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第一七一話    変質する理由

 

 

「貴方には感謝しています。……しかし、ノナカ大佐」

 可愛い憲兵さんからの感謝の言葉に、無精髭を撫でて応じる中年将校。

 最早、軍人家庭の父娘の雰囲気とも思える表情の二人だが、周囲の軍装を着崩したやさぐれた姿の配下の士官達は軒並みにやにやとしている。皆が皆、ノナカが何をしたのか理解しているが故に、その結果を楽しみにしていたのだ。

 ノナカが、おうおう、と楽しげにクレアを応接椅子へ促す。

「で、どうよぅ? あの我らが戦争屋を誑かした感想は?」

 咥え込んだのか?、とノナカは携帯酒筒(スキットル)のウィシュケを喉に流し込みながらも訊ねる。

 周囲の可愛い子分達は、遙か上の階級を持つ若者達の肉体関係に意識を裂かれているが、ノナカとしてはこの清楚可憐な憲兵少将こそをトウカの恋人に推した いと考えていた。無論、クレアを経由して、この戦略爆撃騎部隊を増強する様に働きかけるという多分に派閥争いの意味もあるが、それ以上に治安維持戦力とト ウカの結び付きを求めたという理由が大きい。

 任侠者であるノナカには分かる。

 戦時下であっても、国家の意思統一を行い、擾乱を防止する役目は官憲こそが担っているのだ。

 ――こいつらは抱いただの出しただのを気にしてるが……

 周囲の頭が空っぽの子分達の能天気に呆れつつも、ノナカはクレアに言葉の先を促す。

「しかし、です……あ、あのような格好で迫って尚、追い返されるというのは……」

 心底、気落ちしているといった様子のクレア。

 女性としての魅力に欠けるのではないかとでも考えている事は疑いない。無論、クレアはノナカが目にしてきた女性の中でも上位に位置する美貌と身体付きを している。当然、それは年頃の女性の中では、という前置きが付くもので、ノナカとしては老練な高位種に多い豊満な身体付きでいて退廃的な佇まいを見せる者 が好みであった。

 ――ああ、まさかあれも死んだ姫様みたいなのが好みなのか?

 恋人は仔狐であり、〈装甲教導師団(パンツァーレーア)〉の不良指揮官も「狐耳と尻尾がない女には余程の事がねぇ限り興味は示さねぇだろ?」と口にしていた。トウカが狐種に強い(こだわ)りを持っているのは明白である。

 しかし、マリアベルとも関係を持っていたのは周知の事実。

 トウカの心の琴線に触れる要素を、マリアベルは手にしていたのだ。

 当然、権力や財力ではない。一歩間違えば、敗戦で主要な将校は略式裁判で死刑となっても不思議ではない状況下だった北部統合軍の参謀総長など、その程度 で務められるはずもない。自らの生命が定かではない椅子に嬉々として座る以上、それだけの理由がマリアベルにはあったという事になる。

 無論、それはミユキやリシアというトウカが心を許していると思われる者達にも共通のものであろう。

 仔狐に紫苑色の髪の少女に廃嫡の龍姫。

 ――ああ、そう言うことかい。こいつぁ、面倒だ。

 ノナカはその共通性に気付いた。

 彼女らは自らを偽らない。天衣無縫にして天真爛漫、国家体制に武装蜂起を以て対抗するという自由気儘にして、他者の迷惑を顧みない者達。

 対するクレアは、憲兵という勢力に迎合して成立する組織に属し、自身もまた己を強く律して生きている。

 彼女達とは方向性が違う生き様と言える。

 サクラギ・トウカは女性に自由である事を望むのかも知れない。例え、それが自らに不利益と死と齎す自由であっても尚、彼女達を庇護するのだろう。現にマリアベルとミユキに関しては、そうしている。

 いつの時代、どこの世界であっても男という生物は、好いた女の為に他者と争う。

 彼もまた例外ではない。

 だが、問題はクレアという女が、トウカにとって庇護すべき対象とはなり得ない事である。

 ――基本的にゃ、女らしい身体付きで頭が回る。だが、ちいっとばかし考えなしで、時折、子供らしい仕草と態度を見せろってことか?

 身体付きと頭の出来に関しては問題ない。

 経歴を調べたノナカはそう断言する。

「てぇことはだなぁ、嬢ちゃんに足りないのは健気さと女としての心意気ってぇ奴だろうよ」

 そう、足りていない。

 つまりは固いのだ。女性特有の柔らかな立ち振る舞いや健気な姿勢が見受けられない。

「私は軍人です。無論、閣下の前でも。私生活でも」

 御前は何を言っているんだ?と言わんばかりのクレアの表情に、ノナカは深い溜息を吐く。

 これは、私服を持っていない(タイプ)の女性軍人の発言である。

 男性将兵は私生活でも軍装を着用する者が多い。軍装は夏と冬、作業服、礼服と複数の種類があり、多くの場面で使用できるからである。無論、兵站部の服飾 係に渡せば洗濯から補修、糊付けまで行ってくれるという部分も大きい。そして機能美に溢れて強度もあり、軍人であれば優遇される指定店などもある。合理性 を言い訳にして、自らのものぐさを正当化するだけの理由があった。

 だが、女性軍人は例外の場合が多い。

 個性が著しく限定される軍隊という組織に在って、身嗜みすらも固定される年頃の女性達は、見えない部分での工夫なども行っているが、それにも限界がある。

 自然と休暇時の服飾には力が入る。

 軍隊という休暇時以外は給金の使用が限られる職業である事も相まって、些か個性的な方向性に捻じ曲がってしまう者もいるが、それでも服飾に力を入れるのは間違いない。

 しかし、稀に例外の女性軍人がいる。

 職務に忠実であり、滅私奉公の精神を実践し過ぎた者達である。つまりは仕事中毒の連中。

 クレアもそうなのだ。

 最早、言葉もない。

「残念だ、実にぃ残念だぁな、畜生」

 考えてみればクレア自身も、自身の恋愛感情ではなく、軍務の延長線上としてトウカに近しい立場を得ようとしている節がある。否、そう思い込もうとしているのかも知れない。

「御前さん、恋って知ってるんか? んん?」

「噂には聞いております」

 恋についての物言いとして「噂には聞いております」と返されるのは武辺者を自認するノナカをしても想定外であった。可愛い配下の士官達が吹き出しそうな表情で必死に堪えている姿を、ノナカは鬼神も斯くやという眼力で退散させる。

 慌てて〈第七二一戦術爆撃航空団(TKG 721)〉に宛がわれた士官室から逃げ出す子分達。当然、扉越しに張り付いているである事は容易に確信できるノナカは、止めとばかりに一息でウィシュケを飲み干して空となった携帯酒筒(スキットル)を扉に投げ付ける。

 金属が(ひしゃ)げる音。ばたばたと逃げ去る音が続く。

 救いようがない。これは教育的指導が必要だろうと、ノナカは対面で首を傾げているクレアに酒臭い息を吐く。

 可愛い部下達も彼女にも教育が必要である。

「嬢ちゃん、なんで閣下に近づこうとすんだ? 危険だぜぇ。そりゃ好きだからだろうが? 恋だろうが恋。あるいはぁ、あれか、愛か愛?」

 迫り方は教えたが、それを実践するには当人の気力と意思が必要である。

 彼女はその心根の部分で、トウカを好いているとノナカは確信していた。トウカの事を話す際の仕草は正にそれであり、ノナカが教えた迫り方は好いてもいない相手に行えるものではない。

 クレアは顎に手を当てて深く考え込んでいる様子を見せている。

 酷く直感的な情動の産物である恋心や愛という事象に、明確な理由と条件付けを行おうとしているであろうクレアに、ノナカは天を仰ぐ。

 理詰めで動くのは参謀向きの士官に多いと聞くが、まさかヴェルテンベルク領で鉄血の嵐を巻き起こした憲兵隊長も同様であったとは、ある意味に於いては納 得の事実である。理詰めだからこその鉄血の嵐。あの鉄火場から我武者羅な正面突破を成せたもの、或いは感情に基づいた感覚的な行動であったからかも知れな いと妙な納得いてしまうノナカ。

 挙句の果てに返ってきた言葉は酷く誠実でいて、残酷なものであった。

「そうですね……私は護国の意志を魅せる閣下を愛しているのかも知れません」

 トウカではなく、護国の意志を魅せるトウカを愛する。

 酷い物言いとも取れる。

 行動を含めてのヒトではあるが、その物言いでは国を護る対価として自らの愛を捧げると言っているに等しい。愛の切れ目が槍働き次第であると宣言しているとも取れる言葉であった。

 それが本心からであるか、或いは言葉の綾に過ぎないか、ノナカには追及する度胸がなかった。

「嬢ちゃん、それ、若殿の前で言っちゃならないぜ? 極道との約定だぁ、いいな?」

「犯罪者と約定を交わせと憲兵に仰るのですか?」

「疾うに盃は返しとるわぃ!」

 ヴェルテンベルク領邦軍入隊時に、諸々の説得と手打ちは終えている。マリアベルによる強権の賜物であるが、その恩顧があるからこそノナカは思想と国防政策の継承者たるトウカに尽くさねばならない。

 極道の女の価値観しか指導できないが、少なくとも現在よりかは幾分か改善するだろう。

「先ずはあれだ。俺がぁ、男を惚れさせる仕草を教えてぇやるぅ!」ノナカは、びしっと白鞘を杖代わりに立ち上がる。

 徹底的に鍛え上げねばなるまい。トウカの為にも。ノナカ自身の為にも。

 ノナカ、裂帛の決意。

「取り敢えず、下に見られたら、舐めたらいかんぜよ! と言えぃ!」

「……帰って宜しいですか、ノナカ大佐」

 美貌の憲兵少将は溜息を吐いた。









「陸軍としては、北部に対する干渉をするならば、諸貴族勢力に対して距離を置かざるを得ないと考えております」

「海軍も陸軍の意見に賛成であります」

 ファーレンハイトの言葉に、エッフェンベルクも続く。

 対向している相手は、クロウ=クルワッハ公爵アーダルベルト。

 北部貴族と皇州同盟の権勢を削ぐべく、中央貴族や七武五公が影で動いていることは有力者の間では公然の秘密となっているが、遂に表でも動いた。

 先鋒と言うには強大に過ぎる相手からの会議要請に、ファーレンハイトは如何なる立場を以て望むか苦慮していた。無論、それは隣に座るエッフェンベルクもまた同様である。否、〈剣聖ヴァルトハイム〉型戦艦の修理と三胴(トリマラン)化を全面的に任せるしかない海軍の立場は陸軍よりも尚、深刻である。

 アーダルベルトは、二人の率直な意見に対して腕を組み、瞑目したままに沈黙を貫いている。

 居心地が悪い。

 ファーレンハイトとしては、帰ってウィシュケを飲んで寝床に潜り込みたい心情である。

 ――そもそも、あの若造が全方位に喧嘩を売るからこうなるのだ。いや、あれの苦労は分かるし、立場を踏まえれば致し方ないものがある。だが、外敵の存在を以て組織の結束を促すならば、相手は帝国だけで良かろう。

 神州国系の顔立ちをした戦争屋の後姿を思い出し、ファーレンハイトはカイゼル髭を撫でる。

 皇州同盟による各勢力への影響力の拡大は言動や主張によってのみ成される訳ではない。基本的には技術提供や資金援助、武器貸与による影響力の拡大を重視 している。明確に形あるモノを利用した影響力の拡大は、規模こそ劣るものの、当事者達からすると極めて大きな意味を持った。

 皇州同盟の力を借りたからこそ、その力を実感できるのだ。

 皇州同盟は明確な利益を提示する。

 国家の存続は重要だが、その過程に生じる明確な利益を提示して商家を影響下に加え、軍需産業と結び付ける。農業や産業に使用される新技術を用いた民生品の生産を委託するなどして、皇州同盟は経済界との結び付きを強めていた。

 主張はするが、盟主であるトウカ以外は大声を張り上げる真似はしない。

 彼らは特殊である。名声や主張で賛同者を執拗に募る真似をしない。利益の共有による共栄によって賛同者を皇州同盟に依存させる。

 何と思慮深い事か!

 有象無象の雰囲気と情勢に流されただけの賛同者など求めてはいないのだ。利益を共有できる程には思慮深い者達でなければ有用ではないと判断するが故であ るのは疑いない。臣民全体を味方に付けるという危険を避け、有力者という要点だけを抑える有用性は君主制の傾向が強い皇国では非常に有効であった。

 ファーレンハイトは言葉を重ねる。

「彼らの製造する武器一つ取っても今では取り合いですぞ」

 そう、取り合いである。

 限界のある生産枠から生み出される兵器は優先的に皇州同盟軍に配備され、陸軍もある程度の枠を得ている為、量は少ないが不満が噴出しない程度の配備数は 約束されている。問題は航空攻撃の脅威を知った各地の貴族であり、彼らは皇州同盟傘下の軍需企業が大量生産を始めた加農砲を欲していた。


 九九式六五口径一〇cm加農砲(10cm Kanone 99)。


 新型重戦車に搭載されるとも噂される火砲であり、皇州同盟は全ての状況に対応できる多目的砲であると声高に喧伝していた。

 陸軍砲兵工廠は、購入したそれの性能試験を行った際、担当者が軒並みに叫んだとされる。

 狂っている、と。

 野砲などに使用する間接照準機器、対戦車砲などに使用する直射射撃時に高速旋回可能な砲架、対空砲に使用する光学観測機器などの全てを搭載し、魔導機器 と精密部品の集合体となった長砲身型一〇cm加農砲は気の触れた兵器であった。野砲と対戦車砲、対空砲などの兵器試作が別々の部門で行われている陸軍砲兵 工廠は上から下への乱痴気騒ぎであり、主導権の奪い合いすら起きつつある。当たり前であった。自らの職責を浸蝕し得る要素を備えた兵器なのだ。そして、逆 に言えば他の部門の職責を犯せる兵器でもある。

 だからこそ揉めた。

 日陰部門であった対空砲部門は、航空騎の活躍で脚光を浴びたと思えば地獄に突き落とされた様なものである。工廠で“戦死者”が出かねない。

 その上、要所は悉く特許で押さえるという厭らしさであり、類似した性能の兵器を製造するにも時間を必要とする。

「御存知でしょうが、彼の戦争屋は兵器の値を釣り上げつつあります。需要に供給が追い付かない以上、止むを得ないと嘯いて兵器の値を競売(オークション)で釣り上げるなど前代未聞……その効果は御存知でしょう?」

 兵器売却の規模に差を付けて敵対的な貴族が領地を面している周辺貴族と軋轢が生じるようにも誘導している。領邦軍同士が揉め、貴族同士の対立に発展する例も生じつつあった。

 トウカは露骨な敵対はしないが、他地方の貴族間の連携を着実に弱体化させている。それも兵器売買という不確定要素をばら撒く形で。

 彼の不興を買うのは許されない。陸海軍の間でも対空砲の取り合いが始まり、ファーレンハイトもエッフェンベルクも昨夜まで対応に追われていた。

 航空攻撃に対する脅威は海軍も同様であり、航空魚雷の試作が続いている現状、海軍は現有艦艇に搭載する大量の対空砲を切実に欲していた。

 兵器を商品に国を割る。正に死の商人と言えた。

 だが、彼は善意で“良心的”に販売しているという姿勢を崩さない。現に皇州同盟軍が北部で生産されている兵器を囲い込めば、国防に大きな不安が出るが、それをしていない。

 表面上は善意で兵器販売をしている様に見えるから尚更、性質が悪いのだ。

 アーダルベルトは、目を開くと溜息を一つ。

「貴官らの懸念は尤もである。私もその点については重く見ている。中央貴族は私が押さえよう」

 重々しい言葉。

 ファーレンハイトは言葉を失った。

 何を寝ぼけた事を言っているのか、と思わずにはいられない。

 北部弾圧の急先鋒が「困った事だ」と協力を約束するというのは予想外であった。直接的な嫌味と皮肉を返す程、アーダルベルトは腐ってはいない。その台詞 を笑顔で口にするのは、トウカくらいのものである。二人が面の皮の厚さで張り合っているというのであれば話は別であるが、残念ながら二人は皇国全土で知ら ぬ者がいない程に険悪な仲である。張り合う時は、あらゆる過程を省いて武力で行うだろう事は疑いない。

「お、おお、それは心強い事ですね!」エッフェンベルクが口元を引き攣らせながら応じる。

 社交的なエッフェンベルクの即応性は軍人の鑑と言えた。ファーレンハイトは開いた口が塞がらないままでカイゼル髭を揺らすしかない。

 何とか口を開けば、それは直接的な確認でしかなかった。

「その、それは七武五公の意向と捉えて宜しいので?」

 影では同盟国を作り、停戦に持ち込む事を提唱するトウカの恋人を利用せんとしているアーダルベルトの口からの言葉に、ファーレンハイトは頷くしかない。

「無論だ。七武五公“は”サクラギ卿との関係修復を望んでいる」不幸な行き違いは改善されねばならない、と続けるアーダルベルト。

 龍の面の皮は厚い様子である。

 ファーレンハイトは「それは宜しい事ですな」と笑って見せるしかない。

 真っ当な皇国騎士たるファーレンハイトには分からない権力者同士の水面下での争い。軍務に精励していて視線を逸らし続けていたが、二人の仲を取り持つ程度の計らいはした方が良いのではないか、と思考を巡らせる。

 その程度の動きであれば政治的なものと捉えられる事も避けられるだろうと考えるファーレンハイトだが、隣のエッフェンベルクは違った。

「面倒ですね。一層のこと、公爵閣下が北部に赴かれて頭を下げられれば宜しいでしょう」

 軍帽を被り続けたままであり、気を許してはいないという意思表示を危うく感じてはいたが、正面切って楯突くとは考えてみ見なかった。

 静かに怒っている。

 盟友の久方振りの桧舞台でもある。

 ――付き合わねばならんか。

 致し方ないと、ファーレンハイトは自らを納得させる。

 最大の仮想敵国が帝国である為に割を食う例が枚挙に暇がない海軍は、貴族勢力全般に対しても好意的ではない。無論、そこには貴族将校が少なく、平民主体 の組織であるという理由もあるが、最たる理由は度重なる建艦計画を全て白紙にされている事に起因する。近代改修すら遅延気味の中で、海軍の不満は蓄積して いると言えた。国情を鑑みれば止むを得ないと理解しつつも、胸中では遣る瀬無い心情を抱いているのは疑いない。

 その様な中で、彼が現れた。

 当初は金銭を毟ろうとする姿勢に隔意を抱く者もいた。政治的な理由で建造数が押さえられていた戦艦二隻が撃沈した以上、それは止むを得ない事と言える。

 しかし、後に強力な戦艦二隻を永久貸与された。

 多額の金銭を要求されたとはいえ、自らが有していない規模の主砲を有する大型戦艦。これを喜ばない海軍将校など居るはずもなく、その上、ヴェルテンベル ク領邦軍艦隊の契約時点での主力艦総ても同様に永久貸与するとなれば好意的にならざるを得ない。更には光学機器に関わる技術の提供や、フェルゼンでの海軍 艦艇の無償改修の支援に関わる約定まで締結されている。

 技術と労働力に余裕はあるが金銭に余裕のない皇州同盟は、海軍の予算の一部を要求する代わりに、可能な限りの兵器と技術を提供する事で合意しているのだ。

 だからこそ、海軍は深刻であった。武装を増強された上で取り込まれつつある。

 今となってはシュットガルト運河やベルネット海峡の護衛を海軍が担う程の連携を見せている。近々、海軍の主力艦隊と皇州同盟軍の再編された艦隊が合同演習を行うという話まで出ていた。

 言いたい事を言わせねば落ち着かないと判断し、ファーレンハイトはエッフェンベルクの言葉を止めない。

「困るのですよ。部下の命で博打を成す我らですが、それは限りなく不確定要素を減じた上での事。(いたずら)に銃後が擾乱するというのは好ましくない」

 陸海軍将兵共通の感情だが、正面切って七武五公相手に口にしたのは、エッフェンベルクが初めてに違いなかった。

 アーダルベルトは鷹揚に頷く。

「随分と言うではないか?」

 まぁ、間違いではないか、と呟くアーダルベルト。

 ファーレンハイトは、盟友の変わり様にカイゼル髭を撫でる。

 ――こいつも毒されたか。上に嚙み付く風潮は困るが……

 下剋上も已む無しという風潮は、間違いなくトウカによる北部統合軍成立から始まった。

「“彼”も人間種です。私も同じ人間種として種族を理由にする事から目を背ける事を止めただけに御座います」

 成程と、火狐族のファーレンハイトは思案する。ファーレンハイトには分からないが、人間種であるエッフェンベルクには身を引くべき場面が過去に多々とあったのだろう。以前までは、それは当然であり日常だった。

 しかし、トウカを見て考えを変えた様子である。

「幸いな事に、北部の臣民を大規模避難させる作戦が継続中です。それへの対処という名目で会談をなさると宜しいでしょう」

 実務的規模の会議を利用する事を提案するエッフェンベルク。最初からその心算だったのであれば、自分にも事前に一言相談すべきだろう、とファーレンハイとは唸る。

 言いたい放題である。

 海軍が中央貴族に対して否定的な態度で、皇州同盟とそれなりの紐帯を見せている以上、エッフェンベルクとしても海軍という組織の総意に否とは言えない。例えそれが漠然とした総意であっても、それを無礙にすれば士気と統制に関わる。

「認め合うか、殺し合うか。海軍府は閣下の決断を楽しみにしております」

 存外に、状況時代では皇州同盟に助力することを匂わせ、エッフェンベルクは緩やかな笑みを浮かべた。









「随分と順調じゃないか? ええ?」

 厚い硝子で隔てられた先の無機質な部屋で、苦しみながら斃れ伏す匪賊の姿を一瞥したトウカは、研究者達に笑い掛ける。
 その姿に周囲の研究者や技術者達も一様に表情を明るくしている。

 彼らは自らが何を開発したか理解しているのかと暗澹たる胸中で、ベルセリカはその光景を眺めていた。

 自身でも似合わないと毒づいた北方方面軍司令官の為にと態々、誂えられた国防色の軍装。ただでさえ長い手足を、更に長く見せてどうするのか思える程に細めに作られた軍装は彼女の男装の麗人という臣民からの評価を肯定するものであった。

 彼女……ベルセリカは軍帽の縁を摘まむ。

 そして、近づいてきたトウカへと訊ねた。

「御主は、この様な……この様なものすら戦場に投じようというのか?」

 静かな、それでいて玲瓏な声音での問い掛けに、トウカは顎に手を当てて逡巡を見せる。

 しかし、直ぐにベルセリカへと手を差し伸べる。

「ヴァルトハイム卿、お手を」

 先導するという意味であろうが、〈北方方面軍〉の一部参謀達も同行している中でその様な真似をするのは人が悪いと言う他ない、とベルセリカは苦笑する。

 そして、トウカの差し出した手を取る。

 何時も通りの曖昧な笑みを浮かべてトウカが歩を進め、連れられるままにベルセリカも進む。

 連れてこられたのは屋上。

 場の状況を察する事を放棄している護衛の鋭兵が、屋内から出入り口に歩哨として立ち、第三者の介入を許さない。その上、屋上はシュットガルト湖の湖風を受けるシュパンダウに在って、容易く声を吹き散らす。

 ベルセリカとトウカは、並んで手摺り越しに遠方のシュットガルト湖を見下ろす。

 建設の始まった湖岸沿いの都市と、復興の進む旧都市では、最近投され始めた建設機械が忙しなく地面を踏み締めている様子が見えた。

 そして、シュットガルト湖上では、海軍に引き渡された艦艇が単縦陣で慣熟訓練を行っている。

 それらを一瞥し終え、トウカは視線をベルセリカへと巡らせる。

 長い鳶色の三つ編みを湖風に揺らし、ベルセリカの翡翠の瞳はトウカの卑しい表情を映す。

 ――否、卑しく感じるのは、某がトウカを卑しんでいるからか?

 卑下したところで利益にならないと知るトウカは、自らの心の在り様を嘲るのだろう。

 護国の鬼となれ。

 それが、皇州同盟に所属する須らくの者達が希求する、トウカの在り様なのだ。

 二十歳に満たない子供に押し付ける理想としては、思い付く限りに於いて最悪のものと言えるだろう。

 彼もまた立場に振り回されつつあるのかも知れない。

「あの毒瓦斯(ガス)は、イソプロピルメタンフルオロホスホネートと言う。自然界にはない毒性瓦斯だ」

「イソプロ……???」

 兵器というならば、名前にも効率を求めてはどうかと思える名称である。

 トウカが苦笑する。

「……俺の知る固有名称は“サリン”だ」

 ならば早く言えば良いで御座ろうに、とは言い返さない。

 サリンという名称は、《独逸第三帝国》の開発に携わったシュラーダー、アンブローズ、リッター、ファン・デア・リンデの四人の研究者の名字の頭文字を取って名付けられたものであり、この世界の住まう者達は由来を知らない。

「俺の祖国では、昔、サリンを使用した“叛乱”があった。とある宗教団体の一部過激派の暴発が実情だったそうだが酷いものだった様だ。だから“叛乱”という扱いにされた」

 苛烈な対応を選択する為、政敵に言語的装飾を施すのは珍しい事ではない。

 政敵が邪悪であり、強大であればある程、打破した際に評価されるのだ。

 実情は兎も角として、政敵は表面上、卑怯狡猾でいて強大でいて貰わねばならない。

「密閉空間での不可視の死神は、恐ろしく凶悪でいて、恐怖を煽るに長けていた」

 確かに、扇動に使用するには、致死性が高い不可視の兵器というのは酷く魅力的と言える。ヒトという生物は不可視の存在にこそ多大な恐怖を覚える。対策を立てる術も見い出せず、銃口を向けるべき対象もまた曖昧となるが故に。

「だから祖国は恐怖した」

 国民が怖れ、政府に果断を求めたのだろうと、ベルセリカは見当を付ける。

 結果として、その宗教団体は武装反乱勢力として、軍警察ではなく陸軍特殊作戦群、〈義烈空挺隊〉の投入による殲滅戦を以て文字通り消滅した。

 トウカが、そう続けるものの、ベルセリカはその言葉の意味を理解できなかった。

 だが、トウカの祖国が、国民の総意による叛乱分子の排斥を選択したのは理解できる。

「潜水艦に毒瓦斯(ガス)……遍在性を持つ兵器は貴女に似合わない」

 だから使うのは俺の役目になる、と嘯くトウカ。

 それが自身を慮った言動ではない事を、ベルセリカは感じ取る。

 眼前のトウカの嘲笑混じりの笑みを見れば一目瞭然である。

 遍在性とは騎士に不要な要素である。

隠れ潜むことで畏怖と脅威を与え続けるは騎士の振る舞いに非ず。騎士ならば正々堂々と応じ、敵を撃ち斃して功を誇るべきである。

 それこそが敵を拘束する最大の要素となり得る。

 在りし日ならば、ベルセリカはそう断じていただろうが、装甲兵器が大地を踏み締め、巨大な戦船が万里の波濤を切り裂く様を見れば考えを変えざるを得ない。近代では個人の武勇ではなく、兵器性能と物量こそが勝敗を決するのだ。

 納得はできずとも理解はできる。

「貴女と貴女に統率された〈北方方面軍〉は、臣民が望む軍を演出しなければならない。在りし日の英雄に率いられた精強無比の方面軍。筋書きとしては上等だろう」

 北方鎮護の象徴としての役目を、トウカはベルセリカと北方方面軍に求めているのだ。政治的な演出としても例外ではなく、寧ろ比重としては正面戦力としてのものよりも重要視しているのだろう。

汚れ仕事(ブラックオプス)は、俺と皇州同盟軍の任務だ。総兵力は十五万程度に抑える心算だが、戦略爆撃部隊と化学戦部隊、潜水艦隊に空母機動部隊、情報部門……まぁ、偏った編制になるだろう」

 目的は敵国の戦力の漸減と政治的打撃。

 それのみに特化した編制の意図するところは明白である。

 彼は軍事行動に於ける一切を掌握する事を放棄したのだ。
 それは海軍に主力艦艇を譲渡し、陸軍への主力兵器の供給を大規模に行っている事からも分かる。

 要所のみを押さえ、それ以外の部分を陸海軍に預けた。

 本土防空網や装甲戦力の整備という時間と資金を必要とする要素の多くを押し付けようとしている点から、トウカの主目的が戦略への介入と兵器開発、諜報に移りつつあると理解できる。

「頼るを覚えたという訳では御座らんであろう?」

「無論だ。彼らにも適度に目標を与えねば、良からぬ事を考え始めかねない。そもそも、資金力や工業力では皇州同盟とて国家には遙かに及ばない。正面戦力はあくまでも国軍でなければならない」

 現実的視点による目的の分担に過ぎないと語るトウカ。

 内戦という国内闘争から、対外戦争という国家間闘争へ視点を切り替えつつあるトウカに、ベルセリカは少なくとも無謀な真似はしないだろうと安心する。

 だが、トウカが多くの責任と悲劇を背負う必要は果たしてあるのか?
 国営に於ける無能と怠惰の責任により追い詰められた国情を打破する為、成さねばならない悲劇と外道の演出の責任は異邦人に求めるべきものではない。

 無論、それを口にしたところで意味はなく、誰かが向き合わねばならない現実でもある。

 そして、それが自身には敵わない事だとも理解している。
(かたじけな)い」

 恐らく、トウカにとっては然して心を擦り減らす行為ではないであろうが、《ヴァリスヘイム皇国》という国家の体制の一端を担うベルセリカとしては彼に感謝するしかない。

 彼は首を傾げる。

「これから起こり得る幾つもの戦争の責任は明確でなければならないだろう。だが、もし俺に何かが生じただけで皇州同盟が機能不全となるのは在ってはならない。もしもの時は、マイカゼ殿と……ハイドリヒ少将が動く手筈になっている」

 何故か最近、噂の憲兵少将の話題に些かの逡巡を見せたトウカ。

 彼にとっては複雑な相手なのかも知れない。或いは憲兵という治安維持を担う相手に対する忌避感でもあるのか。後ろ暗い行為を日常的に行っていそうなトウカならば在り得る話である。

「……承った」

 軍人という職業は不確定要素を相手にする職業であり、失態に対し、時には自身の生命を以て対価と成さねばならない宿命を持つ。能天気に滅多なことを言うなと退ける程、ベルセリカも戦場を知らない訳ではない。

 二人の会話が途切れる。

 言いたい事はあるが、トウカの何時も通りな佇まいに、ベルセリカは深く訊ねる気を失った。本質に変化がない以上、彼が皇国に滅亡を齎す事はなく、臣民に対して狼藉を働くこともないだろうと判断したが故でもある。

 話題を変える為、ベルセリカは眼下に窺える水田の一角を指し示す。

「ところであれは一体、なにか?」

 冬の水田で白衣の研究者達が田植えをするという不可思議な光景。

 無論、水田といっても、近くの小屋の魔導機関からの魔力供給で魔導障壁による密閉空間を形成し、温度管理を行っているのは遠目にも見て取ることができる。

 まさか研究者が農業の素晴らしさに目覚めたという事はないだろう。

 珍妙な形の機械が水田を走り回る様子に、ベルセリカは苦笑する。

 奇妙な車輪形状の機械にヒトが乗り過ぎて沈み込んでいく光景は中々に笑える。一人轢かれたようにも見えるが、同じ泥塗れの研究者達に腕を掴まれて引き上げられていた。新しい玩具を見つけた子供達が、水田で泥遊びをしている様にしか見えない。

 泥塗れのままに水田の中央で議論をしている研究者達。

 体力のなさげな研究者が泥に足を取られて倒れる光景も珍しくない。

 酷く滑稽な姿である。

 だが、トウカは胸を張って応じる。

「農業機械の試作だ。中々に難航しているが、田植えと稲刈りを大規模に効率的に行う為の模索をしている。他にも科学的な肥料なども研究させているぞ。将来的には皇州同盟にとって軍事力よりも頼れる棍棒になるだろうな」

 つまりは、耕作地の爆発的な増加による収穫高を求めてのことだろう、とベルセリカは当たりを付ける。

 これが、トウカの視野なのだ。

 動乱期であれば、食糧がないならば穀倉地帯を占領下に置こうとするだろう。特に武力行使を職務とする軍人は、武力で解決できると判断すれば容易にそれを許容してしまう。武力の本質を理解するが故に、それが国家を救うと判断すれば行使を躊躇わない。

 だが、トウカは母数である生産量を増加させようとしている。

 無論、必要とあれば軍事行動を躊躇わない果断さを持ち合わせているのは言うまでもないが、同時に損失を避ける為に手段を選ばない人物でもあった。そして、その手段には軍人としては珍しい事に、軍事力の行使以外も広義の意味で含まれている。

 政治家でもない。

 強いて言うなれば指導者の思考である。

 だからこそ危険視される。

 北部に国家規模の判断ができる者がいるというのは、周辺のあらゆる勢力にとって都合が悪い。マリアベルは怨恨や私情に引き摺られ、エルゼリア侯は指導力不足である事から、捨て置かれていた部分がある。

 今、トウカの自由な振る舞いが赦されているのは、一重に帝国軍という脅威ゆえなのだ。

 致命的な被害を敵に与える事は、トウカの排斥を許容する判断材料となり得るかも知れない。

 そんなベルセリカの心配を余所に、トウカは言葉を続ける。

「北部の食糧事情解決もあるが、食糧難に喘ぐ地域に対する手札になるだろう。農耕時期が少ないならば、農業の効率化と農耕地の拡充で状況を打開する事は不可能ではない。……無論、農業機械の特許と品種改良された苗の販売を押さえるという目的もあるが」

 食糧生産に関連する分野の特許を押さえる為に力を入れている。

 軍人からは逸脱しつつあるトウカ。

 見てみたいと純粋に思えた。

 この男の行く末を。

 そして、目前に迫った七武五公との会談は、彼の行く末に大きな影響を与えるだろう。

 

 

 

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