第一七七話 〈第一武装親衛軍装甲師団『サクラギ・トウカ親衛部隊』〉
「三個装甲師団……からなる〈第一装甲軍団(Ⅰ.Schutz Wehr-Panzerkorps)〉か」
トウカは編成の記された書類を執務机に投げ置いて嘆息する。
皇国は“皇権神授に依る極めて天帝の権限が強い立憲君主制”という世界唯一の政体の下で国営が成されているが、自身の隷下には国家社会主義者しかいないのかと、トウカは思わざるを得ない。
武装親衛軍、〈第一装甲軍団(Ⅰ.Schutz Wehr-Panzerkorps)〉。
それはまだ良い。トウカとしても許容できる名称である。
だが、指揮下に収めている三個師団……特に中核戦力たる師団の名称が宜しくない。
〈第一武装親衛軍装甲師団『サクラギ・トウカ親衛部隊』〉
書類上の記述としては、皇国語に則り、〈第一武装親衛軍装甲師団、親衛部隊『サクラギ・トウカ』《SW-Panzer-Division Leibstandarte SW Touka Sakuragi》〉という名称だが、どちらにせよ色々と痛いものがある。思春期少年特有の痛々しい言動や美学を其の儘に、一国の総統にまで上り詰めた ちょび髭伍長の親衛戦力と重なるものがある。
――ライプシュタンダルテ・サクラギ・トウカ……誰も彼もが疑問を抱いていないとは。いや、それも当然か。
祖国である大日連では、師団はおろか戦闘艦艇なども人名を付ける事が避けられている。特に明治以後の日本は、師団名や艦船名に人名を当てない事が厳密に 定められた。これは、明治大帝から艦名などへの下問があり、臣下が他国では偉人や貴族の名前を命名することもあるという旨を奏上したものの、否定された
為、それ以降の日本では艦名や師団名、兵器に至るまでの正式名称に人名を使用しないという大原則が生まれた為である。辛うじての例外は、記紀(古事記及び 日本書紀)に登場する神々や人物であるが、それも一部のみしか使用されていない。
無論、大日連以外の国家では積極的に人名を使用している例もある。皇国がそうである様に。
だからこそ、その点については口を噤む事ができた。
しかし、どう考えても腑に落ちない点がある。
「この武装親衛軍というのは如何なるものだ?」
そんな部隊をトウカは耳にしたこともない。
皇州同盟の急速な拡大は、トウカ一人の統制の限界を越え、巨大な流れとなりつつある。知らない部署の結成や部隊編制など当然の如く存在し、規模の小さい 事案であれば事後承諾の例も少なくなく、当然ながら上申されない規模の認可が大部分を占める。元より軍組織で個人の声を完全に届け得るのは中隊規模が限界 なのだ。
武装親衛軍。
黒の乗馬軍袴や白線が縦に走った軍袴ではないものの、ヴェルテンベルク領邦軍の漆黒の軍装を流用した皇州同盟軍の軍装は、総統閣下の親衛隊(Schutzstaffel)と類似していると言えなくもない。その上、名前まで似るとなれば面白いものではなかった。
トウカは、執務机越しに直立不動で整列した将校達へと視線を投げ掛ける。
ラムケにエップ、フルンツベルクにディスターベルク。
ここに皇州同盟軍、〈第一機動艦隊〉司令長官に就任したシュタイエルハウゼンまでもが揃えば、皇州同盟軍の中核を成す将官達が軒並み揃う事になる。
その中で、ラムケが一歩進み出て、何が誇らしいのか胸を張り、その肺活量にものを言わせた大音声を披露する。
「閣下を御守りする親衛部隊の中でも、特別に精強な者を選りすぐり、私自らが直卒する親衛隊に御座いますぞ! 閣下の御為に先鋒を務める死兵となりましょうぞぅ!」
勇ましい言葉に、その背後のエップとディスターベルクが呆れた表情を隠しもしない。トウカも呆れてはいたが。
しかし、何故かラムケは将兵に人気がある。
無論、それは自らも先陣に立つからであろう事は疑いない。野戦指揮官の鑑と言えるが、上級部隊の指揮官としては不適格と言える。聯隊長までならば可能であろうが、師団規模の戦力を指揮させるには、有力な参謀集団が必要であった。
「そう簡単に死なれて堪るものか。将兵の育成にどれだけの資金を投じていると思っている? 下手をすれば火砲の単価に勝るモノを易々と消耗できるものか」馬鹿を言うな、とトウカは吐き捨てる。
将兵は安価ではない。
特に皇州同盟軍は弾火薬や物資を湯水の如く使用した育成を行っている。粗製乱造ではない将兵は、十分な資金と時間を投じる事でしか育成できない。そし て、彼らも投じられる兵器の性能と金額を知れば士気を上げる。巷で言われる少ない物資で大きな戦果を挙げる将兵というのは、戦争を知らない民衆の妄言に過 ぎない。適正な結果には、適正な投資が必要である。
適正な物資と弾火薬、訓練環境、そして時間を与えてこそ将兵の練度は向上する。
大いに消費すればいい。よく動き、良く食べ、良く寝る。その繰り返しによりヒトは性能を向上させる事ができるのだ。
訓練の為の弾薬を減らし、節制の為に食事量を減らし、時間捻出の為に睡眠時間を減らす。自然と士気と性能は低下し、注意力が散漫になり、失態が積み重なる。
そして、戦争とは失態を敵よりも多く積み重ねた側が敗北する。
無論、トウカとしても心苦しい部分はある。当初からの計画であり、予算は十分に確保している。時間という最も重要な要素を短縮せねばならない都合上、他の要素を潤沢とするしかないのだ。
万全とは言い難い状態の将兵を送り出さねばならないというのは、自らの作戦で将兵を喪うよりも気が重い。
彼らの健気と郷土愛を担保に、指導者が万全の準備を怠った上で戦争へ突入する。
無論、敵国が侵攻してきた上に、トウカが皇州同盟を成立させたのは極最近である。動乱の潮流に備える期間などなかったのは明白であり、トウカの行動を責める者はいない。
――だが、あと一年。あと一年早く、この世界に訪れていたならばと、どうしても考えてしまう。
もしや、或いは、などは存在しない。
幾つもの想定を行う事で政戦への理解を深める事ができるが、過去が変質する訳でもない。
内戦という戦時下にあったからこそ、マリアベルを始めとした多くの有力者がトウカに暴力的な役目を期待した。戦時下であるからこそトウカは立身出生を成せたと言える。非常の時代、非情の指揮官を用いるからこそのトウカなのだ。
だが、それでも考えざるを得ない。
「忠誠こそ我が名誉(Meine Ehre heißt Treue)か……」
彼のちょび髭伍長の親衛隊の標語を思い出したトウカ。
そんな言葉を唱えて銃剣突撃させるならば、|神は我らと共に(Gott mit uns)がより上等だろう。無論、トウカは忠誠も神も信じてはいないが。
|神は我らと共に(Gott mit uns)は、《普魯西王家》であるホーエンツォレルン家の標語で、後に独逸国防軍の標語に流用された。
「まさに。まさに。我らこそ皇国が醜の御盾に御座いましょうぞ」楽しげに何度も何度も頷くラムケの興奮。
抑圧された矜持に喪われた繁栄。長年それらと共に在った彼らは反動として苛烈な武断主義を選択した。皇国守護を謳う国粋主義ではなく、北部地域の繁栄と維持を願う武断主義を標榜する彼らを危険視する者は多い。
「莫迦者め。大莫迦者め。忠誠は軍旗に向けろ。俺に向けるな」
思う事は真に勝手であるが、大声で主張するからこそ問題が生じる。
政府はトウカの指揮統制を不安視し、中央貴族は再度の内戦を怖れている。勝手にトウカの執務室に集結するのだから、トウカとしてもそれを否定できない。
エップは、皇州同盟軍、ヴェルテンベルク管区司令官に就任している。勿論、ヴェルテンベルク軍司令官も兼務しており、これにより皇州同盟軍では中将の階 級となっていた。元より歴戦の宿将と評しても差し支えない戦歴を持つエップは、右翼活動家としての知名度や人望もある事から就任が実現したのだ。
そして、〈鉄兜団〉という右翼組織を率いていたディスターベルクは、内戦勃発に合わせてヴェルテンベルク領邦軍に従軍。粘り強い防禦戦闘によりフェルゼ ン攻防戦で担当戦域を終戦まで保持し続けた事から昇進し、階級は少佐となっている。ディスターベルク自身も若き日は陸軍で大佐の階級まで上り詰めた俊英で あり、名を馳せた軍狼兵将校であることから、皇州同盟では少将の地位を与えられていた。
同様に、フルンツベルクも隷下の〈傭兵師団〉の師団長に中将として就任しており、ラムケは編制中の降下猟兵旅団の指揮官として少将に予定するであるが、現時点では機密である為に公式上は無任所である。しかし、トウカが気が付けば訳の分からぬ親衛部隊の指揮官をしようとしている。
「総兵力は約三万五千か。それも装甲車輛の集中配備。急造の歩兵戦闘車や襲撃騎も配備しているとは。陸軍の軍団よりも遙かに火力と機動力に優れるな」
トウカは、皇州同盟軍総司令部に対し、国内での機動戦を行う打撃集団の編制を行う事を下令した。
当初よりそうした構想が皇州同盟軍内では囁かれていたが、現状では開発を終えていない兵器や、未だに構想段階の戦理の検討考察もあって着手されていなかった。
それを三日で行えという無理無謀に、皇州同盟軍総司令部は御祭り騒ぎとなった。
無論、現有戦力内での可能な限りの編制であるが、それでも万を超える人員が所属する集団の編制と、それに伴う補給の手配や書類上の変更など……挙げれば際限がない。
「閣下。〈第一装甲軍団(Ⅰ.Schutz Wehr-Panzerkorps)〉の編制に伴い、皇州同盟軍は瓦解状態です。そちらの編制は更にずれ込むかと……」困り顔のディスターベルク。泣き黒子がある為か妙に艶かしい。
「構わない。他は旅団や大隊規模の独立編制にする。対戦車部隊や対空砲部隊……何より、遊撃戦に特化した部隊を編制しろ。どうも、我が司令部の連中も既存 の戦術から抜け出せていないようだな。兵科に関わらず浸透戦術と機動を前提とした作戦行動を行える部隊の運用体制を確立しろと言ったはずだが?」トウカは 顔を顰めて見せる。
密集した軍隊による衝突は過去のものとなるだろう。
トウカがそうさせる。
トウカの世界では火器の高威力化に伴い散兵戦術へと遷移していったが、この世界では魔術による防御手段の発達により、未だに戦列歩兵の如き密集突撃すら選択肢として存続している。
だが、それも発達し続ける火器の前では限界が訪れつつあった。
故に散兵戦術や広域戦線を可能とする軍編制をトウカは求めた。幸いにして内戦でのトウカの指揮から陸軍も研究を開始しており、試行錯誤ながらもそれなりの結果は出しつつある。結果を知るトウカがいるからこそ無駄な分野を排除して研鑽できるという事実も大きい。
トウカは、巌の様な佇まいを見せるフルンツベルクへと視線を向ける。
「〈傭兵師団〉は、〈第一装甲軍団(Ⅰ.Schutz Wehr-Panzerkorps)〉とは別行動で遊撃戦を期待します。陸軍に戦争の何たるかを教えてやると宜しいでしょう」
フルンツベルク隷下の〈傭兵師団〉 は、歴戦の傭兵を主体にした師団であるだけあり、非正規戦に秀でている。現在、育成の進んでいる特殊部隊である皇州同盟軍の特殊作戦群や陸軍挺身隊、海軍
特別陸戦隊などの教練にも協力している彼らの技能は侮れないものがある。何よりも、自らが生きる為の知恵と技能に優れているというのは、過酷な状況下に置 かれる事が多い特務を遂行する大きな力となるだろう。
フルンツベルクは、髭面を歪ませて敬礼する。
「応ッ! 我らは傭兵。傭兵の流儀、貫かせて貰うぞ」野太い声音に、漲る戦意。
武骨な傭兵の応ずる言葉に、トウカは鷹揚に頷く。
暫くは訓練が続くであろうが、エルライン要塞が陥落すれば直ぐにでも最前線に投入される彼らの隷下の人員は大多数が戦死するかも知れない。
一〇〇万を超える軍勢を相手に後衛戦闘を行うというのは、そういうことであるが、座視するという選択肢はない。
皇州同盟軍がその基盤である北部地域の危機に対して座視するという選択をすれば、組織が内外から瓦解を見ることになるだろう。国家ではなく郷土に根差した軍事組織の限界である。
「今度という今度は白木の箱か男爵さまだな」
縁起でもないことだが、死か栄誉の二択に限られた状況を迎えつつある。事実上の本土決戦である以上、引き分けや痛み分けはない。
「閣下が望まれるならば、我ら公爵位とて軍刀の切っ先に掲げて傅きましょうぞ。死など諸共に薙ぎ払いて」胸に手を当てて微笑むラムケ。
神官然とした包容力のある笑みを湛え、血と暴力の漂う宣言を行う彼に、トウカは笑声混じりの声音で応じる
「それは頼もしい事だ。……我々は証明し続けなければならない。有力な戦力であると証明し続ける事こそが皇州同盟の存続に繋がる」
トウカは執務椅子から腰を上げる。
背後を振り向けば、窓越しには緩やかな降雪が窺える。
今年の冬は特に冷え込むとの報告を受けており、それは大陸全体での事でもある。冷夏の影響で帝国では飢饉が発生している為、戦況にも影響するだろう。
春となり雪解け水によって平原が泥沼と化せば、装甲部隊の機動にも大きな影響を与えるだろう事は疑いない。露西亜の台地で春先に泥の海に拘束された独逸国防軍の二の舞は避けねばならないので、機動防御なども移動力の増減を踏まえる必要がある。
冬季戦に備えた装備があるので、寒さを凌ぐ為に装甲車輛に藁束を乗せたは良いが、そこに野鼠が住み着いて配線を齧った所為で行動不能の車輌が出るなどという真似は避けられるだろう。兵器の稼働率や機動性の低下など、考えただけで気が重くなる案件である。
一応であるが、皇州同盟の装甲兵器は履帯幅を広く取り、高い不整地踏破能力を与えられている。北部の厳冬下でも継戦可能とする為であった。
――いや、寧ろ湿地帯に誘い込む様な作戦も有りかも知れない。まぁ、まだ先の話か。
トウカは、今一度、隷下の将官達へと振り向く。
「では、狂い出した時代を正すとしよう」
或いは、狂っているのは自身か。
それは世界が決めるだろうが、運以外の要素は、叶う限り詰めてこその軍人。
その点こそが、トウカの本分なのだ。
「足並みすら揃わないなんて嘆かわしい。死ねばいいのよ」
幽玄なる佇まいを隠さない少女は、月夜に言葉を投げ捨てる。
一点の曇りなき純白の長髪に、鮮血の如き色をした瞳。そして、純白の狩衣と紫の袴は少女の気品を引き立てている。
真白よりも遙かに純白の髪が夜風に揺れる。降り注ぐ月明かりを受け、白金の宝冠の如く輝いている。真紅の瞳は闇夜に一筋の光を放っているかの様に鋭く、事実その少女はその瞳に似合うだけの先見の明を有していた。
前者の白い髪は色素の欠乏による病気や、心的外傷を受けた事によって生じる事がある。後者の真紅の瞳は色素異常によって色素量が極端に少ない場合、血液の色が透けて見える為であった。
医療先進国である大日連から来た者であれば珍しいという感想で終わったであろうが、医療が未だ遅れており、魔術や幻想生物が幅を利かす世界では先天的な理由や生物学上の問題がなくとも迫害を受ける。
科学と思想、道徳が未発達な世界に於いて少数であるという事はそれだけで罪なのだ。
だが、少女にとってそれらの事実は意味を成さないものである。
揺れる九つの尾が少女の権勢を示している。
大妖狐にして《瑞穂朝豊葦原神州国》陰陽府、筆頭陰陽師。
九尾の狐とも呼ばれる妖狐は、国が違えば神狐とも称される強大な狐種である。
安倍晴明。
歴代の筆頭陰陽師に継承される名であり、それは国内外に神州国最強の魔導士であると示す名でもある。
少女は、その名を好いてはいなかった。
所詮は借り物の英雄称号。日ノ本という国家を霊的鎮護するべく活躍した男の名が、異世界の地で転用されているに過ぎない。娘である彼女はその点をよく理解していた。
「父上も妖魔討伐ばかりじゃなくて国政に関われば良かったのに……莫迦じゃない」白い九つの尻尾を揺らして晴明は嘆息。
当人は清廉の心算であったとしても、清廉である振る舞いが良い結果を齎すとは限らない点を、晴明は理解していた。
戦争……殺し合いに建前や正義など求めても意味がない様に。
戦争を双方の正義の衝突。或いは、権力に飢えた煽動者が国政を過つが行いと提起し、それらを独善的な意志が生じさせる人類史上最大の犯罪行為と嘯く者も居る。しかし、歴史を紐解けば、真実でないと容易に察する事ができる。最たる例を挙げるならば、植民地の民族浄化であろう。主義主張や教義などは後付けで、ただ民間人である入植者が金銭の為に土地を開墾するべく原住民を追い立て、資産を奪うべく殺害した。そこに大層な御題目などなかったのは明白である。
ただ、金銭と土地を欲したが故に無数の生命を奪っただけである。
教義や主義主張が殺意を芽生えさせる事もあるかも知れないが、歴史を振り返れば、人間という生物は必然的理由もなく殺人行為を成せると、無数の葬列が教えてくれる。教義や主義主張など事後の正当化の要素の一つでしかない事などよくある事でしかなかった。
人間の精神性の是非など晴明には興味のない事であるが、そうした残虐な一面は確かに存在する。
そして、為政者とは常にその残虐が祖国を覆わぬ様に指導せねばならないが、今上神帝陛下はそれを放棄している様に見受けられる。
晴明は、そう考えていた。
「祖国の纏まりの欠如。ううん、民族的紐帯の形成に失敗したからよ。あの役立たずのお飾りが」
彼女は神帝に尊崇の念などない。義務を果たさず、権威による統治の本質を理解していない。
大星洋を挟んだ隣国の指導者の如く、大権を以て諸勢力を隷属させ得る軍事力と政治力を携えない指導者に従う有力者などそうはいない。
善意は国家を助けないし、ただ利益のみが有力者を動かす。
国家に真の友人はいない。
ならば、指導者にも友人は居てはならない。
「あの宰相も邪魔よね……いつか排除してやるわ」
理想を語り合う戦友でも欲したのか、神帝は能力ではなく共通の思想を持つ者を宰相に選択した。
御前会議に於ける顛末を思い出した晴明は満天の夜空に吐き捨てる。
「理想……嗚呼、何と汚らわしか言葉ばい!」
思わず故郷の方言が出た晴明は慌てて口元を押さえる。
周囲にヒトの気配はない。
安堵の溜息を漏らす晴明はぼそりと言葉を重ねる。
「いつか纏めて殺したるけんね……」
祖国を救わねばならない。
夢見がちな理想主義者。
利益を望む現実主義者。
双方の軋轢による政治の空転は、多くの停滞を齎した。
特に理想家共の撒き散らす思想は国家の潜在的脅威である。
思想を嘯く者は覚悟せねばならない。
それは最強の武器だから。
思想、若しくは概念は戦略兵器に等しい。物質としての形を有してはいないが、世界に変化を強制する事ができる。議会でも戦場でも市井でも……正邪も善悪も関係なく、ただ無差別に吹き荒れる。
英雄もやがては死に至り、物は朽ちて崩れ落ちる。
だが、思想や概念は違う。
弾圧された宗教を見れば理解できる。信者達を根切りにし、それらに纏わる書籍の一切合財を焚書としたところで根本的解決にはならない。一時的な弱体化には成功しても、継承者は途絶える事はない。完全に一切合財悉くを殺し、焼き捨てる事など出来ようはずもないのだ。
何処かで誰かが、或いは何かが継承する。思想や概念とはそうしたものである。
幸いな事にそれらと結合すると問題となる人望性というのもがない為に致命的な問題にはなっていない。
思想に人望性の双方を備えた人物の到来は危険である。
その思想が大多数に受け入れ易いものであり、それを叫ぶものが人望に厚い人物であれば、同調する者は必ず現れる。そうした存在が忽ちに諸勢力を睥睨する一大陣営を築き上げる例は、歴史が示すところである。
だから今上神帝は停滞する。
代わりに持ち得る権威で成そうとしているが、それも実績が伴わねば難しい。権威を以て無条件で隷属させるには、その権威が揺ぎ無きものであらねばならないのだ。
だが、それらを成そうと試みている男が隣国にいる。
サキラギ・トウカ。
圧倒的不利と言われた内戦で引き分けに持ち込み、高位種の中でも最高峰と謳われる神龍族の族長であるクロウ=クルワッハ公爵の片手を切り落とす伝説を残している。
英雄が、戦果という実績を以て揺ぎ無き権威を確立した。
少なくとも北部に限られるが、彼は何者もの異論を封殺できる権威を手にしたのだ。危険であった。
《瑞穂朝豊葦原神州国》に対する脅威がまた一つ、増えたのだ。
一時的な優位を確保できる新兵器などよりも脅威である、後世にまで影響を与える指導者の到来。その若さに不釣り合いな磨き上げられたとも思える資質は、歳を重ねる毎にどれ程の輝きを放つのか。
或いは、自らよりも若輩な男が成さんとしているからこそ、今上神帝は近年、一層と無理あのある振る舞いをしているという可能性もある。
「あの航空騎も問題ばい。どうするとぅよ?」
晴明が最も注目しているのは、航空騎という新兵器である。
兵器という意味ではない。
空を積極的に戦場とするという思想。
それは強力な海軍を有し、海上権力を以て周辺諸国を睥睨する神州国に多大な影響を齎すであろう事は疑いない。渡洋作戦を意図した飛行訓練を皇国海軍と皇州同盟軍が行っている事は、諜報活動の結果として報告されている。元より航空部隊の訓練は特性上、隠蔽し難いものがある。
神州国海軍も、そうした動きを注視している。晴明もまた相談を受け、積極的に協力している。
索敵に運用される事は確実で、水上騎などよりも遥かに航続距離と運動性能に優れた偵察騎を捕捉して撃墜するのは難しい。
皇国は陸上権力主体の軍備を整えているが、それ故に海上では防勢戦略主体である。つまり神州国海軍は、攻勢戦略主体として皇国近海に攻め入らねばならない。常に陸上から偵察騎の接触に晒されるのは避けられない。
そして、神州国海軍はそれを迎撃する術を持たない。
諜報活動の結果によれば、皇国海軍の主力艦は次々と改装の為に入渠している。噂によれば長射程の対空砲を多数搭載するとの事で、明らかに航空戦に対応する為であった。
「対空砲を揃えて確実に撃墜なぞ叶うとぅよ?」
距離を取って接触されては意味がない。
高空を飛行し、距離を取る。それのみで対応できる相手を撃墜するのは難しい。ましてや艦艇に対して航空騎は圧倒的優速であり追撃は不可能である。
海軍では陣形を大きく取り、主力艦の位置まで到達させないという案も出たが、水上騎を以てしても完全な阻止は不可能に近いと頭を抱えている。艦隊という戦力単位に取り、位置が一方的に露呈するというのは主導権を奪われるに等しい。その不利は陸上戦に於ける索敵行動で敵軍に先手を取られるよりも遥かに大きい。咄嗟的な戦闘と、上意下達の速度が間に合わぬ程の戦況の変遷が珍しくない海戦では、敵艦隊に主導権を奪われる事は陸戦よりも遥かに大きい危機を齎す可能性が高い。
だが、皇国海軍と神州国海軍の海軍力には一〇倍を超える差がある。無論、全ての艦隊を皇国にのみ振り向ける訳ではないが、それでも尚、大きな差がある。索敵のみで勝敗を逆転させ得る事は難しい。
晴明は境内の軒先から窺える街並みを見下ろす。
神州国首都である高天原の北方に位置する河内山。その山頂に建立された河内稲荷大社から一望できる天津都たる高天原は壮観の一言に尽きる。
碁盤の目の如く整備された区画に立ち並ぶ建造物。それは国民の秩序を示すかの様に乱れなきもので、遠目にも美麗たる光景を隠さない。
人々の放つ煌きに浮かび上がる大都市の光景に、晴明は表情を曇らせる。
周辺諸国の首都と比較しても何ら引けを取らない、或いは優越しているであろう大都市だが、他国とは大きく違う点がある。
建材として木材が多用されているという点である。
「良く燃えるとぅよ」
皇州同盟軍が帝国のオスロスクに対して行った戦略爆撃の様な空襲を受けた際、非常に良く燃焼するであろう事は疑いない。政府も度々、大火に襲われている事から幾つもの対策を講じているが、根本的な解決策ではなかった。
晴明も理解しているのだ。
ただ、受け入れ難いのだ。
その対応には多大な困難が伴う。
「攻撃……攻撃ばい。攻撃と!」
海上で航空騎が行う行動が偵察のみに留まる筈がない。
必ず対艦攻撃という手段を用意しているはずである。
だが、神州国海軍省は航空騎による対艦攻撃を極めて軽視している。
航空騎の搭載兵器で戦艦を撃沈できる訳がない。甲巡(重巡洋艦)ですら難しいだろう。
それが大多数の見解である。
補助艦艇の撃沈に留まると予想され、若干の対空火器の増強で十分に対抗できると見ているのだ。魔道障壁もある為、空襲に対する防護としては全くの無防備という訳ではない。主張の根拠としては一定の合理性がある。
洋上での航空部隊の演習は大規模な編隊を以て行われている。
襲撃行動の訓練と見て間違いはない。
彼らは対艦攻撃での勝算を持ち合わせているのではないか。或いは将来的に解決する目途が立ったのではないか。
晴明はそう考えていた。
「なんねぇなんねぇ、皆してわっちをいじめおるとぅ!」
儘ならない状況に、晴明は九つの尻尾を揺らす。
諸々の状況に対し、個人で対応せねばならない。
諸侯軍の中でも晴明に好意的な榎本家に協力を仰ぎ、大型商船を改造し、陸上戦闘騎を運用する“航空騎運搬船”の建造が進んでいる。船体が完成し、上甲板 の構造物取り付け前の大型商船三隻を流用したそれは、然して複雑な構造ではない。上甲板に全通式の飛行甲板を目一杯に張り巡らせ、両舷側壁に昇降機を一基
ずつ搭載しただけである。飛行甲板の全長を稼ぐ為に伸ばした結果、船体の全長よりも長くなり、艦橋もまた船首上部に埋め込むという無理をしているが、その 成果もあり三五騎の搭載が見込まれていた。
現在、搭載騎は三隻の就役を待ちながらも、陸上で短距離での離着艦訓練に明け暮れている。
それらが揃えば艦隊上空を護る事が出来る。
海軍将兵から建造中の風景を揶揄して蒲鉾板と呼ばれる三隻の就役は半年先であり、それまでに着艦に必要な機構を考案せねばならない。運用に問題があれば即座に再入渠する可能性もあり、その建造は完全な見切り発車であった。
全ては国内で大陸に軍事介入すべきだと騒ぐ連中に付き合わされる海軍を護る為である。当事者の怠惰を補う点を晴明は気に入らないと考えていたが、感情と 政戦は別とせねばならない。何より、神州国の安全保障を担保する最有力の要素こそ海軍力なのだ。海軍力に陰りが射す事は赦されない。亡国に繋がる事案であ る。
そして、晴明は気付いた。否、気付いていたのだ。
晴明が艦船から航空騎を離着艦させて、主力艦の上空援護を行う戦術を実現しようとしている。
ならば、彼も……サクラギ・トウカも同様の戦術を考えているのではないか?
航空騎運搬艦船から発艦した航空騎によって神州国本土を空襲する可能性とて皆無とは言えない。都市を焼き払う爆撃は大型騎が望ましいと推測できるが、皇 州同盟軍の前身でもあるヴェルテンベルク領邦邦軍時代には、戦闘爆撃騎でベルゲンの軍事施設を爆撃している。不可能ではないと見るべきであった。本土空襲 の可能性は介在すると判断するべきである。
「問題は山積ばい……」
祖国に差し迫っているかも知れない悲劇に、晴明は満天の星空を仰いだ。
忠誠こそ我が名誉(Meine Ehre heißt Treue)。
「忠誠こそ我が名誉」或いは、「我が名誉は忠誠なり」は、国家社会主義ドイツ労働者党の準軍事組織である親衛隊の標語である。
とある反乱鎮圧にクルト・ダリューゲ率いるベルリン親衛隊が活躍。この功績に対してヒトラーはダリューゲへの手紙の中で「SS隊員よ、忠誠は汝の名誉」 と称賛。このヒトラーの言葉を親衛隊の標語として流用したのが「忠誠こそ我が名誉(Meine Ehre heißt Treue)」である。
神は我らと共に(Gott mit uns)。
《普魯西王家》であるホーエンツォレルン家の標語で、後に独逸軍の紋章に流用された。元は《瑞典王国》、グスタフⅡ世アドルフの定めた標語だが、《瑞典王国》以外の国家でも頻繁に使用される。第二次世界大戦中の国防軍兵士はこの標語が書かれた留め金を用いた軍帯を使用している。
醜の御盾
天皇の楯となりて外敵を打ち払う武人。彼らが自らを卑下して名乗る謙遜語。
万葉集の「今日よりは顧みなくて大君の醜の御楯と出で立つわれは」という和歌よりの言葉である。「今日から後ろを振り返らず、ただ大王を守る為に馳せ参じるぞ、この私は」という意味で、下野……現在の栃木県から筑紫に派遣された防人である今奉部与曾布の言葉。万葉集の二十巻に記されている。
「今度という今度は白木の箱か男爵さまだな」
中部太平洋方面艦隊司令長官 南雲忠一中将