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第九九話    忠義の対象

 

 

 




「初めまして、シュタイエルハウゼン提督」

 緩やかな笑みを浮かべて右手を差し出してくる年若き代将に、シュタイエルハウゼンは戸惑いつつもその手を握り返した。

 猛々しい将校であると予想していたが、皇国人男性の平均的な身長や体格からは少し小柄な若者にしか見えない。しかしながら、その視線は鋭く、体躯には無駄がない。それでいて不思議と警戒感を抱けない緩やかさを身に纏う姿は、まさに意表を突くものであった。

 行動と佇まいに統一感を感じられない少年。

 それがシュタイエルハウゼンの、トウカに対する初見の印象であった。

「中将閣下の艦隊は真の勇戦を戦海に示されました。貴艦隊の将兵は皆、武勇に優れる戦人として愧ずべきことなく遇することを宣言いたします」

「サクラギ代将……心よりの感謝を。しかし、叶うならば小官共々、条約に沿う形で対処していただきたい」

 勇戦を認められて特別扱いを受ける事は名誉なことであるものの、皇国軍人は常に公明正大にして明朗闊達であらねばならない。

 トウカは思案の表情を見せる。

 感動することも嘲笑することもなく、興味深そうにシュタイエルハウゼンを見つめるだけである。

 陸戦から航空作戦全般の指揮に加え、海戦の指揮まで隙なく辣腕を振るうトウカに対する興味は尽きないが、マリアベルという女性が優秀な若者を孤児院で文字通り“量産”しているという噂は予てよりあった。

郷土愛に溢れ、高度な勉学を施した若者達は、次々と領邦軍や行政府の要職に就いており、ヴェルテンベルク領が如何に優れた教育制度を執っているかが分か る。皇国は高い教育水準を維持しているが、基本的に教育は各貴族領に一任されており、その教育格差は皇国の社会問題にもなっていた。資金に余裕のある高位 貴族は領民に高度な教育を施せるが、低位の貴族ではそうもいかず、良い教育を受ける為に他貴族領に流出する若者も少なくない。

 しかし、ヴェルテンベルク伯は伯爵位にありながら、潤沢な資金を背景に高位貴族領を上回る教育制度を整えていた。しかも、科学者と軍人、官僚を志す者に とっては各種助成金制度の整備によって極めて入学し易い形態となっている。結果、資金難に喘ぐ北部中の若者の多くがヴェルテンベルク領で教育を受けること となり、ヴェルテンベルク領に対して好感を持つ北部領民は数多い。

「しかし、一領邦軍とは思えぬ練度。最早、大公国と称して差し支えないでしょうな」

 潤沢な人材こそがヴェルテンベルク領の統治機構と軍需企業、そして何よりも機械化著しい領邦軍を支える要素の一つなのだ。

「ヴェルテンベルク伯は、一つの国家を作ろうとしていたということですかな?」

 〈剣聖ヴァルトハイム〉の長官公室の艦外投影を通して見える駆逐隊の姿に、シュタイエルハウゼンは小さく唸る。地方の領邦軍とは思えない規模と練度を備 えているという点だけでなく、それらを全て整備しているという点は、保有する全ての戦力を自領内で自己完結させているということでもある。

 それは本来、国家規模で行われる大事業であるはずである。

「孤立したが故に全てを自らが行わねばならなかっただけです。皇国の所領の一つでありながらも一国家のように自己完結した体制が必要となった。この艦隊はそのなれの果てに過ぎません」トウカが執務椅子に座ったままに呟く。

 興味なさげな様子であり、それはトウカにとって既定事実なのであろう。

「〈第八艦隊〉所属、(シュタイエルハウゼン分艦隊)司令官、ツェーザル・ルサ・フォン・シュタイエルハウゼン中将。忌憚なき意見を言わせていただくならば、小官は貴官の戦闘指揮を称賛はしません。率直に言わせて貰えば、余りにも稚拙であったと言わざるを得ませんので」

「……はっきりと言ってくれる。水雷戦を軽視していたことを言うなればまさにその通りだ。しかし、貴官の艦隊運用は装備した命中精度の高い魚雷がなければ叶わなかった戦術であろう」

 水雷戦というのはシュタイエルハウゼンだけでなく、皇国海軍内にあっては成功確率の低い戦法として定着していた。それは皇国海軍艦艇が総じて砲戦主体の装備を装備していることからも分かる。見張り員に視覚に優れた耳長(エルフ)族を配置していることから迫り来る魚雷の早期発見率の高いことに加え、魚雷という兵器の命中率の低さにあった。

「あの魚雷……誘導型であろう?」

 魚雷攻撃を受けて八割に及ぶ撃沈艦艇を出したシュタイエルハウゼンは、魚雷が嘗て開発を中止された誘導魚雷ではないかと睨んでいた。

砲戦中で見張り員の注意力が散漫になっていたことと、極めて命中率の高い魚雷という要素が噛み合ったからこそ起きた悲劇。戦艦による砲戦を緒戦で演じたのは、水雷戦隊から注意を逸らし、戦艦の進路を固定する為だったのだと後になれば納得できる。

 魔導機関から漏れる魔力波形を探知する術式と追尾する為に必要な方向舵。それらを効率的に繋ぎ得る機構は当然のことながら頓挫した。本来、魔力を伝達し 難い水面下であるということに加え、自律的な機構を装備させることによる射程と雷速、威力の低下が致命的な規模に達したからであった。

「誘導魚雷? それが陽の目を見るのはまだ先の話です。そもそも魚雷の誘導化以前に開発せねばならない兵器は山積しています」

 凄まじいまでの書類を運んできたリシアを一瞥したトウカが肩を竦める。恐らくトウカはヴェルテンベルク領にあって兵器開発までにも関わっているのだろう。

「誘導型ではないのか? ならば一体……」

「射線上に並んだ貴官の艦隊に、三五〇本近い数の魚雷をほぼ同時に投雷しただけです」

 呆れたように肩を竦めたトウカだが、呆れたいのはシュタイエルハウゼンこそであった。

 三五〇本近い魚雷というのは、海洋国家として強大な海軍を保有する神州国であっても莫大なものがある。戦時下の一年で運用した魚雷の本数はそれの数分の 一程度に過ぎない。〈ヴェルテンベルク領邦軍艦隊〉が、このエルシア沖海戦で使用した魚雷は非常識と言って差し支えない本数と言えた。

「莫迦な……数で命中率を補ったというのかッ」

 強引にして愚直なまでの手段にシュタイエルハウゼンは愕然とする。

 質を用意できないならば数を揃えるという帝国軍に通ずる考え方だが、確かにそれだけの数の魚雷を用意し得る工業力と資金力を有しているならば決して無謀な考え方ではない。投網の様に広範囲を収める様に投雷すれば命中率は飛躍的に向上する。

「し、しかし、それだけの数の艦艇はいなかったはず……だ」

「そう言えば重雷装艦の存在は非公式でしたか」

 トウカは執務机上の艦外投影を調整する結晶端末に手をやり、〈剣聖ヴァルトハイム〉の右舷前方を航行する軽巡洋艦へと移動させた。無機質な戦闘艦の艦内であっても側壁に艦外の様子を投影できる為、決して殺風景ではない。

「あれは……魚雷発射管か……なんという数だ」

 海面下を魚雷で面制圧するという発想を体現したかのように、無数の魚雷発射管を装備した軽巡洋艦……重雷装艦を見て、シュタイエルハウゼンは気が触れた発想だと息を呑む。

 ――爆発物である魚雷を大量に抱えて海戦に臨む……私は部下にその様なことを命じられるか? 

 シュタイエルハウゼンは自問する。

 時として高い命中率を期して砲煙弾雨の中を突き進み雷撃せねばならない水雷部隊であるが、重雷装艦での雷撃は爆発物を抱えて機関銃陣地に銃剣突撃を敢行 せよと言うに等しい。それを部下に強制できる精神と服従させるだけの権威を持つマリアベルという女性に、シュタイエルハウゼンは恐怖を覚えた。

「小型艦艇の集中整備によるシュットガルト湖の制海権の保持は、ヴェルテンベルク伯が考えた手段です。シュットガルト湖という限定的な戦闘海域で魚雷とい う兵器が有効であると考えるのは順当……まぁ、どの様に運用するかという具体案はなかったようなので此方で考えさせていただきましたが」

 次々とリシアから渡される書類を決裁しながら、トウカは苦笑する。

 トウカにとって、この海戦は本意ではなかったのかも知れないとシュタイエルハウゼンは考える。

クラナッハ戦線やベルゲンを巡る一連の攻防は、トウカが指揮する部隊が常に主導権を握り続けて敵の機動力を制限し拘束していた。対するエルシア沖海戦では、互いに互角の状態で会敵した。

 もし、〈シュタイエルハウゼン分艦隊〉の出現を予期していたならば、水雷戦だけではなく、クラナッハ戦線で猛威を振るったという爆撃騎や、陸上部隊からの支援が行われても不思議ではなく、何かしらの手段で先手を打っていた事は想像に容易い。

「まさか、この戦闘はサキラギ代将にとってもーー」


「あねぇねぇうぇぇええぇぇぇっ~~!」


 シュタイエルハウゼンの言葉を間延びした泣き声が遮る。

 開け放たれた扉の先から、渋い顔のベルセリカがのしのしと入室してくるが、その腰回りには涙と鼻水で形容し難い表情になったアンゼリカがえぐえぐとしがみ付いていた。そんなアンゼリカを引き摺ったままベルセリカは執務机越しに、トウカの前に立つ。

「御屋形様、某はこのままフェルゼンに帰って良いので御座ろうか?」

「……構わない。占領した各貴族領の維持は、イシュトヴァーン領邦軍司令官の任務であって我々の任務の範疇を逸脱する。元より、あれだけの戦力を投ずるのであれば貴女の権威も必要とはしなはずだ」

 古の剣聖の登場に呆気に取られていたシュタイエルハウゼンだが、続けて北部でも著名な軍狼兵指揮官であるアンゼリカの泣き顔に顔を引き攣らせる。それを無視するトウカも大概であるが、関わると面倒が増えそうであった為に視線をそっと逸らす。

「……将兵からは絶大な人気があるようですな、サクラギ代将」

「その人気、今なら鼻垂れ狼共々、分けて差し上げますが?」

 互いに苦笑しながら、互いの立場に対して同情する。

 然して尊敬される風でもない戦勝の提督と、皇国海軍にとって久方ぶりの敗戦の責を負う提督。勝利にしても敗北にしても指揮官とは苦労する立場であり、ト ウカの場合は特にイシュタルの軍事的介入や、セルアノの政治的介入によって戦後の占領地の処遇に対して全くと言っていいほど口を挟めず、マリアベルの隙の な行動に引き下がるしかなかった。

 マリアベルに対し、トウカは今一歩優位に立てない。

 無論、そこはヴェルテンベルク領に於ける上位存在であるマリアベルの指揮下にあるトウカが情報面で劣勢に立っているという部分に負うところが大きい。マリアベルの協力が前提で成り立つ計画も多く、その苦悩は深いものがあった。

 対するシュタイエルハウゼンも分艦隊を任されているとはいえ、建造数では皇国海軍の最大の戦艦を二隻与えられ、後続には新型巡洋戦艦も含まれていた艦隊を八割近く喪失し、皇国海軍にとって久方ぶりの敗残の将となった。

「共に境遇の思いやられる身という事かね? しかし――」

 トウカの不安定な立場など、シュタイエルハウゼンは知らない。

 傍から見れば戦勝を重ねる最大の理由たるトウカの立場は輝かしいものであり、この内戦の勝敗に関わらず、勝利陣営からは厚遇を持って迎えられる可能性は高い。

「貴官の隷下にある部下は全て解放します。無料(ただ)飯を食わせる余裕はありませんので。だが、貴官は別です」

 シュタイエルハウゼンの都合など知らないと言わんばかりに言葉を遮るトウカだが、部下の処遇こそが自身が最も気にしていた事柄であり、それが知れた以上、既に用はないと感謝の言葉と共に立ち上がる。

 しかし、そこでトウカも立ち上がる。

 確固たる意志を宿した瞳と、楽しげに歪められた口元が何処か禍々しさを感じさせ、ベルセリカとアンゼリカが身を引き、リシアはトウカの背後で背筋を伸ばして待機する。

「貴官の未来は暗い。国威の象徴のである戦艦を三隻も喪い、練達の水兵を多く死なせた」

トウカが嗤う。貴様の無能で死んだのだ、と。

 シュタイエルハウゼンは帝国海軍や神州国海軍を相手に行われた幾度もの海戦に参加していた。士官学校を出て以降、幾度もの戦果を潜り続けた自負はシュタイエルハウゼンに威を纏わせるが、同時に年を経る度、部下の戦死に対してまで何処か慣れ始めてしまっていた。

 人は良くも悪くも馴れる生物であるが、今回の海戦は余りにも多くの部下が戦死した。

 特に魚雷という兵器により喫水線下を抉られて急速に浸水が拡大し、艦内や退艦後に溺死した者がかなりの数に上った。転覆した大型艦艇や断裂した小型艦艇 の場合は、乗員が退艦する時間がないに等しく、海に逃れる事に成功したとしても沈没時に生じる巨大な渦に飲み込まれてしまえば助かることは難しい。

 彼らにも愛する者が居て、護りたいモノがあったはず。決して内戦の為に失われるべき生命ではなかった。

「貴官は今、岐路に立っている」

 トウカが鷹揚に選択を迫る。

 シュタイエルハウゼンの悔恨など気にも留めない姿勢だが、未だその瞳は凛冽なる戦意を湛えていた。既に次の戦野を見据えているのか、或いは更なる未来を推し量らんとしているのかは、シュタイエルハウゼンにも分からない。

 だが、未だ流血を求めている事だけは理解できた。

 それは一体、何の為か。
 それは一体、誰の為か。

 大いに興味を引く内容であったが、郷土を護らんとする意志から生じた内戦である事に変わりはなく、トウカをこの場で説得しても止まるものではない。

「一つは、このまま内戦終結まで拘禁され、査問会を受けた後の予備役編入」

 左手で一つの未来が指示される。

 あり得る未来である。戦闘詳報による経験の蓄積が行われることは疑いないが、戦艦とその乗員の多くを喪った者を不問とするほど《ヴァリスヘイム皇国》海 軍は寛容ではない。予備役編入という結末は妥当であり、退職金の返上も有り得た。無論、それをシュタイエルハウゼンは甘んじて受け入れる心算であり、敗戦 の将が負うべき責務である。

 しかし、トウカは冷笑を以て、右手で斬り捨てるかの様に新たな道を指し示す。

「一つは、ヴェルテンベルク領邦軍艦隊司令官となり、新しくもより悲惨な戦海に身を投じること」

 シュタイエルハウゼンは、トウカを呆気に取られたままに見つめる。

 ヴェルテンベルク領邦軍艦隊司令官とは現在のトウカの役職であり、ヴェルテンベルク領が保有する艦艇全てを指揮下に収める事実上の水上戦力の最高指揮官 であった。無論、そこに〈剣聖ヴァルトハイム〉型戦艦二隻も含まれることを踏まえれば、海軍主力艦隊の艦隊司令官に匹敵する要職と言える。

 正規の国軍ではないとはいえ、その規模は間違いなく国内最大規模の領邦軍艦隊である。それを敗戦の将に与えるというのは剛毅の一言に尽きる。外見とは裏腹にサクラギ・トウカという若き将校は底の知れない一面を窺わせ、シュタイエルハウゼンを戸惑わせる。

 領邦軍艦隊司令官として取り立てる権限を一艦隊司令官が持っているとは思えないという点もあるが、稚拙だと評価された自身を取り立てる理由が見当たらない、とシュタイエルハウゼンは眉を顰めた。

「私からすれば、どの将校も艦隊司令官としては不十分。ですが貴官は可能性を見せた」

 トウカがシュタイエルハウゼンの胸中を察して、小さく笑声を零す。

 正面切った艦隊戦を演じたシュタイエルハウゼンだが、思い出せば一つだけ奇策を弄していた。

「艦上航空歩兵による奇襲、ですかな?」

 それは本来、兵を無為に喪うはずの愚策であった。

 しかし、シュタイエルハウゼンはそれを承知で艦上航空歩兵という札を切った。

 正確な情報の得られなかった新鋭戦艦二隻との衝突という懸念によって立案され、実際の砲戦の最中に見せた強靭な防禦能力に対して危機感を抱いた事により 下令された作戦でもあった。〈剣聖ヴァルトハイム〉型戦艦二隻の艦内での混乱を生じさせることによって砲戦能力を削ぎ、肉薄しての近接砲戦によって撃破す るというもので、シュタイエルハウゼンとしては、ある程度の指揮系統の混乱さえ生じさせれば十分と考えていたが、運が良ければ機関部の損傷や主砲塔への魔 導回路切断も叶うかも知れないという淡い期待がなかった訳ではない。

 だが、トウカはそれを副砲による砲撃で容易くも打ち破った。

 正面切っての砲戦。横陣で航行していた〈剣聖ヴァルトハイム〉型戦艦二隻は、互いの甲板に降り立った艦上航空歩兵を僚艦の副砲による砲撃で薙ぎ払った。

 僚艦を攻撃するという手段に驚いたシュタイエルハウゼンだが、最も驚いたのはそれが実行されるまでの時間があまりにも短時間であったことであり、最初は予期されていたのかとすら考えた。

「あの攻撃は見事でした。遣り様によっては剣聖の名を冠した戦船(いくさぶね)は撃沈していたかも知れません」

「それにしては対応が早かったようだが?」

 察していたのか、と視線で尋ねるシュタイエルハウゼンに、トウカは肩を竦める。

「知っていたならば元よりそ手段すら封殺していました。ああ、そう言えば艦上航空歩兵が搭乗していた後続の輸送艦は拿捕したので、軽傷の生存者はそれを利用して帰還させる準備が進められています」

 トウカの言葉に、その後ろで直立不動のリシアが軽く首肯する。

 何事もなかったかのような言葉だが、即座に対策を導き出して下令するという行為を、トウカは然して特筆に値することではなかったと考えているのだろうとシュタイエルハウゼンは嘆息する。

 傲慢にして無礼千万な若者であるが、面白い。

その行動と瞳は先の見えない不鮮明な可能性を感じさせる上に、古の剣聖がそれに付き従うという奇蹟。

 なるほど、とシュタイエルハウゼンは笑みを深くする。

 正に自分は今、この時、岐路に立っている。

 それは果たして自分か。
 それは果たして国家か。
 それは果たして郷土か。

 分からない。

 だが、久しく萎えていたモノ、胸の奥底から沸々と湧き上がる野心と願望がシュタイエルハウゼンの思考を熱く焦がす。それなりに経験を踏んできたという自負のある自身だが、不鮮明である可能性であるからこそ、限界の知れない可能性であるからこそ賭けてみるに相応しい。

「いいだろう……見せて貰おうか、代将閣下の戦争を」

 野心を剥き出しにした笑みと共に、敬礼するシュタイエルハウゼン。

「存分に御見せしましょう、中将閣下」

 対するトウカも卑しい笑みと共に返礼する。

 そんな二人に、二匹の狼と紫苑色の髪の少女は呆れた視線を送るばかりであった。










「見てください。天使の羽で作った羽根筆(ペン)ですよ。町興しに使えそうですよっ!」

 ミユキは純白の羽根を使った(ペン)を手に、嬉しそうに大きな胸を張る。

 天使の羽根は魔術の触媒としての価値もあり、最近では代替となる触媒も工業的に生産されるようになったものの、その価値は蔭りを見せていない。幸運を呼 び込む御守りとして女性に大人気である為で、肌に離さず身に着けていると想い人が振り向いてくれるという風説が一般に広く流布している為であった。ミユキ ですら首を傾げる様な魔術的こじ付けでもあるが、少なくとも恋人がいる今は信じても良いと考えていた。恋とは現金なものである。

「それは私の羽根なのだが……」

 背中の純白の羽根を震わせて天使族の女……レーヴェニヒは溜息を吐く。

 また毟られるのではないかという不安から、縮こまった翼を一層小さくさせる。ミユキとしては、数が増えれば価値が下がると思い、これ以上の天使の羽根を望んではいなかったが、大自然の捕食者としての瞳が天使を怯ませた。

「もぅ、大丈夫ですよ。毟ったりしないですから、ね」

「翼を撫でながら言われても説得力に欠けるのですが……」

 身を固くしたレーヴェニヒに、ミユキは尻尾を一振り。

 典型的な貴族令嬢の物腰を持つレーヴェニヒに、ミユキは自身を棚上げにして「箱入り娘なのかなぁ」と胸中で勝手な感想を抱いていた。皇国海軍士官学校で は、戦場では性別の差異に配慮できないと共同育成されるが、貴族令嬢に関しては血統維持の問題から純血である事を重要視されている為、別の士官教育制度が 敷かれているとマリアベルから聞いていたミユキは「御姉様とか呼ばれていたのだろうか」などとも考えた。

 そこで、〈剣聖ヴァルトハイム〉の医務室に、確固たる足取りを思わせる軍靴の音が響く。

「ふむ、無事なようであるな」

 中年と初老の境目にあるかのような佇まいの高級軍人。皇国海軍正式採用の将官用黒長外套に身を包んだ将校の肩章は中将であることを示している。撫で付け た白髪に純白を基調とした軍帽と軍袴、軍装にあしらわれた金の刺繍が上級将校であることを示しているものの、ミユキには軍に於ける階級など然したる意味を 持たない。

 ミユキの隣の椅子に座った初老の海軍中将。

「汗臭いです。海軍さんは紳士的かつ明朗闊達じゃないのかな? 闘いが終わって時間も経ってるのに」

 旧帝国海軍でも海軍軍人は紳士的かつスマートであれという風潮があり、身形(みなり)に気を使う者は多かったが、それは皇国海軍でも同様であった。通信技術が未発達な時代に在っては、国家間の遣り取りは少なく、海洋を航行して他国に寄港する事がある海軍というのは、国家にとって一種の宣伝であり外交手段であった。

 《剣聖ヴァルトハイム》に限らず、皇国製艦艇は魔術による浄水装置を有している為、一様に綺麗な身形(みなり)をしている。その為、紳士的にして明朗闊達な佇まいを海軍士官学校で身に着けており、国内外に限らず異性に好意を抱かれる傾向がある。他国海軍から皇国海軍が敵視される“最大”の理由であった。

「む、それは、すまん」シュタイエルハウゼンは素直に謝罪する。

 狼種は風呂に入るのが嫌いだと一般的に言われるが、大人は勿論分別を弁えている。しかし、シュタイエルハウゼンは軍務優先である、という大義名分のもと 風呂に入らないことが多かった。時折、司令部の女性士官に風呂場に押し遣られるのはその為で、シュタイエルハウゼンが去った後、長官公室をリシアが全力で 脱臭しているのだが当人はそれを知らない。

「いえ、ミユキ殿、シュタイエルハウゼン提督にその様な物言いは……」

 謝罪して距離を取る初老の男性……シュタイエルハウゼンの言葉に、レーヴェニヒが注意を促そうとするが、自身もつい先程、ミユキに身体を拭かれるまでは 戦塵と医療薬品の臭いで決して清潔な状態ではなかった。戦闘終結後の戦闘艦の乗員は身なりなど気にしてはいられない。破損個所の応急処置や戦死者への対 応。多くが失われ、艦の状態が損なわれている以上、それらを放置することはできない。故に汗と塩に塗れるのは戦闘艦の乗員の宿命である。

「提督、最後に身を清められたのは何時でしょうか?」

「ん? おお、三日ほど前であったか。座礁して以降は、陸戦隊の組織の為に艦内を走りまわっておったからな」

 ミユキと、レーヴェニヒが顔を見合わせる。

 女性の前なのだから身なりくらい整えてからにして欲しいとミユキは思ったが、レーヴェニヒは軍人であるとの自負心があるのか眉を顰めるだけであった。勿論、三日もあり、戦後処理が終わっているにも関わらず、風呂に入らないのは明らかに個人の失態である。

「臭いです。主様みたいに気を使ってくださいよぅ」自身の鼻を摘まんでミユキは不満を零す。

 トウカは娼婦の香水の一件でミユキの大顰蹙を買って以降、臭いには最大限の注意を払っていた。香水を付ける真似はしないが、長官公室で定期的に水浴びは 欠かさずしている上、臭いのきついものは食べない様にしているという徹底ぶりである。ついでに海軍軍人の様に紳士的かつ明朗闊達に振る舞っている心算で あったが、それは今のところ成功していない。どの角度から見ても卑怯卑劣の軍神である。

「まぁ、それは我慢していただくとして、だ……被害報告を」

 シュタイエルハウゼンの言葉に、レーヴェニヒが寝台上で姿勢を正す。

 鋭さを増した視線のシュタイエルハウゼンだが、レーヴェニヒは命令系統上ではその指揮下にあり、気にすることは不自然な事ではない。ミユキはレーヴェニ ヒが事実上の捨石として使われたことをトウカから聞き及んでいたが、それでも尚、真摯な態度を向けるレーヴェニヒの挺身に尻尾を揺らす。

 トウカは、その指揮に対して諸手を上げて称賛したが、ミユキは眼前の綺麗な天使が死ぬことを前提に戦争しているトウカやシュタイエルハウゼンの残酷さに 恐怖を覚えた。軍人として両者が優秀なことは確かかも知れないが、優秀な軍人であることと優れた人格者であることは両立し得ない事なのではないかという疑 念をミユキは抱きつつあった。

「残念ながら我が艦上航空歩兵中隊は壊滅状態にあります。人員の損耗は八割を超え、継戦は不可能と指揮官として判断します。作戦を十分に遂行する事は叶い ませんでしたが、兵らは最後まで皇国軍人としての義務を全うしたものと私は確信しています。故に生き延びた兵らには……」

 レーヴェニヒの語る事実は、何処までも残酷であった。

 軍事学上は全滅判定を受けるに十分な被害であり、元より甚大なる被害を蒙ることを前提とした陽動であったとしても、その指揮官が不問と付される訳にはい かない。仮に不問となったとしても、その経歴には部隊を壊滅させたという汚点が残り、昇進では不利となる。恐らくは高級将校への栄達の道は絶たれたはずで あった。

「佳い。これは戦争だ」シュタイエルハウゼンは気難しい顔で頷く。

 戦争では総てが許される。トウカは、そう言った。

 卑怯である事も、卑劣である事も、冷徹である事も、冷酷である事も、戦争という非常にして非情の時代にあっては称賛される要素となり得る。

「そんな一言で終わらせちゃうんですか? 天使達の死を」

 思わず口を突いて出た一言。

 二人は、そんな言葉に苦笑するだけであった。

 自身や供に並び立つ戦友達が、国民や名誉、主義というあやふやで不定形な者の為に命を賭すことを誓約したからこその軍人である、とトウカは嘗てミユキの 疑問に答えた。国家が存在し続けるには、何処かで理不尽を受け止める必要があり、往々にしてそれを求められるのが軍人であるという遣り切れない事実。

「私だって軍人さんは戦うのが仕事だって分かっていますけど、女の子が死んじゃったのに冷静になんてなれないです……」

「ミユキ殿、貴女の気持ちは嬉しい。ですが、皇国軍人は誰かに慈しんで欲しくて戦っているわけではないの。自分の中にあるナニカの為……そしてそれを擁する祖国の為に死に往く」

 国体護持など方便に過ぎず、祖国を護る事が自身の命を賭してでも護りたいモノの権利を保障しているからこそ戦うに値する。それが偽らざる本音なのだ。長 く平和な治政が続き、軍人が顧みられることなき世となり、その死までもが軽視される今この時代。軍人はそう理由付けすることでしか戦意を保てない。

「それが戦争なれば。天狐の姫君よ」シュタイエルハウゼンが重々しく呟く。

 戦争という理不尽な事象に在って、それに携わる軍人達が理不尽を感じないはずがない。

「国家とは我ら軍人の屍の上にこそ成立すべきものなれば。その屍が多いほど国家は盤石となり、長きに渡って繁栄を享受できる。そう信じるからこそこ命を(なげう)つのだ」

 自らの胸を拳でどんと叩いたシュタイエルハウゼンに、レーヴェニヒが頷く。

 二人の顔は誇りに満ちている。

 きっと死の淵にあっても、そのように満ち満ちた表情を浮かべ続けるのだろうと、ミユキは尻尾を揺らす。軍人の死こそが国家繁栄の要素だとするならばそれ は余りにも悲しい事実であり、現在の皇国を吹き荒れる平和主義と無関心の風潮は、軍人達の死を悲しむ事も無ければ嘆く事もない。

 それではあまりにも軍人達が報われないのではないのか。

 それ程までに一方的な忠誠を胸に戦野に赴く価値が、この《ヴァリスヘイム皇国》にあるのか。

 ミユキのそんな思いを察したのか、シュタイエルハウゼンが精悍な顔立ちに不釣り合いな優しげな笑みを浮かべて口を開く。

「だが……貴女の様に我等を慈しんでくれる者が居るのならば、これに勝る喜びはない」

「はい、全くです、提督。私の部下の死も慈しんでくれる国民がいるのならば無駄ではありません。ミユキ殿の御心遣いは散った部下達も嬉しく思うでしょう」

 続くレーヴェニヒの言葉に、ミユキは狐耳を力なく垂らす。

 この一連の戦闘は内戦である。共に国土を護るべき武人達が互いに刃を向けあっている。そして、その一翼を担っているのが間違いなく、愛しい人であることを知るミユキとしては気の重くなる事実である。

 ――主様は、この戦いをどうやって終わらせるんだろう? 

 トウカは報われない軍人の悲哀を理解しているはずである。国民の軍事に対する無理解を何よりも唾棄していることは会話の節々からも滲み出ているのだ。

 そして、ミユキのそんな思いが、内戦の終結と新たなる動乱を同時に招き寄せる結果となることを今この時、知る者はいない。

 

 

 

 

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