第五四話 中戦車改修案
「サクラギ中佐です。ヴェルテンベルク伯の命により参りました」
漆黒の装甲兵の第一種軍装を身に纏ったトウカが、技術少将の階級章を付けた壮年の男性に敬礼する。相手も好意的な笑みと共に答礼すると、両手を広げて迎 え入れた。新型重戦車の開発が思いのほか難航しており、そこでマリアベルからの命令で送られてきたトウカには多大な期待が寄せられているとのことである。
ちなみにトウカは、マリアベルからヴェルテンベルク領邦軍中佐の階級を正式に与えられていた。士官学校も出ていない若造に中佐の階級を与えるのはどうか と再度尋ねてはみたが、前例がない訳ではないとのことである。領邦軍という特殊な軍に於いては領主の命令は絶対的なものであることも相まって声高に異を唱
える者もいない。中佐となった理由は、マリアベル曰く「ヴァレンシュタインの下は嫌であろう」というものであった。そう言われてしまえば流石のトウカも引 くに引けず了承するしかない。
意外なことにトウカの中佐拝命は主力の装甲部隊将兵から、ザムエルの支持もあって比較的好意的である。
技術少将の案内を受け、重厚な練石造りばかりの建造物が立ち並ぶシュパンダウ地区を歩く。特徴的なのは半地下式の建造物が多いことであり、中には完全に地下に埋没した施設がある事も容易に想像できた。機密性の確保と防空対策の一環である。
案内された施設は、周囲に立ち並ぶ施設と全く同じ造りの半地下式の施設であった。
扉を潜ると、そこは用途の想像できない部品や、個性的な形状の装甲板が散乱する倉庫であった。床には数式や魔方陣が書き殴られており、魔導大国の印象が滲み出ている。
技術少将は、魔窟に足を踏み入れたくないのか扉の前に立ったままであった。トウカは別れを告げると、奥へ向かって歩き出す。
技術将校がともすれば野戦将校よりも優遇されているヴェルテンベルク領邦軍だが、無駄死には避けたいらしい。
薄暗い倉庫では足元の視界が悪く、時折、部品や装甲板に躓きそうになるが、何とか蛇行しつつ奥へ進み続けると、光源の中に座り込む人影を見つけた。
「……誰?」
女性の声に、トウカは声を返す。
「サクラギ・トウカ中佐です。貴女は?」
大凡、軍務には相応しくない黒を基調とした神州国の象意が施された簡素な衣裳を纏っており、流れるような黒髪も相まって漆黒の天女を思わせる佇まいであった。
近づくにつれて光源によって姿がより鮮明に浮かび上がる。
「あ、蟹退治の時の人」
びしっ、と指差されたトウカ。その女性の顔を見てみれば、蟹退治の際に戦車から飛び出してきた黒髪の少女その人であった。トウカが近づくまで気付かな かったのは、決して暗さだけではなく獣耳と尻尾があるからである。戦車に搭乗する際は、邪魔になるので獣耳は戦闘帽に仕舞い、尻尾は軍服に押し込んでいた のだろう。
――狼種か……セリカさんと同じか。
一般的に群れることが少ないとされる狼種らしく、孤高という雰囲気を纏った少女。決して高いとは言えない身長に、起伏の少ない身体つきは残念としか言い ようがないが、狼種の女性は全体的に起伏の少ない者が多いとの実体験をヴァレンシュタインから聞いていたので驚きはしない。
――生物は活動に身体を合わせる。速く駆ける為に適応した身体つきになるのだろうか?
無論、眼前の少女にもベルセリカにも恐ろしくて聞けないが。
「私はヘルミーネ。みんなはヘルって呼ぶ。敬語もいらない。面倒臭い」
階級章がなく階級が不明であったが、その辺りのことに頓着しそうな性格ではなさそうと判断した。或いは、軍人ではなく研究者や技術者なのかも知れなかった。
「分かった、ヘル。俺のことはトウカで構わない」
「ん、トウカ」
了承したと言わんばかりに小さく頷くと、興味を失くしたのか、床に広げられた設計図に視線が落とされた。暗がりに男女一組という状況に対する気負いはない様子で、逆にトウカが気後れするほどに無関心の態度である。当然、人間種如き鎧袖一触と考えている可能性もあるが。
トウカもヘルミーネの背中越しに設計図に視線を向ける。
案の定、新型重戦車と思しき設計図であったが、トウカからすると随分と個性的な設計をしていた。相変わらずの短砲身であることに加え、懸架装置はⅥ号戦車と同じリーフ式懸架装置を大型化させたものに過ぎない。
「既存の技術では限界」
「技術開発の余裕はないか、やはり」
現在の戦況を鑑みれば、可能な限り早くに先行量産にまで漕ぎ着けなければならない。敗色濃厚な状況を打開することを新兵器というものに求める事は間違いであり、危険であった。
「なら、その問題、格安で解決するとしよう」
「本当?」
無表情のままに小首を傾げるヘルミーネの横に、トウカは近くの放置された砲塔に背を預けて腰を下ろすと、懐から紙束を取り出す。昨夜の内に書き溜めた使 えそうな技術の走り書きであった。トウカは技術者ではないので、強度計算や量産技術に対しての造形は深くないが、発想という点で言えば大日連陸海軍という
高度な兵器を無数に有し、それに応じた戦術を展開できる軍を知っているという大きな優位性があった。
トウカが技術者に発想を与え、兵器開発を加速させる。
これには多くの利点がある。
絶対的権力のないトウカにとって、自身が各々の兵器の開発状況を操作できるという意味は大きい。有用ではない兵器であれば開発を中止し、有効な兵器には発想を与えて量産化までの工程を短縮させることができる。それらの動きそのものを加速させる事も難しくない。
「いくら?」無感動な瞳で尋ねるヘルミーネ。
冗談で口にした心算であったが、真に受けたらしい少女の視線にトウカは戸惑う。
「そうだな。御代は尻尾の手入れということでどうか?」
ぞんざいな手入れしかされていないのか、ヘルミーネの尻尾には艶がない。ミユキは尻尾や身嗜みに並々ならぬ手入れを施しているが、ヘルミーネにその気配はなかった。
ヘルミーネは立ち上がる。
怒らせてしまったかと、トウカは焦る。
ミユキが尻尾に過剰な反応を示す通り、女性に尻尾を触らせろという言葉は失礼なのかもしれない。トウカも、未だこの国の常識を全て理解している訳ではなかった。
小さく舞う様に近づくヘルミーネ。
目を丸くするトウカを無視して、ヘルミーネはトウカの膝にすっぽりと収まる。
「……早く」呆気に取られていたトウカを促す声。
一体、尻尾の手入れか、問題解決についてか悩むところなので、トウカは尻尾の手入れをしつつ、懸架装置についての話を始める。
「既存の懸架装置の反発力は十分なものの耐久性に難がある。懸架装置という複雑に稼働する機構によって刻印が変形してしまうからだ」
皇国では冶金技術に魔導技術を併用することが当然となっているが、元来、魔術とは精密な魔導陣によって発動される現象であり小型簡略化には限界がある。
特に懸架装置は、その機構上、部品……特に撥條に 弾性が必要となる為、構造強化術式を併用すると懸架装置としての機能が著しく低下してしまう。魔導全般に言える事であるが、刻一刻と変化する状況に合わせ
る術式というものは極めて複雑であり高価であった。その上、術式自体が大型なので刻印箇所も限られる。その為、懸架装置は科学技術のみで製造せねばなら ず、車輛の機動力に大きな制限を加えていた。その上、衝撃吸収を担う装置である都合上、小刻みに何度も伸縮する。ここに魔導陣を刻印したとしても伸縮に よって、形状が変化して能力は発揮されない。
「だから工夫はしてる」
そんなことは分かっている、というヘルミーネの声にトウカは微笑む。櫛を手に尻尾の手入れを続けながらも、ヘルミーネの反応をトウカは楽しんでいた。無表情ではあったが、その瞳には不満の色が浮かんでおり、ヘルミーネが決して無感動でないことが分かる。
「円筒状の密閉された筒の両端に、正反対の属性の魔力を入れるとどうなると思う?」
「……反発? 確かにそれなら……」思案の色の瞳のヘルミーネ。
構造上難しくなく、加えて油気圧式の機械油や 空気を完全に密閉せねばならない部分は魔力が代替する。魔力が逃げ出さないような術式を刻印すればよく、密閉である必要もないので冶金技術も然して必要な
い。油圧式の様にパスカルの原理を使用したピストンの形を採用すると、更に強力な反発が期待できる。構造も簡単なので剛性が高く、前線での修理も容易とな るだろう。
「確かにそれなら……何とかなる」
「納得したか?」
「うん」
頷いて立ち上がろうとするヘルミーネ。トウカは慌てて少女の肩を掴み、己の胡坐の上に再び座らせる。
不満顔のヘルミーネだが、身嗜みに気を使わないまま周囲を徘徊するには勿体ない美貌と毛並みなので、最低限の手入れは行っておきたいと、トウカは思っ た。本来、戦争などというものは乙女が青春を消費してまで関わる必要のないものでなければならないのだ。兵器開発であっても戦争に加担しているには変わら
ず、それらに染まってしまい自分が最も輝ける時を逃してしまうには、少女は余りにも可憐だった。
「女だろう。身嗜みには気を使わないとな」流れるような長髪の頭を撫で、トウカは語りかける。
トウカの櫛が尻尾の毛を梳かしてゆくと、ヘルミーネは大人しくなった。目を瞑って小さく唸っているその姿は、小さな子が父親の真似をしているようで微笑 ましい。外見的にはトウカと同年代に見えるが、起伏の少なさと子供の様な仕草が目立っている為、西洋人形の様な造形美に溢れた顔立ちであるにも関わらず愛 らしさが先立つ。
ミユキとはまた違った愛らしさだった。
ここで他の女性との比較を考えてしまうことが、トウカの女性に対しての配慮が一歩足りないという評価に後々繋がってゆくのだが、当人はそれを知らない。
「気持ちい……馴れてる」
「まぁ、手の掛かる尻尾がいるからな」
それがまた宜しいのだが、それを口にすると尻尾を触らせてもらえなくなりそうなので、トウカは曖昧に微笑む。ミユキの尻尾は太陽の香りのするモフモフした至高の尻尾であったが、対するヘルミーネの尻尾は月の静寂さを孕んだ孤高の尻尾であった。
「尻尾を上手く扱える人は狼誑しってお母様が言ってた」
「それは一大事だ。どうだ? 俺に誑かされてみるか?」
冗談であったトウカの一言に、少女は再び思案の瞳を見せる。
その真剣に悩んでいるようにも見える横顔に冗談だったとは言えず、トウカはただ只管に尻尾の手入れを続ける。途中で柑橘香油の小瓶を取り出し、それを用いて艶を引き出すまで手入れを続けた頃、ヘルミーネは口を開く。
「…………今は戦車がいい」
本当に悩んでいたのか、無表情が僅かばかり崩れて、困ったように口元が曲がっているヘルミーネに、トウカは苦笑を返す。戦車に負けたことは悔しくあったが、無表情が小さく微笑んだように変化させることに成功しただけでも十分であった。
そう言って立ち上がったヘルミーネは、ぺこりと一礼するとその場を去っていた。
「どうやら、俺と御前は好敵手のようだな」
トウカは、背を預けていた放置されている戦車の砲塔を拳で小さく叩いた。
「やはり長砲身が必要だな」
シュパンダウ地区タンネンベルク社の研究室でトウカは呟く。
兵器は多様性のある進化を遂げていたが、そのどれにも当て嵌まる大前提がある。
射程の増大。常に相手より先手を取れるようにという意味以外にもそれは多くの意味を持っていた。
「絶対、いらない」黒い長髪を揺らしてヘルミーネが否定する。
強情な姿にトウカは溜息を吐く。
ヘルミーネの言葉にも一理あり、蹶起軍が保有している戦車の砲身が全て短砲身なことを不審に思っていたが、これには北部の環境と基本方針が大きく影響し ている。深い森を頼りにした防禦戦術を主体としており、密林に潜むには長い砲身が砲塔旋回の邪魔であった。そして、皇国軍の戦車開発の中心がシュパンダウ 地区である以上、陸軍全ての戦車が短砲身という影響を受けていることは当然と言えた。
「視野が狭いな。皇国全土に密林がある訳でもなければ、敵地への侵攻もこれからは想定される。遠距離から装虎兵の防禦障壁を貫徹できる高初速の砲を搭載すべきだ」
「そんな先まで北部貴族が権勢を維持してはいない」
無表情のままに告げられた一言に、トウカは顔を引き攣らせる。
そんなことは分かっていると言い返したいのは山々であるが、それでは北部の悲観的な状況に対して頷いた事と同義。正直に言ってしまえば、北部貴族という枠組みなどトウカにとって然したる意味はなく、権益を保障してくれるならば条件付きでの迎合も止む無しと考えている。
――最低でも何度かの勝利が必要になる。
やはり、平原での決戦になる。
トウカが表向き意図するのは、密林での敵戦力漸減を図りつつ、北中央部のボーデン平原での野戦を演出することであった。無論、それは表向きの作戦であり、真意は別にある。
「貴女は、戦車という兵器が装虎兵に優越することはないと考えているのですか?」
「今の技術力では」
トウカは察した。戦車とは皇国に於いて補助兵器なのだ。数に於いて劣る装虎兵や軍狼兵を補う為の支援車輛に過ぎない戦車は限定された能力が当然という判断 を受けていた。向上させる意思がなくては能力の向上など望むべくもなく、潜在的な能力を引き出そうという発想にすら辿りつかない。
「違う違う。断じて違う。これからの陸戦は戦車が主体になる。そして、航空騎と高度に連携した陸上部隊こそが戦域を支配する。そもそも戦車は装虎兵や軍狼 兵、戦車と戦う為の兵器じゃない。それはあくまでも副次的な能力で、戦車という兵器自体は歩兵支援と戦線突破が主任務だ」
トウカの世界に於いては《独逸第三帝国》の戦車が極めて対戦車戦闘に優れていたが、それは持たざる国ゆえに万能を求められた結果に過ぎず、通常は敵戦車 が出現すると対戦車砲や携帯型対戦車火器、戦車駆逐車、攻撃機の出番となる。それはこの世界でも同様で、エルライン回廊という限定空間だからこそ頻繁に対
戦車戦闘は起きているが、野戦では戦車と戦車の戦闘は頻繁には行われない。あくまでも突発的な対応の延長線上であった。
台所事情が苦しいのは北部も第三帝国も同じであり、似た性格の兵器を開発することになるのは当然の帰結であった。無論、傾倒し過ぎて量産性や運用性を犠牲にしてしまうようでは本末転倒であるが。
第一に、トウカは戦車が有効な兵器であると考えていたが、実際のところ戦場の主力となるとは思ってすらいない。
戦域で最も多い兵数を保有する兵科は一体どれか?
それは歩兵科である。
どれ程に魔導の野獣が、鋼鉄の野獣が唸ろうとも、全域全体を最終的に押し上げるのは歩兵による大規模な掃討戦となる。近代戦であってもこれに変わりはなく、科学が著しく進歩した大日連であっても鉄砲を担いだ兵士は未だ消えていない。
領土とは歩兵の協力なくして維持できないのだ。
攻めるも護るも、歩兵が主力となる。戦場の華でなくとも、歩兵はやはり数の面から主力であり、そして掛け替えのない消耗品という側面を持っていた。これを減らす兵器として登場したのが戦車であったはずであり、トウカもこの点を重く見ていた。
「装虎兵が敵の装虎兵と大規模に衝突した事例など歴史上、数えるほどだ。装虎兵が現れたなら、砲兵に任せればいい。全てに対応できる兵器など作れはしない」
「でも、それじゃ要求を満たせない」
それがマリアベルの要求であることを察したトウカは苦笑する。
奇襲時に最大限の能力を上げる戦車。或いは軍狼兵と装虎兵に優位を確保できる戦車。
それこそがマリアベルの求めている戦車であった。
トウカの知る限りでも、非常識なまでに車高を下げる事によって隠蔽と待ち伏せを容易にした特殊な戦車などもあったが、往々にして歴史の波に消えているこ とを知っていた。車高を下げるのはあくまでも油圧式懸架装置を装備している一部の大日連陸軍戦車のみで、それも射撃姿勢の維持が第一の目的である。
戦車が必ずしも装虎兵と軍狼兵に対し優位に立つ必要はない。
「それは俺が撤回させる」
何とでもする、と胸を張るトウカに、ヘルミーネは納得する。つい最近まで軍籍になかったトウカが、この場にいるだけでも十分にマリアベルの威光の影響である。二人が協力関係にあることは少女にも予想できる。
「色仕掛け?」
「尻尾の毛、毟り取るぞ」
純粋に悪意をばら撒くヘルミーネに、トウカは口元を引き攣らせる。マリアベルという女傑が、男性に靡く姿など想像すらできない上に、明らかに精神的なも のを含めて不利益の方が大きい。マリアベルを知って尚、その様な言葉が吐ける点は大いに評価できるが、それに巻き添えを受けるとなると話は変わる。
どちらにせよマリアベルが男性という無駄を好むはずもない。
「あのヒトは鋭い刀だ。一つの目的だけに砥がれた一振り。男は白刃の曇りになる」
そして、当人もそれを理解しているはずである。
それほどの想い。遂げさせてやるのが配下に加わったトウカの務めである。内心では、それが正しいか否か、判断の付かないところではあるものの、復讐心こそがマリアベルの依って立つところである以上、これを安易に否定することはできない。
「それより、戦車……もっと知ってるはず」
「ああ、領主の決意なんて貴女には関係なかったな」
トウカは、ヘルミーネが戦車以外に興味のない事を嫌という程に理解していた。一度、一つの事にのめり込むと止まらなくなる気質なのか、ヘルミーネが占拠 している研究室には戦車の模型や設計図が散乱していた。中には水上艦と思しき模型の艦底に履帯が付いた意欲作も並んでおり、開発に行き詰っていたことが窺 える。
「そうだな。それほどに奇襲に特化した戦車が必要なら対空戦車を作るか。車体をⅥ号中戦車から流用すれば、二、三日で開発はできるはずだ」
「対空戦車?」
この世界には未だ存在しない兵器にヘルミーネが首を傾げる。名称の対空という名が、対空兵器であることを指す事も疑問に拍車をかけた。
「そうだな……三〇㎜対空機関砲四基を二連二段で集束装備させ、砲塔も大仰角を取れるよう大型化させる」
三〇㎜対空機関砲……タンネンベルク 三〇㎜ FlaK 95高射機関砲はタンネンベルク社が開発した対空砲で、現在の皇国陸海軍で運用されている軽対空砲を長砲身化して射程の延長を図ったものであった。砲噴火 器の開発に於いて皇国で中心となっているタンネンベルク社は、本拠地でもあるヴェルテンベルク領で軍の要望とは別の兵器も製造しており、大株主がマリアベ
ルであることを考えれば、その意味するところは一つであった。
兵器開発に於けるマリアベルの意志の介在。
これは宜しくない。歴史を見れば良い例もみられるが、国家として、組織として長期的な視線で判断すると間違いなく歪みを生じる。現にマリアベルの意向は、 現場と研究者を無視した要求となっており、開発に遅延を齎していた。急降下爆撃可能な戦略爆撃機を求めた空軍元帥程に見当違いな兵器を求めている訳ではな いが、歪みは放置すると増大する。
「これからは俺にヴェルテンベルクの軍権の一部が任されるだろう。御前の心配は杞憂だ」
「自分が間違っている可能性を考えていない」
痛烈な一言を放つヘルミーネに、トウカは苦笑する。
それは全く意味のない問いでああるが、同時に答えられない解であった。トウカからすると皇国軍兵器の技術大系に於ける発展は、魔導技術を併用している事 を差し引いても己の祖国のものと同様であった。主力を担っている兵器に差異はあれども、戦野で兵器に求める要素はどの世界であれ変わりはない。
「俺を信じろ、というのはどうだ?」
「気持ち悪い……けど、設計図は見たい」
小さな冷笑交じりの即答に、トウカは鼻白む。
確かに頷いてはくれまいと考えていたが、冷笑と共に一蹴されるとは想像の埒外であった。少なくともヘルミーネの中では、己が戦車に負けない程に興味の対 象だと思っていたが、そうでもなかったということになる。だが、ヘルミーネも新兵器に興味はあるのか、尻尾が小さく揺れていた。トウカは、降参だ、と軍装
の衣嚢に突っ込んでいた簡単な設計図を机に投げる。
俊敏な動きで、設計図が机に着地する前に小さな手が掻っ攫う。
狼種が俊敏なものが多いと聞いていたが、その動きは瞠目すべきものだった。
狼種には起伏の少ないものが多いが、それゆえの俊敏さを有している。人の姿に転化した際、獣耳や尻尾などの種族的な部位以外に共通する点であった。その 最たる例が身長や体格などであり、ミユキに関しても天狐族の中では若輩者であることからも分る通り、変化しても小さな狐であった。対するベルセリカは、変
化すると騎兵すら御することに手古摺る駻馬すらも遙かに上回る体躯を持っている。
「明日の皇軍は、戦闘部隊も補助部隊も総て無限軌道の上に乗って行動するだろう」
期せずもその言葉は、大日連で機甲部隊創設に尽力した将校のものと同じであった。
この世界に於ける機動戦力とは、装虎兵や軍狼兵、戦車、騎兵を指すものであり、支援兵器や輜重に至るまでの全てに追随し得る機動力を持たせようという発 想がなかった。無論、それはこの世界に於ける陸戦の主役を担っている兵器が容易に増強できない生物であるという理由も少なくない。
「機動こそ力……でも、それには時間が――」
「それは、どこまでの時間で? 征伐軍とは正面切って決戦を行う気はありませんよ。それをヴェルテンベルク伯も了承しています」
ヘルミーネが胡散臭げな視線をトウカに送る。
領邦軍の行動示準に対する干渉を示唆する言葉に、トウカの立場を推し量ろうとしているのだ。ヘルミーネの予想を遙かに超えた影響力を思わせる言葉に対する警戒感と期待感か、或いは興味がないのか……無表情なことも相まってトウカには判断が付かない。
「認める。これなら戦術次第で戦場の在り方を変えられる……でも、その理由を教えてもらわないと協力できない」
その点についてですか、とトウカはヘルミーネの意図を察した。
詰まるところ、トウカが何を敵と据えてこれらの装甲戦力を運用するのかという疑問であろう。トウカはその疑問に配慮が足りなかった事を悟る。
装甲戦力が複数の師団を編成し得るほどに量産を進めるには時間がなく、対征伐軍との戦闘には運が良くても先行初期量産に成功した極一部のみしか投入できない。
ならば、装甲戦力を整備する理由は?
帝国軍か、或いは中央貴族連合か。どちらにしてもヘルミーネにとっては不安に思うことは間違いない。
帝国軍との戦闘がエルライン回廊近傍に集中することは自明の理で、トウカの口にした機動力を重視した機甲戦力の整備は、それ以外の戦場での戦闘を想定している。
つまりは、エルライン回廊失陥後に行われるであろう皇国北部での大規模運動戦。
北部が灰燼と帰する事は容易に想像ができる上、どれほどの死者が出るかトウカにも想像できない。帝国の国是を考慮すると悲惨な現実が待っていることは想像に難くないのだ。
対する中央貴族連合との衝突も装甲戦力を加えることで戦況は大きく変わる。
双方共に戦力を大きく損耗させ、死傷者も膨大なものとなる。ヘルミーネがトウカに協力できない、と言い放ったことからも北部蹶起軍が最終的には敗北する と考えているのだろう。実際、戦力差からそう考えている者も多く、落としどころを考えて作戦を立案している蹶起軍将校や北部貴族も多い。だが、中央貴族の 軍勢を長駆迂回して、中央貴族領の直撃を行えば皇国は更に混迷を極めるだろう。
皇国がこれ以上、国力を減衰させることは亡国に繋がる。
「備えよ常に、だ」トウカは短く告げる。
悲観的な事を言ってしまえば失望どころか、牙を剥かれることすら有り得た。
ましてや帝国軍を皇国国土そのものを縦深陣地と見なして引き摺り込み、補給線を遮断し、戦力を分断し、包囲殲滅を計ろうとしているなど口が裂けても言え ない。皇国臣民に帝国に対しての脅威を植え付ける為、皇国の国土の多くを戦火に晒すことを意図していた。挙国一致体制を敷くだけの悲劇を皇国に与えること で、皇国は国家として正しい道を歩むだろう。
闘争に依る多種族の生存圏の拡大へと皇国は舵を切る。
そうすれば全てが十全に収まる。
皇国が軍官民に流血を強いりながらも、多種族の生存圏獲得の為に死山血河築き上げる姿こそがトウカの考えた最善であった。少なくとも仔狐が気兼ねなく思う様に生きられる世の中を、この大陸内で築き上げることは皇国の潜在能力を考慮すれば不可能ではない。
その為の、鋼鉄の暴風。それこそが装甲戦力である。
無論、その点をヘルミーネに告げる気はない。祖国の一部が灰燼に帰することを前提とした策を、その大地に住まうものが許容するはずがない。これはマリアベルにもベルセリカにも話せない事であり、同時にトウカが介入するまでもなく、その様に推移していくはずであった。
トウカは、ただ皇国領内深くに侵攻してきた帝国軍への対応を考えればいい。
時代とは、そこに存在する無数の人々の意志の総算である。トウカ一人で性急に介入する事など不可能であり、ましてや全てに対応する事などできるはずもない。全てを護る気などトウカには端からなく、最優先されるべきはミユキであった。
トウカは、ただ表面上の理解を求める。
「俺には護りたい者がいる。その者が北部を故郷と呼び、愛している」
なんと卑怯な良い方か、と思わずにはいられない一言。
虚偽ではないが、本心を露呈させない言葉でもあり、愛などという不確定にも関わらず、人を突き動かすモノに訴え掛けようという不誠実。
ヘルミーネの真摯と健気の同居した表情は、トウカの罪悪感を掻き立てる。
この国の者は善意に弱く、人が他者を騙し得るということを真に理解していない。太平の世であればそれは長所となり得たであろうが、今は動乱の世である。 大和民族と似た気質は好ましいが、やはり平和と怠惰は表裏一体であり、皇国臣民は精神的にも急成長せねばならないのかも知れない。
「認める……けど、約束はしてもらう。無暗に人を殺さないと」設計図から視線を上げたヘルミーネ。
己が開発した兵器が戦場で人を殺す事に対して、運用側の責任と一蹴するものが多い。それは間違いではないが、正しいとも言えない。少なくとも、ヘルミーネは好奇心の為だけに殺人の為の兵器を作っている訳ではない。
トウカは黙って頷くしかなかった。
明日の皇軍は、戦闘部隊も補助部隊も総て無限軌道の上に乗って行動するでしょう。
??? 日本陸軍の将軍、御存知の方は連絡をお願いします。どうしても出てこない。
備えよ常に
《大英帝国》 ロバート・スティーヴンソン・スミス・ベーデン=パウエル男爵