第四九話 不良装甲連隊指揮官
立ち上る緑色の発煙弾が三発。
「演習開始の合図じゃ」
顔を顰めたマリアベルは、トウカを一瞥する。
――この戦力差で何とかしろと? 簡単に言ってくれる!
演習のついでに痛い目に合わせてやれという依頼を 受けたものの、実質小隊以下の三輌対約一二〇輌の聯隊では戦力差が余りにも大き過ぎる。戦う前から負けは決まっていた。そもそも、一度の機甲戦後に砲弾の
補充を行っていない状況であることを考えれば、保有している砲弾を百発百中で命中させることができたとしても砲弾が足りないだろう。無論、演習であのでそ の点は問題とならないが、実戦なら一目散に逃走をトウカは選択する。
「まぁ、演習なので勝つ必要はないか」
だが、教本通りに戦い、負けることも性に合わない。一矢報いる程度のことはしておかねば、マリアベルも納得しないはずである。少なくとも軟派男の鼻っ面を圧し折ることは必須であった。
「戦車長、三時の方角の森に突入してくれるか。……あちらの指揮官の矜持くらいは圧し折って差し上げよう」皮肉に彩られた笑みで嗤う異邦人。
そう、勝利条件は限定している。
口先で得られる勝利であれば、それに越した事はない。戦争での被害を停戦交渉で補填しようとするのは一般的な高位である。
「戦争は、詰まるところいかに相手が嫌がる事をするかの戦いだ。さて、あの軟派男の嫌がる事は何か」
相手が最も厭う一手を打ち続ける。軍事衝突とはそうしたものである。
意趣返しとしては上出来。
それを察したのか、ベルセリカは溜息を吐く。
敵の戦力ではなく、矜持を攻撃目標に据える点は陰湿以外の何ものでもない。ミユキは、聯隊規模の戦車の群れに気を取られて、トウカの笑みには気付いていなかった。
「セリカさんは先行して前方の雪森の隘路を偵察してください」
ベルセリカとミユキによる直接的な武力行使は制限されたが、偵察行動に対しては言及されていない。軍人とは命令と軍法に逸脱しない範疇での総てが赦される職業であり、己の行使し得る権能の総てを以て最善を尽くことを要求される職業でもある。
「地図通りであれば、前方の雪森中央を南北に小道が縦断しています。念の為、戦車の移動が可能か確認。通行が可能であれば木々を伐採して最奥部を寸断」
戦力比を低減できる状況を創出するしかない。
本来であれば、ベルセリカに敵戦車の敵方のⅥ号中戦車の砲身を片っ端から斬り落としてこいと命令すれば容易い。被害比率は簡単に逆転するのだが、それをしてしまうとマリアベルの拳骨が唸ることは想像に難くない。故に今回は剣聖に工兵となる。
「承った」ベルセリカは鷹揚に頷く。
増速し戦闘速度となって走っているⅥ号中戦車から躊躇いなもなく飛び降り、その卓越した脚力で瞬く間に追い抜いてゆく。
地上では最速の種族である狼種であるだけにその速度は他者の追随を許さない。トウカの知る第四世代主力戦車と比較すると見劣りするかも知れないが、転化すればそれをも上回る。どちらにせよ人間種には届き得ない高みであることを実感させられた。
「本車は最後尾に。ミユキ……力を貸してくれ」トウカは願う。
同型のⅥ号中戦車である以上、巡航速度も同様であり、逃げ切ることができない。無論、連隊規模の戦車である以上、襲撃隊形を維持するには部隊としての巡航速度の低下は避けられない。トウカに与えられた三輛の戦車は少数であるが故に目録性能の限界を発揮できた。マリアベルを縛って投げ捨てれば時間を稼げるのではないかなどともトウカは考えたが、後が悲惨であることは容易に想像ができるので選択肢としてはない。
トウカの言葉を聞いたミユキは、手と尻尾を威勢よく振って意気込みを見せている。愛しの主に頼られることは、少なくともミユキの中ではこれが初めてなの だ。無論、トウカからすれば、ミユキがいなければ野垂れ死んでいた可能性も捨てきれず、個々人の主観では十分に頼っている心算であった。
減速して最後尾に付いた指揮型Ⅵ号中戦車の砲塔上で、トウカは振り落とされまいと必死に車長用司令塔にしがみ付いている。戦車跨乗など設計した時点では考慮すらされておらず、取っ手すら装備されていない為、急な機動で振り落とされる危険性すらあった。
対するマリアベルは、指揮官席の車長用司令塔から顔を出していることから分かる通り車内にいた。指揮戦車は中隊規模の装甲部隊を前線指揮するべく打撃管制官の座席を増設した車輌である。砲塔は大型化し、定員は五名であった。
尻尾を魔導通信機の空中線に巻き付けて落下しない様にしていたミユキが、トウカに手を差し出す。
「主様、私の腰に捕まってください。落ちちゃいますよ」
「助かる」
男の矜持やらが傷付かないでもないが、高速で機動する戦闘車輛の上で矜持だけを頼みに体勢を維持することはできない。ミユキの腰に捕まり一息吐く。車長用司令塔は掴み難く、場合によっては手が滑りそうなほどであったので力の限り掴んでいた。その所為か手の感覚が酷く曖昧である。
「……手付きがやらしいです」
「こんな時に何を、全く」
常に自らの在り方を崩すことのないミユキ。私は怒っていますと言わんばかりに頬を膨らませた姿は、仔狐というよりも栗鼠に近いものがあった。頬に詰まっているのは木の実ではなく、愛と浪漫や夢と希望に違いないとトウカは、ミユキの腰に回した手に一層の力を入れる。
背後に回り、ミユキを背後から抱き締める。ここが戦車上でなく、寝台上であれば色々と耐えることができなかったかも知れない。強く抱き締めることで辛うじて耐える。
「もぅ、主様! 頬摺りは……ひゃっ!」
「そんなに俺を節操なしと呼ぶのならば、そう振る舞おうか?」
トウカは、両手と頬でミユキを堪能する。車内のマリアベルから非難の声が突き刺さるが、羨ましいでしょう、と笑い返すと呆れを含んだ溜息の返答。
「さて、挑発も楽しんだ……いや、終わった。頃合いだろう」
楽しげな顔で進撃を続ける装甲聯隊を見据え、ミユキの耳元に口元を寄せる。装甲聯隊のⅥ号中戦車の潜望鏡越しに見ている戦車長達は呆れているか、青筋を立てているに違いなく、トウカにはその光景が脳裏に容易く過ぎった。
「我々が通過した後の大地を火炎魔術……狐火で焼き払ってくれ。別に雪が解ける程度で構わないので広範囲に頼めるか?」
背後から抱き締めたままに囁くトウカに、ミユキは首を縦に何度も振って答える。緊張している面持ちの仔狐であったが、その瞳は気力に満ちており、戦意に不足は無いように見えた。
ミユキの白く透き通るような色をした手が大地に翳される。
白磁のような手に黄金色の粒子が集まり、仔狐の顔を照らす。
魔力は、学術名称では魔導素粒子と呼ばれる。本来、その色素は扱う種族、生物によって差異があり、理由は未だに解明されていないものの、狐種はその毛並 みを表すかのような黄金色であることが通例であった。魔力の圧縮量や純度によって色の濃淡も現れる為、個体差もあり、千差万別と表現しても差し支えない。
不可視であるはずの魔力が、可視化するほどに高密度に圧縮と制御ができるだけでも並みの魔導士では至難の業である。その上で軍用攻撃術式に近い攻撃性を持 つ狐火を行使するとなると狐種の中でも高位である天狐族ですら可能なものは限られていた。
黄金色の粒子達は、ミユキの手に触れると蒼炎へと変じて、その手を包み込む。
幻想的な光景にトウカは心を奪われたかの様な喪失感に捕らわれた。
熱を感じない蒼炎に戸惑いつつも、トウカは揺れるⅥ号中戦車の上でミユキを離すまい力強く抱き締める。
魔導とは扱う者の本質によって資質が左右される奇蹟とされている。基本的な魔導資質に劣るとされている短命種であっても、例外的に強大な資質を有してい ることもあった。強靭な自我や強大な意識が高位の魔導を扱う要素として数えられている以上、精神的な一面こそが魔導の本質であり大前提とも言えた。
即ち、魔導とは感情によって左右される極めて限定的な奇蹟という側面も持つ。
そして、今この時、仔狐の精神はこれ以上ないほどに満たされていた。生来の特筆するに値する魔導資質と相まってその蒼炎の奇蹟を体現した狐火は、現世の事象から乖離しているかのような錯覚すら抱かせる。
そして、蒼炎を纏う仔狐もまた果てしなく遠い存在に思えたトウカは、ミユキが驚くほどに激しく抱きしめた。
「離さないぞ、ミユキ」
その一言にミユキは顔を綻ばせ、追撃を行ってくる装甲聯隊へと向き直る。ミユキは、戦車から振り落とさせないと、トウカの言葉を捉えたのだろう。だが、それを訂正することはない。
一層、輝いた手を大地へ向け、仔狐が謳う。
細い片腕から、蒼き炎が迸り、圧倒的な程に一瞬で膨張し、広範囲を蹂躙する。
トウカたちの戦車隊と装甲聯隊の中間を中心にして氷雪が瞬く間に氷解した。
水となり大地を潤おすその光景にトウカは満足する。
「な、何とかできました……」
「ああ、想像以上だ」
ミユキの頭を撫で、トウカは木々の倒れる大きな音を反響させている進行方向へと視線を巡らせた。
縦列で進む三輌のⅥ号中戦車の行く手には、細い道の如く切り開かれた森が、深淵の様なほの暗い色をして、鋼鉄の野獣達を飲み込まんとしていた。
「くそっ! あの色呆け野郎と巨乳狐め!」
黒髪の青年が車長用司令塔から上半身を乗り出し、遥か先を駆ける同型戦車に叫ぶ。
潜望鏡越しに、戦車上で親しげにしている少年と仔狐を思い出し、青年は眼前の車載機銃を力任せに叩く。人間種でしかない青年の殴打では鋼鉄製の被筒は凹みすらしない。
青年……ザムエル・フォン・ヴァレンシュタインには良い人がいなかった。
顔立ちは好青年そのものであるが、明け透けな物言いと高い理想像が災いして、未だ女性の影すらなかった……と当人は主張するが、実際はその軟派な性格と 習慣化した娼館通いが主な原因である。無論、世話焼きの迷惑女伯爵の影響も少なくない。それを加味した上での、演習だったのだ。
――日頃の恨みつらみ嫉みを果たしてやろうと思ったんだがなぁ。
ザムエルのマリアベルに対する感情は複雑であった。
食い詰めて軍人になったと周囲に公言して憚らないザムエルあったが、陸軍の新任少尉では儲からないと公募に出ていたヴェルテンベルク伯爵領邦軍の士官に 所属を変えたのだ。故郷でもあり、兵役はヴェルテンベルク領であったザムエルにとって勝手知ったる土地での軍務の方が魅力的であった。無論、ヴェルテンベ
ルク領の遊郭……女神の島が《ヴァリスヘイム皇国》で随一の規模であるという理由も大きい。無論、表面的な理由は、妹を残して遠方に赴任することへの躊躇 いとなっているが。
「凄く揺れていたぞ……けしからん」
狐種の少女の胸が、戦車の動き合わせて揺れていた光景を思い出し、ザムエルは今一度、けしからん、と唸る。
遊郭には多種多様な種族の遊女がいたが、狐種だけは見かけなかった。狐種自体が猜疑心が強く、街中ですらあまり見かけない種であり、人前で働く者など皇 都の病院くらいでしかザムエルは見たことがなかった。高級娼婦としては存在するという噂は聞くが、質と量を両立させると公言して憚らないザムエルは、天然 物ではない高級品には手を出してはいない。
龍種や虎種、狼種は特に優れた顔立ちが多いと一般的に言われており、他の高位種や中位種もその傾向が少なからずある。しかし、狐種は美しさよりも愛らし さや可憐さが先立つ顔立ちをしている者が多く、高位種でありながらも珍しい種族であった。低位種ですら愛らしい者が多く、親しみやすい者が多い。高位種は
己の顔立ちまで計算して、人との駆け引きを演じており、或いはその様な必要性に迫られたからこそ顔立ちの美しいものばかりが生まれるのではないか、と述べ る学者もいるが真偽のほどは定かではない。
「聯隊長殿、それほどに凄かったでありますか?」
車内の装填手が興味津々といった風に尋ねてくる。未だ二〇歳に満たない少年と呼んで差支えない装填手にとって、女性の話題は大いに気になるものであったのだろう。
「そうか、御前はまだ女を知らなかったな。……帰ったら女の扱いを教えてやるよ」ザムエルが思い出したかのように呟く。
これはザムエルという男の性根が下品だからではなく、軍という閉鎖空間では真っ当な女性との出会いが限られている為に、上官が部下の女性関係を世話して やることが通例と言っても過言ではなくなっているのだ。求心力を高める為という意味もあるが、ザムエルという男は生来、面倒見の良い男として知られてい
た。ちなみに領邦軍にも女性兵士はいるが、手を出すと面倒な事この上ないので彼の脳裏からは除外されている。
「今日は帰ったら夜の戦車戦だ……まぁ、その前に、戦車の清掃をしないとな」
「あ、やっぱりですか?」
肩を落としたザムエルに、装填手も疲れた声で返す。
それも止むを得ないことであった。一個装甲聯隊分の戦車が泥まみれになっているのだから。
あの怪しからん狐が放った特大の狐火は双方の中間地点に着弾し、熱風が大地を吹き荒れた。距離があった為に然したる脅威ではないとザムエルは考えて、進路変更すらしなかったが、それが仇となり着弾地点へと装甲聯隊は足を踏み入れた。
それが間違いであった。熱風によって氷解した雪が大地を濡らし、一瞬で湿地へと様変わりしたのだ。元来、この辺りは湿地帯であったことも災いして、地下 には冬の気候によって凍りついた水分が大量に含まれている。結果として、夏場の湿地帯以上に水分を含んだ大地は、戦車の行き足を遅らせた。
――いや、完全に足を取られた車輛もあるな……落伍した車輛の所為で隊列が乱れた。
陰湿だ。極めて陰湿だ。
マリアベルも陰湿であるが、これは明らかに度を越している。精神的に追い詰める点は同様であるが、戦車の洗浄がどれほどに大変か知らないであろうマリア ベルがこの様な手を使うとは思えない。そもそも、マリアベルは戦車に詳しくとも機甲戦に詳しい訳ではない上に、この様な戦術は如何なる国家の機甲戦術にも 記載されてはいない。
「余程の捻くれ者だな……」
ザムエルは、仔狐を抱き締めていた若造を思い出す。
優しげな風貌であったが、その瞳だけは怜悧の一言に尽きた。戦術家としてのザムエルの部分が同類だと告げているのだ。
ヒトの嫌がる事をするにあたって労力を惜しまない男だ、と。
「一個大隊は俺に続け! 残りの部隊は正面の森の両翼に。半包囲と遮断を怠るなよ」
深い色をした密林であったが、地図を見る限り、然して大きな森ではない。聯隊の半数が落伍しているとは言え、未だ一個装甲大隊程度は無事であり、もう半数も冬の気候で足場が再び固まれば戦闘行動が可能となる。
「恐れるな諸君! 勝利して俸給の増額を願うのだ!」
古来、不特定多数の人を動かすモノは、万人にとって共通の価値観を有するモノと決まっていた。その最たるものが金銭である。貨幣制度の導入という価値観 の共通化があったからこそ国家という不特定多数の人々によって形成された集団は実現したのだ。共通の価値観があればあるほどに集団の結束は強固になり、意 志は統一される。
つまり金銭は偉大なのだ。
近代国家に縛られて生きる誰しもが恋い焦がれる要素足り得る。
「酒と女が俺たちを待っているぞ!」
「「「「「「うぉぉぉぉぉぉぉっ‼」」」」」」」」
極めて分かり易い蛮声が戦野に轟く。
阿呆な男達はこうして戦意を漲らせた。
「馬鹿共が盛っておるのぅ」
蟀谷を押さえたマリアベルに、トウカは苦笑する。
無駄に血気に逸る声は、密林へと姿を眩ませたトウカ達の耳にも届いていた。聴覚にも優れるミユキが、下品ですと呟いていたので、ザムエルという男が模範的な優良指揮官であるのだと理解した。
野戦指揮官は上品では務まらない。何より、下品であるほうが部下の受けもよく、また部隊を纏め易い。上級指揮官になると威厳や外見によっての神聖性を錯覚させる方が有効であるが、野戦指揮官は逆であった。
「まぁ、やる気を出してくれたようで幸いです」
「主が煽ったのであろうて。男しかおらん装甲聯隊の前でいちゃつく阿呆がおって堪るか」
呆れたマリアベルに、トウカは挑発しすぎたと反省する。
そして、装甲聯隊に女性が皆無である事に驚いた。《ヴァリスヘイム皇国》軍は女性将兵の割合が多いことで知られていると聞いていたので、装甲聯隊にも少なくない女性戦車兵がいるのだと考えていたのだ。
考えてみれば当然で、女性将兵が多いと言ってもそれは特殊な兵科……龍騎兵や装虎兵、軍狼兵などでは、強力な戦力を確保する為、元来数の少ない中位種や高位種が多数必要になる。男や女などと性別に拘っていては兵数の確保すら儘ならない。
対して低位種や人間種などの女性は、戦場で敵……特に帝国兵に捕まれば慰み者になることは避けられない。武装がなくとも強大な高位、中位種であれば、抵抗は可能であり、不可能ならば捕虜とはならずその場で殺害され、男女どちらであっても過程も結果も変わらない。
そして、ザムエルが手を出して刀傷沙汰になることを予期したマリアベルが男性兵士で聯隊の人員を固めたのだ。よって女性戦車兵の入り込む余地はなかった。かくしてザムエル隷下の装甲聯隊には女性兵士がいない。
非力な低位種や人間種の女性将兵は、後方配置が通例なのかも知れない。
不特定多数の女性に見られて冷たい視線を向けられることに比べればどうと言う事はない、と心中で自己弁護しているトウカの下へ、ベルセリカが駆けてくる。
「御館様。無事で御座ったか」
大太刀に手を添えたままに掛けてきたベルセリカは、一跳びでⅥ号中戦車の車体に飛び乗ると安堵の息を漏らす。対するトウカは、これほどの距離を駆け、その上で装甲に邪魔な木々を片っ端から斬り倒しても息切れをしていないその光景に呆れた表情になっていた。
「戦車を木枝で隠蔽します。ミユキは地面に付いた履帯の後を消してください」
手早く指示を出し、車体側面に装備されている円匙を手に取る。
雪の大地へと降り立ったトウカは、戦車にベルセリカが木々を斬り倒してできた細い道から右の森へと移動するように指示を出す。
木々に隠れる位置に付いた戦車に対して、伐採された木々の枝を取ってくるように御願いし、大太刀に付いた木片を振り払っているベルセリカへと近づく。
「セリカさんは、敵の戦車が縦列で侵入してきた後、最後尾の車輛の後ろに木々を伐採して閉塞していください……ああ、敵戦車がそれなりに早く突入してきたならば、前にも木々を伐採して進撃を遅らせられますか?」
「ふむ、退路を断つか。あい承知した」
それだけではない。密林外で足を取られている戦車が使用可能となり投入される事を何よりも恐れた為であった。
密林の闇へと消える剣聖を見送り、トウカは戦車上で煙管を吹かしているマリアベルを一瞥する。居場所の露呈する真似はして欲しくないが、禁煙を求めても聞き入れてくれるような女性でもない。
最終的な勝利条件は敵の指揮官の撃破である。
敵の戦力に対して一時的に優勢を得る事は可能でも、維持することは不可能。そもそも、全ての戦車に撃破判定を与えてしまうと、それはそれで都合が悪い。ザムエルなる指揮官の矜持はどうでも良いが、兵士たちの戦意を萎えさせるような真似は避けねばならなかった。
――敵が指揮官を失い混乱している所を側面から戦車砲で横撃。少なくとも突入してきた戦車の半数は討ち取りたいが。
戦車砲がどれほどの命中弾を短時間で出せるかトウカには分からなかった。
奇襲時に撃破判定をどれだけ出せるかによって、反撃を受けた際の火力が変わる。初手で多くを撃破すればするほどに、反撃は弱くなるのだ。
「カリスト中尉……貴方は戦車の弱点を知っているか?」
「えっ? 何を言っているのですか、若。勿論、履帯ですよ」唐突な問いに答えてくれたカリスト中尉。
“若”という言葉が非常に気になったが、トウカはそれを無視して、この場合は違う、と答える。
「砲塔を狙え。それも可能な限り側面を」
「難しい事を言ってくれますね」カリスト中尉はにやりと笑う。
やって見せましょうと表情は語っており自信はある様に窺える。
戦車の装甲は正面が一番厚く、砲塔の正面装甲である防循は特に重装甲であった。基本的に戦車という兵器は、正面から撃ち合う事を前提としているので、その点が悪いという訳ではないが、側面装甲は正面と比して脆弱であった。
「敵はどの道、縦列で突入してくるから機動は制限されている。最前列の戦車を撃破すれば、セリカさんが退路を断って行動不能になる。攻撃で足を止める意味は薄い。それよりも敵の火力を削ぎたい」
「成るほど。了解しました」
トウカの肩を楽しげに叩き、カリスト中尉は戦車付近で隠蔽作業に勤しむ戦車兵達へと走り出す。
「さて、ミユキ」
尻尾を箒のように器用に扱い雪の大地に付いた履帯の後を消していたミユキを呼び止める。一生懸命にしているところもまた可愛いのだが、今回はミユキにもして貰わねばならないことがあった。
「何ですか、主様? もしかして、私の対戦車正拳突きの出番ですか?」
「いや、その様な胡散臭い事ではなくてだな……」両の拳を構えるミユキをトウカは宥める。
天孤族の里で、戦車の履帯側面装甲を可愛い声を発した突きで凹ませていた姿を思い出して不可能ではないと思ったが、それをしてしまうとマリアベルに殴られる気がした。
実は、トウカの知る限り、履帯側面装甲が装備されるのは、これほどに早い段階ではないのだが、それにはこの世界ならではの理由があった。詰まるところ、 無駄に膂力のある長命種が起動輪や転輪を殴る蹴るなどして戦車を擱座させることがあるらしいのだ。それをマリアベルから聞いたトウカは、面白い冗談だ、と
笑いたくなったが、顔は引き攣るだけで決して笑顔にはならなかった。なぜなら戦車の装甲や砲身を斬り捨てる剣聖が隣にいたのだから。
「戦車を魔術で完全に隠蔽することは可能ですか?」
「む、無理ですよ。隠蔽魔術って一人隠すだけでも凄く大変だし、準備も時間が掛かるんですよ!」
とんでもないといった風のミユキに、トウカは納得する。
男にとっては夢の魔術である隠蔽魔術であるが、その運用には莫大な魔力と精神力が必要とされる。そもそも戦車の装甲には対魔導防護術式が刻印されている為に、補助魔術を付与する事は基本的にできないのだ。
予想された答えに頷き、トウカは重ねて問う。
「では、幻像魔術で戦車を多く見せる事はできますか?」
「それな大丈夫ですよ。五〇輌くらいな何とかしちゃえます。動いている様にも見せられますよ。これで、饅頭を多く見せると得した気分になっちゃいます!」
断言するミユキにトウカは苦笑する。
なんて万能な仔狐だろうか、という言葉を飲み込み、考える。
――使えるな。敵に的を絞らせなければ上出来だと思っていたが、動かす事も出来るならば突入させて混乱させることも可能か。いや、砲撃している様に見せかけても良い。
仔狐は思った以上に万能であった。
ミユキに伐採されて形成された細い道の両脇に潜むような形で砲撃を繰り返す戦車を出来る限り多数、展開して欲しいと頼み、トウカは戦車へと駆け寄る。
「カリスト中尉。可能な限り引き付けてから攻撃を開始する」
トウカの考えた策を戦車兵一同の端的に説明する。
ハッタリやペテンに近い策に、戦車兵達は笑顔になる。少なくともハッタリやペテンは行う方にとっては非常に楽しいのだ。無論、被害者には同情するが、これは装甲聯隊が撒いた種である以上、少々、痛い目にあっても自業自得と言えた。
嬉しそうに作業を再開した戦車兵達に背を向けて、トウカも密林の闇へと足を向ける。
円匙を持ったままに。
異邦人は、最も重要なことを成さねばならなかった。
「くそっ! 相手はどんな剣客だ! 大木を輪切りにするなんてなぁ……腸詰肉でもあるまいし」
車長用司令塔から身を乗り出し周辺警戒を行っていたザムエルは、戦車の天蓋に拳を打ちつけて怒鳴る。
ザムエルの言葉に、同じように車長用司令塔から身を乗り出している前後の戦車の戦車長が笑う。喉頭音声機を外しての怒声であったが近くの車輛には聞こえている。冗談と捉えていたようだが、ザムエルの内心は不安が吹き荒れていた。
元より数で押し切ってくれようと考えていたが、マリアベル隷下の戦車隊は奇策で距離を取り密林へと逃れた。その上、密林の木々を一直線に伐採し簡易的とは言え、短期間で道まで作る非常識。
――どうにかしてる、糞野郎。俸給増額より、減額になるかも知れないぞ。
この期に及んでもザムエルの悩みは金銭に依るところであった。無論、これには可愛い妹を皇都の良い大学に進学させるのだという目的もあるが、酒と女の金を稼ぐという目的もあった。若くして、酒と女に溺れるのは宜しくないと理解しているのだが、こればかりはやめられない。
そもそも、ザムエル・フォン・ヴァレンシュタインという男は長生きする気など毛頭ないのだから。
人の生は何かを成すには短く、何もしないには長い。その様な言い訳をザムエルは重ねているが、それにはその行為を貫くだけの理由があった。
「まぁ、兎に角、今は金……もとい戦闘だ」
喉頭音声機を再び装備し、ザムエルは笑みを表情に刻む。見てくれが好青年だけに、その言葉は不釣り合いであったが、口元の卑しく歪んだ笑みは何故か似合っていた。
将校は常に余裕を持っている様に見せねばならない。例え内心が不安ばかりであってのそれは例外ではなく、幸運なことにザムエルという男の漏らす不満は、軽口として捉えられることが多かった。
砲身を森の左右に指向させたⅥ号中戦車一個中隊……二一輌が一列縦隊で進撃する。ザムエルの指揮戦車は、前後からの攻撃を考慮して列の中央に位置していた。
演習には、可視化した魔導波を集束させて発射する装置を、砲弾のように尾栓より装填して運用する。これによって模擬弾のように消耗することもなく場所も 取らない。何より、この魔導波を受ければ対魔導装甲が変色し、容易に直撃判定を識別できる利点があった。既に装填されている装置は、使用時には発砲炎と発
砲音まで噴出させる代物で、これは技術民族主義を標榜する《ヴァリスヘイム皇国》ならではの技術の産物と言える。
『右側面、敵中戦車! 距離五〇!』
「黙れ。気付いていない振りをするんだ」
前方を往く戦車長の声に、ザムエルは何気ない動作で右に視線を巡らせるが、仄暗い密林で戦車を見つけることは難しい。
ザムエルは取り乱さない。
それは予想済みであった。
縦列二一輌からなる装甲中隊は、例え奇襲を受けたとしても、これに手痛い逆撃を加えることは容易い。敵は三輌であることを踏まえれば、奇襲で半数を失っ たとしても残存の半数で発砲炎を撃てばこれを即座に撃破できる。密林は複雑な空間なので発砲音は反響するが、仄暗いので発砲炎は目立つ。
今ここで即応すると、敵中戦車三輌全ての位置を把握することができなくなる。敵の奇襲は間違いなく、最大火力をぶつける為に同時攻撃に踏み切るはずであった。
そこを討つ!
それがザムエルの勝算であった。
半数ずつで砲身を左右に振り分けて即応可能なようにしているが、これには砲塔の防循を側面に向ける事で脆弱な部分を敵に出来うる限り晒さないようにする為であり、同時に砲塔後部を向けてしまっているかもしれない車輛は誘いでもあった。
無防備な車輛を優先して狙うならば、即応可能な車輛の被害は最大限に抑えられる。
即ち、反撃の際の即応火力を最大限保持したままで戦端を切れるのだ。
『敵戦車、砲射!』
轟音。
辛うじて他戦車の戦車長の声が聞き取れるが、右からの圧倒的な光芒と爆発音で奇襲が開始されたことは嫌でも理解できた。
「各個撃ち方‼ 発砲炎を狙え!」
しかし、複数の残響が周囲に轟き、無数の発砲炎が視界に現れる。
――三……四……六……八……一二……一七……二四……馬鹿な!
『敵戦力増大‼ 左右に一個大隊規模の敵装甲部隊!』
「幻術だ! 判別を急げ‼」
一個大隊規模……即ち六〇輌以上の戦車が姿を現したのだ。
戦車という巨大な鋼鉄の塊の幻影を六〇以上も同時に展開できる魔導士などそうはいない。敵の兵力から高位の魔導士であることは明白であるが、規格外の戦術家だけでなく、他にも規格外の技能を持った者が存在している事にザムエルは理不尽なものを感じた。
――戦場が理不尽なのは当然で、あの女が更に理不尽なのは真理ってか、糞野郎!
そう、戦場とは想定外と不確定によって構成された大海原であり、マリアベルはそれを更に銃身で掻き回す道化師なのだ。
幻術は潜望鏡や双眼鏡に使われている霊子三稜鏡によって見破ることができるが、それらでは視界確保に限界があり、左右から挟まれた形である事も相まって確認には時間が掛かる。何よりも、密林の木々と闇が視界を遮っていることが致命的であった。
元来、幻影による敵の擾乱は戦場では滅多と使われない。霊子三稜鏡を 実装した光学機器によって幻影が簡単に透過してしまう為であり、それらを誤魔化す為には極めて多くの魔力を集束させて維持する必要に迫られる。汎用性は言
うまでもなく劣弱であり、大規模な運用もできない。軍組織で運用するには余りにも致命的な欠点を持つ幻影魔術だが、密林という限定空間ではそれ相応の能力 を見せた。
開けた平野などでの決戦が主体となっているこの世界の戦闘では、敵を俯瞰することは余りにも容易い。偵察騎などの偵察に完全に無力化されて以降は、魔導国家《ヴァリスヘイム皇国》であっても運用されることは滅多とない。
「ええい、構うな! 怪しい地点に砲撃を加えろ! 燻り出せ!」
三輌さえ撃破判定を出せば、ザムエルは勝利できる。
運に任せた時間との戦いになると考えたザムエルだが、圧倒的劣勢の中、五分にまで状況を持ち込んだ点は称賛に値するが、やはり数が違い過ぎた。
「敵一輌撃破判定! やりました!」嬉しそうな戦車長の声。
だが、既にザムエル隷下の戦車は五輌が撃破乃至擱座の被害を受けていた。被害比率に於いては明らかにザムエルが負けており、喜べる状況ではない。
「糞ったれめ!」
眼前を往く車輛が撃破判定を受けたと聞いてザムエルは、戦車による機動が不可能であることを悟った。一両がやっと通れる道を縦列で進んでいる以上、撃破判定を受けた車輛が邪魔になり進めない。
森から叩き出して挟撃する心算であったが、こうなればザムエル自身が猟犬役となって森へと突入したのは失敗であった。
指揮官先頭という伝統と仕来りを以て統率するのは装甲部隊では酷く当然のことである。無論、そこには機動力に優れ、散開して視界が限定的な戦車で戦う部 隊指揮官の苦悩があった。機動力に優れているが故に戦域の把握と変化を捉えることが難しく、自然と指揮官は前線に近い位置に進出せざるを得ないのだ。これ は軍狼兵や装虎兵にも付き纏う問題であり、それ故の損耗も少なくない。
「全車、停止! 腰を据えて、砲撃に専念しろ!」
どちらが敵を全滅させることが早いかの賭け。
被害比率だけを見れば十分に勝算のある賭けであるが、それは敵も予想しているはずであり、五分にまで持ち込んだ猛者が敗北を甘んじて受けるとは思わない。
「全周囲警戒、厳と成せ!」念のためにと指示を飛ばすザムエル。
機動しない戦車ほど図体の大きい的はないと知っているが故の判断。
だが、それは遅きに失した。
「悪くない判断だ。まぁ、手遅れだがな」
背後からの突然の声に、ザムエルは驚いて振り向かんとした。