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第六六話    魔導国家の双璧





 ベルセリカは無造作に斬馬刀を振るう。

 圧倒的な速度で振るわれた斬馬刀は、降り積もった氷雪を巻き上げつつも軍狼兵を斬り裂く。

 斬るという行為よりも、叩くという行為に重きを置いて鍛えられた一振りは中口径迫撃砲に匹敵する重量を伴って軍狼兵を叩き斬る。

遠国(とっくに)同胞(はらから)よ、御主らの死、(むだ)にはせん」

 人狼諸共両断され、雪の大地に噴出した鮮血と共に叩き付けられた遺体を一瞥すると、ベルセリカは非常識な程に長い柄を滑らしながら振り払い、長く幅広の刀身に付着した血を風圧で落とす。その動作だけで大地に積もる雪が吹き払われる様は脅威の一言に尽きた。

 しかし、軍狼兵達は恐れない。矜持と愛国心の発露。

「真に宜しきことで御座ろう。しかし……」

 甘い。果てしなく。

 矜持や意志などで戦域を維持できるならば兵器など必要なく、また優秀な指揮官も不必要となる。どれほどに高潔なる意思と純真な想いを胸に抱こうとも戦局 は変わり得ない。それをベルセリカが気付いたのは多くを失ってからであったが、トウカはその点を理解している上に、己の矜持や意志を必要に応じて変化させ て曲げる柔軟さを持ち合わせている。見方によっては卑劣とも卑怯とも取れる在り様であり、在りし日のベルセリカであれば嫌悪し、軽蔑したであろうが、多く を失って尚、高潔であり続けることを放棄して歴史上から姿を消してからは斯様な建前に対して複雑な感情を抱いていた。

 ヒトは生きていく上で矜持を必要とし、組織は動く上で建前を必要とする。

 対するトウカにはそれがない。

 それは依って立つところが仔狐であるからであり、それ以外に対して明確な優先順位を定めているからであった。

 在りし日のベルセリカには最愛の主君が存在していたものの、その剣聖と称された立場は全てを擲ち、主君の腕に飛び込み一人の女性として振る舞うことを許さなかった。

 否、ベルセリカにはその覚悟がなかった。

 だが、トウカはそれができる。

 無論、国家に責務を負う立場になく、多くのものを背負う立場にない異邦人と、皇国の一軍を統べる立場に在った剣聖ではあらゆるモノが違うが、例え異邦人は剣聖以上に多くを背負う立場があったとしても、仔狐の為に全てを擲つだろうという確信が剣聖にはあった。

 彼は仔狐以外の如何(いか)なるものをも愛してはいない。

 ベルセリカは、それほどに想われているミユキを羨望し、トウカの在り様を憧憬する。

 剣聖の在りし日の選択は正しくもあり間違っていたが、トウカの選択もまた間違っている。

 しかし、仔狐は手元に残る。

 個人が国家の全てを護持しようとするなど烏滸(おこ)がましい。個人は己の幸せを求めればいいのだ。過ぎたモノを求め続けた結果として最愛のヒトを喪うならば、唯一人のヒトとして求め続ければいい。

 そんなヒトとしての当然の在り様まで、国家は曲げてしまう。

 されど国家なくしてヒトは、種族と民族は生存圏を護持できない。それらの幸せなくして個人の幸せはない。

「分からん! 故に斬る!」

 永く生きて尚、届かぬ境地があり、及ばぬ領域がある。

 唸りを上げて迫る戦斧に対して、斬馬刀を振り上げて応じる。

 突進力をそのままに戦斧を振り下ろした軍狼兵に対して、ベルセリカは正面から斬馬刀を横一文字に振り払う。対魔導塗装と材質強化術式によって硬度が増した二振りの刃の接触は、(つんざ)くような金属音を奏でるが、双方共に一歩も引かない。

 しかし、ベルセリカは更に力を加えて戦斧諸共、軍狼兵を狼の上から叩き落とすと、その胸部を脚甲の装備した右脚で蹴り抜く。先端の尖った脚甲は軍狼兵の 魔導障壁を貫き、胸部に深々と突き刺さる。身体能力に優れた種族はその身体そのものが凶器であり、ベルセリカは脚部に脚甲を、手部には籠手を装備している ことも相まって全身が凶器と然して変わらない。

「若造。戦車を下げよ。邪魔で叶わん」

 雪の大地に斬馬刀を突き刺し、ザムエルに指示を出す。

 軍狼兵は一撃離脱を意図し、突入後は反対の森林に逃げ込んでいる為に長期戦にはならないが、装甲兵器の長射程を生かせない点が不利と言えた。無論、リシ アの講じた爆薬による罠と対空戦車による弾幕で数を減らし、攻撃開始時期を乱されて単騎、或いは少数単位による散発的な突撃となっている。しかし、対空戦 車が少なく、その上両翼に振り分けられていたこともあり突破を許している状況であった。

 至近に迫った軍狼兵を薙ぎ払い、砲撃を繰り返していた中戦車の空間装甲(シュルツェン)に叩き付けると斬馬刀を振り上げて咆える。

「臆さぬならば掛かってこい! 我こそは皇国が英雄なり!」戦域を揺らすが如き大音声。

 砲声にも魔導の炸裂音にも劣らぬ名乗りに、軍狼兵の一部がベルセリカに向かって吶喊を開始する。装甲部隊の被害軽減を目論み、敵の注目を引き付けるとい う思惑からの行動であったがそれは成功することとなる。軍狼兵という伝統と矜持を持つ兵科が相手だからこそ通じる騎士道であるが、それはベルセリカの独壇 場であった。

 騎士道とは戦争に於いてヒトを常識に縛り付ける枷でしかない。

 だからこそ、ベルセリカは負けない。

 勇ましくも躍進する三騎の軍狼兵に対して、ベルセリカも振り積もる雪を巻き上げて距離を詰める。元来、大地を駆ける事に対しては他種族の追随を許さない 狼種にあって、剣聖と賞されたベルセリカは転化して狼の姿となるまでもない。軍狼兵の相棒として皇国陸軍で正式採用されている乙種主力戦闘獣である黒狼に 優越する瞬発力ヒトの姿で見せる。斬馬刀という重量物を考慮すると純粋な機動力では勝っていると言えた。

 戦闘の軍狼兵の戦斧を斬馬刀で受け止め、狼上から弾き飛ばし、二騎目の軍狼兵の黒狼の牙を蹴りを加えることで圧し折る。三騎目の黒狼が噛み砕かんと口を大きく開けるが、それを左手の籠手で強引に押し返す。

「甘い! 護国の狼たらんとするならば、死に損ない一人斬れんでなんとする!」

 更に近づいてきた一騎の軍狼兵に斬馬刀を投げつけて黒狼の上から叩き落とす。先程、雪原叩き落とされた軍狼兵が顔に付いた雪を払うこともなく、腰に佩用した曲剣(サーベル)を引き抜いて斬り掛かってきたところを見咎めて脇腹に蹴りを加える。

 脚甲越しの無数の骨が砕ける感触を感じつつ背負った長大な大太刀の肩を引っ掴むと、起き上がろうとしていた黒狼を石突きによる打突で雪の大地に再び突き斃す。

 そして、斬馬刀を手にしていない左手で大太刀を抜き放つ。

 雲居の隙間より降り注ぐ陽光を受け、爛々と輝く白銀の刀身。

 対魔導術式だけでなく、高純度灰輝銀(ミスリル)による塗装や嵐神の祝福を受けた刀身は強靭な耐久性と風の魔導特性を得ていた。ベルセリカにとって五〇〇年来の相棒であり、剣聖たるを象徴する一振りであった。

 それが、長き時を経て再び歴史の表舞台へと姿を現した。

 その場の者達を睥睨するかのような刀身の煌めき。

 しかし次の瞬間には周囲の軍狼兵が血飛沫と共に絶叫を上げる。

 嵐神の加護。

 嵐神ゼルバール。

 急激な人口増加の見込めない龍族が主に信仰している為に衰退しつつある龍神と違い、その温厚で寛容的な姿勢から種族や職業に関わらず信者を増やし続けている嵐神は、信仰する者の質と数にその能力と権勢を大きく左右される神々にあって第二位の神格を得ている。

 ベルセリカが隠居して以降、急速に龍神が嵐神に退治される神話は広く世界中に普及し、それは水神から天空神への信仰の転換点であった。

 神々の世界もまた繁栄と衰退の歴史なのだ。

「我が神は未だ健在と見える」ベルセリカが無造作に大太刀を振り払う。

 戦場が刹那の静寂に包まれる。

 しかし、次の瞬間にはベルセリカが大太刀を振るった延長線上にあった複数の軍狼兵と黒狼の身体が“ずれ”る。

 そして、鮮血の華は戦野に咲き乱れる。

 咲き誇る紅蓮の華を追う様に生じた疾風が、鮮血によって形成された華を更に大きく宙へと舞い踊らせるその様に目を奪われる戦闘団将兵。

 真空層を何層にも挟み込んだ、鋭く力強い圧倒的な風による一閃。

 風刃。

 決して高位の魔術ではない。発現方式が魔術陣ではなく、嵐神の加護によって行使される魔術。無論、消費魔力や継続時間、威力、そして何よりも詠唱時間に 大きな違いがある。魔導杖によって行使魔術の平均化を行っている皇国陸軍にあって加護や祝福を運用する術者は極めて限定的である。

 その規模は圧倒的なものであった。

 鮮血の華は一瞬で掻き消える。

 後には斬り裂かれた人と狼の残骸が無造作に雪の大地へと撒き散らされるだけであった。

 魔導障壁や武装諸共に斬り裂き、鮮血を撒き散らして臓器を散乱させる。ベルゲンへと続く道を征伐軍の屍で舗装されたと評しても差し支えない光景は、憧憬以上に畏怖を抱かせるほどの凄惨な光景であった。

 鮮血の大地を、ベルセリカは大太刀を血振りしつつ進み往く。

「セ、セリカ殿……」

 曲剣(サーベル)を手にしたザムエルが駆け付ける。

 残敵掃討は機動力のある軍狼兵が相手である以上、迫撃することは難しく、負傷して動けない軍狼兵の捕獲と助からない者に慈悲の一撃(グナーデンシュス)を加える作業のみに留まっている。補給線が確立されていない敵地を長躯進撃する為、弾火薬の節約という意味合いもあり、装甲兵器が弾火薬なしでは活躍できないことを承知しているからであった。

「若造、後は好きにせい」

 足元にある軍狼兵を構成していたモノを一瞥し、ベルセリカは陣羽織を翻した。










「御苦労様です。セリカさん」

「何の、敵全体での戦死は半数に留まっておるで御座ろう」

 戦闘単位に於ける全滅判定が六割以上の兵力の損耗であることを考えると、半数の戦死というのは十分な戦果であり、捕虜になった者を加えた数や、負傷で再度、出撃できない者を加えるとその数は更に増大するので全滅という戦闘結果を下すに十分であった。

 敵軍狼兵聯隊は概ね敗走させ、組織的戦闘能力を喪失させたと判断しても良い。

「しかし、未だ敵機動師団は主力である装虎兵聯隊と、後詰の装甲聯隊が存在します」

 前衛を壊滅させただけでは、機動師団は止まらない。

 軍狼兵の性質上、その任務は威力偵察としての意味合いが強く、その元来の目的を考慮すれば軍狼兵聯隊は任務を果たしたと言える。一部の軍狼兵は、雪原に斃れ伏した同胞を黒狼上から掬い上げて一目散に後退を開始した。

 この一部は装虎兵聯隊や装甲聯隊へと向かい、〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉の規模と手の内を報告するだろう。初撃で敵戦力の大半を漸減できたならば、後 は兵力差を持って押し潰せばいいが、それは最早、現状では叶わない。威力が大きいだけの兵器や射程が長いだけの兵器は初見殺しとも言えるので、手の内が知 られてしまえば対応も容易い。

 そして、ザムエルもリシアも〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉の現状を正確に知る上、実際の作戦内容も正確に理解している人物であった。

「最早、作戦は破綻した。トウカ……言い難いが撤退すべきだ」

「そうよ。今なら誰も貴方を責めないわ」

 内心穏やかでないトウカを察して、ザムエルとリシアは気遣うような発言を行いつつも作戦中止を進言する。特に独断で作戦中止を判断できる立場にあるザム エルがトウカに意見を求めたことは一種の配慮であるが、トウカにはこの千載一遇の好機を逃す訳にはいかないと考えていた。

 この一戦に敗北は許されない。

 マリアベルは北部全体による攻勢を誘発させたが、入念に準備された全面攻勢ではない。総戦力に劣る北部蹶起軍は防禦戦闘に徹していたからこそ互角の戦闘を行えていたのであり、敵戦線に混乱があったとはいえ再度の攻勢を行えるほどの戦力はこの一戦以降、運用できない。

 蹶起軍の被害は長大な戦線を支えきれないほどになり、征伐軍も内戦の長期化による兵力損耗を恐れて大攻勢を開始する可能性が高い。

 現に全戦域の通信内容を確認させると弾火薬の欠乏や損耗が加速度的に増大している。無論、それ以上の混乱と被害を征伐軍には与えているが、相手には補充と増援が期待できた。

 故にこの一戦に於いて決定的な勝利を得ねばならない。

「ヴェルテンベルク伯は目先の脅威の排除に拘り過ぎた……〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉……いや、俺の負けだ」

 身体から抜ける力を其の儘に、隣に立つベルセリカへと体重を預ける。

 最早、この場に留まる意味はない。これからは蹶起軍の結束に罅が入り空中分解を迎えるか、或いは継戦不可能と判断されるまで兵力を損耗して降伏するかであり、双方の軋轢を考えれば早期講和は有り得ない。

「撤退の――」

「敵部隊、接近しつつあり! 規模は二個聯隊規模! 編制は装虎兵と戦車の混成!」

 装甲指揮車に駆け寄った兵士の報告に、ザムエルとリシアが絶句する。

 対するトウカは戦法と戦力規模を知られた以上、敵は早期決戦を望むはずだと考えていた。この戦域で戦闘を繰り広げている部隊は〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉だけではない。両翼には征伐軍の各一個師団が蹶起軍ヴェルテンベルク領邦軍の〈傭兵師団(ランツクネヒト)〉と、シュトラハヴィッツ領邦軍〈ヴァナルガンド軍狼兵聯隊〉と衝突しており、一刻も早く支援に赴こうという思惑があるはずで、〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉を突破できれば両翼蹶起軍の後背に遷移することができる。

 ――つまりは、ここで死にもの狂いで戦え……いや、知り過ぎた俺は邪魔か?

「幸い両翼は森林地帯だ。対戦車陣地(パックフロント)で対処するべきかと」

「あれか……俺を円匙(シャベル)でしばき倒してくれた時の戦術か……」

 顔を顰めたザムエルに、トウカは苦笑する。

 確かにザムエルとトウカが初見で争うことになった演習では、ミユキの幻術による支援があったとは言え、数倍する敵装甲部隊にトウカは対戦車陣地(パックフロント)の応用により多大な被害判定を与えることに成功した。

「ハルティカイネン少佐。手配を」

「了解です、中佐殿」

 リシアは敬礼すると戦闘指揮車から飛び出す。上面開放式なので側面装甲板に手を掛け、飛び出していったリシアを横目で見たザムエルが薄く笑う。

「大分、気を許しているようじゃないか。……あの鉄の女が良く従う」

「気の所為だ。任務ゆえに私情は挟まないだろう。或いは恐れられたか」

 次は銃口ではなく銃弾で凌辱されると思い知ったが故に従順なのだと、トウカは確信している。

 少なくともリシアという士官は軍組織の中にあって公私を使い分ける程度に大人であった。ヴェルテンベルク領邦軍は士官の平均年齢が低い傾向にあり、感情 で軍務を左右する者がいるのではないかという懸念をトウカは常々持っていた。無論、若者が指揮官を務めた例は少なくない。特に権威主義的な国家の戦闘組織 では尚更であり、トウカの祖父も若くして何十万という大軍である本土決戦軍……神武軍の司令官を務めたことがある。

 周囲を見回すと装甲兵器が左右の森林に移動を始めていた。リシアの指揮が迅速であることもあるが、対戦車陣地(パックフロント)という戦術が極めて単純なものであることも大きい。

「じゃ、俺達も分れるか」

 ザムエルが去った後、トウカは装甲指揮車内の隅に置かれた椅子に座り休息を取る。水分を補給して塩漬け肉を頬張り一先ずの休憩となったが、思っていた以上に自身の身体が疲労していることにトウカは、己の修練が不足している、と顔を顰める。

「参謀殿、本車輛も移動します」

「ああ、任せる」トウカは片手を振る。

 周囲からの憧憬の視線が痛い。

 戦闘前までは猜疑の視線も少なくなかったが、軍狼兵聯隊撃破によって多くの将兵のトウカを見る目は変化した。目に見える形での戦果は確実に将兵の心を掴 んだのだ。元来兵士とは実在しているモノや確定した事象を最も重視する傾向にある。実戦証明の済んでいない兵器を忌避する傾向にあるのはその為であった。

「しかし、閣下の提唱した新兵器は凄いでありますね」

「それは小官も思いました」

「内戦終結後には、この一戦、必ずや戦史に記されるでしょう」

 トウカはそれに対して曖昧な笑みを浮かべる。

 佐官であり二十歳足らずで閣下呼ばわりされることに対して気が引けたという理由以上に、兵器性能だけで押し切っているという現状がその言葉を受けること を躊躇わせた。無論、正々堂々などという莫迦な真似をして無駄に将兵を失うわけにはいかないので正しい判断であるということは疑いようもないが、それでも 尚、戦争屋としての矜持はやはりこれを正当な一戦とは認められなかった。

「佐官で閣下呼ばわりされたら、戦後は退役だな」

 トウカの苦笑に、周囲の下士官が笑う。

 屈託のない笑みや好意的な笑みに囲まれるトウカ。後に絵画に描かれることになる光景でもあり、戦史や歴史書にも乗せられる光景。だが、この場に居るほとんどの者達はそれを目にすることはなかった。

 これからの皇国の歴史が死山血河の歴史であるが故に。










「敵は後退したのかな?」

 白虎に跨乗し、対戦車小銃を握り締めた兵士は呟く。 

 装虎兵として士官学校を卒業して一年足らずで戦野に赴くことになるとは思っていなかった兵士はひっそりと溜息を吐く。

「なんだぁ、エルンスト。不景気な面しやがって。俺たちは陸の王者だぞ。堂々としろ」

「小隊長殿。……じ、自分は実戦が初めてであります!」

 小隊指揮官であれば部下の経歴を知っているはずであるが、極度に緊張したエルンストはその事実に思考が辿り着かなかった。

「なら、良かったな」

 カイゼル髭を蓄えた老練の小隊長の言葉に、エルンストは呆気に取られる。死よりも武勇を尊ぶという姿勢を体現した佇まいの小隊長であるが、この時ばかり は気休めの一つでも言えないのかという思いを抱いてしまう。その愚直が過ぎた姿勢故に、年齢に似合わない立場に在ることを知ってはいるが、それでも尚、エ ルンストを始めとした兵には好かれていた。

「新人は死んでも護る。俺の小隊の掟だ」

 正面を見据えたままに放たれた断言。事も無げな言葉。これこそが、小隊長が絶大な信頼を置かれる理由である。

 白虎の足が雪を踏み締め、進軍を続ける中にあって敢えて自身の隣に位置していることからも分る通り、小隊長はエルンストを気に掛けている。鷹揚な態度と感情の感じ取り辛い声音からはとてもそうは見えないものの、エルンストは気付いていた。

 白虎の足に付けられた首輪の様なものによって、その脚底には幅のある障壁が展開されており、必要以上に脚が雪に沈み込まない様にとの工夫がなされている。未だ馴れないその感触を感じつつエルンストは正面を見据えた。

 中衛の先頭に近い位置にある小隊にとって警戒する対象は然してなかった。前衛と両翼に同規模……聯隊規模の軍狼兵が存在する以上、不意を突かれるという 可能性は低く、また装虎兵にとっても軍狼兵にとってもこの戦域は対軍の行動を制限する森林地帯でありながらも、進撃路はそれ相応の幅を有しているという機 動し易いものであった。

 そう、何も心配する要素はない。陸の王者たる装虎兵に叶う者などいないのだ。

「気に入らんな……」小隊長が呟く。

 エルンストは首を傾げる。

 少なくともエルンストには順調な進撃を見せている様に見えるが、小隊長は別の思案すべき要素を見い出したのかも知れない。確かに、早期接敵を意図しての 進撃であったが、通信による劣勢が嘘のように進撃路は静かであった。しかし、戦域両翼では激しい戦闘が行われている為のか凄まじい砲声の重低音が奏でられ ている。無論、それらは機動師団……〈第五〇一機動師団『ヴェルゼンハイム』〉の至近に砲弾を着弾させることはなく、かなりの遠方であることは容易に感じ 取れた。

「敵が中央突破の後に後背に迂回する可能性があったはずだが……」

 そう、蹶起軍の装甲部隊の中央突破に対応する形で〈第五〇一機動師団『ヴェルゼンハイム』〉は戦域に進出している。蹶起軍装甲部隊を押し返し、可能であれば此方が蹶起軍部隊両翼の何れかの後背を脅かすという心算であった。

 相手が例え同数の戦力を以てして堅陣で備えていたとしても機動師団の攻勢の前では正面から粉砕される。それほどの突破力を前に立ち塞がることは無意味であった。

「敵は装虎兵でしょうか?」

「分からん。だが、装虎兵であったとしても数は少な――」

 その時、前方から数騎の軍狼兵が駆けてきた。

 何れも負傷し、中には負傷者を複数人背負う黒狼の姿もあり、傍目に見ても分る程に敗残兵であったが、小隊長は愉快げに笑うと、小隊は跨乗している白虎を促して小隊段列を離れると一騎の軍狼兵に近づいた。エルンストも慌てて後に続く。

「貴官らの聯隊長殿は?」

 小隊長の言葉に、項垂れた軍狼兵は傷付いた右手を、左手で気遣いながら首を力なく横に振る。


 戦死したのだ。


 エルンストはその事実に戦慄する。

 軍狼兵聯隊長の戦死。

 それは、皇国陸軍に在っては何十年に一度、起きる程度に少ない出来事であり、事の重大さを理解するには十分な事態であった。他国の陸軍と比して高水準の 医療技術や軍服に織り込まれた魔導刻印による魔導障壁。個人の防禦手段に富む上に生存性を重視した戦術と戦略に裏打ちされた堅実な戦闘は皇国陸軍の損耗率 低下に大きく寄与していた。

 そして軍狼兵は、装虎兵と並んで魔導国家《ヴァリスヘイム皇国》の双璧を成す存在であった。

 装虎兵には劣るものの、歩兵や騎兵などと比して卓越した魔導障壁を有する軍狼兵は容易く撃破されるような兵科ではなく、高機動力に起因する低被弾率は極めて有名である。

「全滅……そんな」

「弔い合戦だ。任せておけ。貴様はウチの聯隊長殿に報告をしろ」

 敬礼をしようとして動かない右手に気付いた軍狼兵は、小さく頷くと黒狼を駆り、装虎兵聯隊司令部が進行している方角へと駆け出す。

 それを眺める事もなく小隊長は小隊段列へと戻るが、その表情は凄絶なまでの笑顔であった。エルンストが思わず気後れするほどの笑顔だが、小隊の面々がそれを指摘することはない。

「エルンスト、あの軍狼兵の軍服を見たか?」

「えっ? そう言えばかなり汚れていた気がしますが」

 軍狼兵の軍装は茶褐色を基本に単独行動時の物資所有量増大を狙って衣嚢(ポケット)の多い野戦服に、乗馬軍袴(ズボン)という出で立ちで、色以外は装虎兵と然して変わらない。しかし、双方共に雪原であることを考慮して純白の頭巾の付いた野戦雨具(ポンチョ)を纏っている為に、色すらも外見は共に然して変わらない様にも見える。

「あの汚れ方は、装虎兵や軍狼兵を相手にした汚れ方ではないな。恐らくはかなりの砲撃に晒されたからだろう」

 そう言えば、とエルンストは思い出す。

 跨乗して戦闘を行う兵科が軍装を汚す理由は使用する火器の黒煙か、大地に叩き落とされた際の土などが大半で、先程の軍狼兵達の様に軍装全体が土に汚れているということは有り得ない。

「激戦ですね」

「我等なら負けないです、小隊長殿」

「そうです、皇国陸軍装虎兵の力を見せてやりましょう」

 小隊の面々の意気込みに小隊長も鷹揚に頷く。

 装虎兵が負ける事など有り得ないという自負と、皇国の護り手の最前にあるという矜持は容易く揺らぐことはない。装虎兵の敗北は皇国の敗北であるという言葉すらある通り、有史以来、装虎兵が大規模な会戦に於いて敗北したことはないのだ。

 意気軒昂な小隊だが、エルンストは小隊長の呟きを聞き逃さなかった。

「効力射の中を突っ切りやがったな。野戦雨具に破片の貫通した跡もあったが……そうなると、一体どれだけの砲兵戦力がいることか」

 装虎兵に劣るとはいえ、軍狼兵も魔道障壁を展開できる。それを飽和するだけの火砲戦力と、装虎兵に勝る移動力を持つ軍狼兵に火力集中を実現できる指揮能力。

 無論、装虎兵聯隊指揮官には軍狼兵の伝令が詳細を伝えているであろうが、精鋭が待ち構えていると見るべきかも知れない。

 エルンストは手綱を強く握り締めた。

 

 

 

 

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