第九七話 海軍軍人たるの本懐
「敵一番艦は、あれ程に傷付いているにも関わらず、まだ戦わんとするか」
感嘆の声を上げるシュタイエルハウゼンだが、その内心は一領邦軍が自国の正規海軍よりも防禦性能に優れる大型戦艦を建造したという事実に恐怖を抱いていた。
若しかすると自国の海軍は、世界の建艦競争から落伍しつつあるのではないか、と感じ始めてすらいた。無節操に他大陸の技術や魔導大系を吸収し続けるヴェ ルテンベルク領は、それらの流入を潤沢な資金と高待遇を以て実現していたが、逆に技術流失を恐れて憲兵隊と情報部実働課による厳格な統制を敷き、技術流出 を意図した諜報活動を行った陸軍の間諜を問答無用で惨殺したことも将官の間では有名である。
――内乱終結後は、ヴェルテンベルクの資金と技術に多くの者が蛆虫の様に群がるだろう。
それが新たなる戦乱の火種となるかも知れない。
自らを豊かにし、守護してきたそれらを奪われることをヴェルテンベルクの領民は断じて認めないだろう。領民皆兵制によって領内決戦に於いては全ての領民 を郷土兵として動員するとすら明言したマリアベルの意志を、領民の大半が肯定したという事実を考慮すれば、ヴェルテンベルク領に攻め入れば激しい抵抗に遭
うであろうことは疑いなかった。戦後の対応次第で不正規戦が生じることもまた同様である。
そして、市街戦は征伐軍を疲弊させ、北部と他地方との更なる軋轢を生むだろう。
その中でサクラギ・トウカは如何様に蠢動するか?
シュタイエルハウゼンは、その先を想像して身を震わせる。
僅かな兵力を以て、短期間で征伐軍の指揮系統を壊乱状態に追い込んだ名将。
反抗する領民を野戦軍としてトウカが指揮すれば、更に悲惨なことになる。
「御国の為、ここで死んで貰うしかないか」
その将才は惜しいが、北部の民衆や貴族に希望を与えてはならないのだ。それは新たな戦乱に繋がる。無論、これ以上、北部の民を虐げる状況が続くことは好 ましいことではないが、帝国の侵攻が予想される中で国内の動乱を続ける訳にはいかない。最低限の犠牲で済ませる為に戦うことこそが軍人の定めである。だか らこそ軍人は報われない。シュタイエルハウゼンはそう信じて疑わなかった。
艦橋左の支柱に背を預け、右舷に見える窓から燃え盛っても尚、盛んに咆哮を続ける〈剣聖ヴァルトハイム〉の偉容を目にし、決意を瞳に浮かべた。
だが、ふと海面に視線を向けると、そこに青白い影が過ぎった。
「何だ……?」
魚影かと訝しんだ直後、足元から凄まじいまでの衝撃が付き上がる。
艦橋が跳ね上がらんばかりに上下に揺れ動き、シュタイエルハウゼンを筆頭とした参謀や艦橋要員達が薙ぎ払われ、弾き飛ばされる。敵戦艦の砲弾の着弾を上回る程の衝撃であり、シュタイエルハウゼンの今までの人生を以てしても初めての規模であった。
その衝撃は艦橋だけに留まらず、〈ガルトジング〉の巨艦を大きく震わせる。
艦橋の左脇と第三砲塔付近に吹き上がる巨大な二つの水柱を見上げ、シュタイエルハウゼンは、それが魚雷だと悟る。
魚雷は海戦の切り札とは成り得ない。
それは世界的な風潮であり、魚雷という小さな弾体に対して魔導機関を搭載することができず、内燃機関を搭載していることが影響している。また、海水に溶けない窒素が燃焼瓦斯に含まれていることから発生する白い航跡の為、早期発見されて回避運動を取られる可能性も高く……特に視力に優れる種族で見張り員を構成していた皇国海軍では魚雷という兵器は主力にはなり得なかった。
だが、ヴェルテンベルク領邦軍の魚雷は違った。
酸素魚雷。
《大日本帝国》海軍も採用していた純粋酸素を燃焼に使用する魚雷であった。
無論、《大日本帝国》海軍が行っていた燃焼制御による爆発事故防止を、ヴェルテンベルク領邦軍は魔導技術によって行っているなどの違いはあるものの、その性能に大差はなかった。
ヴェルテンベルク領邦軍が小型艦艇を主体にした編制をしている理由は、酸素魚雷を運用する駆逐艦や軽巡洋艦を多数揃えることによってシュットガルト湖や 大星洋に続く運河、そして大星洋上で航行する商船を護衛する必要性があったからに他ならない。酸素魚雷という切り札を得たからこそ艦隊戦の為に大型艦を揃 える必要性が薄れ、元より数を必要としていた通商護衛の為の小型艦艇に魚雷を装備させた。
巨鯨に必殺の銛を携えて群がる無数の小舟。
それが〈ヴェルテンベルク領邦軍艦隊〉の正体である。〈剣聖ヴァルトハイム〉型戦艦など元より主力として当てにされていなかったのだ。
辛うじて見える遠方では、敵駆逐隊の阻止行動にでていた重巡洋艦や駆逐隊が火焔を噴き上げて行き足を止め、その炎を背景に急速に艦体を大傾斜させつつある。
「後続の〈エルトリンゲル〉、被雷三! 〈ロルトリンゲル〉も被雷二! 共に大傾斜ッ!!」
砲戦中の為、単縦陣で航行していた為に魚雷に横腹を晒していた〈ガルトジング〉と〈エルトリンゲル〉、〈ロルトリンゲル〉……そして、阻止行動を継続し ていた重巡洋艦や駆逐隊も例外ではなかった。水雷戦を軽視していたが故に、それに対する対応を怠ったシュタイエルハウゼン。しかし、二手に分かれて阻止行
動を行っていた重巡洋艦……を指揮する二人の巡洋戦隊司令官もそれは同様であり、決してシュタイエルハウゼンだけが責められる訳ではない。
「両舷停止! 後部火薬庫の注水、急げ!!」
艦長が慌ててそう命じ、〈ガルトジング〉は行き足をゆっくりと止める。後続の〈エルトリンゲル〉も同様に行き足を止めているが、艦尾機関室付近に被雷し
たのか急速に速度を落とし始めていた。既に砲戦能力の半数を喪失している事に加え、敵戦艦の砲弾による各所の被害によって被害制御が低下していた為、急速に浸水による被害が拡大しつつある。
海上兵器に対する運用思想の違い。
それが、この海戦の趨勢を左右した。
海上兵器によって編成される艦隊が一〇年単位の時間を掛けて整備されることが常である点を考慮すれば、それはトウカの齎した技術的勝利ではなく、長期的視野を以て整備した領邦軍司令部と大規模水雷戦という戦闘教義を立案したマリアベルの才覚に依るところと言えた。
そして、悲劇は終わらない。
闇夜に響く暴虐のくぐもった爆発音。
「〈エルトリンゲル〉、再び被雷ッ!!」
それは、シュタイエルハウゼンには預かり知らぬことであったが、大量の魚雷が十字砲火の要領で放たれた為に時差ができた結果であった。その上、〈ロス ヴァイゼ〉型重雷装艦の二段五連装魚雷発射管の時差を付けての上下段個別発射の特性を考えれば、計四波の魚雷が戦艦三隻を襲うことになる。
既に左舷側の甲板の半ば海水が洗い始め、艦橋にまで浸水しつつある〈エルトリンゲル〉の左舷に再び艦の全高を遙かに超える水柱が聳え立つ。
水中に傾斜しつつ没し始めた中での被雷なので、水面下にまで沈降した前甲板へと被雷した〈エルトリンゲル〉。総員退艦の命令すら下令されていない中での 被雷は、多くの乗員の命を奪う結果となる。水中衝撃波によって意識を失い、運河底へと引き摺りこまれていく将兵に成す術はない。
「〈ロルトリンゲル〉、左へ転舵! 本艦の左舷に並走の構え!」
「あの莫迦者め! 楯になる気か!」
艦隊司令官座乗艦を助ける為か、或るいは新造巡洋戦艦の保全を優先させねばならないと判断したのかは不明であるが、戦闘能力のより高い〈ガルトジング〉の生存を優先させることは戦術的にも正しい。
だが、勇敢であることが戦場に於ける免罪符とは成り得ない。
再び噴き上がる二本の水柱。
〈ロルトリンゲル〉の左舷に二本の高い水柱が吹き上がった。
重力に従って水柱は甲板に降り注ぎ、大量の海水へと変じた。その量は想像を絶するものであり、搭載されていた機銃の防循を湾曲させるほどの質量となって甲板を襲った。
しかし、それに気を払う者はいない。
〈ロルトリンゲル〉は傍目に見ても復元不可能なまでに急速に左舷に傾き、僅かな時間で艦橋基部が海水に洗われ始めていた。右舷の喫水線下の赤い船底が覗き、最早、誰の目から見ても〈ロルトリンゲル〉は助からない。
不意に〈ロルトリンゲル〉の傾斜が加速する。
大きな着水音に加えて、生じていた火災や砲身の熱が海水によって急激に冷やされることに生じた水蒸気の中に運河に身を投げる乗員の姿は少ない。総員退艦が出始めた直後であり、艦内には多くの乗員が取り残されていることは疑いなかった。
「〈ロルトリンゲル〉転覆!」
艦橋の姿が完全に水面下に消え、船底しか見えなくなった〈ロルトリンゲル〉から目を逸らし、シュタイエルハウゼンは敵戦艦二隻に視線を向ける。
――主力戦艦を二隻も失う事となろうとはッ! かくなる上は、これ以上、皇国が保有する戦艦を失わぬようにするしかない……
〈エルトリンゲル〉と〈ロルトリンゲル〉は最新鋭戦艦とは言えないが、皇国海軍で水上砲戦の中核戦力と位置付けられる〈デアフリンゲル〉型戦艦の後期生産型であり、少なくとも列強各国が保有する主力戦艦に劣らぬ性能を持っていた。その重要防禦区画を貫徹する主砲と、主砲弾に耐え得る重装甲を備えた〈剣聖ヴァルトハイム〉型戦艦の登場、そしてそれと互角に砲戦を繰り広げていた主力戦艦を瞬く間に葬り去った大規模な行雷攻撃という戦術は皇国海軍に大きな衝撃を与えることは疑いない。
シュタイエルハウゼンにも、予想し得ない未来が迫っていた。
しかし、未来をよりよきものとする為には、一隻でも多くの戦艦を保全しなければならない。
「航海長、本艦は〈エルシア〉沿いの運河岸に座礁する! 航海参謀! 最短時間で座礁させろ!」
「小官は被害制御の現場指揮を執ってきましょう。おい、手空きの連中も付いてこい!」
先任参謀の言葉に、機関参謀や作戦参謀、戦務参謀政務参謀が続く。皆が〈ガルトジング〉の保全の為に最善を尽くそうとしていたが、助かるか否かは不透明 な状況が続いた。幸いにして敵戦艦二隻は沈黙を保ったままであり、或いは友軍魚雷の進路上に飛び込まないよう、配慮している可能性もあった。
「本艦は陸上砲台となり抗戦を継続する! 総員、海軍軍人たるの本懐を遂げるぞ!」
海軍軍人の本分。
初代天帝の御世より続く皇国海軍。僅か八隻の小型木造戦列艦から始まった海軍は、初代天帝の海軍編制時の言葉を胸に国防を担い続けてきた。
蒼海の戦人よ、水漬く屍は祖国が礎なり。
「砲撃を継続せよ! 隙を見せるな! 我等、屍となりて運河岸に陸上砲台を築き上げるのだッ!!」シュタイエルハウゼンの叫び。
同時に敵戦艦二隻からの砲声が轟く。
そして、黎明に差し込む曙光が戦海を照らした。
「えっと、大丈夫ですか?」
ミユキは寝台に横たわる白い翼を持った女性士官に話し掛ける。
戦艦〈剣聖ヴァルトハイム〉の巨大な医務室で、看護婦としてミユキは働いていたのだが、目下のところ看護対象が天使族の者達となっていることから興味 津々であった。天使系種族も天狐族と同様に個体数の少ない種族である。ミユキも直接目にしたことは初めてである為に興味は尽きず、血が付いて重みを増す羽 根を触ってみた。
――や、柔らかいです! 毛布に使ったら気持ち良さそうかな?
幸いにして天使族の士官は声を掛けても目を覚ましている様子がないので触りたい放題である。先程までは大きな医務室もまた苛烈な戦場であったが、既に海 戦は集結し、バルシュミーデ子爵領、領都エルシア近郊に座礁して尚も抵抗していた〈フライジング〉型巡洋戦艦も沈黙している。大破してその戦闘能力を喪失
し、変わり果てた姿を晒していた。戦艦に劣る装甲の巡洋戦艦では、一発の被雷でも小さくない被害となること以上に、速度低下によって戦線離脱が困難となっ たことが決定打となったのだ。
ミユキは天狐族の優れた魔導資質を最大限に利用する為、衛生兵の真似事をすることとなったが、周囲の予想を裏切って大きく活躍することとなった。戦闘医 療という精神と肉体、そして魔力を著しく疲弊される行為に対して、ミユキが耐え得るものではないと判断したトウカは、当初、ミユキがそれに携わることに良 い顔をしなかった。
しかし、バルシュミーデ子爵領を降伏に追い込んだとの情報を得て、トウカは駆逐艦に移乗し、エルシアの港へと寄港して戦後処理を始めることになった。そ の上、座礁した〈フライジング〉型巡洋戦艦の乗員が、陸戦隊を編成して尚も戦意を見せたことで、これの鎮圧にベルセリカを伴って当たることになり、ミユキ だけに構っている暇はなくなったのだ。
そこで、リンデマンがミユキの自由を認めた。
リンデマンは〈剣聖ヴァルトハイム〉の艦長として乗員の生命に責任を負うべき立場にあり、ミユキが治療に加わればそれに対して最善の義務を果たせるとの判断からそれを許容した。無論、トウカの顰蹙を買いたくはないので表向きは見て見ぬ振りをしたに過ぎない。
反応がない天使族の士官の翼を触り、ミユキは思案の表情を浮かべる。
そして、羽根を二、三枚、引き抜いた。
「ッ――――っ!」
声なき悲鳴が、寝ていたはずの天使族の士官が驚き、がばっと布団が蹴り上げられる。
どうも痛かったらしい。
右翼を抱きかかえて涙目の天使族の女性士官がミユキを睨む。
「羽筆にしちゃいます。戦利品さんですよ」
「ほ、捕虜虐待だ。騎士道は如何した……ッ!」
言わんとしていることは分かるが、ミユキは騎士でもなければ正規軍人でもない。
軍属としての扱いは受けているが、ヴェルテンベルク領邦軍の書類上では、存在していないことを情報部部長よりミユキは聞いていた。情報部という得体の知れない組織では、構成員の多くが身元が曖昧になるように経歴を改竄され、所属元も公式記録上は情報部所属ではない。
「私、軍人さんじゃないです。一般人かな?」
時と場合によって立場と役職を使い分けるのはトウカの十八番であるが、ミユキにもその片鱗は窺えた。影響を受け始めているといっても良い。自己正当化に於いて自らに有利な情報のみを状況から抽出し、陳列するのは基本であった。軍属であるなどとは一言も発さない。
少しの間を置いて気を持ち直したのか、天使族の女性士官は咳払いをしてミユキに向き直る。双翼を抱き締めたままに、再び毟られる事を警戒してはいたが。
「私はカミラ・フォン・レーヴェニヒ少佐だ。海軍、〈第一四艦上航空歩兵中隊〉隊長を拝命している。部下の処遇を知りたい」
「えっと……突入してきた時の皆さんですよね? 生き残ったヒトは四三人ですよ。あれ、天使の数って人の単位なのかな?」
悩むミユキに、天使族の女性士官……レーヴェニヒは微妙な表情を浮かべる。
喪った部下の数に対する悔恨の念と、おっとり狐娘の搭乗する戦艦に対する疑念が混ざり合って、言葉を紡げないでいたレーヴェニヒに、ミユキはうんうんと頷く。
「元気がありそうで良かったです。一番、危なかったのが少佐さんだったんですよ?」
「そうか……それにしては傷一つないが……」
自らの身体を触り、レーヴェニヒが首を傾げる。
「それはの、そこの狐っ娘が、治療を手伝うてくれたからじゃよ」
「あ、軍医さん。終わったんですか?」
背後から現れた初老の軍医少佐に、ミユキは親しげに話し掛ける。
その軍医少佐は、〈剣聖ヴァルトハイム〉艦内での治療行為に関する一切の責任者であり、今回の海戦では衛生兵を指揮して負傷した乗員の治療に当たってい た。しかし、海戦中に〈剣聖ヴァルトハイム〉に飛び降りてきた艦上航空歩兵を撃破する手段に、トウカが副砲による榴散弾を選択した為、凄まじいまでの惨状 が甲板付近には広がることとなった。
鉄片で身体を裂かれ、高温に翼を焼かれ、折り重なる様に斃れ伏した天使達。
魔術を利用した治療技術が主体の皇国は、医療技術に関しても卓越したものがある。しかし、手術で使われるような魔術には高度な精密性を必要とし、それを 長時間運用、維持するには膨大な魔力が必要であった。魔導機関などで精製される魔力は、その性質上、ヒトが直接扱うことは難しいので、自らに内包した魔力 か他者の魔力を直接受け取るしかない。
既に魔力が欠乏状態にあった衛生兵達。
〈剣聖ヴァルトハイム〉に搭乗していた水兵の多くも、度重なる戦闘で身体と精神が疲弊し、魔力を譲渡できる状況になく、そもそもその時間すらなかった。
だが、そこに現れたのがミユキだった。
リンデマンからの指示であったが、それは状況を著しく好転させた。天狐族の姫君は、その優れた魔導資質で治療を手伝った。その膨大な魔力を衛生兵に供給 することで、高度な魔導医療を支えたと言える。特に複雑な術式に割り込み、衛生兵達に実力以上の治療行為を可能とさせた。
ミユキの魔術に関する理解は卓越したものがある。嗅覚で探知しているのか、魔術陣の非効率なところを指摘できるのだ。途中で戦闘食糧の匂いに釣られて集中力が持続しないのが難点であるが。
「貴官の部下も、この狐っ娘がおらなんだら半数は助からなかった。軍人でない娘だが己に成せる精一杯をこの戦場で示し続けておった」
軍医少佐は、開け放たれたままの扉の先で、治療を受けている艦上航空歩兵を指し示し、ミユキの頭を無造作に撫でる。トウカとはまた違った武骨な感触に、ミユキは頬を緩める。
「それは……感謝する仔狐殿」
寝台上から一礼したレーヴェニヒに、ミユキは微笑む。
これは事実上の内戦による結果の一つであるが、何れは双方共に歩み寄らねばならず、この遣り取りが大きく広がっていくとミユキは信じて疑わない。そうでなければ内戦という内輪揉めは集結しないのだ。
最悪、自身が動かねばならない。ミユキは、そうも考えていた。
最愛の人が他勢力を打倒、或いは致命的なまでに弱体化させることで自らが所属する陣営を有利に導こうとしていることは、ミユキにも察することができた。 しかし、同時に先見の明があるはずのトウカが、敵対勢力との融和の可能性を故意に見逃しているかも知れないという不安がミユキにはあった。今回の海戦に於 ける好戦的な姿勢が、そんなミユキの考えを助長させたのだ。
和平が可能であるにも関わらず、闘争を選択した可能性。
それは、きっと許されない事だ。散った者は、愛する者の腕に還る事はできないのだから。
だから、怖くて聞けないのだ。一体、誰が為の闘争なのか、と。
故に妥協の産物として、ミユキは多くを助けなければならない。
「私は私に出来ることをしたいだけです。感謝なんて……」
「小官の部下は確かに貴官に助けられたようだ。それに変わりはない」
そう言って貰えるならば光栄であるが、ミユキとしては自らの妥協に過ぎない治療の支援に対する感謝の言葉に黙って頷くだけに留めた。
開け放たれたままの扉の先に見える治療を受けている艦上航空歩兵を見遣ったレーヴェニヒは小さく微笑む。軍人として凛とした佇まいであるものの、同時にその表情は天使の名に相応しいだけの優しげなものであった。
「まぁ、仔狐殿が――」
レーヴェニヒが言葉を続けようとした瞬間、敵性戦力来襲を知らせる警報が艦内に鳴り響く。
赤色灯が点灯し、俄かに慌ただしくなる〈剣聖ヴァルトハイム〉。それはミユキのいる医務室も例外ではなく、薬品の在庫管理や各部署に赴いて軽傷者の治療 に当たっている衛生兵との連絡を取り始めたことで喧騒が満ちる。軍医少佐は、部屋に設置されていた艦内電話を手に取り現状把握に努めている。
「まだ、抵抗している艦があったのか……」
「え、でも主様は、残存艦は全艦が大星洋方面に撤退したって……」
レーヴェニヒの言葉に、ミユキは首を傾げる。
トウカは念の為、駆逐隊によるエルシア近郊の運河の哨戒を実施しており、エルシア近傍に碇を下ろした〈剣聖ヴァルトハイム〉まで敵艦が忍び寄れるはずはなかった。
「どうやら友軍艦隊らしいの。それも五〇隻近い大艦隊らしい。やれやれ、我らが領主様は、何処からそんな大艦隊を持ち出したのやらのぅ」艦内電話を元に戻した軍医少佐が呆れた声で呟く。
レーヴェニヒは寝台上でその艦隊規模に絶句している。
対するミユキは、マリアベルが警備艦隊や哨戒艦隊として重巡洋艦や軽巡洋艦、駆逐艦の艦体に若干の武装を装備した艦を無数に配備してシュットガルト湖を 防衛していることを知っていた。魔導機関の利点の一つである維持費が少ないということに目を付け、有事の際は軍港工廠内に併設している倉庫に予備武装とし て量産し、保管しておいた艦載武装を装備、後に再就役させるという手法を目論んでいたのだ。
これは、《大日本帝国》海軍の〈最上〉型重巡洋艦の主砲の逸話に類似している。
ワシントン軍縮条約で認められた軽巡洋艦建造枠に対して第1次補充計画で基準排水量八五〇〇tの軽巡洋艦を四隻建造することを決定し、主砲は軽巡洋艦の 制限限界の口径一五・五cm、三連装主砲を新たに開発して搭載した。また条約失効後には機密理に二〇・三cm連装砲へと換装することとしたのだ。ワシント
ン軍縮条約では戦艦と航空母艦の、ロンドン軍縮条約では重巡洋艦以下の補助艦艇の保有t数が制限された。〈高雄〉型で重巡洋艦の保有枠が限界となった為、 保有枠に余裕のある軽巡洋艦で重巡洋艦と同等の攻撃力を持つ艦艇を日本海軍は求めたのだ。経緯もまた近いものがある。
そして、それらの警備艦や哨戒艦は、順次、船渠に入渠し、再武装を施されて重巡洋艦や軽巡洋艦、駆逐艦へと再就役し始めていた。
無論、トウカはそれを知らない。
厳密には未だ訓練を終えて正式に領邦軍艦隊へ配備されていないからである。
そして、元は北部貴族に課せられた軍備制限を躱す為の手法であり、あくまでも領邦軍所属ではなく民間の警備企業所属という扱いとなっていた。現にシュッ トガルト湖の哨戒だけでなく、他貴族領に面しているシュットガルト運河の警備まで担っていたので、多数の艦艇を揃える大義名分があったこともあり対外的な 名目が立ったのだ。
無論、民間の警備企業は皇都に本社を持ちながらも、筆頭株主がマリアベルの意向を受けた者であるという事実は一般には知られていない。
「こんな時に来るってことは、マリア様は全部知っていたのかな?」
海戦終結から暫く程度の時間しか経過していない状況での大艦隊の襲来。
もしトウカがエルシアの戦後処理に手間取っている事を見越してのものであるならば、マリアベルはこの展開を予想していたことになる。
ミユキは、嫌な予感を覚えて尻尾を揺らした。