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第六四話    猜疑と疑念

 




「おい、トウカ。……拙くねぇか?」

「拙いですが何か?」

 装甲指揮車に飛び乗ってきたザムエルの一言を、トウカは何を今更と肯定する。

 〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉は既に〈第一六歩兵師団『フロイデンシュタット』〉の基幹部隊を壊乱せしめ突破しつつあるが、〈ヴァレンシュタイン戦闘 団〉自体の進撃も翳りが見え始めていた。元来、機甲戦力による突破とは瞬発力に優れるものの持久力に劣る戦術であった。それは装甲兵器の足回りの脆弱性が 理由であり、不整地突破能力と姿勢制御を優先したが故の代償であった。

「まぁ、戦車は兎も角、装甲擲弾兵は限界だ」

 ザムエルの言葉は正しい。

 装甲擲弾兵(パンツァー・グレナディーレ)とはヴェルテンベルク領邦軍だけが有する歩兵戦力である。魔導処理の施された装甲帯を装備し、長大な銃剣を標準装備した小銃と、小銃擲弾(ライフルグレーネード)と迫撃砲の中間的な概念(コンセプト)と して開発された軽擲弾筒を扱う歩兵の称号であった。しかし、防禦能力に優れ、攻撃力を大幅に強化された代償に機動力が著しく犠牲になっていることからも分 る通り、戦場までの行軍に車輛が必須であるという欠点がある。よって、重工業化政策を推し進めた結果、魔導車輛の保有数に於いて優れるヴェルテンベルク領 邦軍特有の兵科となってしまった。

 だが、機甲部隊の急進撃を大隊規模の装甲擲弾兵だけで支え、追随し続けることは無理があった。

「疲労か……」

「まぁ、これだけやれただけでも大したもんだ。身体的に優れた種族で構成されているとは言え、弾雨の中であんな重量物を纏って戦車と雪原を進むなんて真似は俺にはできねぇぞ」

 トウカもその言葉を否定しない。

 一度、装甲擲弾兵の武装を纏ったことがあるが、魔導技術の恩恵から軽装で知られる皇国陸軍歩兵の完全装備の反対を行く代物である。明らかに軽量となった恩恵を食い潰す形で設計された装備であった。古の重装歩兵を思わせる兵科である。

「御前は魔力がないからなぁ。あれは魔導術式の併用が基本だからな」

「どちらにせよ、装甲擲弾兵(パンツァー・グレナディーレ)は使えない。それに突破は失敗だ。機動師団とやらが駆け付ける方が速い」

 通信大隊が保有している魔導探針儀が、前方での大規模な魔力の揺らぎを捉えた報告を二人は既に受けている。規模から見ても師団規模という報告を受けており、間違いなく征伐軍の戦線で火消し役を務めている機動師団であろうことは容易に想像が付いた。

「俺はまだ死にたくねぇんだがな」

「ああ、そうだな……死んで貰っては困る」

 後部の開閉扉に手を掛けたザムエルに、トウカは言葉を投げ掛ける。

 そう、死なれては困るのだ。

 ザムエルは、将来的にはヴェルテンベルク領邦軍に於いて重要な席に座るであろう士官であり、ここで失う訳にはいかなかった。それはリシアも同様であり、長期的視野で状況を見る士官をヴェルテンベルク領邦軍は不用意に損なう余裕はない。

「まぁ、俺は死なないって。それにあの補給大隊の車輛に牽引されている束ねた鉄筒(パイプ)は、対装虎兵用の兵器なんだろう?」

 そう言えばそれもあったな、とトウカは新兵器を大量に持ち込んでいたことを思い出す。取り敢えず動作確認を終えた使えそうな試作兵器を装備した兵士は少 なくない。もし、稼働しなくなれば破壊の後に放棄し、撃破した征伐軍の兵器を鹵獲して運用する予定であった。軽火器に関しては同様の規格である為に融通が 利く。

 開発が容易である兵器を優先して試作していたが、Ⅵ号中戦車を改装した装甲兵器群だけでなく多種多様な兵器も試作されていた。トウカの要望で数が必要に なるものや大火力なものを最優先で作らせていた為に軽火器は少ないという欠点があったが、目的があって可能な限りの新兵器を搭載してきた。

「敵機動師団の先鋒は情報通りならば軍狼兵一個聯隊。密集しているならば多連装擲弾発射機(ネーベルヴェルファー)なら鎧袖一触だ」

多連装擲弾発射機(ネーベルヴェルファー)ねぇ……正直なところ胡散臭いんだが」

 多連装擲弾発射機(ネーベルヴェルファー)とは、トウカがタンネンベルク社に無理を言って開発と製造を行わせた多連装噴進発射機(ロケットランチャー)で、 本来は|ラケーテンヴェルファー(Raketenwerfer)という名称こそが相応しいはずであるが、これはマリアベルが嫌った。その理由として、噴新 兵器の開発を独自に進めていたという理由があり、ヴェルテンベルク領では噴新兵器そのものが秘匿兵器とされている。噴新兵器の可能性に皇国軍が目を付ける ことをマリアベルが恐れたのだ。特に長距離噴進弾(大型対地ミサイル)の開発に腐心しているのは、クロウ=クルワッハ公爵領都ドラッケンブルクを直接攻撃 する手段を渇望しているからであろうことは容易に想像が付く。追い詰められた軍事組織が一発逆転の兵器の開発を狙う事は世の常であったが、その開発は難航 しているところではなく事実上の凍結状態であった。

「火線を形成し易いこの地点に陣取り、敵前衛である軍狼兵聯隊の迎撃を提案します」

「おいおい、そりゃきついぜ、戦友。こんな開けた場所で軍狼兵と機動戦なんてよ。機動力は相手が上だ。懐に入られたら……対空戦車か?」

 ザムエルは「悪くねぇな」と野性的な笑みを浮かべる。

 装虎兵とは対照的に機動力を重視している軍狼兵は、魔導障壁の能力よりも機動力に重きを置いていた。実は装虎兵の魔導障壁は装虎兵自身のみが展開してい る訳ではなく、跨乗している白虎の左右に装甲として装備されている装甲板に刻印された防禦術式と、内蔵されている魔導結晶によって装虎兵の魔導障壁を補助 していた。しかし、この装甲は重量物であり軍狼兵は装備していない。

「装虎兵なら際どいですが、軍狼兵の障壁ならば対空戦車の機関砲で何とか貫徹できるかと」

「よし、保有する戦力全てで横陣を敷くぞ。最前列は戦車、後方に自走砲を集めろ。対空戦車は側面に展開。敵が後背に回ることを阻止だ」

 地形図に手早く書き込むザムエル。

 周囲の下士官も慌ただしく動き始める。各部隊への魔導通信は、現状では通信大隊が強力な移動式魔導通信車輛を有していることと、ある程度密集しているこ ともあり情報伝達は容易であった。通信大隊はトウカが新設させた部隊であり、現状では設置式の魔導通信機を魔導車輛に搭載しているだけであったが、これに よって限定的ながらも大規模な散兵戦術が可能となっている。魔導通信の欠点は他の魔導の波動によってその魔力波が乱されるという点であり、これは現状では 大出力での送信以外の対応策はなかった。これを可能とする為の通信大隊であり、この世界の陸戦に於いて統制された大規模な散兵戦術の有効性は未だ確認され ていない為、〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉固有の部隊でもある。

 慌ただしく装甲指揮車の周囲を動く兵士達を避け、リシアが車内へと入ってくる。

「戦闘団司令、意見具申します。両翼の森林を浸透しての迂回を考慮して、工兵による罠の敷設を行うべきかと」

 凛々しい佇まいのリシアに、トウカは視線を逸らし頷く。対空戦車という押さえがあるものの、保険を掛けるに越したことはなく、その点に気付かなかった自身の視野が狭くなりつつあることに気付いた。

「名案じゃないか。許可する、工兵大隊に伝達!」

 ザムエルの声に、通信兵が魔導通信機を手に取る。

 トウカはその喧騒を背に、装甲指揮車から静かに降りる。

 斥候に向かわせた兵士から接触の信号弾が打ち上げられれば直ぐに分かる為、司令部から離れられない訳ではない。参謀が司令部不在なことは宜しくないよう に思えるが、各部隊指揮官の能力も高い為、基本命令さえ違えなければ問題はなく、何より参謀であるトウカだが実情としては限りなく部外者に近い。身内の集 合体とも言える領邦軍にとってトウカは紛れもない異邦人であった。その場にいない方が意見や進言も活発になるという判断もそこには入っている。

「サクラギ中佐殿……如何したの?」

 リシアの声に、トウカはやれやれと首を振る。

 戦闘団の中にあって本来の参謀はリシアであり、現状では細かな判断はリシアが行っている。トウカは基本方針の策定のみを提言し、問題があれば口を挟む程 度に留めていた。割って入った際の抵抗と、各部隊指揮官の能力向上を意図してのものであり、そして何よりも自身の申述能力が未知数であったことが大きい。 逆に言えばトウカは戦略規模の判断のほうが、戦術規模の判断よりも優れているからであり、勝敗ではなく利益の面から戦闘を見ている証拠でもあった。

「戻れ、ハルティカイネン少佐。貴官の役目は承知しているはずだ」

「参謀が作戦立案で席を立つのも問題よ? 下らない配慮なんて止めなさいよ」

 リシアの呆れたような声音に、トウカは自身の内心が見透かされていることに気付く。もしかするとリシア・スオメタル・ハルティカイネンという少女は、官 僚の才能があるのではないか、とトウカは苦笑する。端的に物事を見定め、無駄を根本的な部分から削ぎ落とす才能というものは意外と有する者が少ないのだ。

「貴方に反感を抱くほど今のヴェルテンベルクに余裕はないの。あれだけ開発と製造で無茶しておいて、今更、戦術規模で遠慮なんて手遅れよ。莫迦ね」

 至極最もな言葉に、トウカは軍帽の上から頭を掻く。

 確かにトウカは兵器の開発と製造で各方面とかなりの軋轢を生じさせていた。各兵科にもその皺寄せはきており、良い感情を抱いていない者もいるはずであ る。装甲兵と砲兵に関しては戦車や自走砲の配備によって一定の支持を受けていたが、航空部隊に関しては一騎打ちや既存の戦闘教義を重視する者から大きな反 発を受けていた。

「遠慮か。配慮と言って欲しかったが」トウカは苦笑する。

 少なくとも〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉に表だってトウカに隔意を示す者はおらず、それはマリアベルが戦闘団司令にザムエルを配したからであった。

「少なくとも俺の指示は全て出した。後は各々の奮戦に期待するだけだ」

「……あの新兵器が気になるの?」

 リシアの凛々しい中にも頼もしさと悪戯心の垣間見える笑みに、トウカは舌打ちを一つ。

 トウカは多連装擲弾発射機(ネーベルヴェルファー)の展開を始めていた補給大隊に視線を向ける。実は多連装擲弾発射機(ネーベルヴェルファー)の展開の様子が気になり、自然と足を向ける形になっていたのだが、それを見透かされたようで複雑な思いであった。

 多連装擲弾発射機(ネーベルヴェルファー)は欠陥兵器である。

 当初、トウカは世界最初の自走式多連装噴進砲……БМ-13(カチューシャ)の模倣を試みたが、余りにも命中率が低く、面制圧であってもかなりの物量を必要とするという結果が出たからであった。БМ-13(カチューシャ)の噴進弾の構造は非常に単純(シンプル)で、噴進弾を載せるための鉄軌条(レール)を 平行に並べ柵状にした発射機と、それを支え方向と射角を調整するための支持架で構成されるという構造であった。運用する噴進弾は無誘導で照準器はついてい ない為、噴進弾の重量や射程距離から射角を算出し大よその方角に向けて発射するという杜撰なもので、命中精度は期待できない為に大量の噴進弾を集中的に撃 ち込むことでその欠点を補うしかない。

 それをトウカは見誤った。

 命中率が低い事は承知していたが、余りにも予想を超えた為、効力を発揮させるには少なくとも一個聯隊分を揃えねばならず、戦場に持ち込むにはそれを護衛する戦力と運用する戦力、消耗品である噴進弾を補給する部隊が必要となり……確実に師団規模に準ずるものとなる。

 噴進弾は発射反動が軽微であり、発射機を軽量で簡易なものにすることができ、多連装化も容易であることから通常火砲に比べて砲門数あたりの一斉投射弾量を飛躍的に増大させることができる。

 つまりは瞬間的な制圧力。トウカはそれを求めた。

 しかし、機動力を重視した機甲戦を行う部隊に師団規模の後続を付ける訳にはいかない。そこでトウカは噴進弾と多連装噴進砲のある程度の複雑化に目を瞑ることで、命中率の向上と、噴進砲部隊の規模縮小を意図して噴進弾の高威力化を狙った。

 そして誕生した多連装擲弾発射(ネーベルヴェルファー)だが、その代償として噴進弾は複雑化し、この一連のベルゲン強襲までに十分な量を製造できなかった。トウカにとって量産性を犠牲にした兵器は一部の例外を除いて欠陥兵器なのだ。

「ねぇ、トウカ……もし、フェルゼンに帰れたら私の部隊の指揮官にならない?」

「歩兵大隊だったか? 断る。この一戦が終われば、俺は北部貴族の領邦軍全ての指揮権の掌握を目指す。まぁ、難しくはない……セリカさん」

 トウカは背後に向き直る。

 そこには長大な斬馬刀を手にしたベルセリカが佇んでいた。

 顔を隠すほどに大きな深編み笠を被り、ヴェルテンベルク領紋章が両腕に縫い付けられた陣羽織を纏った姿はこの戦場では異質であった。トウカは士官服を進 めたが、「斯様な服は好かん」の一言で一蹴されている。特別に誂えられた陣羽織と、量産品の士官服の防護術式の差は歴然であることと、ベルセリカに通常攻 撃が集中したとしても傷一つ負うことはないという判断から許可した。厳に改修型Ⅵ号中戦車の長砲身主砲から放たれる砲弾を目視で捉え、殴り払うという芸当 すらやってのけた以上、この戦域にあってベルセリカを傷つけ得る兵器は極めて限られている。

「この女……誰?」

 リシアが警戒心も露わに尋ねる。拳銃嚢(ホルスター)に手を掛けるその姿にベルセリカは薄く笑うだけで、顔を隠すほどに大きな深編み笠を被っていることもあり、歪んだ口元しか見えないその様は無気味であった。

「あぁ……そうだな。我が〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉の最終兵器だ」

 嘘ではない。少なくとも高位種出現に対する切り札であり、同時に唯一人からなる予備隊であった。規模が個人に過ぎないことから部隊規模が大きくなることはなく、人員の増加に伴う糧秣や武器弾火薬が必要ないにも関わらず極めて高い戦闘能力を持つ。

 個人の戦闘能力が戦術的劣勢を挽回するというトウカの知る戦史からみると理不尽極まりない存在。それこそがベルセリカ・ヴァルトハイムなのだ。

「女連れで戦争なんて、いい気なものね」

「そう見えないように補給大隊の輸送車輛に押し込んでいたはずなんだがな……」

 トウカはベルセリカを睨む。

 厳密にはリシアも女性だが、戦略的視点に基づいて所属不明の扱いを受けているベルセリカは戦闘団将兵から見ると胡散臭い様に見えることも致し方ない。それを懸念してトウカは補給大隊の輸送車輛で大人しくしているよう指示したが、残念ながらベルセリカは眼前にいた。

「あの噴進兵器とやらの準備をするからと追い出されてしもうてな。最近の若者は年長者を敬うことを知らん」

 腕を組み、尻尾を一振りしたベルセリカ。

 確かにトウカは砲兵の不足から補給大隊に多連装擲弾発射機(ネーベルヴェルファー)を配備したので、展開時はベルセリカが邪魔になるというのは在り得ることであった。移動時は輸送車輛に牽引される形の多連装擲弾発射機(ネーベルヴェルファー)だが、それを運用する兵士や予備噴進弾は輸送車輛内にあるので、それらの積み下ろしにベルセリカは確かに邪魔であったかも知れない。獣の尻尾を踏んで噛み付かれては堪ったものではないのだ。

「ふむ、そろそろ始まる様子」ベルセリカが進行方向であった方角を見やる。

 深編み笠に隠れたその視線は窺えないが、トウカはその意味を悟り、多連装擲弾発射機(ネーベルヴェルファー)の展開を終えた補給大隊に走る。

 同時に遠方の空に赤色の信号弾が上がる。

「撃ち方用意ッ! 砲隊鏡の設置急げ!」

 目測による砲撃が基本である原始的な噴進砲であるが、砲兵部隊用の砲隊鏡を用いることによってある程度の照準補正が可能であった。砲隊鏡は陸戦部隊の砲 兵が照準に使用する精密機器である。外観は蟹の目玉の様に拡大鏡が上部に突き出た双眼鏡で、完全に身を隠した状態で目標を観測できるという点に加え、通常 の双眼鏡と比して拡大鏡同士の距離を大きく離すことができる為、精密な観測が可能という利点があった。

「敵の最後尾が射程に収まり次第、即応弾を全て撃ち込め」

 大尉の階級章を付けた砲兵大隊指揮官を捕まえ、トウカは手早く周囲の将兵の掌握を始める。先手は征伐軍、軍狼兵が分散する前に、多連装擲弾発射機(ネーベルヴェルファー)によって打たねばならないが、ザムエルも承知しているので魔導通信による協議の結果、攻撃開始はトウカの判断に任された。

「楽しくなってきたじゃない。被害を極限まで減らした戦いは軍人の理想だもの」

「また、一方的な展開で御座ろうな。騎士としては寂寥を感じぬでもないが、兵が損なわれんのであれば止む無しか」

 背後のリシアとベルセリカの言葉に、トウカは答えない。

 このクラナッハ戦線の突破は失敗した。トウカの中で、既に下された結果であった。

 それは何故か?

 〈傭兵師団(ランツクネヒト)〉と〈ヴァナルガ ンド軍狼兵聯隊〉……このクラナッハ戦線にある二対の蹶起軍主力が同時に、征伐軍残存の二個師団に突破を意図した攻撃を仕掛けたからであった。特に〈傭兵 師団〉は〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉に後続して敵一個師団の後背に回ると予定していたが、そんなことは聞いていないと言わんばかりに征伐軍の右翼に展開 する師団に正面から戦闘を仕掛けていた。そして、征伐軍左翼の師団には〈ヴァナルガンド軍狼兵聯隊〉が攻撃を仕掛けており、トウカの当初の予定を遙かに上 回る速度で戦火は広がった。

 通信大隊の捉えた情報には、他戦線でもクラナッハ戦線の戦局に影響を受けて両軍が行動を開始しているという情報もあった。

 クラナッハ戦線が派手な攻勢を演出した為、全戦線の両軍が戦闘行動開始した。

 限定的な突破作戦から本格的な攻勢に状況は摩り替りつつある。

 この状況で押し切られた場合、全戦線で押し込まれることになる。そうなると二次防衛戦と目されるエルゼリア侯爵領となりかねない。北部南方外縁は湖や森が無数とある地形だが、そこを超えるとエルゼリア侯爵領までは平原が続く。

 トウカの予想では、そこまで大事になるとは考えていなかった。こうも早く征伐軍が全戦線で対応するとは考えてもみなかったのだ。

 その影響の一つとして、機動師団がクラナッハ戦線に現れた。

 急激な友軍の被害の増大と、蹶起軍の圧力を押し返すことを目的として投入されたであろう機動師団。トウカは機動師団がクラナッハ戦線に到着する前に突破 と離脱を目論んでいた。しかし、“誰か”がトウカの限定的突破を大攻勢にすり替えた為、蹶起軍も過剰に反応した。、結果として機動師団は機動力を生かす形 で予想よりも極めて早い段階でクラナッハ戦線に姿を現した。

 トウカの機略戦に於ける優位が崩れた。次々と手を打ち主導権(イニシアチブ)を確保し続けるという前提が崩れたのだ。

 ――やってくれる、義母上殿はッ!

 そう、この一戦を演出できる立場に在る人物はマリアベルしかいないのだ。

 〈ヴァナルガンド軍狼兵聯隊〉はフルンツベルクの指揮下になく、シュトラハヴィッツ領邦軍の指揮下にあり動員するには同等、或るいは優越した立場にある 者である必要がある。尚且つ政治的な交渉が可能でなければ難しい。そして、〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉の行動を把握していなければならず、その上、〈傭兵師団(ランツクネヒト)〉の上位指揮権を持つ者など一人しかいない。

 恐らく、全戦線ではマリアベルが唆した他貴族の領邦軍が攻撃に転じ、或いは航空支援も成されているだろう。最悪の場合、艦隊戦力による示威行動を大星洋上で行う構えを見せているかも知れない。

 征伐軍はその動きに総攻撃だと判断した。無論、北部の静観し、防衛に注力していた他貴族の領邦軍もこうなれば全力で迎え撃たざるを得ない。

 腹が立つ。トウカは唇を噛み締める。

 マリアベルが非凡な才能を持った女性だということは知っていた。現にこのクラナッハ戦線で征伐軍三個師団を壊乱させんと策謀を巡らせている。

 上空を飛来する戦闘爆撃航空団の戦闘爆撃騎や戦闘騎は、トウカやザムエルが指示を出していないにも関わらず、遠方の敵戦力が展開しているであろう地点を 爆撃している。一時的か、或いは永続的かは不明であるが、現状ではマリアベルが指揮権を有していることは一目瞭然であった。

 現に魔導通信大隊による大規模通信機は、その高出力によって全戦線で急速に増大する通信量を捉えていた。マリアベルは、トウカが手を付けていなかった航 空戦力にまで爆撃を行わせている様子である。爆撃装備の製造は間に合っていない。巡洋艦の艦砲や重砲、軽砲を即席で改造し、航空爆弾に転用したのかも知れ ない。大日連海軍の真珠湾奇襲の際に使用された九九式八〇番五号爆弾の例もある。米帝空軍の地中貫通爆弾(バンカーバスター)……GBU‐28などは退役した自走榴弾砲の砲身を利用して製造されていた。応用例は多い。

 このままでは三個師団壊乱という軍事的戦果を挙げるだけに留まりかねない。

 マリアベルは、不確定的要素の多いベルゲン強襲ではなく、目先の敵戦力の漸減を図ったのだ。堅実とも取れるが、内戦においては政治的解決が成されなけれ ば意味はなく、軍事的勝利など双方共に落としどころが掴めなくなるだけでしかない。逆に死傷者が双方共に増大して、停戦協定や講和時に紛糾の火種となるこ とすら有り得る。

「あの女は俺を信用しなかったのか……」

 それは極論だと理解していたが、同時に憤懣遣る方無い思いを感じ、胸の奥底が燃え上がるように熱かった。

 信頼に値する女性かも知れない。
 近い境遇にある女性かも知れない。

 そんな想いを踏み躙られた気がしてならないトウカは輸送車輛の車体を殴る。周囲の兵士達が驚くが、それを気にするほどトウカに余裕はなかった。指揮官として相応しい振る舞いではない。動揺と想定外を将兵に知られるなど在ってはならない。

 ミユキ以外を信頼しようとしたことが間違いだったのだ、とリシアを睨む。

 ――そういえば、この女も怪しい。

 トウカの立案した戦術に対して、手堅く、そしてこの現状に即した……マリアベルの意図するところに叶う戦術を提案している。一個師団を火力と航空支援で 壊乱させた後、装甲師団で敵の右翼に展開中の師団の後背に移動し、〈傭兵師団〉と挟撃。その間、健在な左翼に展開中の師団に対しては砲撃支援と航空阻止に より、移動を阻むことで挟撃されないように配慮。そして、最後に左翼師団が壊乱したところで全軍を以て右翼の師団に当たる。この時点で戦力比は完全に蹶起 軍側に傾き、正面切った戦闘が可能になる。

「機動師団は他の戦線の支援にでも赴くと思っていたのか?」

 そう、リシアの提案では途中で機動師団が乱入しかねず、航空支援と砲撃支援によって遅滞させるには限界があった。

 その時は機動防禦になる。

 機動防禦は機動打撃に主体として、敵を撃破して防禦の目的を達成しようとする戦術である。敵を不利な状況に陥れ、主力を以て機動打撃を行い、敵部隊を撃 破してその攻撃を破砕。或いは攻勢限界まで持ち堪える。機動防禦は部隊運用の融通性及び敵を奇襲できる可能性が大きいが、戦闘の推移は急速にして流動性に 富む。有効な機動防禦を行う為には防禦を行う地域の縦深が十分に大きく、航空支援と地形が防禦部隊の自由な機動を許す。その上、地形に適合した部隊 の機動打撃力が敵に優勢である事が必要である。機動防禦が成功する為には、機動打撃戦力を準備した戦域において敵よりも優勢な火力、機動打撃力並びに機 動打撃の起点となる要地の確保。有利な態勢の下に敵を奇襲、各個撃破しなければならない。

 機動防禦による後退により自軍の陣地に引き摺りこんでの戦果拡大。無論、これは相手が追撃してきた場合のみ有効である。

 マリアベルならばそこまで考えているだろう。

 確かに三個師団を壊乱させる中心的働きをしたトウカが邪険に扱われることはない。蹶起始まって以来の大戦果であり、自領への圧力を粉砕した以上、領民もトウカに否定的な感情を抱くことはないことは容易に想像できる。

 だが、機動師団を撃破できたとしても、〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉は弾火薬の損耗と被害によってベルゲンへの長躯直撃は不可能となり、他戦線の敵戦力も駆けつける時間を与えることになる。外的要因と内的要因がある以上、トウカの策は根本から崩壊し始めていた。

 これに対して、不満をトウカが持っていることを、マリアベルも理解しているだろう。宥める為に何処かで譲歩するかも知れない。

 ――いや、押さえ付ける気かも知れない。

 だとするならば、ミユキをフェルゼンに残してきたのは、致命的な失敗だ、とトウカは舌打ちする。ベルセリカの護衛がない今、最悪、人質に取られている可能性とてあるのだ。流石のトウカも、ミユキが人質に取られた状況で、ベルセリカを暴れさせることはできない。

「ならば分かる者に聞くべきか」

 いよいよ近眼視的になってきた己の思考に舌打ちを一つ。

 情報が必要である。トウカは既に後手に回っている。マリアベルの不明瞭な思惑に乗せられたままで、使い潰される可能性とて捨てきれないのだ。

 輸送車輛の影に移動し、多連装擲弾発射機(ネーベルヴェルファー)の発射準備を眺めるリシアをトウカは見据えると、自身の拳銃嚢から右手でP89自動拳銃を抜き放つと同時に、左手でリシアの襟首を掴み輸送車輛の側面に叩き付けた。

「きゃっ、なにッ!?」小さく悲鳴を上げたリシア。

 だが、周囲の将兵が驚く気配を無視して、トウカはP89自動拳銃の銃身でリシアの頭を押し上げる。

「答えろ。これはマリアベルの意志か?」

 撃鉄を起こしたトウカに、リシアが息を呑む。

 周囲の温度が一層、低下したような雰囲気を纏わせたトウカを止める者はいない。



 

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