慮した場合、魔導機関は内燃機関の長所を遙かに超越する長所を有することになる。魔導機関は、内燃機関に必要な排煙設備や膨 大な数の機関員の生活設備などがないので、機関の規模を大型化すれば推進力も増大して欠点は失われるのだ。無論、大型艦であればこその芸当であるが、この 利点は大型艦に長大な航続距離を与えることになる。
〈剣聖ヴァルトハイム〉を追い越して進み出た水雷戦隊の艦尾を眺め、トウカは嘆息する。
もし、往年の大日連と皇国が戦えば、互角の勝負を見せるかも知れない。
「本艦の砲戦準備も完了しております。本艦は二番艦〈猟兵リリエンタール〉と巡洋戦隊を主体とし、横陣を以て敵艦隊に当たります」
「作戦通りにせよ。……ハルティカイネン艦隊参謀、敵はどう出ると思うか?」
現状報告を行ってきたリシアに、適当な質問を出し、トウカは改めて周囲に視線を向ける。
そこには一面の運河が横たわっていた。
風こそ感じられないものの、露天甲板のような光景に歓声を上げるミユキを尻目に、トウカは魔導技術によって全方位投影された外部の光景に呆れ返っていた。
水面下以外の方位全てが映し出されている光景はとても戦闘艦艇のものとは思えないが、ヴェルテンベルク領邦軍の戦闘艦艇の中でも比較的大型の艦艇のほと んどに搭載されているとのことで、回避運動までの伝達誤差時間を低減したままに、強固な装甲に護られた艦内から指揮官や艦長は安全に指揮を執ることができ る長所を持っていた。
ヴェルテンベルク領邦軍は継戦能力を非常に重視していることから人命重視の姿勢を取っていた。これは、マリアベルが慈愛に満ちていると言う訳ではなく、自軍に優越した敵性戦闘組織との交戦を前提とし続けていたからに過ぎない。
戦闘指揮所は、艦隊指揮と艦艇指揮の双方を行えるだけの広さと設備を備えている。昼戦艦橋や夜戦艦橋はあくまでも予備の指揮所に過ぎず、それ故に艦橋の 規模は海軍艦艇と比して小さい。このことから他の軍からは、あくまでも〈ヴェルテンベルク領邦軍艦隊〉は、シュットガルト湖を中心とした限定水域の安全保
障への対応のみを前提としていると見られている。これも今回の作戦を有利に働かせる要素の一つであり、事実、エーゼル子爵領とバイルシュミット伯爵領は然 したる抵抗も見せないままに陥落した。無論、それらの戦後処理に割かれた艦艇や兵員は少なくなく、作戦の幅を制限していた。
広大で穏やかな運河の光景に、帰りに釣りがしたいと言うミユキ。それも悪くないと考えていたトウカに、リシアが自信に満ちた顔で告げる。
「海軍の偵察騎が頻りに触接している以上、それなりに有力な艦隊が運河を遡上していると判断できます。しかしながら運河内での戦闘機動には制限があります ので、同程度の艦隊のはずです。若しくは川の流れがある以上、下流側に位置する敵艦隊は、魚雷の射程低下を招く為に水雷戦で不利なので、これを考慮するに
戦艦や重巡洋艦ばかりで編成した砲戦部隊の可能性が高い。無論、どちらにせよ砲戦主体となる事は明白かと」
トウカは「在り得るな」と頷く。
下流に位置する敵艦隊が魚雷を発射した場合、運河の流れの抵抗を受けて射程が低下するのに対し、〈ヴェルテンベルク領邦軍艦隊〉が射出した魚雷は運河の流れに沿って射程が延伸される。敵艦隊が積極な水雷戦を展開してくる可能性は低い。
「敵艦隊を通過した場合、退路を塞がれる可能性がある上、後詰がいた場合挟撃されかねない。だが、それは相手も同じだ。故に、互いに旋回しながらの砲戦になるかも知れないな」
「二つの輪がぐるぐる回りながら大砲で戦うんですか?」
ミユキが首を傾げる。
確かに一般に流布している艦隊決戦は同航戦による砲戦で、仮想戦記でもそれが主体となっているものが多い。無論、外洋などではそうした例も多いが、艦隊 戦とは無数の種類の艦艇が複数で行うもので状況が酷く流動的である。そして、今回の一戦は、広いとはいえ運河という限定空間での艦隊戦となるので通常の戦 術では対応できない。
「向こうもどう出るか苦労しているだろう。……まぁ、恐らくは運河幅を限界まで利用しながらの砲戦となるだろう。旋回しながらの砲戦など照準が付けられない。直進時間を最大限に出来るように、川岸に近づく度に転舵しながらの砲戦だ」
トウカはミユキの頭を撫でると、艦隊司令官席に腰を下ろしてミユキの手を引く。そして、引き寄せられたミユキがトウカの膝上に収まる。
戦闘艦橋だが艦内の中央にあり、堅牢な装甲に護られている為、トウカに気負いはない。そして、何よりも今回の海戦の主役は水雷戦装備を有した駆逐艦や軽巡洋艦などの小型艦艇が中心であり、戦艦や重巡洋艦の大型艦艇はそれらの支援に回ることになる。
「本艦は遠距離から投射量にものを言わせた牽制に留まるだろう。そもそも、砲弾の備蓄も戦闘が長引けば怪しくなる」
然したる抵抗もなかった連戦だが、その背景には戦艦と重巡洋艦による艦砲射撃の圧倒的な心理的打撃に耐え切れなかったことが挙げられる。
市街地に砲撃を加える可能性を暗に示したことで、エーゼル子爵とバイルシュミット伯爵は降伏後、トウカに罵声を吐いたが、結果として市街地への砲撃は行 われなかった。民を慈しむという初代天帝から続く貴族の統治姿勢に付け入ったトウカの戦術的勝利に不服らしいが、現在は隷属の首輪を付けて船倉に押し込ま れていた。敵の無能と怠惰に付け入ることを、トウカは躊躇いも愧じもしない。
「主様は活躍しないんですか?」
「十分に活躍しているぞ。俺の任務は有利な状況を作り出すことであって、正面から敵と撃ち合うことではないからな」
自身が手を汚すのではなく、部下に手を汚させる仕事だよ、とは言わない。指揮官にそうした側面があることは、ミユキがまだ知る必要のない真実である。
「艦隊司令長官……その様なことは長官公室に戻ってからなさってください……兵の戦意を削ぎますので」
「俺の戦意は果てしなく高揚しているがな。どうだ? 悪の軍隊を率いる領主みたいだろう?」
ミユキの尻尾を撫でながら、トウカは微笑む。
獣人系種族の尻尾を触るという行為は、女性の臀部を触るに等しい行為ともされている。
無論、関係の深い者達や、気を許した人物の間でもあることなので、単純にいかがわしい行為とは言えないが、公然とその様な行為に及ぶということは、それだけの仲であることを意味する。
「だが、少し露出度が低いな。帰ったらもっと大人の女性が着る服を買いに行こうか」
「軍港に帰る前に、水漬く屍となって母なる海に還っては如何ですか?」
リシアが、口元を引き攣らせて皮肉を零す。
トウカは、リシアがこの話に乗ってくれると思っていたが、こうも完璧に演じてくれるとは思わなかった。戦闘指揮所で任務に励む士官達の緊張を解きほぐす 為にも必要なことであった。〈ヴェルテンベルク領邦軍艦隊〉は大規模な海戦の経験がなく、将兵共々必要以上の緊張を強いられている。
無論、トウカとて人並みには緊張している。
だが、それを表情には出さないだけであり、同時に許されない立場となってしまった。トウカとしては然して苦にならないが、一人で道化の様におどけても意味はない。リンデマンやリシアを交えて益体のない話でもしていた方が、周囲の士官の安心にも一役買うことは疑いない。
「いけませんな。艦隊参謀は、どうも緊張なさっているようだ。艦隊司令の膝の上で休んではどうかね?」
「むぅぅ、ここは私の定位置ですからねっ! 譲ってあげないです!」
リンデマンの言葉に、ミユキが剥れる。
女性の声が戦闘艦内に響き渡るのは、トウカとしては不思議な気分であった。
大日連の観艦式では戦艦にも搭乗したことがあるが、そこに女性の将兵は僅かしかいなかった。海軍軍人は必要以上に験を担ごうとする者が多く、女性の進出 を阻んでいた。だが、逆に小柄で捕虜となる可能性が少ない潜水艦隊に関しては九割方女性将兵で占められており、中には乗員全員が女性という潜水艦もあっ
た。それ以外では、本土に展開している邀撃機部隊くらいのもので、海軍への女性進出は限定的であるのが現状であった。
故に、この点に関しては皇国が先んじていると言える。
無論、捕虜となった場合、女性としての尊厳を踏み躙られるという可能性が高いが、女性に関しては陸海軍のみならず領邦軍までもが完全な志願制となっている。覚悟の上とも言えなくはない。無論、宣伝戦に
踊らされて志願したうら若き乙女たちの末路に何も思わない訳ではないが、皇国は情報統制を行っている訳ではない。万人にある程度の知る権利が与えられてい る国家でもある。無知は罪と言える。ましてやそれが手の届く位置にあり、自らの生命を左右する情報であると理解できるだけの状況にあるならば、自己責任以 外の何ものでもない。
国家は国民の生活を支援する義務はあっても、国民の怠惰を補う義務はないのだ。
「臭います、おっきな船が何隻もいます」
ミユキが狐耳を揺らして呟く。前を見据えるその姿に、トウカはリンデマンへと視線を巡らせた。リンデマンは頷くと、水上見張り厳と成せ、と下令する。既に出された命令だが、改めて命じることで、見張り員も接敵が近いと悟り警戒をより強めるはずであった。
「報告! 魔導探針儀に感! 大型の反応二、中型六、小型多数! 運河中央で横陣を展開している模様!」
魔探員の報告に、艦橋の視線がミユキに集まる。ミユキの耳は魔導電探よりも高性能らしいが、トウカとしては然して驚くことでもなかった。大東亜戦争中、時の連合艦隊は飢島を巡る海戦で、敵が使用する初期型電探よりも先に高練度の見張り員を以て早期発見を実現したことがある。未だ能力に課題が残る魔導探針儀に頼ることは危険であった。
ましてや高位種の各種能力や感覚は卓越したものがある。
未だ科学技術が多くを優越しているとは言い難い。
「全艦に通達! 砲水雷戦用意! 所定の艦隊行動を開始せよ!」
「総員戦闘配置! 防水隔壁閉鎖! 魔導障壁展開用意、回路接続急げ! 機関を戦闘出力へ!」
トウカとリンデマンは交戦に必要な指示を次々と下していく。トウカは作戦や戦術についての提言はできるが、艦隊運用については明るくなく、リシアもまた同様であった。よって基本的な作戦行動だけを伝え、各戦隊司令官には状況に応じて各自の判断で行動する旨も伝えていた。
「先行した〈第四駆逐隊〉より打電! 敵艦隊見ゆ。〈デアフリンゲル〉型戦艦二隻を伴うとのこと!」
戦艦の艦砲の有効射程に入らない様に細心の注意を払いつつも、果敢に近づいて情報を収集しているであろう第四駆逐隊。既に敵艦隊の駆逐艦を排除したのか戦果報告を伝えて来ていた。
水雷攻撃によって敵駆逐艦二隻を撃沈。一隻を砲撃で大破炎上させ、四隻に対して中破に近い被害を与えたとも報告が上がっていた。前哨戦に勝利したことは 喜ばしいが、次発装填装置が開発されてないこの世界に在って、魚雷を撃ち尽くした駆逐艦は大型艦への唯一の有効手段を失うことになる。駆逐艦は魚雷戦に於
いて敵艦に魚雷を命中させる確率を最大限に高める為、一斉射での投射量を最大限まで高めることが通常で、単縦陣で敵艦隊に迫り転舵、一斉に魚雷を発射する ことが基本である。
強いて言うなれば、投網を可能な限り広範囲に投げ入れようとする事と同様である。
一斉に発射する魚雷の数に比例して広範囲を補えることを踏まえれば、一隻当たり一〇発の魚雷を抱えた駆逐隊四隻が、互いに高速で航行する状況で、二隻に 命中を与えた事は僥倖と言えた。小型艦による戦闘を重視していたマリアベルが、技術と練度の向上に並々ならぬ関心を寄せていたという理由もある。
「一二時の方角、敵戦艦二隻! 重巡洋艦六隻! 横陣で近づいてくる!」
艦内通信によって、見張り員から上げられた報告に、トウカは思案する。
トウカがこの場に率いてきた〈ヴェルテンベルク領邦軍艦隊〉は、戦艦二隻に重巡洋艦二隻、軽巡洋艦四隻、駆逐艦は一九隻で、その内、四隻が前衛と露払い を兼ねて敵駆逐艦を撃破する代わりに魚雷を撃ち終えて、本隊への合流を急いている。これとは別に、複数の艦艇も艦隊序列に組み込まれており、場合によって は投入も検討されていた。
「〈第一戦隊〉と、〈第四巡洋戦隊〉は右砲戦用意。敵戦艦の発砲に合わせて左へ転舵、砲戦に入る。限定空間での戦闘だ。座礁や友軍艦艇との衝突に留意。……艦隊参謀、先手を敵に撃たせることは不満か?」
「いえ、長距離砲撃はどのみち当たりません。なれど、あからさまに及び腰な砲撃では、此方の真意を早期の内に悟られるかと」
リシアは、トウカの言葉を限定的ながらも支持する。
少なくとも問題はないらしい、とトウカは胸中で一息吐く。トウカの予定では海軍の介入がないことが前提だったので、大規模な艦隊戦の予定などはなかっ た。無論、その為の準備は怠っていなかったが、三つの領邦軍の有する小規模な艦隊を戦艦の艦砲によって黙らせるに留まるものと考えていたが、中々どうして 戦況は思い通りに推移しない。
「転舵後、第一射から一斉撃ち方を行う! 艦長、本艦の投射量を見せてやれ! 本艦は敵一番艦を。〈猟兵リリエンタール〉は敵二番艦を。副砲は重巡を相手にしろ」
危機感を抱かせて敵を戦艦や巡洋艦同士の砲撃戦に目を向けさせる必要がある、とトウカは考えていた。ここで懸念材料となるのは、敵重巡洋艦の数が此方の 二隻に対して三倍の六隻であるという点で、緒戦から〈第四巡洋戦隊〉は不利な状況下に陥るということであった。戦艦の副砲による支援で補うしかない。最 悪、一部の主砲を重巡洋艦に振り分けることも考慮せざるを得ない。
「進言します」
「許可する」
リシアの発言に、トウカは即座に許可を出す。既に双方の戦艦と重巡洋艦は出し得る最大の艦隊速度で距離を詰めようと前進しており、相対速度は魚雷艇の最高速度と同等となりつつある。時間はなかった。
「我が方の戦艦と重巡で、敵重巡に集中して砲火を加え、確実に数を減らしていくべきかと思います」
「却下だ。戦艦の着弾の水柱で重巡の水柱が掻き消される可能性がある。着弾観測ができない可能性が――」
「――敵戦艦発砲!」
見張り員の言葉が、トウカの言葉を遮る。
リシアはその様子を一瞥した後、声を張り上げる。
リシアもそれなりには艦隊戦を理解しているが、それは机上でのことであり、大規模な艦隊戦を経験した者しか分からないことでもある。
トウカは大日連海軍の戦艦〈大和〉を撃沈した巨大戦艦〈リンカーン〉に対して、戦艦八隻による集中砲火を連合艦隊が浴びせた際、“小口径”の主砲を搭載 している戦艦が水柱を掻き消されて着弾観測が困難になった事例を知っていた。染料を入れることで識別していてすらその有様である以上、その工夫をしていな
い〈ヴェルテンベルク領邦軍艦隊〉が同じ状況に陥ることは想像に難くない。無暗な砲撃は避けたいと、トウカは考えていた。
トウカは、ミユキを艦隊司令官席に座らせると、立ち上がり雛壇状になった艦橋の最上段から大音声で命令を下す。
「取り舵一杯! 進路二四〇度!」
「取り舵一杯! 進路二四〇度!」
敵弾の飛翔音に負けじとばかりに、大音声でリンデマンが復唱する。
「取り舵一杯。進路二四〇度。宜候!」
兵からの叩き上げで士官の階級を得て、〈剣聖ヴァルトハイム〉型戦艦の舵輪を任されるまでになった航海長の落ち着いた声音に応じるかのように、艦体が 徐々に左へと艦首を巡らせる。戦艦という巨大な鋼鉄の構造物が進路を変えるのはそう簡単なことではなく、また時間も掛かった。
進路変更が叶うまでの時間にトウカは立て続けに艦隊へ指示を出す。
「進路変更と同時に、単縦陣へと移行!」
「進路変更と同時に、単縦陣へと移行。各艦に通達!」
トウカの言葉を、リシアが復唱し、通信長が二番艦である猟兵リリエンタールや第四巡洋戦隊に命令を伝える。
「敵艦隊も同航戦に乗るはずだ。艦長、喜べ! 花の艦隊戦をやらせてやる!」
「はっ、存分にやらせていただきます! 砲術長、照準開始!」
リンデマンは紅潮させた頬をそのままに砲術長の肩を叩く。
艦隊を率いる者にとって、艦隊戦とは一種の晴れ舞台であり、特に戦艦という国威の象徴としても扱われる魔導技術と科学技術の結晶を隷下に加えているとな れば、男ならば奮い立たないはずがない。今この時、トウカやリンデマンは皇国海軍軍人や各領邦軍艦隊司令官が最も羨むであろう立場に立っているのだ。
遠方に着弾し巨大な水柱を拭き上げさせた敵主砲弾を一瞥し、トウカは苦笑する。
――どうも、興奮する。先程までは上手くやれていたが、このままでは視野狭窄に陥りかねない。
無論、その様な状況下にあっても苦笑するに留まっているのは、この艦隊戦に於ける主役が自分達ではないことを理解しているからであり、何よりも背後にミユキがいるからでもあった。
〈剣聖ヴァルトハイム〉が進路変針を終え、二番艦の〈猟兵リリエンタール〉が後続し、更に後方を〈第四巡洋戦隊〉の重巡洋艦〈オルテンハウゼン〉と〈クラインシュミット〉が続く。
「第一戦隊、砲撃始め!」
「主砲、砲撃始め!」
仁王立ちとなったトウカが大音声で下令し、リンデマンが射撃指揮所に命じた。
一拍の間を置いて右舷側に火焔が迸り、艦の周囲を撥ねる水飛沫が一瞬で吹き払われて海面が一瞬紅蓮に染まる。至近に落雷したかのような砲声が音の鞭とへと変わって耳朶を打ち、砲撃の振動が基準排水量六〇〇〇〇tを越える艦体を武者震いさせた。
後方からも砲声が届く。
戦艦〈猟兵リリエンタール〉も砲撃を開始したのだ。
巨いなる怪物達の饗宴が始まった。
「おうおう、野郎共。準備はできているか?」
ザムエルは共に警戒序列で歩を進める装甲擲弾兵達に告げる。
〈第二装甲擲弾兵聯隊〉は、バルシュミーデ子爵領に艦隊が差し掛かると同時に、運河岸から上陸。一路、進撃を開始し、バルシュミーデ子爵領、領都エルシ アを目指した。エルシアはシュットガルト運河の畔にあり、艦隊戦開始と同時にこれを襲撃する手筈である。艦隊戦によって領民の避難誘導が開始されるはずで
あり、これを襲えば、バルシュミーデ領邦軍は、領民を護る為にその行動を大きく制限されるはずであった。
「あちらさんは、良い的になってくれるぜ」
「屑ですね、貴官は」
横から顔を出したアンゼリカが、小さく鼻を鳴らす。
観戦武官であるはずのアンゼリカだが、艦隊戦には興味がないとザムエル隷下の装甲擲弾兵に同行する道を選択した。無論、実戦を行うことを直前まで知らせ ていなかったので、領民と共に輸送艦に移乗させる予定であったが、一部の観戦武官は同行することを望み、トウカはそれを受け入れた。高齢なロートシルト子
爵には、心臓発作で死なれては叶わないと正面から口にしたトウカが、ロートシルト子爵に笑顔のままに杖で叩かれるという一幕もあったが、それは余談であ る。
「御主も若いの。まぁ、いざとなれば某が先陣に立てばよいで御座ろう」
「そいつは……そういう意味か? トウカも認めているのか?」
深編み笠を目深に被ったベルセリカの微笑に、ザムエルは息を呑む。
ベルセリカが先陣に立ち、敵と渡り合う。それは、剣聖ベルセリカ・ヴァルトハイムが歴史上に再び躍り出るという事に他ならない。
ベルセリカ自身は傷が癒えていると口にしていたが。既に皇国の為に十分な槍働きを成したベルセリカを再び戦野に立たせることをザムエルは躊躇った。喪ったものは、どれだけ戦おうとも戻りはせず、己の心身を摩耗させるだけに過ぎない。
ベルセリカは十分に戦った。少なくともザムエルはそう考えていた。
それでも尚、皇国が廃滅への道を歩むのならば、それは個人の責任や責務に起因するものではなく、時代がその国家が滅びるべきだと告げているのだ。
気に入らないという顔をしたザムエルの頭に、ベルセリカの手が添えられる。軍帽越しに撫でられたザムエルは益々、不機嫌になった。
「もう某が組織の為に戦うことはない。今は御屋形様とミユキの未来の為に戦うのみ。どうもあの二人の気になってな。某も何処かの誰かの為に戦おうなどという気はもう御座らんよ」
暗くなり始めた大地にあって、二人は傍から見ると要領の得ない会話を続ける。
背後に続く、アンゼリカが頻りに首を傾げているが、指揮下に組み込まれていない観戦武官に配慮する気はザムエルにはなかった。
既にエルシアを望む位置に展開しているが、場合によっては夜襲を以てバルシュミーデ子爵家の屋敷を襲撃せよという命令を受けていた。その為、今は攻撃が 控えられており、遠く臨むエルシアから領民を避難誘導するバルシュミーデ領邦軍の姿を、森林の中から双眼鏡で覗き見ているだけであった。
「しかし、トウカが提案したこの新型戦闘服は使えるな。女性兵士の浴場を覗く際の擬装に使える」
ザムエルや〈第二装甲擲弾兵聯隊〉の面々が着ている新型戦闘服は、トウカが命じて作られたもので、M九九野戦服と言われる戦闘服として正式採用されることが決定している。これと戦闘装着装具と呼ばれる戦闘防弾胴衣(防弾チョッキ)や水筒、弾納、救急品袋、携帯円匙が一体化した装備に加え、戦闘弾帯と拳銃嚢一式を合わせたものが、トウカによって提案されたものであった。
銃火器の発達や野砲、砲撃魔術の長射程化に伴い、皇国軍でも将兵自身の擬装を意図して展開地域の植生に近い色の軍装を作成することがあったものの、今回 トウカが命じた戦闘服は皇国の植生・気象条件に合わせた数色のまだらや斑点・縞模様を用いた複雑な模様で、トウカはこれを迷彩柄と評した。
その効果は絶大であった。
特にバルシュミーデ子爵領の領都であるエルシアは大星洋に近く、海風によって積雪は無きに等しい。そんな中にあって森林地帯に身を隠す〈第二装甲擲弾兵聯隊〉は、異様な姿で雌伏の時を過ごしていた。
「御主の性犯罪を止める気はないがの、確かにその模様は周囲によう溶け込んでおるよ。まぁ、某には似合わんで御座ろうが」
ベルセリカは、ザムエルの戦闘服の肌触りを確かめるように胸元に手を這わせる。
ザムエルや〈第二装甲擲弾兵聯隊〉将兵は総員がM九九野戦服を着ているが、元よりヴェルテンベルク領邦軍の指揮下に組み込まれていないベルセリカは勿論 の事、観戦武官であるアンゼリカに限っては深緑を基調とした軍装の端々に真紅が配色された派手なシュトラハヴィッツ領邦軍の軍装を身に纏っている。目立つ ので迷惑この上ない。
「屑だな。死んでしまえ」
「分かってないな、生娘は。野郎ってのはこうやって連帯感を演出するんだよ。それに肌を少しくらい見せても微笑んで上手くあしらうくらいが良い女っていうんだよ? なぁ?」
「で、あろうな。……某を覗けば反射的に捩じってしまうやも知れぬが」
一体、ナニを捩じるのか。
ベルセリカに同意を求めたが、同意しつつも釘を刺されてザムエルは黙って頷く。女性を刺すことはあっても、刺されるのはザムエルの趣味でも性癖でもないのだ。
「俺に襲撃は一任されているからな……さて、如何したものか」
主目標はバルシュミーデ子爵領、領都エルシアの占拠であるが、バルシュミーデ子爵を確保するという副次目標も可能な限り達成して欲しいとトウカに“御願 い”されていた。命令ではなく、あくまでも御願いというところからも分かる通り、副次目標はトウカ個人の御願いに過ぎない。元を辿ればこの作戦自体がヴェ
ルテンベルク領邦軍司令部の認可を受けていない。領邦軍艦隊の運用に関してはトウカに全権が委ねられているものの、ザムエル隷下の〈第二装甲擲弾兵聯隊〉 に関しては例外ではなかった。
――ここで勝てば少将。負ければ中佐に逆戻りと言ったところかねぇ。
マリアベルは優秀な者を容易く処断しない。
少なくとも命令違反で銃殺されることはなく、元を辿ればこの作戦もヴェルテンベルク領邦軍司令官であるイシュタルの認可を受けてはいないが、恐らくトウ カはマリアベルの許可は得ている。輜重などに関しては領邦軍艦隊とてイシュタルを通さねばならないことを踏まえると、マリアベルが書いた認可書でも携えて いるに違いなかった。
「もう少し暗くなった後、避難民の背後から仕掛ける。バルシュミーデ領邦軍は反転して楯になろうと展開してくるはずだ。これを後退しつつエルシアに引き込んで市街戦を展開するぜ」
「まぁ、精強な騎士を多く輩出するバルシュミーデの領邦軍を相手にするには一個聯隊では、ちと力不足か」
ザムエルの言葉に、ベルセリカが同意する。
一個大隊で一個聯隊相当の活躍を見せると言われているバルシュミーデ領邦軍は、その基幹戦力に二個大隊を保有している。しかし、領地の警備や治安維持に 当てられている部隊も居り、実質、エルシアに詰めていた兵力は多く見積もっても一個増強大隊程度に過ぎないはずであった。
「ふん、軟派な癖に小心なのだな。夜襲を以てすれば隙を突けるだろう」憮然としてアンゼリカが呟く。
それに対してザムエルは、何でこんな猪生娘が領邦軍大佐を務めてるんだか、と呆れる。勝ち方だけ考えればいいのは兵士だけであり、将校たる者は勝利後のことも考慮せねばならないのだ。
「うっさいわ、駄犬。避難民を巻き込んだらどうする気だ? ベルゲンと違ってここでの戦いは戦後統治も考えなきゃならねぇんだよ。できればバルシュミーデ子爵を真っ先に捕えて降伏させることが望ましいんだが――」
ザムエルの言葉を一陣の風が遮る。
「――それは我等に御任せ頂きたい」
紅い長髪をぞんざいに後ろで束ねた漆黒の軍装の女性が近くの大樹に背を預けていた。その横には同じく中性的な顔立ちの少年が似合わない軍装を身に纏い佇んでいる。
「情報部のエイゼンタール少佐です。此方は部下のキュルテン中尉」
男装の麗人といった佇まいのエイゼンタールの敬礼に、ザムエルは慌てて返礼する。
情報部のエイゼンタール少佐と言えば、対間諜任務で狂気じみた手腕を発揮する人物として有名であった。不興を買うのは避けたいとザムエルは冷や汗を流す。横に立つベルセリカは敵ではないと判断したのか、大太刀の柄から手を離して一歩下がる。
「情報部は蹶起以前より、この辺りの貴族領全てに浸透しておりました。情報は既に入っており、バルシュミーデ子爵は僅かな手勢でエルシアに残るとの情報を得ています」
「ならば全力でエルシアに攻め寄せるべきか……しかし、貴官らはトウ……いやサクラギ代将の指示か?」
この様な策まで巡らしていたならば伝えてくれても良いのではないか、とザムエルはトウカの準備の良さに呆れた。こうも隙のない用兵を見せられては、ただの人間とは思えなくなる。
しかし、返ってきた言葉は、想定外のものであった。
「いえ、我々は領主様の御命令によって動いております。サクラギ代将閣下を影ながら補佐するように、と」
つまりこの作戦が、トウカの独断ではなく、マリアベルの意志も介在している事が確実となったのだ。領邦軍情報部はマリアベルの直轄であり、これが動くと いうことはマリアベルもこの作戦に関わっていると言うことになるが、トウカは情報部が支援していることを知らないのかもしれない。
「愛されてるねぇ……」
トウカが全てを一人で画策している訳ではないことに安堵しつつも、冷徹で知られるマリアベルがトウカの立案した作戦を影から補佐していると言う状況に思わず苦笑する。まるで息子を心配する母親の様ではないかと思えてしまったのだ。
「いや、まさかサクラギ代将が領主様の隠し子だなんてことはないよな?」
「その可能性には情報部も思い当たりましたが、サクラギ代将の痕跡が全く辿れないので我々も判断しかねております。領主様とサクラギ代将の双方に魔導資質がない以上、魔力波形を調べることも叶いません……」
情報部が調べても分からないと言うのであれば、完璧に擬装されているとも取れる。トウカもマリアベルも疑い深く、或いは行動の痕跡を隠す事ができるかも 知れない。少なくともトウカの過去が全く分らないというのは不自然に過ぎる上に、それを承知でマリアベルが領邦軍に招いたとも思えない。
「御気になられるというのであれば、ヴァレンシュタイン准将閣下から探りを入れて貰えますか?」
「勘弁してくれ。そんな度胸はねぇよ」
マリアベルが周囲を嗅ぎ回ろうとする人間に寛容であるはずがない。確かに付き合いが長いザムエルやリシアならばその身に危険が及ぶことはないが、貴族の私設軍たる領邦軍では領主である貴族の不興を買えばその一存で降格や銃殺もあり得る。
「まぁ、そうでれば喜ばしいことだぜ。後継者になるかも知れない奴が現れたわけだからな」
ザムエルの言葉に、その場にいた者達が一斉に頷いた。