第六五話 《皇国》が剣聖
「……ッ!? 貴方、本気……ッ!?」
襟首を掴まれ締まる首元と、銃口を押し付けられた頬に抗い得ぬ死の気配を感じ、リシアの精神は有効な反論すら出来ぬままに圧迫された。
己の恐怖が張り付いた苦しげな顔の映り込むトウカの瞳だが、その中には苛烈な殺意が宿っていた。
諦め。リシアの心をそんな感情が塗り潰す。
確かにマリアベルの差し金としての側面をリシアは持っているが、決してトウカの行動制限する意図はなかった。現にマリアベルからも、「トウカの戦いを見 ておくが良い」、「あれを助けてやるがよい」という“御願い”しか受けておらず、それはヴェルテンベルク領邦軍最高指揮官としての“命令”ではなく、あく までもトウカに対する進言は全て領邦軍少佐としてのものであった。
トウカに信用されていないことは、リシアも重々承知していた。
だからこそ装甲大隊長としての任務を解かれ、無任所の立場に追い遣られたことも理解していた。無論、トウカが語った思惑も嘘ではないだろうが、事象に対 して生じた理由が一つしかないと考える程にリシアは無能ではない。トウカにとってリシアが好ましくない存在であるという理由ですら数ある理由の一つでしか ないのかも知れないという考えすら抱いていた。
「答えろ。俺は気が短い」
タンネンベルク 7.7x25㎜ P89自動拳銃の鋭い銃身がリシアの頬を抉る。
弾倉が銃把の前にある為に重心が前のめりであることと、長い銃身もあって競技銃のような正確な射撃が可能である。脱着式銃床を併用する騎兵銃として皇国陸軍でも正式採用されていた。他の自動拳銃に比して全長は長く重量は重いものの、小型の銃把は、掌の小さな小柄な種族でも問題なく使用できる利点がある。多種族国家である皇国を象徴する自動拳銃であった。
しかし、共和と共存を願って作られた銃が、その理由の為だけに咆哮するとは限らない。
「し、知らないわ……私は――」
「黙れ。いいか、あれの意図するところを簡潔に、速やかに吐け。それで戦闘団の対応も変わる。言わないなら口径7.7㎜の鉄甲弾が御前を強姦する。判ったか?」
手には力が入り、リシアの首元を締め上げ、銃口は一層強く押し付けられた。
型破りにして支離滅裂な行動と言動だが、望む言動以外は受け付けないという暴力的なまでの意志は嫌でも伝わり、周囲の者達すらも縛る。唯一、割って入ろうとした補給大隊指揮官はセリカと呼ばれた女性に阻まれて足を鈍らせた。
しかし、トウカは銃口を下ろした。
「俺にはこの作戦を立案し、動員した将兵に対する責任と義務がある……セリカ」
何処か焦点の合っていない視線で機動師団のいるであろう方角を一瞥し、軍帽の上から頭を掻き毟る。
「ここに」
セリカと呼ばれた女性は、自身の胸に右手を当て、左膝を雪原に突き首を垂れる。
その様は忠誠を誓う主君に対するものである。同時に何処か寂寥感を感じさせる佇まいに、未だ荒い息のリシアは途方もない不安に駆られる。
「敵は野良犬と野良猫の集団に過ぎない。狼たる貴女は何とする?」
「御館様の御望みとあらば食い破って御覧に入れましょうぞ」
楽しげな雰囲気を漂わせたセリカに対して、トウカは遣る瀬無い表情でP89自動拳銃の銃把を握り締める。
「貴女に頼ることは毒だ。俺の心を腐敗させる……」
その意味はリシアの理解の及ぶものではなかったが、トウカがそれを酷く恐れていることだけはその姿から察することができた。
元来、サクラギ・トウカという人物は決して強靭な精神を持っている訳ではない。
戦う必要に駆られているからこそ刃を振り翳している様に見え、その戦略的視野に比してその在り様は極めて異質なものであった。通常の若人であれば戦機に 逸り、己の武勲を優先させる。対するトウカは常に全体的な視野で状況を見据え、己の武功を誇ろうとする素振りすらなく、効率的に敵戦力の漸減を図ることに
腐心していた。そして何よりも、戦う理由を己に求めることを忌避している様にも感じられ、リシアの思考を混乱させた。
そんなトウカが、投入を躊躇う程の戦力。
セリカと呼ばれた女性。
その存在は謎に包まれていたが、友軍佐官に銃口を突き付ける程に追い詰められる状況にあって尚、トウカは家臣の礼を取る狼を最大限に敬い、気遣う言動を 放ったことは、リシアにとって驚嘆に値する事実であった。それは紛れもなく、セリカという女性がトウカにとって特別であるということに他ならない。そして
何よりも、これから起こるであろう局地的な連戦に於いて主力足り得るという評価を受けているという事実に他ならないからであった。現実的にして合理主義の トウカが複雑な感情を抱く相手という点も大いに興味を引く。
「この現状は俺の本意ではない。……貴女に斯様な理由で刃を取らせねばならない事は申し訳なく思う」
「なんの。御屋形様以外に戦う理由を用意下さる御方はおりません。もし、某の在りし日の我が君に遠慮なさるならばそれは無用に願いたい。遙か嘗ての死者が今生が生者の生き様を曲げることなど、我が君も望んではおらぬで御座ろう」
深編み笠で表情は見えないが、愉快げな雰囲気を漂わせたセリカに対して、トウカは慙愧に耐えないという表情を浮かべている。
そこには確かな絆があった。
軍用長外套を翻し、背を向けたトウカ。
「補給大隊、砲戦用意! 敵の出端を挫く、ヴァルリモント砲兵少佐!」
血走ったトウカの瞳が、事の推移を見守っていた中年将校を呼び付ける。
怯えた表情で進み出たヴァルリモント砲兵少佐は、〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉所属の補給大隊指揮官で、その顔立ちは優しげなもので軍人というよりも生 物学の博士といった佇まいで、御機嫌斜めのトウカを相手にするには些か分が悪い。リシアは収まらぬ動悸を推して二人の間に割って入る。
「私も手伝います、ヴァルリモント少佐」
「ほ、本当ですか? 助かります……」
トウカの射殺さんばかりの視線を決して見ようとしないヴァルリモントの挙動不審な動作を見て、リシアは落ち着きを取り戻す。ヒトとは狼狽えていても、自身以上に狼狽えている者を見ると落ち着きを取り戻す生物である。それは、矜持ゆえか、或いは羞恥心ゆえか人により異なるが、他者の失態を見て落ち着くという側面は救い難いヒトの業であった。
リシアは、ヴァルリモントと共に多連装擲弾発射機の準備を進め、トウカとセリカは二人で会話を続ける。
五〇基にも届こうかという数の多連装擲弾発射機は、その構造上、迫撃砲と酷似している為、射程は火砲に劣ることもあり、配置は前線に近く、〈第一装甲聯隊『ラインバッハ』〉の後背に布陣する。だが、構造が単純な為に、後方の砲兵部隊に比べ迅速な展開を可能とし、砲撃可能状態までの移行時間は遙かに短い。
補給大隊の兵士達は、多連装擲弾発射機も他の火砲や迫撃砲と同様に水平な場所に設置する必要がある為、円匙で平坦にする作業を、白い吐息を漏らしながら懸命に作業を続けている。
機動師団の前衛を務めているであろう軍狼兵聯隊は機動力と索敵力に優れるものの、流石に〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉の斥候を信号弾を撃つ暇すらなく撃破するという幸運はなかった。
機械化著しい〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉の斥候は、試作された軽雪上車を運用している為に雪上にあって極めて高い機動力を有していた。軽雪上車とは、操舵装置として前部に鋼鉄製の橇を、駆動装置として後部に一条の履帯を備え、どちらにも懸架装置を組み込んだ代物である。跨座式の座席と棒形の操舵輪を備え、乗員の乗車姿勢は二輪車などの軽車輛に近い。雪や氷の上を高速で走行できるという利点があった。
遠目に見ても時折、打ち上げられる信号弾が、徐々に〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉へと近づきつつある。
耳を澄ますと、トウカの「魔導通信機の小型化に失敗した弊害か」という声が聞こえた。
斥候の軽雪上車には、試作された小型魔導通信機が搭載されていたが、やはり短時間で小型化を目論んだ為、その機能は不十分であった。
実はトウカが開発や制作を依頼した兵器は、小銃の多弾装弾倉から重戦車までと極めて広く、そして何よりも大量であった。中には成程と納得できる小規模改 良から、新型兵器の開発、試作まであり、何よりもその数が凄まじく。優に三〇〇近い案件を抱え、それらを完全に捌いていた。
だが、その全てが成果を上げていた訳ではない。実際に費やした費用と期間に釣り合う成果を得た武器はその半数にも満たない。
トウカは決して優秀ではない。少なくとも自身に対する評価はその程度なのだ。過剰なまでの兵器案数は、トウカの不安の表れと言える。。
それをマリアベルから聞いた時、リシアは、「可愛いところもあるじゃないの」と不覚にも思ってしまったが、実際に顔を合わせるとその様な雰囲気は微塵も なく、世の中全てを恨んでいますと言わんばかりの眼光に怯んだものである。作戦会議に於いてトウカに意見する者が少なかったのは、マリアベルのお気に入り
に対する遠慮ではなく、その理由が一番であった。彼は否定的な相手を徹底的に叩き伏せるのだ。
多連装擲弾発射機の設置が始められ、砲架が地面に固定される。
同時に視準器を内蔵した照準装 置が付近に設置され、調整が始められる。視準器もトウカが火砲などの照準の精密化を意図して開発したもので、魔導技術との併用によって生産の難易度が低下
した為、現在でも光学機器を扱う企業によって生産が進められていた。射程の短い砲墳火器は通常の測量と同様に測量棒を立てていたが、敵陣に近い位置に布陣 することの多い軽砲にとっては危険度が高い。通常、砲の砲撃位置から目標は視認できず、目標を直接確認できるのは最前線の歩兵部隊や随行している観測班で
ある。視準器はこの観測班等を指向し、砲本体に取り付けられる照準器は視準器に照準を合わせ、三角測量と同様の要領で目標までの射撃方位と距離を算出する ことができた。
後に火力主義に傾倒する皇国の火砲戦力の一端を支えた軍事技術。それは何を意図して齎されたのか。
皇国を野望と野心で焼き尽くすか、夢と希望で彩るかは異邦人次第。
サクラギ・トウカという異邦人の行く末は誰にも分からない。
「征伐軍、軍狼兵視認! 軍旗は〈第五〇一機動師団『ヴェルゼンハイム』〉!」
輸送車輛の上で双眼鏡を構え、索敵していた先任軍曹の言葉に、補給大隊の面々に緊張が走る。だが、対するトウカは奇襲を受けなかったことに対する安堵と、軍狼兵聯隊が十八番で戦おうとしていることに対する嘲笑が入り混じった表情を押さえられなかった。
「ヴァルリモント少佐……義務を果たせ」
「は、はっ! 了解致しましたッ!」
逃げ出すように設置された多連装擲弾発射機の砲列に向かって走り出したヴァルリモントの背を見て、トウカは首を傾げて己の顔に手を伸ばす。
「卑しい顔であるな。差し詰め暴虐なる魔王で御座ろうか」
呆れた声を上げるベルセリカに、トウカは顔を顰める。
叶う限り無表情、或いは余裕のある表情を心掛けていたのだが、他者にはそうは見えなかったのかと気を落とす。英雄の資質を持ち合わせているなどとは自惚れていないが、不遜な表情を心掛けていたにも関わらず、その実、周囲に怯えられていたとなると落ち込まざるを得ない。
「ほれ、ミユキを思い浮かべて見よ………………いや、某が悪かったから、斯様な顔をしてくれるな」
「この笑みが不服だと?」
尻尾をこれでもかと言わんばかりに振って稲荷寿司を頬張るミユキを思い浮かべて、トウカは精一杯の笑みを見せるが、今度はベルセリカが顔を引き攣らせる番であった。
「色惚け魔王め、自重せい」
「では、そろそろ…………撃ち方用意!」
遠方に見える舞い上げられた雪の飛沫に、トウカは怒鳴る。
火砲に比して短射程である多連装擲弾発射機に合わせて砲撃は行われるので、トウカの命令によって〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉の初撃は放たれることになる。既に自走榴弾砲などの射程には捉えているが、一斉射撃による混乱をトウカは求めていた為、全ての火砲が敵を射程に捉えるまで火を噴くことはない。
ヴァルリモントを見やると、恐縮した面持ちで敬礼し、兵士達に指示を飛ばす。
視準機を覗き込み、測量を始めた兵士を横目にトウカも双眼鏡を覗き込む。
大型の狼に跨乗した兵士達。
軍狼兵。
戦斧や曲剣、銃剣付小銃や魔導杖を 手にした軍狼兵の総数は二千名近く、接近を許せば瞬く間に蹂躙されることは間違いなかった。軍狼兵突撃を受けると指揮統制など容易く瓦解する。だからこそ
軍狼兵は突撃に際して最大限の努力を払うべきなのだが、見る限り単一編成であり騎兵砲の攻撃すらなかった。眼前の軍狼兵は完全な単一兵科による編成なの だ。
トウカからすると狂っているとしか思えない。予備砲撃は攻勢の大前提である。
無論、付近に展開していた三個歩兵師団が瞬く間に瓦解し、慌てて駆け付けてきたという部分もあるので失点とは言えない。圧倒的な戦力とされる機動師団で 突出してきた敵戦力を押し戻し、戦線を再構築しようと目論んでいるのだろう。クラナッハ戦線自体が幾つもの森林地帯を擁しているので進撃路が絞りやすいと
いう特性もある。三個師団が壊乱した以上、迎撃し易いクラナッハ戦線を放棄せず、敢えて堅持することを選択したのだ。
「敵の攻撃手段は軍狼兵による突撃のみだ! 恐るるに足らず!」トウカは軍刀を抜き払い、振り上げる。
大部分が漆黒に覆われた軍刀の刀身だが、刃先だけは陽光を受けて鋭い輝きを放つ。
この一戦だけは勝利できる。否、勝利せねばならない。皇国が正しい軍事大系の下に強国としての道を歩めるように。故にこの内戦で散った者達は須らくが英霊であり、一片の徒もない。
「砲撃開始ッ!」漆黒の軍刀が振り下ろされる。
空気の圧搾音に近い音。火砲の砲声に比して遙かに小さい音に砲声。
炸薬によって運用される火砲ではなく、圧搾空気による魚雷の発射音に近いそれは、トウカの背後で響いた瞬間には、頭上を黒々とした弾体が固体燃料を燃焼させて炎を噴射しその推力を以て飛翔する。
量産に優れた簡易的な噴進弾とは違い、それらの弾体は底部に同心円状に開けられた多数の穴から、斜めに噴出する噴進推進により回転を与え安定させる回転方式によって、ある程度の集弾性を維持したままに曲射弾道を寒空に描く。
回転方式は構造が複雑になるものの飛翔中に横風の影響を受け難く、量産性に優れた安定翼方式よりもある程度、集弾性が良好である。その運用思想の上では 命中精度は重視しない兵器であるが、着弾散布界があまり広がってしまうのでは、面制圧の際に必要とされる噴進弾の数が増大する。量産性を止む無く犠牲にし
た多連装擲弾発射機だが、その成果はここに現れた。
次々と閃光が生じる。
初撃からの効力射がトウカの視界を満たす。距離が近いことも大きい。
巻き上げられた雪と土砂の混合物が高々と舞い上がり、突撃体勢に移行した軍狼兵聯隊を覆い隠す。
迫撃砲弾よりも遙かに炸薬量の多い噴進砲弾、しかも七連装という圧倒的な投射量を誇る発射機が五〇基余りも砲列を形成し、一斉砲撃を行った光景は双方の将兵に混乱を齎した。
その大きな炸薬量による圧倒的な効力射によって、人狼諸共宙を舞った軍狼兵は当然であるが、初めて噴進弾の威力を目の当たりにした〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉の将兵の面々も唖然としていた。実質的には極めて大口径な迫撃砲による一斉射撃であり無理もない。
「やはりか」
トウカは雪が蒸発して現れた水蒸気と、炸薬による黒煙を突き抜けた軍狼兵は各々の武器を振り上げ突撃を続けていた。人狼一体となって蛮声を轟かせるその様は恐怖を抱かせ、それだけで通常の歩兵部隊を壊乱させる事すらある。
軍狼兵とて装虎兵には劣るものの、それ相応の魔導障壁を有しており、破片効果に対する耐性は高く榴弾が絶大な効果を発揮しなかった。殺傷範囲の低下は近 代兵器にとって死活問題であり、生物に騎乗した兵士という時代に逆行している様にすら見える兵科が戦場で幅を利かせている理由は、やはり魔導技術というト ウカの理解の及ばない“技術大系”に依るところであった。
「第二射、急げ!」
トウカの声を待つまでもなく、ヴァルリモント指揮の下に再装填が開始されていた。
しかし、迫撃砲弾よりも重量物であることに加え、その一斉射辺りの投射量が圧倒していることからも分る通り、その再装填は容易なものではない。補給大隊総出で再装填を行っているが、多連装擲弾発射機という新兵器に兵達が熟練していないという点が大きく響いていた。これはトウカの落ち度でもあるが、量産体制にない噴進弾を、技術者を動員して試作同様の手作業で製造した為に数に不安があり、試射のみに留めて射撃演習を行わなかったという理由もある。
「上手く行かないものだ」
出来の悪い小説や漫画の様に兵器を製造して、戦場で一発逆転とはいかないことを、トウカはこの時、真の意味で理解した。戦場に於ける最大の不確定要素とは、即ち“人”であるが、それは戦略や戦術規模だけでなく、その兵器運用や思想、動作までにも影響するのだと思い知る。
戦争は“ヒト”によって行われるのだ。
トウカの焦燥を余所に、〈第一装甲聯隊『ラインバッハ』〉と対戦車自走砲、突撃砲が砲射を開始する。
破裂音の様な砲撃音。
黒煙を突き抜けて進撃を続ける軍狼兵の一部が、炎の大輪に叩き付けられたかのように四肢を千切られながら後方へと吹き飛ばされる。榴弾の直撃、或いは極 至近弾を受けて弾き飛ばされる軍狼兵。至近弾の炸裂に依る破片効果によって四肢を寸断され、もしくは直撃弾の瞬間的な熱量によって血涙は雪原を彩ることな く蒸発する。
だが、軍狼兵は止まらない。否、止まれないのだ。
急な停止は後続の戦友との衝突を招く恐れがあるという点は騎兵と同様であるが、軍狼兵は脚力を生かして突撃体勢から強引に左右に方向転換する。
戦車砲や対戦車砲は、軍狼兵と正面から相対しているからこそ、ある程度の命中率を発揮することができる。機動力に優れ、小型であることから直撃や極至近を得る事は極めて難しく、〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉全体の命中率が低下を始めた。
両翼の森林地帯に侵入し、戦車や自走対戦車砲の照準が困難となった為か、その砲撃は一端止まる。ザムエルの指示であり、戦車や自走砲という兵器は搭載し ている砲弾に限りがあり、その上、直ぐに運用可能な即応弾は更に少ない。森林から再び姿を現して〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉との距離を詰めようとした瞬 間を狙うことを意図しているのだ。
無論、ザムエルも手を拱いてはいない。
両翼に配置された対空戦車の二段二列に装備された四門の三〇㎜対空機関砲がその砲身を大地と水平に構えて森林を指向する。
断続的に奏でられる重低音。
低高度を飛来する航空目標に対して攻撃を加える対空機関砲として開発された三〇㎜対空機関砲は、対地目標に対してもその威力を遺憾なく発揮した。
〈第一装甲聯隊『ラインバッハ』〉両側面への迂回突撃を意図して二手に分かれた軍狼兵聯隊だが、木々の間を駆けている最中、突如として側面から鋼鉄の暴風を受けることとなった。
森林の木々が圧し折れ、軍狼の中にはそれらに踏み潰される者がいる。機関砲弾に脚を砕かれて大地に斃れ伏す狼や、機関砲弾の直撃で胴体を両断された軍狼兵が大地へと落下する。
しかし、その時、残存の軍狼兵達は大きく数を減じていながらも、森林を抜け出し始めていた。至近距離に迫るその瞬間を狙って〈第一装甲聯隊『ラインバッハ』〉の戦車や付近の対戦車自走砲が火を噴くものの、密集する愚を犯さず散開しての突入を図ってきた。
「工兵に伝達して! 仕掛けを起爆しなさい!」砲声の中、リシアの声が響く。
それに応じるかのように森林から一際大きな爆発音が響き渡り、炎と黒煙が噴き上がる。その爆風は木々の間を吹き抜けてトウカの頬を撫でるほどで、リシアの指示で両翼の森林に敷設された爆薬の総量が非常識な量であることを物語っていた。
こればかりは軍狼兵も予想していなかったのか、少なくない動揺が走る。
軍狼兵特有の小隊規模である程度の独立行動が許されている為、指揮統制が混乱した場合は小隊指揮官に各々の指揮権が委ねられる。即座に散開できるように 編制されているのだ。元来、少数単位での索敵攻撃に定評のある軍狼兵。ある程度密集していたからこそ榴弾は有効であり、密集されるとその撃破効率は著しく 低下する。
その上、距離が至近に迫っていたこともあって狼狽えた戦車兵が続出し、元より少なかった直撃弾も減少する。
故に接近を許すことは止むを得なかった。
「一部が突入してくる!」
「小銃を取れ! 銃剣を装着しろ! 車載機銃は各個応戦! 装甲擲弾兵は戦車の側面を護れ!」
多連装擲弾発射機の運 用を諦めた補給大隊の将兵は小銃を手に隊伍を組まんとする。軍狼兵や騎兵に対しては、魔導術式の刻印された銃剣などの刀剣によって槍衾を形成することこそ
が、歩兵にとってその突撃を止め得る数少ない手段であった。対戦車砲や対戦車小銃ならばある程度の効果は見込めるが、補給大隊という輜重部隊に歩兵部隊と 同様の装備など配備されているはずもない。
しかし、〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉の面々も無能ではなく戦車や対空戦車、自走砲が後退を続けながら密集しつつも軍狼兵に砲撃を加え続ける。
「拙いわね。装甲聯隊が取り付かれたわ」
「被害のない戦争など有り得ない」
トウカはリシアの呻き声を一蹴する。
重要なのは戦闘行為によって生じた犠牲を無駄にしないことであり、それを達成する多為には泰然自若の精神は必要不可欠である。
〈第一装甲聯隊『ラインバッハ』〉と自走対空砲大隊は、後方の補給大隊、工兵大隊、通信大隊、自走重砲大隊などが展開している為に後退はしない。楯になる形で密集するが、少数の軍狼兵は装甲兵器に襲い掛かり、砲身を斬り落とし、履帯を切断して装甲を抉る。
対魔導術式の刻印された魔導刃を装備する戦斧や長槍、銃剣付対戦車小銃、銃剣付魔導杖を装備する軍狼兵は、単に戦狼に跨乗した兵士ではなく身体能力に優 れた魔導士である。極至近距離から砲撃型魔術を受けて装甲を貫徹される装甲兵器すらあった。特に装甲が比較的薄い対戦車自走砲を中心に被害が生じている。
「こ、此方に三騎が突っ込んでくる! 備えろ!」
ヴァルリモントの逼迫した声に、リシアまでもが手短な小銃を手に取る。
銃弾と魔術が飛び交う最中にあっても、トウカは双眼鏡を構えたままに輸送車輛の屋根に佇んでいた。戦況確認の為であるが、時折、銃弾などの死の羽音がトウカの耳朶を打つ。
「ザムエルも負けてはいないか……セリカさん、我が騎士よ!」
トウカは視線を向けることもなく、背後の騎士を呼ぶ。
唯一人からなる無双の軍勢。
嘗て、皇国に於いて剣聖と称された英傑。
「ここに、御屋形様」
トウカの横へと並び立つベルセリカの横顔は、深編み笠によって窺い知ることはできないが、トウカは元よりその顔を見るなどという無粋はしない。
「貴女の戦争だ。我が狼」
補給大隊の段列に右から迫る複数の軍狼を指し示し、トウカは薄く嗤う。
在りし日に、軍勢を率いるというどうしようもない重責をその身に背負う事を良しとしたからには、ベルセリカとて戦争という哀れな消費活動を好んでいる一面が心の何処かに潜んでいるはずである。
「心得た」
小さな、それでいて良く徹る声で答えたベルセリカは疾風の如く駆け出した。
「おうおう、俺に喧嘩を売るとは良い度胸だ、わんころめぇ」
ザムエルはⅥ号自走対戦車砲の戦闘室に設えられた指揮官席で通信機を操作しつつも、楽しげに笑う。
全ての戦車兵には二つの悲願がある。
一つは装虎兵に勝利すること。
陸戦の王者たる装虎兵を撃破することは戦車兵の憧れであり、装虎兵の撃破に成功した者達はそれを示す徽章を授与されることからも、装虎兵撃破という行為がどれ程に特別視されているか窺い知ることができる。
そしてもう一つが軍狼兵の撃破である。
装虎兵と比してその突撃力や攻撃力は劣るものの、機動力と索敵力に優れる軍狼兵も侮れない存在であり、航続距離や行動可能範囲に関しては全ての兵科の頂点に立つことから大きな注意を払われている。
無論、戦場で戦車兵がそれらを撃破する可能性は限りなく低く、特に他種族国家である皇国以外の国家にとって装虎兵や軍狼兵は極めて育成と維持の困難な兵科である。その絶対数は少なく、戦野で戦車と相対する機会も限られていた。
だが、そんな戦車は皮肉なことにこの内戦に於いて、双方の兵科と激しく衝突した。皇国こそが大陸最大の装虎兵と軍狼兵の保有国であり、皇軍相撃によってその真価を久方ぶりに現世に知らしめる切掛けとなったことは皮肉と言える。
双方共に被害と戦果は拮抗しており、蹶起軍の陸上兵力が征伐軍に劣っているにも関わらず推し留めることに成功していた。それは、地形を利用した戦術だけでなく戦車という装甲を有した移動する特火点の存在が大きい。
その戦車が、その支援兵器を含めて一個の完結した部隊編成を以て侵攻を開始した。
〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉。
自身の姓を冠する戦闘集団を率い、ザムエルは潜望鏡越しに恋い焦がれた敵の姿を捉える。
「全車に通達。榴弾を吝嗇るなよ」
徹甲弾はその構造上、命中弾でなければ目標に被害を与えられず、貫徹力に優れるという利点も命中させねば無意味である。徹甲弾という弾種は限られた…… 戦車や装虎兵などの高い防禦力を有する目標にしか使用されない。対して一会戦での弾薬消費を弾種毎に分けた場合、一番消費量が多いのは範囲効果を有する榴
弾であった。軍編成に於いて硬装甲目標よりも軟装甲目標の比率が多いことは当然である。それに対する軍隊が効率的な弾種を運用するならば榴弾の消費量増大 は当然の帰結と言えた。
「司令官殿、戦車に被害が!」
「ああ、喚くな戦車長。想定内だ」司令官席から悠然と答えるザムエル。
この指揮型Ⅵ号対戦車自走砲は、元となったⅥ号対戦車自走砲の戦闘室を拡大し、乗員を一名増員されていた。複数の装甲兵器を統括的に前線指揮する移動式 戦闘指揮の一つとして開発されていたが、実情としてはヘルミーネがトウカの前線指揮の為に製造した戦車自走砲であるもののトウカはこれを運用しなかった。
実は開発の経緯として、トウカが生身のままに戦野で指揮する事を危惧したマリアベルの懸念を軽減するという思惑があったのだがトウカはそれを知らず、そし て武功を己の手で上げねば納得できない程に“騎士”ではなかった。
複合する砲声の小夜曲に笑みを深めつつ、ザムエルは更なる指示を飛ばす。
「車間距離を縮めろ。ワンころの浸透を許すな」
その声に応じるかのように腹に響く砲声が轟く。六〇口径九九㎜対戦車砲が榴弾を撃ち出したのだ。司令官席には気圧制御を意図した魔導障壁が展開されており、戦車長の声はくぐもったものであったが、確かに肯定の声であった。
気圧制御が行われているのは砲射による急激な気圧変化によって肺が押し潰されぬようにする為の対処であった。通常、装甲兵は砲射時に口を開けることでこ れに対処していたが、部隊指揮を行っている指揮官が指揮中に、砲射の為に口を開けて隙を見せる事は部隊全体の危険に繋がる上に、その砲射音自体も情報伝達 の妨げとなる。
尾栓が開いて砲尾から薬莢が飛び出し、それを確認する間もなく装填手が次弾を掴み再装填を行う。硝煙が車内に充満して視界が低下するが、換気装置の排気によって徐々に薄れるものの、それでも噎せ返る装甲兵がいる。
「敵軍狼兵正面ッ! 照準を――」
突如として友軍車輛の影から飛び出してきた一騎の軍狼兵。
密集した事で友軍車輛の影という死角ができた為に発見が遅れたという理由があるが、その軍狼兵の練度が卓越していたことも容易に推測できた。
「くそッ、飛びやがった!」
ザムエルは悪態を吐きながら、車長用司令塔を乱暴に開け放ち、車載重機関銃の握把を握り締める。
軍狼兵の跳躍力はあらゆる兵科の中で最も傑出している。対する戦車は跳躍力など皆無であり、その上、装甲板に囲まれている為に視界が劣悪で、至近距離で跳躍した軍狼兵を見失うことは止むを得ないことでもあった。
棹桿を引いたザムエルの重機関銃を構えた手元に翳が射す。
「上等だぁ!」
視線と銃口を上に向けようとするザムエル。
しかし、重機関銃を真上に向けることができない。真上に仰角を付けることなど車載重機関銃は想定しておらず、トウカも陸上戦力が一時的とはいえ滞空して三次元行動を取ることを考慮してすらいなかった。
「糞ったれ!」
長大な戦斧を振り上げ、人狼一体となった軍狼兵が迫る。
戦車も強力な装甲と魔導障壁による多重防禦の複合物であるが、同時に軍狼兵に選ばれる将兵もまた優秀な魔導士や魔導騎士である。古の戦場で特火点であっ た魔導士や魔導騎士に高い機動力を付与する為に虎や狼に騎乗させたことが軍狼兵や装虎兵の始まりである。今日まで双方の兵科が科学の進歩に合わせて陳腐化 しなかったのは一重にその運動能力に依るところであった。
眼前に迫る軍狼兵。
戦斧の鋭利な切っ先に、ザムエルの手は反射的に向けられない車載重機関銃を何の躊躇いもなく手放し、腰の曲剣に手を伸ばす。
しかし、狭い車長用司令塔から上半身を乗り出した状態で、佩用した曲剣を抜き放つのは至難の業であり、案の定、柄が引っ掛かる。そもそも、ザムエルは刀剣の扱いが不得手である。
思わず目を力一杯に閉じるザムエル。
――こんなところで死ねるかよっ!
せめて北部の鎮護を見届けなければ死んでも死にきれないと考えていたが、敵方がそんな思いに配慮してくれるはずもないことは、ザムエルとて百も承知であった。未練など上げ始めれば際限がない。やはり散り際に郷土護持のことを考えるのは軍人としての矜持は持ち合わせていることの表れである。
迫り来る死の気配。しかし、何時まで経っても痛みや無力感は訪れない。
「莫迦者、戦野で目を閉じるとは何事か」呆れた声。
その小さな、それでいて良く徹る叱責の声に、ザムエルは慄きながらも眼を開ける。
そこには剣聖が立っていた。
対戦自走砲の長い砲身に降り立った古の英雄。
長大な直剣……長く幅広の刀身に、非常識なまでに長い柄を持つ斬馬刀で、軍狼兵を人狼諸共下から串刺しにしたベルセリカは、深編み笠から覗く口元を上品に歪めて戦野を睥睨していた。
英雄の時代は、未だ終わっていない。