装甲姫は龍殺しの英雄を求めた。

  ヴェルテンベルク興亡記 著者、セルアノ・リル・エスメラルダ

 


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閑話       陸上戦艦開発秘話

 

 





「新型戦艦……〈剣聖ヴァルトハイム〉型戦艦ではなくか?」

 トウカはヘルミーネからの通信に首を傾げる。

 新造戦艦は現在、最終的な艤装と駆逐艦の艦体を利用した浮船(フロート)艦を左右に装備させる為に船渠入りしており、ヴェルテンベルク領邦軍で稼働様態にある戦艦は存在しない。

 その点を重く見たわけではないが、エルシアで座礁した〈ガルトジング〉の応急処置が、日夜、派遣された工兵部隊によって実施されている。大破した為に補 修と喪った武装の改修、それに加えて乗員の確保に試験航海などを加えれば、内戦中に戦力化できるとトウカは考えていない。元より海軍と領邦軍艦隊では、そ の運用思想はおろか戦略目標までもが違い、その上、領邦軍艦隊の設立に否定的であった海軍の妨害により、独自の技術形態と運用思想が息づいている。神州国 海軍の退役将校を招いての艦隊演習なども行っていることから、皇国海軍よりも、神州国海軍の仕来りが多く採用されてすらいる。

「マリア様の肝入りで建造費が降りたのが五年前。でも、肝心の走行技術に難があった」

 結晶端末に映し出されたヘルミーネの相変わらずの無表情を横目に、トウカは軍刀を手入れしながら首を傾げる。

 ――航行ではなく走行? 技術的困難を放置したままに予算を認めた? 政務部は? 軍令部も一門でも砲が欲しい時期に訳の分からん兵器に予算を分配するとは、暇人共め。

 トウカは、内心で毒付きながら、どうしたものかと思案する。

「助けて欲しい。何とかしてくれるならお嫁さん……はいるから、お妾さんになってもいい。建造失敗するとマリア様が私を女神の島に沈めるって怒ってる。トウカの妾で我慢する。ミユキが言ってた変態な体位にも耐えるから」

 風俗に沈めるとは実に極道伯爵らしい遣り口である。

「……俺がシュットガルト湖に沈めてやろうか?」

 嫌々だが妾になると唸るヘルミーネに、トウカは頬を引き攣らせる。

 そもそも、トウカはミユキに変態な体位を望んだことなどない。

 トウカは至って健全にして正常な欲求の持ち主であると自負している。少なくとも自分ではそう思っている。そもそも、ミユキが深夜に自分の部屋の寝台に潜 り込んでくるので不可抗力だ、とは言わない。女性にそうした責任を求める程、トウカは落ちぶれてはいない。ここは鷹揚に開き直って見せてこその男である。

「ああ、そうだ。尻尾が良かったな」

「…………変態」

 無表情のままにトウカを非難するヘルミーネだが、トウカからしても痩せ細った狼尻尾など此方から願い下げであるが、寧ろ全力で開き直りを続ける。《仏蘭西第三共和政》を代表する知性様は、恋愛とは二人で愚かになることだ、と嘯いていたので盛大に惚気てみせる。

「いやいや、惚気させてくれ。ヴェルテンベルク伯やセリカは聞いてくれないからな」

 ベルセリカに余り過去に愛した男性を思わせる発言をすることは忍びなく、マリアベルに限っては僻む上に拗ねる。ザムエルは女性経験が豊富なので下世話な話になり、フルンツベルクは筋肉が恋人であるので惚気る機会はない。

「兎に角、領邦軍兵器工廠の第九製造所に来て。来ないと重戦車の開発が止まる」

「……それは一大事だな」

 恫喝とも取れるヘルミーネの言葉に、トウカは行かねばならないか、と頭の中で予定を思い出し、問題ないことを確認する。

 重戦車の開発を滞らせてまで掛かり切らねばならないのは、マリアベルの意向であることは想像に難くない。

 マリアベルの奇想兵器開発は有名である。

 様々な兵器が開発され、時には前線配備され、時にはお蔵入りとなる。圧倒的に後者の方が多く、多くの人材と資源を消費してまで断行するマリアベルの奇想 兵器開発に対し、イシュタルや兵器工廠の技術者も苦言を呈していたが、トウカはマリアベルの思想や発想の一端を如実に表した兵器群を見てその優れた才覚に 瞠目してもいた。無論、開いた口が塞がらない方向性の兵器も少なくないが、それは英国の国家像(ジョン・ブル)でも変わりはない。

 トウカの知る長距離弾道弾と同様の戦略意義を意図したであろう長距離噴進兵器や、複数が就役している大型揚陸艦……〈剣聖ヴァルトハイム〉型戦艦も、元 は強襲揚陸戦艦とでも言うべく兵器として当初は開発されていた。失敗したものも多いが、マリアベルの一枚でも有効な切り札を増やそうと努力する姿勢は評価 に値する。

 だが、戦時下での圧倒的技術躍進に支えられた《大日連》であっても、かなりの年月を要した兵器を、魔導技術という要素技術があれども実用化と実戦配備することは難しい。

そこに、届き得ぬ可能性に手を伸ばそうとするマリアベルの姿を、トウカは見た。同時にそうした兵器を発案するだけの才覚は、紛れもなく先進的な指導者として好ましい要素であった。

 トウカは溜息を一つ。

「いいだろう……行こう。だが、俺が解決できるとは限らないぞ」

「トウカが頑張った。この事実が重要」

 マリアベルも、トウカが最善を尽くしたが無理であったと言えば許してくれるかもしれないという打算からの言葉であるということが透けて見えるヘルミーネの言葉に、トウカは苦笑する。

「まぁ、できる限りは手伝う。御前には苦労を掛けているからな」

「……これで娼館送りは回避できる」

 ヘルミーネの言葉に、トウカはマリアベルが「使えん兵器を作った損失分を身体で補うがよい」と迫る姿を幻視する。十分に有り得ることである。ヘルミーネが怯えるのも無理はない。

「では、直ぐに向かおう」

 トウカは、執務室に置かれた結晶端末を閉じると立ち上がる。

 自身にも知らされていなかった奇想兵器。気になるのも無理からぬことである。








「第九製造所でありますか? 領邦軍兵器工廠は第八製造所までしかありませんが……」

 トウカは呼び止めた士官の言葉に首を傾げる。

 領邦軍兵器工廠はフェルゼン沖合にあるヘルガ島という比較的大きな島に建設された大規模な工廠で、ヴェルテンベルク領邦軍だけでなく北部の各貴族の領邦 軍の保有する兵器や武器の製造と開発も行っており、北部貴族領邦軍の使用する兵器の共通規格化と近代化に大きな役割を果たしていた。

 トウカは士官を下がらせると、佩刀した軍刀を吊るす金具をかちかちと鳴らしながら、立ち並ぶ工場施設や製造所の間を歩き始めた。

 周囲では工員の威勢のいい掛け声や工作機械の稼働音が満ちて、トウカは場違いな印象を受ける。

「軍需産業は花盛り、か……」

 ヴェルテンベルク領は蹶起軍の兵器や弾火薬の製造の多くを担っており、内戦勃発と共に生産量が急速に拡大した。有事に備えた設備投資と人材育成を行って いた為、生産量の拡大にも対応できたが、それでも増産の為の人員が足りず、北部の各地から出稼ぎ労働者を募っている。吹き荒れる孤立と不況の中にあって、 上昇し続ける失業率に領民の生活規模(レベル)の低下を懸念していた北部貴族達もこれを歓迎し、盛大な宣伝を行った。

 開戦後は増大する軍需物資生産の為、更に膨大な労働者が流入し、ヴェルテンベルク領は空前の特需に沸いている。

 金貨と血涙で形作られた繁栄。

 船舶建造と資源輸出で膨大な資金を掻き集め、産業基盤増強に偏重した政策は貧富の差を拡大させた。出来うる限り歪でない発展を目指してはいるが、実際、 零れ落ちる領民も少なくなく、環境破壊にも配慮せねばならなかった。魔導機関は石油や石炭などの化石燃料を燃焼させないので大気汚染には繋がりにくいが、 森林資源の維持や水質保全はそうもいかない。

 大量の需要が発生する紙は森林資源を急速に消費する。多くの重工業は大量の水を必要とし、その排水は多くの汚染物質を含有していることに加え、高水温で シュットガルト湖の生態系に被害を与えるだろう。それらへの対処を怠り環境軽視の姿勢を見せると、自然と協調することを重視する種族からの協力を得られな くなる。

 マリアベルは、それら全てを同時に行うだけの資金を有している。

 軍需産業は下請けが儲かるものの、大企業や軍産複合体は、実はそれ程に利益を得られる訳ではない。国家の支援を受け、税金によって兵器製造という産業を社会の一部に齎すことによる国民の錯覚である場合が多いのだ。

 つまるところは、戦時下では真っ当に見える税金のばら撒き手段でしかない。

 トウカとしては、船舶建造と資源輸出だけで莫大な資金を得られるのかという疑問はあったが、領邦軍軍人でしかない以上、資金運用にまで口を挟む権利はな かった。現に有価証券などを発行することもなく、全てを同時並行で行っていることを考えれば、それだけの資金があるのだと納得する他ない。

 しかし、人材は足りない。

 故に出稼ぎ労働者を北部中から募り、ヴェルテンベルク領は戦時下にも関わらず活気に溢れている。猜疑心の強いマリアベルが防諜を後回しにしてまで有象無 象の出稼ぎ労働者を募るというのは不審に思えるかもしれないが、総力戦となれば前線にいかに多くの軍需物資を輸送するかが重要になる。決して間違いではな い。

「トウカ、こっち」

 ヘルミーネが化学薬品の大容量貯蔵漕(タンク)の影から手招きしている姿に、トウカは苦笑しながら近づく。

 第二種軍装に白衣という姿のヘルミーネだが、その背後には情報部と思しき二人の影が見える。ヴェルテンベルク領邦軍情報部防諜四課が機密保持の為に人員 を割いているのだろうと、トウカは推測する。防諜四課は、戦時下にも関わらず大量の出稼ぎ労働者が流入する現在のヴェルテンベルク領に在って最も熾烈な部 門であった。陸軍諜報部や産業諜報員の摘発に加え、不自然な行動をしている者の監視、警戒活動による威圧。

 戦争産業は、今この時、最盛期を迎えている。

 権益を保護し、領民の所得を増大させる。

 だが、ヴェルテンベルク領が急速に発展すれば、必ず多くの富を持つ者と貧しいままである者の格差が増大し、貧富の格差は社会不安の原因になる。労働力を低賃金で酷使することよって生じるであろう同盟罷業(ストライキ)示威運動(デモ)などの不利益に対応する為、労働基準法整備までに手を伸ばしているところはマリアベルの非凡さを窺わせた。そして、同時に多くの領邦軍憲兵隊による静かなる威圧と断固たる行動によって、敵対行動を取る者達の意思を著しく減衰させている点は評価に値する。

 領邦軍憲兵隊は、高位種が総じて自然を慈しむ傾向にあるので、環境破壊に対する対応や摘発も行っているが、それ以上に労働力の急速な需要拡大によって起 きた他領地からの大量の出稼ぎ労働者や移民の中に紛れ込んでいる可能性が高い非合法組織や犯罪組織の“殲滅”を重視していた。

 金銭で利敵行為を働き、人心を不安定にさせ、社会不安を増大する可能性がある為、マリアベルは容赦しなかった。

 情報部は全課総出で不穏分子の摘発を行っている。マリアベルの発想が、彼の悪名高い血まみれの小人の“無実の人間を一〇人犠牲にしてもいいからスパイ一 人を逃してはならない。木を切り倒すときは木端が散るものだ”という言葉と重なるが、情報操作によって自身に否定的な風潮が生じる芽を摘むことも同時に 行っており隙は窺えない。情報伝達手段と速度が限られる時代であるからこそ可能な芸当であった。

 トウカは装甲姫の隙のなさに苦笑する。

「それで、噂の奇想兵器はどのようなものだ?」

「見れば分かる。……浪漫で戦争はできない」

 歩き出したヘルミーネの背中に、トウカは疑問を投げかける。

 浪漫で戦争はできないという言葉に、トウカは苦笑するしかない。

 一身に期待を受けた超兵器の実情が必ずしもそれに似合ったものではないことを、トウカはよく理解していた。《大日本帝国》時代、東南亜細亜領からの石油 供給が間に合っていないにも関わらず建造してしまった燃料莫迦食いの八八艦隊……超弩級戦艦群は海軍の悩みどころであった。

 ――艦政本部は、何故あんな戦艦群を作ったのか?

 海軍将校の多くは誇らしくも麗しい自慢の……何よりも石油を喉越しが重要だと麦酒(ビール)を胃に流し込む中年の如く消費する穀潰しの莫迦娘を、桟橋から眺めて遣る瀬無い溜息を吐いたものである。そのように戦争が始まってから分かることは多かった。

 超弩級戦艦群を最大戦速で走らせて同航戦など亡国沙汰である。国家の血液たる石油を吸い尽くしかねない。

 国家の誇りや民族の面子で戦争ができないことを、当時の軍国主義者は可愛い鋼鉄の莫迦娘達に教えられたのだ。必要なのは国力という資源、そして資金力と技術力などを含めた総合値なのだ。一つが突出することに意味はない。

 追い詰められていたマリアベルが、仰天した発想のもとで兵器を製作していたとしても何ら不思議ではない。戦況の悪化はヒトに妄執を抱かせるものである。

 地下へと続く螺旋階段を延々と下り続けていることを踏まえると、かなり巨大な兵器だとトウカは見当を付ける。

 氷山空母(ハボクック)超弩級自走砲(ラントクロイツァー)の 様な大型兵器もあり得るが、マリアベルの遠距離から相手を撃破するという基本的な考えを踏襲しているならば、このヘルガ島全体を利用した巨大な多薬室砲 (ロンドン砲)という線も捨てきれない。全長が戦艦の何倍もある長砲身の多薬室砲で、クロウ=クルワッハ公爵の領都を砲撃するという破天荒を目指しかねな かった。

 そんな益体もないことを考えていると、最下層に着いたのか、ヘルミーネが重厚な扉の前で足を止める。重厚な扉の左右には衛兵が立っており、二人の姿に敬礼を以て応じると、扉の開閉を結晶端末で指示する。

 そして、扉が重々しく開く。相当な厚みの扉なのか、その動きは遅くもどかしい。

 そして徐々に、その偉容が露わになる。


 冬季迷彩の施された黒鉄の城。


 トウカが初見で受けた印象は正にそれであった。

 〈剣聖ヴァルトハイム〉と比して一回り小さい艦体の後部に、据え付けられた低めの白亜の城は、ヴェルテンベルク領邦軍海軍の伝統となりつつある円筒状装甲艦橋ではなく、箱型艦橋であり質実剛健な形状をしていた。


 ――戦車……いや、戦艦かッ!


 トウカは進み出ると、転落防止の柵に手を付き、白亜の戦艦を見下ろす。

 それも一隻ではない。二隻である。

 主砲を四門装備した砲塔を艦首側、背負い式に三基集中配置した姿は、戦闘艦としては異形のものであった。艦橋の両舷上甲板には雛壇状に配置された対空砲が等間隔で据え付けられ、艦尾側の後甲板には多連装噴進弾発射機(ネーベルヴェルファー)がずらりと整列している。

 異形の建艦思想。

 その意味するところは、トウカですら分からない。マリアベルの戦略思想が既に常道の考え方から逸しているのか、領内に残存していた大火力の兵器を甲板上に乗せられるだけ乗せたのか。

「この時期に用途不明の兵器を建造する暇はない筈だが……」

「用途は単純、前線を引き裂き、突破口を開くこと。来るべき決戦で大規模な魔導障壁の広域展開を正面から打ち破る大火力を望む位置に展開しつつ、速やかに投射する兵器が必要」

 ヘルミーネの言葉に、トウカは眉を顰める。

 ヴェルテンベルク領邦軍は火力主義を標榜し、戦車や野砲、列車砲の大量配備によって遠距離から火力で敵を撃破する戦術を基本としていた。そして、部隊規模の魔導士による強力な集団魔導障壁の展開には重砲や列車砲を以て対抗することを内戦前では予定していたのだ。

 しかし、実際に内戦が勃発すると、重砲は陣地展開の速度が遅く、勢力内に浸透してくる軍狼兵の前に少なくない被害を出し、列車砲に限っては軌条(レール)を 敷かねば移動できず、その上、敷設した路線の防衛まで行わねばならないという理由から戦果と被害が釣り合わなかった。無論、征伐軍に少なくない被害を与え ていたことは確かだが、彼我の戦力差で圧倒的に劣る以上、戦果と被害の差は少々の優位程度では許されず圧倒的優位で在らねばあらない。

 ヘルミーネの長々とした説明に、トウカは頷く。

 簡潔に言えば、マリアベルは素早く陣地転換可能な大口径砲を必要としたのだ。

 トウカが提案した自走砲も、一部の中戦車や旧式戦車、装輪式車輛を改修する事で順次、再配備が実施されているが、数の上でも不足しており、そもそも魔導士の数に相乗して防禦力の向上する魔導障壁が相手では威力不足の場面が生じることも指摘されている。

 だからこそ、未だに眼前で建造が続いている。


「陸上戦艦」


 ヘルミーネの言葉に、トウカは溜息を零す。

 走行技術に難があるという言葉は聞いていたが、戦艦程の質量のある兵器を陸上で走行させるには、無数と横たわる技術的困難を乗り越えねばならない。特に 無限軌道の強度や重量配分に加え、砲撃時の衝撃に対する軽減対応……この短時間でもそれだけの懸念が上げられるということは、実際の問題は更に山積してい るということも想像に難くない。

「つまり、完成目処も立っていない兵器を強引に建造した挙句、途中で無理だと判断して泣き付いた、と」

 全力で頷いたヘルミーネに、トウカは頬を引き攣らす。

 魔導技術があるとは言え、そもそも大前提として大質量の鋼鉄の塊を陸上で走行させるということ自体に無理がある。確かにトウカの祖国を含めてその問題に 立ち向かおうとした国々は多々あれど、成功例は一つとしてなかった。計画で終わることが大多数であり、無理をしても多砲塔戦車が限界であった。それすらも 稼働率は低く鈍重で、戦場では鴨だった。

 《独逸第三帝国》の超重戦車マウスや、ラントクロイツァー P-1500モンスターなどを遙かに優越する規模の火砲の構造物(プラットフォーム)に、トウカは頭を抱える。資源の浪費以外の何物でもなかった。

「寝言は寝てから言え……この言葉が当てはまりますな」

 横からの声にトウカが振り向くと、そこには皇国海軍第一種軍装を身に纏ったシュタイエルハウゼンが苦笑を以てトウカに敬礼していた。

 シュタイエルハウゼンはヴェルテンベルク領邦軍艦隊司令官へ就任し、トウカの後任となったが、その階級は海軍で中将であったこともあり同階級のまま引き 継がれた。一部では領邦軍とはいえ独立した指揮系統を持つ領邦軍艦隊司令官の階級が領邦軍司令官よりも上位であることを懸念する者達もいたが、マリアベル が許可したことで反対の声はなくなっている。

 本来であれば、下の階級であるトウカが先に敬礼するのが通例だが、それを気にした様子もなく、シュタイエルハウゼンはトウカの肩を叩く。海軍軍人として、例え陸上を往く戦艦であっても新造戦艦であれば逸るものがあるのだろう。

「或いは、それは冗談でしょうか?というのもいけるかと」肩を竦めて返礼したトウカ。

 互いに砲火を交えた身であるが、どこか通じ合うものがある。傍から見た評価では、共に食えない男というものが多い二人は、皮肉や冗談に何処か類似性があった。

「艦首に戦略砲を搭載した宇宙戦艦かと思った」

「そう言えば、大気圏外に航行できるかは分かりませんが、艦首には何か細工がしてありましたな」

 他愛のない会話に興じる二人。

 ヘルミーネは、何だこの空気の読めない男共は、という視線を向けてくるが、トウカはシュタイエルハウゼンとの他愛無い会話に応じつつも陸上戦艦の外装を見つつ、如何したものかと考え続けていた。

「ところで、足回りは通常の履帯か?」

「うん、強度に問題ない範囲で大型化させた履帯を五二基付けて動かす予定だった。構造的には戦車に使われている履帯と変わらない」

 ヘルミーネの言葉に、トウカは考え込む。

 第二次世界大戦中、独逸第三帝国で陸上巡洋艦P1000(ラーテ)が計画され、それは橋を渡れない点と軟弱地盤にはまって行動不能に陥る点、機械的な故障や戦闘による損傷で走行不能になった際の回収作業に想像を絶する困難が生じる点などを踏まえて中止された。既に八〇cm列車砲(ドーラ)という口径八〇㎝の巨大列車砲を実用化していたことから、技術的にも実用面からも充分に可能であるとは考えられていた……らしい。

 ――魔導技術も踏まえれば可能か? 

 大よその予想で思案し始めたトウカ。隣のシュタイエルハウゼンはその姿を楽しそうに見ている。

「履帯で走らせるのは諦めるぞ」結論は直ぐに出た。

 機械的な信頼性を維持できたとしても、一度、戦場で故障してしまえば、これほど巨大なものを直ぐに修理することは難しく、自爆か鹵獲の運命が待っている。強度の許す限界まで大型化させた履帯など一度断裂したら交換は容易ではない。

 ヘルミーネが差し出した簡略な設計図を見る限り履帯交換の配慮もなされているが、戦場のど真ん中で動きを止めた巨大な標的を修理するなど自殺志願者でしかないだろう。

「……諦めるの?」

 狼耳を元気なさげに垂らしたヘルミーネに、トウカは「最初から難しいと分かっていたのなら断っておけばよかったのだ」と頬を引き攣らせる。さりとてマリアベルの言葉を拒否できる者など、ヴェルテンベルク領には数える程しかいない。

「止むを得ない。御前が娼館で客を取るなら俺が最初の客に……いや、冗談なので巨大レンチを下ろしてくれ、御嬢様(フロイライン)

「いかんな、サクラギ代将。そういう時は手を取って、一緒に駆け落ちしませんか? が正解だ。まだまだだな。私の後継者への道は遠い。……今日の夜は女神の島で補習だ」

 巨大レンチを構えたヘルミーネに、修行が足りん、と首を横に振るシュタイエルハウゼン。何という理不尽な状況なのか。

 シュタイエルハウゼンは艦艇運用の練達者としてこの場に呼ばれたらしく、確かに経歴を見る限りは皇国海軍に士官して以来、海上勤務一筋であった。陸上と はいえ、元は戦艦だったものを陸上戦艦へと改装する以上、運用は海上艦艇と重なる部分も少なくはないはずである。指導できる部分は多い。

 トウカは説明書と共に渡されていた書類を捲り、この数奇な運命を辿った戦艦の経歴を確認する。

 元は打撃砲艦というシュットガルト運河を防衛するための専従戦力として設計、建造が進んでいたものの、建造中に大型艦艇建造の技術的未熟から問題が噴 出。それを踏まえた〈剣聖ヴァルトハイム〉型戦艦の建造が決定したこともあり、艦体と上部構造物が完成した時点で建造中止となった。

 ちなみに打撃砲艦とは河川防衛や沿岸、河川、内水防衛を主目的とし、火砲を主兵装とした水上戦闘艦艇である砲艦の上位兵器である。トウカの世界は勿論、この世界にも未だ就役したことのない兵器だが、運河という左右に陸地があり縦深が只管(ひたすら)に 続く場所……特にシュットガルト運河という桁外れの規模を持つ河川での防衛を考えれば決して間違った考えではない。被弾面積を減らすことを目的として艦首 を敵艦に向けたまま一斉射撃を可能とする為、前甲板に集中配置された主砲を見れば目的は嫌でも理解できる。砲艦とは、その任務上相手が前方にいることが多 く、艦首側への集中配置は合理的判断である。

 ――()いて言うなら海防戦艦か。

 海防戦艦は自国の海岸線防衛を主目的として、比較的小型の船体に大口径砲を搭載し、装甲を有する軍艦である。巡洋艦並みの艦体の大きさながら、戦艦に準 ずる程度の口径を持つ砲を少数搭載し、自国沿岸での活動しか想定していない為に喫水が浅めで航続距離は短い。だが、こちらは艦首側に集中していることはな い。

「成程、まさに打撃砲艦か」

 シュットガルト運河は重巡洋艦以上の大型艦が縦横無尽に海戦を繰り広げるには狭く、主戦力は軽巡洋艦や駆逐艦、砲艦、水雷艇などの小型艦艇となる。なら ば戦艦としては不足である三〇cm砲を多数搭載する方がより多くの目標を相手に出来る上、それだけの口径の砲弾は巡洋艦の装甲では防ぎ得ない。

 ――まぁ、何処かの破天荒提督が戦艦をシュットガルト運河に突っ込んでこなければ有効な艦だっただろうな。

 トウカはシュタイエルハウゼンを見て深く頷く。

 〈剣聖ヴァルトハイム〉型戦艦二隻を同じくシュトガルト運河に突入させたトウカは、自分の行いを棚に上げて溜息を吐く。

 あのエルシア沖海戦は、互いが相手の投入する戦力が多数の小型艦主体になるという憶測の下に戦艦を投入し、結果として戦艦同士の砲戦となった。互いに裏 を掻こうとしたのだ。同じ様に。よって、少なくとも海洋戦略では、シュタイエルハウゼンはトウカに劣るものではないということになる。

 ――そして陸上戦艦への転用が決定。しかも、名前は最近になり〈龍討者ジークフリート〉、〈龍討者シグルス〉と命名された……マリアベルに話した龍殺しの伝説から取ったのか。なんと露骨な。

 クロウ=クルワッハ公爵を殺害したいという意志が嫌という程に感じられる名前でありながら、異世界の伝説であり、それを知るのは口にしたトウカと聞いていたマリアベルしかいない。

 改めて溜息を吐くトウカ。

「履帯の履板を魔導障壁にすることで解決できないか?」

 考えた末の解決策を提示する。

 魔導障壁を発生させる装置を、履帯を構成する一枚一枚の履板の様に繋ぎ合わせて魔導障壁を展開。それを履帯の様に転輪と動輪で回転させる。

 急降下爆撃騎の降下制動機構(ダイブブレーキ)が 魔導障壁を利用した者である以上、履板として運用できるはずであった。これならば艦内の艦艇内部から魔導障壁を展開する履板を回転させることで、履帯が外 部に露出すること自体を防げる上、負荷が生じたとしても魔力の消費が増大するだけで、機械的損耗は最小限に押さえられるはずであった。

 五二基もの巨大な履帯を装備しないと動かないということはそれだけの整備が必要となることであり、建造期間も増大する上に、部品点数も莫大なものとなる。

「そうした方法なら負担を減らして、複雑化も避けることが出来るはずだ。更に言えば、機械的な強度に対する難易度が下がる。詰まりは一つの履帯を更に大型化し、履帯の数もかなり減らせる」

 トウカは発想を与えることしかできない。

 魔導障壁という概念には詳しくないものの、重要な要点は押さえている。そして今回参考にしたのは、《大日連》陸軍が先進技術兵器として開発を進めている とされる、重力に反発する抗重力機関によって地上を滑走する滑空戦車であった。《大日連》でも学園都市が陸上戦艦を保有しているという噂があるが、トウカ は与太話だと考えている。

 ヘルミーネは書類に凄まじい勢いで何かを書き込みながら、トウカの言葉を聞いている。

「確かにそれなら……何かしらの手段で下からの攻撃を受けても魔導障壁も防禦力として計算……ううん、そもそも艦底部に専用の魔導刻印を施して魔導障壁を艦首側から艦尾側に移動させるように複数展開したら……」

 次ぐ次と浮かんでくる案に忙しいのか、ヘルミーネの黒い尻尾は長い黒髪を巻き込んで左右に忙しなく動き続けている。

「いける、何とかなるっ!」

 初めて聞く、嬉しさを滲ませた声音のヘルミーネに、トウカとシュタイエルハウゼンは顔を見合わせる。花咲く様な笑みは、起伏の少ない姿から幾分か幼く見えるヘルミーネを可憐な少女として認識させるには十分であった。

 こうしてはいられない、と急いでその場を離れようとしたヘルミーネ。

 しかし、トウカはその尻尾を掴んでそれを許さない。

「ひあっ!」

 可愛らしい悲鳴に、シュタイエルハウゼンがトウカに鷹揚に頷く。

 そんなことで褒められても嬉しくはない。ちなみに尻尾のある種族の女性の尻尾を触るというのは、人間種が女性の尻を触ることと変わらない。寧ろ高位種にとっては種族的に特徴のある部分は、近しい者にしか触らせないことで有名である。一歩間違えば公訴ものである。

 尻尾の根元を抑えて涙目のヘルミーネが非難の視線を向けるが、トウカは口元を大きく歪めて微笑む。

 胡散臭いまでに清々しく。

「どんな変態な体位でも喜んで受け入れるらしいな?」

 尻尾を両手で撫でながら、トウカは清々しい笑みを浮かべる。

 トウカはからかわれるのが嫌いである。特にミユキのことについは尚更である。それ以上に花の咲く様な笑みと涙目で口を尖らせる姿を見たのだから、慌てふためく姿も見ておきたいという欲求もあった。トウカは強欲なのだ。

「我慢するとは言ったけど……」

 緊張の為か、小刻みに揺れる尻尾を手櫛で梳くトウカに、ヘルミーネは顔を朱に散らしている。

 マリアベルも、トウカが最善を尽くしたが無理であった、と言えば許してくれるかもしれないという打算が透けて見えるヘルミーネの思惑を越えて、トウカは欠陥兵器開発に希望を与えた。

「月並みな言葉で申し訳ないが……今晩は寝かさないぞ?」

「ううっ……私まだ男性に肌を見せた事もないのに……」

 恥ずかしさと怯えに忙しいのか狼耳は小さく動き続け、尻尾の揺れも大きくなる。そして、視線は大きく揺れている。狼種の膂力を以て押し返さないということは、決して嫌われている訳ではないのだろう、とトウカは安心する。

「定時に迎えを寄越こす……逃げない様に」

 肩に手を置き、一瞬だけ鋭い視線を向けたトウカに、ヘルミーネは色々な感情が移り変わる表情で小さく頷く。諦めたかのように尻尾も項垂れている。

 そして、とぼとぼと歩いていくヘルミーネを、トウカとシュタイエルハウゼンが見送る。

 シュタイエルハウゼンが衣嚢(ポケット)から細葉巻(シガリロ)の小箱を取出し一本を口に咥えると、腹立たしいまでに様になった動作で燐棒(マッチ)に火を付けて細葉巻(シガリロ)の先へと押し付ける。

 その先端を赤く輝かせて美味そうに紫煙を吐き出したシュタイエルハウゼン。工廠のような場所では、当然ながら指定された場所以外禁煙のはずであるのだが。

「本当に抱く心算か? ……あまり急いては宜しくない」

「まさか。ですが余りにも服装や髪……特に尻尾に気を使っていない。たまには着飾らせて、美味しい物を食べさせてやるくらいの息抜きはさせてやるべきです」

 それを正面切って言えば、ヘルミーネは研究開発に忙しいと逃げるだろう。だからこそ約束事を持ち出して退路を断ったのだ。元よりいかがわしいことをしようなどと言うつもりはない。

 シュタイエルハウゼンは一瞬、驚いた顔をすると一転して破顔する。細葉巻(シガリロ)の先端の灰が合わせて揺れ落ちる。

「御主もいかがわしいよのぅ」
「いえいえ、提督様ほどでは」

 二人は視線を交わす。

 共に本心を隠し、捻くれ、皮肉が多いという自信はあった。だからこそ相手の複雑怪奇な思い遣りが理解できるのだ。シュタイエルハウゼンは、トウカにヴェ ルテンベルク領邦軍艦隊司令官に推薦された時の遣り取りも、ある種の思い遣りではなかったのかと、朧げに推測していた。無論、それを口に出す事はないが。

「はっはっはっ」
「ふっふっふっ」

 楽しげに笑う男二人の声に、再び細葉巻(シガリロ)の灰が落ちた。

 

 

 

 

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 恋愛とは二人で愚かになることだ。

    《仏蘭西第三共和政》時代の作家 アンブロワズ=ポール=トゥサン=ジュール・ヴァレリー



 無実の人間を一〇人犠牲にしてもいいからスパイ一人を逃してはならない。木を切り倒すときは木端が散るものだ。

    《ソビエト連邦》国家保安総委員 ニコライ・イヴァーノヴィチ・エジョフ