第一九九話 帝都初空襲 前篇
「糞がッ、糞共がぁ! これが親衛軍か! 騎兵如きが生意気な!」
特定兵科を罵倒する指揮官の姿は些か見苦しいものがあるが、それを咎める者は〈ドラッヘンフェルス軍集団〉にはいない。
〈第三親衛軍〉所属の三個重装魔導騎兵聯隊の前に、〈ドラッヘンフェルス軍集団〉は攻め手を欠く展開に陥った。挙句に後背の森林地帯に展開した三個軽歩 兵師団が〈ドラッヘンフェルス軍集団〉の行動を制限する。前後を挟撃された形であるが、〈ドラッヘンフェルス軍集団〉は元より機動的な編制となっている。
軽歩兵師団程度の移動力に劣る筈もなし。森林地帯から進出するというのであれば自走砲兵部隊による曳火砲撃で拘束、装甲部隊による蹂躙が待っている。
〈第三親衛軍〉の存在はザムエルにとり忌々しい限りであるが、編制上は“軍”に過ぎず、“軍集団”である〈ドラッヘンフェルス軍集団〉は兵力で前者を優越していた。
だが、圧倒できる程ではない。
機動力で戦車に追随できる魔導騎兵は、帝国陸軍のみに存在する兵科である。厳選を経た優良馬に魔導処理された装甲を施した重騎兵で、搭乗する者達も選抜 された魔導騎士で、魔導甲冑を身に纏う魔導騎兵は大陸中に名を轟かせている。起源は古く中世まで遡るが、この戦場で装甲部隊を圧倒できないと証明されるま
では装虎兵のみが互角の戦闘が可能であるとされていた。軍狼兵は索敵や迫撃に秀でている一方、打撃力で一歩劣る為に優位を得るのは難しい。
ザムエルは、装甲兵科の代表者に等しい。無様を晒して他の兵科……特に騎兵科などが再び勃興し、装虎兵科や軍狼兵科に対する優位性の確保が困難となる状 況を招く真似はできない。当人はそれを派閥争いなどいう高尚なものと考えておらず、あくまでも装甲兵器主体の軍隊を編制する為の“努力”の範疇に過ぎない と考えていた。
無論、諸勢力はそう考えない。多連装甲指揮車の与圧と温度調整がされた空間は快適な筈であるが、ザムエルは咽る様な熱を感じ続けている。
トウカは指揮能力と移動力から多連装甲指揮車を評価しているとの噂であるが、ザムエルは馴染みの上面開放式である戦闘指揮車が良いと考えていた。
――刺す様な痛みが恋しくなるな、畜生。
直感と感覚で指揮を執るザムエルは、外気や将兵の雰囲気を肌で感じ取れない状況を好ましからざるものと確信していた。
戦域図の両手を叩き付ける。
「今一度、〈第三親衛軍〉の突出部を包囲下に置くぞ! あの姫将軍の直衛戦力をここで何としても削いでやるッ! 〈第一装甲聯隊『ラインバッハ』〉を前に出せ!」
それでも尚、ザムエルは戦意を絶やさない。双方共に攻め手を欠いた状態が続いている。
ザムエルにも予想外な事であったが、〈第三親衛軍〉は単独で進出してきた。その機動力は装甲部隊に劣らないもので、迂回突破など図る時間すら与えられずに〈第三親衛軍〉と〈ドラッヘンフェルス軍集団〉は真正面から衝突する事となった。
双方共に万を越える近代軍の軍勢であり、戦線は広大なものとなった。その上、双方が突破を意図した機動を行う。結果は決め手を欠くままに混戦となった。被害比率は拮抗している。
高位魔導士による砲撃型魔術を近距離で受けて貫徹する戦車もあれば、戦車砲の徹甲榴弾を受けて四散する重装魔導騎兵もいる。最も活躍したのは四〇㎜対空機関砲を四門搭載した対空戦車で、威力は劣るものの戦車砲を遙かに優越する速射性で重装魔導騎兵の阻止射撃に活躍した。
副官を務めるエーリカが、気焔を吐くザムエルに慌てる。
「閣下、なりません! 我々の任務は、あくまでも遅滞防御。平地では消耗戦に引き摺りこまれる可能性が……」
「だからだ! 一当てして、敵の特に粋がってる重装騎兵聯隊に一撃をくれて混乱を誘うんだよ!」
失礼極まりない妹の進言を退け、ザムエルは今一度の突撃を命じる。
正面からの戦闘では混戦に陥ったが、ザムエルは〈第三親衛軍〉の中でも特に機動力に優れた一個重装魔導騎兵聯隊が未だに突出している状況を好機と見た。
陽動ではない。撤退支援の為に踏み止まった結果である。姫将軍リディアは装甲部隊を甘く見た。奇襲によって即応性を飽和させるなどという小細工が通じる 筈もない。何より奇襲などが容易に叶う時勢ではない。皇州同盟軍が実証した航空優勢の原則には、航空偵察による敵情の把握という要素も含まれる。白昼での 騎兵突撃の突撃発起地点など、辿り付くまでに容易く位置を割り出せた。
鼻っ面に一撃を加えた〈ドラッフェンフェルス軍集団〉所属、〈第一装甲軍〉隷下の装甲部隊と、〈第三装甲教導師団『ライヒェンベルク』〉だが、彼らもま た帝国最精鋭の重装魔導騎兵を甘く見ていた。騎兵が飛び跳ね、魔導車輌を優越する速度で掛け、戦車砲の直撃に耐え得る魔道障壁を有するなど想像の埒外で
あったのだ。無論、装虎兵や軍狼兵という、それに類する兵科との交戦経験を持つ〈第一装甲軍〉隷下の装甲部隊は即応した。
だが、実戦経験と訓練期間に乏しい〈第三装甲教導師団『ライヒェンベルク』〉が遅れた。忽ちに重装魔導騎兵の戦列を突き崩す為に複数の装甲楔型陣形を形成しての突撃に移る〈第一装甲軍〉隷下の装甲部隊だが、〈第三装甲教導師団『ライヒェンベルク』〉は機動しながらの陣形形成に手間取る。
それを見た一個重装魔導騎兵聯隊が最右翼に位置した〈第三装甲教導師団『ライヒェンベルク』〉の側面を突く構えを見せた。ザムエルは〈第一装甲軍団〉隷 下の〈第二武装親衛軍装甲師団『ホーエンシュタイン』〉に〈第一武装親衛軍装甲師団『サクラギ・トウカ』〉の支援を命令したが、その混乱を〈第三親衛軍〉 は突いた。
混戦となった戦闘だが、対空戦車の面制圧や対戦車自走砲の中隊規模までの重装魔導騎兵聯隊司令部への狙撃によって敵を混乱に追い込んだ事で劣勢とはなら ない。何より重装魔導騎兵と言えど、戦車との衝突には耐えられなかった。装虎兵や軍狼兵に対する突撃では、正面からの衝突に耐え得る兵科として諸外国で知
られる重装魔導騎兵だが、鋼鉄の戦闘兵器である戦車は十倍を遥かに越える総重量を持ち、硬度も基部が馬という生物に過ぎない重装魔導騎兵とは桁違いと言え た。魔道障壁は貫徹を阻止できても過度な衝撃と圧力の継続には弱い。
踏み潰す事は容易い。装虎兵や軍狼兵は急な方向転換すら可能な兵科であるが、騎兵はそうではない。重装魔導騎兵は跳躍ですら可能であるが、負担と疲労から避けられる傾向にある。
避けて距離を取っての砲戦に出ようとする各装甲部隊指揮官を、ザムエルは怒鳴りつけて正面衝突を選択した。轢殺である。両者一歩も引かない。
重装魔導騎兵の主装備である魔導戦槍に魔導障壁と装甲を貫徹された戦車も少なくない。騎兵の性質上、一撃離脱が基本である為、装甲兵や破損車輛の大多数を収容できた点は幸いであった。
敵の二個重装魔導騎兵師団による密集した状態での騎兵突撃。威力もさることながら、高位魔導士を多数騎乗させている事から堅固な魔導障壁に護られての突撃は戦車砲ですら容易には崩せなかった。魔導障壁の傾斜で弾かれた砲弾も相当数存在する。
「困ったもんだぜ。これじゃあ、冬季戦迷彩の意味がない」
人馬の血潮と臓物で装甲部隊の車輛は悲惨なものとなっている。重装魔導騎兵の軍馬が身に纏う装甲によって装甲に施された魔導刻印や迷彩に傷が付き、魔導障壁の展開が不可能となった車輛や、視認性が跳ね上がった車輛もある。
「修羅の如き有り様ですね。軍集団司令官閣下も女性関係を拗らせて真っ赤に染まりませぬよう」
エーリカの一言に、〈ドラッヘンフェルス軍集団〉司令部の面々が笑声を零す。
そこに、通信士の技能章を腕に縫い付けた中尉が隣室の通信室より入室する。
「〈第五航空艦隊〉所属、〈第一六戦闘航空団『クトゥネシリカ』〉の偵察騎より報告」
「おう、言えや」ザムエルは言葉を促す。
禄でもない予感がしたザムエルだが、主導権を奪い返す事に秀でた装甲部隊指揮官として少々の物事には動じない自信があった。
「森林地帯から進発する構えを見せた二個歩兵師団程度の戦力を捕捉したとのこと。後衛の〈第三七装甲擲弾兵聯隊〉と〈第五二機動砲兵大隊〉、〈第九四自走重迫撃砲大隊〉が阻止行動に移行しつつあり」
「……そうか。分かった。下がれ」
ザムエルは席に座り込む。予期していた状況の一つに過ぎない。ドラッヘンフェルス高地近傍に〈第三親衛軍〉以外の部隊が急進してくるという可能性ほど困 難な状況ではない。潤沢な予備戦力を有する南部鎮定軍と違い〈ドラッヘンフェルス軍集団〉は陣地防御に徹する歩兵師団や各種砲兵部隊を予備戦力としている
のみ。それも後方のドラッヘンフェルス高地に布陣している。支援は望めず、防御陣地を空とする事もできない。
森林地帯に展開しているとされる戦力は、三個軽歩兵師団程度。〈ドラッヘンフェルス軍集団〉であれば、残敵掃討すら無視すれば短時間で壊乱状態に追い込む事のできる戦力である。
だが、それは敵軍の指揮官にも理解できている筈の事実。森林地帯に展開して装甲部隊との戦闘を確実に避け続けた三個軽歩兵師団の指揮官が、今この時、決 戦に姿を現そうとしているのだ。大被害を受ける事を承知で展開する価値があると踏んだ、或いはそう見せる事で利益が生じると見たと受け取れる。最悪、現状 を打開するだけの手段を有しているという可能性も捨て切れない。
ザムエルは、いつも自身の直感を以て闘争を渡り歩いている。
「潮時だな。退路を断たれては面倒だ」
その一言に、〈ドラッヘンフェルス軍集団〉司令部の面々が弛緩した気配を漏らす。いつ〈南部鎮定軍〉の増援が姿を現すかという不安の中での戦闘は、大き な精神的消耗を齎した。当初の予定では余裕を持って迂回行動で行軍中の南部鎮定軍主力を側面から直撃する心算であったのだ。それが〈第三親衛軍〉が分離し て急伸してきた事で不可能となった。
本来であれば、機動防御という選択肢も有り得たが、元より一時放棄が決定している土地を保持する必要性はない。何より、〈第三親衛軍〉が露骨に装甲部隊 との決戦を求めていると思しき進軍……狭隘な地形や市村を避け、平原地帯などを選択して進軍していることから縦深に引き摺り込めない可能性が生じた。占領
地の拡大ではなく、敵野戦軍との決戦を意図するならば、ザムエルの意図に乗らない可能性は十分にあった。
装甲部隊が最も得意とする戦場が平原地帯である様に、重装魔導騎兵もまた同様である。装甲部隊主体の縦深防御となれば、遮蔽物を利用した対戦車陣地が望ましいが、遮蔽物として扱える森林地帯には複数歩兵師団が潜伏しており、その排除を先立って行わねばならない。
機動に制限の付く森林地帯に近付く真似を〈第三親衛軍〉がすると、ザムエルは思えなかった。帝国陸軍に於ける基本的な戦闘教義が広域戦闘を前提としている以上、それは当然の想定と言える。
〈南部鎮定軍〉には、膨大な後続部隊が存在する。時間は〈ドラッヘンフェルス軍集団〉にとり敵であった。
両軍が敵野戦軍の撃滅を求めて進軍したが、決定打に欠く。
彼我の被害が均衡するならば戦力補充に劣る側の敗北に等しい。厳密には人的被害は〈第三親衛軍〉が〈ドラッヘンフェルス軍集団〉の八倍を数えている。自 走砲や突撃砲、自走迫撃砲による支援砲撃を突撃寸前まで阻止するには至らなかった結果であった。高位魔導士と言えど、音速で飛来する鋼鉄と火薬の塊を複数
人の詠唱による複合魔導障壁程度で阻止し続ける事は難しい。純粋な威力の問題と共に、騎乗であるが故の不安定な姿勢と振動による集中力の減衰が彼らの能力 を制限した。皇国陸軍や皇州同盟軍が運用しているⅥ号中戦車などの装甲兵器も、戦闘時は同様に魔導障壁を展開するが、それは魔導機関の魔力供給と装甲の魔 導刻印によって生成される。運用面での安定性は比べるべくもない。
実際のところ、ザムエルの“悲観”は大層と過大なものであったのだ。寧ろ、帝国という教育制度に著しく不備のある国家にとり、高位魔導士の育成は酷く資源を浪費する行為である。
「先の命令を撤回。撤退行動に移る。後衛は〈第一武装親衛軍装甲師団『サクラギ・トウカ』〉に」
〈第三親衛軍〉後退に付け入るのであれば、三個装甲師団で縦深防御を意図した戦線を形成したいが、帝国軍の増援を踏まえれば逃げの一手しかない。
命令が伝達され、撤退の準備が始まる。迅速な陣地転換こそが装甲部隊の長所である。撤退開始は近い。
動き出した司令部要員を一瞥し、ザムエルは背後に控えるエーリカに座れと促す。躊躇もなく最も近い上座に腰を下ろすエーリカは、ザムエルへと顔を寄せる。美人に育った事を嬉しく思う反面、それに釣り合うだけの野心まで備えた点は、彼にも想定外であったが。
「どうも気に入らねぇ。鮮やかに過んだろ、あの三個師団」
航空優勢のない状況で、あまりにも時期に優れた行動を選択し続けられるものかという疑念がある。内戦でのシュットガル湖畔に於ける一連の戦闘であっても、時期を図る点に於いてザムエルは苦労を重ねた。トウカですら征伐軍主力の後背を突く時期を捻出する為、敵の誘引に腐心した。大軍であれば尚更である。悪天候の中、揚陸を強行して一〇〇を超える溺死者を出した事実がそれを証明していた。
時期……戦機とでも言うべきものを求めて軍指揮官は常に神経を尖らせている。或いは創り出す為に全力を尽くす定めにある。
航空騎による索敵を以てしても情報伝達の時間差が戦況に追随できない。トウカが力を入れる電波による通信装置の完成はまだ先である。魔導通信は魔力波に よる送受信を可能とするが、代償として魔術が多用される地域では魔力波が拡散する為に通信障害が頻発するという欠点があった。
よって、ザムエルの動きを正確に推測しているという事になる。加えて〈第三親衛軍〉の到着時刻もある程度推測していたと判断できる。
トウカであれば消極的な行動に、戦意不足と謗られぬ様に形だけの挟撃を見せたと見抜いたであろう。それは近代に於ける専制君主制国家を後世の視点から俯 瞰したトウカであるからこそ。対するザムエルは常に専制君主制国家である帝国の脅威に晒された皇国の軍人である。常に脅威を肌で感じ、経験として認識して いるがゆえに過大評価する傾向にあった。
それは真っ当な感覚である。本質的に部外者であり続けているトウカであればこそ見抜けるのだ。
ザムエルは装甲部隊の指揮官として果断に富む将官であるが、それは無謀である事を意味しない。不確定要素を軽視する事はなく、後背の三個師団が森林地帯から〈ドラッヘンフェルス軍集団〉の索敵網を、奇策を用いて擾乱した“実績”も捨て置けないと判断された。
エーリカはザムエルからの懸念を伝えられると、即座に応じた。
「間諜とは思えません。瞬時に情報を伝えるのは難しいかと。何より複雑な軍事行動を連続で伝えるとなれば、相応の数が必要になると思われます」
ある程度の推測を進めていたであろう言葉に、ザムエルは天を仰ぐ。
帝国との戦争となれば、貴軍官民を問わずエルライン回廊攻防戦と考えてしまう。トウカであれば「それは随分とパブロフの犬だな」と嘲るに違いないが、ザムエルは反射条件に纏わる実験を知らない。
要塞戦への知見は数多く存在するが、帝国陸軍の野戦軍の戦術に対する理解は限定的なものとならざるを得ない。要塞戦は戦術的に見ても特殊な例である。両国の野戦軍同士の大規模な戦闘は、先の《南エスタンジア国家社会主義連邦》での衝突が初めてであった。
諸外国から伝わる情報だけでの理解は十全とはならない。経験があってこそ、鉄血の饗宴を経てこその理解と言える。それが戦争であった。理解を怠れば、あらゆるものが喪われる。
どの様に考えても、ザムエルが行き着く答えは一つとなる。
「それだけの指揮官という事か。指揮官旗も部隊旗も下げている以上、名前も調べられねぇ」
兵力と実績を誇示する事に熱心な帝国主義者にしては珍しく、慎ましやかとも言える程に主張を控えている。無論、それが森林地帯への潜伏を意図した部分もある事を、ザムエルは理解していた。
「幽霊師団だな……やっと姿を現したと思ったら、これだぜ」
トウカみたいな奴だ、とザムエルは吐き捨てる。
勝てる戦場にしか姿を現さない。勝利を掴み取る打算があって初めて攻勢に踏み切る。商人の如き損益計算と、政治家の如き取捨選択を以て判断する様は、通常の軍人のそれではない。軍略に政略、謀略も出来るトウカは、やはり指導者の資質を有していた。
唸るザムエル。エーリカが逡巡の気配を見せる。ザムエルは、エーリカの黒の長髪を引っ張り、言葉を促す。
「……敵兵が獣臭いという噂があります」
「おいおい、それは」
有り得ないと、ザムエルは笑声を漏らすが、表情には峻厳な気配が滲む。辻褄は合う。航空優勢のない戦場で相応の索敵能力を維持し、三個師団規模で十個歩兵師団規模の迫撃砲を人力運搬する膂力。そのどれもが魔術の素養に乏しい帝国の兵士達では多大な困難を伴う。
「……多くの者は軍狼兵の鼻を誤魔化す為の香料だと考えている様ですが、或いは」
「獣人がいる、ってか? それも、亡命を求めず交戦するだけの忠誠心を持った」
迫撃砲の数を踏まえれば、獣人は相応の規模となる。
――最大で数個師団前後か? これは不味ぞ。対応が割れんぞ。
多種族国家の筆頭として世界に認知される《ヴァリスヘイム皇国》に対して牙を向ける、人間種至上主義国家の《スヴァルーシ統一帝国》に属する獣人種という構図。
一個師団規模で従軍しているなら、脱走者の一人や二人は生じて当然と言える。家族や恋人、近しい者を人質に取られても尚、保身を優先する者は存在する。それを咎める真似をする者は皇国には存在しない。建国を成した者達がそうであったが故に。
――将兵の心情としても許せんだろうな……皆殺しが妥当か。
自らが在るが儘に過ごす事を保証する祖国を犯さんとする同胞であればこそ、皇軍将兵は容赦しない。裏切り者と見る筈であり、特に同種族の者達は積極的に 敵の同種族の死を望むに違いなかった。裏切り者が出たとなれば白眼視される可能性があり、それを潔白であると示すには裏切り者で屍の山を積み上げる事が効 果的である。
「どうしますか? 保護か殺戮、二択かと。半端な真似は国内の左右の主義者から反感を買う事になります」
気遣わし気なエーリカ。同胞相撃つを懸念しての事である。
だが、ザムエルの答えは決まっていた。トウカが極右勢力すら鼻白む戦争を遂行し、その隷下で戦い続けたザムエルが今更、穏健路線に転じたところで左派勢 力に受け入れられるはずもない。何より、これ以上、トウカに討たせる訳にもいかなかった。危険視される理由を増やす真似を、ザムエルは許容できない。
自身が成さねばならない。ザムエルは、この時、明確に認識した。
「天壌の戦乙女は多忙になるぜ。超過勤務手当が付く事を祈ってやろう。なければ陸軍から出さねぇとな。恨まれら堪ったもんじゃねぇ」
北部後退戦の一幕として記録される事になるウルム平原会戦。
その最中に、韋駄天の名を冠する事になる指揮官が一つの目的を得た事を知る者は少ない。
『見えたぞ、帝都イヴァングラードだ』
アーダルベルトの報告が騎内に響く。
騎内の者達が一斉に機銃座などから眼下を探るが、高高度である事と厚い雲居に阻まれて一二〇〇万人が住まう大首都圏の威容は窺えない。尤も、アーアルベ ルトの優れた視力に匹敵する者でなければ窺えないと、トウカは航空図に書き込む。この世界では、航空図は正角円筒図法……俗に言われるメルカトル図法によ
る投影法が用いられてきたが、トウカはより中緯度で差異の少ないランベルト正角円錐図法を用いていた。
――考えてみれば、メルカトル図法も名前を付けたのがメルカトルというだけで、独逸ではそれ以前より使われていたな。ランベルトも独逸人である事を踏まえると中々どうしてゲルマン人は優秀だな。
脱線する思考。帝都イヴァングラードに興味を示さないのは、大日連の首都圏がそれ以上の人口と建造物を有しているからでも、自身の思惑を確信しているからでもない。
ただ、ラムケにしか告げていない作戦の是非を思案していたからである。
「でも、三都市だけじゃなく、エカテリンブルクまで空襲を受けた癖に、首都上空の防空を疎かにするなんて……そんな敵を何百年と打倒できなかった皇軍も問題だけど」
リシアの言葉に、前線航空管制官達から笑声が零れる。皇州同盟軍の兵士であればこその嘲笑である。陸海軍将兵が聞けば噴飯ものの評価であろう。アーダルベルトは無言で、ノナカとラムケは遊戯盤を挟んで睨み合っている。
航空管制室はアーダルベルト用の装甲籠の中央に設置された航空管制を行う管制官が詰める一室である。爆撃目標の重複を避け、効率的な指示、誤爆防止を目的とし、爆撃効果判定も行う彼らは爆撃部隊の要と言えた。
トウカは無言を貫く。その姿に嘲笑は忽ちに途絶えた。その姿にミユキが小首を傾げる。
「釣り?」一言漏らすミユキ。
「まぁ、ある種の罠だったからな。釣りとも言える」
ミユキは軍事知識に乏しいが、その着眼点に於いてはザムエルを超える感性の片鱗が窺える。
無論、元より溢れ出る程の才能というものがあったなどという訳ではない。端的に言うなれば、ミユキは軍事行動を狐種が行う狩猟の延長線上として扱ってい る。それは、隠蔽や陽動に対しては極めて鋭敏な感覚を有していると言っても過言ではない。半面、機動力や火力に対する理解は乏しい。狩猟には基礎体力は必
要だが、機動力は必須ではない。射程や命中率は必要でも火力は必須ではない。ザムエルとの邂逅の際に行われた演習で、ミユキが行った魔術による隠蔽が軍事 組織の装甲聯隊を騙し遂せたのはそうした理由がある。狩猟種族全般の特徴と言うには、ミユキは些か鋭敏に過ぎたが。
狩猟場と戦場では条件は大きく違うが、同様の点もある。
「リシア……なんだ、その顔は二日酔いか?」
表情の抜け落ちたリシアに対し、トウカは二日酔いを疑う。重度の二日酔いでは表情が強張り動かないと、トウカは経験を以て思い知った。鉄血宰相の言うところの愚者は経験に学ぶ、を実体験した結果である。
「違うわよ、二人で完結するんじゃなくて、ちゃんと教えてって言いたいの。察しなさいよ」
〈モエルゲンシュテルン〉乗艦時の張り詰めていた気配は既になく、リシアはトウカの戦略を求めた。びよんびよんとミユキの狐耳を引っ張るリシアに、トウカは溜息を一つ。
「戦術とは、或る一点に最大の力を振るう事だ」
手当たり次第に殴るのは愚策であり、戦力の分散を招く。特に打撃力に優れながらも継戦能力に乏しい。一撃で敵軍の主戦力を撃滅する事を重視せねばならない。
だが、それは戦略に於ける目的を達成する為に一手段過ぎない。敵に打撃を与えるのはそれが戦略に必要であるからであり、敵軍を攻撃すること自体が目的となってはならない。そうした無分別を叫ぶのは衆愚だけである。無論、例外もあるが。
「三都市やエカテリンブルクは、戦略爆撃騎部隊による渾身の一撃だった……さて、目的はなにか?」
トウカはリシアに問う。アーダルベルトは会話にこそ加わらないが、大いに興味を持っているに違いない。
リシアが一拍の間を置いて答える。
「皇州同盟軍の今戦争の目的は敵野戦軍の兵力を可能な限り漸減。再度の侵攻に必要とされる兵力を奪う事……でも、皇州同盟軍は帝国奥深くに分散した兵力を攻撃できない」
客観的事実の確認。その指摘は概ね間違ってはおらず、そこから導き出される推論もまた誰しもが軍人の想像できる範疇に過ぎない。
「目的は、より多くの敵兵力を誘引。恐怖と保全による戦力投射を誘発させる為の戦略爆撃。帝国は広大な国境線の防空が不可能であると判断して、根拠地の制圧を意図する」
紫苑色の髪を一房、弄びながらも言葉を重ねる。
既にトウカの事など視界にないのか、思考の坩堝へと身を沈めている。
「副次目標は、敵輜重線の破壊。兵数を投入させる決断をさせつつ、侵攻軍の継戦能力を削ぐこと……帝国南部貴族の主な収入源を遮断し、黒幕と思しき皇女を帝国南部より退ける」
間違いではない。大軍を投じさせるが、撃破を容易ならしめる計画は必要である。南部貴族を叩き、帝国南部にも侵攻に協力させる流れを作り、更なる兵力投射を促す。皇国北部に一兵でも多くの将兵を引き摺り込み、巨大な蟻地獄として捕食する。
『……黒幕だと?』
アーダルベルトの峻厳な声音。トウカもリシアも答えない。その声音に、白の女帝による意図を七武五公や中央貴族、皇国政府は把握していないと、トウカは 確信した。エカテリーナが白亜都市エカテリンブルクに、常に居座る真似をしていた可能性も薄い事から諜報網から可能性もある。
戦略の局所的部分以外で、深い関与は見られない。トウカと同程度、或いはそれ以上にエカテリーナは帝国という国家の戦力に信を置いてはいない。戦略と謀 略による打開を意図した蠢動は窺えるが、戦術規模では以前の侵攻と特筆すべき差異はない。強いて言うなれば、大量の戦車と、重戦略破城槌をエルライン要塞
攻防戦で実戦投入したという点であるが、前者は幾度も前から大量とは言えないまでも投じられている。純粋に戦術規模の変化とは後者のみである。無論、巨大 要塞という戦略目標攻略のみに投入される兵器は戦略兵器と呼んで差し支えなく、エカテリーナもそう捉えていると推測される。
戦略と謀略にしか関わらないのであれば、エカテリーナがエカテリンブルクなどの前線に近い都市に居る必要性は薄い。
ただ、トウカはエカテリーナが前線に近い都市に居る状況が生じない事を意図した。エカテリンブルクが爆撃を受ければ、更に後方から指揮せざるを得ない。或いは、部下や周囲が後方への移動を強固に進言する可能性もある。
移動先はどこか? トウカであれば帝都イヴァングラードへ移動する。
エカテリーナの場合、厳密には総指揮官ではなく、戦略と謀略を軍に与え、要所で口を挟むという立場に在るに過ぎない。帝国陸軍の人事情報にエカテリーナ の名がない点が、それを証明している。自勢力拡大の好機で売名を行わないのは、政治基盤に不安があるからに違いない。そうでなければ侵攻への積極的関与を
示す立場を得ている筈であった。イヴァングラードで侵攻軍の規模ばかりが肥大化する状況を押し留める為の政治工作に勤しんでいると、トウカは見ていた。彼 女は戦略と謀略を扱う。寧ろ、主戦場は後方にこそある。
トウカは知らない。エカテリーナがトウカの手の内を推し量りつつある事を。
だが、共に確信していた。トウカとエカテリーナだけが今次戦争の指し手であると。
故に膨大な戦死者が歴史に対して約束されていた。
「貴方が危険視している皇女を遠ざける……それが最大の目標だった。違う?」
リシアの窺う様な視線。エカテリーナをエカテリンブルクから“釣り上げた”と見たのだ。
「それもあるな……」
リシアは喜ばない。トウカの仕草に、自身の答えが真実ではないと見たのだ。
「実際、公式見解の諸々……総て一切合切悉く、副次目標に過ぎない」
それら全ての意味が、エカテリンブルクと三都市の爆撃に対してあった事は事実である。だが、それらは決して主目標ではなかった。
「釣り上げたのは航空騎だ。答え合わせは、帝都上空で行おう。ハルティカイネン生徒。序でにロンメル生徒。どうせ、結果だけで過程は分からないだろう?」
ミユキが狐耳を垂らす。
高度を下げ始めた一一八騎の戦略爆撃騎からなる〈第一航空艦隊〉。雲居は既に姿を消し、蒼穹が高位龍種達の視界を満たす。
眼下には巨大な練石造りの大都市が姿を現していた。
「警報? この帝都で? 軍の訓練なんてあったかしら?」
丈の長い詰襟軍装は、金糸で形作られた象意の肋骨象意に、飾緒、総付肩飾、袖章までもが金糸で統一されている。諸外国の軍制から落伍した軍装と言えるが、彼女は軍人ではなく帝族であった。服飾規定は皆無に等しい。ただ、王族勲章だけは上衣全面左下に取り付けられている。
肋骨服の流れを汲んだ象意の陸軍大礼装は隙なく純白であり、外套を翻した様は戦女神そのものであるが、その姿に気を取られる者はいない。
帝都イヴァングラードで、敵襲の報が鳴り響いた。
正確な報告はない。漠然とした敵襲の報のみ。大陸随一の規模を誇る大都市の安寧が破られた事など一度としてなく、何より近年では訓練すら行われていな い。大都市にして大人口であるが故に、その統制には特段の苦労と困難が伴う。当然、それ故に規模は過大なものとなり、予算編成で真っ先に槍玉に上げられる 程の予算を必要とした。
「エカテリーナ皇女殿下、敵襲との事です。どうか御避難を」
第二陸軍卿の要職を担うスヴォーロフ元帥の言葉に、エカテリーナは、有り得ないこと、と一蹴する。
「陛下の元に参内致します、迅速に。可及的速やかに。避難はその後」
帝族たる血族の保全と言えば聞こえは良いが、重要なのは国家元首たる帝王に他ならない。その避難を差し置いて自身の生命を最優先したとなれば要らぬ批判を招く事と成りかねなかった。
「正しい判断かと。噂通りの御方ですな」
「貴方も奇人と名高い名将でしょう? 敵襲の戦力と方角を推測できるかしら?」
休日には聖歌隊で一日中、歌い続けているという嘗ての名将。常勝不敗として呼び声の高いスヴォーロフだが、奇人として有名であり、批判と非難が両親であると言われる程に激しい性格の持ち主である。
「小官の騎兵としての腕をお見せしましょうぞ。あの様子では魔導車輛は使えますまい」
踵を打ち鳴らして敬礼をしつつ、茶目っ気のある仕草で口元を歪める。
歩兵聯隊と騎兵聯隊の指揮官に任命されていた過去を持つスヴォーロフであれば、相応の手綱捌を見せてくれるであろうとの期待から、エカテリーナは嫣然とした仕草で頷く。
現在地は帝都イヴァングラード南の〈第一親衛軍〉駐屯地で、帝都中央の帝城……アナスタシヤ宮殿までは相応の距離がある。挙句に混乱が始まったのか、通りに出ている民衆は少なくない。警戒序列で展開を開始しようとする各部隊が要所の封鎖や検問を行えば、幾度も誰何されかねない。その様な時間はなかった。
〈第一親衛軍〉駐屯地の軍司令部として機能しているサンクトシャーテンブルク離宮の正門から帝都中央の現状は窺えないが、加速度的に混乱は助長されると容易に推測できる。
「随分と長い警報ね。やはり誤報ではないのかしら」
或いは、そうした可能性も捨てきれないとエカテリーナは考えていたが、既に相応の時間が経過するにも関わらず警報は流れ続けている。
「まぁ、整備不良で作動しないよりかは宜しいでしょう」
「あら、混乱の最中に攻撃を受けるより、何も知らないまま召されて貰う方が被害は低減でできてよ?」
エカテリーナは扇子で口元を隠して軽やかに笑う。周囲の〈グロースヌイ親衛魔導大隊〉から抽出された礼装の魔導騎士達は無言で整列している。
〈グロースヌイ親衛魔導大隊〉は、エカテリーナの私兵である。
白亜都市エカテリンブルクを領都とするグロースヌイ伯爵領を拝領しているエカテリーナは、自前の戦力を公式では保有していない事になっている。リディア 隷下の〈第三親衛軍〉を利用して治安維持の予算を削減しているという名目からであるが、当然ながら実情として兵力を有さない事は難しい。現に〈第三親衛 軍〉は侵攻作戦に投じられ、グロースヌイ伯爵領は軍事的空白となった。
そうした事態は以前より想定されていた。そこで設立されたのが〈グロースヌイ親衛魔導大隊〉である。事実上はエカテリーナの私兵同然で、規模は大隊とい う名称に反して四倍の連隊規模となっていた。そして、奇怪な事に予算は帝室から拠出されており、これは父……当代帝王であるゲオルギウス四世の意向で、公 式には娘が護衛を伴わずに行動している点を憂慮してとなっている。
無論、方便であるが。軍費に銅貨一枚とて出したくはないエカテリーナが帝室の財貨を当てにしたという事実を知る者は少ない。年々、予算を水増しして〈グロースヌイ親衛魔導大隊〉を増強している経緯もあり、それ故に名称は“大隊”となっている。
「私は素敵な小父様と帝城まで遠乗りに出かけるわ」
護衛の指揮を執っている〈グロースヌイ親衛魔導大隊〉の次席指揮官へと、ゆるやかに微笑むエカテリーナ。非常時と思わせない程に朗らかな笑みを湛える白い女帝に、〈グロースヌイ親衛魔導大隊〉の直衛兵達は一糸乱れぬ敬礼を以て応じる。
「我らも移動手段を確保次第、追います故。元帥閣下、どうか姫様を……」
「素敵な小父様、姫君との遠乗りの誉れ。謹んで拝命いたしましょう」
気負いなく応じるスヴォーロフ。手綱を引っ張り索敵驃騎兵の所属と思しき軍馬を一頭、引き連れてきた兵士から受け取るスヴォーロフには躊躇も恐怖も窺えない。
「なに、姫君を乗せての帝城への騎兵突撃。騎士の浪漫であろう?」
年甲斐もなく心躍りますわい、と老人とは思えない所作で鐙に足を掛け、一息に騎乗するスヴォーロフ。続いてエカテリーナへと恭しい仕草で手を差し伸べる。手を取るエカテリーナが脚を発条の様に扱い、一息に馬上へと続く。スヴォーロフの老人とは思えない力強い腕力に助けられ、エカテリーナはスヴォーロフの背後へと付いた。
「では、皆様方。帝城で見えましょう」
前面に大きな徽章と、上部に羽の前立が付された純白の円筒帽(シャコー帽)を、〈グロースヌイ親衛魔導大隊〉の大隊次席指揮官へと投げ付ける。
軍馬は嘶きを置いて駆け出す。
「勝ったな。さぁ、どう出る、カチューシャ……」
トウカは自席で肘を突いて囁く。
既に薄暗くなりつつある眼下の情景に、帝都イヴァングラードが放つ人工の光源が浮かび上がり始めている。
戦略爆撃騎は長距離飛行を可能とし、それ故に爆撃地点到達までに少なくない時間を要した。無論、それは航空母艦の安全を踏まえれば好ましい事である。 〈第一機動艦隊『サクラギ機動部隊』〉の主力の撤退支援の為、〈第四巡洋戦隊〉による各軍事施設への艦砲射撃が決まっているが、二個駆逐隊八隻が同行を熱
望した事から計一二隻による水上打撃戦力となった。現時点で航空母艦〈モルゲンシュテルン〉の直衛艦は軽巡洋艦二隻しか存在しない。シュタイエルハウゼン は不安視したが、寧ろ帝国海軍旗を掲げて独行艦となった方が良いとすら、トウカが考えた為に実現した。
帝都イヴァングラードに面するイヴァン大帝洋は、皇国東部が面する大星洋と同等の規模を持つが、それ故に通商航路から離れてしまえば艦船との遭遇の可能 性は限りなく低い。帝国海軍に黒潮部隊の様な漁船改造の監視艇部隊が存在するならば警戒は必要だが、それでも尚、戦略爆撃騎の航続距離を以てすれば行動範 囲外からの航空攻撃となる。
――そろそろ先行した水上打撃部隊が艦砲射撃を開始している筈だ。通信施設を破壊できれば、一時的にイヴァン大帝洋側からの通信を遮断できる。
魔導通信は魔力の影響を受ける為、経由施設が国内に設けられる場合が多い。イヴァン大帝洋のリャザン半島にある通信施設はその一つであった。特に帝都に近く、付近の通信所や艦隊間の通信を補助する基幹施設の役割を果たしていた。
「閣下、そろそろ始まります」
リシアの報告に、トウカは今戦争の天王山であると覚悟を決める。
既に中隊毎に分散しての編隊飛行へと移行した〈第一航空艦隊〉は、所定の得物を求めての飛行となっている。
「第二中隊、帝城爆撃を開始! 効果限定的なるも魔道障壁の消失を確認とのこと!」
通信士の報告に騎内が沸き立つ。〈第一航空艦隊〉隷下の第二中隊の一六騎が搭載していたのは、〈剣聖ヴァルトハイム〉型戦艦の五五口径四一㎝砲に使用される徹甲弾を流用したある種の地上貫通爆弾であった。
鋼鉄の質量を以て魔道障壁を飽和させるという方策は、内戦時に於ける征伐軍の要塞都市フェルゼンに対する攻略方法と類似するものがある。多数の火砲の徹甲弾による砲撃で魔道障壁を飽和させ、魔導炉心を強制停止状態に追い込むという一手は決して目新しいものではなかった。
「続いて第三中隊が爆撃を開始!」
報告は続く。第三中隊は徹甲爆弾と|油脂焼夷弾(ナパーム弾)を混載している。
徹甲爆弾は練石製の建造物の表層を貫徹し、内奥で炸裂する事を目的に製造された爆弾である。鍛造鋼による強固な弾殻と、着弾で被害を受け難い爆弾後部に遅延式信管を搭載した。
そして瓦礫となって密閉性を失った建造物内を放水による消火が困難な|油脂焼夷弾(ナパーム弾)が焼き払う。本来であれば、フェンゼン防空戦で使用された対空焼霰弾の転用を熱望していたが、魔術的処理による単価高騰の為に断念された。対空焼霰弾は、トウカの知る熱圧力爆弾に類似した効果を有する為、広範囲に多大な影響を与える。広範囲に分散した非装甲目標を撃破するには最適の航空爆弾であった。
無論、消火困難な|油脂焼夷弾(ナパーム弾)による延焼効果も捨てたものではない。
「閣下、第四中隊が周辺の陸海軍の総司令部を攻撃中です。我が第一中隊の目標はいかがなさいますか?」
「ハルティカイネン大佐。予定通り高級市街地に訪問するとしよう」
貴族が密集して居住する市街地を爆撃する事で恐怖心を植付ける。皇国に対する大規模出兵を強要させるには、権力者達へ一様に恐怖を植付けなければならな い。冷静で現実的な見方のできる反対者が大多数からなる感情的な意見に封殺される様に。専制君主制であれ、権力者が複数いる以上、幅を利かすのは多数派で
ある。決して正しい者や専門家の意見が優先される訳ではない。常に優位に立つのは多数派であった。無論、最高指導者や権威者がそれを拒絶できるのが専制君 主制の利点であるが、だからこその首都爆撃である。最高指導者である皇帝をすら当事者として恐怖心を植付け、自らの権威を傷付けられたと認識させねばなら ない。
権威を失えば専制君主制国家は極めて不安定になる。短期間で失った権威を取り戻すのは、外征という軍事行動でしか行えない。国家が行き詰まれば外敵を求 めるのはいかなる政治体制であっても例外足り得ず、帝国はそれを国是としている。内政による安定化を図るという選択肢は、思想や時間の面から現実的ではな い。
トウカは嘲笑を刻む。
降下を始めた戦略爆撃騎の群れの眼下では、無数の爆炎が天上を焦がし、黒煙が風に棚引く。遠目の光景は着弾音を失わせ、窓越しである事から酷く現実感を欠 く光景となっていた。映画を見ている様な光景だが、その光景の中では何百、何千という人命が失われているであろう事は疑いない。
ミユキも茫然と窓際から現実感を欠く光景を見下ろしていた。
「第一中隊も低空飛行に切り替える。高級市街地……アルダーノフ通り周辺を絨毯爆撃。砲撃魔導士は、目標は問わない。各個撃ち方。諸君の目標選定に関わる感性は能力考課に響くと思えよ」
騎内に失笑が響く。トウカも笑声を零す。実際、同乗させた砲撃魔導士の一人ひとりを確認する事など出来よう筈もない。
「他の中隊は?」
「帝都中心部を攻囲する様に爆撃中。中心部への部隊進出を阻止する為、主要幹線通りへの爆撃も行っております」
予定通りの状況に、トウカは鷹揚に頷く。
帝都中心部を囲い込む様に爆撃を行うのは、火災旋風の出現を願うという部分もあるが、それは副次的要素に過ぎない。帝都中心部には帝国中枢と呼ぶに相応し いだけの省庁が密集しているからである。国庫の問題から出兵に対して否定的であろう財務を司る組織も、自組織の中枢を焼き討ちされては敵わない。更なる増 派に反対できなくなるだろう事は疑いなかった。
爆撃判定の真似事か双眼鏡で観測を行うリシアに、トウカは言葉を投げ掛ける。
「ハルティカイネン生徒。どうだ? 問題の答えは見つかったか?」
「……迎撃が全くありません」
トウカに近付き双眼鏡を手渡したリシア。爆撃判定の真似事ではなく、迎撃を意図した部隊の有無を確認していたのだと、トウカは納得する。
リシアは正解に辿り付いた。
戦術とは、或る一点に最大の力を振るう事だ
仏蘭西帝国 皇帝 ナポレオン・ボナパルト
このサブタイトル、分かる人には分かる筈。