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第八三話    大宴会と仔狐





 トウカは、ミユキに見られたのだと悟る。

 言い訳をさせて貰えはしないだろうかとは思うが、それは見苦しい行為であり男としての評価を下げるだけではないのかと逡巡する。

 ――そもそも恋人がいながら、他の女性に言い寄られたからといって押し退ける事すらできなかったなど……

 これでは女誑(たら)しではないか、とトウカは頭を抱える。

 あの時、リシアの狂おしいまでの感情の発露に、トウカは気圧されていた。装甲という棺桶に密閉された車内で指揮を執りながらの機甲戦も、息も詰まるほど の重圧感があったが、それに匹敵するのではないかと思えるほどの威圧感。女性の恐ろしさを改めて思い知ったトウカであったが、目の当たりにしては、やはり 沈黙するしかなかった。

「くそったれめ……」

 自分の優柔不断に腹が立つ、と立ち上がる。

 優先順位は明確に決めていたのではなかったのか。

 戦闘ならば自分の感情が介在しようと鎌首を擡げる以前に、圧倒的な“戦意”がそれを許さずに、最善の作戦を立案しようと蠢動する。その様に教育を受けて いたとはいえ、それが色恋に通じないのは話が違うと叫びたい心情であった。無論、色恋が感情から出る産物である以上、冷徹なる“戦意”が、それの解決に何 ら寄与するものではないことも重々承知しているが、釈然としない気持ちが渦巻くのは止むを得ないことと言える。

 屋敷の自室で如何したものか、とトウカは窓際に寄り、夜の帷が降り始めても尚、光の絶えない城下町を見据える。

 だが、屋敷の前に大きく取られた練石(ベトン)製 の広場には、〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉の車輛が所狭しと並び、技術者や整備士、工兵達から修理を受けていた。ベルゲン強襲は、戦果から見ると華麗なよ うに思えるかもしれないが、実情としてはマリアベルの鶴の一声で製作されたⅣ号中戦車の想像以上の足回りに任せた長躯進撃でしかない。だが、その代償とし て駆動系に大きな負担が掛かったことは間違いない。戦勝祝いで湧く城下にも行けず、修理の為に駆けずり回っている者は多い。中にはタンネンベルク社から自 発的に出向してきた研究者達も居り、寒い中で油塗れになりながらも修理に励んでいる。

「酒でも持って行ってやるべきか……」

 今ならば酒屋も掻き入れ時とばかりに酒類を売り捌いているであろうことは疑いなく、待機中の衛兵と領邦軍司令部付の魔導車輛を回して輸送させればいいとトウカは思い付く。

 征伐軍の混乱は相当なもので、混乱する通信魔導波が頻りに飛び交い、上級部隊への指示を求めているであろうことは指向性を解析することで大凡の見当は付 いた。マリアベルが一足先に帰還してきた〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉隷下の戦闘爆撃航空団を隷下の航空兵力と統合し、頻りに通信用の魔導波を放っている 地点を重点的に爆撃したことも影響している。中級部隊以上の司令部の多くは各戦線で甚大な被害を受けていた。エルネシア連峰を飛び越えて飛来する帝国軍騎 を迎撃する為、ある程度の対空戦闘技術が発展している北部貴族領邦軍が構成する蹶起軍とは違い、皇国中央部に展開していた部隊が殆どの征伐軍は対空戦闘が 軽視される傾向にあり、戦果拡大は比較的容易であった。

 トウカは空を往く哨戒騎を見上げ、この一連の作戦に於ける最大の功労者はマリアベルに他ならないことを実感した。Ⅳ号中戦車や列車砲はマリアベルの鶴の 一声で開発された経緯があり、航空騎も容易く数を増勢できたのは、有事に“北領航空郵便”の翼竜や飛龍とされていた航空騎を徴発できるように法整備を行っ ていたからであった。トウカも北領航空郵便が充実した航空技術を有しているという話は聞いていたが、この為であったとも取れなくはない。

 マリアベルはトウカがいなくとも現状を打開するだけの戦力を保有していた。

 だが、それを効率的に運用する術を持たなかった。考えてみれば、政府によって制定された北部貴族領邦軍の制限に装甲兵器数や航空騎、戦闘艦艇などは含ま れていない。あくまでも兵数や装虎兵、軍狼兵の数だけが制限を受けているので、それを順守する形での軍備拡大の成れの果てとも取れなくはない。規制されて いない兵器を手当たり次第に拡充したという印象を受ける。

 自室に備えられた通信機を手に取り、衛兵の詰所に回線を開きつつ、トウカは益体もないことを考える。

 決して現実逃避ではない。高度な戦略的視野に基づいたマリアベルの隷下の軍事力に対する推察である。

「ああ、大尉。外で戦車の整備を頑張っていてくれる者達に酒を振る舞いたい。酒とつまみを手当たり次第に俺のツケで買ってきてくれ。無論、宴には君達も強制参加だ」

『はっ、何処までもお供いたします!』

 喜悦の混じった即答に、受話器を手にしたトウカは、苦笑する。

 受話器を元に戻し、トウカは壁に掛かった軍高官用大外套を手に取り部屋を出た。








「主様……」

 ミユキは自室から、屋敷の外に拡がる広大な練石造りの広場を見下ろす。

 室内は防寒術式の刻まれた壁、温度調整の為の術式が刻まれた床に挟まれており、外とは違い快適であった。特に部屋の中央に設えられた掘り炬燵に収まって いるリルカは、寒さ知らずであろうことは疑いない。既に半日も同じ状態なのだから、それは異論を差し挟む余地もなかった。

「そんなに気になるなら行ってはどう?」

 リルカの呆れた声音に、窓際のミユキはとんでもないと尻尾を一振り。

 ここは大人の女性としての余裕をみせねばならない。マリアベルの言葉もあるが、それ以上にトウカは年上の女性に対して心を開く傾向にある気がしてのことであった。目くじらを立てて子供のように騒ぎ立てては本末転倒であるという認識が、ミユキの心中で成立しつつある。

 実際のところ、トウカは年上に心を開く傾向があるというのは決して間違いではないが、ミユキが例に挙げるマリアベルやベルセリカは、トウカと対等な立場 にある。気負うことのない立場……つまり前者は共犯者として、後者は騎士として相対しているからであって、女性として意識せずに済むという前提がある。無 論、女性として意識してしまえば大いに混乱するであろうが、ミユキはその点を理解できていなかった。

「此処は好機を窺うべきですよっ! 恋も電撃戦です!」

 ミユキは、リルカが驚く間もなく、滑り込む様に掘り炬燵(こたつ)へと入る。

 狐族の狩猟技の中に魅了(チャーミング)という ものがあり、小動物は狩人である狐族を見つけると直ぐに穴に逃げこむが、狐はそれを知っている。なので、食事中の獲物を見つけると獲物が逃げない程度に距 離をおいて、狐に転化した姿で尻尾を振り続け獲物の興味を引く。そうすると獲物はその尻尾に好奇心を持ち見入る。そして獲物が確実に捕らえられるほどの距 離になると飛び掛かって一瞬の内に捕まえてしまう。狐は素早く、例え雪の下に獲物がいたとしても、真上から一気に飛び込んで捕獲することもできる。

 そんなミユキの先天的な能力の無駄遣いに微笑むリルカ。

「大人の女性としての余裕は、待つ事ではないのだけど……あまり時間を掛けすぎると感電死するかも」

「電撃戦の危険性は盲点です……」

 トウカの行った先進的な電撃戦という戦術は号外でも大きく取り上げられているが、その実情は全くと言っていいほど公開されていない。これは情報部の手に よるもので、この電撃戦に対する情報収集能力を以て各新聞会社の危険性を推し量ろうとする意図があったのだが、領民の間では電気を使った素早い戦術なのだ ろうという勘違いが噴出していた。

「じゃぁ、リルカちゃんが妙案をもふっと出してよぅ」

「も、もふっとは……ない事もないかも」リルカが柑橘類の皮を捨て、薄く笑う。

 歌姫だが、この戦勝祝いでは歌をそっちのけで酒精(アルコール)の 摂取に励む者が多く、歌手などお呼びではないとリルカはミユキの部屋に避難してきたのだ。無論、勇ましい歌を御願いしたいという声に戦略的撤退を試みたと いう一面もある。リルカは基本的に政治的に利用されることを忌避し、軍や統治機構からの直接な依頼は一切受け付けない。

「大宴会中の恋人さんは、今は皆に囲まれているけど、宴も終盤なら簡単に連れ出せる……しかも、酒精が入って程よく判断力が低下しているから好機かな」

「はっ! リルカちゃん、天才です!」

 尻尾を大きく左右に揺らしてミユキは、名案だと掘り炬燵の天板を両手でばしばしと叩く。

 無論、そうは言ってもトウカは今作戦最大の功労者と目されており、一言でも言葉を交わそうと一兵卒に至るまでがトウカを囲んでいる事は想像に難くない。

「私が歌で他の人達の意識を逸らしてあげるから、ミユキは彼氏さんを何処かに連れ出して“思い出”を作りなさいな」

「でも、兵隊さん達が離れるかな?」

 酒豪に囲まれたトウカが拘束されて動けない可能性も少なくはない。兵士とはその職業柄、酒や女性に逃避することも少なくなく、それらに対する耐性も高かった。端的に言うなれば、ザムエルやザムエル、ザムエルなどである。

「なら、私が何曲か先に歌って意識を逸らすから……もう、ここまで私がしないといけないなんて。電撃戦はどうしたの?」

「やっぱり、電気は尻尾の毛が乱れるから嫌です」

 やはり電気は宜しくないとミユキは思い直す。自慢の尻尾が大噴火しかねない。ただでさえ冬場にあって静電気の猛威に晒されているというのに、この上、電気まで流すと死活問題である。尻尾は狐の命なのだ。

「時は来ちゃいました! 総力戦です!」

「う~ん、二人だけの総力戦は寂しいと思うけど無理ではないかな。時間的にはもう少し暗くなってからの方がいいと思うけど」

 ミユキは、リルカの言葉に大きく頷く。

 奇襲こそが戦争における最も重要な要素である、とトウカも口にしていたので、夜襲はミユキも賛成であった。飲んだくれも粗方撃沈した時こそが好機であり、トウカが酒精で判断力が鈍っていれば言うことはない。

 仔狐と歌姫は掘り炬燵(こたつ)越しに、角を突き合わせて作戦会議を始めた。

 全ては決定的な結果を求めて。











 トウカは背を這う悪寒に身を震わせる。

 咄嗟に背後に視線を向けるが、不審な影はない。人間種でしかないトウカでは、この大宴会の最中に在って、ヒト一人の気配を探る事など不可能と言えた。

 そう、一心不乱の大宴会である。

 五〇〇名近い者達が飲んで騒いでいるのだ。最早統制の取れたものではなく、トウカが音頭を取って直ぐに会場は混迷の度合いを深めた。トウカ自身も整備班長や工兵士官、技官などに囲まれて談笑に勤しむこととなった。次々と硝子杯(グラス)に注がれる白麦酒(ヴァイツェン)が減らないのは、トウカが一口飲む毎に近くの誰かが注ぐからである。正直なところ迷惑以外の何ものでもない。こうした場合、空になった硝子杯を反対に向けて置くのだが、明らかに注がれる速度の方が早く、硝子杯を引っ繰り返すことはどう努力してもできない。

 ――しかも、この硝子杯……無駄に大きい。

 通常の倍近い内容量の硝子杯に、トウカは顔を引き攣らせる。周囲を見回してもトウカと同様の硝子杯を使っている者はおらず、恐らくは誰かが無駄に気を利かせて主賓扱いしてくれた結果だろうと内心で溜息を吐く。

 その間にも、何故か大宴会に混じった輜重科の女性士官が“無駄に”気を利かせて新たな白麦酒(ヴァイツェン)を注いでくれる。目線で勘弁してくれという意志表示をするが、容姿の優れた耳長(エルフ)族の女性士官は淡く微笑むだけであり、周囲もそれを見て笑うだけであった。

 トウカの周囲には女性士官が異常に集中していた。トウカが予算編成にまで口を挟める立場にあることを見越し、各兵科の高級将校が見目麗しい女性士官を送 り込んできたのだろうと、表情には出さずに胸中で嘆息する。自らが率いる、或いは所属する兵科への予算増大を意図しているのだろうトウカは考えた。

 だからこそ意識せずにトウカは対応できた。

 背景を伴う打算を持って近づいてくる者に対し、トウカは過剰な程に冷静になることができる。逆に邂逅時のミユキや凱旋式の様に迫ってきたリシアは打算があったとしても、それが己の感情に起因するものであったからこそ対応に苦悩することが常であった。

 実際のところ、トウカの周囲にいる女性士官は優良物件発見とばかりに押しかけてきているか、その軍人らしくない優しげな風貌に惹かれただけに過ぎない。

 無論、中には予算獲得を意図して送り込まれた者も居り、少し離れた位置では、各兵科の高級将校が「戦列を乱すな、押しが弱い、押しが!」や「胸の口径が 戦力の決定的な差であることを示せ!」「いや、ここは小柄で機動力を重視した艦艇で攻めるべきだ!」「何でもいい、兎に角、一騎でも飛ばすのだ!」とい う、微妙に兵科が分かる様な指示か飛んでいるのだが、一心不乱の大宴会による喧騒の中、人間種の聴覚しか持たないトウカでは捉えられない。

 将兵達は楽しそうにしている。

 屋敷の警護を臨時で請け負ってくれた諜報部員達にも、後で自身の名義でそれなりの銘柄のウィシュケを送ろうとトウカは思いながらも兵士達の笑顔を見回 す。屋敷前の大広場は、冬場の宴会には全くと言って適さないのだが、機甲科の整備班が野戦魔導機関を持ち出して魔力を確保。輜重科の資材部が野戦防寒術式 を展開する為の中空線(アンテナ)型魔導杖を持ち出して展開するという連携を見せている。機械部品の集合体である装甲兵器を運用する機甲科は資材の消費が多いことから輜重科との繋がりは強い。他にも幾つかの兵科が無駄に高い連携を、この一心不乱の大宴会の最中で見せている。

 Ⅳ号中戦車の長砲身を鉄棒代わりにしている兵士を遠目に、トウカは思案する。

 ――装甲兵器の修理だけでも一ヶ月は見た方がいい。急かして戦場で擱座しても笑えない。

 砲身が腔発したり、排水口に転落する様な戦車になって貰っては困る。航空騎も潜孔(マンホール)に撃墜されるようでは困るので、十分な休養を取らせねばならない。次回の戦闘が比較的早い段階で行われるのならば、〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉の参加は見合わせる必要も出てくるだろう。

「おう、トウカ楽しんでるか! 何だぁ、不機嫌な(つら)しやがって、楽しめよ!」

「貴方を呼んだ覚えはないのですがね、戦闘団司令殿」 

 両手に華といった風体で、耳長(エルフ)族と黒猫族の女性士官を侍らせたザムエルに、周囲の兵士達は立ち上がる。肩に輝く准将の階級章はこの場にあって最高位であり、領邦軍内でも数人しかいない将官となれば態度を変えざるを得ない……などということはなく、立ち上がった女性士官がザムエルに平手打ちを加える。

 突然の痴情の縺れであった。

 娼婦だけを相手にしているものとトウカは思っていたのだが、そうではないらしく外野がその光景を見て囃し立てる。日常的な光景なのだろう。上官であった としても激情した女性士官が、その点を斟酌するはずもない。女性はどちらかと言えば情に流される傾向の者が多く、また例外である女性は苛烈な者が多いとい うのが、トウカの偏った経験則に基づくどうしようもない事実であった。

 遠方に引き摺られて、襤褸雑巾にされているであろうザムエルの悲鳴を耳に、トウカは白麦酒(ヴァイツェン)を煽る。

「ウチの大将が済みません、サクラギ代将閣下」

「カリスト中尉……いや、大尉か。機甲科もかなりの数が来ているな」

 済まなさそうな顔もせずに現れたカリストの言葉に、トウカは周囲に視線を向ける。先程に比べて人が増えているのは気の所為ではないだろう。

 歩兵科などの軍装と比べると戦車兵軍服は丈が短く、下襟が小さい。その下襟が小さいがゆえに、領邦軍戦車兵の前合わせは垂直になっている。黒色の軍袴(ズボン)も若干異なり、狭い戦車内で引っ掛からない様に大型の左右膝外側の衣嚢(ポケット)がなく、機甲科の特性に応じた簡素なものとなっていた。その上、領帯(ネクタイ)襯衣(シャツ)も黒であることから、傍目には不気味なほどに黒い。憲兵隊に準ずる黒さである。無論、憲兵は心も黒いが。

 ――ヴェルテンベルク領邦軍の各兵科の軍装の色は、心の色に比例するなんて話があったな。

 憲兵隊がずば抜けて黒いのは当然だが、それに追随するのが機甲科であるというのは、その代表的な将校であるザムエルからは想像が付かなかった。

「しかし、大繁盛ですねぇ。他の兵科の奴も酒とつまみを持参して混ざっているようですし、これは代将閣下の人徳の成せる技ですなぁ」

 硝子杯を打ち合わせ、二人は談笑する。

 人徳と言われれば聞こえは良いが、この大宴会を企画……思い付いたトウカは責任者なので何かあれば、イシュタル辺りから文句の一つでも飛んでくるかもし れない。幸いにしてリシアとマリアベルが連れだって外出しているので、“地震、雷、火事、親父”に続くであろう領主様のお怒りはないに等しかった。

「今日ばかりは羽目を外しても罰は当たらないだろう。敵襲もあの混乱ではないことは間違いない。あったならばそれはそれで航空部隊の良い的だろう」

 偵察騎に、視覚に優れ、その上、魔術によって更なる相乗効果を齎せる耳長族の兵士を搭乗させて索敵網を形成しているので、これを誤魔化してのフェルゼン直撃は難しい。

「それで、そちらの御嬢さん(フロイライン)はどちら様かな?」

 カリストの横に立つ女性に視線を巡らせたトウカは、金の短かな髪をした耳長族の女性に敬礼する。馴れた動作で敬礼を返す耳長族の女性の佇まいから軍人と しては長いのだろうと推測する。耳長族は中位種であり、高位種には及ばないものの、人間種と比較すると、やはり圧倒的なまでの寿命を有していた。

 この《ヴァリスヘイム皇国》には、ヒトは見た目に依らない、という言葉が満ち満ちている。

「ミカエラ・メルトマン大尉です、代将閣下。〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉、〈第一装甲聯隊『ラインバッハ』〉、第二大隊、第一中隊隊長を任されておりました」

「一応、俺の姉貴分なんですがね、どうしても代将閣下と話したいというので……」

 トウカは鷹揚に頷いて見せる。

 輜重科の佐官や〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉の大隊長以上の職級の者とは言葉を交わすことが多々あったので、この一心不乱の大宴会が始まると同時に幾人かが自分の部下や上司を連れだって”挨拶“に来ていた。

 トウカを推し量ろうとするものもいれば、今回は顔合わせだけで十分だと判断するものもいる。不用意に売り込もうという猛者がいないのは、トウカの背後にちらつくマリアベルの影を理解してであり、それぞれの思惑がこの一心不乱の大宴会の中で渦巻いている。

 暴君の逆鱗に触れたいと思うものはいないのだ。

 肘打ちでカリストを黙らせたメルトマンに、トウカは苦笑する。姉貴分と言うのは決して誇張ではなく事実のように思えるが、フェルゼンの女性の多くは、マリアベルの影響を受けているのか自己主張が激しかった。領民は領主の影響を受けるのかも知れない。

「メルトマン大尉。済まないな……君の中隊の被害は大きかっただろう」

 第一大隊がザムエルの直卒であり、第二大隊が戦闘序列で先鋒を務めることは不思議なことではない。しかし、機甲部隊の於ける先鋒とは通常の基幹戦力の突 撃とは違い、敵戦力が防禦態勢を取っていたとしても強引に楔を打ち込む役目を負っている。それは戦車の専売特許でもあるが、被害を受けない訳ではなく戦車 や魔導士、対戦車砲の抵抗を受ければ被害は増大する。

 トウカとしてはこうした場面でこそ重戦車を運用したいと考えていたが、重戦車という種類の兵器はトウカの一声によって開発が行われ始めたばかりである。

 傾斜装甲や空間装甲(シュルツェン)、長砲身砲などの技術を盛り込み、開発が継続されているが、V型一〇気筒方式や水冷方式、自動変速機(オートマチックトランスミッション)魔力過給機(ターボチャージャー)などの技術開発も同時に進めているので、開発は順調ではない。

 しかし、タンネンベルク社が中心となっていることに加え、重戦車以外の開発はⅣ号中戦車の懸架装置をトーションバー式、魔導反発圧式を併用した新型のものに更新する為の技術取得だけであり、開発者と技術者もそれらに集中している。

 銃器開発をアイゼンホルスト重工へと一任したことも大きく、タンネンベルク社がタンネンベルク財閥を中心とした複合企業(コングロマリット)であっても、重工業部門の規模には限界がある。一社で開発と生産を担うことは難しく、生産に関してもヴェルテンベルク領内の各重化学工業企業に委譲し始めていた。

 通常であれば自社の権利が流出することをタンネンベルク社の経営陣が納得するはずがないように思えるが、それを成したということはマリアベルの影響力が 絶大であることを示しているとも取れる。そもそも、タンネンベルク財閥自体の成立理由が、貴族がその収入に応じて課される税金を支払うことを逃れる為に、 マリアベルが独立した財源を欲したことに起因する。マリアベルは金銭を投じる際は躊躇わないが、渋る時は徹底的に渋る。余分な金があるならば経済改革と重 工業化に金銭を投じると公言して憚らず、「中央に金銭を投じるならば、それは経済戦争の始まり以外には有り得ぬ」と言い切ったことでも有名で、政府の官僚 に対して強硬……否、恫喝する姿勢すら見せた。

「もし、新型戦車が配備され始めたら、君達の部隊には最優先で配備させよう」

「それは噂の? 代将閣下が新型の開発を命じられたとは知っていましたが……えっと、光栄です!」

 新型兵器を優先的に与えられることは武勲を認められることに等しく、それは軍人にとって何物にも勝る名誉である。無論、戦場では新型兵器などは最優先で 目標とされるが、数少ない新型兵器を任されるということは友軍からすると羨望の的であり、特に貴族の私兵としての側面が強い領邦軍に在っては最高指揮官で ある領主に気に入られているに等しい。

「それは小官もですかな、代将閣下?」

 カリストの言葉に、トウカは間髪入れずに頷く。二人の装甲部隊指揮が神速にして理に基づいたものであったことは戦闘詳報に記されていた。トウカからする と〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉で、中隊以上の装甲戦力を率いていた指揮官は全て昇進させ、蹶起軍統合後に聯隊や大隊規模の戦力を統率させる心算であっ た。

「まぁ、新型は設計段階だ。試作型ができるのは、早くても半年は掛かるだろうが……」

 ヘルミーネが熱心になっているが、重戦車は車体重量が増大する為、既存の魔導機関では出力が足りないことに加え、トウカも高性能を要求した。

 強烈な加速力を実現する為の強力な魔導機関。敵戦車や魔導士の対戦車攻撃の照準を目的とした魔力照射を検知機が探知、同時に警報が発せられるという最低限の時間差(タイムラグ)と、加速力を駆使して回避機動を可能とするだけの機動性能。その高機動性を発揮する高性能魔導機関はV型一〇気筒方式や水冷方式、自動変速機(オートマチックトランスミッション)魔力圧搾過給機(ターボチャージャー)、弾帯、弾倉(ベルト・マガジン)方式の自動装填装置、集束させた魔力波の照射を利用した射撃統制装置などの新機軸を盛り込んだ重戦車。当然のことながら開発は難航している。

 実は、トウカは他にそれらに匹敵する戦車が周辺で開発されている気配すらない以上、新機軸を現時点で盛り込む重戦車は現時点では必要ないと考えていた。 必要以上の性能を求めて配備と量産が遅延するという理由もあるが、下手な技術力の加速を他国に促す結果となる事を一番に恐れていた。

 そもそも、内戦での実戦投入も想定していない。

「先の話だ。ちなみに新型戦車の開発自体は軍機ではない。派手に広めてくれていい」

「あれほどに派手な勝利を勝ち取った戦車以上の兵器を作っていると知れば、敵味方関わらず周囲はヴェルテンベルク領に配慮せざるを得ないという事ですね?」

 メルトマンの言葉に、トウカは鷹揚に頷く。

 ヴェルテンベルク領は、クラナッハ戦線での戦術的大勝利に加え、ベルゲン強襲に続いた征伐軍総司令部壊滅、新鋭戦艦二隻の艤装開始など、本来であれば国 軍が報じるべき規模の喧伝の数々。蹶起軍と征伐軍だけでなく静観を決め込んでいた貴族や軍、官僚も瞠目したことは間違いない。ヴェルテンベルク領邦軍が単 独で戦っているようにも見える程に活躍している。

 マリアベルも宣伝(プロパカンダ)戦に精を出しているに違いない。

「暫くは政治の季節だと思いたいが、征伐軍が無能でなければ残存兵力を集結させ次第、総攻撃を仕掛けてくるだろうな。我らはそれに応じねばならない」

「機動防禦ですね? 代将閣下が御書きになられた機甲戦術書にも書かれていましたが……やはり」

 メルトマンが息を呑む姿に、トウカは肩を竦める。

 既に最悪の状況に対する布石は指示してあり、それに合わせた兵員と武装の調達も始まっている。トウカもフェルゼンに滞在するのは二週間程度で、その後は 暫く艦隊を指揮してシュットガルト運河を通過後、大星洋沖に位置する各々の貴族に対して砲艦外交を行わねばならない。戦艦二隻は、元より完成していた主砲 塔を門型起重機(ガントリークレーン)で搭載し、 電装系や内装を取り付け、副砲や対空機銃の設置に加え、弾火薬や糧秣の運び込みが続けられていた。トウカがマリアベルと今後の方針を決めた後、直ぐに始 まったので二カ月近い時間が用意されていたことになるが、本来であれば戦艦の艤装は一年近い時間を掛けるものである。戦闘や航海に関する項目以外は大部分 を切り捨てての計画であった。

「君達には期待している。征伐軍が攻め入ってきたら、その戦列を縦横無尽に斬り裂いてやれ」

「しかし、それには我が領内に攻め入って貰わねばなりませんな」

 カリストの皮肉を湛えた笑みに、トウカは「それはどうか」皮肉げな笑みを返す。

 蹶起軍の指揮系統統合が成功すれば、蹶起軍が有する戦力を一元に指揮できる総司令部が誕生する。その防禦行動も各戦線に各貴族の領邦軍を当てるという場当たり的なものではなく、領地や貴族間の温度差に左右されずに純軍事的な兵力配置が可能となる。

 既に根回しは終わりつつあり、一部から情報を流出させることで蹶起軍を構成する北部貴族の領邦軍が一元化されることを匂わせ、北部貴族が一枚岩になって いると思わせることを意図していた。情報部からもさりげなく中央へ情報が伝わるように工作を始めているはずであり、情報部対外課あたりが忙しくしているこ とは容易に想像が付く。

 時間を置けば蹶起軍の指揮統率は強固なものとなっていく。

 それを征伐軍が放置することはない。ましてや後背の中央貴族を気に掛けて戦う征伐軍は長期戦の回避を望んでいる。

 トウカは、そこで急に身を寄せてきたメルトマンを抱き止める。

 メルトマンの背を押したカリストを睨み付けるが、当人は口元を歪めるだけであった。周囲の兵士達もにやにやと笑うだけで咎める者すらおらず、寧ろ、やってしまえと言わんばかりの視線を投げ掛けてくる。

 確かに女性士官を一人横に連れていれば、他の女性士官が擦り寄ってくることもないので、トウカはメルトマンの肩を抱き寄せる。

 それに合わせて兵士達から歓声が上がる。

 耳長族であるメルトマンの特徴的な長い耳を触り、トウカはその感触を楽しむ。美しい女性の肌でもある以上、瑞々しいとは思ってたが、それ以上に柔らかであった。これは癖になりそうだ、と思いつつも、なかなか手放すのが惜しい感触でもある。

 そう、思わず甘噛みしてしまうのも止むを得ないのだ。

 はむはむ。

 そんな擬音が聞こえそうな甘噛みを、メルトマンの長い耳に敢行するトウカ。背後から抱き寄せる形となったが、メルトマンはうなじを赤くして震えるだけで 拒まない。軍人然と拳で押し返されるならそれで良しと考えていたトウカだが、メルトマンが思いのほか女性らしい反応をしたので引っ込みがつかない。横でに やにやするカリストと周囲からの温かい視線に、トウカは軍装の背中が汗に濡れるのを感じた。

 度重なる飲酒でトウカの(たが)も外れつつあったこともあり、当人にあまり危機感はなかった。

「ええっ、私っ…こんなのは……は、はじめてで…ごめんなさい……」

「……いや、こちらこそ申し訳ない」

 触れ合い(スキンシップ)を喜ぶミユキを基準にするのは間違いであり、許可を得ずに種族的な部位を触ることは好ましくない。言ってしまうと痴漢同然であ る。しかし、軍内部に在っては性に関しては大らかな者が多く、軍という閉鎖的な組織では格好の話題を提供するという意味合いから上官が黙認することも多 い。無論、ザムエルの様に当事者……話題提供者になる指揮官もいるが、それはあくまでも極めて少ない例に過ぎない。

「今の代将閣下ならば、どんな女性でも撃破できますな。羨ましい限りで」

「別に戦野から戻ってきて顔の形が宜しくなったわけではないだろうに」

 メルトマンの長い耳から口を離し、垂れる唾液を右手で拭いながらもカリストの言葉に反論する。戦場から帰還して、それ相応の階級と立場を得たからこそ女性が寄ってきたのだと考えるトウカに、カリストが盛大な溜息を零す。

「分かっておられませんな、代将閣下は。いいですか、顔なんて最低限であれば、軍人なんてのは十分なんですよ。でもって、重要なのは階級でもなければ身体能力でもない……我らが戦闘団司令官殿を見れば嫌でも分かると思いますが」

 果てしなく酷い言い様だが、ザムエルの女性関係を見ると理解できなくもなかった。娼婦が圧倒的に多いが、領民や女性兵士、士官も少なくなく、それでいて 手酷く扱われても本当に嫌われている訳ではなく、どちらかと言えば“仕方のない人”という扱いを受けているのか最後には皆が笑顔になっている。それは、遠 方に見える、頬を膨らませながらもザムエルと背中合わせに座る女性士官の表情を見ればよく分かろうというもの。

 白麦酒(ヴァイツェン)を口に含みながら、トウカは次の言葉を促す。

「勇敢である事ですよ」

 カリストは握り拳を作って、野性的な笑みを湛える。

 想定外の言葉に、トウカは呆気に取られる。

 トウカは、最前線で指揮する新任士官や下士官という将校としての意志と兵を率いる者としての視野と意志を養う時期を一足飛びに佐官として兵士達の上に 立った。その上、領邦軍司令部に追認させる形で立案した作戦計画を押し通したことは、マリアベルに優遇されているとはいえ良い顔をしなかった者は少なくな いはずである。

「俺は最善を求めたに過ぎない……そう言えば聞こえが良いが、血気に逸る傾向のある士官の多い〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉が指揮統制を維持できるとは思っていなかった」

 いざとなれば二、三人ほど莫迦な士官を銃殺にして、トウカはベルセリカと共に督戦隊となるという思惑があったこともあり、自身が参加しないという選択肢 はなかった。友軍士官の射殺と督戦隊を務められるほどの人物を見い出せなかったという理由もあるが、自らが発案した作戦にあって最初の“外道の統率”を他 者に任せることへの忌避感が大きい。

 その点だけが、トウカの立案する軍事行動に在っての唯一の人間らしさと言える。

「閣下は、我らに勝てる作戦を提案し、共にそれを遂行しようと戦闘団参謀になった。これを勇敢と言わずしては、我らは昇進を辞退せねばならなくなりましょうな」

 呆れた口調のカリストに、トウカは顔を顰める。

 自分が勇敢であるなどという自負は、過信は視野狭窄の始まりであるという固定観念と、民族的な奥床しさも手伝って最早、呪いにも似た程に強固な忌避感を持っていた。

「閣下はもう少し笑われるべきですな、年相応に。さすれば女子にも更に好かれましょう。……もし、意中の方が居られるのなら自分を魅力的に魅せる努力をせねば」

 見透かしたかのようなカリストの瞳に、トウカは苦笑する。

 そんなことはトウカも言われずとも理解している。好いた女性に並び立つに相応しい者となるのは男にとっての至上命題とも言えるが、トウカは己を誇ることは難しい。

「若い身空で寝台(ベッド)の広さを持て余すようではいけませ……ぐぅ」

 カリストが突然、脇腹を押さえて蹲ったと思ったら、隣に座っていたメルトマンも黄金の旋風に掻き消える。突然のことに周囲の者達が驚く間もなく、トウカの左腕が力強く掴まれる。

 驚いて向き直ると、そこには剥れた仔狐がいた。

 

 

 

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奇襲こそが戦争における最も重要な要素である

    《亜米利加合衆国》陸軍元帥 ダグラス・マッカーサー



『砲身が腔発したり、排水口に転落する様な戦車になって貰っては困る。航空騎も潜孔(マンホール)に撃墜されるようでは困るので十分な休養を取らせねばならない』

 世界最強の南朝鮮軍の“戦果”である。他にもミサイル艇が直進できなかったり、対潜噴進弾があらぬ方向に飛んで行ったり、近接防御火器を作動させると艦橋を銃撃したりと大層なご活躍をなさっていらっしゃる。