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第九二話    バルシュミーデ子爵領攻防戦 中篇







「ええい、何をしている! もっと腰を据えて撃たないか!!」

 リンデマンの怒声に砲術長が謝罪する光景を横目に、リシアはひっそりと嘆息する。

 トウカも苛立っているのかと見てみれば、ミユキの尻尾に櫛を通しながら、戦局を表示する結晶投影画面に視線を向けているだけであった。時折、砲撃によっ て生じる心を鷲掴みにするかのような飛翔音や着弾する敵の巨弾によって形成される水柱に感情を揺らすこともない。戦艦の艦砲に決定打としての働きを期待し ていないのだろう。

 至近弾によって吹き上がった艦橋を越える程に高い水柱が、重力に負けて崩れ落ち、〈剣聖ヴァルトハイム〉の上甲板を濡らす。

 やられてばかりいる心算はないとばかりに〈剣聖ヴァルトハイム〉からも応射が放たれる。

 一二門にも及ぶ五五口径四一㎝砲の斉射。

 崩れ落ちた水柱によって艦全体を覆っていた水化粧が吹き払われ、蒸発すると共に紅蓮の大輪が左舷に咲き誇り、戦艦たるの威厳を運河の水面へと示す。風圧によって大きく運河の水面が歪み、付近に出来ていた水柱が圧し折られる。

「艦隊司令長官、敵の意表を突くのは成功しました! 各個撃ち方に戻して早期命中を期します!」

「良い様に。艦の運用は艦長に全権を任されている」

 艦隊司令長官であるトウカの任務は、あくまでも艦隊の作戦行動や運用に関するものである。各艦の戦闘時の采配に関しては基本的に艦長に優先権があり、もしもの場合は提案という形が当たり障りない。

「砲術長、次射より各個撃ち方に変更だ! 急げ!」

 一斉射撃によって、戦艦と重巡洋艦に注意を引き付けることに成功した〈ヴェルテンベルク領邦軍艦隊〉の戦艦二隻と〈第四巡洋戦隊〉は、敵戦艦二隻と重巡洋艦六隻を相手に砲戦状態に陥っていた。

「〈第四巡洋戦隊〉より報告。我が方の魚雷、命中せず!」

 通信長の報告にリシアは「当然よね」と独語する。

 既に二度目となる〈第四巡洋戦隊〉の雷撃は、運河岸に近づき一度転舵しているので左舷からの雷撃だが、失敗に終わった。

敵艦の位置や速度を予測しての雷撃とは、そう容易く成功するものではない。その上、運河の流速による変化や砲撃戦の最中であるが故の水柱は照準を惑わせて止まない。


 〈第四巡洋戦隊〉の重巡洋艦〈オルテンハウゼン〉と〈クラインシュミット〉は、〈ヴェルテンベルク領邦軍艦隊〉の実質的な中核戦力である〈フロイデン タール〉型重巡洋艦である。両舷に六六㎝四連装魚雷発射管を四基装備し、両舷合わせて一六本もの魚雷を装備した艦であった。皇国海軍は砲戦を重視している 為、爆発物でもある魚雷を重巡洋艦に搭載してないが、水雷戦を重視している〈ヴェルテンベルク領邦軍艦隊〉は重巡洋艦にも魚雷を搭載しており、今回の艦隊 戦では二隻が戦海に馳せ参じていた。本来、皇国の水上部隊の戦闘単位としては、戦隊とは巡洋戦隊であれ駆逐隊であれ、同型艦が四隻配備されているのが通常 であるものの、船渠(ドック)入りしている艦艇や、先に占領したエーゼル子爵領とバイルシュミット伯爵領の治安維持の為、定数を満たしていない戦隊や駆逐隊もあった。

 多種族国家である皇国には領民の中にも高い身体能力と魔導資質を持つ種族が数多く含まれており、それらが武装蜂起した場合、装甲擲弾兵聯隊から分派した 一個中隊では抑え切れない可能性がある。故に重巡洋艦と複数の駆逐艦による艦砲で睨みを利かせる必要があった。広大なシュットガルト湖に分散展開している 艦艇を即座に動員することは、物資輜重や集結の為の時間を割かねばならず、ましてや動員艦艇の増大は指揮統制の低下を招きかねず、トウカの指揮系統の下で 運用されたこともなく連携での不安が残る。

 トウカが、この作戦で動員艦艇を選んだ基準は、一重に艦長の能力と乗員の練度であった。

 無論、新造戦艦で練度も絶望的なまでに低い〈剣聖ヴァルトハイム〉型戦艦二隻の動員は、あくまでも艦砲に於ける陸上支援を考慮してのことであり、艦隊戦での切り札としての役割など元より期待してはいなかった。

 トウカから手渡された作戦計画を見る限り、リシアにはそう思えた。

「艦長、余り砲術長を責めてやるな。就役して一週間程度の訓練で敵艦と撃ち合いを続けられているだけでも勲章ものだ」

 全力公試で高速を出した瞬間、艦内の推進器(プロペラ)軸 に通じる基部が震動し、艦全体が大きく震動する怪現象に見舞われることもなければ、一斉射撃で艦橋の硝子や精密機器が全損することもない。その上、何度も 主砲が原因不明の暴発事故で吹き飛んでいない以上、これは一つの奇蹟と言えなくもなかった。新造した戦艦が謎の不具合で船渠(ドック)に逆戻りすることは良くあることで、ましてや初めて戦艦を就役させたヴェルテンベルク領邦軍が戦艦を致命的な欠陥を露呈させることもなく運用していることに、リシアは驚いていた。

 ――運のいい男ね、トウカは……いえ、所詮は敵を誘引する為だけに戦艦を動員したのね、きっと。

 実際、トウカは戦艦二隻を運用できると踏んでいたのには訳がある。

 主砲の使用が可能であれば陸上支援は可能であるが、その主砲自体は機動列車砲に転用されて確かな実績を持っている。光学装置なども同様であり、機関なども新機軸を使用している訳ではない。

 トウカは運用方針を、当初より割り切っていたのだ。

 戦艦の艦砲による陸上支援が必須という理由もあるが、元より艦隊戦も考慮していたのか、海軍艦隊との交戦が決定した時点で、トウカはそれに対する処置を各艦に伝えていた。

 一斉射撃によって〈剣聖ヴァルトハイム〉型戦艦二隻に対して脅威を感じた敵艦隊は、戦艦と重巡洋艦を二隻ずつ振り向けてきた。第四巡洋戦隊には倍する戦力である重巡洋艦四隻を当てていることからも妥当に見える布陣であった。

「砲戦を重視し過ぎだ、莫迦者め」

「大砲の撃ち合いって重要じゃないんですか?」

 トウカとミユキの会話に、リシアは呆れ返っていた。双方共に然して緊張している様子もなく、確かに緊張や恐怖が部下に伝染する事もない様に振る舞っているのは悪い事ではないが、戦海の只中にあっても恋人の様に身を寄せ合う二人に舌打ちを一つ。

「ミユキ殿、我らの本命はもうそろそろ活躍してくれることかと……それと揺れて危険で御座いますので、他に席を御用意いたしますのでそちらに――」

「――えへへ、大丈夫です。紫のヒトのほうが気を付けた方がいいですよ? 私は天狐だから、簡単に傷付いたりしないもん」

 逆に心配の言葉を投げ掛けられたリシアは歯噛みする。

 多種族国家の皇国だが、中位種や低位種の間では異種族間の恋愛も少なくない。そして、それが三角関係や愛人関係というものに発展する事とて、人間同士と 同じように十分に有り得るのだ。特に複数の種族の者が一人の異性を奪い合った時、それに勝利するのは大抵、種族として強大な者である。

 力ずくで異性を手に入れるという訳ではなく、容姿に優れた者が多く、長命であることが異性には大きな魅力となるのだ。前者は言うに及ばずだが、後者に関 しては、自らが衰えても隣で美しい容姿のまま自らを支えてくれる異性に魅力を感じる者は多い。そして、種族によっては一生に幾人もの異性を愛するというこ とをしない傾向にあるという事も大きかった。

 リシアは、ミユキに対して不利な立場に立っているのだ。

 紫苑色の髪を持つ女性士官と天の仔狐の視線が交差する。


 その時、突然の衝撃が襲う。


 思わずよろめくリシア。

 直撃したのだろうと感じつつも、傾いでいく自らの視界を止める事が出来なかった。揺れる艦橋に耐えられず、その冷たい床に叩き付けられると、頭の中で何処か他人事のように考えていたリシアだが、そうはならなかった。

 金色がリシアの腕を力強く掴み、リシアを引っ張り上げた。

「た、助かりました、ミユキ殿……」

 自らの腕に巻き付いた毛並みの良い尻尾を見て、リシアは感謝の言を述べるが、その胸中が恥辱と不快感が荒れ狂っていた。好いている男に擦り寄る女狐に助けられたという事実に、リシアの自尊心は酷く傷付けられる。無論、それを表情に出すほどリシアは単純ではないが。

「偶然か……挟叉もなしで当ててくるとは。次、斉射が来るぞ!! 障壁を左舷に最大出力で展開!」

 リンデマンの声にリシアは気を取り戻すが、その間にも立ち上がり、リシアの身体に異常がないか触ってくるミユキの心配している表情を見ると自身が酷く汚い人間だと思えてしまう。

 リシアは立ち上がるとミユキを艦隊参謀席へと座らせる。トウカはそれを横目で見るだけであり然して口を挟むこともなかった。

「敵一番艦発砲! 一斉射撃!」

 一斉射撃の為、一時的に沈黙していた敵〈デアフリンゲル〉型戦艦一番艦が一斉射撃を放つ。

 そして、再び鉄を引き裂くかのような飛翔音が響く。

「総員、衝撃に備えろ!!」 

 リンデマンの言葉に、リシアはミユキを艦隊参謀席に押さえ付けて覆い被さる。領民を護るのは領邦軍軍人の本分であり、そこに恋愛感情など介在させてはならない。何よりも姑息な遣り様でトウカを手に入れても意味はないのだ。

 ――正面から貴方を打ち破って見せるわ!

 再び、紫苑色の髪を持つ女性士官と天狐族の仔狐の視線が交差する。


 そして、大角度から落下する敵主砲弾。


 激しく艦を、金槌で横殴りにされたかのような揺れにリシアは耐える。陸戦指揮官としての道を歩んでいたリシアにとって、戦艦程の巨砲に晒される体験は初 めてであったが、心胆寒からしめるにこれほどのものはないと納得できるだけの圧倒的な威圧感を存分に振るっていた。ヴェルテンベルク領邦軍は大口径列車砲 を運用しているものの、その威力をその身を持って知る機会はなく、これを体験した征伐軍将兵に改めて同情する程のものがある。

「被害知らせ! 砲術長! 時間がない。次で当てるんだ!」

 リンデマンの叫びに、砲術長が大きく頷く。

 吹き上がった水柱を艦首が付き崩しながら進む光景に、リシアは致命傷は受けていないと安心するが、その時、沈黙を護っていたトウカが艦隊司令官席立ち上がる。

「全艦に命令! サクラギ代将は健在、剣聖は不沈なり!! 怯むな、反撃せよ! 我々の義挙が正当な行いである事、砲火を以てこの戦海に示すのだ!!」

 トウカの大音声に艦橋に居た全ての者が心を鷲掴みにされる。

 戦意高揚を誘う為の鼓舞にその場にいた多くの者が、その表情を凛冽なものへと変化させる中、リシアはトウカの意図に気付いて小さく笑う。

 ――他の艦艇の動揺を抑える為ね……でも義挙なんて、トウカにとってはこの蹶起、紛れもなく正当なものってわけ……いえ、正当でなくとも正当にしてしまう心算?

 旗艦が損傷すれば隷下の艦艇が動揺する。それを抑える為にも通信は必要である。敢えて非暗号通信……平文での大出力発信とすることで、敵に心理戦に持ち込まれる可能性を打ち消すのだ。状況は明確にしておかねばならない。

 力強い言葉に多くの者は乗せられるだろう。多くの者は蹶起が必要だと理解しつつも、天帝陛下が率いるべき国家に対して銃口を向けることに何処か躊躇いや疑念があった。

 しかし、トウカは蹶起を義挙だと大音声で肯定した。

 奮い立たないはずがなかった。例え、それに理由が伴わなくとも確固たる意志は人に影響を与えるのだ。

 きっとそれは偽りの姿だが、リシアの胸にも熱い想いが込み上げる。

「私も単純になったものね……水雷戦隊の様子を報告しなさい!」

 海戦は未だ続いていた。










「やってくれるな、艦隊司令は!」

 その男は、艦隊旗艦より放たれた通信を耳にして血気に逸っていた。

 〈剣聖ヴァルトハイム〉に比べるとかなり小さな艦橋の中央に仁王立ちし、領邦軍中佐の階級章を付けた男は小さな身長に似合わず、それを感じさせない動作で周囲を睥睨していた。

 彼は身長不足で一度、領邦軍士官学校試験に落ち、海戦の際は特注の踏み台の上に立って指揮を執り、また部下を殴る際は飛び上がるようにして行う事から有名であった。

 しかし部下に対する思い遣りの深さがあり、部下の多くは彼を慕い、この艦長の為ならば、という気風が艦内には満ちていた。平時では綺羅星の如き輝きを放つことはなかったが、戦野に在っては卓越した指揮能力を発揮できる稀有な指揮官としても周囲からは認識されていた。


 オイゲン・ヨシカワ。


 神州国系の顔立ちに黒い髪は、一見するとトウカと似たものであるが、その瞳は碧眼であった。

「副長、本艦も往くぞ。第一戦速で海域中央を突っ切る! 根性見せろ!」

 生粋の駆逐艦乗りであったヨシカワだが、現在艦長を務めている艦は駆逐艦ではなかった。だが、駆逐艦と同等の加速力を得る為に出力の高い魔導機関を搭載し、ヨシカワの望む戦闘ができるだけの速力を有していた。


 重雷装艦〈ロスヴァイゼ〉。


 軽巡洋艦の艦体を利用して作られた重雷装艦がヴェルテンベルク領邦軍には四隻存在し、この場にはその全てが舳先を並べていた。ヴェルテンベルク領邦軍 は、決戦兵器と呼ばれる戦局の回天を意図した兵器が幾つか存在するが、重雷装艦は艦隊決戦時に圧倒的な数の魚雷を投射して敵艦隊を撃破することを目的とし た兵器であった。

「無茶を言われる……」

「無茶してこその水雷屋だろう! 作戦通り我が第一特装戦隊が二手に分かれて敵主力に当たるぞ!!」

 増速を始めた〈ロスヴァイゼ〉の艦橋でヨシカワが咆える。

 〈ロスヴァイゼ〉艦長と〈第一特装戦隊〉司令を兼務するヨシカワが指揮下に収める戦力は、〈ロスヴァイゼ〉型重雷装艦四隻であり、一隻当たりの六〇本もの魚雷を一斉投雷できる事を踏まえると二四〇発という規格外の投射能力を備えた戦隊と言うことになる。

「艦長、我が方の水雷戦隊は敵の護衛戦力を排除しつつあります。今が好機ですな」

 副長の言葉にヨシカワは鷹揚に頷く。

 敵艦隊は重巡洋艦が多い代償に、軽巡洋艦や駆逐艦が〈ヴェルテンベルク領邦軍艦隊〉と比して少ない。対するヨシカワは、元より島嶼の多いシュットガルト 湖で活動し、小型艦艇の運用に関して造詣が深い。海軍の小型艦艇を質と量と共に上回っている以上、優勢となるのは自然な流れであった。

「敵艦隊主力、右三〇度、一三〇、大型艦二、中型艦六!」

「かなり近づいたな……」

 艦橋見張員の報告を聞いて、ヨシカワはにやりと笑う。〈第一特装戦隊〉は友軍たる〈第二水雷戦隊〉の後方にあって、敵駆逐艦や軽巡洋艦を牽制する役に徹していた。その水雷戦隊も敵水雷戦隊と渡り合っていたが、ここに至って圧倒し始めたのだ。

 結果として〈第二水雷戦隊〉は駆逐艦三隻が撃沈、二隻が大破、四隻が中破するという被害を蒙っていたが、対する敵水雷戦隊はほぼ壊乱状態にあった。艦数 と被害で優位に立った第二水雷戦隊の一部は敵艦隊主力に迫らんとしているものの、敵戦艦がそれに気付いて副砲を振り翳して砲撃を繰り返している。重巡洋艦 もそれに気付いて、妨害する進路を取り始めていた。

「敵戦艦の魔導障壁の魔力放射で通信乱れます。これより信号旗と発光信号による戦隊統制を実施します」

 この時、〈ロスヴァイゼ〉の前檣楼には“我に続け”を意味する信号旗が翻り、後続艦の〈エルトヴァイゼ〉がそれに従う。逆に三番艦の〈アウフヴァイゼ〉 と四番艦の〈アルトヴァイゼ〉が取り舵を取り、別行動を始める。予定されていた行動なので、ヨシカワがそれを咎めることはない。

 〈ロスヴァイゼ〉を始めとした〈第一特装戦隊〉の重雷装艦四隻は機銃弾一発すら受けておらず、それは決戦……決定的な場面に投入することを意図し、予備 戦力として扱われていたからこそであった。水雷屋という弾雨の戦海を縦横無尽で快速艦艇で駆け抜ける職業にあるヨシカワにとって、任務とは言え、他の水雷 戦隊の後塵を拝する状況にあることは好ましいものではない。元よりヨシカワ自身が、その旺盛な攻撃精神と、卓抜した艦艇運用を併せ持ち、ヴェルテンベルク 領では水雷戦隊の華と称えられていた人物である。戦機に逸る事は致し方ない事と言えた。

 最大艦速で戦闘海域を進む〈ロスヴァイゼ〉。

 双方の巨弾によって運河底の泥が巻き上げられ、薄汚く染まった水面を鋭い艦首で引き裂いて進む姿は勇壮であるが、巨弾を撃ち合っている戦艦と比べると遙 かに見劣りする。重雷装艦という決戦兵器とされていながらも、その実情は近年量産が開始された〈ベルディア〉型軽巡洋艦の艦体に、強化された魔導機関と艦 の中心線上に六基の六六㎝五連装二段魚雷発射管を搭載した異形の戦船に過ぎない。搭載されている六六㎝一〇連装魚雷発射管も五連装にした魚雷発射管を二段 にするという代物で、〈ロスヴァイゼ〉型重雷装艦の為に特注されたものである。そのことからも分る通り、量産に向かない艦艇であった。安易に喪われること は躊躇われる。

 しかしながら魚雷という爆発物を六〇本も搭載した〈ロスヴァイゼ〉型重雷装艦は、魚雷発射管へ高角砲弾一発の直撃だけで轟沈する兵器である。魔導障壁も 軽巡洋艦の艦体に搭載する魔導機関の炉心ではその能力には限界があり、また軽巡洋艦では装甲など無きに等しく、速力が低下する重装甲化など元より選択肢に はなかった。

「距離一二〇……一一〇……」

「敵主力、進路、速度共に変化なし」

 だからこそトウカは、戦艦と重巡洋艦による敵戦力の誘引を図った。

 それが功を奏して〈第一特装戦隊〉は、然したる攻撃も抵抗も受けることなく、戦場を移動することに成功した。

「〈第二水雷戦隊〉の後方に続く」

 しかし、敵も黙って接近を許すはずもなく、鋼鉄を引き裂く様な金属音と共に、砲弾が飛翔し、前方の水雷戦隊の周囲へと着弾する。

「戦艦の副砲です、艦長」

「応射している駆逐艦が狙われるかッ!」

 既に暗くなり始めた戦海にあって、発砲炎が艦艇の構造体を時折、照らす様は雄々しくもあり何処か儚い。その理由は、人命と浪漫を消費して戦い往くからだ とヨシカワは考えていた。それを象徴するかのように、前方を往く駆逐艦の一隻が戦艦の副砲の砲撃を受けて後部主砲を吹き飛ばされる。高く舞い上がった砲塔 を見た副長が、幾分か焦りを滲ませた表情で問う。

「応射しますか? 被害を分担できますが」

「いや、本艦に対する砲撃が行われた場合のみ応射する。だが、照準はッ!……何処の莫迦だ! 探照灯照射なぞやらかす奴はッ!!」

 眩いばかりの一条の閃光が敵戦艦一番艦へと戦場を駆け抜ける様を見て、ヨシカワは怒声を上げる。

 探照灯とは艦艇に搭載される照明装置の一種で、特定の方向に強力な平行光線を照射する為の反射体を有する装置であり回転式の架台に搭載されている。皇国 では陸軍が使用するものを主に照空灯と呼び、海軍が主に使用するものを探照灯と区別していた。そして夜間戦闘で敵を克明に浮かび上がらせる事ができるとい う長所を持つが、それと引き換えに点灯中は光源が非常に目立つために敵軍から確実に集中攻撃を受けるという短所があった。

 そして、その多くは友軍艦艇の命中率向上を引き換えに戦没する運命にあった。

 確かに〈第二水雷戦隊〉や〈第一特装戦隊〉の雷撃の命中率は探照灯照射によって向上するが、魚雷投射本数が圧倒的である以上、そこまでに完璧を期することまで艦隊司令官も望んではいないはずであった。

「探照灯照射を断行しているのは〈剣聖ヴァルトハイム〉!!」

「莫迦なッ!! 艦隊司令官自ら……いや、好機だ! 水雷戦隊の様子はッ!?」ヨシカワは艦橋見張り員に問う。

 水雷戦とは一度に投射される魚雷数で命中率を補うことを基本としており、〈ロスヴァイゼ〉型重雷装艦が投射数に優れているとしても、万全を期すためには水雷戦隊と同調した一斉雷撃が望ましい。

 元より水雷戦で圧倒的優位に立てる状況と条件は、戦闘開始以前より揃っていたと言って良い。艦隊司令官であるトウカが、自らが大艦巨砲の極致にある新鋭 戦艦二隻を指揮下に有しながらも、その砲戦能力を過信していなかったことに加え、〈ヴェルテンベルク領邦軍艦隊〉が水雷戦と通商護衛を主眼に置いた編制を 行っている点を良く理解していた。元よりヴェルテンベルク領邦軍は警備艦隊や哨戒艦隊、水雷戦隊、巡洋戦隊を複数揃える事で、シュットガルト湖や運河を防 衛していた。しかし、それらを統率すべき司令部はなく、指揮系統は近海警備の小規模艦隊運用の延長線上でしかなかった。シュットガルト湖という限定的な地 域で運用している水上戦力は一元化して運用する必要性に迫られなかったこともあるが、将来的には一つの艦隊司令部の下で運用する為の準備が進められてはい た。

 トウカが就任するまでは〈ヴェルテンベルク領邦軍艦隊〉は、一つの艦隊司令部の下で運用されることはなかったのだ。

 イシュタルが総司令官を務める領邦軍総司令部から、警備区画の割り当て程度の指示しか受けていなかった各水雷戦隊や警備艦隊、哨戒艦隊が、突然、艦隊司令官として任命されたトウカの下で運用される。

 実際のところ、艦隊運用などできるはずもなかった。現在行われている艦隊戦も、運河幅から艦隊戦力が制限されるという以上に、その規模を大きくしてしま えば艦隊運動や連携に難が出るという思惑をトウカが持っている事は、水雷戦隊や特装戦隊に与えられた独自裁量や〈剣聖ヴァルトハイム〉からの探照灯照射を 見れば嫌でも理解できる。

 混迷を深める戦海でトウカが指揮統制を維持できる程、各艦はトウカの指揮に慣れてはいない上に戦隊間の連携にも不安があった。故に大方の作戦計画を提示しつつも、その場での個々の判断を認め、流動的な海戦という戦場で慣れない指揮で生じる時間差(タイムラグ)を減らそうとの判断であることは間違いない。

 そして、探照灯照射は水雷戦隊や特装戦隊の水雷戦の成功率を上げようという配慮に他ならない。だが、魚雷の命中率向上を意図しているだけでなく、水雷戦 隊や特装戦隊に注目が行かない様にとの配慮であろうことも明白で、それは裏を返せば各小型艦の艦長達の技量を不安視しているとも取れる。

 故に――

「期待に応えねばならんッ!!」

「ええ、旗艦の挺身に応えねばなりますまい!」

 幾分かの勘違いの混じった返答に、ヨシカワは「上等だ」と嗤う。

 野性的な野獣の如き笑みは、遠く砲声と砲火を撒き散らす黒鉄の城を見据える。

 だが、周辺諸国からも一目置かれる皇国海軍の艦隊が容易く打ち破られるはずもない。慎重にして大胆を旨とし、重厚な戦術と驕ることなき戦略を大星洋で示し続ける皇国海軍は、その成立以来内地に敵方の戦船の侵入を許したことはなかった。

「敵艦隊後方に艦影多数!!」

 見張り員からの報告に、ヨシカワは鼻を鳴らす。

 臆することはない。寧ろ、射線軸を合わせて諸共に撃沈してくれると意気込んですらいた。皇国海軍のみならず世界中の海軍で軽視される傾向にある水雷戦だが、この場で戦艦を含む艦隊を撃滅せしめれば海戦史の潮流が変わるかも知れない。

「数及び艦種知らせよ!」

「〈フライジング〉型巡戦一、〈アルペンブルグ〉型重巡六、駆逐艦七……いえ、九!」

 双眼鏡を手にした副長の言葉に、見張り員が即座に応ずる。日々、見張り員の育成に余念がない水雷戦隊や特装戦隊では、見張り員の多くを耳長族(エルフ)で構成しており、夜目も聞く上に遠見魔術で強化された視覚が遠く海軍艦艇を捉えた。

 ヨシカワは、敵の攻撃が〈剣聖ヴァルトハイム〉に誘引された様に、此方の注目もまた〈デアフリンゲル〉型戦艦二隻に誘引されたことを悟った。

 海戦というものは心理戦という側面を色濃く持っている。瞬間的な決断を迫られる場面が多く、戦闘時間も陸戦と比べて短い。それにも関わらず大規模な海戦 では国家予算の一割にも届く予算を掛けて整備した艦隊が半日足らずで壊滅的な被害を受けることとて海戦史では珍しくない。

 ――戦艦の副砲が沈黙しているのは旗艦の誘いに引っ掛かったと見せかける為か! なかなかどうして敵もやってくれる!!

 既に敵艦隊は合流しつつあり、同航戦を繰り広げる〈デアフリンゲル〉型戦艦二隻の先頭に位置するべく〈フライジング〉型巡洋戦艦は舵を切っている。

 〈フライジング〉型巡洋戦艦は、〈デアフリンゲル〉型戦艦と同じく三八㎝砲八門を搭載しているが、その口径は五〇口径と長砲身であり皇国海軍期待の新造 巡洋戦艦であった。〈デアフリンゲル〉型戦艦は、既に〈剣聖ヴァルトハイム〉と〈猟兵リリエンタール〉との砲戦で少なくない被害を受けており、二番艦に関 しては後甲板から火災が生じている。

 既に互いを決戦距離に捉えて、壮烈な砲戦を繰り広げている。

 一進一退の攻防に見えるが、先に直撃弾を与えたのは〈デアフリンゲル〉型戦艦二隻であり、対する〈剣聖ヴァルトハイム〉型戦艦二隻は練度不足が祟って、ようやく直撃弾を得始めたばかりという有様だった。

 しかしながら、勝負は互角を演じていた。

 戦艦とは決戦距離から自艦と同様のからの砲撃を受けても耐え得る装甲を備えているのが通常だが、〈剣聖ヴァルトハイム〉型戦艦は、更なる重装甲化が成さ れており、その上、指揮能力保全を重視した構造をしている為、戦場に留まり続けるという点に於いては卓越した能力を発揮していた。無論、そこには〈デアフ リンゲル〉型戦艦の主砲が、四五口径三八㎝砲であり、〈剣聖ヴァルトハイム〉型戦艦に劣るという理由もあった。

 既に決戦距離も半ばまで近づき、双方ともに互いの魔導障壁を最大出力で敵艦にぶつける事で、敵艦の魔導障壁を削り取らんとしていた。対魔導徹甲弾による遠距離砲戦から、敵艦の魔導障壁を漸減しての近距離砲撃戦に移行しつつあったのだ。

 重装甲である上に砲門数と口径に勝る〈剣聖ヴァルトハイム〉は、近接砲戦に於いて〈デアフリンゲル〉型戦艦に対して優勢に立ち始めていた。至近距離ならば命中率も向上し、純粋な主砲の威力と装甲の防禦力が大きな意味を持つ。

 ――だが、巡戦一隻と重巡が六隻も加わったことで不利になった。しかし、今更現れるとは……何か理由があるのか?

 ヨシカワは最大戦速で揺れる〈ロスヴァイゼ〉の艦橋から集中砲火を受ける〈剣聖ヴァルトハイム〉を見やる。後方に近い位置に見えるその姿は、探照灯照射 による光芒と甲板中央付近の副砲への直撃弾による火災によって激しく暗闇に姿を浮かび上がらせる。その姿は遠目に見ても痛々しい。

 だが、それでも一二門全ての主砲は健在であり、砲身を上下させて砲撃を繰り返していた。

 既に投射量を最優先しているのか、既に砲毎に個別の判断で砲撃をしている事を示す様にその砲火に統一性はない。しかし、近距離砲戦である以上、投射量を 優先するという選択肢は正しく、〈デアフリンゲル〉型戦艦一番艦は一番主砲塔を押し潰されて、砲身が天を衝き、三番主砲塔は艦上から弾き飛ばされたかの如 く姿を消している。後艦橋は半ばで圧し折られて倒壊し、前甲板には大穴が開いていた。

 なれど、戦海は無慈悲である。

 一際、大きな爆発音が響き渡る。

 〈ロスヴァイゼ〉の艦橋にまで伝わるその爆発音の正体の方角を見据えれば、そこには艦体の一番砲塔と二番砲との間から圧し折られて艦首を水上に持ち上げ る重巡洋艦〈オルテンハウゼン〉の姿があった。既に火災を生じさせ、直撃弾が多数出ていたであろうことを窺わせる傷だらけの上部構造物から対空機銃や高角 砲、対空指揮所、測距儀などの戦船を戦船足らしめる大小様々な部品を脱落させて右に大傾斜しつつある。

 弾火薬庫に引火したのか、急速に沈みつつある折れた艦前部。

 既に総員退艦の命令が下ったのか、乗員達は傾斜している反対の舷側から運河へと飛び込み始める。沈没時には艦内の空気や巨大な艦体が沈み往く為に生じる 巨大な渦に巻き込まれるので、乗員は一刻も早く艦を離れねばならない。水中で渦に巻き込まれてしまえば簡単に意識を失う上に、もし意識があったとしても夜 間では太陽が見えず、海面がどの方角かさえ見失う。

 急速に水面下に引き摺られていく〈オルテンハウゼン〉の姿に、ヨシカワは敬礼を以て応じる。本来ならば小型艦艇で構成される水雷戦隊こそが、乗員救助の 役目を負うべきだが、沈み往く〈オルテンハウゼン〉の付近に駆逐艦の姿は見えない。それも当然であり、水雷戦が可能な駆逐艦や軽巡洋艦は、全てが雷撃位置 に付かんと最大艦速で戦海を駆けているので〈オルテンハウゼン〉の乗員を助ける者はいない。

「……レイヴォネン、死ぬなよ」

 同期でもある〈オルテンハウゼン〉艦長の名を呼び、ヨシカワは視線を再び前へと向ける。挺身を無駄にすることこそが最も恥ずべき行為であるという事を弁えぬものは水雷戦を指揮する者にはいない。

 既に満身創痍の重巡洋艦〈クラインシュミット〉もその砲戦能力の半数を喪失しているが、今だ戦闘行動を取り続けている。

 戦海は未だ血を求めていた。

 

 

 

 

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「ええい、何をしている! もっと腰を据えて撃たないか‼」

                      《大日本帝国》海軍、中瀬泝少将



 全力公試で高速を出した瞬間、艦内のプロペラ軸に通じる基部が震動し、艦全体が大きく震動する怪現象に見舞われることもなければ……これは〈ノースカロライナ〉級戦艦の二番艦〈ワシントン〉のこと。

 一斉射撃で艦橋の硝子や精密機器が全損する事もない……これは〈ネルソン〉級戦艦一番艦〈ネルソン〉のこと。

 何度も主砲が原因不明の暴発事故で吹き飛んでいない……〈伊勢〉型戦艦の二番艦〈日向〉のこと

 トウカ君は戦史に詳しいのです。