第一七八話 誰が為の戦争 前篇
「民間企業も巻き込むのは気が引けるが、予想以上に敵の動きが早い。この際、致し方ないか」
トウカは眼下の光景を一瞥して呟く。
武装親衛軍〈第一装甲軍団(Ⅰ. Schutz Wehr-Panzerkorps)〉は、エッセルハイムとエルライン回廊の中間地点に位置する狭隘な地形が続くドラッヘンフェルス高地での野戦築城に従事していた。
ドラッヘンフェルスとは竜の岩山を意味し、その名の通り複雑な構造の地形であった。
ここを抜ければ、湖水地方とも称される地帯が続いており、神代の頃、氷河に削られて形成された湖が無数に点在し、森林と共に行く手を遮っている。大軍での行軍には向かない地形であった。
だが、ドラッヘンフェルス高地には有力な街道があり、他と比して交通の便が良い。
帝国軍〈南部鎮定軍〉の総兵力を考慮すると、輜重線の確保と行軍の負担から、ドラッヘンフェルス高地の占領が行われる公算が極めて高い。無論、進撃路は 貧弱であるが、東南東方向へ進出すればフェルゼンへの直撃も不可能ではない。尤も皇国有数の城塞都市フェルゼンを直撃する戦力を割く真似はしないはずで あった。何よりも、トウカがさせない。
ドラッヘンフェルス高地が焦点となる理由は、この地域から北部の主要な都市へと進出が可能な街道が整備されていることにある。要衝と言っても過言ではなく、帝国軍側から見れば後方拠点として魅力的であった。
「野戦築城に必要な資材の捻出は、公共施設整備のものを転用できるとは言え、厳しいな」
膂力に優れた種族が多いからこその短期間での野戦築城だが、それでも尚、限界がある。
そもそも、当初の予定ではドラッヘンフェルス高地は放棄する予定であった。
エルライン要塞陥落の時期が想定よりも早くなると推測された結果、避難の前倒しが行われているものの、それでも尚、六割弱を終えたに過ぎない。完全な撤退には、未だ一ヶ月近い時間を必要とする。
「主さ……軍団司令官。前線に出て戦うんですか?」
「三個師団の戦力を統率する立場だ。そうそう前線に出る事はないだろう。指揮官が斃れれば士気に関わる」
無論、必要であればそうするが。
しかし、受動的な防御側で軍団司令官が命を張る場面が出るとは考え難い。
「また、沢山のヒトが死んじゃうんですね……残されるヒト達の事を考えると辛いです」
優しい仔だ。ミユキの様な者達が誰憚ることなく闊歩できた皇国という国家は、この戦乱の時代に在って稀有な国家だったのだろう。
その光景を未来に存続させる為、今この時、断じて悲劇を積み上げねばならないという矛盾。
国家とは国民の集合体であり、同時にそこに住まう総ての生命の矛盾を受け止める機構と言えた。武力で受け止めるか、政治で受け止めるか、信仰で受け止めるかという違いはあるが、不特定多数の不満や不平を押さえ付け、抑制するからこそヒトが手にした最大単位である国家は成立している面がある。
――残された者、か……
トウカからすると、それを織り込まずに死地に飛び込む戦士はいないと考えていた。
戦士は何時だって、命を賭けるに値するナニカを胸に秘めて戦野に立っている。
そうでなければ戦士足り得ない。少なくとも祖国の侍達はそうであった。
トウカもまた同様である。否、試したいのだ。
自らの生命を賭けるに値するモノが、この異世界にあるとトウカは信じたい。
侍は、ナニカに縋らねば侍足り得ないとは今代島津藩主の言葉であったか。蛮族とも修羅とも称される彼らですら、縋るナニカを求めて時代の奔流を天下る以上、トウカもまたその気質を継承していると言える。
伏見之宮家守護を司る近衛たる桜城家の次期当主であるトウカは、この世界で誰よりも縋るべきナニカを求めていると言える。
――否、そう考える事こそがある種の縋り、か。
縋るべきモノを見つけようとする事こそが一種の“縋り”なのだ。
「残された者の気持ちが、などという者もいるがな、実際のところその言葉自体に散った者の行動を否定する正当性はない。散った者の挺身はその散った者の心情に依らしむるところであるが故に」
当人の決断の末の結末であるならば、他者の気持ちなど意味を成す事ではないし、それで揺らぐならば称賛すべき挺身とは言えない。無論、当人と再会する術がない以上、確かめようのない事実であるが。
「赦せとは言わない、ミユキ。男にはな、独り善がりに命を賭けたい時がある……ああ、そんな顔をするな。言いたいことは分かる。でもな、俺はきっと戦場に赴かないと、サクラギ・トウカ足り得なくなる。何故か、そんな気がしてしまう」
まともな友人すらいなかった自身が男を語るという現状に、トウカは胸内で嘲笑を零す。
都合の良い方便に過ぎない。
戦争の、戦野の果てにナニカを掴めるかもしれない。トウカは、そんな期待を持っているのだ。
戦うべきなのだ。他者に死を押し付けるべきなのだ。何故か、己が成さねばならない気がする。
「これは、俺の戦争だ」
「アルバーエル少将、陣地構築の進捗はどの程度で御座ろうか?」
ベルセリカは、工兵大佐と陣地構築についての相談を交わしている姿に声を掛ける。
陣地構築は民間に思われている程に容易いものではない。ベルセリカが騎士団を率いて転戦していた時代と比して各分野が遙かに進歩しているが故に、陣地構築は各分野の複合的な産物となった。
建築工学に軍事学、地政学……そして、それを支える無数の技術。
特にトウカが指示した陣地構築が複雑であった為、北方方面軍は混乱の極致にあった。
だが、それもトウカの指示によって投じられた“皇州同盟軍工兵司令部”の面々と、その隷下として徴用された三つの建設会社の到着によって解決しつつある。
民間企業を組織的に戦場に投じるなど皇国開闢の暴挙であるが、彼らは建築の専門家であるだけあって、その任務……仕事の手早さには目を瞠るものがある。
そして、それを統率する皇州同盟軍工兵司令部の存在も大きい。
皇州同盟軍に於ける最大目標とは、他に優越する技術力から創出される高性能兵器の生産管理である。実際のところ軍と名乗ってはいるが、その隷下の戦力は作り出された高性能兵器の実戦証明と宣伝の為にあると言っても過言ではない。本来は後方支援や予備戦力としての部分を、トウカは求めているのだ。
道路や堰堤、橋梁などの公共施設を含めた土木工事計画の設計と施工及び運用や軍事施設の設計と施工監理、維持などを一手に引き受ける事を目的に創設された皇州同盟軍工兵司令部は、あまり知られていないが皇州同盟軍成立と同時に編制されている。
本来であれば新設に膨大な時間の掛かるはずの工兵部隊とそれを統括する組織が、出来の悪い戦記小説の様に短期間で成立したのは、ヴェルテンベルク領邦軍 工兵隊を移転させたからに過ぎない。先代ヴェルテンベルク伯であったマリアベルは、怪しげな多額の資金を工業分野にばら撒いたが、それは民間企業に多くの 利益を齎した。
その中でも公共施設整備の為、建築業界には膨大な資金が投じられた。
だが、軍事拠点でもあるフェルゼンや、その領主の意向を受けたヴェルテンベルク領都市では、その建築物に軍事的制約が少なくなく、野放図な建築は禁止されていた。
しかし、複数の企業が入り混じった開発競争と民間建築物の統制は容易な事ではない。フェルゼンが軍事都市として無駄のない構造であったのは、大きな苦労と努力の末であったのだ。
つまりは、ヴェルテンベルク領邦軍工兵隊による統括である。
領邦軍の工兵隊や軍事施設の設計と施工監理だけでなく、建築に関わる公的機関となったのだ。監査や建築基準に関わる法整備などすら統括するヴェルテンベルク領邦軍工兵隊は、一地方の開発機構にしては大きな能力と権限を持つに至った。
そのヴェルテンベルク領邦軍工兵隊が、皇州同盟軍成立と共に皇州同盟軍工兵司令部として移籍したのだ。
引き続きヴェルテンベルク領の領地開発行政を司る点に変化はなく、最近まではその能力を市街戦によって大きな被害を受けたフェルゼンの修復と再開発に当てていたが、今この時、歴史の表舞台で真価を発揮しつつあった。
ベルセリカの言葉に、アルバーエルが快活な笑みを其の儘に振り返る。
「これは、ヴァルトハイム卿。……エルライン要塞の陥落時期にもよりますが、当所の予定通りであれば、恐らくは間に合うかと」
「うむ、それは僥倖。して、将兵共のトウ……サクラギ卿に対する印象は如何なるものか?」
本題は此方である。
最近、ベルセリカは軍組織内でのトウカの批評を酷く気にしていた。
途端に、にやにやとするアルバーエルの表情に、静かに拳を握るベルセリカは顎を引いて言葉を促す。
表情を引き締めて……瞳の奥には揶揄いの感情が窺えるものの、アルバーエルが敬礼を以て報告する。
「サクラギ上級大将の行動は概ね好意的に受け止められています。あれ程に堂々と軍人の心情を口にする御仁は珍しいでしょう。故に代弁者足り得ます。無論、 皇州同盟の政治活動などには眉を顰める者もおりますが、陸軍への装甲兵器の永久貸与などを踏まえて非難する者は少ないかと」
特に装甲科の者はサクラギ卿を崇めておりますれば、とアルバーエルは締め括る。
ベルセリカは、思案の表情と共にアルバーエルを下がらせる。
〈北方方面軍〉と皇州同盟軍は連携を深めつつある。
合同軍事演習を行い、装備を共通化し、国難に備える姿は挙国一致体制を感じさせるが、それはトウカの過剰な取捨選択の結果に過ぎない。
中央貴族を敵視し、国民に不信の目を向けられる事すら承知で陸海軍の肩を持つトウカ。一組織へ傾倒する事で得られた信頼を手に戦い往こうとする彼を、ベ ルセリカ痛々しく思えた。政治権力者や皇国臣民に彼が不信の目を向けているのは、恐らく皇国臣民の気質に依るところではなく、祖国での出来事に依るところ なのだろう。
しかし、その不信感が陸海軍にも向けられる事をベルセリカは恐れていた。
不信感を持つ者は、不信感を向けられる。トウカはその点を理解していない。否、人間種がそれを理解するには寿命が足りないのかも知れん、とベルセリカは胸中で呟く。
ベルセリカが気に掛けるしかない。
トウカの為の世論の誘導であれば、陸軍に所属しながらもトウカに露骨に肩入れしているリシアも嬉々として軍務に勤しむ事は間違いない。
現状では問題はない。
だが、帝国による侵攻という国難が一段落付けば、トウカの戦略価値は大きく低下する。各勢力が排除に掛かる可能性は高く、最大の脅威は権謀術数に長けたフェンリスであろうとベルセリカは見ていた。
考えれば考える程に気が重い。
あの知恵深き神狼を相手に遣り合うには紫苑色の小娘一人では心許ない。
可能であれば憲兵隊のクレアや情報部のエイゼンタールとも連携を取りたいが、共にトウカと連携しており、ベルセリカの行動がトウカに筒抜けになりかねな い。リシアはトウカの為であればと説得できる自信があるが、憲兵と諜報員を説得できる自信がベルセリカにはなかった。クレアもエイゼンタールも油断のなら
ない相手である。彼女達はトウカの為に戦うのではなく、国家を護ろうとしているトウカの為に戦っている。それは酷く当然の事であるが、トウカをも護ろうと するベルセリカにとっては不利に働く事でもあった。
権力の影で戦い続けた彼女達は、リシアと比較にならない程に狡猾で覚悟も備えている。
これはベルセリカの戦いなのだ。最早、後には引けない。
トウカが歴史の表舞台に立つ様に炊き付けたのはベルセリカに他ならない。
儘ならん、とベルセリカは軍帽を被り直すと、気分を変える為に今一度、建築が進む野戦陣地を見下ろす。
短期間で仰々しい野戦陣地が形作られつつある。
野戦陣地の建築目的は、遮蔽物が少ない環境で効果的な陣地により防御しつつ、敵戦力を誘引し撃滅する事である。
相互での火力支援が可能な配置、指揮所や輜重部隊の塹壕間の移動経路の構築、地雷や鉄条網等の障害の敷設、通信網の構築整備、塹壕を含めた各種掩体の構 築、周辺の植生に対応した偽装と、挙げれば際限のない程の手間が必要となる陣地構築は、ベルセリカにも及びもつかない分野である。
大地を削り、忽ちに土塁を気付く様を見れば、正面の敵と切り結ぶだけの騎士の時代は終わったのだと一抹の寂寥感を感じないでもない。
野戦陣地は永久防御陣地と比しては軽易なものである事が常であるが、今回の様に決戦などを指向した場合や野戦軍同士が膠着状態に陥る可能性が高い場合は大規模なものになり易い。そして、膠着状態を生み出す事をトウカは望んでいた。
陣地防御は地形の優位を維持しての防御行動であるが、火力集中と反撃を行わなければ敵軍の攻撃を断念、或いは壊乱させるのは困難を伴う。故に陣地の正面 と内部に於いて敵戦力を漸減させ、反撃の時期を見計らい予備戦力による追撃を以て反撃に出る事を前提としている場合が多い。
よって、今回の防衛戦では〈北方方面軍〉から抽出された五個歩兵師団と、皇州同盟軍の〈傭兵師団〉による陣地防御の主戦力となり、反撃や遊撃、迂回攻撃を担う予備戦力が武装親衛軍〈第一装甲軍団(Ⅰ. Schutz Wehr -Panzerkorps)〉ということになる。
遙か先、狭隘な地形を最大限に生かす為、簡易大型土嚢を用いて土木機械で構築している工兵の姿を一瞥するベルセリカ。
「あれは、サクラギ上級大将閣下の御指示で開発された簡易大型土嚢というものだったか……久方振りで、ヴァルトハイム卿」聞き馴れた足音に続く軟派な声音。
足音は随分と前より耳へと運ばれていたが、別段と気に留める事もないと無視していたものの相手はそうではなかった。
「ヴァレンシュタイン少将か。何様で御座ろう?」振り向きもせずにベルセリカは問う。
最近のザムエルは酷く荒れていた。
ザムエルは〈北方方面軍〉隷下となった〈装甲教導師団〉の師団長に留任しており、陸軍装甲部隊の育成に努めていた。ザムエルの隷下で育成された戦車兵は皇国各地で編制される装甲部隊の基幹となる人材となるのだが、師団長の口の悪さも手伝ってか、トウカが口にしていた様な優秀者な印象は粉微塵に砕け散っている。
面倒見のいいザムエルであるが、兵士の育成に秀でている訳ではない。
部下の面倒見が良い点と、計画的な育成を行う点は違う。
陸軍が装甲部隊の指揮官としてザムエルの転籍を求め、当人も妹の監視下から逃れられると当初は喜んでいたが、執務と育成の規格化ばかりの軍務は酷く苦痛 である様であった。ベルセリカですらも痛ましいと思える程の難解な軍務である。挙句の果てにトウカに泣き付いたザムエルだが、その返答は最愛の妹である エーリカを副官として転籍させるという仕打ちである。
ベルセリカの同情とは裏腹に、ザムエルは首に吊るした双眼鏡で設営風景を眺める。
「あれはヘスコ防壁って言うそうです。我らが軍神殿はどれだけ引き出しがあるんだか」
ヘスコとは蓋も底もない筒状の数珠繋ぎになった金網が箱状のものであった。内部には内部に耐火材質の布が張られ、対熱術式の刻印がされているものであ る。この内部に土砂を詰める事で土砂が詰まった箱状の土嚢となり、その箱が数珠繋ぎに配置されれば強固な防護壁となる。表面は金網と布であるが中身に土砂
は詰められている為、銃火器などに対する遮蔽物としては有刺鉄線や練石防壁などよりも有効である。採用試験では迫撃砲の至近弾に耐え得る強度を備えていた。
「剥れておるな……陸軍には馴染まぬと見える」
「あんな堅苦しい連中と一緒なんてやってられねぇですよ。あの禁欲集団こそが人口減少の理由でしょうに」最近噂の敬語の使えない若者の口調でザムエルが捲し立てる。
ベルセリカは、ザムエルが見た目の軽薄さとは裏腹に対人関係に特段の気を払っていることを察していた。
マリアベルの権威の前にヴェルテンベルク領邦軍内では派閥争いが下火であったとは言え、人間関係からくる軋轢は少なくなかったはずであるが、ザムエルは 器用に組織内を遡上する魚類の如く泳いでいた。致命的な不満を相手に抱かせず、自らを曲げる事もなく、奔放な男がいると思わせる程度に留めるというのは、
後ろ盾がマリアベルである点を踏まえれば極めて困難な事と言える。有力に過ぎる後ろ盾は、孤立と不干渉を招く。
だが、彼は孤立とも不干渉とも無縁であった。
女性関係が派手でありながらも、その大部分が娼婦という金銭で済ませられる関係に留めようとしているのは、そうしは配慮ゆえかも知れない。
「陸軍の幕僚制度は気にらぬが、それでもトウカはそれなりに捻じ込んで御座ろう?」
ベルセリカは、純白の軍帽を取り、付着した雪を払う。
皇国陸軍の幕僚制度は、幕僚が参謀本部によって選定され、部隊指揮官と参謀本部の双方から指示を受ける余地があるという形態を取っている。叛乱の抑止と して非常に効果があり、参謀本部からの監視という側面もあった。例外は元帥のみで、元帥府を設立した者のみが幕僚を自ら選定する権利を有している。
トウカは、ザムエルが単身〈装甲教導師団〉に留任し、佐官以上の大部分を転出させるという陸軍の意向を阻止していた。露骨な北部勢力の分断工作に抵抗したという形だが、ベルセリカは練兵を踏まえればザムエルとしても気心の知れた司令部であるままである方が良いと評価している。
最終的には半数を〈北方方面軍〉内の装甲部隊に異動させ、その穴に陸軍参謀本部から選出した人材を当てるという妥協が成された。
ザムエルにとっては、その半数が問題なのだろう。
優秀者思考に傾倒しているであろう陸軍参謀本部から選出された人材が、ザムエルを始めとした感覚的な野戦指揮を行う面々と友誼を結べるなどという楽観は、ベルセリカにもできない。
「あっちは楽しそうで羨ましいぜ、畜生」
雪を蹴るザムエルに、ベルセリカは苦笑する。
対照的に皇州同盟軍は各領邦軍などと同様、部隊指揮官は各兵科参謀や副官などの幕僚に対する指名と解任の権限を有している。指名され幕下に加わった幕僚 は指揮官からのみ指揮統制を受け、上級司令部や総司令部の直接的な指揮統制に加わらない。指揮官が退役や予備役、戦死した場合は部隊司令部の構成員たる幕
僚も解任される。当然、後任の指揮官の指名によって再度幕僚として留任する者や、後任への引き継ぎ期間が長期に渡る例もある為、一様に解任される訳ではな い。
結論、部隊司令部たる幕僚団は事実上の指揮官による指名制であり、指揮官の進退が幕僚にも大きく影響する。
問題として皇州同盟軍や各領邦軍の幕僚制度は閉鎖的集団となる危険性を有する。幕僚の司令官への必要以上の追従から職責を逸脱する危険性や、部隊指揮官 の独断を止め得ない可能性があった。同時に指揮官と幕僚の協力と連携が酷く容易でもあり、部隊指揮官と参謀による連携の好例は皇国軍事史にも少なくない。
対する陸軍の幕僚制度は閉鎖性や独断専行、叛乱を抑止する事が極めて容易であるが、指揮官と幕僚の協力や協調が困難である場面が多分に生じる。信頼関係 を構築するまでの期間が多く必要であり、どうしても性格が合わず険悪となる例や、自身の得意とする軍事行動に対して否定的な者である例もあった。
陸軍参謀本部が、ザムエルの様な国軍にはいないであろう種類の司令官に合わせた幕僚を選出できるはずもない。
皇州同盟軍と〈北方方面軍〉。
類似した使命を帯び、強く連帯する両組織だが、内部に抱えた軋轢と外圧による非効率は未だ至る所に見られた。
それを、軍神と呼ばれ始めた彼は一体どの様に解決するのか?
「否、某も手伝わねばならぬか……」
「???」
首を傾げるザムエルを尻目に、ベルセリカは「嫌な時代では御座らんか」と自嘲を零す。
ザムエルに背を向け、ベルセリカは遠ざけていた従兵に手を上げて呼び寄せる。
「リシアを、ハルティカイネン大佐を呼ぶが良い」
騎士の誇りを擲つ刻が来た。
「つまり陣内消耗は第一線の維持は前提としていない訳だ」
トウカは、黒板に白墨で言葉を書き連ねる。
図形を交えた分かり易い説明を心掛けているトウカは、ヒトに教える事がこれ程に労力を必要とするのかと、痺れる白墨を手にした右手を軽く振る。
――ザムエルには酷な任務だったか? だが、彼以外に社交的な人物がいる訳でも……
以外と面倒見が良いラムケという選択肢はない。教育指導と反政府活動の区別が付くとは思えない。乱闘は教育指導ではないのだ。彼は聯隊指揮が限界の野戦 指揮官である。師団以上の部隊指揮官とするには、強力な陣容の参謀集団が必要となる。それも、ラムケの豪放磊落に耐え得る精神を持つ参謀によっての編制で ある。
窓越しに窺える雪景色をトウカは一瞥する。
降りしきる雪の中にベルセリカとリシアの姿が垣間見えるが、距離もあってその表情は読み取れない。この様子では陣地設営にも影響が出ているかも知れないと、トウカは予定の遅延について意識を裂く。
「はいはい、主様っ! でも、軍狼兵の対砲兵吶喊なら短時間で強引に突破しちゃうから、第一線の兵員の撤退が間に合わないと思います」
ミユキの言葉に、トウカは鷹揚に頷く。
最近は、ミユキの要望からトウカが軍事学の教鞭を執っていた。マリアベルが存命の頃は、ミユキはマリアベルから教えを受けていたが、マリアベルは火力戦の信奉者であり、その基本戦略は火力による金床と装甲部隊の迂回攻撃に酷く偏っている。
当初の、何を訊ねても圧倒的火力による事前攻撃から入るという前置きには辟易とせざるを得なかった。米帝の物量戦が行える程に皇国の工業力は帝国に対して優越していない。寧ろ、規模としては大きく劣っている。それ故のエルライン要塞であったのだ。
「陣地攻撃を段階的な後退で消耗させる事を重視し、迂回突破などで徐々に敵部隊を消耗させ、最終的には消耗撃滅する。まぁ、確かに兵員の少なくない数が後退に間に合わないだろう。だが、その点は問題ない」
マリアベルは、ミユキに貴族としての立ち振る舞いと視野を教える片手間に軍事までも教えていたようである。マリアベルの死後はエイゼンタールが教鞭を執っていたようであるが、情報部の者が基本的な部分以外を教えるというのは難しい。
「両翼での収容も可能であるし、何より突破は点によって行われる場合が多い。後続が突破破砕線を抜けるのは容易ではない。軍狼兵の移動力に任せた突破は、 単発的なものにならざるを得ない。歩兵も砲兵も、その移動力には追随できないからな。まぁ、後続の横っ面を叩くにも機動力のある戦力が必要だが」
ミユキとしては、トウカに教えを乞うのは避けたかった様である。
〈北方方面軍〉司令部内で孤立に近い状態に置かれている為に副業に精を出すリシアにまで頼み込もうとするのだから、その心情を尊重する事も考えたが、傍に置く事となってしまった以上はと軍事学についての講義をする事となった。
ミユキは既に皇国国内に於いて有力者の一人として扱われている。
トウカという酷く武断的な後ろ盾を持つミユキの立場は安定しているが、それは永続性を保証するものではない。軍事的視野を持つ事が有利に働く場面が将来的に生じるかも知れないという思惑もあってトウカが動いた。
「予備戦力を以て拘束。軍狼兵が第一線の後背を突かぬ様に留意すればいい。更に戦闘教義の効率化がなされれば、第一線自体が突破した戦力への対処を行う予備戦力を積極的に保有する様になるだろう。勿論、高機動の戦力だ」
ミユキの内密な行動が露呈している点は今更語るべくもない。
どちらにせよミユキの副官就任を認めた以上、二人は一日の大半を共に過ごす事となる。ミユキが誰かに教えを乞う時間などなかった。合間を見つけてトウカが教えるしかない。
「だから戦車と自走砲なんですね?」
ミユキの言葉に、トウカは鷹揚に頷く。
「開発中の歩兵戦闘車もある。部隊全体での移動力向上は、突破時間の短縮と戦力の一点集中の難易度を下げる。その上、攻撃発起地点に移動するまでの砲火に晒される時間を低減できるだろう」
「正解を知っていると失敗からの回復も早そうです」
知識を詰め込むだけならば容易い。トウカでも可能であったのだ。
無論、その様に“設計”された以上当然で、現時点のトウカは“完成”した個体ではない。陸軍大学を卒業し、陸軍に仕官してある程度の時を経て完成するという計画であった。少なくとトウカはその様に推察している。
それが祖国を救う為の神将計画の骨子なのだ。
――そう言えば、計画では後二人いたはずだが……どうなったのか。
トウカの“損耗”が予め想定されている事を祈るばかりである。予備があってこその戦力である。代用のない“兵器”などあってはならない。
「まぁ、軍事行動は予備計画があってしかるべきだからな」
その点に例外はない。政戦に於いてはあらゆるモノに予備はあって然るべきである。将兵にも軍神にも英雄にも、例外はない。
戦略の場合は複合的な要素からなり、相互補完の部分を併せ持つべきである。
「如何なる作戦も大胆であれ。大胆な作戦とは、一か八かの賭けとは違う。大胆な作戦は、常に予備と代替の作戦計画を持っている」
砂漠の狐の言葉は実に正しい。
後半の件は、クラウゼヴィツの戦争論やリデル・ハートの戦略論にも窺える要素である。彼らは戦争を一つの流れとして考えており、無秩序な侵攻など論じてはいない。
そして、戦争は絶対視されるべきではなく、重要なのは敵を特定の分野で優越する事であって軍事力による打倒だけが手段ではない。軍事と政治、経済などの複合的な要素こそが勝敗を決する。
あらゆる事態を考慮し、あらゆる事態を利用する。軍事分野でなくとも例外ではない。予備と代替の作戦計画だけでなく、政治も経済も利用するのだ。
「……でも、クラナッハ戦線では――」
「――男にはな、独り善がりに命を賭けたい時があるんだ」
苦しい。実に苦し言い訳。
ミユキの指摘は正しい。
クラナッハ戦線に於ける一点突破は、機甲戦力の集中運用という初見の戦術による“騙り”に過ぎない。予備戦力もなく突入したトウカは、マリアベルが予備 戦力として現れたので目的を達成する事ができた。全くの偶然。突拍子もない戦術で驚かせた内に機動力を駆使して戦線を突破しようなどというのは戦術以前の
ものである。〈第三機動師団『ヴェルゼンハイム』〉を予備戦力として用意していた征伐軍と比して御粗末以外の何ものでもない。航空優勢を過信した結果であ る。
圧倒的劣勢という状況下であれば博打も致し方ないが、可能な限り予備計画を立案しておく事は重要である。あの頃、予備戦力の捻出が難しかったという言い訳は、マリアベルが寄せ集めた戦車の見本市によって容易に否定されたので口にはできない。
ミユキは呆れ顔。
首と尻尾を振って、仕方のない人、という表情をして見せるミユキ。
「……主様、その台詞を言えば武家の妻なら黙ると思ってますねっ!?」
「…………………そんな事はない」
そう、そんなことはない。
ザムエルが女性を口説く際に使っていたところを目撃して、これは使える、と思った訳では断じてない。
「天霊の神々に誓って?」
「勿論。天地神明に誓って」
一拍の間の思案。
「私の尻尾に誓って?」
「それは難しい」
軍事的知識を得た所為かミユキの舌鋒は鋭い。マリアベルと比しては遙かに稚拙であるが、女性として男性を優越する術を知っている。無論、マリアベルは言 動と佇まいに似合わぬ健気と可憐さの一面によってトウカを虜にしたが、ミユキは愛も変わらずの純真無垢と天衣無縫でトウカの過去を詰る。
純真無垢や天衣無縫という言葉は、決して奥手や謙虚を意味するものではないとトウカは考えていた。
心に穢れなく清らかであるかと言われれば首を傾げる者もいるかも知れないが、トウカはそれでもミユキを穢れなく清らかでありながらも、我儘な女性であると確信していた。
だが、そうであるが故に残酷だ。
他者から見れば卑劣な手法すら恋の駆け引きとして済ませてしまう残酷なまでの純真無垢。
ミユキは穢れを認識せず、あるが儘に振る舞わない事こそを穢れとしている節がある。
ミユキもまたこの時代に見合うだけの狂気を兼ね備えているのかも知れない。
総てが純白であるならば穢れはないと言えるが、全てが漆黒に彩られているとしても穢れなき有様と言えるのではないか。一点の曇りなく一色で統一されているならば、それもまた純真無垢と言えるのではないだろうか。
純粋と穢れなき姿勢が善性であるという根拠などなく、それは錯覚に過ぎないとトウカは考えている。
有史以来、幾人もの指導者の大事の是非が善悪という観念で後世では語られたが、結局のところ時代や風潮、世相で答えは変遷する。
純真無垢も天衣無縫も所詮は価値観。
黒一色の純粋さを胸一杯に秘めた仔狐は溜息を一つ。
「自分に都合の良い事だけ並べるのは卑怯ですよぅ」
「……貴族の御令嬢が俺に近づかない様に毎朝、郵便受けに届いた茶会や舞踏会の招待状を破いて暖炉に投げ入れている狐もいる。自身に都合の良い事で周囲を飾り立てるのはヒトの性だ」
トウカは、ミユキが後ろでこそこそとしているのを知っている。
副官という立場を望んだのも、そうした思惑があってに違いないと察していた。
無論、それだけではないとも察している。
だが、それは黒一色の純真無垢が覆い隠している。
意外と訊ねてみれば、容易く答えが聞けるかも知れない。
しかし、トウカは訊ねない。
それをミユキが望んでいるならばそれでいい。
その思惑が皇国北部で完結するならば、トウカは断じて護るだけである。この帝国との一戦では一時的に土地を明け渡す事になるが、それ以降は何人たりとも犯させはしない。その為の皇州同盟である。
「え? 他家の令嬢と仲良くしたいんですか?」
「まさか……俺の腕が女二人を抱き留められない事は既に証明されている」
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶという格言に今一度背けば、トウカはマリアベルに続いてミユキまで喪ってしまうだろう。
苛烈に戦わねばならない。
生存圏たる《ヴァリスヘイム皇国》を護る為に。
自らの安全を自らの力によって守る意思を持たない場合、如何なる国家と言えども、独立と平和を期待する事はできない。何故なら、自らを守るという力量に依らずに、運によってのみ頼るという事になるからである。
「護る。護ってみせる、次こそはな」トウカはミユキの頭を撫でる。
〈南部鎮定軍〉を文字通り殲滅し、帝国領内に逆侵攻するのだ。帝国辺境に火種を撒きつつも緩衝地帯として利用する。食糧不足と相まって容易に辺境は火達 磨となるだろう。それを意図して皇州同盟軍参謀本部が情報収集と地形精査、作戦立案を行っている。無論、目先の〈南部鎮定軍〉殲滅の主体は陸軍隷下の〈北
方方面軍〉であり、皇州同盟軍はその支援という形になっており、防衛計画にはトウカも大きく関わっていた。
火中の栗は陸軍に拾わせればいい。
防衛の主体は陸軍であり、皇州同盟軍は陸軍が掬い損ねた生命を救いながら奮闘するという印象を臣民に、特に北部臣民に与えなければならない。今後の治政に関わる。
無論、目聡い者達はトウカのこうした立ち振る舞いを察するだろう。
陸軍の防衛計画に口を挟む際に協力を依頼したクロウ=クルワッハ公アーダルベルトや、陸軍府長官ファーレンハイは胡乱な瞳でトウカを見据えていた。
アーダルベルトは、そんな遣り方を続ければ孤立するぞ、と溜息を吐き、トウカは、それに対して、北部は既に孤立しておりましょう、と七武五公と中央貴族の過去の政策を詰っ
た。ファーレンハイトは装甲兵器の陸軍への割り当てを拡充する事で、陸軍が汚名を被る可能性を黙認した。諸悪の根源は帝国である以上、方便の捻出は容易 い。最悪の場合、国防費を削り続けた政府の不見識に矛先を逸らす事も難しくない。今現在、彼らに必要なのは即物的な軍事力であって臣民の評価ではないの だ。
総ては予定通りに進んでいる。
「主、閣下……白墨の粉が付いちゃいます」
「ああ、すまん」
白墨の付いた髪と狐耳を払うミユキ。
穏やかな日々。
だが、外では陣地構築が不眠不休で続けられている。
戦火が近づいていた。
「如何なる作戦も大胆であれ。大胆な作戦とは、一か八かの賭けとは違う。大胆な作戦は、常に予備と代替の作戦計画を持っている」
《独逸第三帝国》 元帥、エルヴィン・ヨハネス・オイゲン・ロンメル
ヘスコ防壁……米ヘスコ社製の大型土嚢。最近は米軍が頻繁に使用している。設置が簡単で対戦車擲弾すら防げる為、仮設の基地などの外周を防護するべく使用されている姿を諸兄もニュースで見たことがある筈。