第六八話 戦略兵器、列車砲
その時、至近に着弾音が響く。
進撃中の〈第五〇一機動師団『ヴェルゼンハイム』〉主力の眼前で、雪交じりの土が巻き上げられ視界を遮る。しかし、多くの装虎兵は厳しい訓練の賜物か反 射的に魔導障壁を展開していた。榴弾ならば直撃弾でさえなければ、至近弾による破片効果であっても魔導障壁で完全に防ぐことができる。装虎兵学校の選考基 準に魔導障壁の強度がある通り、装虎兵にとっては必須技能であった。
次々と展開される魔導障壁。
装虎兵や軍狼兵はその一人一人が高い魔導資質を持った騎士であり、本職の魔導士には劣るものの連携によって多重障壁を展開することに成功していた。
高い防禦力を頼みに弾雨を潜り抜けて接近し、卓越した攻撃力で敵を粉砕する装虎兵と軍狼兵は、同様の機動戦力である騎兵と比して弱点である防禦の脆弱さという点を克服している。
突撃隊形を維持したままに陸戦の王者は突き進む。
「砲撃かッ!!」
小隊長の歯噛みに、エルンストは戦場とは予想外ばかりが起こる場所だと改めて実感する。授業や教練では腐るほどに教官から叩き込まれていたが、目の当たりにすると冷静ではいられない。
「敵の攻撃は左右からです! 突撃しましょう、小隊長殿!!」
然して深く考えた結論ではないが、装虎兵としての敢闘精神がこの戦局に於いて勇猛であることを望んだ。
実はエルンストの判断は正しかった。
実はトウカの作戦は極めて杜撰なものであった。左右の森林地帯に全戦力を伏せ、敵の通過に合わせて順次、銃砲撃によって撃破するという極単純なもので、 作戦と呼べるほどのものではない。これは〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉の連携に対する不安と、将兵の練度に対する不信感の発露であったが、それが裏目に出 たのだ。
「良かろう。諸君、突撃だ! 我らは左翼に突撃を行う!!」
右翼に突撃を開始する友軍部隊を見て、小隊長も決意する。敵がいるならば食い破ればいいという考えは陸戦の王者たる装虎兵において何ら不可思議なことではなく、装虎兵という兵科に対する絶対的な信頼が窺えた。
しかし、敵の火力は異常とも思える規模であった。
両翼に砲兵師団が展開しているのではないかと思えるほどの火力集中に、舞い落ちる氷雪は雪原に届くことなく熱線に解け消え、巻き上げられた土砂と雪……そして、血液が障壁に張り付き視界を制限するが、それでも尚、エルンストは背の戦斧に手を掛ける。
「では――――エルンスト少尉、吶喊します!!」
恐怖が身体を突き動かしたが、怯え、戸惑い、立ち竦むことなど装虎兵には許されない。何よりも、その場に留まって撃破される事など一廉の騎士足らんとしているエルンストには断じて認められない事であった。
「良かろう! 諸君、新任に後れを取るとは何事か!!」
野戦魔導杖を振り上げた小隊長が叫び、虎上で部下を喚起する。
小隊装虎兵は奇襲によって些か数を減じているものの、その突撃に躊躇いも翳りもない。それは、相棒である白虎を信頼し、装虎兵という陸戦の王者としての自負心の発露であったと言える。
時折、直撃弾を受けて肉片へと変わり、雪の大地を朱に染める戦友を尻目にエルンストは戦斧を振り上げる。
対戦車砲と思われる火砲が両翼の森林で繰り返し火を噴いている。長砲身砲なのか直撃であれば装虎兵の魔導障壁でも遠距離から貫徹可能だという事実は少な からず〈第五〇一機動師団『ヴェルゼンハイム』〉を混乱させた。しかし、その発砲炎から然したる数ではないことを察した熟練兵によって早期に混乱は収束 し、対策が講じられていく。
対砲吶喊によって両翼の 森林地帯に隠れ潜んでいる敵部隊を粉砕せんと、〈第五〇一機動師団『ヴェルゼンハイム』〉の一部の軍狼兵や装虎兵が段列を離れて両翼へと駆け出す。装甲聯
隊は砲兵大隊、輜重大隊、工兵大隊などと共に段列後方に位置していることと、優先目標とされていない為に無事であったが、装虎兵と軍狼兵の突撃支援として 戦車砲による曳火砲撃を繰り返していた。
曳火砲撃とは榴弾による非装甲目標に対する砲撃形式である。砲弾が空中で炸裂して大量の破片が地面に吸収されることなく目標範囲に降り注ぎ、水平より下 面への破片全てが有効な破片と成り得た。空中炸裂の為、目標の頭上から破片を降らせる形になり、姿勢を低くした目標や塹壕などに潜伏した目標にも損害を与
え易い。この一戦に於いては対戦車砲の運用要員を殺傷することを期待して曳火砲撃が実施された。
しかし、自走化されたⅥ号自走対戦車砲は、重機関銃や炸裂破片に対する装甲を有しており、この曳火砲撃は然したる被害を与えていなかった。森林地帯に身 を隠しながら砲撃を継続しているⅥ号自走対戦車砲の正体が露見していないことに加え、新機軸の兵器に対しての対応策が立案されていないことなども大きく影 響していた。
当然であったが、〈第五〇一機動師団『ヴェルゼンハイム』〉はこれらを理解していなかった。
しかし、軍狼兵と装虎兵が小隊規模で密集を始めると戦況は〈第五〇一機動師団『ヴェルゼンハイム』〉有利に大きく傾く。
魔導障壁を複合させることで、対戦車砲の貫徹力を上回ったのだ。対戦車砲弾が多重魔導障壁に弾かれて甲高い金属音を響かせる。
無論、森林地帯に潜んだ対戦車砲も黙ってそれを見逃しはせず、密集を始めた軍狼兵や装虎兵に対して優先的に集中砲火を加えることで密集阻止を図る。
だが、絶対数に勝る〈第五〇一機動師団『ヴェルゼンハイム』〉の集結を阻止できるはずもなかった。
順次、突撃に入る小隊規模の軍狼兵や装虎兵。
それは、確かな勝利を感じさせる勇壮なる光景であった。
一度は敗走した聯隊規模の軍狼兵だが、一個大隊弱が糾合されて装虎兵聯隊の突撃に加わっていた。
陸戦の王者達は、今この時まではその能力を遺憾なく発揮していた。
その自負があるからこそ、常に攻勢の姿勢を堅持する。
その時、大気を裂くかの様な轟音が周囲に響き渡る。
そして大質量を伴ったナニカが、〈第五〇一機動師団『ヴェルゼンハイム』〉を襲う。
想像を絶する着弾音。
装虎兵や軍狼兵が四肢を捥がれて雪交じりの土砂と共に舞い上がり、大重量の戦車ですら爆風で引き倒される。効力射で舞い上がった肉片や砕けた装甲兵器の破片が土砂と共に降り注ぎ遮られる視界。
凄まじいまでの砲撃。
その着弾数は決して多くないが、一発の威力は重砲すらも遙かに上回る。
易々と多重魔導障壁を貫通する気配にエルンストは絶句するしかない。
魔導障壁に大穴が開き、魔力供給が経たれて次々と魔力の粒子となって消えていく光景に、〈第五〇一機動師団『ヴェルゼンハイム』〉の突撃隊形が動揺によって乱れる。
――軍狼兵が見逃したのか!?
エルンストは歯噛みする。
軍狼兵の索敵能力は卓越しており、硝煙に塗れた戦場であっても、ある程度は魔導の波動やヒトの臭いを嗅ぎ取ることができた。その圧倒的な索敵能力によっ て敵による奇襲の可能性を極限まで減らした上、早期に敵を発見補足して拘束。そして中衛にして主力である装虎兵の突撃によって敵を壊乱せしめ、後衛の装甲
聯隊と搭乗する戦車猟兵によって敵戦線の突破口と戦果を拡大。それが機動師団の基本戦術であった。
しかし、あろうことか先制攻撃を受けた。
観測射を兼ねた各個撃ち方だが、それでも尚、その圧倒的な至近弾によって少なくない被害が生じる。先の砲撃とは違う高高度からの大質量物質による落下音。
「障壁多重展開! 重迫だッ!!」
小隊長の叫びに、エルンストは魔導障壁を多重展開させる。
魔導障壁は魔導資質の低い者達が思う程に便利で汎用性に富むものではない。否、汎用性は十分に秘めているものの、その状態を維持できるだけの魔導資質を 持つ者が限られているという点が全てを台無しにしていた。多重障壁はその名の通り複数……皇国陸軍装虎兵では、三層構造による多重魔導障壁を採用しており 極めて堅牢な造りであった。構造としては中空装甲に近い。装甲板の中に隙間を設けるのだ。
中空装甲板へ侵徹する砲撃型魔術の超高速噴流や高速運動弾の侵徹体が、一枚目の装甲板を貫通。超高速噴流の噴流は激発時期を違えさせられて威力が拡散し、侵徹体の先端は茸状に変形する。それにより二枚目以降の装甲板への侵徹効果が阻害される。これは皇国陸軍装甲部隊の装甲兵器に搭載されている空間装甲という外部装甲板にも見られる技術でもある。指して珍しいものでもなく、貫徹力の高い魔導射撃や徹甲弾の直撃に対しても極めて高い抗堪性を持つ為に広く採用されていた。
「伏せろッ、新人!!」
そんな声が背後から響いた瞬間、エルンストは肩章を掴まれ雪の積もる地面へと引き倒される。その事実を認識したのは、エルンストが状況確認の為、反射的に頭を上げようとした瞬間、即座に押さえ付けられて再び顔を雪に埋めた時であった。
肩章は背嚢の負い革や装備品を固定する等の実用的な目的の為に古くから軍服に用いられていた。後になり装飾を目的としたものが現われ、軍隊に於いて階級 や兵科が整備され始めると、それらを表示する機能を持たせられるようになる。しかし皇国軍に於いて肩章はそれ以外の目的も含まれている。
負傷者の後送。
通常であれば担架を使ったとしても一人を運ぶ人員は二人が必要であり、銃弾と魔導が飛び交う前線に於いて立ち上がらねばならないという欠点があった。そ こで両肩の肩章を掴み後方へ引き摺って行くという手段が最前線では多用された。これは低い姿勢のままに単独で行える利点を持っており、一時的に安全地帯ま
で後送する手段として極めて有効である。皇国軍の肩章は高級将校であっても肩掛け式を採用している。例外として装甲兵等は戦車の狭い車内で突起物に引っかからないように全周を縫い付けるなどの場合もある。
そんな肩章だが、今回はエルンストを大地へ引き摺り下ろす為に使われた。
だが、その理由が間もなく訪れた。
大質量物体の飛翔音。
そして、圧倒的な閃光と爆風。
重迫撃砲如きではない。そもそも心胆寒からしめる程の砲声がある。
迫撃砲は簡易な構造からなる火砲である。少人数で運用できる上、運用方法も比較的簡便な為、砲兵ではなく歩兵の装備であることが一般的であった。最前線 の歩兵部隊にとっては数少ない間接照準による直協支援火器の一つでもある。口径によって軽迫撃砲と重迫撃砲に分類されているが、どちらも人力、或いは小型
車輌で牽引できるなど可搬性に優れている。射程を犠牲にして砲口初速を低く抑えている為に各部の強度を低減できた。加えて砲撃時の反動を地面に吸収させる
方式である為の駐退機や復座機といった反動制御機構を組み込む必要がなかった。そして、|砲口装填式(前装式)のため閉鎖機も不要であり、同口径の加農砲と比べ極めて軽量小型である。
それ故に迫撃砲は脅威であった。
不安定な地形であっても展開可能であり、少数運用も行える迫撃砲は前線の戦闘部隊全てにとって頼れる相棒であり難敵であった。装虎兵は魔導障壁が展開可 能な為に直撃でなければ恐れる必要はない。過去の戦場ではそれを見越して本来、曲射砲の一種である軽迫撃砲を極至近距離から平射して装虎兵を撃破した猛者 もいたが、それは極めて珍しい例と言えた。
索敵で重砲を遙かに超える火砲の展開を観測できなかった以上、簡便であり展開と輸送の容易な重迫撃砲であると判断することも止むを得ない。
だが、眼前で巻き起こった光景は、迫撃砲の砲撃を遙かに上回るほどに悲惨なものであった。
着弾の閃光。
砲弾の炸裂が奔り雪の大地が擂り鉢状に抉られ、大量の土砂が爆風によって舞い上がり、エルンストの魔導障壁に降り掛かる。伏せたままに周囲を見回すと、巨大な爆炎が無数に発生し、突撃を開始しようとしていた多くの装虎兵を飲み込む。
「し、小隊長ッ……あれはっ!?」
「さぁな、重迫かと思っていたが……大口径砲。それも艦砲並みだ!」
顔に付着した雪を払う事もなく小隊長は冷静に告げる。
それを余所に再び大口径砲が着弾する。
圧倒的な火力。
小隊長の懸念が図らずとも的中する形となった。
「次発装填、急げ!」
ヴァイトリング砲兵中佐の言葉を受ける必要もなく、野戦鉄道聯隊砲兵達は動き出していた。
野戦砲兵司令部として運用されている建造物からその光景を見たマリアベルは総攻撃の機会を窺っていた。
タンネンベルク 四一㎝ Kanone 一(E)機動列車砲。
二〇門にも及ぶ列車砲が砲列を組み、各個撃ち方を継続しているその姿は勇壮の一言に尽きた。砲撃対策の為に特設された防楯の影からそれを眺めるマリアベルは満面の笑みを浮かべる。
廃嫡の龍姫が報復兵器(Vergeltungswaffe)の一つ。
建造中止された新型戦艦の五五口径四一㎝砲を八門を流用して建造された機動列車砲の砲撃は圧倒的で、咆哮する度に言葉を遮られる。
超長砲身砲として開発、製造された艦載砲だけあって、その射程と口径は通常陸軍が運用している野砲を遙かに上回っている。遠方に対する照準は、戦域上空 の偵察騎による着弾観測によって照準を行っていた。地平線よりも遙かに離れた位置にある目標を砲撃するには、光学装置の照準は役に立たず別の着弾観測手段 が必須である。
機動列車砲というヴェルテンベルク領邦軍独自の兵器は異質である。
風系統魔術による仮想砲身で砲身長の更なる上乗せでの射程延伸。砲撃による砲身加熱による湾曲から防護すべく水系統魔術による砲身冷却。大質量の四一㎝砲弾と装薬を短時間で装填する為の輪胴式装弾装置。
複雑な科学技術と魔導技術による構造物。
超長砲身を一列に横列を展開する二〇門余りの列車砲。
その姿、威風堂々。
槍兵の構えた長槍の如く砲身による槍衾を振り翳す姿が戦野に見られることは、古の世より変わりなく、そしてどれ程に武器が進化しようと人は戦いを止めない。
マリアベルはこの一戦を歴史に埋もれさせる心算などなかった。この一連の戦闘は、実質的にマリアベルの意図によって発生したが故に、その過程で散って 逝った命に報いるだけの結果を残さねばならない。そうして軍人や為政者は憎悪と義務に絡め取られて戦い続ける道を選択していくのだ。
「遠弾……遠弾……近弾……」
「莫迦者! もっと腰を据えて撃たんか!!」
ヴァイトリング砲兵中佐の怒声に、野戦砲兵司令部に詰めていた野戦鉄道聯隊の面々が緊張した面持ちで頷く。野戦鉄道聯隊はヴェルテンベルク領邦軍司令官であるイシュタルの直轄部隊であるが、機動列車砲の砲術指揮をしているのはヴァイトリング砲兵中佐であった。
各個撃ち方によって二〇門の列車砲は、一発ずつ砲撃を加えてその誤差を確認することでその精度を向上させていく。マリアベルの見たところそれは上手くいっているとは言い難い。
「着弾観測が杜撰ですな。元々、経験者がいなかったとは言え」
「戦闘団の砲も砲撃を始めておる上、吹雪いてきおったからの。何より敵前衛は友軍と距離が近すぎようて。誤射しかねん」
上空からの観測は広範囲を短時間で戦況確認できるという長所を持つが、天候や黒煙などに左右されて誤認や確認できない可能性があった。
今回はその欠点が露呈した形となった。
マリアベルは焦燥に駆られる。速やかなる支援が前提であったマリアベルの策は、至極個人的な確認の為だけに実行された。
つまりは、トウカが上に立つ者として一番重要な要素を持ち合わせているかの確認である。
命を賭して戦友の窮地を助けるか?
戦友を見捨てないという覚悟があるか?
それはマリアベルにとって大きな意味を持つ。
嘗て、マリアベルにはそれがどうしてもできなかった。周囲の全てが敵であった神龍の都にあった時代から、未開の辺境であるヴェルテンベルクの発展期までを駆け抜けたマリアベルは大切なことを忘れていた。
ただ同胞の為に健気に命を擲つことができるか。それこそがヒトの上に立つ者に必要な資質であると。
己と目的を共有できる者達の数こそが、悲願を叶え、時代を動かす最低限の要素であることをマリアベルが知ったのは極最近であり、全ては遅きに失した。
どうしたものか、と思い悩むマリアベルを余所に、偵察騎からの報告を携えた伝令の兵士が駆け付ける。
「戦闘団司令部、サクラギ参謀より通信! こちらの着弾観測指示に従え、とのことです!」
「むっ、露呈とるのぅ……戦闘団参謀の指示に従え」マリアベルは顔を顰めつつも了承する。
ヴァイトリング砲兵中佐もそれに頷くと、射撃指揮所で演算機に向かっていた砲兵達に新たなる指示を与え始める。
着弾観測の通信は通信大隊を戦闘団が有しているとはいえ、この強力な魔導の波動が飛び交う戦場に在っては受信能力が大きく低下する。本来ならばこの領邦軍前線司令部まで届く事はない。トウカはこれを偵察騎の高位魔導士を経由させることで解決した。
即ち、トウカはマリアベルの不備に即応した。
――いかんの。偵察騎が着弾観測しておることを知られておるということは、支援時期を妾が遅らせたことに感づいておるやも知れぬ。
トウカが非常の時、同胞を見捨てない気概を見せるかという純軍事的には勝利に何ら貢献しない一点を作戦目標の一つとして加えた。知られることがあってはマリアベルの面子が潰れる。
背後で呆れた表情をしているイシュタルは、大凡の見当を付けているだろう。それはいずれ話さねばならない手間が省けたとしてマリアベルは無理やりに納得 する。しかし、この作戦自体が予定を繰り上げた上、トウカの作戦をマリアベルが利用するという複雑な経緯によって発令されたものであった。作戦進行中に あっても不備は随所に見られた。
イシュタルが当初計画して準備を進めていた作戦は、限定攻勢によって征伐軍基幹戦力である複数の機動師団を蹶起軍支配地域の砲兵戦力を集中した一帯へと 誘引して包囲殲滅を図るというものであった。トウカはその作戦の一部を踏襲して作戦準備期間を削減しつつも最終目標を機甲突破に変更した。
そして、それをマリアベルは更に変更した。
両者の作戦目標を満たしつつ、自身の至極個人的な確認を行う事。
何と欲張りなと思える作戦内容であるが、マリアベルからすると中央貴族との衝突への準備期間は、ヴェルテンベルクを拝領してからの約四〇〇年余りの時間 全てである。その程度の戦備は整えてきた心算であった。寧ろ、その程度の無理が出来ぬのであれば四〇〇余りの研鑽に意味はない。
「効力射出ました!」
「初弾のまぐれが続かなかったのは当然か……一斉撃ち方!」
砲術士の言葉にヴァイトリング砲兵中佐が怒鳴り返すように指示する。巨砲咆哮の残響は対音響術式による防音手段を講じられた野戦砲兵司令部にあっても例外ではなく、多くの雑音を掻き消していた。
着弾修正を意図した交互撃ち方から、目標への打撃を前提とした一斉討ち方への砲撃形式変更の為、一時的に砲声が鳴り止む。残響が未だ耳を撫でるが、マリアベルはそれを無視して立ち上がる。
今更、体裁を取り繕う必要はない。殲滅するのだ。戦う時は、今を置いてなし。
立ち上がり、扇子を振り払うように開いたマリアベルに、野戦砲兵司令部の将兵が敬礼と共に傾注する。
「妾はヴェルテンベルクの長として戦場に馳せ参じ、怨敵たる賊軍を打ち払う! 皆の者、合戦準備をせぃ!!」
その命令の過激な内容故に、即座に応ずることができずに戸惑う将兵達に、間髪入れず大喝が飛ぶ。
「この大虚け共ッ!! 主君の御出陣に、即座に応ぜずして何が為の領邦軍かッ!!」
戦女神の異名を取る盟友、イシュタル・フォン・イシュトヴァーン准将による一喝であった。
主君の指示にその身を思って応ずる事を示しているかのように曲剣を抜き払いつつも、僅かばかり語調を弱めつつもイシュタルは言葉を続けた。
「此度の戦は事実上の郷土防衛戦である! 領邦軍の本分これに勝るものは無しッ! 賊軍を討ち払い郷土を護ろうではないかッ!!」
マリアベルが言葉を重ねるまでもなく、イシュタルは士官達の反論すら与えず、将兵を戦野へと駆り立てる。
「〈第五装甲大隊〉を主力とし、〈第二歩兵大隊〉を後詰に、〈第三偵察軍狼兵中隊〉を前衛に戦闘序列を形成! 私は〈第2歩兵大隊〉を率いる。済まぬがヴァイトリング中佐には司令部にて差配を頼みたい」
「承知しました。列車砲と砲兵の支援に御期待いただきたい」
面倒を嫌うマリアベルにとって、自身の指示内容を瞬時に煮詰める事が出来るイシュタルという女性は貴重な人材であった。無論、長年の盟友であるからこそ 互いに気心が知れており、無駄なく相手の不得手な部分を補い合えるのだが、これほどに隙のない対応をされるとマリアベルすらも口を挟めない。
ヴァイトリング砲兵中佐が一礼し、イシュタルが改めて司令部に檄を飛ばす。
「ヴェルテンベルク伯、御武運を祈念致します」
「戦友諸君、我らが主君が御出陣あそばすぞ、指揮戦車を御用意致せ!! 〈第五装甲大隊〉並びに〈第二歩兵大隊〉、〈第三偵察軍狼兵中隊〉は郷土護持のため出陣するッ!総員合戦準備となせッ!!」
俄かに慌ただしくなる将兵達を眺めるマリアベルの肩に、イシュタルが背後から軍用外套を掛ける。
ここに蹶起軍の……ヴェルテンベルク領邦軍の反撃が始まった。
「糞ったれがッ!!」
巻き上げられた大量の雪と土砂が降り注ぎ視界を遮断する中、トウカは車載機銃に拳を叩き付けてあらん限りに叫ぶ。しかし、その大音声すらも掻き消すかの 様に次々と着弾するナニカに、トウカは慌てて車内へと退避する。鉄帽ではなく軍帽を被っているトウカにとって降り注ぐ土砂に混じっているであろう石類は脅
威であるが、車長用司令塔に沿って展開されている魔導障壁がそれらを遮断する為に脅威ではない。意識は、それ以上に新たなる指示を早急に出すことを求めた。
通信機の受話器を引っ掴み、友軍との交信に使われる魔導波に合わせる。魔導波は部隊毎に設定されてもいるが、上手くすると〈第一装甲聯隊『ラインバッハ』〉以外の友軍がこの通信を傍受することに成功する可能性を願ってのことであった。
「装甲聯隊、全車輛後退! 隙を作るな! 小隊単位で連携しつつ後退!」
先頭にあったトウカの指揮戦車内には相変わらず土砂に混じった石が天蓋に直撃する音と、時折響く圧倒的なまでの着弾音に満たされていた。
指揮戦車も砲身を〈第五〇一機動師団『ヴェルゼンハイム』〉に指向させたままに車体を反転させて後退を始める。潜望鏡で左右を確認すると、僚車が敢然と 砲射を繰り返して撤退の支援を行っており、トウカは〈第一装甲聯隊『ラインバッハ』〉将兵の精神に余裕があると見て安堵する。
砲手に支援砲撃を命じつつ、トウカは通信機を操り指揮を続ける。
「大隊長! あのふざけた攻撃は何だ!?」
『参謀殿、あれは機動列車砲です。恐らくは野戦鉄道聯隊が駆け付けたのかと!』
トウカはこれ以上ない程に顔を引き攣らせる。
その様な怪物砲を戦線まで引っ張ってきたという事実をトウカは知らない。攻勢の主軸であった〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉の参謀を務めるトウカが聞いていないということは、故意にその事実を隠蔽したということに他ならない。
「マリアベルぅ……謀ったなぁ」
小さく呟いたトウカは、これがマリアベルの意図するところなのだと思い当たり戦慄する。
〈第五〇一機動師団『ヴェルゼンハイム』〉の殲滅を意図しているのだ。
トウカがそれを事前に知れば、不確定要素が多すぎると判断して反対するであろうことまで織り込んだ上での作戦であったことは想像できる。それでも砲撃支 援を早期に行えたはずである。予想外の出来事が多発したのであろうことは容易に想像できた。やはり知っていれば断固反対しただろう。作戦の複雑化は不確定
要素の増大と部隊運用の混乱を招く。主要な作戦目標が数多く存在することなど以ての外であった。
「敵も立て直したか、早い」
潜望鏡越しに接近する軍狼兵を見て、トウカは呆れる。
混戦になれば列車砲による支援は望めないので、その突撃という判断は列車砲の砲撃を受ける時間を最小限に留めるには正しいものであった。
「右二時の方向の軍狼兵を狙え!」
その言葉に応じて、砲手は足元の4区画に区切られた蹬……砲塔旋回装置で砲塔を旋回させる。それぞれが高速右旋回、低速右旋回、高速左旋回、低速左旋回に対応しているが、砲手は熟練の技を見せつけるように照準を定める。本来は微調整や旋回装置故障時の為の砲塔旋回把手を使用し、脚で大凡の調節しつつも手で最終調節をするが、熟練兵は蹬操作だけで確実に照準するのだ。
換気装置の換気音の中、砲手 が照準器を静かに覗き続ける。目標が向かってくる以上、射程に入り次第撃てば良いが、戦車も後退を続けているので命中させることは容易ではない。皇国の光
学機器は魔導技術の併用によって一流の動作性と性能を誇る。長砲身化によって得た長大な射程は光学機器の性能もあって長くなった為、アウトレンジ戦法(相
手の射程外から攻撃)が可能であった。無論、戦車と目標が互いに高速で機動している状況ではやはり命中は難しい。耳長族の砲手の一部にはそれを可能とするものが例外として存在するが、やはりその数は少ない。
しかし、牽制にはなる。
砲手が引き金を引き、炸薬の燃焼により生じた炸裂音が狭い車内を満たす。
後退を終えた駐退機に取り付いた装填手が開閉機を開き、強制排莢桿を操作して無理やり砲弾を取り出そうとするが、強制排莢桿が降りず、私物の金槌で桿を叩く。
「外れても気にするな! 砲射継続だ、隙を見せるな!」
その言葉に砲手は照準器から目を離さずに応じると、装填手も弾種の指示を受けて次発の装填を始める。
二発目の射撃は初弾と比して難しく、砲射を続ける毎にその困難は増大する。砲身は長い金属の棒を片端のみ支える構造になっていた。長い金属はしなるとい う特性は身も例外ではなく、長砲身砲は長さのせいで垂れてしまう。無論、砲射を続けていれば熱膨張によって砲身が膨張して垂れが一時的に解消され水平ヘと
戻る。砲身の角度が変化する以上、照準も狂い砲弾は一発目より上を飛ぶ。対して三発目は逆に垂れが大きくなる為、砲弾は大きく下にずれこむ上、砲弾の散布 界も大きくなる。
「埒が開かん! 後退を続けろ!」
後退の指示を再び厳命し、トウカが艙口を開けて再び車長用司令塔から顔を出して周囲を見回すと、既に一部の軍狼兵は後退中の〈第一装甲聯隊『ラインバッハ』〉の隊形内に侵入していた。
右に進路変更しろと操縦士席後部を蹴り飛ばしながらも、トウカは車載機銃であるアーネンエルベMG94Vの棹桿を引き、遊底を後退させ、銃内部の撃鉄を起こして弾丸を薬室に送り込むと、手早く至近の軍狼兵に向けて引き金を引く。
腹の底に残る様な重低音を響かせて機関銃弾が車載機銃より吐き出される8.8㎜の銃弾。
アーネンエルベMG94Vはヴェルテンベルク領、アーネンエルベ社で開発された汎用機関銃で、多くの新機軸の技術を盛り込んだ意欲作であった。
形状としては銃床が連射の反動で肩からずれてしまうのを防ぐ為に肩の上で保持されている。下に左手を添えられるような形状となっており、銃身は設計元となったMG94は銃身外装右後端の艙口を開くだけで簡単に銃身を抜くことが可能であった。熟練者は僅か数秒で銃身を交換することができる。構造としてもローラーロック式を採用し、薬室左右付近に設けられたローラー状のロッキングブロックにより遊底の閉鎖を行うことができた。これにより閉鎖機構に比較的高い強度を持たせることに成功し、従来の機関銃よりも摩耗性が低いという長所があった。
角ばった放熱外装が熱を帯び、降りしきる氷雪が触れる前に蒸発する。
単射機構がないので、連射による急激な銃弾の損耗を避ける為に指切り単射を行うトウカだが、軍狼兵の魔導障壁の上で銃弾は火花を散らせるだけであった。例え連射で銃弾を叩き付けても成果を上げられないことは明白であり、牽制となれば御の字という扱いである。
本来ならば戦闘時には脇に複数の予備銃身を置き、時々交換して冷却しながら使用して銃身消耗を防ぐという選択肢もある。そして、弾数を節約する為、連射 は一秒以下に留めることが普通であった。車載機銃に予備銃身の必要性は低い。至近に迫る軍狼兵を相手にそうも言ってはいられない。銃身交換などする暇もな い。
右旋回を続ける戦車の砲塔上から、龍姫の鋸と称される連射を叩き付ける。
銃床から肩に伝わる断続的な衝撃にぶれる照準器を使う必要もない距離であることは幸いであった。至近であっても貫徹できないという無力感は想像を絶するものである。戦車上からであってもこれほどの無力感を感じる以上、歩兵の心中は想像を絶するものがあるに違いない。
トウカの搭乗する指揮戦車を追い越し、正面から至近に迫る軍狼兵。
だが、旋回を終えた砲塔の戦車砲が唸る。
砲塔の旋回時間短縮という意味だけでなく、戦車は可能な限り敵方を指向させ続けることが多い。砲塔と車体で最も装甲の厚い正面を敵に対して向けるという 理由や、一撃で行動不能にされる履帯への直撃の可能性低減という思惑もあった。元来、戦車とは正面切った砲撃戦を想定した構造をしており、敵が正面に存在 する場合に最大の防禦力を発揮できる。
一瞬、トウカの視界を閃光が満たし、耳元を砲声が蹂躙する。
車長用司令塔を囲むようにして展開されている魔導障壁は小銃弾や破片効果に対する物理防禦だけでなく、必要以上の閃光に対する防禦や音響防禦も備えている恩恵は、砲射時に身を乗り出す自由を与え、戦車長の周囲確認時に狙撃される危険性を大きく減らしていた。
軍狼兵の足元が爆発する。
榴弾による至近弾に軍狼兵が煽られて宙を舞う。
軍狼兵の魔導障壁であっても戦車砲弾を極至近に受ければ破片効果と爆風によって致命傷は避けられない。鮮血を撒き散らしながら弾き飛ばされる軍狼兵と黒狼。
しかし、戦車の蹂躙はそれだけに留まらない。
前進を続ける戦車に気付いた軍狼兵が這いずりながらもその進路から逃れようとする。それは無駄な足掻きであった。敵の戦意を下げる為に轢殺をトウカは推奨しており、戦車も軍狼兵に向かって進路を転換する。
履帯が脚の指先を踏み潰す。それと同時に動きを止め、軍狼兵が絶叫を上げる。
次は太股を履帯が踏み潰す。絶叫と、骨肉が千切れ、砕け散る耳障りな音が響くが、鋼鉄の野獣の車体はその感触をトウカに伝えることもなかった。
履帯が腹を噛む。既に息絶え、絶叫はなくなるが、耳障りな音は、銃弾と砲弾、魔導の飛び交う戦野にあっても尚、克明に響き続ける。
頭の先が戦車上から消える。最早、骨肉が戦車の重量で踏み潰される音のみが、鋼鉄の野獣の恐ろしさを伝えていた。
そして、全てが踏み潰された。
周囲を見渡せば、〈第一装甲聯隊『ラインバッハ』〉の後退路には無数の赤い絨毯が敷かれている。
潰れ、砕かれ、溢れた、ヒトであったモノが履帯によって雪原に真紅の絨毯を演出するその光景は、その所業を感じさせない程に美しいものであった。
〈第五〇一機動師団『ヴェルゼンハイム』〉から先行を始めた軍狼兵達は、〈第一装甲聯隊『ラインバッハ』〉と次々と衝突する。
一部の戦車は砲身を斬り落され、履帯を切断され、極至近から砲塔を砲撃型魔術で砲塔を吹き飛ばされる。中には魔導刃を展開した魔導杖で車体に大穴を開け られているものもあった。しかし、被害は〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉よりも〈第五〇一機動師団『ヴェルゼンハイム』〉が上回っていた。
小隊規模で行動する戦車の戦車砲の集中砲火を受けて軍狼兵は次々と斃れる。
本来であれば纏まった突撃によって魔導障壁の複合化が行われ高い防禦力を発揮して〈第一装甲聯隊『ラインバッハ』〉に接近、その近接戦闘能力を十全に発揮しただろう。
しかし、それは大口径砲の砲撃支援によって瓦解した。
遙か高空より、大質量を伴って飛来する無数の巨弾が、再びトウカの頭上を飛び越えて、遙か前方へと着弾する。
「此方は自分で対処しろということかッ!!」
噴飯ものであるが、混戦になりつつある状況を鑑みれば友軍誤射の危険性があり、ましてやこの世界に於いて戦略兵器である戦艦の主砲を流用した機動列車砲の巨大な榴弾の殺傷範囲は広大で、散布界も広く〈第一装甲聯隊『ラインバッハ』〉への着弾も十分に有り得た。
恐らく、機動列車砲の砲列は敵後方の装甲聯隊や補助部隊を砲撃している。
〈第五〇一機動師団『ヴェルゼンハイム』〉の軍狼兵や装虎兵は強力だが、その二種類の主力戦闘騎獣を維持するには莫大な物資と労力を必要とする。ヒト遙 かに超える巨体の生物なのだ。糧秣を食い荒らすかのように消費し、健康を維持する為の獣医師も不可欠である。そこに武装や弾火薬、日用品などを加えた物資 の量は、装甲師団の運用に必要な量と然して変わらない。
〈第五〇一機動師団『ヴェルゼンハイム』〉という強大無比な戦闘単位の継戦能力を削ぐ手段としては妥当である。
「セリカさん! 戦車に取り付く敵を優先的に撃破してください!」
「む、承知した」
この状況にあっても尚、指揮戦車の脇に徒歩で追随していたベルセリカに指示を出すと、トウカは再び戦野へと視線を戻した。