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第五二話    戦車対蟹

 






「で、蟹退治と?」

 トウカは、ヴェルテンベルク領邦軍の第二種軍装を身に纏い武装した兵士の姿に、胡散臭げな視線を向ける。

 朝起きて正門前で抜き身の軍刀片手に型の修練をしていると、マリアベルが現れ、後を追う様に一個小隊程の兵士が整列を初め、その上、戦車や装軌式雪上車までが侵入してきて武装の点検を始めていた。トウカが当初、征伐軍の大攻勢が開始されたのかと慌てた程に唐突であった。

 征伐軍による強行偵察や擾乱攻撃への即応かとも疑ったが、マリアベルまでもが姿を現す必要性はない。元より領主であって野戦指揮官ではないのだ。

 マリアベルは煙管片手に満足げに一個小隊を見つめている。

 ヴェルテンベルク伯爵領主の館は武骨な造りであり、正門前の庭園は装飾的設備すらないにも関わらず広大で、敷地内の全てのものが簡素な造りであった。 ヴェルテンベルク領邦軍総司令部としての側面を持っているからである。屋敷も外装は美しく感じられるものの華美とは程遠く、機能性を追求していることが窺 える。

 その巨大な庭園……有事の際は、戦闘車輛の集結地点や航空騎の飛行場としての運用を想定された庭園に戦闘車輛特有の魔導機関の重低音が響き渡る。

 一個小隊の兵士の顔は何処かで見たことのある顔ばかりで、中にはカリスト中尉も含まれており、トウカと共に戦った戦車兵が少なからず混じっていた。ただ、一様に草臥(くたび)れた表情をしている。やっとの帰還の翌日早朝に呼び出されれば、意気消沈も止むを得ない。

 マリアベルの思い付きに度々、振り回される哀れな者達。重用されていると言えば聞こえと俸給はいいが、実質はマリアベルの玩具(おもちゃ)箱の兵隊でしかない。

「ええい、その胡散臭い目を向けるのはやめんか! 民からの苦情の対応も領主の勤めであろうて!」

 肩が大きく開いた遊女の如きなりで言われても説得力に欠ける。これが私服であるとはトウカも理解していたものの、もう少し青少年に気を使った格好をする べきだと言わざるを得ない。時折、気まずげに視線を彷徨わせている若年兵が不憫でならなかった。ちなみにカリスト中尉は堂々とマリアベルの胸を見据えてい た。誤魔化す気すらないらしい。

「で、蟹退治と?」

「そうじゃ。戦車も一輌持ってゆくから遅れは取らぬであろう」

 点検中の指揮官仕様のⅥ号中戦車を見て、満足げに頷くマリアベル。

 帰還後、マリアベル旗下のⅥ号中戦車三輌は、少なくない損傷を負っていることが判明し、整備兵によって直ぐに修理が開始された。幸いにしてヴェルテンベ ルク伯爵領主の館には大規模な整備工場も併設されていたが、夜分に帰還した戦車の修理を整備兵に押し付けることをマリアベルは良しとせず、予備の指揮戦車 を持ち出した。強大な兵器供給に兵力の補填が追い付いていないヴェルテンベルク領邦軍であればこその芸当である。

「蟹対戦車……」トウカは呆然と呟く。

 ――戦車の履帯で蟹を小片(フレーク)にしようという発想か? 長命種の考えていることは分からん。

 軍用の装軌式雪上車……Sd Kfz 325雪上兵員輸送車の開け放たれた背面の扉からは、積み込まれたPzB95対戦車小銃の長大な銃身が覗いていた。過剰以前に蟹相手に銃を持ち出 すこと自体がどうにかしている。無論、長躯浸透突破してくる征伐軍の偵察軍狼兵に対する警戒する為かも知れないが、それにしては一同に緊張感が感じられな い。

「主様、主様っ! 蟹ですよ、蟹! 早く食べに行っちゃいましょう!」

「食べ……退治じゃないのか?」

 トウカの戸惑いを無視して、ミユキは嬉しそうに雪上車へと走り始めていた。普段より二割増しで揺れている尻尾を見てトウカは溜息を吐く。

 ――蟹は肉餅(コロッケ)にするか。

 そうとしか考えられなかった。

 或いは鍋の具材であるが、それは蟹を見て判断するしかない。全ての蟹が鍋に向いている訳ではなく、ましてやこの世界の生物は、トウカの知る生物形態とは大きく離れており、異星起源種と見紛うばかりの生物まで存在する。

 まさかミユキが喜んでいる以上、苦言を呈するわけにもいかず、トウカもその背を追うしかなかった。

「セリカさんは戦斧(ハルバード)ですか……。相手は蟹と聞きますが?」

 長大な得物を肩に横へと並んだベルセリカに、トウカは呆れた視線を向ける。

 誰も彼もが長大な得物を持っている光景はこれから戦野に赴こうかと言わんばかりの有様で、それほどの脅威なのだろうか、とトウカは暗澹たる気分になる。 皇国という国家の領土は、魔導の祝福を受けた大地であるという通説が流布しているが、これは多面的に見れば嫌味も少なからず含んでいた。魔導に祝福された 土地であるが故に魔導資源が尽きることないとされているが、その一方で魔導によって独特の進化を遂げた生物が跳梁跋扈している。皇国陸海軍の治安維持任務 にはこれらの退治も含まれ、その為に年中、死傷者が出ている。皇国軍が常在戦場を旨としているのはこれによるところが大きい。

「御館様は、何を言っておるのか。敵があの蟹であれば、間の短い得物は届かぬで御座ろう」

 何を言っているのか、と言わんばかりの視線を送ってきたベルセリカ。

 刀剣の間合いが通じない蟹とは、どれだけ手足の長い蟹だと呆れ返る。随分と食せる個所が多そうな蟹なのだろうと嘆息するしかない。

「ぬし~さま~。はやく~」

 雪上兵員輸送車後部の荷台から元気一杯ですといった風に手を振るミユキ。その微笑ましい光景に、トウカは顔を綻ばせ歩みを早める。

 一足早く荷台に飛び乗ったベルセリカが差し伸べた手を掴み、トウカが引っ張り上げられると、雪上兵員輸送車の魔導機関が雪の大地に重低音を響かせ、履帯で大地を掴み前進を始める。

 隣を進む指揮型Ⅵ号中戦車も、力強い駆動音を響かせる。

 蟹相手に大げさな……いや、軍を動員する時点で最早、想像の埒外である。一応、大日連に於いても田舎や野山に近い駐屯地などでは、近隣住民の要請を受け て害獣駆除を行うことがあるが、それはフルンツベルク並みの大熊が出没でもしない限り、猟友会の仕事となる。蟹退治は勿論、海女などの仕事であろう。兎に も角にも甲殻類相手に戦車を持ち出すことはない。

「ミユキ……蟹は手強いか?」聞かずとも手強い事は分かる。

 戦車や対戦車小銃、戦斧までもち出す以上、魔獣に準じる戦闘能力を持っている事は容易に想像できた。軍隊蟻のように凶暴でありながら、膨大な数で群れて行動する相手である可能性もある。自然界でも個ではなく全体に奉仕する全体主義的傾向を持つ生物は確かに存在した。

「すっごく強いですよ。でも、美味しいです!」 

 神妙な顔であるが、その言葉は食い意地の張ったものであった。それを聞いたベルセリカに限っては苦笑を浮かべている。

「太って御屋形様に無様を晒しても知らんぞ?」

 楽しそうに笑うベルセリカ。何気にミユキを可愛がっている時が、ベルセリカは一番嬉しそうにしている。出来の悪い弟子が可愛くて堪らないのだろう。

「もぅ、大丈夫ですよ。御屋形様と違って私は若いもん!」

「あッ!?」

「いたいッ! いたたたっ! 耳を抓らないです!! 狐虐待です!!」

 狐耳を引っ張られて涙目のミユキだが、ここは助けるべきではないという己の本能にトウカは従った。一応、貴族に連なることになる以上、口のきき方は学んでおいた方が良いという建前と、涙目の仔狐もまた可愛いという本音に従った結果である。

「平和だな……」「いたたたたっ!」

「平和だな……」「主様ッ! 助けてくださいよぅ!」

「平和だな……」「狐ぎゃくたいですぅぅ!」

 気の利く兵士が差し出してくれた軍用金属碗(マグカップ)を 受け取り、周囲の兵士達と他愛のない会話を楽しむ。歳が近いこともあって、話を聞いているだけでも中々に為になるとトウカは考えており、軍人というある 種、生命を刹那的に扱う職業に就く為、ミユキとの関係や出自などの答え難いと思った話題を察して避けてくれることも有り難くあった。

 こうして、トウカ達一向は仔狐の悲鳴を耳に蟹との戦いへと続く道を進んでいった。








「撃ち方始めぃッ!」

 マリアベルの命令が響く。

 戦車砲が火を噴き、機関銃が断続的な重低音を響かせる。ミユキに限っては狐耳をぱたりと倒して音を遮断しており、ベルセリカはトウカの横で戦斧を磨いていた。

 放たれた戦車砲弾と機関銃弾は、無作為に湖の水面へとばら撒かれている。税金と資源の浪費に思えるが、この攻撃が蟹を誘き寄せる餌代わりらしく、音に反応した蟹が陸へと上がってくる。蟹は音を出す陸上生物に対して攻撃性があるらしく、これを利用しての誘引作戦であった。

「まぁ、阿呆の遣り方ですね」トウカは響き渡る銃砲撃音に眉を顰める。

 今、トウカ達がいる地点は、ヴェルテンベルク領の東端に位置するシュットガルト湖湖畔であった。大型艦艇すらも遊弋するに十分の水深と面積のシュットガ ルト湖ならば、小型艦艇による爆雷攻撃で、湖底の蟹など圧殺してしまえるのではないかと思えたが、考えてみれば潜水艦という兵器が誕生していない世界に於 いて、爆雷という対戦兵器が誕生しているはずもない。水中は魔力が極端に少なく、周囲の魔力を収集することによって駆動する魔導機関の運用に支障が出るこ とも相まって水中兵器は未だ誕生していなかった。

 延々と続く銃砲撃がいつの間にか止み、指揮型Ⅵ号中戦車と兵士達が後退を始める。

 湖畔に砲射体勢をとった戦車と、対戦車小銃を伏者姿勢で構えた兵士達。美しい湖畔には似合わない光景。

「御屋形様、来る!」

 ベルセリカが戦斧を構え、その言葉を聞いた兵士達が緊張した面持ちで槓桿を引き、薬室に初弾を送り込む。照準装置をの覗き込む横顔は正に一端の戦士であった。相手は蟹であるが。

 他愛もない会話でこれが初陣だと嬉しそうに語っていた初年兵は、初陣が蟹相手でさぞ落ち込んでいるだろうとトウカが見やると、戦意を漲らせて対戦車小銃を構えていた。異世界では水棲生物との軍事衝突も初陣として数えられるのだろう。大日連陸軍では(トド)緋熊(ヒグマ)を相手にしても実戦経験を経たとは見做されない。

 水面に波紋が広がり、異変が訪れる。

「……これはいかんのぅ」マリアベルが短く嘆息する。

 動揺が見られないのは、やはりこの場に剣聖ベルセリカ・ヴァルトハイムが戦斧を携えて仁王立ちしている意味は大きい。歴史上……否、短命な低位種や人間種にとって神代と言っても良い時代に燦然と輝く英雄。

「砲射! 小銃は関節を狙うが良い!」戦車と兵士への砲撃指示を手早く出したマリアベル。

 湖の水面に幾つもの水飛沫が立ち昇り、トウカも小銃を構える。

 ベルゲンで入手したKar78という試作小銃で、トウカの愛用小銃でもあった。現在皇国軍や領邦軍ではKar76kという小銃が正式採用されているが、これはKar78に皇国陸軍の採用試験(トライアル)で勝利した為であり、以来、皇国内で組織された武装勢力の多くはこれを主力小銃として運用していた。

 Kar76kは通称であり、正式名称はKarabiner76kで、その略称がKar76kであるKarabiner(カラビナー)は騎兵銃である事を意味し、76は母体となったGew76が制式採用された皇紀4976年を示している。末尾についているkはkurz(クルツ)、即ち短いを意味し、全体としては「4976年式短銃身型騎兵銃」という名称となる。

 トウカの知る米帝の騎兵(カービン)銃の騎兵(カービン)は、 このKar76kのカラビナーと同意である。騎兵は馬上射撃が求められるので、取回しのし易さから短めの全長。背負った場合の安定性から負革が銃側面に存 在すること等が騎兵銃の形状の特徴となっている。特に皇国陸軍の場合は、騎兵科だけでなく、軍狼兵科や装虎兵科、龍兵科などの不安定な姿勢から射撃する兵 科が全体に占める割合が他国と比しても多い。故に不安定姿勢からの射撃を極めて重要視していた。この影響もあり、後の皇国では負革が銃側面に付く小銃を総 じてKarabinerと呼ぶことにも繋がった。

 対するKar78は、Kar76kとは正反対の性質を持つ小銃で、他国の制式採用小銃と比しても尚、長い銃身を持つ長距離射撃を重視した型であった。そして、ほぼ同時期に開発された|七七型照準眼鏡(ZF77(Zielfernrohr77)、八倍率の狙撃眼鏡(スコープ)を装備することを前提とした狙撃銃としての側面を持つ小銃だった。このZF77は接眼距離が長く、本来は歩兵部隊の練達狙撃手の為に開発されたもので、前進する陸上戦力の障害となる機関銃や狙撃兵を排除する為に運用することを前提としている。

 他国の軍では、どちらの役割を持つ銃も必要とされ、採用されている。兵科に合わせて違う小銃で武装していることは普通であった。

 しかし、皇国ではKar78とKar76kを同時に正式採用する事ができなかった。

 皇立魔導院。

 皇国に於いて魔導士達を取りまとめる最大組織にして、軍が正式採用しているエイゼンカイト式軍用魔術を開発した魔導集団。皇国に存在した幾多の魔術大系を効率的に統合したという実績もあるが、現在の魔導主義とも言える魔術に傾倒した軍備体制を推進する組織でもあった。

 そして、軍の兵器採用に皇立魔導院が横槍を入れた結果、Kar76kだけが採用された。

 皇国にとって、他国と隔絶した質と量を保有する軍狼兵や装虎兵の戦力強化を優先したのだ。

 故にKar78が脚光を浴びるのは、後年の対帝国戦役に於ける白い死神達……狙撃兵の勇戦に依るところである。

 トウカは、Kar78の引き(トリガー)を引く。

 水柱相手に戦車砲と小銃弾が撃ち込まれる。

 敵の姿すら見えぬ状況での先制攻撃。

「これは……」

「鍋にしちゃいましょう!」ミユキが大脇差を抜き放つ。

 ちなみにこの大脇差は銘がなかったので、トウカが小狐丸と名付けた。本来その名は、平安時代の三条宗近作と伝えられる日本刀で、九条家が秘蔵していたと されるが、今は所在不明となった名刀の銘である。朝廷から作刀を命じられたが、満足のいく刀を打てずに困っていた三条宗近を助けるため、彼の氏神である稲 荷明神が童子に化けて相槌を打ったと言われており、ミユキが扱う武器の銘としてはこれ以上のものはないだろう。

 ミユキの天真爛漫な発言に呆れる暇もなく、挿弾子(クリップ)式弾倉の五発を全て撃ち尽くす。視線を照準から離さず、槓桿(コッキングレバー)を引き、引き(トリガー)を引く動作に無駄はなく、少なくとも正規の軍人に劣るものではなかった。大日連の国民皆兵を旨とする学生教育と、祖父の偏った指導の賜物と言える。

 鋼鉄同士が衝突するかのような金属音が響き渡り、トウカは顔を顰める。

 そして、何よりも水柱から現れた生物の偉容に驚いた。

「あれはどう見ても蟹じゃないだろう!」

「蟹じゃないですか。どうみても」

 ミユキが何を言っているのか、という視線を向けてくるが、こればかりは認められない。

 松葉蟹の様な長い脚だが、その大きさが問題であった。

 ――大きい! 中戦車よりも巨大だと……ッ!

 全ての弾を撃ち尽くし飛び出した挿弾子(クリップ)が軽快な金属を立てて薬室から飛び出し、入れ替わるようにトウカは、新たな挿弾子式弾倉を叩き付ける様に差し込むが、蟹の出現に対して応射する気はなかった。

 戦車砲や対戦車小銃の銃砲弾が効かないのだ。

 金属音を立てて、弾かれた砲弾が遠方の水面に落下し、小さな波紋を作り、銃弾は蟹の足元の水面を賑わせる。

「戦車砲を弾く蟹とは……」

 他人事なので呆れてみせるトウカだが、その横ではマリアベルが焦りの表情を浮かべて野戦無線機越しに戦車に怒鳴っている。砲射という怒鳴り声が聞こえる が、戦車砲は蟹の甲殻の表面で火花を散らせるだけであった。最早、トウカの知る生物の範疇を越えている蟹の堅牢な甲殻に呆れるしかない。戦車装甲に使える かも知れない。淡水湖なので磯臭くもないことから、乗員が乗車拒否することもないだろう。

「莫迦なッ! あれ程、巨大な蟹が居ったとは!」マリアベルが歯噛みする。

 トウカからしても非常識な大きさの蟹であるが、それはマリアベルにとっても同様であったしく焦りを滲ませていた。本来、戦車砲は蟹に対して圧倒的優勢な 兵器だったのだろうが、今回ばかりは手を貸す気は失せた。蟹相手に軍略を講じる事の何と虚しいことか、とトウカは思わずにはいられない。

 ――蟹如きが戦車砲を弾く? 面白い冗談だ。

 砲射を続ける戦車に対して、トウカは醒めた視線を向ける。

「やはり短砲身であることが致命的か……」

 戦車という兵器の牙は間違いなく主砲であり、トウカの世界に於いては誘導弾(ミサイル)なども装備していたが、それは主力兵器としての蛮用に耐え得る耐久性と、命中率を有していたからである。今の皇国にその技術力はない。そして、長砲身を装備する発想もなかった。無論、これには密林での砲塔の旋回を考慮した結果であったが、砲初速の低下を招いた。

 戦車砲の歴史は高初速化の歴史でもある。

 貫徹力を強化することで射程の増大を実現し、長距離(アウトレンジ)からの攻勢を実現する。アウトレンジ攻撃とは、敵の火砲などの射程外から一方的に攻撃を仕掛ける戦術および戦闘教義(ドクトリン)のことである。

 兵器とは古来より防禦を向上させる事よりも、攻撃に重きを置くことが多い。これは、攻撃が防禦に大きく寄与するからであり、その反対は皆無とは言えないまでも前者に比して見劣りの感があることが否めないからである。

 トウカの知る大日連の戦車であっても、世代を経る毎に質圧延鋼装甲、アルミニウム合金装甲、複合装甲、増加装甲などを採用していき、学園都市も電磁装甲や一風変わったアクティブ防護機構を正式採用している。

 しかし、それでも尚、砲や砲弾の進化には届かない。

 榴弾、徹甲弾、徹甲榴弾、成形炸薬弾、被帽徹甲榴弾、仮帽付徹甲弾、仮帽付被帽徹甲弾、剛性核徹甲弾、徹甲焼夷弾、高速徹甲弾、装弾筒付徹甲弾、装弾筒 付翼安定徹甲弾、多目的対戦車榴弾、粘着榴弾、焼夷弾、榴霰弾、キャニスター弾、複合弾、フレシェット弾……トウカの知るだけでも有史以来、砲弾は装甲の 数よりも多く開発され、あらゆる敵に合わせて進化を続けていた。

 攻撃兵器の進化に、防禦兵器の進化は未来永劫追い付けない。

 人類が有史以来、安寧を図る為に多くの場面で先制攻撃を仕掛けていた。防禦よりも攻撃を重視することは人類の宿命とも言える。人間種主体の帝国などは正にその通りであり、逆に国家の枢機を高位種の多くが占める皇国にその傾向は少ない。

 Ⅵ号中戦車は、全重量に占める装甲の割合が既存の戦車よりも高い。生存性こそが、軍が戦場で継戦能力保全の為に重要であり、育成に莫大な時間と資金が必要な軍人の損耗を避けるという意味では正しいかも知れない。

 しかし、それは同時に皇国という国家の消極的姿勢を示しているとも言えた。

「防禦を重視し過ぎだ。装甲で敵は倒せない」

「黙るがいい! 兵力で劣る皇国は安易に兵を損なえぬ!」

 野戦無線機に受話器を叩き付けると、マリアベルが唸り声を上げてトウカを睨む。

 如何にかしろと言いたいことは分かるが、ここでベルセリカに任せることは好ましくない。常に個人に頼る事で維持される集団など脆弱でしかなく、その傾向を深める訳にはいかない。

 砲射を続ける戦車の車長用司令塔(キューポラ)か ら、軽やかに飛び出した女性兵士がマリアベルの下へと駆けてくる。明らかに人間種の跳躍力ではなく、戦車砲の発砲音や発砲炎を魔術すら行使していないにも かかわらず、ものともしていない様子からも決して低位の種族ではない。だが、種族的特徴はなく、隠蔽魔術で擬装している事は容易に想像できる。高位種の中 には周囲に配慮して、自らの種族的特徴を誇示しない者も少なくない。

 長い黒髪に漆黒の装甲兵軍装に身を包んだ華奢な少女。それが、トウカの初見での印象だった。

 しかし、少女が近づいてくるにつれてその印象は変わる。

 愛らしい顔立ちでいて、その瞳に感情はなく、何処か不自然な印象を与え、トウカに興味を抱かせた。容姿はミユキと同様に天真爛漫と純真無垢を思わせるが、前者の印象が強いミユキに対して黒髪の少女は後者の印象が強く感じられる。

 正規の軍人ではないが、轟く砲声と銃火に表情一つ歪めない。

 本来、寄せ集められることのない要素が合わさった少女に、トウカは接し方が分らなかった。

 初見の印象で、相手に掛ける言葉を選ぶトウカにとって、纏う要素全てが違う答えを指し示す少女は近づき難い存在であった。

「あの蟹、凄く硬い。甲羅を貫けない」

 マリアベルの眼前で、無表情のままに頬を膨らませるという芸当をやって見せた黒髪の少女が、巨大蟹を指し示す。後ろ手に縛られた黒髪が揺れる。

「そんなことは妾も分かっておる。ここは剣聖殿に任せて持ち運びし易い大きさにまで刻んでいただくしか……」

 気安い仲なのか、黒髪の少女とマリアベルが意見交換を始める。

 想像していたよりも親しみやすい声音だが、トウカは襟や肩に階級章がないことを見逃さなかった。伯爵に対して無遠慮な言葉遣いで語りかける様子を見る限り、一般兵士でない事は分かるが、トウカには少女が何者なのか想像の埒外である。

「むぅ、一体、何故、戦車砲が効かぬのかえ。蟹が何時もよりも巨大とは言え、貫徹できぬはずは……」マリアベルが巨大蟹を睨む。

 巨大蟹は戦車砲や対戦車小銃弾の着弾で前進が極めて鈍重であったが、僅かずつながらも前進を続けている。対戦車小銃では関節に致命傷を与えられず、戦車砲では細い足に命中させることは困難であった。

 二人を尻目にベルセリカがトウカに問う。

「御館様は分かるで御座るか?」

「被弾経始かと」

 あっさりと回答して見せたトウカに、ベルセリカは顔を引き攣らせる。知っているにも関わらず傍観しているトウカの面の皮の厚さに呆れているのだろう。面の皮の厚さよりも、眼前の蟹の甲羅の厚さに呆れるべき場面であろうが、トウカはそれを無視して言葉を続ける。

「避弾経始とはですね、装甲を傾斜させる事によって、徹甲弾の運動質量を分散させ、逸らして跳弾させるという概念です。装甲厚や重量は同じでも、装甲を傾斜させる事で垂直の装甲より高い防禦力を得ることができる訳です……まぁ、あの巨大蟹に関しては偶然でしょうが」

 これを実装したものが傾斜装甲であり、巨大蟹は前屈姿勢を取っている蟹の甲羅は直撃する戦車砲弾に対して傾斜している為に避弾経始となっているのだ。

 傾斜装甲。

 それは未だこの世界に於いて運用されてない種類の装甲であった。

 砲弾が硬度の高い装甲に斜めに当ると、弾が装甲の面を滑って弾かれ被害を然して受けないことがある。特に弾が装甲内に突き進んだ場合でも、弾の経路に対 して斜めの装甲板は弾体がそれだけ長い距離を装甲内で進まねば貫徹できず、装甲厚が増したのと同じ効果が得られる。利点ばかりではないが、徹甲弾に対して 大きな優位性を持つことは疑いようもない。

「蟹如きが傾斜装甲を持っていることは甚だ癪に障るが……」

 姿勢を変えて、砲弾を跳弾させているのかも知れないと、トウカは戦慄する。もし、それ程の知性があるのならば間違いなく難敵である。蟹味噌の思考回路も侮れない。

「興味深い話」

「それは後にせい。まずはあの蟹を黙らせるのが先決であろうて」

 黒髪の少女の言葉に、話が逸れそうな気配を感じたマリアベルが諌める。しかし、その視線はトウカに、何とかせい、と語っていた。面倒事は全て押し付けられている気がしたが、トウカは黙って頷く。ここで機嫌を損ねられては事である。

「では、兵の一部に雪上車から爆薬を取ってくるように伝えてください」

 幸いにして、蟹と戦車の一進一退の泥仕合の間にトウカは対応を決めていた。ベルセリカという切り札を多用することを潔しとしないトウカは、戦車と一個小 隊に依る独力での撃破に拘った。安易にベルセリカという強力な手段に頼ることに対して、トウカは己の慢心を招くと考えている。ベルセリカもそれを理解して いるのか、黙ってトウカと付かず離れずの位置を保っていた。

「さぁ、焼き蟹の時間だ」トウカは薄く嗤う。

 決して、ヴェルテンベルク領で初の実戦が、蟹相手だからといって不貞腐れている訳ではない。当然、戦車に倍する甲羅を持つ蟹の生物大系に不満がある訳でもない。

 ――ただ、朝っぱらから蟹退治に付き合わされて機嫌が悪いだけだ。

 トウカは蟀谷(こめかみ)を押さえるようにして、不満が宿る視線を隠す。

 焦りがあるのかも知れない、とトウカは思った。

 《ヴァリスヘイム皇国》……北部蹶起軍の現状は考えていたよりも遙かに悪い。継戦能力が低いにも関わらず、それなりの連戦を強いらねばならない蹶起軍は指揮系統と連携に不安がある。政治的にも現状で手を組める勢力はなく、戦力差も極めて大きい。

 北部貴族蹶起軍は、元より北部防衛を担っていた三個郷土師団約三万名に、各領邦軍の約八万名と徴兵経験のある北部領民の有志によって編成される集成師団 約一万名を加えた約十二万名にまで増強されていた。無論、武器か使える素人と評してよい集成師団は戦力外であり、領邦軍の指揮系統も一本化されているとは 言い難く、広域な戦線に分散配置されている状況であった。ヴェルテンベルク領で製造されている新型戦車や新兵器を多数配備しているマリアベル隷下の精鋭機 甲聯隊も含まれてはいたが、不安な面も多い。

 大凡、一二万対二〇万。

 大きく兵力で劣っているだけでなく、戦力そのものに不安があるとなると、実質、倍以上の戦力差と考えても良い。防衛には十分であるが、短期間で決着を付 ける必要があるので、攻勢を行わねばならない場面に出くわすことは確実である。連携の不備は攻勢に於ける大きな制限となることは疑いない。例え、ヴェルテ ンベルク領が額面だけの人口と兵力だけではないにしても限界がある。何より時間を経る毎に相手の戦力が加速度的に増大する恐れがあった。

「はっ! 失敗しました! 調味料を忘れちゃいました!」

「……全く」

 ミユキの言葉に苛立つ程にトウカは追い詰められている。

 この恨みは全て眼前の甲殻類にぶつけてくれる、とトウカは怪しげな笑声を上げた。

 

 

 

 

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