第八〇話 ベルゲン撤退 前篇
「ここで御前が現れるとはな……」
手首を押さえ、脂汗の滲む額をそのままに小さく苦笑を零すトウカ。
トウカはこの世界が嫌いであるが、それは世界も同様であったと思わせるに十分な状況に、当人も思わず苦笑を漏らす以外の選択肢がなかった。辛うじて持ち続けることに成功した軍刀を再び持ち直して刀身を確認するが、幸いなことに傷一つない。床に刺さった戦闘短刀を見て投擲されたのだと理解するが、突入時にベルセリカの妨害があったことを考慮すると、その間隙を突く形でトウカを牽制したことは称賛に値する。
「トウカ……やはり御主か。こうも容易くベルゲンを師団規模で突ける者などそうはおらぬじゃろうとは思っておったが。運命の再会としては些か不躾じゃな」
ベルセリカとの鍔競り合いを脚力にものを言わせて飛び退き、アリアベルを護る位置へと降り立った、銀糸の長髪を靡かせた美しい装虎兵は楽しげに笑う。
「ふむ、腐っても建国神話じゃな……どうか、そこの天狼?」
「山の心臓で御座ろうが……使いこなせておらんぞ、小娘」
虎と狼の視線が交差し、その顔が喜悦に歪む。
空気が殺意の奔流を受けて嘶き、アリアベルの背後の壁一面に嵌め込まれた巨大な窓に無数の罅が奔る。共に戦意に不足はないが、この空間が二人の闘争に耐え得るか否かという点に、トウカは冷や汗を流す。
魔力が可視化され、凄絶な色の光を滲ませる。降下猟兵が魔術を行使できるかも怪しくなり始めているやも知れないと、トウカは眉を顰める。
「久し振りだな……レオンディーネ」
「儂の目に狂いはなかったぞ。どうじゃ? リットベルク。儂の言葉は正しかったじゃろ?」
大きな胸を張り装虎兵……レオンディーネが、リットベルクへと笑い掛ける。笑い掛けられたリットベルクは軍帽の唾に手を伸ばして目元を隠す。呆れているのか、或いは痛感しているか判断に迷うところである。
「どうも儂には御主が歴史の海に黙って沈みゆくとは思えなんだが、相対することとなろうとは。世の中、分からんものじゃ」
「全くだ。ところで、次はどれほど貢いでくれる? 一個増強師団を新設できる資金を貢ぎ、その上、身も心も差し出すと、御前は俺に言った。出来ればその命も貢いでくれると有り難いが」
盛大に引き攣るレオンディーネに、周囲の生暖かい視線と胡散臭い視線が集中する。
ケーニヒス=ティーゲル公爵の直系の娘であるレオンディーネがその様な発言をすることは、政治問題に繋がる。無論、有事である現在はその様な話題は霞んでしまうが、平時であれば多数の貴族を巻き込んで、大衆の格好の話題となっただろう。
トウカがレオンディーネの素性を正確に知ったのは、ヴェルテンベルク領で得た征伐軍編制の情報からであるが、同時に征伐軍の軍事面での事情と限界を察した理由でもあった。
「上等じゃ……ここまで来たからには覚悟はできておるじゃろう。来い。鎖に繋いで、儂のものとしてくれる」
「セリカさん、任せます。少々、本気を出して構いませんよ……潰せ」
レオンディーネの獲物を狙う視線に、トウカはベルセリカに問題を丸投げする。安易に頼ることは憚られると考えていたが、単騎で凄まじい戦歴を残しているレオンディーネと戦うことは避けねばならない。
ベルセリカが踏み出す。
一歩踏み出したその瞬間だけを残像に、次の瞬間にはベルセリカは飛び上がり、大太刀をレオンディーネに振りかざしていた。トウカもそれに合わせて再び、アリアベルへと斬り掛かる。
だが、そこでリットベルクが動く。
腰の曲剣を抜き放ち、トウカの軍刀を打ち払う。アリアベルに刃が向けられた際も微動だにしなかったリットベルクが、二度目にして動き出す。トウカは軍刀を遠心力そのままに押し斬らんとする。
曲剣という刀剣は、元来、日本刀の様に盛大な鍔競り合いを前提としていない。あくまでも防禦手段としては“往なす”という行為を主体とした、掬い上げや打ち払いによる敵の刀剣の剣線の軌道変更を得意としていた。
だが、トウカがそれに付き合う必要はない。
力任せの斬撃に態勢を崩したリットベルクに、トウカは更なる追撃を掛けんと一度、斬り下ろした刃を翻し、袈裟懸けに左下から斬り上げんとする。
元より片手剣の曲剣が、両手剣の日本刀を模した軍刀に勝てるはずもなかった。リットベルクが人間種と然して変わらない混血種であるという点と、対魔導障壁を斬り裂く軍刀が曲剣の形状維持を兼ねていた魔導術式を無力化したことも手伝って、リットベルクの脇腹を斬り裂いた。
――浅いか。
トウカは完全に斬り上げず、柄を無理やり引き寄せる様に刺突の構えに移ろうとするが、そこでリットベルクは、辛うじて手にしていた曲剣をトウカへと投げ付け、右手を以て魔術を行使しようとしたアリアベルを制する。窓際に追い詰められ、無数の銃口を向けられている以上、それは延命という一点から見れば正しい判断であった。
残念ながら、アリアベルの魔術を警戒して降下猟兵達は発砲できない。魔導障壁を展開されてしまえば、防がれることは目に見えており、制圧するならば曲剣を 手にした降下猟兵を中心とした近接戦だが、先程からベルセリカとレオンディーネが室内で盛大に暴れており、あらゆる物を粉砕しながら盛大な戦闘を続けてい
る。破片が舞い、調度品が砕け、そして壁が崩れ落ちる。酷いところでは外が見えており、対砲兵用防護障壁すらも粉砕する二人の戦闘の余波に、降下猟兵達は顔を引き攣らせて後退するしかない。リシアとラムケに関しては茫然自失である。
――諸共、串刺しにしてやるッ!!
トウカは、刺突の構えのままに足を踏み出す。
だが、そこで血塗れのレオンディーネが、執務机を巻き込みながら舞い降りる。木片を撒き散らしながらも足で着地して見せるところは、身体能力に優れた長命種の面目躍如といったところであったが、その足は小さく震えていた。
「脆い。最近の若人は足腰が弱くて、先達が泣いているで御座ろうよ。種族の能力として持ち合わせた膂力で押し切るしかできんとは……」
背後から悠然と歩んできたベルセリカが、トウカの横に並び立つ。
嘆いているかのような言葉だが、その声音は決して悲観している様なものではない。少々、派手に戯れても壊れない玩具を見つけた子供のような印象を受け る。その実力差は歴然としており、ベルセリカの戦装束には乱れも汚れもなかった。血塗れでいて、軍装に汚れと破れが散見されるレオンディーネとは対照的で あった。
レオンディーネが手に持つ古ぼけた長剣は、名のある代物なのか、ベルセリカの剣戟を受けたにも関わらず欠損は見られない。
「退路はなしか。儂はそれでいいのじゃが、アリアベルを討たれては叶わん」
「残念ね、私は逃げないわ。指導者が背を向けては、それは敗北と同義」
アリアベルが羽織っていた千早を脱ぎ捨てて、破砕された執務机の瓦礫の横に転がっていた薙刀を、片足で掬い上げて手にすると、その場で回転しつつも構え直す。右脚を前に出し、左脚を後ろに引いた姿勢は安定感を感じさせ、決して素人ではないことを窺わせた。
長い金糸の髪を靡かせて、巫女服に薙刀を装備したアリアベルの姿は、大日連の巫女とは似てはおらず、足元は長軍靴であり、纏っている襦袢には幾何学模様の魔導術式が編み込まれ、緋袴も股の割れている馬乗袴で、白衣の肩には不可解な切れ込みがある。
レオンディーネは銀糸を如き長髪をぞんざいに振り、血が滲む群青の装虎兵第一種軍装に身を包み、防護術式が刻印された左右の腰の草摺という出で立ちで、大きく破れた防寒用の袖無外套を脱ぎ去り、古ぼけた長剣の戦塵を振り払う。
龍姫と獅子姫。対となる要素を多分に含んだ二人が肩を並べる。
だが、トウカは嗤う。
「甘い……だから死ね」
戦場で戦うということを理解していない。戦場に正義はなく、極限まで磨き上げられた効率的な殺人行動の応酬しかないのだ。個人が戦場を好きにできる程、容易くはない。だからこそトウカは己の力を過信しない。
鳴り響く銃声。
己が物語の主人公ではないという点を理解しているが故の決意。
発破の爆発に近い銃声は、限りなく砲声に近い。皇国内で広く使用されている重機関銃の一五㎜重機関銃弾を使用することを目的に試作されたタンネンベルク PzB 59は、制式採用が決定した新型対戦車小銃であった。ヴェルテンベルク領邦軍のみならず、皇国陸軍を始めとした皇国内の武装勢力の多くは小銃の
銃身を延長し、二脚を装備したものに過ぎない。これは魔導士の支援を前提としていたからであり、魔導資質に優れた者が多く、軍での魔導士総数が他国と比して隔絶しているという観点から見ると決して間違いではない。
尤も、その戦術思想は今この時より陳腐化するのだが。
「ちっ、老体め」
リットベルクが咄嗟にアリアベルを庇う位置で手を翳し、魔導障壁を展開した姿を目にしたトウカは悪態を吐く。しかし、背後で新型対戦車小銃を操作してい るであろうリシアが、この隙を見逃すことはないと確信してもいたトウカが動くことはない。新型対戦車小銃の装弾数が四発であることを理解しており、速射性 も十分に確保されていた。
大きくよろめいたリットベルク。
重機関銃の大口径機関銃弾を受けてそれだけで済む事実に、リットベルクも混血種でありながら高い魔導資質を有しているのだと見当は付くが、そこで二発目 の銃声が鳴り響く。慌ててレオンディーネが割って入ろうとしたが、すかさず踏み込んだベルセリカと鍔競り合いになる。アリアベルに転化する隙を与えてはな らない。
「爺やっ!!」
アリアベルが、リットベルクを受け止めるがそこで再び銃声が響く。リシアが降下猟兵の一人から新型対戦車小銃を受け取るのを目にしており、その動作確認 をしているところを傍目に見ていたからこそ、自らが刃を振るうことに固執しなかった。そもそも、トウカが刃を振るっていたのは、使用する軍刀の特性が虚を
突き易いという理由だけであり、物語の英雄の様に指導者に斬り掛かることなど然して興味を引く事柄ではない。英雄の役目など自意識過剰な莫迦者共にくれて やればいいのだ、とすらトウカは考えていた。
展開した魔導障壁諸共吹き飛ばされたリットベルクを、アリアベルが受け止めようとするが、咄嗟であることに加え、薙刀を構えた姿勢であったことも相まって大きく姿勢を崩す。
そして背後の壁一面にはめ込まれた大窓に衝突する。
魔術的な防護処置が取られていたであろう大窓だが、ベルセリカとレオンディーネの交戦によってその効力を大きく減じていた。
陶器の破砕音に似た音が周囲を満たし、二人の姿が虚空へ投げ出される。
呆気に取られたトウカに対して、レオンディーネはベルセリカの剣戟を押し返し、二人の下へと走り込み手を伸ばすが、今一歩のところで届かない。
掻き消える二人の姿。
転化して龍と変じても、質量が増すだけで落下は避けられない。人から見ると市庁舎が巨大なことは当然であるが、龍からすると降下から上昇へと転じるには酷く低く、ヒトの身で落ちてしまえば、転化までの時間を考えると大地に叩き付けられることは避けられない。
「いや、下は運河だ! 手榴弾を使え! セリカっ! その鬱陶しい小娘を殺せ!」
トウカに向き直ろうとしたレオンディーネだが、素早くベルセリカに地面へと叩き付けられ、一瞬の内に降下猟兵達に群がられる。
「捕まえる気か。猛獣使いは我が戦闘団にはいなかったが……」
「隷属の首輪があります、参謀殿」
リシアが軍用鞄から取り出した首輪を見て、トウカは顔を引き攣らせる。
隷属の首輪とは、皇国で高位種の捕縛などに使われている特殊な魔導具であるが、生産性に極めて難のあることでも有名であった。そして、高位種全てに有効 という訳ではなく、能力に優れた者は打ち破ることもできるという極めて中途半端な効力でしかないという点もあり、軍人や警務官以外では知名度の低い魔導具 という特性を持っている。
首輪一つでは効力が薄いと判断したのか、リシアは幾つもの隷属の首輪をレオンディーネの手足に巻き付けていた。数に依る能力の制限に対する相乗効果があるのかは大いに疑問だが、完璧主義を地で往くリシアが、不確実な行動を取るはずもないと思い出し口は挟まない。
「捕虜か?」
「ええ、ケーニヒス=ティーゲル公爵の愛娘が捕縛なんて素敵じゃない」
「……そうだな。いっそ、屈辱的な縛り方でもしてやれ」
レオンディーネの声にならない声を背に、トウカは今一度、割れた大窓から市庁舎の下を流れる運河を見据える。陽光を受けて反射する水面に人影は見えない。
「撤退だ。総員、撤収用意!」
安否確認ができなかった事が心残りだが、次々と翼を翻す戦闘爆撃騎を見て、時はないと判断したトウカの命令に、降下猟兵達が一斉に動き出す。
手榴弾を運河に投げ落とす降下猟兵の姿が消え、トウカは睨みつけてきているレオンディーネへと視線を向ける。戦争だからと殺人を肯定する心算はないが、 指導者が戦闘の末に戦死したことに対してまで憎悪を向けられては叶わない。幾多の烈士に対して責任を負う立場にいたからこそ、指導者は己の致命的な失策の 折には、その身命を以てして償わねばならないのだ。
「指導者が無能であることは罪だ。それすらも分からないならば娼婦にでもなるんだな」
「……確かにそうやもしれん……じゃがな一つだけ言って良いか?」
憎悪と悔恨に揺れる黄金の瞳に、トウカはレオンディーネもまた揺れているのだと悟った。
将校としては階級以上の指揮能力を持たないレオンディーネだが、その戦歴に蔭りはなく、陣頭指揮を執ることでその義務を全うしていた。それは、周囲に綺 羅星の如く存在する軍事や政治に秀でた者達に対する負い目や、部下を死なせまいとする気負いから来たものであろうことは、その気質と押さえ付けられながら
尚も爛々と輝く瞳が語っている。だが、同時にアリアベルの盟友としても有名であったことから、友としての側面をアリアベルに見ていたことは疑いなく、そん な友の死に対する悔恨を絶ち切れていないのだ。
「何だ、言ってみろ」
「…地獄に堕ちるがいい、この糞野郎め」
貴族の娘が使う言葉ではなく、暴言であったこともあり、押さえ付けていた降下猟兵達がレオンディーネを床に一層強く押し付ける。
精一杯の捨て台詞にトウカは嗤う。盛大に。
戸惑う降下猟兵達を尻目に、トウカはレオンディーネの長い銀髪を鷲掴みにして顔を近づけ、さも楽しそうに嗤いながら答えた。
「全く……御前はまだ分かっていないようだ……この世界が地獄なんだよ」
その言葉に、酷く怯えて視線を逸らしたレオンディーネに、トウカは興味を失い、大外套を翻す。
「流石に無料では返してくれないか! 対戦車擲弾筒は全て射耗して構わない! 突破口を作れ! 機関銃は制圧射撃! 他の者は車輛に乗れ!」
トウカが市庁舎に停車していた魔導車輛の一輌に脚を掛けて叫ぶ姿を目に、リシアも対戦車小銃の二脚を魔導車輛に押し付けて、建造物の物陰から小銃を突き出していた敵兵士に狙いを付ける。
銃身が飛び跳ねないように被筒部を強く掴み、銃床を肩に押し付け、リシアは引き金を引く。
爆発音に近い射撃音に続き、銃身先端に装備された凸型の照星と、後方の凹型の照門の景色が銃身諸共跳ね上がる。
練石製の遮蔽物が抉れ、敵兵の影が遮蔽物の向こうへと掻き消える。身体の半ばまでが肉片になったことは疑いないが、それを確かめるには距離もあり、また見たいとも思わない。
「対戦車擲弾筒はあの機関銃座を狙いなさい! ちょっとそこの曹長! 良い物持ってるじゃない! 正面の阻害を吹き飛ばして!」リシアは顔を顰めながら怒鳴る。
大口径対戦車小銃の銃床は、反発し合う属性魔力を利用する反動軽減機構を備えていたが、それでも尚、完全に抑え切れるものではない。少なくとも、散弾銃以上の反動は生じた。
共に銃火器を手に敵を撃ち倒しながらも、次々と指示を飛ばすトウカとリシア。全員が複数台の魔導車輛に乗車したのを確認し、トウカが小銃を手にした右手を上げる。
魔導機関を唸らせて、排気口から僅かな蒼色の魔導の粒子が吹き出し、徐々に速度を上げる魔導車輛上から正面に見える敵兵に次々と銃火が集中する。
前方を遮っていた阻害は、二〇㎜航空機関砲の砲弾を運用できる試作型中隊支援砲と命名された大口径機関砲弾の直撃を受けて粉々に砕け散る。虎族系混血種などの膂力に優れた者が運用することを前提とした、トウカが今まで発案した汎用性を重視したものとは一線を画す兵器だった。元は進撃時に機関銃座や特火点の
撃破を目的とした、絶大な火力を持つ歩兵支援火器という開発理念の下に設計開発されたそれは、このベルゲン強襲に於いて試作型が少数投入された。撤退時の 突破を考慮して配備されたそれは絶大な威力を発揮し、魔導車輛を主体に形成されようとしていた前方の阻害が、文字通り吹き飛ぶ。
虎族系混血種の曹長は、膝を上手く使うことで衝撃を吸収しているのか、車輛は射撃の揺れよりも、戦闘爆撃機の爆撃で飛散した建造物の破片や、斃れ伏した 敵兵の遺体を踏みつけることによる揺れが上回っていた。時折、至近で爆発するかのような発砲音と、肌に刺す様な発砲炎の熱のほうが目障り……否、肌障りで あった。
七〇口径長という長大な銃身であり、歩兵中隊に配備されることを前提とした中隊砲は、下部に雪中でも移動が容易にできるように橇が付けられている。後に航空優勢が広く世界に広まった場合を考慮し、対空戦闘の対地攻撃騎対策として四挺を専用銃架に据えつけ、全自動射撃化し、対空照準器を付けることも前提としていた。無論、眼前の曹長が持つ七〇口径二〇㎜中隊支援砲は、これらを装備しておらず、完全な“砲”として機能している。
大通り左右の建造物に叩き付けられた阻害の破片が、民家や商店を大きく損傷させるが、リシアは然して気にしない。車上に飛び交う銃弾を、身を屈めて避けつつ、リシアは地形図を広げた。
「市民生活が大変だな、これは」
「あら、補償は神祇府持ちに決まってるじゃないの」
揺れる車上でリシアはトウカと軽口を叩く。トウカは常に笑顔を張り付けており、同じく車内にいる降下猟兵達もそんな影響を受けてか武器を振り回しながら も猛々しい笑みを浮かべている。降下猟兵の選考基準が、戦争を楽しめる変人、という噂は、或いは事実であったと思わせるに十分な光景であった。死の羽
音……高速で飛来す弾丸や砲弾が生み出す風切り音が響き渡る中での一幕だが、何故か、リシアは自分でも驚くほどに落ち付けた。指揮官として泰然自若に振る 舞うトウカという存在が大きいのだと改めて実感する。
「ッ! 参謀殿、前方に対空砲!」一人の降下猟兵が前方を指し示して叫ぶ。
恐らくは車輛の通行を諦めてまで、対空戦闘時の射界を確保しようとした対空砲部隊がいたのだろうが、大通りの交差点がものの見事に三門の対空砲で塞がっ ていた。小隊規模の人員が操作要員として対空砲に取り付いているが、此方に気付いたのか砲身を旋回させようと動き始めていた。
「曹長!」
「弾切れです!」
「構わない、速度を上げろ! 曹長! すれ違いざまにその長物で対空砲を叩き潰せ!」
トウカの叫びに曹長は一瞬、虚を突かれたが、直ぐにその意味を察して、勇ましく笑いながらも、銃身過熱を気にすることもなく、銃身を両の手で掴む。戦闘の高揚感で砲身加熱を感じないのだろうか。前部硝子を叩き割り、小銃や機関銃を突き出して射撃を始める中、リシアは柄付手榴弾を手に取る。
そして、展開した対空砲の間隙を縫う様に通り過ぎようとした瞬間、七〇口径二〇㎜中隊支援砲が振われる。棍棒として。
激しく揺れていた車体が、更に大きく傾く。砲架の端を車輪が踏んだのか、今までにないほどに傾くが、激しい金属音と共に車体は再び車道へと叩き付けられる。
「良くやった、曹長! 勲章ものだ!」
「上から思いっきり叩き付けてやりましたわい!」
砲身が折れ曲がった七〇口径二〇㎜中隊支援砲を投げ捨てた曹長が呵々大笑する。
対空砲を叩き潰すことで魔導車輛の姿勢を正したのだろうが、余りにも強引なやり様に、リシアは呆れ返る。破壊された対空砲を避けて、降下猟兵が分乗した 魔導車輛が次々と通過するが、只で通り過ぎる降下猟兵ではない。通過する瞬間、残存する二つの対空砲に向かって手榴弾を投げ入れ、そして火炎魔術で弾火薬 箱を狙う。
背後からの爆発音を背にリシアは、横で簀巻きにされて転がっているレオンディーネに視線を落とす。生きているならば、屋根にでも括り付けて楯に使えるの ではないかと考えたが、流れ弾で死なれて勲功が遠のくのは避けたいと考え直す。唸っているレオンディーネを爪先で蹴飛ばして黙らせた。
「追跡劇にならないだけマシか……」
「訳の分からないこと言ってないで、作戦を考えなさい! 正面が塞がれる方が早いのよ!」
リシアの言葉に、トウカは鷹揚に頷くと、魔導車輛の天井を叩く。
それに応じるかのように周囲に翡翠色の光が満ちる。
天井にはベルセリカが座っており、強力な魔術陣を次々に展開し、左右の建造物に手当たり次第に撃ち込んでいた。その破片が大通りに降り注ぎ、大通りに飛 び出そうとしていた敵兵達を襲う。中には建造物から狙撃を敢行しようとしていた部隊を、建造物諸共薙ぎ倒すという荒業まで行われる段階になって、セリカと
呼ばれた女性の異質さを理解した。レオンディーネと刃を交えていた時でさえ、戯れに過ぎなかったのかとさえ思える光景である。
「見てくれだけだ。目的は大通りに建造物の破片を撒き散らして、追撃を遅らせる為に過ぎん」
「民間施設への攻撃は最低限に抑えるのでは?」
「最低限だ……それよりも、どうやら行き止まりのようだな」
トウカの言葉に、リシアは割れた前方硝子を挟んで正面に目を凝らす。
そこには、クレンゲルⅢ型歩兵戦車が二輌、正面を土地中央部、つまりはリシア達に向かって展開していた。クレンゲルⅢ型歩兵戦車は、車体前部に戦闘室を 備え、短砲身の五〇㎜砲を二門、正面に配置しているので、リシア達に向かって計四門の短砲身五〇㎜砲が指向していることになる。
「脇道に入りなさい!」リシアは運転席を蹴り飛ばし、指示を出す。
トウカはリシアの指示に対して頷くだけで、何も言わない。口を挟むのは問題がある時だけであり、それはリシアの能力を推し量っているようにも見える。し ていることと言えば、征伐軍総司令部突入戦で鹵獲した大量の武器の弾倉を抜き取り、既に持ち込んだ小銃や試作型短機関銃、機関銃の銃弾を射耗し尽くして鹵
獲した小銃を用いている降下猟兵に差し出すという事だけを行っていた。恐縮しながら受け取っていた降下猟兵達も今となってはトウカに気を払う暇もなく、応 射に勤しんでいる。
急旋回する魔導車輛。
ベルゲン内での移動のみに高官が使っていたであろう魔導車輛は、非装甲車両であり、小銃弾が貫通する為に魔導士が必死に魔導障壁を展開しているが、今となってはセリカと、トウカに呼ばれる女性の広域魔術の連続行使の前に、征伐軍は攻撃どころではなくなっていた。
大通りを逸れて、小道に逸れたリシアの搭乗する魔導車輛に、降下猟兵六輌が続こうとするが、急旋回に遅れた最後尾に位置していた車輛が短砲身五〇㎜砲の直撃を受けたのか、爆発と共に車体を大きく浮かせて、その後、硬い石畳へと叩き付けられて炎上する。
部下の死が初めてという訳ではないが、目の当たりにすれば冷静ではいられない。
「あのセリカとかいう女なら戦車くらい破壊できるでしょ!」
そもそも、最後尾の車輛はラムケが搭乗していたはずであり、リシアとしては幼少の頃からお世話になった人物の死に対して冷静ではいられなかったが、その点を口に出すことはない。我が身は軍人であり、ラムケもまた軍人なのだ。
「破壊できても、大通りに残骸が残れば通過できない。輪胎が残骸を踏めば終わりだ」
この時、装甲戦闘車輛は、この大通りにあって破壊してはいけない対象であった。爆発によって生じた鋼鉄の鋭い破片を護謨製輪胎が高確率で踏んでしまうからだとリシアは理解したが、一瞬でその判断をしていたであろうトウカの背中を見て舌打ちをする。
「この辺りまで装甲車輛が出ているのは予想外だ。何かあったのだろう」
「総司令部から不通になった事を懸念した部隊がいたのでしょうね。まぁ、装甲車輛を街中に投入する……大通りに展開するとなるとそれだけじゃないかも知れないわね」
「御二人さん、それよりも道の指示をお願いしますぜ!」
虎族系混血種の曹長が、小銃に新たな弾倉を差し込みながら、尻尾を振る。
リシアは助手席の伍長の階級章を付けた降下猟兵に迂回路を書いた地図を渡し、小銃を手に取る。対するトウカは、隣で軍刀を抱えたままに沈黙を続けるだけで、異論を挟むことはなく、信頼されているのか、丸投げされているのか判断に悩むところであった。
六輌の魔導車輛が狭い道を駆ける。
右に左にと揺れ動く車内で、リシアは思考の海へと意識を鎮める。
時折、通過する魔導車輛を不審な目で見る征伐軍兵士や、空き地に展開している対空砲を見かけるが、やはり情報伝達がされていないのか迎撃されることはない。弾痕があり、前部硝子が
割れていたとしても、戦場では珍しいことではなかった。ましてや搭乗している魔導車輛は征伐軍のものであり、それを示す認識番号も車体に描かれている。故 に敵と認識されず、一瞬で通過する為に確認するものもいない。疎らになったとはいえ、未だベルゲンの空には戦闘爆撃騎が、近郊では装甲部隊が跳梁跋扈して いる状況で、友軍しかいないはずのベルゲン内部に注意を払う者は皆無と言ってよかった。
――おかしいわね。戦車部隊は大通りで何を警戒していたのかしら? 私達の存在が露呈しているなら他の部隊も迎撃に現れるはずだけど……
対空砲は総司令部に近い位置に展開していたので情報が到達していたのかも知れないが、戦車に関しては総司令部と比較的離れた位置に展開していた。別の原因があると見るのが自然である。
「ハルティカイネン少佐。そろそろ大正門付近に戻るぞ。唸っている暇があるなら、準備をしてはどうか?」
「了解よ、参謀殿」
リシアは肩を竦めて小銃の動作確認を行いつつ、窓側に身を寄せる。
小道の先に見え始めた大通りの光景に、リシアは槓桿を引き、降下猟兵達もそれに倣い、即応できるように各々の武器を持つ手に力を籠める。
そして光が満ちた。
アリアベルがトウカの正体に気付かなかったのは理由があります。