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第四〇話    慈悲なき戦野




 トウカは発煙手榴弾の煙幕によって視界の塞がれた最後尾の戦車へと駆ける。

 戦車は歩兵の支援なくで前進する危険性を考慮してか、その場で待機を続けている。敵味方入り乱れた戦場で後退することは不可能であり、旋回することも難しい小さな道にあって戦車は障害物でしかない。

 しかし、咄嗟的な混戦で車載機銃は単射に留まっている。

 発煙手榴弾の有効時間は短く、トウカは間髪入れずに戦車へと迫る。両側面に装備された銃眼から小銃の銃身が覗いていたが、充満する白煙の中では照準を付けられず、散発的な発砲炎(マズルフラッシュ)が煌めくものの、それらの銃弾は死の羽音を響かせて密林へと消えた。

 途中、掠めた銃弾が大外套に穴を開けるが、トウカは気付かない。

 戦車へと迫り、銃眼から突き出されている銃身を足蹴にして、残り一つとなった破片手榴弾を側面に空いている視察口(クラッペ)から投げ込む。

 視察口(クラッペ)は、蓋で閉じることもできる視察口で、必要な時のみ装甲板を外して視界を確保する。

 戦車にとって外を見る為の機構は弱点となる。防弾硝子(ガラス)が あったとしても、耐えられるのは砲弾の破片程度までであるが、量産性を妨げることを嫌っている為か、皇国陸軍戦車には防弾硝子は装備されていなかった。対 戦車小銃ならば確実に貫徹されるので、装甲板があるに越したことはない。対戦車小銃は長い銃身の為に非常に射撃精度が高く、ある程度接近できれば十分に弱 点を狙撃できる。

 発煙手榴弾の煙によって視界が塞がれたことに業を煮やし、視察口(クラッペ)を開けたことが仇となる。

 トウカは、視察口(クラッペ)に破片手榴弾を投げ込む。

 この世界に於ける戦車とは、トウカの知る戦車とは違い基本的に歩兵戦闘車としての側面も持っていた。純粋な機甲戦自体が成立すること自体が少なく、自然 と対砲兵戦や対歩兵戦が重視される。結果として戦車と比して目標が小さい歩兵や砲兵を相手にする為、視界の確保が最優先とされていた。大威力の戦車砲の直 撃を想定していない以上、装甲に穴を開けるに等しい視界確保もある程度は許容され、各国陸軍の戦車も同様の構造をしていた。無論、その代償として対戦車小 銃でかなりの数の戦車が狙撃されており、戦車兵が死傷する事も少なくない。

 その点をトウカは突いた。

 車載機銃を発煙手榴弾で無効化して接近。視察口(クラッペ)より破片手榴弾を投げ込み、搭乗員を殺傷する。トウカの目論見は成功し、戦車の機銃が沈黙する。

「ちぃ、糞ったれ!」

 銃眼から突き出ている機関銃の銃身に飛び付き、自重で曲げ、天狐と傭兵が入り乱れる戦野へと駆け出す。熱を持った銃身に飛び付いた代償で掌を火傷するが然したるものではない。

 当初の予定であった先頭に位置する戦車の撃破は不可能となった。複数台の戦車の横を駆け、先頭の戦車に攻撃を仕掛けるには、無数の車載機銃と銃眼の前を 駆け抜けなければならない。発煙手榴弾を使い切ったトウカに文字通り煙に巻く術はなかった。もし、残存戦車が前進するならば、マリアベル旗下の戦車隊に期 待するしかなかった。

 不意に視界に入った傭兵に足払いを掛け、倒れた所で首に軍刀を突き刺す。

 反射的に軍刀の刀身を掴まれるが、その手諸共引き抜く。傭兵の指が切り裂かれ宙を舞うが、その頃にはトウカの剣は既に次の敵と渡り合い、これを一刀の下に斬り捨てていた。

 刃を合わせれば摩耗する為、トウカの扱う剣術は鍔迫り合いを避ける。斬るという動作に特化した軍刀に、叩くや薙ぐことを重視した西洋の長剣を受け止めることは荷が重く、それを前提とした剣術は異世界の戦場にあって奇異に映る。

 ――早く里に戻らねば!

 魔導機関を唸らせて前進を開始した四輌の戦車を背にトウカは焦りを感じた。最後尾の一輌が撃破されたので、マリアベル旗下の戦車隊の勇戦に期待する他ない。しかも、機関銃による射撃を避ける為に大きく迂回せねばならなかった。

 顔に浴びた鮮血が冷気で冷え、顔から熱を奪う。が、それでも苛烈に凛冽に、熾烈な表情でトウカは叫ぶ。

「どうした! 傭兵共!! 臆さぬと嘯くならば掛かってこい!!」咆哮と評して差し支えない怒声が戦野に響く。

 近くで天狐と鍔迫り合いをしていた傭兵の心臓を背後から刺し貫きトウカは、軍刀を振り上げて辺りを睥睨する。

 白の大外套が氷雪交じりの風に靡き、黒の戦装束を露わにし、軍刀は雲居に姿を消した太陽の残光を受けて何者も穢し得ぬほどに白く煌めく。

 その姿を見た者達は後に口を揃えて言う。白い死神、と。

 手当たり次第に傭兵に斬り掛かるトウカの白い大外套は朱に染まり、その表情は凄絶なものとなる。当の本人は傭兵までをも先へと進ませる訳にはいかないという不退転の決意からのものであった。だが、周囲の傭兵達からは死を振り撒く死神以外の何ものでもない。

 包囲しようと試みる傭兵もいたが、足を止めないトウカの前には無意味であり、忽ちに懐への接近を許して突き崩される。

 掌底で喉を突き、後退した傭兵の爪先を踏み転倒させたところで(くび)を踏み砕く。軍刀を振って牽制し、叶う限り同時に複数の傭兵を相手にしない様に振る舞う。

 敵味方入り乱れての近接戦になっている為、銃声は時折思い出したかのように響くだけであるが、その銃声を響かせる当人はトウカであった。

 迫る傭兵の太腿に輪胴式(リボルバー)拳銃を押し付け引き金を引く。

 動脈が被弾し破れると、大量の血液が急速に失われる為、失血性のショック状態によって行動不能となる。《米帝》海兵隊で、狙撃時に股間を狙えと教えてい るのはこの為で、股間を狙撃しようとすると着弾が左右に逸れると大腿動脈、上に逸れると下行大動脈への被弾が期待できた。故にトウカは鎧に覆われていない 太腿を狙う。

 味方撃ちすら恐れない姿勢と受け取った傭兵達が戸惑うが、トウカは臆したと受け取った。

「どうした! 闘争の時間だぞ!!」

 貫通後に地面へと着弾することが確認できるのであれば誤射の心配はなく、近接戦での銃火器の運用は実際のところ非常識なことではない。対人威力(ストッピングパワー)の高い大口径拳銃や取り回しが容易な散弾銃の銃身を切り詰め、銃床を短くした短銃身散弾銃(ソードオフ・ショットガン)などは、限定的な戦域……市街戦と塹壕戦などでは極めて有効な武器であり、トウカもその点を心得ていた。右手に軍刀を持ち、左手で回転式拳銃を操るその姿は、この戦野に於いて浮いているが、効率的な戦い方ではあるのだ。

 本来、トウカの資質は猜疑心と臆病の混合物に過ぎない。

 そうであるにも拘らず大音声を放ち、奇抜な戦い方を選択することはその資質と相反している。 

 自らに意識を誘引し、天狐達の被害を抑えようとしている以上に、里へと進ませないことを最優先した結果であった。そして、小心者特有の攻撃性も相まって苛烈なものとなる。

 輪胴(シリンダー)弾倉が空になると、すかさず輪胴式(リボルバー)拳銃を傭兵の顔面に投げ付け、気を取られている隙に柔らかい脇腹を切り裂く。

 何人目かも分からない傭兵を斬り伏せた後、目聡く足が竦んでいた傭兵を見つけて斬り掛かる。

 それは、トウカと然して歳の変わらない傭兵だった。

 怯えた眼つきの少年傭兵の長剣を押し切り、その顔面を殴る。

「怯えるなら剣を取るな! 不愉快だッ!」

 人からナニカを奪おうと歩みを進めておいて今更立ち止まるのか。殺される覚悟すらない者が戦野に立つ事は許されず、また人を殺める度胸のないものに闘争 に関与する資格はない。例え、怯えていたとしても、少なくとも戦意は示し続けなければならないのだ。自らの納得できる死の為に。或いは、これから殺す者の 名誉の為に。

「何故殺したんですか!? あんた程の力があれば追い払うだけでも出来たんじゃないですかッ!?」

「何故、だとッ!? 害意を先に示したのは貴様らだ。殺意を振り撒く者が殺されることに納得いかないのか! 傭兵如きが随分と偉そうに!!」

 涙混じりに訴える少年傭兵だったが、その事に苛立ちを隠さないトウカ。覚悟なき者が自らの前で刃を振るっているという現実は、トウカを著しく不愉快にさせる。

「最初の戦いで兄が死んだんだ。あんた達が殺したんだ!」

「だから如何した!? 御前も死ね!」

 長剣を軍刀でいなし、頭突きで応じる。

 長剣を取り落とし、頭を押さえた少年傭兵の頸動脈を脊椎と頚椎を斬らぬ様に切り裂く。少年傭兵の斬り裂かれた首筋から、雪の大地に鮮血が撒き散らされる。

 骨や鎧など硬質なものを斬ると刀身に負担が掛かり、耐久性が低下する。日本刀は斬るという行為に特化した剣の総称と言っても過言ではなく、叩くという要 素を付加した大太刀であっても、西洋の刀剣に比べれば遙かに優れた切れ味を持つ。だが、その代償として耐久性を犠牲にしている。継戦能力こそが日本刀の弱 点であった。故にトウカの流派では、如何に刀身に負担を掛けないようにするかという点を重視しており、集団戦を前提とすることすらない流派が少なくない日 本の剣術に於いて間違いなく異端と言える。

 だが、異端であるからこそ敵は予想できない。

 正々堂々とは程遠く、正道とは言い難い戦い方。元より武家たる桜城家そのものが異端であり正義を謳わない。結果が手段を何よりも肯定する要素だという先 達の教えを受け継いでいることも少なくないが、闘争の勝利は如何に相手の意表を突くかであるということを知っているからであった。《米帝》陸軍のマッカー サー大将が断言して見せたように、奇襲こそが戦争で成功を収める最大の要素であるのだ。天狐達による奇襲もその点を最大限に考慮した戦法であり、傭兵が大 きな混乱を生じている事実を見ればそれが闘争に於ける心理の一つであることは疑いない。

 敵の隙を見つけ、或いは隙を強引に作り出して、傭兵を討ち取り続けるトウカ。

 足払いや雪を蹴り上げての目隠し、或るいは爪先を踏み仰向けに倒れた敵の心臓を一突き。倒れた敵に刃で止めを刺すことが億劫になると、(くび)を踏み砕くという戦い方を主体に変えてゆく。足技が多く正道の戦い方ではない。間違いなく邪道と称される戦い方。邪道を以て現世を生き抜いてきた傭兵の戦い方も決して正道ではなかったが、トウカは明らかに効率だけを重視した戦い方をしていた。

 少年傭兵の遺体を蹴り、正面から迫ってきた傭兵の足運びを狂わせる。そこを狙って、刺突で骨に邪魔されることのない横腹を深く切り払う。

 腸が飛び出して蹲った傭兵。人体の温度よりも低い外気に内容物が晒され湯気を立てる。見渡せば戦場の至る所で、双方が機動することによって雪が舞い上がり、死体の体温が奪われて湯気を立てていた。

 戦場全体が霧に覆われている。

 その中で異邦人は血風を巻き上げ、狂気と正気の境界線を綱渡りするかのような勇戦を続ける。

 その姿は天狐達をも奮い立たせた。一人の戦意が部隊の士気を引き上げることもあり、トウカはその身を以てそれを証明し続けていた。

「ほぅ、あの時の坊やじゃないかい? 随分と殺してくれたね」周囲に散乱した傭兵達の亡骸を一瞥した女性が面白くないと呟く。

 傭兵が距離を置き、統一された戦装束の一団が魔導槍を掲げ、槍列を構築する。一部の無駄すら見られない動きは傭兵ではなく軍隊を思わせた。明らかに統制された動きにトウカも歩みを止める。

 数は三〇足らず。

 槍列の中央を縫って現れた女傭兵。

 血を吸って朱に染まった白い死神と、エグゼターの傭兵を率いる女傭兵が相対する。

 女傭兵を見据えたままに、トウカは軍刀の血糊を振り払う。

 考えもなく槍列へと挑みかかる愚を犯すほど軽挙ではないが、何よりもトウカを止めさせたのはベルセリカの凛冽な決意を思い出したからであった。あの様に 言われてしまえば、二度目の軽挙は行いたくても行えない。良い女に二度も恥を掻かせるほどトウカは落ちぶれていない。少なくとも当人はそう確信している。

「名乗れ、阿波擦(あばす)れ。傭兵に名はないのか?」天狐の増援を期待して言葉遊びに興じるトウカ。

 軍刀背負い間合いを測るトウカの声に、女傭兵は眉を顰めて曲剣(サーベル)を雪の大地へ突き立てる。曲剣(サーベル)の柄に両手を置き、枯れ草色の金髪を風に孕ませた女傭兵。背後の槍列も相まってその姿は戦乙女と表して差し支えない。

「私はリュミドラ・ケレンスカヤ。栄えあるエグゼターの傭兵さね」

「俺はサクラギ・トウカ。異邦人(エトランジェ)だ」

 型の違う二人の戦士が正面切って相対する。

 少なくともトウカは、統制の取れた精鋭戦力を一人で誘引している以上、決して分の悪い展開ではない。寧ろ、割の良い状況だと判断してすらいた。

 語るべきことは無くなった。

 リュミドラは恐怖を振り払うかのように曲剣(サーベル)を引き抜き、トウカへと翳す。

 トウカの瞳は他者を恐怖に駆り立てるだけの狂気が宿っていた。

 ヒトを殺す事を進んで望む狂戦士。強力無比で、畏怖されるべき存在。幾多の種族が神々から袂を別った時よりも更に昔、人間がヒトになるずっと以前に別の道を選んだ存在。リュミドラには、トウカがその様に見えていた。

 無論、魔導槍を手に前進を始めたエグゼターの傭兵達はそれを知らない。

 魔導槍とは通常の短槍の刀身部と柄の間に魔導増幅器を装備した武装で、付加された術式によって刀身部に魔導刃を展開することができる。実体の刀身部より も長大な魔導刃を展開でき、軽量ながらも長槍と同等の有効距離を得られるという点もあって扱う者も多い。欠点としては刀身を長くするほどに強度が低下する 点と抗堪性の問題があるが、それらを補って余りある汎用性があり、比較的安価であることも相まって多くの武装組織が採用している。

 突撃を行えば半包囲されつつ、その槍衾に刺し貫かれるだろう。

「加勢しよう、若造」

 身幅が通常の刀剣よりも倍近い大太刀を振り払い、シラヌイがトウカの横に立つ。気が付けば隣にいたのは、声を掛けるまで気付かれなかったからではなく、一瞬で認識可能範囲内へと降り立ったからであった。

 シラヌイも返り血に塗れ、トウカに負けず劣らず朱に染まっている。黄金色をした尻尾も血を含み、力なく地に垂れているが、狐耳は天を突く様に立っていた。戦意が溢れ出ていると取れた。

 異邦人と父狐は、エグゼターの傭兵達と相対する。

 雪を巻き上げ、下段に構えた魔導槍を手に突入を始めたエグゼターの傭兵達に、異邦人と父狐も其々の武器を手にそれに応じる。

 後退ではなく前進。突撃に突撃で応じるという非常識。

 だが、トウカの意志に揺らぎはない。

 “死”を恐れない生物は、生物ではない。トウカもまた死を恐れるが、その佇まいはそれを感じさせない。死の恐怖を心の奥底に押し込み、尚も戦うからこその武士である。

 ――――オォォォォォォォォォォォオオオオッ‼

 一際大きな蛮声が辺り一帯に響き渡り、手当たり次第に敵に斬り掛かる。

 天狐達の被害も少なくないが、奇襲での混乱によって半数程度まで落ち込んだ傭兵側の編制と戦闘集団としての危機対処能力は杜撰であった。早々に指揮系統 が崩壊していた為に集団での対応に失敗したこともあり、三人一組で一人ずつ確実に仕留められていた。天狐の膂力を考慮すれば過剰な戦力集中とも取れるが、 これは確実な戦果を望んでいる訳ではなく、一人の失態を複数人で埋め合わせ可能なようにとの意味合いが強い。現に手傷を負った天狐を別の天狐が後退させ、 もう一人の天狐がそれを支援するという形で、致命傷を受けない様にしながらも負傷者の密林への後送を成功させている。

 シラヌイが大太刀を一閃する。

 衝撃波を伴った一閃が、氷雪を巻き上げて傭兵を切り裂く。文字通り一刀両断で傭兵の胴を鎧諸共斬り落として見せたその姿は、まさに絶大な力を振り翳す長命種のものであった。

 地面より巻き上げられ氷雪の中、シラヌイは足音と呼吸音を頼りに次々と傭兵を屠ってゆく。トウカは知らないが、魔導資質に優れた天狐の中には魔力そのものを可視化できる者もおり、それは詰まるところ魔力の流れを視線で追えることを意味していた。

「往け、若造!!」

 舞い上がった氷雪に時折混じる鮮血の中、傭兵の影に刺突を繰り出していたトウカの耳にシラヌイの声が届く。

 リュミドラの下へと赴けと言っていることを察したトウカは、シラヌイに感謝した。トウカにとって可及的速やかに抹消せねばならない相手への血路を開いてくれたシラヌイの配慮を受け取ることは是非もない。

「応ッ!!」

 短く応じ、激しく乱舞する氷雪の中を、地を這う様にトウカは駆ける。

 朧げな方位でしか分からないリュミドラの位置へと全力で駆けた。

 そして、直ぐに枯れ草色の髪の煌めきを認め、下段の位置から突き上げる。

 乱舞する氷雪を抜けた瞬間に放たれた脇腹を抉る為の刺突は、硬い感触に阻まれた。リュミドラの曲剣(サーベル)が軍刀を掬い上げるように払っていたのだ。

「――ッァ!!」トウカは間髪入れず脛を狙って蹴りを放つ。

 刀剣での攻撃を刀剣で弾けば、少なくとも迫る攻撃と同等の威力を刃に乗せねばならず、その反動として刃は遠心力に従って身体の中心から離れる。その間隙 を突く形での打撃は極めて有効と言えた。足癖の悪い戦い方は、剣術とは系統の違う戦場の“業”。敵を効率的に撃破する為の一手であり、トウカの流派ではこ れらの邪道の“業”すらも一つの戦技と捉えている。他流派からの風当たりが強くあったものの、実戦で鍛え上げられた“業”は、道場で紡ぎ上げられた“技” 如きの追随を許さない。

 剣術に於ける“業”と“技”の違いは、詰まるところ実戦に即したものか否かで決められる。故に相手が清廉潔白や正々堂々を旨とする騎士であれば、容易く 斬り伏せられただろう。しかし、リュミドラは戦場を渡り歩いてきた歴戦の傭兵。綺麗事だけの道場剣術に頼る程、清廉潔白でもなければ正々堂々でもない。

 蹴りは膝で防がれ、軌道を逸らされる。

 トウカは足癖が悪いが、リュミドラもそれを非難できない程に足癖が悪い。見る者によっては卑怯者同士の闘争であり、同じ人間種であることもあって効率的な戦闘の行き着くところは似通っていた。

 剣閃が煌めき、蹴撃が舞い、時折、巻き上げられた雪が飛び交う。動脈を狙い、足払いを狙い、関節を狙い合う二人は目まぐるしく立ち回り乱舞する。

 瞬発力による回避と機動。そして、その状態を維持しつつも、的確な位置を狙える戦技。

 人間種が近接戦を突き詰めると二人が行っているような戦闘となる。女性であるという不利を抱えたリュミドラだが、トウカも実戦経験の不足という欠点を抱 えていた。前者は経験でそれを補い、後者は技術でそれを補ったが、トウカの技術に関しては、先祖が研鑽し受け継いだ技術の集大成であるり、それは最早歴史 ですらある。愚者は経験に学ぶが、賢者は歴史に学ぶ、と述べた鉄血宰相の言葉を信じるならば、二人は互角である。

 一進一退の攻防を続ける二人。

 トウカが雪を蹴り上げ視界を塞がんとすると、リュミドラは大外套を踏みつけんと力強く雪の大地を踏む。本来、敵に致命傷を負わす為の刀剣は、牽制となって既に有効な一撃を入れることを諦めているかのように無意味に打ち合わされる。

 ――この女ッ! 強い! 隙をこうまで無理やりに作ろうとするとはッ!

 トウカは一度、距離を置くと息を吐き出しリュミドラを見据える。 

 一見すると隙多く見えるリュミドラだが、接近すると猛禽の如く攻め立てる為、迂闊に仕掛けるとトウカが体勢を崩すことになりかねない。直感や本能に従っていると言っても過言ではない動きに、トウカは有効な対処ができないでいた。斬り込む前に斬り込まれる。

 ――近くの死体から小銃でも奪って撃つか? いや、それまでに懐に入り込まれる。

 速射できない銃火器など近接戦では棍棒と然して変わらない。速度は極めて速いものの有効範囲が点でしかなく、混戦では逆に友軍誤射に気を配らねばならない。

「薄汚い雌犬め……」儘ならない状況にトウカは悪態を吐く。

 手段は選んでいられないと、軍刀の血糊を今一度払い、鞘へと戻し、鞘を軍帯から抜き取る。大きく息を吸い、再び柄を右手で握り締め、腰を落とす。

 抜刀術。

 曰く、最速の剣技。

 片手での斬撃である為に威力が低いという点や、軌道がある程度制限されるという欠点があるが、速度の於いては如何なる剣技もの追随を許さない。

 リュミドラは怪訝な顔をするが、この世界に於いて抜刀術自体が大系化されておらず、扱う者はトウカ以外に存在しないことを考慮すれば訝しむことも何ら不自然ではない。リュミドラの意表を突くという点では抜刀術以上の剣技は存在し得ないのだ。

 無論、抜刀術だけで仕留められるとはトウカも考えてはいない。

 リュミドラは曲剣(サーベル)を中段に構える。どの部位を狙われても対応可能な中段は、防禦手段としての選択としては正しい。

 トウカはこの時、リュミドラの本質を計りかねていた。

 自身に負けず劣らず外道と評して差し支えないリュミドラだが、ヒトが外道に堕ちるには相応の理由が必要であり原点とするナニカが必ず存在する。何故なら 外道とは悲哀の蓄積であり、憤怒の発露であるが故に持続しない。双方共に希薄になり時間と共に消えゆく感情。それらが延々と続くことは有り得ず、それらが なければ持続しない外道もまた成立し続けない。

 ――これほどの戦技を得るまで外道であり続けた……成さねばならないことがあるのか。

 厳然と現世に存在するナニカに対して並々ならぬ感情を持つからこそ、ヒトは外道であり続けることができ、現にトウカはミユキという眼前に確かに存在する愛しい人を護りたいが為に外道という道を歩き続けている。

 何かを成す為、進んで外道たるを己に課した二人。

 気にはなるが、これから殺める者に悲願を聞くことは躊躇われた。聞いたとしても、トウカにその“求め”を叶えてやれる力はない。

「雌犬……意外と戦野以外で会えば、俺らは盟友となれたかも知れんな」

「はっ、気に入らないねぇ。だけど、私もそう考えていたところだよ」

 野生の獣を思わせる笑みで応じたリュミドラにトウカは笑う。

 残念だ。そう呟くこともなく、トウカは身体を陽炎の如く揺らめかせる。

 一瞬の動作で距離を詰めるトウカ。リュミドラには、二人の間の地面が縮んだかのように見えたのか、大きく後退しようとしている最中、その懐へと飛び込 む。両足を最小限の動きに留めることによって移動速度を誤認させる歩法で、少なくとも卓越した動体視力を持つ龍種でもなければ初見で見切ることはできな い。

 遠心力をも利用して軍刀が抜き放たれる。狙うは首筋。頸動脈。

 身体に捻りを加えて威力を乗せた斬撃は、防禦諸共斬り伏せんと迫る。トウカにとって一番、先手を取れる剣技であり、最も洗練された業であった。

 しかし、硬い鋼鉄の感触に軍刀の一撃は阻まれる。

 リュミドラの曲剣(サーベル)の鍔に刀身が喰い込み、軍刀を押し留める。

 抜刀術の弱点として、高速の代わりに斬撃の軌道が読みやすいという点があり、リュミドラはその点を本能で感じて脊髄反射的に防護した。

 だが、トウカは止まらない。 

 防がれると判断した瞬間には、左手で鯉口を握っていた柄を軍革帯から突く様に抜き放つ。

 流れるような動作こそが剣術における基本であり大前提。敵を前に対処に迷い逡巡するなど論外であり、自らの行動が失敗した際の動作まで想定していなければならない。

「――――――ッ!!」

 軍刀の刀身……棟金(むねがね)を鯉口で突き、両の腕の力を以てリュミドラの曲剣(サーベル)を一瞬の内に押し込む。首筋へと吸い込まれた刀身が、リュミドラの身体を曲剣(サーベル)諸共に雪の大地へと引き倒す。

 リュミドラは軍刀を曲剣(サーベル)で防いだ が、トウカが軍刀の峰を鞘の鯉口で突き、入る力が急に増した為に押し切られた。その緩急つけた抜刀は、トウカが祖父に勝利する為に日頃から考え続けていた 小手先の“業”である。膂力に於いて劣るトウカが威力に緩急を付ける事によって防禦を正面から突破する為に考案したものが、今この時、異界の女傭兵に死を 齎した。

 雪の大地へ撒き散らされた鮮血。倒れ伏す女傭兵。

 頸動脈だけでなく気管まで裂けたのか、荒い息で呼吸をするリュミドラの傍へ、トウカは油断なく立ち寄る。

 出血量から見ても助からないことは一目瞭然のリュミドラの姿に、トウカは再び軍刀を強く握りしめる。気管も傷付いている以上、出血ではなく窒息で死ぬ可能性もあり、場合によっては出血によって気管が塞がれば死期は更に早まるだろう。

 窒息死は、あまりにも惨い死に方である。無辜の民を殺めた罪があり、その死に様まで絶望と苦痛に彩られる様に、トウカはいずれば自身もこうして戦野に打ち捨てられるのだろうと感じた。

 眼前で斃れ伏す女傭兵の姿は、いずれ異邦人も辿る道やもしれない。

 外道であり続けることの対価として、惨い死があるなどという非科学的な現実をトウカは認めない。認めればそれは自身の末路となって現れるかも知れないという不安があるが故に。その末路への疑念を振り払う為にも楽にしてやらねばならない。

「結局は自分の為だ」トウカは自嘲するが後悔はしない。

 トウカはリュミドラを見下ろし、リュミドラもトウカを見上げていた。その瞳は、トウカを優しげに見つめている。

 険のある女性だと思っていたが、近くで見ると思っていたよりも愛嬌があり、暴力が似合う顔ではなく、それなりの服装でそれなりの佇まいであれば十分に愛 らしいと表現できるほどの容姿である。傭兵として生きる為に女としての自身を捨て去ったのだろうが、散り往く今この時、傭兵として振る舞うことをリュミド ラは止めていた。

 リュミドラの瞳が揺れる。

 トウカは黙って傍へと膝を着く。

 本来であれば戦野で無防備な姿をさらす事はあってはならないことであり、トウカはそれを行う程に愚かではない。だが、今だけはこの自身に負けない程に不器用に生きてきたであろう女性の願いに沿うようにと膝を付き、右手を胸に一礼する。

「願いを」短く告げた一言。

 リュミドラは、何かを呟こうとするが喉を斬られているので声を出せない。口と頸の傷口から泡混じりの鮮血が零れ出るが、その瞳は未だ爛々と輝き、手は自らの身体の上を蠢く。何かを探していると感じたトウカは、その動作を黙って見届ける。

 その手が、戦装束のポケットの一つを(まさぐ)り、何かを掴み上げると宙を彷徨う。

 トウカは、その手を両手で握り締め、その手中にあった物を受け取る。

 それは白銀に輝く十字架の装飾品と、黄金の硬貨であった。

 前者は精緻な造りをしているが、肌に離さず持っていたのか所々に小さな傷が見受けられ、後者はトウカが初めて見るものであったが、然して特徴のない硬貨であった。

「これを……俺に?」

 予想していなかった状況に、困惑の声を上げるトウカを見つめるリュミドラは、芯の通った瞳で微笑む。

 この納得できるとは思えない死に際に在って、何故微笑むのかトウカには理解できない。介錯をして苦しませずに済ませようと考えていたが、リュミドラという女性は死の淵に於いても尚、恐れを抱いているようには見受けられなかった。 

 優しげな面影が揺らぎ、その瞳から徐々に彩光が失われる。

 如何様な生き様をであったのかトウカには分からないが、自らの(かいな)で 骸へと変わり往くリュミドラは、少なくとも自らの信念に従った生き様であり、死に様であったと確信できる。自らはこの様な死に様を択び得るのか、と自問す る気にはなれない。トウカはこうも潔くはいかないという確信がある。無様に這い擦り、奇蹟を無謀にも希求し続けるだろう。

 リュミドラの身体から熱が失われる。

 閉じられる瞳。満足そうに歪む口元。優しげに微笑む(かんばせ)

 そして、一つの命が消える。

 異邦人は大外套を翻し、立ち上がる。

 槍働きを全うしたという満足か、佳き敵手を相手に立ち回ったという満足か。トウカには分からない。死者の想いは死者にしか分からぬことである。

 雪の大地へと横たえた女傭兵へ背を向け、未だ闘争の続く戦野へと視線を巡らせた。何時の間にか、周囲には一部の天狐達が終結している。

「我に続け」

 トウカは軍刀の血糊を振り払い、敵を指し示して短く告げる。

 背後にはシラヌイの気配。リュミドラの最後の時を看取る最中、トウカに凶刃が迫ることすらなかったのは一重にシラヌイの勇戦に依るところに他ならない。 異邦人と女傭兵の戦いに不粋な横槍が入らない様に最大限の注意を払っていたであろう父狐は、小さく喉を鳴らすだけで一言も語らなかった。心境に配慮するほ ど気遣いがあるのか、或いは面倒なだけなのかまでの判断は付かないが、沈黙こそが最善の答えとなることもある。

 トウカは、シラヌイの沈黙が嫌いではなかった。今この時、一時の沈黙は、百万の言霊に勝る瞬間であり、トウカの心に巣食う空虚な感情を拭い去る。

 闘争の最中、二人が言葉を交わす事はなかったが、二人は互いの死角を護る様に戦野へと躍り出る。

 獅子奮迅という言葉が相応しい勇戦。

 人間種の機動力を補う様に複雑な足運びで傭兵の戦列を切り崩すシラヌイ。その乱れた戦列の間隙を突く様にトウカが軍刀を手に付け込む。劣勢を補う為に方 陣を組みつつあった傭兵達は、互いに密集していた為に方陣内へと足を踏み入れたトウカに刃を振り翳すことができない。或いは戦友に刃が触れることも構わず 斬り掛かった傭兵も、シラヌイの大太刀に薙ぎ払われて雪の大地に屍を晒す結果となった。

 傭兵達は前後を包囲された事を知り、狭い道の中で何とか方陣を組もうとしている。

 方陣とは、正方形の陣形で、トウカの知るものは前列は片膝を付き後列は直立、三列目がある場合は二列目の兵士の間から狙撃するもので、傭兵達が構築しよ うとしている方陣は、剣と槍、小銃によって構成された針鼠の野戦陣地であった。この陣形はどの面から攻撃されても味方によって射角が阻まれることが少ない 為に極めて高い防禦力を発揮できる。

 トウカとシラヌイの判断は正しかった。

 完成された方陣を突き崩すには、多くの犠牲が必要であり、時間の浪費も少なくない。それらを看過できないトウカとシラヌイは、方陣を組まんとしている傭兵達へ吶喊した。

「さぁ、里へと続く道を傭兵共の死屍をもって舗装してやりましょう」

「頼もしいではないか、若造。しかし、鮮血の絨毯は品がなかろう」

 背中を合わせた二人。

 その佇まいは幾多の戦野を駆け抜けた戦士と見紛うばかり。

 二人は傭兵の只中で嗤う。

 

 

 

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 奇襲こそが戦争で成功を収める最大の要素である。

      《亜米利加(アメリカ)合衆国》陸軍ダグラス・マッカーサー元帥。


 愚者は経験に学ぶが、賢者は歴史に学ぶ。

      《大独逸帝国》宰相 オットー・エドゥアルト・レオポルト・フュルスト(侯爵)・フォン・ビスマルク=シェーンハウゼン