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第六一話    男の意地





「ハルティカイネン少佐」突然の声。

 慌てて振り向こうとしたリシアの首筋に冷たい感触が伝わる。刃物だった。

 全く気配を感じなかった。リシアは決して武に優れている訳ではないが、この開けた雪原においては敵の接近の察知は容易であり、展開している歩哨がこれを 見逃すはずもなく、もしこの場にリシアを暗殺しようという者がいたならばそれは部隊内部に間諜や裏切り者がいるということになる。

「貴官は参謀の案に懐疑的なようだな」

「ッ!? ……職務は果たします」

 トウカの手の者か、とリシアは下唇を噛み締める。先程の作戦会議で、リシアは参謀であるトウカの作戦に対しての不信感を顕わにした。無論、些か弱いとは いえ練度や経験なき長躯進撃を理由として、前線の征伐軍に対する撃破行動を最優先するべきだと主張した。前線で優勢を獲得後に、複数部隊による前線の押し 上げによってベルゲンに着実に迫るべきだと頑強に進言し、トウカには不愉快な思いをさせているという自覚があった。

 ――内部の対立者の早期排除……そこまでするの、あの男は!

 後顧の憂いを絶つのは正しい。例えそれが友軍であっても。

 現在、〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉は烏合の衆も同然であった。その上、極めて偏った編制であり、特に歩兵戦力が装甲戦力に比して少なかった。構造上、 死角の多い戦車という兵器にとって歩兵の随伴は必要不可欠だが、〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉は戦車や対戦車自走砲、自走榴弾砲などだけでも三〇〇輌近い にも関わらず、歩兵である装甲擲弾兵(グレナディーレ)は約八〇〇名程度に過ぎない。補給大隊や通信大隊、工兵大隊などの護衛を考慮すれば、戦車の護衛は更に半数程度にまで落ち込む。

「まぁ、普通ならそう考えるな」

 見透かしたような言葉と共に、リシアの右に降り立った将校。

 軍刀を鞘に収めた中佐の階級章を付けた男がそこに立っていた。

「サクラギ中佐……ッ!」

 まさか当人とは思わなかったリシアは慌てて敬礼する。相手が非礼極まりない行動を取ったとしても、軍というある種の上意下達(トップダウン)組織では理不尽な命令や行動も断じて実行せねばならない。

 軍人に必要なのは高い戦闘技術でも指揮能力でもない。大前提としての服従心こそが軍人の根幹を成さねばならないのだ。

 仮に卓越した身体能力をもっていようが、超越的な射撃能力を持っていようが、命令系統が順守されないと軍は殺人組織としての統制を保てない。三文小説に 登場する糞餓鬼兵隊など危なっかしくて使えないのだ。勝手な判断で命令を無視をされると、最悪の場合所属部隊……更に上級部隊まで被害を受ける可能性があ る。

 服従こそが兵隊に最も必要とされる素質。

 トウカの作戦計画が上位存在の承諾を受けている以上、リシアにはこれを否定することはできない。あくまでの細部の変更についての進言だけが己に許される範疇である。

 だが、トウカは作戦計画の一切を任されていた。

 つまり、トウカさえ説得できれば作戦を大きく変更できる。

 しかし、それほどまでの権限を一中佐に与えることは領邦軍にあっても珍しいことで、明らかにマリアベルの意向が関係している。だからこそリシアの舌鋒は 鈍った。尊敬する人物が信用するサクラギ・トウカという人物に一作戦を委ねたという事実はリシアを不快にさせるが、同時に安易に否定できないものとなって いた。何より、リシアがマリアベルから与えられた任務はトウカの支援と観察であった。

 無論、リシアはその経緯を聞いているが、納得できない部分は余りにも多い。確かに優秀であることは、この場にある装甲戦力を見れば一目瞭然だが、リシアはトウカに対して“空虚”という第一印象を持っていた。

 まるで亡国の幻影のように。

 既にヴェルテンベルク領では、サクラギ・トウカという優秀な佐官の存在が当たり前になりつつあるが、リシアにはどうしてもトウカという男に現実感を抱け なかった。遙か先を見据え、足元を疎かにしている為かとも考えたが、性急であるものの正論には違いなく有効な反論ができない。

「中佐……貴方は……」リシアは言葉を続ける事が出来なかった。

 正体を聞いたところで意味はなく、そして何よりもそれを肯定する判断材料もない。聞いてしまえば、作戦会議で見せた相手の反論を先に塞いでいくような言い回しで、尤もらしい嘘を納得させられかねない。

「ハルティカイネン少佐。貴官は口が堅いか?」

「っ! はっ、軍人なれば」

 守秘義務は軍人にとって当然のことである。聞かれるまでもなく、戦友や上級部隊……所属する戦闘組織に不利益となる情報を漏らすことを認める組織は存在し得ない。

「では、少佐は第二装甲大隊長を解任だ」楽しげに嗤うトウカ。

 リシアは絶句する。

 一瞬で理解が及ばない言葉であったということもあるが、それ以上にその笑みに惹き込まれた。

 翳のある笑み。

 リシアは大規模な実戦に参加するのはこの作戦が初めてであるが、トウカの笑みは歴戦の戦士のそれを思わせた。少なくともリディアやベルセリカという一般 常識とはかけ離れた英傑と刃を交え、幸か不幸か生存という奇蹟を勝ち得たトウカにとって、未だ目視すらしていない敵の風聞程度は恐れる理由として些か弱 い。

 何よりもこれから己の策が《ヴァリスヘイム皇国》という国家に齎す影響を考えて、その笑みは凄絶な程に歪んでおり、リシアの疑問の声を封殺した。

「貴官には俺と一緒に特務に就いて貰う」思いがけない言葉。

 解任されて後送されるとばかり考えていたリシアにとっては蒼天の霹靂の一言だが、トウカと共に特務という胡散臭いものに釣られることに対する懸念もあっ た。機甲戦力が偏った部隊による機甲突破という常識外れの作戦を立案するだけでなく、それを実行させるだけの突破力を備えた戦力を生み出した鬼才。

 そんな人間が特務……特殊任務と言うほどの任務。

やはり正気という名の衣裳を身に纏った狂気なのか。

 だが、こんな男に賭けてみるのも悪くない。リシアはそう思った。

 刹那的な感情かも知れない。
 瞬間的な感情かも知れない。
 享楽的な感情かも知れない。

 それでも尚、この男に賭けてみるのも悪くない。リシアには何故かそう思えた。

 どちらにせよ兵力の差に於いても劣る蹶起軍は、戦線を支えきれずにそう遠くない将来、破断点を迎える。故に敵の中枢を叩く事は蹶起軍司令部でも立案され ていたが、戦線を突破しベルゲン近郊にまで迫るだけの作戦を提案できる者はいなかった。戦線全体での積極的攻勢によって敵戦力の大多数を拘束し、抽出した 大戦力で戦線の一部を突破するという策は提示されていたが、ベルゲンまでの距離を比較的短時間で走破できるだけの快速部隊を用意できなかった。驃騎兵(ユサール)や 弓騎兵などの騎兵科自体が、そもそも豪雪地帯でもある北部では能力を十全に発揮できず、北部貴族は運用に消極的であった。その為、どこの領邦軍も騎兵の数 は少なく抽出しても大規模な戦力とならない。そして装虎兵や軍狼兵は元より何処の戦線でも不足しており、無理な抽出は大前提である戦線全体での攻勢による 敵戦力の拘束が失敗する可能性が増大する。

 そう、征伐軍を短期間で追い込むには、トウカが提案した作戦以外に選び得る選択肢はないのだ。

「中佐殿は――」「二人なら呼び捨てで構わない。それが領邦軍だろう?」

 思ってもみない言葉に遮られる。

 領邦軍では古くからの知り合いや友人が多い為、私的な場合に於いては階級を無視して名を呼び合うことは珍しくない。

 郷土師団の延長線上にある領邦軍の長所の一つとして、隣人愛を戦野に持ち込めるという点がある。そして、ヒトという生物が戦野という無慈悲な場所に於いてその“命を賭して闘うに値する理由”は何か?

 国体護持への熱意か?
 朝敵に対する殺意か?
 悠久の大義への決意か?

 否、断じて否である。それは戦野に立ったこともない実戦経験なき軍人の妄言であり、好戦的な民衆の狂言でしかない。本来であれば戦野を知らぬ者が語るこ との許されない領分として“命を賭して闘うに値する理由”が存在する。例え如何なる理由があっても戦人のそれを穢してはならない。

 そして、戦野で刃を振るう戦人の心中を占める感情は、隣の戦友を断じて護らんとする不退転の意志のみである。

 実際に敵を前にして斬り結ぶ時、愛国心や悠久の大義などは銃後の彼方へと消し飛ぶ。ただただ、隣に立つ戦友が無事であることを祈るのだ。己の命を第一と考える者もいるが、大多数は同じ釜の飯を食べて過ごした戦友の笑顔が掻き消えることを断じて許容できない。

 少なくともリシアはそうだった。

 優秀な装虎兵となるという夢の為、その青春の全てと言っても過言ではない時間を費やし、友人と呼べる存在が極端に少なかったリシアですら、隣に立つ戦友 を護りたいという感情を抱いていた。それこそが、マリアベルのヴェルテンベルク領で制定した思想教育の賜物であるのか、或いは生来の気質に依るところかま では自身でも判断が付かない。

 そして、サクラギ・トウカは、リシアに対して対等足らんとした。

 或いは、それほどに生還率の低い任務に付き合わせることに対する引け目かもしれないが、少なくとも自らを選択した事だけは評価しても良いと、リシアは笑みを零す。

「了解です……いえ、分かった、サクラギ。私も好きに呼びなさい」腕を組み、リシアは勝気な笑みを浮かべる。

 精一杯の強がりである。この鬼才とも狂人とも取れる男に、容易く飲まれるほど己の意志は弱くないと見せつけねばならない。それが装虎兵兵科学校で主席の座にあったリシアの矜持であった。

「それで、私に何をさせる気? 御前と一緒なんて碌な特務じゃないんでしょう?」横柄な物言い。

 だが、トウカは薄く嗤うだけで、言葉遣いに対して苦言を呈することは最後までなかったのだが、リシアは本筋に逸れた点に対して興味すら抱かないその在り様に眉を顰める。まるで、能力以上のことは端から求めていないと言わんばかりの態度に呆れ返るしかない。

 トウカの酷薄な笑み。

真っ当な任務ではないという事は想像に難くない。

 そして〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉の本来の任務とは別任務によって、作戦目標を達成しようとしているのだと気付いた。或いは〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉の攻勢こそが陽動であるという可能性すらある。

 ゆっくりとトウカの手が氷雪舞う空を指し示す。

「空挺だ」

 聞きなれない言葉にリシアは首を傾げるしかなかった。








「さて、彼奴もこればかりは予想しておらぬであろうて」

 マリアベルは薄気味の悪い笑い声を上げる。

 当人の想像通りの展開が予想よりも極めて早く推移しつつあり、笑いが止まらないことも致し方ない。停滞した北部の状況に吹き込んだ新たなる風……暴風は 硬化した北部という名の歯車を強引に回転させ始めた。その影響は各所に出ており、今回の出兵への一連の流れはまさにそれである。同時に、長きに渡り動くこ とのなかった歯車は錆び付き、今回の回転に合わせて各所で軋みを上げてもいる。領内官僚とトウカとの軋轢は正にそれであるものの、マリアベルはまず何より も停止した歯車を動かすことを優先した。停止した機械に意味などないのだから。

 その結果が眼下に実現しつつあった。

「ヴェルテンベルク中将、集結は完了しております。御命令とあらば直ぐにでも!」

 轟音と評しても良い大音声での報告に、マリアベルが振り向くとそこには身体に戦意を漲らせたフルンツベルクが直立不動で返答を待っていた。

 小高い雪丘の頂から見下ろす軍勢。

 その名を〈傭兵師団(ランツクネヒト)〉という。

 一万名近い人員を擁し、正規軍に匹敵する武装と練度を有した大陸有数の傭兵団。その規模としても規格外の傭兵勢力であるが、その国家統制を受けない荒くれ者を厳格に統制し続けられる指揮官と規律が必要不可欠であるが、それを満たす人物はそう多くない。

 それ故にグレゴール・フォン・フルンツベルクは稀代の傭兵として名を馳せていた。

 大熊の如き外見に蓄えられた髭に、何よりもその筋骨隆々な筋肉も相乗して、佇まいは完全に生粋の戦争屋であった。

「まぁ、待つが良い。我らの任務はあくまでも敵前線部隊の拘束であろう。よもや忘れたわけではあるまいて」

「しかし、それは表向き……目標は拘束ではなく、撃滅。でありましょうよ」

 野性的……というには野獣そのものに近い笑みで、フルンツベルクが丘を下り始めたマリアベルに続く。その光景は正に美女と野獣といえるものであったと、 後に二人を目撃した〈傭兵師団〉のとある士官が回顧録に書き遺すほどであった。しかし、同時にその文の続きには、フルンツベルクはその顔には似合わない優 しげな手付きで、マリアベルの肩に領邦軍士官野戦外套(ロングコート)を掛けるその姿が思いのほか様になっていた、とも書き記されることになる。

 肩に掛けられた野戦外套の襟を胸元に引き寄せ、マリアベルは思案する。

 ――問題は、ヴェルテンベルク領単独の戦力で実施されるという点であろうて。

 領邦軍としては北部最大の戦力を有するヴェルテンベルク領であるが、皇国貴族私設軍である領邦軍には兵数の制限があった。それは領地の面積や経済規模、 地政学的要素を加味して判断されるものであったが、軍という平時に於いては何ら生産活動に寄与しない集団を大規模な勢力のままに維持することは経済的に大 きな負担となる。貴族によっては治安維持の為の最低限の戦力のみを保有するだけであることもある。決して単純面積や爵位で決まるものではなかった。

 しかし、北部貴族に課せられた兵数制限は余りにも厳しいものであった。

 名目としては国境を接している帝国を刺激しないようにという配慮故であるとのことである。帝国と皇国には国交も交易もなく、互いに国家として認めていない上に幾度も干戈を交えている。無論、そこには条約も制限もない。

 事実上の殲滅戦争。

 種族的な差異による価値観の落差はあらゆるモノに暗い影を落としている。帝国の苛烈な国是は、皇国に住まう幾多の生命の生存を許さないが、個々に於いて その強大な種族達は現在に至るまで帝国の脅威の悉くを退けてきた。代償に皇国にも少なからぬ被害は出ており、特に20年ほど前に行われたエルライン要塞攻 防戦での帝国による機甲戦力の大量投入は皇国軍に大きな衝撃を齎した。

 しかし、左翼思想に傾いていた先代天帝はそれらへの対応よりも、第三国を通しての国交樹立を目指すという外交政策を打ち出した。結果としては当然ながらの失敗であったが、これらを実現する為の対応……誠意を見せる為と称して北部地方の軍備は年々減少することとなった。

彼奴(あやつ)が口にしておった《カルタゴ》の再来かの」

 マリアベルは、トウカから聞いた遠い歴史に埋もれた都市国家の末路に想いを馳せる。

 《カルタゴ》は紀元前二五〇年頃、地中海に覇を唱えていた大国だった。

 しかし、第二次ポエニ戦争で敗北し、戦勝国から武装を解除させられ、戦争を放棄することになった《カルタゴ》は、戦後の復興を貿易に活路を見い出して商業大国としての再生を見事に成し遂げ、戦後賠償すらも完全に払い終えた。しかし、その経済を脅威だと捉えた《羅馬(ローマ)帝国》によって最終的に滅ぼされる。

 滅亡する直前、《カルタゴ》の愛国者であるハンニバル将軍は《羅馬(ローマ)帝国》の思惑を察し、祖国の危機を《カルタゴ》市民に訴えたが、平和に溺れた市民は耳を貸そうともせず、それどころか「ハンニバルは戦争を望んでいる!」と批判する者さえ少なくなかった。しかも、最終的にハンニバル将軍は《羅馬(ローマ)帝国》に思想誘導された売国奴によって《羅馬(ローマ)帝国》に売られ自殺せねばならなくなる。

 そして、平和に溺れていた市民は、《羅馬(ローマ)帝国》から理不尽極まる要求を次々に突き付けられ、初めてハンニバル将軍の警告が正しかったことに気が付いたが、時既に遅く、徹底抗戦に踏み切るも商業都市カルタゴの陥落を防ぐことはできなかった。この間、僅か三年の出来事で、武力に劣る国家がどれ程に脆いかが良く分かる。

 結果として生き残った《カルタゴ》市民は約五万人足らずであったが、その全てが奴隷にされ、その上、城塞は更地になるまで徹底的に破壊され、再びこの地に人が居住し、作物が実らぬよう大量の塩が撒かれたと後世に伝えられている。

 それは敗北ではない。地上からの殲滅である。帝国の皇国に対する対応もそれに限りなく近いものとなるだろう。

 だが、戦争の形態の中でも最も苛烈なものであるものの、後世への禍根を最大限に低減できる手段でもある。

 《羅馬(ローマ)帝国》の取った自国の得意な外交手段である戦争は、潜在的脅威を完全に事前に取り除いた結果となり、決して国家的決断として間違ったのもではない。国体護持への努力を忘れ、戦人を敬うことを忘れた国家など滅ぶべきなのだ。否、滅ばざるを得なくなる。

「まぁ、よく似ておるではないかえ。細部は違っても本質的には変わらんかの」

 無論、皇国貴族であるマリアベルは、それらを断じて正さねばならに立場にある。

 そして、マリアベルはその手段として内戦を選択した。否、選択せざるを得なかった。即効性のある手段としての内戦であり、個人的な思惑も相まってそれ以外の選択肢はなかったのだ。

 しかし、内戦は長期化しつつあった。

 理由としては大御巫の乱入に他ならないが、マリアベルも皇国という国家の潜在能力を甘く見ていた部分がある。陸海軍の征伐軍に対する協力や、宗教的象徴の統率力はマリアベルの予想だにしないものであった。

「まぁ、派手に悲劇を撒き散らすかの」マリアベルは薄く嗤う。

 悲惨極まる《カルタゴ》滅亡の理由を、トウカは簡潔に二つに要約していた。

 一つ、《カルタゴ》市民が軍事について無関心だった。元来、自国の防衛は傭兵に依頼していた上に、国内世論も平和主義的な論調が強く、有事に備えて軍事力を蓄えておくことに忌避感を持っていた。

 二つ、国内の思想、或いは意志が統制できていなかった。有事の際は挙国一致で事に当たらなければ難局を乗り切る事は難しいが、《カルタゴ》市民にはそれ らに対する意識が致命的なまでに欠如していた。戦時中にハンニバル将軍が各地を転戦している間も市民はそれを知らぬ者すらいた。そして、名将の呼び声が高 いハンニバルを売り渡したのは、《羅馬(ローマ)帝国》に洗脳された《カルタゴ》の売国奴だった。


 自らの手で愛国者を切り捨てる……結果として《カルタゴ》は滅ぶべくして滅んだわけだが、マリアベルには現在の《ヴァリスヘイム皇国》がこの《カルタゴ》の状況に酷似している様に見えて仕方がなかった。

 トウカもやはりそれを察していたのだろう。《カルダゴ》滅亡について語っていた際、トウカは窓から外を見上げ、決してその表情を見せなかった。改めて考えると、トウカは自らの表情が他者に見せられない程に嘲笑に歪んでいると自覚していたのかも知れない。

 故に民衆に認識させねばならない。戦争という名の現実を。

「まぁ、それほどに失望しておるからこそ容赦する必要性を感じぬのやも知れぬの」

 失笑に背後のブルンツベルクから首を傾げる気配が伝わる。

 武断的なフルンツベルクにとって政治は煩わしいものでしかなく、名目上とはいえ傭兵という立場からも一国家に対して固執する必要はない。フルンツベルク は元々、それらを疎んじたからこそ貴族の三男坊でありながら傭兵へと身を投じた。それをマリアベルが目を付けて、北部以外の地域でフルンツベルクを中心に 傭兵団を組織させ、平時では傭兵仕事を請け負わせつつも、有事の際はヴェルテンベルク領邦軍に組み込めるようにしていた。しかし、中央貴族も無能ではな く、それを察して、〈傭兵師団(ランツクネヒト)〉本隊の到着は極最近で、領邦軍との連携にも不安があった。幸いにして装備はヴェルテンベルク領の兵器工廠やタンネンベルク社を中心とした軍需産業の武器や装備で統一されている為、規格による補給の混乱などは発生していない。

 トウカは〈傭兵師団(ランツクネヒト)〉の存在を知ってはいるものの、マリアベルの指揮下にあることは知らない。フルンツベルクだけが、義憤に駆られて将校として蹶起軍に参陣したと勘違いして――否、させていた。

 トウカがマリアベルを利用している様にその逆もまた同じであった。

 マリアベルはヴェルテンベルク領の領主なのだ。私情でトウカだけを優遇することはできない。

 現状でトウカを優遇しているのはそれに似合った対価をマリアベルに提示し続けているからである。そしてマリアベルは、トウカの対価を賭け金に更なる利益を得ようとしていた。

 トウカはこれに対して複雑な表情をするか、或るいは申し訳なさそうに笑うだろう。

 自身が大御巫を殺害することに固執し、自らの戦闘行動が齎す軍事的好機を利用しての戦果拡大を見逃しかけたことを恥じ入るか……もしくは。

 ――妾すらも信用しておらぬのか……悲しいの。

 自身に未だその様な感情があった事に驚きつつも、マリアベルは溜息を吐く。

 トウカは軍事的好機を知っていながらに、マリアベルに譲ることを恐れたのかも知れない。マリアベルの権勢が北部で肥大化し、全戦力の指揮権を完全に近い程に掌握すると、己の存在意義が薄れるのではないかという思惑が潜んでいる可能性があった。

 トウカはマリアベルが己を切り捨てる可能性を考えているかも知れない。そう思うとやはり遣る瀬無い思いが胸に溢れる。

 あと一〇〇年若ければという思いを語ったことがあるが、本当に一〇〇年若ければミユキと、トウカを巡っての三角関係が勃発していたかも知れないと、含み笑いを漏らす。

 そんな恋をしてみたいとマリアベルは常々、思っていた。

 恋愛と政戦が複雑に絡み合った人生。

 マリアベルが明確に、己の恋心を認識した時、それは全てが終わった後であった。

 死出の途に就かんとしたリヒャルトに対して抱いた感情は正にそれだったのかも知れないが、当人が現世から消え去った今となっては最早考えることすら無意味である。

「寝取るというのも一度やってみたいと思っておったがの」

 無論、それはできない相談である。トウカは、ミユキに深く傾倒している様に見えるが、それは庇護に対する強い感情の起因するものであって、実際のトウカの好みではないとマリアベルは考えていた。時折、ベルセリカに対して並々ならぬ感情を見せることが良い証拠である。

 トウカは年上の……男性的な凛々しさと女性的な妖艶さを持ち合わせた姉の様な人物に惹かれるのだ。少なくともマリアベルはそう邪推していた。

 自分も少なくともそれに当てはまるのではないか、そうマリアベルは考えていた。

 無論、ミユキとトウカに対して強硬な手段に訴えればベルセリカという一騎当千の古強者が暴発しかねない。ベルセリカは厳格に二人に接している心算かもしれないが、実際のところは孫が可愛くて仕方がない祖父の様な顔で二人の遣り取りを眺めている時があった。

 結論としては、恋人としての縁は、どちらにせよマリアベルにはなかった。

「痴情の縺れは勘弁願いたいですな! 貴族が身を崩す理由としては論外ですぞ!」

「ええい、五月蠅いわ! 大声で下らぬことをぶちまけるでないわ、阿呆(あほ)ぅ!」

 目一杯の力でフルンツベルクの頭を拳骨を見舞うマリアベル。

 美女と野獣。

 だが、その力関係に於いては前者が圧倒的に優勢という奇妙なものであった。

彼奴(あやつ)は、機甲戦力で敵の戦線に穴を開けるであろう」

「作戦計画通りならば」深く頷いたフルンツベルク。

 トウカの大御巫の殺害という目的自体はヴェルテンベルク領邦軍高官はおろか、蹶起軍総司令部にも伝達はされており、正規の作戦行動としても認められていた。無論、その手段は機密保持の為に伝達していないが。

 機甲戦力ばかりの編制を見れば、戦線の防禦縦深を越える攻勢縦深を以てして強行突破することは一目瞭然であり、編成の露呈を恐れたのはそれ故であった。

 今回、マリアベルはそれを利用する。

「トウカが戦線突破後にそれに続き、戦線の突破口を拡大。戦線に張り付いている敵戦力後背に急速展開し、これを包囲下に置く。良いな?」

「はっ! 御命令とあらば! ……しかし、我が〈傭兵師団(ランツクネヒト)〉に追随する機動力は有りませぬぞ」

 そう、それだけが問題であった。

 トウカは根こそぎと言っていいほどにヴェルテンベルク領邦軍の機甲戦力を〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉に集中させた為に、現在、マリアベルの旗下にある 機動戦力は一個装甲大隊と一個騎兵中隊、二個捜索軍狼兵小隊のみであった。歩兵は三個大隊に、実質的な精鋭歩兵師団である傭兵師団を含めた数を揃えている が、それらを敵戦力の後背へ移動させるにはそれ相応の時間を捻出しなければならない。

「それは妾が何とかしよう」

 マリアベルにとってもこの一戦は正念場であった。

 トウカの機甲突破により混乱した敵部隊を包囲殲滅するという難事をこなさねばならない。自ら戦野に赴くことはそれに対する不退転の決意の表れであり、旗下の戦力の士気もマリアベルにフルンツベルクという両将星の直率によって向上していた。

 雪丘を下りると、マリアベルは実働体勢にある車輛や軍馬が展開し、将兵が慌ただしく移動している間を縫う様に進む。

 軍狼の遠吠えが轟き、軍馬の嘶きが周囲を満たしたかと思えば、車輛に搭載されている魔導機関の駆動音がそれらを遮る。

 小銃や機関銃、野砲などの手入れを行っている兵士もいれば、小隊、分隊規模で隊列や緊急展開の訓練を行っている者達を横目に二人は、司令部の置かれている天幕の出入り口に立っている歩哨に敬礼すると天幕へと入る。

 そこには各部隊の指揮官が地形図の置かれた野戦机を囲んで談笑しており、マリアベルの姿を認めると慌てて一斉に敬礼する。

 マリアベルは、フルンツベルクを従えて中央へと進み出ると、敵味方の部隊配置が書き込まれた地形図を見下ろす。〈傭兵師団(ランツクネヒト)〉や集結させたヴェルテンベルク領邦軍は前線からある程度の距離のあるこの臨時駐屯所で元より展開しているが、二人はフェルゼンより赴いたばかりであり、現状を詳しくは知らない。

 マリアベルは、腕を組み、楽しげに周囲を睥睨する。

「さぁ、誰でも良い。この心躍る状況を説明してはくれぬかの?」

 楽しげに嗤うマリアベルはまるで子供のようであった。









「それで、これだけの戦力がいるわけですか」

 〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉は、攻勢発起地点となるヴェルテンベルク領邦軍が受け持つ戦線の前線司令部が置かれている地点に集結しつつあった。

 既にベルゲン近郊からの出撃より一週間の日が経過しており、〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉の前線後方への集結は緩慢であった。

 事実上の分進合撃。これは決して本来の目的に依るものではない。

 世界的に国家の国力が急速に増大し、軍隊の人員数が数万名以上の規模に拡大した為、全軍が一個の集団として機動することは交戦だけでなく補給の面からも 非現実的となっていた。兵数約一万名の一個師団が砲兵などを加えた諸兵科連合編制である場合の行軍長径は極めて長大になる。軍集団規模……約一〇万名の全 軍が単一の進撃路を行軍し、敵との遭遇戦となった場合、隊列後方の部隊が戦場に到着するには丸一日の時間を要し、到着前に戦闘が終結する可能性があった。 その上、帝国軍のような行軍中の食料の多くを現地調達に頼っている軍では、全軍が密集して進撃することは食料確保の上でも非効率的であった。

 それ故に聯隊や師団などの編制単位を整備することによって、兵力を複数に分割し、分割された兵力が相互に支援しながらそれぞれ違う経路を使って進撃す る。自軍に有利な戦場に集まる戦術を基本とした。これは魔導通信の高性能化によって兵力の分散はより高度に、そして細分化の一途を辿るとも予想されてい る。

「おう、俺の〈傭兵師団(ランツクネヒト)〉だ。精鋭だぞ。貴様を支援してくれる! うははははっ!」戦意旺盛なフルンツベルクが野太い声で笑う。

 腕を組み仁王立ちするその姿は正に弁慶だとトウカは呆れた。

 やはり、主君を庇って仁王立ちのままに果てるのかも知れないと益体もない事を考えつつ、トウカは肝心の“主君”について尋ねる。

「ヴェルテンベルク中将は御存知なのですか?」

 独断専行ではないか、と疑った事もあるが、あのマリアベルが一枚噛んでいたならば蹶起軍全体の作戦行動の一端である可能性も捨て切れなくなる。

 無論、トウカにとってはどちらでも良い事である。

 要は大御巫を殺害することに成功すれば征伐軍は空中分解し、蹶起軍は条件付きでの講和や降伏を中央貴族に申し込むことが可能となる。クロウ=クルワッハ 公爵もよもや娘の命如きと国政を天秤に掛けるなどという真似はしないと、トウカは過去の治政を調べて結果結論付けており、そもそも不用意に戦野に現れたな らば娘諸共殺してしまおうとすら目論んでいた。娘である大御巫は兎も角、単体でも一個軍団に匹敵するクロウ=クルワッハ公爵を相手取るには一個戦闘団では 些か分が悪い事を承知しているので無理をする気はなかったが。

「まぁ、それについては後の問題とするとして……それで、フルンツベルク閣下の〈傭兵師団(ランツクネヒト)〉はどの様に動かれますか?」

 トウカの疑問は目下のところそれ一つであった。

 最早、友軍の作戦内容など一両日中に総攻撃に臨まんとしている〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉には然して意味のない話でもある。現状でこれから突破予定の 地点に異変がないのならば、トウカとしては最早、口を差し挟む気はなかった。そもそも、口を差し挟んだところで、マリアベルの意向の前にはトウカの不満な ど無力である。

「〈傭兵師団(ランツクネヒト)〉は貴様らの機甲突破に追随。敵陣中に於いて暴れ回る!!」

 単純明快であろう、と厚い胸板を張るフルンツベルクだが、トウカは呆れていた。

 歩兵主体の〈傭兵師団〉では、機甲戦力主体の〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉に追随できない。敵は〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉によって大きく混乱するで あろうが、師団規模の歩兵の後続を許すほど無能ではない。〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉が反転して、傭兵師団と敵部隊を挟撃するという手段もあるが、それ は最終目的を考慮すると論外である。長時間、前線に近い位置で交戦を続けると敵の増援と遭遇する可能性も増大する。

「無理かと。無駄死にを増やしたいなら構いませんが、それでは被害が出過ぎます」

「抜かせ、若造! また大切な息子達が死ぬのを見送って自分が生き残り、生き恥をさらせというのか!!」生粋の野戦将校の大音声。

 肝を冷やすには十分なものであったが、トウカはベルセリカの殺意に比べれば然したるものではないと失笑を持って受け流す。

 だが、フルンツベルクの忸怩たる思いを理解できない訳ではない。

 征伐軍と蹶起軍の衝突は、トウカがヴェルテンベルク領に赴くまでにも大小合わせて何百回と行われており、大規模な会戦では双方共に少なからぬ犠牲者が生 じている。そしてブルンツベルクが最近までフェルゼン守備を任されていたことを考えると、感情の発露も致し方ないことであった。フルンツベルクにとって は、ヴェルテンベルク領邦軍に所属する将兵の多くは長年見守ってきた者ばかりで、銃後で訃報を聞き続ける事は耐え難い屈辱なのだ。

「言ってくれる。それでこそ男だと評すべきですか?」

 軍事的には全く評価できない行動だが、戦士としては正しい。そして、〈傭兵師団(ランツクネヒト)〉が前線で勇戦すると、〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉の進撃から敵の目を逸らさせることで一連の作戦の難易度が下がるという打算もあった。

「宜しいので、フルンツベルク閣下?」

「当たり前だ。文句のある奴は俺が叩き潰す!」

 ぐっと拳を握り締めるフルンツベルクに、トウカは首を竦めて見せる。

「これは命令違反です。しかも、無駄に兵を損なうなという厳命を無視する事になる。さて、ヴェルテンベルク伯に何と言ったものか」

「だが貴様も賛成だろう?」

 賛成しなくとも暴れる気でしょうに、と苦笑するトウカ。

 そこで天幕内にザムエルとリシアが姿を現した。旗下部隊の集結が完全に終了した報告だろうと、トウカは見当を付けて、ザムエルの背後へと付く。上官の報告を遮る訳にはいかず、リシアと共にザムエルの背後で姿勢を正す。

「〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉。現刻を以て戦列に参加します」

「おう。で、どうだ。ベルゲンまで迫れるか?」

 顔を寄せてのフルンツベルクの問いに、ザムエルは「可能です、閣下」と頷く。

 トウカは失敗しては困ると眉を顰め、トウカの思惑を知るリシアは顔を真っ青にしている。

 正直なところトウカは、戦線の突破やベルゲン近郊まで迫ることに関しては心配してすらいなかった。何故ならば近接航空戦力として|一個戦闘航空団 (Jagdgeschwader)も配備されており、これらの対地攻撃と近接航空支援を以てすれば戦線突破は十分に可能であった。そして、〈ヴァレンシュ タイン戦闘団〉の投射火力は通常編成の一個師団にも優越することから、ベルゲンへの進撃も航空偵察と索敵攻撃を用いれば有力な敵戦力を回避、或いは撃破し つつ迫ることは不可能ではない。

 最も大陸有数の城塞都市として名高いベルゲンを陥落させ得るかと言えば不可能であるが。

 そもそも市街戦に対して装甲兵器は有効ではなく、航空戦力も都市爆撃を行う騎体でもなければ数も不足している。どちらにせよ大都市を制圧するには兵数も補給も絶対量で不足しており、作戦の大前提が大御巫の殺害である以上、ベルゲンを制圧する必要性はない。

 ――フルンツベルク少将には、ベルゲンの征伐軍総司令部急襲の方法を教えていない。

 城塞都市を攻略するには、堅牢な城壁と魔導障壁に対抗する手段が必要であるが、トウカは早々に真っ当な手段での対応を放棄していた。

「航空部隊はどうだ? 前線の飛行場は手狭ではないか?」

「いえ、問題ありません。弾火薬の集積も完了していますので、定刻通りに作戦行動を開始できます」

 淀みないザムエルの言葉に、フルンツベルクは相好を崩す。

 まるで答案試験で良い点を取ってきた子供をみる父親のような視線に、ザムエルが何とも言えない顔をするが、トウカはやはりフルンツベルクは前々から積極 的な攻勢に打って出る気だったのだと確信した。そうでもなければ、現状で主力と見なされていない航空部隊の話題が上ることはない。つまりは、航空戦力の運 用についても考えるだけの時間があったはずなのだ。

 トウカは堪らず口を挟む。

「どうしても戦われますか?」

 叶うならば、大御巫の死後の混乱に付け込む形で攻勢を実行することが最善だと考えていた。例え、〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉の不利益にならないとしても不用意な犠牲を出す必要はなく、部下の犠牲を一人でも減少させることが指揮官の使命でもあった。

 フルンツベルクは鼻を鳴らすと、リシアに視線を巡らせる。

(こど)い!! 可憐な乙女が戦っていて、俺が後ろで黙っている訳にはいかん。〈傭兵師団(ランツクネヒト)〉にそんな屑は居らん! 俺がその様に育てた!!」

 征伐軍総司令部の命令は、現状を維持し、部隊の保全に努めよ、だが、可憐な、それも見知った乙女を見捨てるほどフルンツベルクは冷たくはない。そして少女が戦いに赴くを見送るという屈辱に耐えられるはずもなかった。

 軍の命令よりも騎士としての誇りを取る。

 だからこそ軍ではなく、傭兵という枠組みの中にフルンツベルクは在った。己の生き様を曲げない為に傭兵となったのだ。

 フルンツベルクは大外套を翻すと、天幕の入口へと歩き出す。

「これは男としての意地の問題だ! 止めてくれるな、若造!!」雪の大地にフルンツベルクの大音声が響き渡る。

 それを耳にした〈傭兵師団(ランツクネヒト)〉将兵達が一斉に作業の手を止めて敬礼する。

 これは〈傭兵師団(ランツクネヒト)〉の意志なのだ。トウカに止める術はない。

 マリアベルに雇われる形でありながらも、領邦軍の命令系統とは別の〈傭兵師団(ランツクネヒト)〉に対して命令を出す事はできず、そもそもこの場に居る者の中ではフルンツベルクが最も階級が高い。

 トウカ達は、小型魔導車輛(キューベルジッツァ)に乗り込む。

 フルンツベルクは、出撃の合図と手を上げる。

 その合図を待っていたかのように〈傭兵師団(ランツクネヒト)〉所属の装虎兵や軍狼兵、Ⅵ号中戦車……他にも自走砲や補助車輌などの鋼鉄と魔導の野獣達が、凶暴な嘶きと轟音のような機関音を響かせ前進を開始する。上空を援護している戦闘騎から見れば、まさに鋼鉄の絨毯とでも言えるほどに圧倒的な光景だった。

「俺はな、餓鬼共。英雄になりたくて軍人になったんだ」

 その言葉を聞いて、なるほどとトウカは納得する。

 初耳ではあったが、いかにもな理由と本人の性格に合っていたので、驚きはしなかった。むしろ、何を今更という思いのほうが強い。何よりも若者が軍人や傭 兵などの戦を生業とする職業に就く際の理由は英雄願望と虚栄心が大半である。無論、それは戦場という名の現実に洗われて多くの場合は変質するが、フルンツ ベルクは未だその意志を保っているのだ。

「当然だが、敵を撃ち倒し味方の屍を乗り越えることに疑問はない。むしろ、それが英雄になる道だと思って、兵の命も惜しげもなく消費してきた」

 決して不要な犠牲ではない。正当なる犠牲を積み重ねる事によってヒトは英雄へと昇華するのだ。

 フルンツベルクの言葉は一見すると傲慢にも聞こえるが、同時に人の上に立ち多くの者の運命を左右してきた人間、独特の重みがあった。

「兵の命を消費し戦線を押し上げ、仲間の屍を乗り越えて前進を続ける。口で言うのは容易いだろうよ。だがな、その消費した、前進する横で物言わぬ亡骸になっているのが年若い少女ならどうだ?」

 トウカは押し黙る。そんな事はトウカ自身も体験するのも御免であり、起きるのも願い下げであった。

 だが、《ヴァリスヘイム皇国》は女性をも場へと誘う。

 種族的に女性も強大である場合は性別の差異など然したるものではなく、他種族国家たる皇国では政戦共に女性進出が建国黎明期より盛んに行われていた。そ の潮流は現在でも尚、健在であり、陸海軍の女性比率は世界で最も高く、他国の軍の男性陣からは果てしない羨みの視線を頂戴している。

 トウカの沈黙を肯定と受け取ったフルンツベルクは、葉巻を投げ捨てて言葉を続ける。

「何年か前には戦場に出るなんてことすら考えてなかった少女が銃を取り戦う……。しかも青春を消費した挙句、こんな雪原で屍を晒す訳だ」

 やり場のない怒りにフルンツベルクは顔を歪める。

「なぁ、若造ども! お前は少女たちの屍の上に立つ男を、英雄と認められるか? 俺には無理だ! 有り得ん! 他が認めても俺は認めんぞ! そして、俺はそんな英雄になるのは願い下げだ! 糞ったれめ!!」

 フルンツベルクは、小型魔導車輛(キューベルジッツァ)の側面扉に拳を振り下ろす。凄まじい膂力で叩かれた個所は小さく凹む。

 だが、トウカはそれを一瞥しただけで切り捨てる。

「それは理想論です。我々には種族も民族も性別も関係なく人命を“消費”することでしか戦線を維持できず、侵攻も儘なりません」

 感情的なフルンツベルクとは対照的にトウカは、冷静に事実を述べる。

 二人の言葉はどちらも正しい。だが、それ故に間違っている。

 ムッとするフルンツベルクに、トウカは言葉を続ける。

「ですが気持ちは小官も同じです。そうでないなら出撃など断じてさせません」

 トウカが掴んでいた車体側面の取っ手が強く握られて小さな音を立てる。

「御前も熱血野朗になったじゃないか?」

「御冗談を。閣下と違い作戦もそれなりのものを用意します」

 二人の将星は互いに頷き合い、不敵に笑った。

 

 

 

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